名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


2024年のベストゲーム10選とその他愉快だったゲームたち

I thought I heard you say
I wanna play with you, I wish you did too
I wanna play with you, I wish you did too
I wanna play with you, I wish you did too
I wanna play with you, I wish you did too

――んoon「Forest - feat. ACE COOL」



proxia.hateblo.jp
(2023年分)

・ゲームの内容の話はだいたい別の場所で書いているので、ここではそれ以外のことについて書きます。「それ以外のこと」以外、要するに実のありそうなことを書き出したら、この記事書くの飽きてきたんだなとおもってください。
・最終的にめちゃ長くなったんで、上の目次から興味の有りそうなタイトルやトピックへ飛ぶよろし。まあ2位以下はわりとノリとつないでいるので、順位自体はあんまり参考にせんでもらっておくと。
・基本的には2024年にリリースされたゲームが多いですが、別に新作に限定していません。単に24年に遊んだゲームが対象。


 では、参りましょう。

2024年のゲームベスト10

1.『Keylocker』(Moonana/Serenity Forge)


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 ユーザーが「インディーには”尖った””アート”が欲しい」というとき、基本的には大嘘で、ほんとうは端正さと真正さを求めています。マクドナルドでアンケートを取ったら客たちが「もっとサラダみたいな健康的なメニューを出してほしい」と答えるようなものです。で、なければ、『Balatro』のようなウェルメイドの極致のような出来の代物が「今年最高のインディー」だと称えられるはずもありません。
 とすれば、わたしたちが求めているものは製品のように装った異形、あるいは異形のように装った製品なのかもしれません。それこそ、『Balatro』のように。
 だれもが正気を欲する世の中です。しかしどうすれば正気でいられるのかは、だれにもわからない。
『Keylocker』はただしい狂い方を教えてくれます。たとえば、ほとんどすべてのオブジェクトやモブに固有の会話が設定されている。ロック観が今どきピュアすぎて逆にエッジが効いている。ストーリーテリングカットシーンの切り替わりが唐突すぎる。QTEベースの戦闘が初見殺しすぎかつムズすぎる。設定が多すぎる。音楽の力を信じすぎている。すべてが真剣に作られすぎている。頻発するバグにすら生真面目さがある。あらすじ? 聞きたいですか? どうやら我々の知る土星ではない土星ギリシア神話をベースに神々的存在が人類を創造した後なんやかんやあって破綻した人類をやりなおすぜということで生まれた人類型アンドロイド(だいたい対になるドッペルゲンガーと呼ばれる双子的存在を持ってできる)たちだったが神々の住む天上から遠く隔たった下層のスラムで惨めに暮らしておりそんな腐った世界に生まれ落ちた天性のロッカーにして脱獄囚BOBO-Chanが音楽の禁止された世界で専制的階級社会をぶっ壊すためにハッカー占い師ジャンク屋サムライ娘被差別階級のアシカガスマスクをかぶった関西弁の少女禁断のジューボックスメカ脱税専門ドッペルギャングなどを率い各地でコンサートを開いて人々に「声」を与えるのだけれど手をこまねてみている支配者たちではなく鯨を神聖視する教会と結びついてBOBO一派な行く先々で妨害を……

https://pbs.twimg.com/media/GX3MU8TaUAA5Xtj?format=jpg&name=large


 おわかりのとおり、とても開かれた作品ではない。

 インディーゲームとはなにかと聞かれたら、わたしは「個人的な記憶のパッチワークでできた夢」と答えるでしょう。どのような芸術形態であれ、個人・少人数制作の作品にはその人の見てきたことや体験してきたコンテンツの断片が、わりあい無造作にデコボコと置かれがちです。製品にする、ということは、そうしたデコボコを複数人での合意のもとで均す作業でもあります。たまにたったひとりで製品であることを可能にする、ある意味で怪物のような作者もおり、2020年代はそういう天才的な怪物たちの時代なのだとはおもいますが、それはともかく。

(よくわからないけど頑固でかわいいサムライ。ロマンス対象キャラでもある)

『Keylocker』は、まさしく誰かの見た夢です。『LiEat』に出会った衝撃から右も左もわからない状態でRPGツクールに手を出し、『Virgo versus the Zodiacs』という傑作を作り出したMoonanaはわれわれのより親しんできた意味での怪物であり、異形です。
 本作の戦闘システムに『マリオ&ルイージRPG』の影響があることは明白ですし、論理の回路はともあれ、納得もすることでしょう。音楽に旧ソ連ポスト・パンクアヴァンギャルドメタル、日本のビジュアル系が混ざっていることも理解できるでしょう。RPGとしての雰囲気の影響がもっとも強いのは『女神転生』シリーズ、なるほど、そうだろうな。そして、『MOTHER』。『MOTHER』の影響を受けていないインディーRPGなんてありうるでしょうか? 
 そのうえで、スキルツリーのシステムは『Grim Dawn』だという。わかるよ。わかるけど、そこで『Grim Dawn』ですか。
 こうした孤独な脈絡の無さこそが夢であり、狂気であり、インディーであるわけです。その結果できたゲームは製品として、どうか。
「上手くない」のひとことに尽きます。
 いや、グラフィックはアニメーション含めて完璧な出来だし、キャラやセリフは立ちまくってるし、戦闘も難易度が理不尽なだけでシステムとしては悪くないし、音楽は言うまでもなくよいし、設定や世界観はとっつきずらいものの綿密に構築されています。一つ一つの要素は、非常にレベルが高い。にもかかわらず、それらを有機的につなげる手管がドヘタです。だれよりも筋肉ムキムキで出来上がった肉体を持っているのに活躍できないスポーツ選手みたいなものでしょうか。
 端正さを旨とする商業の論理では許されない存在です。

(こういう主人公)

 しかし、ここに在る。在ってしまう。そういうたぐいの奇跡として、『Keylocker』は2024年のベストゲームであるわけです。正気なものとカロリー過多でジャンクなもの以外も許されるという世界の豊かさの証明として、そこにいてくれているのです。福音です。
 本作が完全に閉じられず、幾分開かれたものになっているとしたら、それはテキストの力です。このゲームはテキストがとにかく強い。そして、それを日本語に訳した翻訳者のおかげでしょう。日本語訳の水準が少しでも落ちていれば、本邦における『Keylocker』の体験は無惨に破綻していたはずです。もしかすると、自分は英語版でやるより深い体験を得られたのではないかという気すらしてくる。買いましょう。

(このゲームのこと)


2.『Balatro』(LocalThunk/Playstack)

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 中毒性の高いゲーム*1は憑物落としといいますか、悪魔祓いなのだとおもいます。呑まれたようにそれだけしかやらなくなり、その正体を見極めた時点で解放される。
 悪魔との賭けで張られるのは金ではありません、時間です、命です。ゲームが可処分時間を争奪する賭け事なのだとしたら、罪は『Balatro』だけにあるのではない、『Apex Legends』にもありますし、『Final Fintasy VII Remake』にもある。どれだけ長くテーブルの前に座らせられるか、それがカジノとビデオゲームの共通の目的であり、究極的にはプレイヤーとデザイナーとのあいだに遊ばれているゲームです。
 だから、ゲームを見たときに「クリアまでの所要時間」を気にするようになった時点であなたはゲームをする人間としては死んでいる。毎週末に特定のGIレースに1000円だけ賭ける、今日は5000円までと決めたパチンコを本当に5000円で切り上げる、チャラになった南郷さんの借金300万をそっくり差し馬に乗せてもう一戦打たずそそくさと帰る。人間としてはただしいし、賢いでしょう。でも、終わっています。ゲームは、芸術でもスポーツでも物語でも活動でも社交でもメッセージでもアゴンでもイリンクスでも儀式でも信仰でもありません。純粋な無為です。蕩尽される命のかがやきであり、滅びの予感です。
 そうした原義を『Balatro』は教えてくれる。あらゆるソシャゲやMMORPGやオンラインバトロワが甘く取り繕って隠匿しようとしてきた真理を教えてくれる。まっすぐでまっとうなゲームです。
 そのために『Balatro』はポーカーという古臭いゲームを分解して組み直し、デッキ構築ローグライトの型を極限まで削り、快楽のサイクルを最速で回転させるにはどう作ればいいかの極限を追求しました。と、すれば、これにもっとも近いゲームは『Into the Breach』ではなかったか。
 わたしは悪魔が好きです。いっしょに夜ふかしして踊ってくれる悪魔が好き。買いましょう。

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3.『INDIKA』(Odd Meter/11 bit Studio)


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 悪魔のささやきがずっと聴こえるゲームもある。『INDIKA』です。
「悪魔」の声が聴こえる流され系修道女インディカさんが架空歴史19世紀ロシア(ちょっとスチームパンクっぽい)を舞台に、隻腕の傷痍軍人をお供に、試される大雪原マザーロシアを蒸気バイクで爆走したり、超巨大キャビア缶詰工場に潜入したりしつつ、信仰を試されまくるお話。
『INDIKA』は掛け値なしに映画のように撮られたゲームです。カメラワークからカットの切り方、演出、演技まで、その質感がそんじょそこらのAAAよりめっちゃ”映画”してる。
「映画のようだ」といわれるゲームはFFVIIやMGSからこのかたナンボもございましたし、FMVと呼ばれる実写取り込みのゲームは太古の昔より存在しましたし、なんとなれば映画そのものを題材にした『Immortality』なんかも近年ではありました。しかし、心底映画っぺえ〜、東欧のインディー映画っぽい〜と思えるのはなかなかありません。
 じゃあ、映画でやれよ、という話にもなるのでしょうが、そこを『INDIKA』は「ゲームであること」に過剰に自覚的になることで巧妙に回避しています。その詐術が、意図してのものかどうなのか、最終的には「信仰とはゲームである」という批評を完成させてしまいます。これはすごい。
 某所でも書きましたが、GuardianやApp2Topのインタビューによれば*2、開発スタジオのOdd meterはロシア・ウクライナ戦争でロシアからカザフスタンアルマトイに移住すること*3になったそうで、創設者のドミトリー・スヴェトロフ曰く、ロシア正教会は「プーチン政権のプロパガンダ機関」と化し、若者たちに「祖国のために戦い、死んで、天国へ行け」と奨励しているのだそう。幼い頃から信心深い家庭に育ち、一時期は修道院で過ごしたのちに信仰を捨てた*4彼がそのような有り様を唾棄すべきものと捉え、『INDIKA』の底なしのニヒリズム*5へとつながったのは疑いえません。
 本来なら積極的な信仰とは無縁に生きているわたしたちには本来伝わらないはずの途方もない絶望が、映画とはまた違った角度から伝わる。結果的に、『INDIKA』はゲームそれ自身を含めた既存メディアのどれにも達成できなかったことを実現しています。買いましょう。

4.『SANABI』(Wonder Potion/Neowiz)


