名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


黒い太陽の中心を制御する黒い太陽の中心――『stikir』、『OMORI』、『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』、『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』



 眠りに落ちる前の最後の九分間がいちばん好きだった。
 現実と幻想が交錯する瞬間を待ち望んでいた。その一瞬のために起床し、一日を生き抜く。私のいちばんの夢は一日じゅう眠ることだった。実現したらなんとすてきだっただろう! 
 でも、その夢はゆっくりと、しかし確実に、失せていった。まるで誰かが私の頭の中をあさるように、何も残らなくなるまで、すこしずつ……。
 今また私は眠らなければいけない。眠る必要なんてもう感じていないのに。鏡に自分の顔を映し終わり、私はいつもの錠剤に手を伸ばした。妙な話、いつも無心でまとめて飲み込んでしまうので、個別の薬がどのように作用しているのか、私はわからない。
 なんだか錠剤をもっとよく眺めたくなってきた。触りたい。指のあいだに挟んで、噛んでみたい。少しでも時間を稼げるならなんだってする。なめらかに隆起した赤いカプセルが私を見つめている。半透明の濁ったフィルムに覆われているものの、中身は視認できる。
 何が入っているんだろう……?


 ――『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』



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 他人の不安を追体験させられることが増えた。


それはおまえの Depression じゃんよ。

 いまやビデオゲーム市場はメンタルクリニックの待合室のようだ。*1*2
 そこでは制作者が直面した憂鬱や病や困難が吐露され、主として「『MOTHER』シリーズに影響を受けた奇妙なビジュアル」*3の形式で打破されたり抱擁されたりする。憂鬱はアートとなり、不安は商品になる。この世界ではあなた固有の絶望はあなたに固有のものではない。「個人的なことはすべて政治的なことである」という現代アクティヴィズムの魂は狡猾に収奪され、末尾に不可視の一文を書き添えられた。「そして、なにより、商業的なことでもある」と。
 振り返ってみればインディーゲームの歴史は、常にメンタルヘルスと象徴的な関連を有していた。初期インディーバブルの里程標となった braid は「囚われのプリンセスを助けに行くヒーロー」というクラシックなプラットフォーマー・アクションの枠組を援用しつつ、陰鬱なまでの喪失と後悔の物語が綴っていった。2010年代のインディーシーンを決定づけ、devolver digital を業界を代表するインディーパプリッシャーに押し上げた hotline miami の開発者は恋人との別れがきっかけで心を病んでしまい、施設のなかから開発を続けていたという。そして、ゲーム業界における近年最大の騒動であるゲーマーズ・ゲート事件の発端となったのは Depression Quest という作者の個人的なうつの経験をもとにした、メンタルヘルス啓蒙のためのインディー作品だった。この作品の開発者であるゾーイ・クインは Night in the Woods の開発チームに起きた、これまたメンタルヘルスがキーとなった、ある出来事にも絡むこととなる。

 
 なぜインディーゲーム開発者はメンタルヘルスや固有の憂鬱について語りたがるのか。それは単純にかれらがそうしたものを抱えているからだ。
 ゲーム業界人のメンタルヘルスの改善に取り組む団体 Take This を支援しているマイク・ウィルソンは、前述のインディーパブリッシャー devolver digital の共同創設者のひとりでもある。*4かれは前述の hotline miami の開発者だけではなく*5、支援していたインディー開発者たちが数年のあいだに四人も精神疾患で入院していく有様を目撃していた。
 インディー開発者は常に不安にさいなまされている。会社づとめをしているものは多くはない可処分時間を費やして命を削っていき、開発に専念するためにフリーになったものは経済的な不透明感な脅かされながらやはり命を削っている。*6「最初は一年や二年程度で完成する予定だった」作品の開発期間が四年や五年に延びることはよく聞く話で*7、それだけの労力を費やしたところで完成する保証はどこにもない。ようやくリリースにこぎつけたところでまったく売れず話題にもならず、残ったのは借金だけ、という残酷物語もそこかしこに溢れている。いや、割合でいえばそちらのほうが圧倒的だ。*8こんな状況で病まないでいられるほうがおかしい。ただでさえ、アメリカは六人に一人がなにかしらの精神的な疾患を抱えている社会なのだし。