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 フィクションの角度はさまざまな条件によって制約され、その範囲はわれわれの想像よりもはるかに狭小です。そのために、映像的演出の仕方は各メディアごとにはもちろん、各ジャンルごとにバリエーションがあります。プラットフォーマーメトロイドヴァニアのような2Dサイドビューアクションにさえ、ユニークな演出は存在する。あるいは芽吹きつつある。
 『SANABI』はそのストーリーや演出を映画から借用しているのは疑いえないところですが*6、しかしカットシーンとインゲームをよどみなく繋いで2Dサイドビューのスタイルをたもったままプレイヤーに感動的な物語体験を与える手腕はユニーク以外のなにものでもありません。端的にはトメとズームとエフェクトですが、それにしても、考えてもみてください。大部分を三頭身ほどのドット絵で展開されるキャラクターたちに多くの人々が感情移入し、泣いているのですよ。想像力に溢れた平成人(絶滅して久しいと言われます)ならいざしらず、『Last of Us』や『Life is Strange』の存在するこの2020年代に?
 それはつまりタペストリーから映画への転換が2Dプラットフォーマーメトロイドヴァニアの世界で生じつつある。『hollow knight』や『Ori』シリーズほどのリッチな(アニメーション寄りの)アニメーションでなくても、画面の静と動だけで語る技術がこのジャンルに育ちつつあるのではないか。小品ですが、『sheepy』などもその良い傍証となることでしょう。買いましょう。


5.『The Fermi Paradox』(Anomaly Games/Anomaly Games、Wings)


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 二度と取り戻すことのできない過去を夢見ることのできる人間は幸いである。なにものにも汚されることのない永遠を抱きながら生きられるのだから……。
 そうかな? わたしはずっとあのすばらしき黄金の日々、すなわち『歴史隆々』の後継者を求めてきました。その過程で「意外と自分はテキストアドベンチャーRPGが好きなのだな」と発見があったのはともかく、思い出は二度と手に入らない。いや、今でもVectorで『歴史隆々』を買うこと自体は可能なのですが、さすがにOSとの兼ね合いがね⋯⋯。
 ある種のひとびとは『歴史隆々』欲をコロニービルドシムでその欲望を代替できるようですが、わたしはできません。パラドゲーをオブザーバーモードで観戦する毎日です。『Crusader Kings III』は家系図を引いてくれるのでマジでいいですよ。
 で、去年は『ファンタジーマップ・シミュレーター』が出ましたね。レビュー欄で「『歴史隆々』を彷彿とさせる!」という文言を書いてるひとが多く、こんなに『歴史隆々』ファンがネットの大海に潜んでいたのかと胸がいっぱいになりましたが、肝心の『ファンタジーマップ・シミュレーター』自体はこれまであった放置系ゴッドシム/ライフゲーム系放置シム(『WorldBox』は結構好き)とさして代わり映えのしなくて、あの『歴史隆々』の情報の物量、すなわち歴史感がもっと欲しい! とおもっているユーザーには不足でした。
 で、『Thee Fermi paradox』ですよ。2021年にアーリーアクセスが開始されて未だにフルリリースしていない。いま、ver.0.7くらいだったかな? まあ未完成です。その未完成具合に夢がある。アンビルドの夢です。
 内容? 聞きたいですか。壮大ですよ。各惑星に「生命の種」を撒き、そこから生まれ出ずる種を愛でてつつ文明の発展を見守っていく。惑星間で戦争もします。人類は宇宙規模で愚かです。興りも滅びもなにもかもが、ほぼ文字だけで編み上げられている。それをなんと呼ぶか。歴史です。
 単線的な史観の発展段階ごとにある程度枠組が決まっていて、そのバリエーションの乏しさに窮屈になることもあるんですが、でも全然想像が入る余地がある。その隙間でわたしたちは妄想します。英雄を、政治を、社会を、カギカッコつきでの「歴史」を。
 あの思い出は変わらず戻ってはきません。でも、代わりに海棲サイバーパンクポルノクラシー文明が砂漠ガラス文明を滅ぼしたりします。それもまたすてきな銀河です。買いましょう。

6.『DICEOMANCER』(Ultra Piggy Studio/Gamera Games)


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 わたしはデッキ構築型ローグライトが好きなのではありません。世界をなんとなく律していた枠組が、その世界がもともと内側に有していた論理によって、まったく正当に、けれどもめちゃくちゃに破壊されるその瞬間が好きなのです。それが特によくあらわれる裂け目がデッキ構築型ローグライトというだけなのです。
 で、『DICEOMANCER』。カードゲームです。あなたはダイスをふります。目が出ます。その出目でもって、画面上のあらゆる数字を操作できます。そう、あらゆる数字を。敵味方のHP、敵の攻撃力、手札の上限枚数、マナプールの最大値、所持金、敵の予告行動までのターン数、アセンション数、カードに記されたあらゆる数字⋯⋯ゆくゆくはイベントやショップやルールブックさえも、あなたはサイコロによって書き換えることができるようになるでしょう。
 デッキ構築型ローグライトはよく「運ゲー」というワードでもって良し悪しを測られますが、運のゲームを運によって塗り替えていく、これほどの快楽はありません。
 惜しいのは、開発側自身がその威力に臆して二の足を踏んでしまっていることです。もっとなにもかも破壊していいのに。なんなら、すべて崩壊させてもいいのに。
 なにげにアートワークとアニメーションまわりが唯一無二のすばらしさ。買いましょう。

7.『Leap Year』(Daniel Linssen/Daniel Linssen, Sokpop Collective)


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 謎解きで一番気持ちの良い瞬間は「答えが最初から自分のそばにあったことを知る」ときです。具体的にも、抽象的にも。
 それでいえば、『Leap Year』は快楽の連続でした。すべての可能性は与えられている。わたしたちはそれに気づいていないだけ。跳びさえすれば届いたのに、どうせ自分はなどと見切って諦める。
『Leap Year』は無言で、しかも物語もなしに語られる人生讃歌です。気づきの連続こそが教訓であり、テーマです。こういうものこそが美しい。
 アビリティの解放をエリア間のゲーティングに用いるというメトロイドヴァニアの暗黙の前提を逆手に取ったsokpop一世一代の快作。あれ、sokpopは今作に関しては開発はしていないんだっけ? なんでもいいや。買いましょう。

8.『The Life and Suffering of Sir Brante』(Sever/101XP)


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 去年はさまざまなRPGに手を出しました。『warsim』、『caves of qud』、『roadwarden』……が「手を出した」程度でどれも止まっております。と、いうのも、テキスト量多いのに日本語化されてない。まあ、そうですね。そういうものです。単純なワード数だけでいってもメガノベル級の翻訳量を要求されるアドベンチャーRPGは訳されないのが当然なジャンルです。特にファンタジーだと独自の用語とか言い回しとか多いからなお手間が余計にかかるしね。
 比較的抑えめの規模だった中世ファンタジーテキストRPG『The Life and Suffering of Sir Brante』も、当初は日本語でのプレイを絶望しされていました。ところがまさかの公式からの日本語版実装のアナウンス。これだけの実質有志のボランティアとして、一年八ヶ月かけて50万ワードのテキストをコツコツ翻訳した Bliz氏は英雄だとおもいます。ちなみにこのかたは『Suzerain』の有志訳もなさったかたです。あと『Where the water tastes like wine』や『Stasis』やJoe Richardsonのゲームとかも。ヤバすぎ。
 それはともかく、『Sir Brante』。これは架空の中世ファンタジー的世界で新興貴族の家庭の次男坊に生まれた男の物語です。この「新興貴族の次男坊」というスタート地点が絶妙で、ふつうであれば、没落した名家の後継ぎの俺がその事実を知らずに貴種流離譚とか、スラムのガキからキング・アーサーとかをやりたがるところじゃないですか。でも、本作の主人公は祖父の代に成り上がった貴族の家系だからそんな地位が高いわけでもありません。むしろ、必死に藻掻かないとたちまち家格が落ちてしまうし、っていうか自分自身がどんなに頑張ったところで次男坊だからまともに栄達することは困難で、せいぜいそこそこの官僚とか坊さんとか革命戦士とかに落ち着くしかなく、それでもなお家長になりたいなら目の上のたんこぶである兄をどうにかするしかない。
 どのようなルートをたどるにしろ、政治感覚というのは絶対に必要とされいて、体制側のお偉いさんに取り入ってスパイみたいなことをやったり、逆に反体制側におもねったり、神秘的な貴族のご令嬢の愛人になったり、ときには自分の親友を謀殺した憎き卑劣漢の靴を舐めるなんてことさえやらなきゃいけません。
 要するに、魔王を討伐したり、ドラゴンを撃ち落としたり、ラダーン祭りに参加したりといった勇者じみた行為とは一切無縁の泥臭い「剣と魔法の中世ファンタジーRPG」というわけです。
 え? 「魔法」がどこにあるか? って、まあ、いろいろありはするんですが、いちばんわかりやすいのは「三回までは死んでもOK!」なところでしょうか。なんか世界を支配する神のおかげで全人類死んでも復活します。やばいね。このロマンあふれる設定を上述したようなヤダみ溢れる泥臭中世になげこむと「高位の貴族が戯れに使用人を殺して生き返らせる」とか「高位の貴族軍人が庶民である部下に難癖をつけて決闘を繰り返し申し込み、いたぶりまくって殺す」とか「高慢な爺さんがムカついた孫を蹴り殺す」とかろくでもない用例しか出力されてきません。
 よいファンタジーの条件とは世界を実感できることです。ありものを使うことはかならずしも悪いことばかりではないですが、そのものがなぜそこにあり、どのように機能しているのかを感じさせる奥行きが欲しい。矛盾はあってもいいのですが、信じられるだけの質量が欲しい。
 アーシュラ・K・ル=グウィンは「ファンタジーについて前提とされているいくつかのこと」でこう述べました。「怠惰な精神の産物である使い回しのお定まりの設定ではなく、ほんものの空想によって生み出された社会や文化を舞台とするファンタジー作品を見つけると、わたしはいつも、花火を打ち上げたくなります」
 わたしもまた『Sir Brante』のために花火を打ち上げましょう。世界の成り立ち、宗教、社会や生活のディティール、魔法の要素、キャラの言動、それらすべてにおいて信じたいとおもわせるだけの力がこのゲームにはあります。
 ちなみにスタジオはこのユニバースを拡大させるらしく、こちらもまた独自架空歴史テキストヘビイアドベンチャーRPGのユニバースを拡張させつつある『Suzerain』とおなじく興味津々で注視しております。

9.『LOK DIGITAL』(Letibus Design, Icedrop Games/Draknek and Friends)

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 わたしはそれなりにパズルが好きですが、パズルのほうはわたしのことを激烈に嫌いな模様です。ろくにクリアさせてもらった経験がない。『Baba is you』、『Patrick’s Parabox』、『Understand 』、『Curesed』、『Void Stranger』、『Witness』、『A Monster’s Expedition』、いずれも傑作と肌感ではわかりますが、その精髄まで嘗めている気がどうもしない。
 知性と根性のどちらか、あるいは両方が足りないのだといわれればそれまででしょう。ゲームは差別的です。かれらは属性によって差別するのではありません、力量によってふるい落とすのです。
 『Everything is going to be OK』などで知られる実験的ゲーム/ソフトウェア開発者のalienmelonことナタリー・ロウヘッドはマストドンでこんなことをトゥートしていました。*7

「ゲームはアートだ」と主張したがる人々が、実際にそのセリフを口にするとき、決まっていつも「まあ、自分はそんなにゲームが上手じゃないけれど⋯⋯」というためらいがあとにつく。
映画を楽しむのに「上手」である必要があるだろうか?
アートを楽しむのに「上手」である必要があるだろうか?

こんなことをいうのも(ゲームの分野でアーティストとして活動する)自分に、つねにつきまとうトピックだからだ。
なぜ、ゲームを享受するのにスキルの問題がそんなにも取りざたされるのだろうか?
「上手」でなくても楽しめるゲームを、私はいくらでも挙げることができる。けれど、「本物のゲーム」の理想というのは商業性の強いメインストリームの作品によって左右されがちで、それはアートフォームとしてのゲームについてのひとびとの理解を今でも規定している。こうした固定観念からぬけだすのは容易ではない。
Nathalie Lawhead (alienmelon): "“games are art” but then you hear comments from p…" - Mastodon



 ロウヘッドが実質的にメディア・アーティストであることや、「映画やアートを楽しむのにスキルはさして入り用ではない」という見方にいくぶんかの留保はつくであろう*8にしても、「まあ、自分はそんなにゲームが上手じゃないけれど⋯⋯」とつぶやくひとたちの気持ちはよくわかる。ことゲームにおいてはアクセシビリティの問題は、実はだれでも大なり小なり抱えている。「後期高齢者が『バイオハザード』や『ELDEN RING』をクリアした」といったほのぼのニュースが流れてくるとき、それが話題になるという事象の裏側に含まれているものはなにか。
 動体視力、勘、反応速度、音感、論理的思考能力、パターン記憶、物語把握、ジャンルや様式への順応、その他さまざまな種類の認知能力。あなたは好き嫌いを得意不得意と混同してゲームを選んでいるとき、実はゲームに選ばれている。
 そして、あなたが共有しているかはわかりませんが、わたしには人生を貫くひとつの欲望がある。この世のすべての傑作に触れたい。けれども、ゲームは篩からこぼれ落ちたものには触れることすら許さない厳格さがある。気がする。私はなぜ あらゆる人 あらゆる場ではないのか!*9
 
『LOK DIGITAL』はもしかしたら夢多き無能者の見た末期の幻覚なのかもしれません。
 Thinkyという比較的最近に確立されたジャンルがあります。『A Good Snowman Is Hard To Build』や『A Monster’s Expedition』などで有名なパズルゲーム作家 Alan Hazelden*10が提唱した概念で、「迅速な反射神経や器用さではなく慎重な推論がすべて」とされるゲーム群のことです。Thinkyなゲームを紹介するサイト、Thinky Gamesによれば「論理ゲーム、探偵(推理)ゲーム、ミステリーゲーム、ストラテジーゲーム、数学的ゲーム、アドベンチャーゲーム」といった広範なジャンルを横断するそうです。要するにこれまであまりに指す範囲が広すぎた「パズルゲーム」のくくりから、『テトリス』などの反射神経やゲーム的アクションが要求されるサブジャンル(主には落ちものパズル)を切り離し、より純粋な思考と解決の快楽を重視するジャンルです。ジャンルと言ってもこの漠然とした扱いづらさは首唱したHazelden自身の認めるところで、「でもみんな使っちゃってるからしょうがないんだよな〜」とインタビューで言ってました。
 で、『LOK DIGITAL』はそうしたThinkyゲームの最新の例のひとつとして取り上げられます。
 ブロックのマス目に浮かんだ文字をつないで、特定の単語を作りマス目を塗りつぶしつつ、その単語の持っている固有の効果によってマスをさらに塗りつぶす。で、マス目をすべて塗ったらステージ完了。ざっくりと説明するとなんのこっちゃみたいなゲームですが、やってみると、これがよくできている。
 そして、意外にThinkyすぎはしない。
 漠然とした推論をもとに、マウスをドラッグしながらうねうね文字をつなげながら、ああこれは違うのか、これも違うのか、と感覚的なトライアル・アンド・エラーを繰り返していると、なんとなくできてしまう。
 わたしにやさしいThinkyなゲームとは、『Return of the Obra Dinn』系列の「間違いが3つ以下だと『惜しい』と教えてくれるシステム」しかり、ニアピンまでの寄せ方がご親切です。『LOK』は設問を見たときの「うへえ〜〜、わけわかんないよ、無理だよ〜〜」という気持ちから「手筋はわかってきたけど、詰めがわからない」までの距離が意外と近く、そこからちゃんと「これを発見したおれって天才じゃない?」までの気づきをきっちりキャリーしてくれる。とっつきづらいようでいて、親しめるところの多いあんちゃんです。
 ついでに、ビジュアルもいいし、音楽もいい。

10.『Mouthwashing』(Wrong Organ/Critical Reflex)


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 ローポリホラーの波が来ている来ている来ています! というのは占わずとももはや誰もが知っていて、『Crow Country』と『Mouthwashing』がバカ売れしているところからもわかるわけですけれど、ではローポリホラーであることとはいったいなんなのか。
 過去の世代に属する美学のリバイバルというのは多くの場合、甘いノスタルジーを伴い、ときにはその甘美さが目的化されるといわれます。*11
 しかし、マーク・フィッシャーのいうようにその回顧への欲望が「新自由主義的な資本主義が連帯や治安を破壊したことが、その埋め合わせのようにして、価値の定まったものや慣れしたしんだものへの渇望をもたら」*12されたものであったとすれば、ローポリホラーをめぐる状況はいささか奇妙であるといわざるをえない。ローポリホラーに内在しているものは安定した過去の日々ではなく、不確定で崩れやすい不安のこころだからです。
 ホラーに出てくる怪物が「人間の出来損ない」である点はしばしば指摘されるところです。ある程度までは人間に近い形態であるからこそ、非人間的なおぞましさが際立つのですね。
 そうすると、ローポリ人間たちは、たとえ劇中で真正の人間として描かれていたとしても見た目には人間未満の感覚がずっとつきまとう。PS1〜2世代のプレイヤーたちは、(たとえどんなに明るい内容のゲーム出会ったとしても)旨の奥底でつねにこの感覚のもよおす不安に憑かれてきたのです。
 人間がまがい物なら、世界もまがい物です。現実に似ようとするが現実になりきれていない。そこに歪みが生じます。そこにホラーが吹き出します。
 懐かしさは甘さだけではない、ということです。記録メディアはここ百年常に鮮やかさを更新しつづけているため、過去の映像はつねにどこか傷ついて見えます。今撮られている映像でさえそうです。そこにはなにかが入り込む間隙がある。
 そこまでであれば、どんな無自覚なローポリホラーにも含まれているおぞましさです。
『Mouthwashing』のすばらしさは、そうしたローポリの「出来損ない」や「不鮮明さ」の不安を演出面で徹底して磨き上げたところです。たとえば、画面の切り替わりでよくディゾルブや音飛びが生じるのですが、これが傷ついた過去や混沌とした記憶を語る物語のエモーションと連動している。単に趣味やフィーリングとしてグリッチやバグ的な表現が取り入れられているわけでなく、きちんとストーリーテリングの文脈に理屈づけられているのです。
 ローポリホラー作品は表層に浮き出るインスタントな不穏さでそのまま押し切ろうとしてしまうきらいもありますが、『Mouthwashing』ではあらゆる細部が物語やキャラやモチーフに奉仕し、ひとつの強力な体験を作り上げています。『How Fish is made』のようなピーキーな不条理ホラー(でもよく見たらテーマは『Mouthwashing』と通底している)を作っていたWrong Organがこんなストロングスタイルのホラーを出して評価されるだなんて、うれしい驚きです。
 2024年はパブリッシャーであるCritical Reflexの年でもありました。『Buckshot Roulette』、『Arctic Eggs』、『THRESHOLD』、そして『Mouthwashing』。なぜタワーディフェンスやら高速アクションプラットフォーマーやらゴキゲンなゲームを出していたキプロスのパブリッシャーが、唐突にローポリホラー界のゴッドファーザーと化したのかはわかりませんが、まあ今後もひとつよろしくおねがいしたい。

 そういえば、Critical Reflexの『Arctic Eggs』についてはここでも取り上げました。
booth.pm


メンションしたい良かった作品たち(エンドクレジットまで見たか、ある程度十分に遊んだとおもったもの。順不同)

・基本的には印象に残った順で並んでいるようなそうでないような。
・スクショはビジュアルを気に入ったゲームのみ


『Sorry, We are Closed』(à la mode games/Akupara Games)
・これもローポリホラーの部類に入る。けど傾向としては『バイオハザード』とか『パラサイト・イヴ』あたりのアクション性が高いもの。
・ビジュアルのセンスだけでいったら『Keylocker』や『Diceomancer』とならぶくらいに好き。須田51先生のフォロワーらしいん。個人的には須田ゲーそのものはそんなにマッチしない一方で、須田ゲーフォロワーは刺さるのが多い。村上春樹そのものは好きじゃないけど、春樹フォロワーには好きな作家が多いみたいなのといっしょですね。いっしょか?
・話としては失恋して人生どん底のコンビニ店員のミシェルという女が「公爵夫人」と名乗るめちゃつよ悪魔に見初められて「第三の目」が開き、悪魔や天使といったこの世ならざるものが見える体質になってしまう。なんとか「公爵夫人」を求愛をはねつけるために魔界じみたダンジョンで自分とおなじように「公爵夫人」の食い物されて哀れな末路を辿った人間のたちの「目」を回収していく。ノリとしては近いのは『ペルソナ』シリーズだろうか。シリーズ初期と後期を足して二で割ったかんじ。
・ちなみに「目」が開いてみると、地元の住民(友だち含む)の半分以上は悪魔か天使で、レコード店に至っては客が全員悪魔という日もあるくらい。
・ぶっとんだ設定でありつつも、なにげに主題である「愛」の在り方へ丁寧にフォーカスしているという点で物語的にも見るべきものがあり、ベスト10リスト作りでは『Mouthwashing』とどちらを採用するか迷った。でもパブリッシャーのナウさで『Moutshwashing』に軍配があがった。Akuparaもね、好きですけど。『The Darkside Detective』シリーズ日本語化してくれたら、もーっとスキになるかな。
・そういえば、『Sorry, We are Closed』でもう一点特筆したいのが、音楽。24年で一番ですね。基本的にはムーディーでダークなシンセっぽいBGMなんですけど、ボス戦ではいきなりボーカル付きでこんなんが流れます。
www.youtube.com

・サントラが良かったゲームで今年ナンバーワンです。次点は『LOK DIGITAL』。いちばん聴いた(聴かされた)の『Balatro』のアレ。TGAでオーケストラアレンジが流れたときはまじめに感動しました。