 要するに、不安はクリエイターにおいて最も身近なトピックなのだということだ。しぜん、かれらの一部はゲーム制作における不安を吐露しようとする。ダニエル・ミューリンズの『The Hex』などもその範疇だろうし、ドキュメンタリーでいえば『Indie Game: The Movie』にも描写されているが、ここでまず取り上げたいのは『stikir』だ。

『stikir』――ゲームを作るためのコーヒーを入れるための水を探しに行く。


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『stikir』のストア紹介文にはこうある。
「このゲームはこのゲームを作ることについてのゲームです」

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「六ヶ月以内にゲームを制作すること」がこのゲームの目的だ。


 ゲームを開始すると透過レイヤーめいた模様の主人公を操作することになる。かれをあやつり、次々とアクション系のミニゲームをこなしていく。ミニゲームに脈絡はない。出てくるキャラも巨大なシカだったり、謎の半魚人だったり、歯並びと血色の悪い口だったり。
 未完成なのだ。この世界は。
 主人公は自分の家でゲームを作ろうとする。ところがパソコンの前に座れない。なぜか。コーヒーを飲まないと気分が出ないから。


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 かれはコーヒーに必要な水を手に入れるべく、家の外の世界へ冒険に出ることになる。


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道中で出会う愉快な仲間たち


 ドラゴンなどの強敵を倒して帰ってくると、三ヶ月が経過している。
 なにもしないままに、三ヶ月。
 ゲーム制作に着手するためのコーヒーを淹れるための水を持ってくるためだけに、三ヶ月。
 何かをやる、というのは、こういうことだ。わたしたちはやるべきことをやらないことについての言い訳すら上手にできない。


「だって、道路を渡っていたんです。そこには車がびゅんびゅん走っていて……」
「だって、ドラゴンと闘っていたんです。大きくて長くて、強くて……」


 理由にならない。
 これは「このゲームを作ることについてのゲーム」だ。
 なぜゲームを作らない?
 なぜやるべきことをやろうとしない?
 なぜ……?


『stikir』は30分か40分程度のゲームプレイで、実にゲーム的なほのめかしによって、わたしたちの不安の核心をついてくる。だが、逃げても「ゲーム」はあなたを追いかけてくる。どこまでも。

『OMORI』――逃避の作法。

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 わたしたちのアジールは、アサイラムは、どこだろう。
 チャトウィンとサンドラールにはパタゴニアがあった。*9あの時代よりもさびしさはずっと広大になって、わたしたちの”パタゴニア”は逃避先そのものではなく、逃避先で使用可能とされる寝袋やキャンプ用具を売る商人になった。しかしテントや簡易コンロを購入したところで使う機会などない。外に出るなと誰もが命じている。
「自己について絶望すること、絶望して自己自身から脱け出そうと欲すること、これがあらゆる絶望の公式である」というキルケゴールのことばを思い出す。あのデンマーク人は結局なにをいいたかったのだろう。
 

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ようこそ、ホワイト・スペースへ

 白と黒に支配された無窮の空間には、電球が吊るされている。電球のなかは黒いなにかで満ちている。憶えていてほしい。その電球こそ、主人公である OMORI にとっての"黒い太陽"だ。
『OMORI』は二つの世界を行き来するRPGだ。片方はファンシーとファンタジーで賑々しい、甘くかわいらしい世界で、そこでは悲劇など一切生じない。もう片方はゲーム内世界の基底現実だ。主人公は引っ越しを数日後に控えていて、そこに旧友が尋ねてくる。どうやら主人公(OMORIと姿形がよく似ているが、違う名前がつけられる)は昔起こったある出来事を境にひきこもりがちになり、よく遊んでいた仲良しグループも解散同然になってしまったようだ。


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 これら二つの「現実の世界」と「幻想の世界」ではそれぞれ出てくるキャラやオブジェクトが共通している。ほとんど陰謀論的なまでの記号と象徴に溢れている。だがふたつの世界の間をつなぐ関係の糸は微妙にズレている。あちらで親友として出てくるキャラはこちらでも親友であることもあるし、あちらで親友だったキャラが不倶戴天の敵になっていることもある。

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ファンシーな幻想パート
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イヌを撫でることができる現実パート