『The Rise of the Golden Idol』(Color Gray Games/Playstack)
・一枚絵的なシチュエーションから穴埋めパズルの方式で登場人物や事件の真相を当てるミステリADV『the case of the golden idol』の続編。当初は『return of the obra dinn』フォロワーとして扱われていましたが、いまや類似作は『the golden idol』のフォロワーたちと呼んだ方がいいような状況*13。『the duck detective』とかね。
・ミステリゲームって日本人がわりと真剣に考えてきた分野だとおもうんですが、本格ミステリの呪いというべきものが強かった。それは「究極的には真相とはダイアログと地の文で物語的に語られるべき」ということで、つまりは小説であることの呪縛です。そうしてすべてのミステリはノベルゲームやポイントアンドクリックに囚われ続けることになった。
・しかし、「推理」の体験とは物語を自らの手で再構築することではなかったか、と考えたときに、アメリカ人やラトビア人がナラティブのくびきをいとも簡単に放り出して新ジャンルを作り出してしまったのは転回でした。
・その新しい道が最終的にどこへ向かうのかはまだわからないのですが、『the rise of〜』では明確に途中経過を示してくれます。ウミガメのスープです。デジタルでインタラクティブな推理ゲームをつきつめた結果、ウミガメのスープの行き着く。おもしろすぎる。
・Playstackは2024年はこれと『Balatro』を出したからえらい。それはそうと翻訳⋯⋯。




『未解決事件は終わらせないといけないから』(Somi/Somi)
・では、小説的なナラティブに囚われたミステリゲームが出口なしなのかといえば、そんなことはなくて、韓国のSOMIはそのセンスでもってやすやすとハードルを越えてきました。システム的にもストーリー的にもそんなに新味があるかといえば微妙ですが、なにがなんでも二時間の体験をなめらかにしようとする執念と作り込みがすさまじい。そして、この浪花節。アジアですね。
・開発者のSOMIは日本のミステリを結構読んでいるらしくて、影響元として道尾秀介東野圭吾連城三紀彦らを挙げています。*14すごい。ザ・2010年前後のミステリオタクだ。好みの傾向が「家族」というのもわかりやすい。

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『Momodora:月影のエンドロール』(Bombservice/Playism)
・人気メトロイドヴァニアMomodoraシリーズ完結作。特にゆるすぎもせず厳しすぎもせず、なめらかで心地よい手触りのいつものMomodoraという感じで、最終作だからといって特にどんでんがえしや演出盛り盛りだったりするわけでなく、あくまで古き良きインディー作品として静かにたたんでいく慎ましさが好ましい。
メトロイドヴァニアにはドッヂさえあればいいのです、あのたおやかなドッヂの感触さえあれば……



『Felvidek』(Jozef Pavelka, Vlado Ganaj/Tutto Passa)
・現在のスロバキアでアル中の騎士と巻き込まれ体質の僧侶が、フス派の残党やオスマントルコの手先などと小競り合いしつつ、謎教団の陰謀を解き明かすツクールベースの中世舞台RPG。昔から外国人はツクールを使ってへんてこなRPG*15を作りまくっているんですが、だいたいは『ゆめにっき』とかの影響下にあるところ*16、『Felvidek』はマジで他に類を見ないキテレツさを誇ります。とにかくコメディのセンスがキレている。
・ところで本作に関しては日本語訳がクソ問題というのがあり、一般レビュアーがそれでも訳してくれただけ感謝!というのはよいのですが、業界に対して責任あるひとびとがそれを看過したらあかんだろ、とおもいます。ローカライズは作品の一部なのだから。日本語にするだけならpcotでもできる。翻訳はその先にあるものです。
・とはいえ、最近フィードバックを受けて翻訳が改善したらしい。検証する気にはなりませんが。ゲームは多く、人生は短い。ユーザーは無償のデバッガーではない。っていうかこっちが金払ってるからむしろマイナスです。アーリーアクセスにもいえることだけれども。
・このまとめ記事においてはこのほかにも幾度か翻訳・ローカライズの質に言及したとおもいます。しましたね? 
 不幸にも、ゲームにおいて翻訳はあまりに顧みられることの少ない分野です。特に絶対的に人手の足りず、(「依頼人が知らないあいだに孫請けの孫請けに出していた」という『SANABI』の例のように)粗悪な翻訳業者の横行するインディー分野においては、まともな翻訳者/ローカライズ担当者というのは存在がすでにして神です。もっと称えられるべきではないか。わたしの知るかぎり、日本のいかなるゲーム賞にも「翻訳部門」はないのですが、文芸に「日本翻訳大賞」があるのだから「日本ゲーム翻訳大賞」だってあってよいのでは。



Alan Wake 2』(Remedy Entertainment/Epic Games Publishing)
・『1』より好き。REMEDYは『コントロール』を経て、映像的な演出にさらに磨きがかかったといいますか、誤解を恐れずいえばもっとも映画っぽいゲームを作る会社だとおもいます。とにかく、変てこな演出がほとばしっています。
・実写映像の使い方が特によい。虚と実の境目をゆるがせる作品テーマにどこよりも本気。思い返すだに傑作です。
・『1』と『2』の怪奇表現のテイストの違いに注目するとおもしろくて、ここ十年でホラーは世界的にスティーブン・キング式のモダンホラーからSCP的なるネットホラーへと転換したんだとわかります。そして、それはメディアの変化と密接にむすびついている。『Alan Wake 2』のユニークさは、現代的なネットのテイストを取り入れつつも、ちゃんとスティーブン・キング的なテレビ時代に軸足を残しているところ。



『1000xResist』(Sunset Visitor/Fellow Traveller)
・90年代の香りを濃厚に漂わせつつも同時に2020年代でしかありえないSFアドベンチャー。謎の宇宙人が謎の宇宙ウィルスをばら撒いたせいで人類が滅亡した地球が舞台なんですけど、その世界に唯一免疫を持った女の子が生き残って、海底に自分のクローンで王国みたいなのを作るんですね。そこで起こる政争と痴話喧嘩が主に問題となって、まあこれだけ聞くと大味なSFっぽくて実際そうなんですけど、一方で本作は「香港」というのがひとつキーワードになってきます。
 と、いうのも、最初に言った「宇宙ウィルスパンデミックで唯一生き残る女の子」が香港系のカナダ移民二世なんですね(学校生活描写はいかにも「北米のアジア系」というか、『butterfly soap』あたりを想起します)*17。しかも、両親が20年ごろの民主化運動に参加した咎で追放されて移民したひとたちなんです。この「香港の記憶」が本編にもうまい具合に絡んで、絶対に他では出せない味を出している。
 ちなみにディレクターは舞台芸術出身の現代アーティストでもあって、あんまり高級とはいえない3Dのアセットをあの手この手で演出してきて、そこに振り回されすぎてる感がないでもありませんが、ユニークです。問題意識としては『keylocker』と通底していますが、語り口としてはこちらのほうが洗練されているか。
・ちなみに、百合です。
・ところで、『Mouthwashing』のときにもおもったのですが、実はゲームって、物語のボリュームが大きくなればなるほど、リニアな語り口って向かなくなる気がします。たしか『Mouthwashing』の開発者がどこかのインタビューで「プレイヤーを飽きさせないことを目的にシーンを構成していったら、自然とああいうノンリニアな語りになった」と証言していましたが、操作という名のけだるく散漫な手続きを要する以上、「順繰りの説明すること」の有効性って他のメディアに比べると薄いような⋯⋯あくまで感触ですが。



『(the) Gnorp Apologue』(Myco/(Myco))
・生産と回収が分かれているタイプの放置型クリッカー。この形式が最近流行ってるのか、『Idle colony』とかもそうでしたね。正直なんでなめらかな体験曲線が身上のクリッカーにめんどくさ要素持ち込むんだよ、とおもわないでもないんですが、Gnorpはビジュアルから世界観までよく作り込まれていてよい。
クリッカーでは『Digseum』も好きだった。24年はクリッカーづいて他にもいろいろ試してみたのですが、最終的に時間と人生の価値に向き合わねばならず、虚無に陥りがちなこのジャンルはおいらのポッケには大きすぎらあ、といった感じだった。あと、個人的な性向として、「放置系」といっても起動しているとついつい用事がなくてもウィンドウを見ちゃうのも精神衛生上よくない。短めの放置型クリッカーがもっとあればよいのですが、ジャンルからいって矛盾しているので、なやましいね。『Rusty Retirements』もアニメーションのセクシーさに感銘を受けたれど、結局ガ―っとやってバーっと飽きてしまったし。
https://shared.fastly.steamstatic.com/store_item_assets/steam/apps/1473350/ss_23d0c9603b8e07b1c63ebcc2cf98dcb1313a75fa.1920x1080.jpg?t=1718997922


『Spell Disk』(Sunpeak Games/Sunpeak Games)、『マジッククラフト』(Wave games/bilibili)
・どちらもジェネリック『noita』系魔法連鎖アクション見下ろしローグライク。『the binding of isaac』×『noita』といえばわかりやすいか。
・前者と後者でそんなに出来に差はない(もちろんそれぞれに個性はある)のだけれど、レビュー数では二桁くらい違う。それは『マジッククラフト』がbilibiliパブリッシングで、中国人ユーザーの心をがっちり掴んでいるから。wukongをsteamのgotyにしたり、言語対応要求にぼやく開発者をレビュー爆撃したり、良くも悪くもこの層を味方にするかどうかでsteamというのは戦略が違ってくるのだな、と実感します。
・どちらもある程度テキトーにやっていてもなんとかなるんですけれど、比較的『Spell Disk』はマップも魔法のバリエーションもこじんまりとしていて連鎖の計算がある程度しやすい。『マジッククラフト』はだらりと長くて魔法デッキの構成に冗長性がある。また『Spell Disk』はやや『Vampire Survivor』を意識しているっぽく、っていうかおまけにヴァンサバパロみたいなゲームモードがある。
・好みはどちらかというと、『Spell Disk』かな。でもやっぱり甲乙つけがたいな。っていうか『noita』もやりなおしたくなってきましたね。


『Utopia Must Fall』(Pixeljam/Pixeljam)
・タイトルがいいですよね。レトロモダンなゲームばかり作ったりパブリッシュしている零細パブデヴpixeljamの最高傑作。
・いまどき、『asteroids』っぽいワイヤーフレーム画面で『スペース・インベーダー』っぽいアーケードシューティングゲームつくるやつおる? おるんですな。ここに。しかも、おもしろい。
・宇宙から来襲してくる侵略者たちや隕石を、「new new york」や「neo tokyo」みたいなイカした名前の最終防衛ライン兼都市に設置したミサイルやレーザーで防衛していきます。ステージごとに兵器のアップグレードがあり、それをうまくやりくりしていく。人類の最終戦争においては恒久アップグレードなどという甘ったれた概念は存在しません。わかりやすいシステムと練られた学習曲線とピカピカしたビジュアルでついつい遊んでしまいますな。

https://shared.fastly.steamstatic.com/store_item_assets/steam/apps/2849680/ss_66330977cd6e7523f3745c346f8fbf64a7bcb871.1920x1080.jpg?t=1734382813


Citizen Sleeper』(Jump over the age/Fellow Traveller)
サイバーパンクテキストRPG。よくできています。よく書かれています。しかし行儀がよすぎるといいますか、どこかで「”サイバーパンク”って”こういうもの”だよね」という折り目の正しさに束縛されすぎているきらいもあって、まあそれは『サイバーパンク2077』にも感じられたことですが、あるジャンルでやる以上は、もっと新規性が欲しい。あるいは『Keylocker』みたいな混沌が。
・まあしかし、SFのゲームってビジュアルが強ければそれでいい気もする。
・おもしろかったことには変わりないので、続編も楽しみです。



『Neva』(Nomada Studio/Devolver Digital)
・さすがに『Gris』に戦闘くっつけるのは蛇足でしょ……絶対失敗するパターンだわ……とおもってたら、きっちりその部分も楽しかった。アートだけじゃなく、きちんとメカニックも作れるスタジオだったんだな、という印象。それでも『Gris』の鮮烈さを超えてはきませんが。これが games for impact? ここ十年寝てたのか?
・なにはともあれ、とにもかくにも、イヌがよい。よすぎ! 巨大な犬、きょだいぬがいます。犬ゲームオブザイヤーです。



『Buckshot Roulette』(Mike Klubnika/Critical Reflex)
・1人用のゲームとしてはこぢんまりとしていますが、かなりよく作り込まれていて、400万本の大ヒットもむべなるかな。


『Monument Valley III』(Ustwo Games/Netflix Games)
・まさかのネトフリ独占。
・3作目いうて、もうやることなかやろ……とおもっていたら、きっちり新規性のあるものを出してきてうれしかった。



『Awaria』(vanripper/vanripper)
・『Helltaker』の人の新作。倉庫番あんまり得意じゃない勢としては、こういうアクションよりのほうが助かる。
・そろそろなんかデカいゲーム作ってくれよ、とはおもうけど、作風的にむずいのかな。


Football Manager 2024』(Sports Interactive/SEGA
・わたしの中では放置ゲーその二。なんとなく今年は買わないでいる方向かな〜とおもってたらいきなりEpicがタダでくれた。Epic大好き! いちばん好きなゲーム販売プラットフォームです! ゲイブの野郎なんかやっちゃってくださいよ!!
・たぶん今年EPICでまともに遊んだゲームはこれと『Alan Wake 2』と『Prince of Persia the Lost Crown』(序盤で止まっている)くらいだけど。


『Spin Hero』(Sphere Studios/Goblinz Publishing, Maple Whispering Limited)
・デッキ構築型ローグライトスロット。『幸運の大家様』をファンタジーRPG風の世界観でバトルっぽく味付けしたもの。『大家様』よりとっつきやすい。深みはそんなないけれど、この手のものに深みを求めてもなというところはある。


『Ballionaire』(newobject/Raw Fury)
・デッキ構築型ローグライトパチンコ。24年は『Balatro』(ポーカー)を筆頭に、先の『Spin Hero』(スロット)、『Dungeons & Degenerate Gamblers』(ブラックジャック)など、ギャンブルを材に取ったデッキ構築型ローグライトが個人的には目についた年でした。そのなかではよくできていたほう。サイケなビジュアルもよい。
・そういえばこれとバンドルにされて売られていたデッキ構築型ローグライトクレーンゲーム『ダンジョンクロウラー』のようはやったはやったけど、NextFesのときにデモ版をやり尽くしてしまっていたのでなんか盛り上がらなかった。デモで大盤振る舞いしすぎるのもよしあしですね。


『滅ぼし姫』(Steppers' Stop/Steppers' Stop)
・2024年最大のニュースは「ステッパーズ・ストップがSteamに初上陸!」だとおもいます。


『スルタンのゲーム(デモ版)』(Double Cross/2P Games)
・もっともオリエンタルで、もっともフェティシュで、もっとも正式リリースを楽しみにさせるゲームです。


『SUMMERHOUSE』(Friedemann/Future Friends Games)
・圧倒的な「夏」に「家」を建てるゲーム。ゲームというか、箱庭というかジオラマビルダーというか。
・近年は『Tiny Glade』や『Townscaper』や『Dystopika』みたいな「特に制約もなく家を立てていくだけ」のゲームがちょくちょく出ていますね。ローファイな雰囲気でチルしたいけど、手先を動かしておきたいみたいな。
・開発者は元はGrizzlyGames(『Thronefall』や『Superfilight』のスタジオ)の人で、あそこはもともと三人で立ち上げられて今は二人でやってるらしいんですが、オリジネイター三名それぞれがソロディベロッパーとしてヒット作(『Will You Snail?』や『The Ramp』など)を持っているヤベー才能集団です。
https://shared.fastly.steamstatic.com/store_item_assets/steam/apps/2533960/ss_d6b4d74ce348f5a286005ca254269d1282101fd0.1920x1080.jpg?t=1734252880


『Maiden & Spell』(mino_dev/mino_dev, Maple Whispering Limited)
・24年は夏くらいまでシューティングづいていて、『斑鳩』をやったり東方にチャレンジしたり、まあいろいろ遊んでみたりしておったのですわ。そのなかでいちばん性にあっていたのが『Maiden & Spell』。キャラもかわいいし音楽もいいし何よりちゃんと最後まで遊べる。すべてがほどよい。続編の『Rabbit and Steel』はそこまでハマらなかったですけど。




『Paratopic』(Arbitrary Metric/Serenity Forge)
・ローポリホラーウォークシム。ローポリホラー短編の中でもギザついた印象を残す。『Mouthwashing』同様に、ローポリはこうした傷ついて混乱する過去の断片を語る時にもっとも映える。


『The Invincible』(Starward Industries/11 bit Studios)
スタニスワフ・レムの『ザ・インヴィンシブル』のゲーム化、っつっても前日譚みたいな内容。
・SFウォーキングシムとしてはそれなりに広がりがあってそこそこ良い体験だった。レトロフューチャーなSF的意匠の数々が素敵。



スナフキンムーミン谷のメロディ』(Hyper Games/Raw Fury)
・よく憶えていないのだが、途中からスナフキンムーミンの幻影をひたすらおいかけていく、カヴァンの『氷』みたいな幻想執着LOVEストーリーになっていった気がする。



『Windblown』(Motion Twin/Motion Twin, Kepler Ghost)
・『Dead Cells』のとこの新作。アーリーアクセス。見下ろし3Dローグライトアクション。3D版『Dead Cells』というとちょっと違う*18んだけれど、でも他人に説明するときはめんどくさいからそれですましてしまうかも。
・おもしろいんですよ。おもしろいんですけどね。やっぱりこう、一戦一戦に命をかけられないというか、恒久アップグレードをアンロックしていくことが目的化してしまうというか、それでいえば『Hades』はうまくやってたんだなあ、とおもいます。
・そういえば、『Hades II』もちょっとやったネ。こっちもアーリーアクセス。なんかもうアーリーアクセスばかりで、正式リリース版待ってていいですか、って気持ち。


『Hauntii』 (Moonloop Games/Firestoke)
・「良かった」かといえばかなりギリギリなラインで、ビジュアルはね、すごい良いんですよ。他に代えがたい魅力なんですよ。でも、それが発揮されるのは最初の十数分がピークで、あとはなんか砂を噛むような無味なプレイが続きます。
・開発側もやる気がないわけじゃなくて、他のゲームにもあるようなミニゲームや要素や演出をいろいろ詰め込んではいる。でも、それがどれも淡白すぎるというか、全体に有機的にむずびついていないというか、なんかバラバラな印象。すべてをすこしずつ掛け違えているようで、なんだか惜しい。あと10時間のゲームではない。
・でもこのビジュアルはマジでいい。




『BLUE ARCHIVE』
・取材についていくというのでやった。
・騒がれるだけあってエデン条約編はよかったですね。ぬいぐるみの使い方が好き。


『学園アイドルマスター
・端的にいえば、おもしろい。
ライトノベルの対する「ラノベ」呼びみたいなところであたしはずっとソシャゲをソシャゲと呼び続けていくんでしょうけれど、それはともかくあるゲームジャンルやメカニクスを取り入れて作られるソシャゲというのは、そのゲームシステムの部分がどんなにうまく作られていたとしても、ソシャゲの無制限なリプレイ性やデイリーミッションという名の義務感によってスポイルされ、腐っていきます。それは落ちものパズルであろうと、JRPGであろうと、デッキ構築型ローグライトであろうと、パワプロのサクセスであろうと、そしてノベルゲームであろうと変わりません。それは制作現場の努力がどうとか工夫がどうとかいうレベルの話ではなくて、今の産業の構造下でガチャを中心にした運営型のゲームを作ろうとすると不可避的にそうなってしまうのであって、わたしたちは実った果実の黒ずんだ部分を無視してかじって、おいしいね、と笑うふりはできる。まわりにみんながいてくれるからね。そうね、基本無料のソシャゲの最大のいいところは、ゲームのソーシャル機能とはなんら関係ところで社交的であることなのかもしれません。友だちがやっているから、おもしろい。それはおもしろさの一部です。
・だとしても、日常に組み込まれた無為はいつか、前触れもなく破裂して、あなたに虚脱感をもたらすでしょう。そこからあなたがふたたび立ち上がるとして、立ち上がらせるものはなにか。わたしの場合はスピンオフコミカライズの『学園アイドルマスター GOLD RUSH』で見かけたイヌみたいなマユゲの女でした。


『Pokemon TCG Pocket』
・「”最強”なのだった。」→「もう無理だって、ルールとかぜんぜんわかんないだからさアッ!」の繰り返し。


『webfishing』(lamedeveloper/lamedeveloper)
・”まったり”なのだった。
https://shared.fastly.steamstatic.com/store_item_assets/steam/apps/3146520/ss_d1fdc753a7dc005896e239ea5ea055618a744bb6.1920x1080.jpg?t=1728673229


信長の野望 出陣』
・ハマったけど、途中でこれなしで歩いたほうが早いことに気付いた。
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オンゴーイング

『Crusader Kings III』
・わたしの中では放置ゲー。神。出まくるDLC、かわらない味。
・HoIもたまに回してます。


『雀魂』
・毎週末にイツメンで打っており、愉快です。metacriticで15000点あげてほしい。野良では打ちません。


Lumines Remasterd』
・成長曲線が2年くらい前から一ミリも上向いてないけれど、愉快です。


Cookie Clicker』
・もはや盆栽に近い。愉快です。

途中でプレイが止まってるけれどクリアしたいな〜とおもっているゲームたち

『Planescape:Torment』(Beamdog/Beamdog)
ファミ通に載った九井諒子先生のインタビューを読んで「CRPGって難易度イージーでも遊んでいいんだ!」という開き直り的啓示を得て、わたしもいろいろやるようになりました。これクリアしたら次は『Divine Divnity』を進めたいとおもいます。
・やってみるとめちゃくちゃいい。自分の選択によってちゃんと物事が動いているんだ感と、自分の選択なんて他者や世界の前では些末なことなのだという冷たさがほどよいバランスで同居している。そして、やっぱりテキストだよテキスト。ユーモアが今でもおもしろいというか、全編趣味のわるいコメディみたいな感じなので楽しいよ! 酒場はいるといきなり全身燃えて苦しんでる男が出てきてですね、なんでも得てるんだっていったら調子こいてた魔術師が別の魔術師たちからシメられて全身を煉獄に通じる「扉」にされちゃったせいだっていうんですよ、いいですよねえ。クリアまではしたいですね。