 なぜ、二つの世界はおなじなのに違うのか。*10
 幻想の世界のほうも安穏と過ごせるユートピアであるかといえば、微妙に違う。裂け目のようなものがそこかしこにあり、そこからは恐ろしい魔物めいた眼が潜んでいる。その魔物は現実世界にも出現する。なにかが不穏である。この不穏さはどこからやってくるのか。それがこのゲームにおけるミステリーの核心となっていく。

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どこまでも追ってくる「眼」。凝視してくるなにか。


 OMORI はホワイト・スペースから幻想の世界へも現実の世界へも行ける。ただアクセスの方法が決定的に異なる。
 幻想の世界に行くには、設置してある扉を開くだけでいい。だが、現実の世界へ行くには特殊な手段を取る必要がある。自傷だ。ナイフで自分の胸を刺し抉る。かれにとって現実と向き合うことは、それくらいの痛みを伴う。だが、その痛みは序の口にすぎない。目をそむけていた”真実”を直視すること、視ること、自分を視ていた眼を見つめ返すこと、そういうことにこそ真の勇気を必要とする。

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 やはり、ここにも逃げ場などない。なるほど、OMORIは最終的にかれ固有の不安と向き合い、解決していくかもしれない。だが、それはかれの不安だ。わたしたちのは?

『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』、『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』――ゲームのキャラとして振る舞うゲームのキャラとして

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『OMORI』の主人公は現実をRPG的に捉え、RPGの戦闘のメソッドを用いて世界に抗していく。
 それをさらに意識的に行うキャラクターがいる。
『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』、そして続編である『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』の主人公だ。

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通称 Milk-chan


『Milk〜』シリーズはアドベンチャーとして特異な語りの構造を取っている。
 基本的には、主人公である少女(ゲーム内で特定の名は与えられていないが、ファンたちからは Milk-chan と呼ばれている)の一人称で語られる。なので彼女の語り(思考)は地の文でもある。
 じゃあ、プレイヤーはこの主人公の視点に憑依して進行していくのか、といえばそうではない。
 プレイヤーは主人公によって創造され、呼び出される、一種のイマジナリーフレンドとして登場する。そして主人公からは Reader 、すなわち読者と呼ばれる。なぜかといえば、主人公は彼女の世界を「ビジュアルノベル・ゲーム」として捉え、そのように振る舞うからだ。

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 プレイヤーは彼女によって創造された存在ではあるけれど、彼女自身の意のままになるとはかぎらない。途中で出てくる選択肢はプレイヤー自身の意志によって選ばれる。その選択には主人公には不快に響くこともある。一作目となる『Milk inside〜』のほうでは、あまりに主人公の耳に痛いことばかり選択していると、「別のにする」といわれて Reader =プレイヤーの存在は抹消され、ゲームオーバーになってしまう。


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 ゲーム画面に映るのは彼女の眼を通した世界だ。赤い。赤と黒のみで染まっている。彼女はある出来事をきっかけに世界が赤く見えるようになったという。彼女の家にはおそろしい怪物が棲んでおり、彼女の腕に毒を打ち込んでくる。街に出るとクマが闊歩していて、スーパーマーケットを行き交うひとびとはすべて異形の怪物だ。この離人感。

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本作における他人はすべてモンスター


 プレイヤーは彼女に助言を与え、歪んだ認知をメタ視点から是正したりしなかったりしていく。彼女もまた OMORI のように過去の真実を直視するのが怖い。だが、『OMORI』のプレイヤーはあくまでプレイヤーとして一種膜を隔てた存在としての OMORI に接していく一方で、『Milk〜』シリーズでのプレイヤーは主人公の一部であると同時に別個の他者として彼女に直に接し、関係を育んでいく。彼女の不安はあなたの不安でもあるが、同時にあなたの不安ではない。あるいは、あなたの不安は彼女の不安かもしれない。
 それはまるでミルクが入った袋の中にミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルクが入った袋の中に入ったミルク*11




 主人公は母親のいいつけでミルクを買いに、ひさしぶりの外出をする。そして、スーパーマーケットでミルクを買い、家に帰る。これが『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』のプロットのすべてだ。『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』は前作の帰宅直後から始まる。ちなみに二作目のOPでは serial experiments lain 感あふれるアニメーションで前作のあらすじを描いてくれる。




 主人公は就寝前に薬を服む必要があったのだが、急な不信感に見舞われ、「この薬がもたらしてくれる眠りは私の欲しい眠りじゃない、偽物だ、ぜんぶ偽物!」と発作的に薬を捨ててしまう。そうして、Reader であるプレイヤーを再び呼び出す*12。その説得に促されて彼女は薬を服み*13、床に就こうとするのだが、寝る前に整理しようとしていた思考がホタルとなって*14部屋じゅうに散らばって隠れてしまう。

 彼女はホタルをすべて回収するまでは眠れない、といいつのる。

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"Take control"することは彼女にとって重要な強迫観念だ。


 プレイヤーは彼女の部屋のオブジェクトをひとつずつあらためてホタル探しに協力することになる。
「今度はポイント&クリック・アドベンチャーね」と彼女はいう。
 ポイント&クリック方式のアドベンチャーゲームは日本ではあまり馴染みがないが、海外では特にPCゲームの分野では現在でもそこそこ勢力をもっている。*15日本で馴染みのあるタイトルだと『ポートピア連続殺人事件』や『クロックタワー』シリーズなどだろうか。いわゆる脱出ゲーム系もこの範疇に入る。室内に存在するオブジェクトを主にマウスのカーソルなどで指示(クリック)して調べ、必要なものや情報を拾い集めていくジャンルだ。
 プレイヤーは使われていないパソコンや壁に貼られたメモやノートなどをクリックし、これはなんなのかと主人公に尋ねる。主人公はそのものの来歴について語り、それを通して自らの過去にも触れる。
 繰り返すが、このゲームにおけるプレイヤーは主人公によって想像され、主人公にしか認知されない存在だ。

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助けてあげてください。


 ケンダル・ウォルトンはフィクションへの没入感を「ごっこ遊び」と形容した。架空の物語であると認識しつつ、人はその架空の物語に感情移入し、泣いたり笑ったりできる。
 本を開く、映画館に入る、イヤフォンを耳に入れる、ゲーム画面を立ち上げる、それらはすべて「魔法円」に入るための儀式だ。特にゲームはジャンルや作品ごとに固有の画面様式を持っている。たとえば、『ドラゴン・クエスト』には誰でもひとめで「ドラクエっぽい」と感じる画面の感触があり、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンルには一定の共通したシステム*16がある。
 本シリーズもそうした様式に従っている。『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』も『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』もビジュアル・ノベルっぽい画面を取っている。
 それは本シリーズがそういうジャンルであると同時に、主人公が今見えている世界がそういうジャンルであると認識しているからだ。彼女は狂人なのだろうか? 広義にはそうかもしれないが、違う。彼女は自分が「ごっこ遊び」をしていることを認識している。彼女はしばしばプレイヤーに対して「あなたは私が作り上げた存在だ」というメタ発言をする。
 メタ認知療法がしばしばセラピーの分野で行われているように、彼女は世界をフレーミングし、自分を客観視できるイマジナリーフレンドを想像することで、自己セラピーめいた行為を働いているといえる。
 しかし、繰り返すが、この想像されたイマジナリーフレンドとはこのゲームにおけるプレイヤーのことだ。あなたにはあなたの人格がある。主体性がある。自由意志がある。

 ほんとうに?


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 ミステリとは過去を掘り起こし再現することを目的する物語の形式だ。ポイント&クリック・アドベンチャーもそれに似ている。ものを通して呼び覚まれる記憶が、過去がある。それはジャンルとしての一つの力学であり、その強制力から逃れることはできない。
 あるジャンルに身をゆだねるということは、ストーリーテリングの暴力性に晒されることでもある。そのジャンルの様式に従ってあなたは思考せねばならず、行動せねばならない。
『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』の主人公はその罠にハマり、忘れたがっていた過去に眼を向けるはめに陥る。
 過去を反芻するのは危険だ。苦い経験を噛みしめることはうつ病へと直結する。*17眼をそらしたがっているのはそらしたがっているだけの理由がある。本当にその過去は掘り出すべきなのか。本当にその真実は明かされるべきものなのか。
 その是非を決めるのはあなたではない。それが語られている場所のジャンルであり、様式だ。そうしたメカニクスに逆らう作品*18がしばしは「アンチ○○」と冠されるのは、逆説的にジャンルの重力の強力さを物語っている。

 ゲームであることの最大の枷とはなにか。ゲームであらねばならないことだ。かれらはもしかして、語りたいトピックをゲームを通して語っているのではなく、語りたくないトピックをゲームを通して語らねばならくなっているのかもしれない。他人の不安を追体験させられること。ゲームはあたかもその選択はあなたの自由意志による選択であり、その物語はあなたの欲望によってもたらされたと語る。
 ほんとうに?
 ほんとうに、あなたはその物語を見たかったのか?