『Animal Well』(Billy Basso/Big mode)
・ネコに追いかけられるところで一生詰まっていてみなさんが恐れおののいている「その先」をおそらくまだ見られておらんのですが、謎解きメトロイドヴァニアとしては手触り含めた出来がすばらしい。
・そういえば、『Animal Well』は有名なYoutuberがパブリッシングを務めたゲームらしいのですが、有名Youtuber自身がゲームを作っている例もいくつかあってトルコの人気Youtuberが作っている『Anomally Agent』はそこそこ楽しかったですね。ホラゲの『Indigo Park』なんかも去年話題になりましたけれど、これはやってない、ホラーなので。そうしたラインで変わったところだと、みんな知っててパクってる有名ゲーム批評チャンネル『Game Maker’s Toolkit』が『Mind over magnet』というパズルプラットフォーマーを出しました。こっちはちょっと触ってこんなかんじか〜〜となった。



『九日ナインソール』(RedCandleGames/RedCandleGames)
・1時間半くらいやった時点でいろいろ忙しくなって止まっています。最初からやり直したい。


『Minishoot’ Adventure』(SoulGame Studio/SoulGame Studio, IndieArk)
・全方位ツインスティックシューター×初期ゼルダ。好感触だったのだけれど、2時間半ほど遊んだところでもろもろ忙しくなって止まっています。これは別に最初からやりなさなくてもいいからクリアしたい。


『Decarnation』(Atelier QDB/Shiro Unlimited, East2West Games)
・23年からわりに楽しみにしていたのだけれど、ローカライズがしょっぱくて止まっています。でもモノはよさそうだから、なんとか無理矢理にもクリアはしたい。


『The Void Rains Upon Her Heart』(Veyeral Games/The Hidden Levels)
・ローグライト横スクロールシューティング。世界観や物語がかなり独特で、それなりの難易度でも続けたくなる魅力がある。なんとかクリアまではしたいですね。


『Punch Club 2』(Lazy Bear Games/tinybuild)
・6時間ほどプレイしたところでまあだいたいいいかなという気分になって止まった。クリアはしないとおもいます。でも、その瞬間まではそれなりに楽しんだよ。Lazy Bearっていつもそうよね。


聖剣伝説 VISIONS of Mana』(Square EnixSquare Enix
・わたしは『聖剣伝説』シリーズに恩義という名の無限の負債を負っていて、聖剣伝説シリーズである以上は発売前から微妙なんだろうなとだいたいわかっている状態でも買わねばならない返済の責務があります。
・でもこれは、発売前の期待の低さからすれば、かなりがんばってるほうだった。
・作ってるひとたち、きっとめっちゃ『聖剣伝説』シリーズ好きだったとおもうんですよ。特にレジェマナ。その愛をプレイヤーにも分かち合ってほしかったとおもうんですよ。その思いは伝わってくる。そして、わたしにはそれを否定できない。
・しかし、実際の愛情表現の仕方としてあらわれるのは必要に薄い過去作との接続であり、過去作のキャラの脈絡のない引用であり、要するに老いたプレイヤーを接待する老人介護。というか、開発者もたぶんおんなじくらい老いてるので老老介護
 ままでもなんとかクリアまではしたいですね。


『Thronefall』(GrizzlyGames/GrizzlyGames)
タワーディフェンスをもうちょっとストラテジー寄りにしたようなゲームで、一〜三週間に一ステージほどのペースぐらいでコツコツやっておる。


『メタファー:リファンタジオ』(Atlas/SEGA
・八時間くらいやったとおもいます。「ああ、これ『ペルソナ5』なんだな」と感じた時点で挫けそうになり、いや、しかしそれでもやらないとと奮起しようとしたのですが、そのタイミングで会った先輩、私が審美眼を信じる数少ない存在であるその人が「『メタファー』はつまんなかった」「『ペルソナ3』→『4』→『5』→『メタファー』と右肩下がりに劣化していっている」「そんなことよりミラン・クンデラを読め」「『不滅』はインターネットの話だぞ」「読書会やろう」「おれってどうすればいいのかな」と言ってきたのでもうやる気ゼンレスゼロゾーンになってしまいました。『不滅』もまだ読んでません。


『My Lovely Empress』(Game Changer Studio/Neon Doctrine)
・『My Lovely daughter』だの『My Lovely Wife』だのエグめで背徳的な物語が特徴のパラメータ管理型アドベンチャーのシリーズを出しているGame Changer Studioの最新作。相変わらずキャラデザはいいのですが、いい加減ワンパターンというか、変に複雑にしようとして単にめんどうになっているだけというか……。


『Library of Ruina』(ProjectMoon/ProjectMoon)
・開発元への取材についていくというので『Limbus Company』ともどもけっこうやりました。わりとやったんですよ。でも、長くて終わってない。そしてシステムが異常にめんどくさい。しかし、シナリオはおもしろくて、ぼつぼつは終わりまで続けていきたい。

セールで買って積んでるのでこれからやりたいゲームの一ダース*19

『Lorelei and the Laser eyes』:識者がみんな絶賛してるが一番気になるのがモチーフが『去年、マリエンバートで』ということ。
『Starstruck 時をつなぐ手』:これも話題だったけど、結局触らずじまい。
『Crow Country』:デモやったときはめんどいな〜と感じたんですが、リリース後のあまりの評判の高さに買ってしもうた。
『十羽の死んだ鳩』:これもローポリホラーとしてもっぱらの評判。リリース時点で「近日日本語版実装予定!」とアナウンスしていたようにおもうけれど⋯⋯?
『Osteoblasts』:Moonanaの旧作。有志翻訳アップデート!
『Cryptmaster』:The Horror Game Awards 観てて気になったので買おうとしたら、すでに買ってあった。こういうホラーはよくあります。
『Beastieball』ドッジボール題材のゲームってしょっぱい評価のが多いんだよな⋯⋯という前評判を覆してめっちゃ好評
『Until Then』:日本語化アップデート!二代目A Space for the Unboundっぽいオーラを漂わせているが、どうなのか。
『空と海の伝説』:Thinky界隈で評価が高い。
『Threshold』:安心と信頼のCritical Reflexパブリッシングのローポリホラー。あと、遅れて日本語訳された『LUNACID』もネ。
『Wukong: the Black Myth』:まじめなので一から『西遊記』を読んでいます。いま斉天大聖が神通力を得て修行から戻ったとこ。『悟空道』とか、『三獣士』とか、あと、小島剛夕小池一夫コンビの孫悟空がどうしても菅原文太にしか見えない版『西遊記』とかは読んでるから、履修済みってことにしておいていいですか。だめ?
『Still Wakes The Deep』:「博多弁で炎上したゲーム」という程度の認識しかなく無意識にスルーしていたのですが、よく見たら開発があの The Chinnese Room、そう、ウォークシムの元祖『Dear Esther』のThe Chinese Room!
 なんか色々やろうとしてコケて紆余曲折あって『Little Orpheus』出したあたりまでは知っていたんですが、その後はウォークシムというジャンルごと死んだのかな〜くらいに考えてたら、ここに来て復活。しかも、某氏から「SWtDはかなりウォークシムですよ」と教えられてこれはもう買うしかない。悲しみの弔鐘はもう鳴り止んだ。君は輝ける人生の、その一歩を、再び踏み出す時が来たんだ。


 ほかにもいろいろ書けるゲームや書きたかったゲームがあった気がしますが、なんだか飽きたしお正月も終わったしわたしにだって日々の暮らしというものがあるので、ここまでにいたしとうございます。
 あ、あと去年はIndie Intelligence Networkというところで海外にいろいろ行ってインタビューの記事化をやったりしてたよ。韓国編はもう公開されてるけど、春先からもいろいろ出てくる予定です! よろしくね。

whysoserious.jp

*1:システムドリヴンの

*2:あんまり作品には関係ないのですが、スヴェトロフはインタビューで「11 bit Studioは東欧のAnnapurnaになろうとしている!」と語っていて、ほんまかいなとなった。

*3:「リリース後に事態が好転しなければさらにスペインへ移るだろう」とも語っている。

*4:たしか『Night In the Woods』のメインクリエイターもアメリカ人だけどそんな生い立ちだった

*5:ニヒリズムの起源がニーチェ以前にツルゲーネフの『父と子』にあったことをわたしたちは思いだすべきでしょう。INDIKAの開発元がブルガーコフゴーゴリドストエフスキーといったロシア文学の後継を僭称していたことも。

*6:ディレクターも映画マニアを自認しています。https://news.denfaminicogamer.jp/interview/240719a_jp

*7:似たような疑義はゲームに関するいくつかの本で呈されているのですが、ここで彼女のトゥートを引用するのは単に直近で見かけた例だからです

*8:まあ技術というより様式に親しんでいるかという問題であり、ゲームに関するスキルの話の六割くらいも実は様式の会得の問題なのだとは感じる

*9:フェルナンド・ペソア「断章」

*10:Draknek & Friendsというスタジオで、開発とともパブリッシングも行っています

*11:「ジェイムソンの主張するところでは、「ノスタルジー・フィルム」に属する映画は過去を正確に再現することを目的とせず、代わりに特定のスタイルを思わせる要素を用い、より現代的な方法論を駆使してそれらの要素を意図的に再利用するのだという。」https://proxia.hateblo.jp/entry/2019/05/29/235641

*12:『我が人生の幽霊たち』

*13:『Obra Dinn』のルーカス・ポープは「四年半費やしてリリースした時点でもう飽き飽きしていた。続編はない」と明言しています。https://www.youtube.com/watch?v=a8IMDfnLULI

*14:あとジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』も引用されますが、あれは法月綸太郎によると実質泡坂妻夫なので泡坂妻夫です

*15:『OFF』、『space funeral』、『oneshot』、『Lisa』、『mothlight』、『Hylics』、『Virgo versus the Zodiacs』あたり

*16:そういえば、『OFF』のリマスターがsteamで出るらしい。正気か?

*17:ちなみにカナダは『Venba』といい、「移民の家族」が主題のゲームが目立ってきている印象

*18:今後は変わるのかもしんないけれどとりあえず今はギミックなどを使ったメトロイドヴァニア感は薄い

*19:際限なく挙げようとしたらきりが無くなったので12個に絞った

2024年に観た新作映画ベスト10+10+犬+コッポラの『メガロポリス』



「それって、味の感想じゃないですよね?」


 ーー『悪は存在しない』(濱口竜介監督)


proxia.hateblo.jp
(上半期公開映画分の感想はだいたいこっちにあります)


 朽ちつつあります。
 12月は『モアナ2』*1と『ライオンキング:ムファサ』を観て激怒したわけですが、しかしその怒りをしたためるほどの気力がない。寒いせいでしょうか。老いたせいでしょうか。いや、すべてが滅びつつあるせいです。チャーリー・カウフマン脚本の『オリオンと暗闇』で言われたとおり、いまや「サンダンス映画祭の出品作の半分よりも暗闇のほうがおもしろい」。
 ディズニーの続編/実写化路線をいまさら批判したところでディズニーを救えるわけでもなく、ジャウム=コレット・セラの映画を毎年スクリーンで観られたあの黄金の日々が戻ってくるわけでもありません。われわれはどうにかやっていくしかないのだから、毎日にささやかな喜びを見出していきましょう。イーストウッドやリンクレイターやリドリー・スコットやシャマランや山田尚子やグァダニーノの新作を観られることを言祝ぎましょう。ヨーロッパからやってきた新しい才能を歓迎しましょう。たいして興味のなかったシリーズの続編やプリクエルのおもわぬ楽しみを享受しましょう。世界の残酷さを捉えたドキュメンタリーから学び、現世を憂えましょう。いうではないですか、芸術は加点法で採点すべきだと。美点にだけ光をあてるべきだと。加点法であれば、『ムファサ』だって名作です。

 そんなわけあるか。

 なめてるのか。

 ふざけてるのか。

 何も見えていないのか?

 映画に点数をつけるな。
 順位をつけるな。年末になどまとめるな。
 ことばにほんとうなどはなにもない。本物が欲しければ、さびれた海岸の町に建つ、「帝国」という名の劇場を買い取って、そこでかつてはみなに観られていたのに、いまはだれからも忘れられてしまった映画をかけなさい。真理も信仰もその光のなかにしかありません。
 映画から見れば、人類なんて全員0点だよ。

2024年の新作ベスト10

1.『I Saw the TV Glow』(ジェーン・シェーンブルン監督)

 120点の映画ですね。技術が20点で、気持ちが100点。
 ひとことでいえば、藤近小梅の『隣のお姉さんが好き』をダークで陰鬱にしたような話で、幼少期からずっとフィクションを摂取してきた人間たちにとっては終着点というか、とどめの一撃のような映画です。
 十年前にハリウッドを席巻したインディーの波は今や凪ぎ、A24さえもかつて薄暗さを失いつつある昨今、この『I Saw the TV Glow』は死ぬ前に見る走馬灯です。誰の? あなたの。わたしの。まだ根性悪く続いている20世紀の。

2.『ソウルの春』(キム・ソンス監督)

 こんなグダグダなクーデター映画観たことないって感じで新鮮でした。戦争にしろクーデターにしろ、歴史上の出来事の勝者の側ってなにかと最適なムーブして勝ちましたみたいなイメージで語られがちですけれど、実際はけっこうミスったり抜けてたりするんですよね。実際のところ、スポーツやゲーム以外の勝負事の八割は、「勝った側が相手より賢かった」というより、「負けた側が相手よりアホだった」という理由で決着がついているのだとおもいます。そもそも最適解ってルールや法則がかっきり決まってる場だからこそ出せるものですし。
 そして、クーデターは正規に組織化された戦争よりもよほど曖昧なギャンブルで、敵も味方もミスりまくる。それって、はたからみるとコメディに近くて、たとえば『日本のいちばん長い日』なんかもそういうとこありますよね*2
『ソウルの春』はそうしたクーデターのコメディに自覚的で、だからこそおもしろくて恐ろしい。
 特にファン・ジョンミン演じる全斗煥*3と、彼に同調する軍高官たちの温度差の描写がいい。首謀者の全斗煥はクーデターが失敗したら即人生ゲームオーバーだからフルベットするんですけど、仲間たちは失敗してもあわよくば生き延びようと両睨みなので少しでも不利になると腰がひけてしまう。
「このプロジェクトメンバーでマジでやる気あるの、もしかして私だけ!?」という話で、そういう意味ではいちばん近い映画って実は『トラペジウム』なんですよね。一つのことに全賭けする以外の選択肢を持てないリーダーと、そのリーダーにちょっと引いちゃうメンバーの話。
 どうしても鹿爪らしい顔で語るしかない事件を、ドエンタメとして描くことができるところは韓国映画の強さ。

3.『ゴッドランド/GODLAND』(フリーヌル・パルマソン監督)

 上半期のベスト。「ちょっとアイスランドまで行って教会建ててきてよ」と命じられた神父が単身アイスランドに乗り込むんですが、人はいるにはいるけど雪と火山と氷と動物の死骸しかない不毛の地なので当然神父は狂っていきます。アイスランド版『ゼア・ウィルビー・ブラッド』みたいな話です。そうかな?
 人を拒絶した土地で人間的な営み(文明、と言い換えてもいいかもしれない)を試みようとする映画はいつだって迫力あっていいですよね。TWBBしかり、『フィッツカラルド』しかり、本作しかり。カメラの三人称的な距離は、人間の卑小さをつきはなした形で、この上なく残酷に切り取ります。
 銀盤写真がいいアクセントに使われていて、映画の全体としても視線の扱いに自覚的。視線が丁寧な映画はすべてよい映画です。

4.『アイアン・クロー』(ショーン・ダーキン監督)

 毒親プロレスファミリーもの。仲睦まじかったプロレスラー兄弟たちがトキシックな父親のせいでプロレスラー兄弟たちが、どんどん狂って死んでいく。善良なものであれ悪きものであれ、映画においてホモソーシャルとは崩壊させるために用意されます。その陰惨な崩壊美には誰にも抗えない。

5.『ドリーム・シナリオ』(クリストファー・ボルグリ監督)

 編集だけで勝っている映画ってそんなにないんですけれど、『ドリーム・シナリオ』はコメディとしてカットの切り替わるタイミングといいテンポといい完璧で最高でした。だれが編集やってるんだとおもったら監督自身だった。夢を扱った映画としても夢と現実のルックのバランスがちょうどよい。『シック・オブ・マイセルフ』のときはそこまで評価できなかったんですが、なんかここまで勘のいい監督だったとは。
 アリ・アスターの推す新人は『オオカミの家』のレオン&コシーシャといい、逸材が多い気がする。もしかして、プロデューサーの才能あるのか? アスターがエグゼクティブ・プロデューサーをつとめる『サスカッチ・サンセット』もすこぶるおもしろいとの評判なので、来年五月の公開が楽しみ。

6.『チャレンジャーズ』(ルカ・グァダニーノ監督)

 過去と現在を往還する語りとゼンデイヤを挟んで揺れる三角関係を、テニスのラリーと重ねて描いた時点でハイ大勝利って感じ。物語と感情と運動を一致させる超技巧。グァダニーノ映画は、最高傑作でないときでさえ、他の映画を優越します。

7.『きみの色』(山田尚子監督)

 あなたは今ここにある世界がうつくしいと断言できますか? ありのままの世界を肯定できますか? イエスと答えたとして、テレビをつけてBBCやCNNのワールドニュースを十分間観た後でもなおその返答を覆しませんか?
 できないでしょう。
 今あるこの世界を直視に値する美しいものとして心の底から信じているひとは、とくに創作者であれば、おそらくほとんどいなくて(だってそもそも創作とは今ある現実を変えようとする試みなわけですし)、それってまあ例外的な狂気だよねとおもうわけです。山田尚子は、その超希少な狂人の一人。『平家物語』に至っては悲劇的な死すら、ありのままの世界の一部として肯定しようとしている。そこまで狂える人はいません。だからこそ特別で、だからこそ毎作が傑作なんです。
『きみの色』はそうした山田尚子映画のマニフェストです。マニフェストであるがゆえに、原理主義的であり、自己充足的であります。だから、ヒットはしませんし、これが山田尚子の最高傑作だというひともあまりいないでしょう。
 しかし、聖典であり、正典であることは疑い得ません。

8.『ヒット・マン』(リチャード・リンクレイター監督)

 今年はだれの年であったか。と問われれば、心ある映画ファンの98パーセントは、「グレン・パウエルの年」であったと迷いなく答えるとおもいます。『恋するプリテンダー』、『ツイスターズ』、そして、『ヒットマン』。たった一年で「2020年代のロマコメの帝王」の座を確立してしまいました。
 ロマコメはその古式然とした規範の濃さーーいってしまえば、異性愛規範や恋愛至上主義といったところ*4が近年のハリウッドの価値観とずれてしまっており、ちょくちょくそのズレをどうにかしたいな〜みたいな暗闘を繰り広げていたジャンルです。個人的には古典的な型をハズす革新のフレッシュよりは、様式の美を求めがちなジャンルであるので、なかなかそのへんの兼ね合いがむずかしかったのですけれども。いっそピクサーの『マイ・エレメント』みたいに非人間化したほうがやりやすいのかもなどと考えていました。
 そうしたジレンマをグレン・パウエルは、たたずまい一発で解決してしまいました。なんでしょうね、あのクラシックなマッチョっぽいイケメンではあるんだけど、笑うとちょっと抜けるというか、アホっぽい善良さが漏れ出してくる安心感。でもどこか陰もある。あの笑顔がラブコメにおいてはハズしとして機能していて、なんなら批評性さえそなえているのがすごい。グレン・パウエル以外にはない資質です。スターかくあるべし。
 で、今年は『恋するプリテンダー』と『ヒット・マン』のどっちをベスト10に入れるかで悩んでいたわけですが、映画としての出来のよさで『ヒット・マン』かな、ということになりました。意外にクセのあるリンクレイターのオフビートさを乗りこなせる俳優はあまり多くないですが*5、グレン・パウエルがこれがまあ合いまくる。
 特にクライマックスの"ダンス"シーンの気持ちよさはマ〜ジで最高。とにかくヌケがよい。

9.『ゴジラ×コング 新たなる帝国』(アダム・ウィンガード監督)

 映画という枠組みは強固なようで脆弱で、脆弱なようでいて強固なものです。ときどき『スパイダーマン:ファー・ウェイ・フロム・ホーム』のような作品をなげつけられて揺らぐかとおもえば、なんだかぜんぜん大丈夫だったりもする。
 『ゴジラ×コング』はバカのふりをして全力でそうした枠を殴りつけてくる映画の耐性テストのような作品で、そうした映画独特のえもいわれぬ不安定さが気持ちいい。

10.『Talk to Me/トーク・トゥー・ミー』(ダニー&マイケル・フィリッポウ監督)