 自分という人間の殻の外にいる自分を想像しながら、でも同時に自分であることには変わりない。ばかばかしい、牛乳の袋の外に牛乳があるようなものだ。


 ――『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』



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『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』の終盤、あなたは彼女に少し外に出て、空気を吸うように促す。出ると、*19彼女の頭上には真っ赤な空の中心で巨大な円形の空虚が口を開けている。すべてを飲み込む貪婪な黒い太陽が。あなたをどこまでも追いかける瞳が。

 あなたの空にもあるはずだ。






 

*1:https://screenrant.com/best-video-games-about-mental-health/

*2:https://www.nytimes.com/2019/03/24/technology/personaltech/depression-anxiety-video-games.html

*3:https://twitter.com/earthbound64/status/1413545531914268677

*4:https://www.engadget.com/2018-04-04-mental-illness-indie-take-this-kate-edwards-mike-wilson.html

*5:当該の開発者は入院したことをウィルソンに知らせていなかった。パプリッシャーに心配をかけたり、弱みを見せることを恐れていたのだ。

*6:『CUPHEAD』の開発陣があの狂気の満ちた作品の費用を捻出するために実家を抵当に入れていたのはあまりに有名な話だ。自分のせいで両親がホームレスになるかもしれない、というのは大変なプレッシャーだったに違いない。

*7:『OMORI』もそうだ

*8:インディーゲームにおける最大の販売プラットフォームである Steam では年に(AAA級のタイトルを含めて)8000本以上の作品がリリースされる。一本あたりの平均価格は5.99ドルで平均売上本数は2000本。一タイトルあたりの売上は12000ドル程度ということになるが、ここからさらに steam が3割のショバ代をさっぴいていく。https://www.4gamer.net/games/999/G999901/20200107024/

*9:「僕の広大なさみしさに見合うのは、もうパタゴニアパタゴニアにしかない……」ブレーズ・サンドラール『シベリア横断鉄道』

*10:おもしろいのは、現実パートと幻想パートのどちらでもRPG的な戦闘が発生することだ。だが、重みが違う。幻想パートで主人公はナイフを装備し、それで敵を切りつけていく。だが、それで誰かが死ぬことは(一部を除き)基本的にはない。ところが現実パートでナイフを誰かを斬りつけると一撃で相手が倒れ、「そんな危ないもん振り回すなよ!!!」とドン引きされる。

*11:ところで「牛乳が袋(bag)に入っているってどういうこと?」と思われる向きがあるかもしれない。これは本作の開発者がロシア出身であることと関係がある。東欧の一部やイスラエル、インドなどではミルクは紙パックやプラスチック容器ではなくて、ビニール袋に詰められて販売されている。アメリカ人が steam のレビュー欄かなにかで「バッグでミルク売ってんだなー」と驚いていた。

*12:呼び出せるのは一日一回までというルールがあるらしいのだが、そのルールを破る

*13:「(君は変わっていないんだね)」「どういう意味?」「(きみはひとりになることを恐れている。この不安が痛みを強くする)」

*14:最初はゴキブリだったのだが、彼女がゴキブリは嫌いということでホタルになる

*15:2021年のタイトルだと『Twelve Minutes』や『HAPPY GAME』あたり。

*16:エリアごとに区切られたマップなど

*17:「心理学者のスーザン・ノーレン=ホークセマは、反すうはうつ病の中心的な問題となる不適応な認知パターンであり、可能な限り止めるべきものだと考えた」『なぜこころはこんなに脆いのか 不安や抑うつ進化心理学

*18:たとえば、真実を見ぬきながら、犯人を哀れんでかばおうとして別の解決を捏造する名探偵。

*19:なんかポーランドだかロシアだかウクライナだかにある有名なマンションらしい