 オーストラリアはたまにというか、謎にホラー分野で快作を生みだします。以前だったら『ババドック』、今年は『悪魔と夜ふかし』。そういえば、わたしたちはジェームズ・ワンリー・ワネルがオーストラリア出身であることを忘れがちです。
 ロードキルで轢く動物がカンガルーであること以外にオーストラリア性というのがあるのかもわかりませんが、『トーク・トゥ・ミー』は近年のあの大陸から出てきたホラー映画でいちばんの作品です。
〈境界〉を飛び越えるときにはなにかアクションが欲しい。それを「手を握る」ことにした時点でもうしびれっぱなし。

+10

11.『恋するプリテンダー』(ウィル・グラック監督)

 やはりエンドクレジットが最高ですね。映画館で一回観たあとも、飛行機の中で何度もあのシーンだけ繰り返し再生しました。

12.『夜明けのすべて』(三宅唱監督)

もう日本の映画ってたぶん冬の光陰以外に撮るべき対象ってなくなっていて、それはまあ『ぼくのお日さま』とかもそう。それにもののやりとりや乗り物の往復運動を乗せれば、まあ映画になる。なってしまう。ゴダールは車と女があれば映画は撮れるみたいことを言っていたような気がしますが、別に車じゃなくても自転車で、女じゃなくても巨大な猿とトカゲでもよい。それが映画100年の発展なのだとおもいます。

13.『トラップ』(M・ナイト・シャマラン監督)

 シャマラン最高傑作では? ジャウム・コレット=セラの『セキュリティ・チェック』みたいにひたすら「犯人」側がグダっていく映画は好き。

14.『ホールド・オーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(アレクサンダー・ペイン監督)

 このクラシカルなやさしさには抗いがたい。

15.『化け猫あんずちゃん』(山下敦弘監督)

 ホールドオーバーズとは別のアングルでやさしい映画。
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16.『ぼくのお日さま』(奥山大史監督)

 これも冬の光陰の映画ですね。光と運動を撮れる映画監督はそれだけで貴重です。

17.『シビル・ウォー』(アレックス・ガーランド監督)

 これ観た翌日にアメリカ行ったら大統領選当日だったんですよね。それはともかく、「撮ること」「目撃すること」のロードムービーとして上質。

18.『システム・クラッシャー』(ノラ・フィングシャイト監督)

 マジもんのアウトサイダーは救い得ないのだ、という現実を容赦なくつきつけていく点ではホールドオーバーズやあんずちゃんとは逆の映画と言えますね。現地ドイツでは19年公開作で、監督のフィングシャイトは2024年に『The Outrun』というシアーシャ・ローナン主演映画を撮って、結構評価されています。これは日本でも今年公開?

19.『オーメン:ザ・ファースト』(アルカシャ・スティーブンソン監督)

 ホラー映画に自分が求めるものってショッカーや怖さより、「へんな絵面」なのかもしれず、そういう点でこれは満たされまくりました。冒頭のチャールズ・ダンスの笑顔で最高の映画だとわかります。

20.『どうすればよかったか?』(藤野知明監督)

 日本的な家父長制って別に怒鳴ったり殴ったりはしてこないんですよ。ただ、「祟り神」と化したあなたを恐れ、怯え、閉じ込め、目を逸らしながらやりすごそうとする。人間ならそれでいつか死んで終わりなのですが、では、人間でないものの場合は?

他良かった作品

『悪は存在しない』(濱口竜介監督)、『メイ・ディセンバー』(トッド・ヘインズ監督)、『Chime』(黒沢清監督)、『エイリアン:ロムルス』(フェデ・アルバレス監督)、『インフィニティ・プール』(ブランドン・クローネンバーグ監督)、『リンダはチキンがたべたい!』(キアラ・マルタ、セバスチャン・ローデンバック監督)、『セキュリティ・チェック』(ジャウム・コレット=セラ監督)、『トランスフォーマー/ONE』(ジョシュ・クーリー監督)、『ビー・キーパー』(デヴィッド・エアー監督)、『ミッシング』(吉田恵輔監督)、『フュリオサ』(ジョージ・ミラー監督)、『ザ・バイクライダーズ』(ジェフ・ニコルズ監督)、『DUNE PART2』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)、『関心領域』(ジョナサン・グレイザー監督
)、『ゴールドボーイ』(金子修介監督)、『落下の解剖学』(ジュスティーヌ・トリエ監督)、『ダム・マネー ウォール街を狙え!』(クレイグ・ギレスピー監督)、『哀れなるものたち』(ヨルゴス・ランティモス監督)、『僕らの世界が交わるまで』(ジェシー・アイゼンバーグ監督)、『ビートルジュースビートルジュース』(ティム・バートン監督)、『枯れ葉』(アキ・カウリスマキ監督)
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リマスター/再上映では『カンフーマスター!』(アニエス・ヴェルダ監督)と『美しき仕事』(クレール・ドニ監督)、『テルマ&ルイーズ』(リドリー・スコット監督)。特に『美しき仕事』はベスト。

アニメ映画:よかった順

『きみの色』
『化け猫あんずちゃん』
『リンダはチキンが食べたい』
トランスフォーマーONE』
ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉』
『ルックバック』
『オリオンと暗闇』
『数分間のエールを』
『ロボット・ドリームズ』
『トラペジウム』
ムーミンパパの思い出』
『FLY!/フライ!』
『めくらやなぎと眠る女』
インサイド・ヘッド2』
『ねこのガーフィールド
名探偵コナン 100万ドルの五稜星』
『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』
『モアナと伝説の海2』
『映画クレヨンしんちゃん オラたちの恐竜日記』
機動戦士ガンダム SEED FREEDOM』
(『ライオンキング:ムファサ』はほぼほぼアニメなのですが、ディズニーが超実写版と言い張っているので実写枠です)

イヌ映画オブジイヤー

☆『落下の解剖学』
 『DOGMAN』
 『関心領域』
 『エターナル・ドーター』
 『ゴッドランド』
 『枯れ葉』
(『ロボット・ドリームズ』は入りません)
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ドラマ

『The PENGUIN』と『私のトナカイちゃん』がよかったよ。あと『地面師たち』はあんだけ転がして引っ張ってくれたんだから文句ないのだけれど、世の中そうじゃない人が多いようで、ちょっとビックリした。

フランシス・フォード・コッポラの『メガロポリス』のおもいで。

 メルボルン行ったときに観ました。ミニシアターみたいな小劇場に満員のお客さんがつめかけており、さすがコッポラの威光は南の果てでも燦然と輝いておるのだな、と感心しながら観はじめたんですよね。
 観始めて数分経つあいだにわたしは「え、これ⋯⋯これは、なんの⋯⋯なに???」みたいなかんじになってしまったのですが、オーストラリアの観客はなんだかやたらノリが良く、ところどころでドッカンドッカン爆笑する。コッポラは笑わせるつもりで撮ってなかったとおもいますが、なんかもうコメディ映画でもこんな笑わんやろってぐらいみんな笑う。
 で、この映画ってだれも予想しないような異様なラストカット(どんでん返しとかそういうんじゃなくて、とにかく絵面が異様)で終わるんですけど、あまりの異様さにさしものオーストラリア人もあっけにとられて沈黙⋯⋯したのかとおもいきや、エンドクレジットに入って「監督:フランシス・フォード・コッポラ」と出た途端に万雷の拍手、場内大喝采。「愛してるぜ! フランシス!」とみんな叫びます。嘘みたいですが、マジです。
 なんかカルトポンコツ映画の応援上演みたいな雰囲気でした。実際、五年もしたら愛されカルトポンコツ映画になるのかもしれません。
 それはそれとして、映画館から出ようとしたらなんか出入口がめっちゃ混雑して出られないんですよ。ぎゅうぎゅう詰めで。単に人数が多いのもあるんですけど、みんな出入口付近で立ち止まった隣の人と感想トークとかしまくってるんですよ。夜十時に。
 家に帰ってからやれよ、とおもったんですけど、後ろから知らんあんちゃんに「いやあ、最高だったな!」と話しかけられて、あ、こいつら、知らん者同士で感想トークしてるんだ、と納得しました。
 ”巨匠コッポラ”を認識しつつ、その身代をなげうって作った大作をシニカルに消費し、鑑賞後即みんなで感想を語り合う。映画リテラシー高すぎだろ。そりゃ、リー・ワネルとジェイムズ・ワンもメルボルンから出てくるわ。そうおもったね。 
 そのあと、そのあんちゃんとは特に盛り上がらず、まだ開いてたハンバーガー屋でハンバーガーを買い、ホテルに戻ったとさ。

*1:『モアナ1』の監督をロン・クレメンツとともに務め、2018年に引退したジョン・マスカーは、今度行われる『モアナ』の実写リメイクにも、続編商法にも否定的なコメントをしています。https://english.elpais.com/culture/2024-05-18/the-director-who-shook-up-disney-and-hollywood-animation-with-a-mermaid-a-genie-from-a-lamp-and-a-polynesian-princess.html

*2:リメイク版はそこを見誤ってシリアスな人情に振ったからつまんなくなってしまった

*3:映画では偽名にされている

*4:とはいえスクリューボールコメディの時代からその時代時代で「旧来的な価値規範に捉われない新しい男女像」に挑もうとしてきた功績も忘れてはなりません。

*5:『バーナデット ママは行方不明』のケイト・ブランシェットはがんばってたのですが、ついに噛み合わなかった

どうしてドナルド・トランプはわたしをファックしないのか:大統領選下シアトル滞在記



 長いよ。今回は。


 アメリカを訪れるたびにわたしは、本当の「アメリカ」はマンハッタンやシカゴの街路にも中西部の農場町にもなく、ハリウッドランドスケープやメディアの景観によって創り出された幻想のアメリカのなかにこそあると、よく感じる。

 ーーJ・G・バラード、南山宏訳『ハロー、アメリカ』1994年版序文より



 そして、読みとおしたとしても、あなたが今の情勢についてなにか気の利いたことをいう助けにはならない。

狂気とは一体何なのだろう? そもそもいろいろな意味で、狂っていない人なんているのだろうか? パッと見てわからなくても、みんなおかしな勘違いをしていたり、どこかしら狂っている。まあ俺以外はね。
  ーーリン・ディン、小澤身和子訳『アメリカ死にかけ物語』



 そうね、だから⋯⋯はじめましょう。

11月5日午前9時 ベルビュー





 エリオット・ベイに蒸気船で上陸して数日が経った。ホテルのテレビはCNNもFOXもMSNBCもABCもNETFLIXYoutubeも平等に映す。なにかについて話しているようだけれど、なんなのか、まるでわからない。外に出る。徒歩三分で芝生の広がる公園へたどりつく。みなランニングしているか、デカいイヌを連れているか、デカいイヌといっしょにランニングしている。ほんとうに、この三パターンしかない。信じてくれ。
 遊具には子どもたちが群がり、人工の川ではカモたちがぐわぐわと遊び、高級というよりは小綺麗という意味で身なりの良い親たちがおだやかに談笑している。実に心地よい。実に正気だ。青空の州(ブルー・ステイト)ワシントン。シアトル近郊のベルビューは、その日も平穏だった。




 わたしは公園のベンチに座って朝食をとっていた。コーヒーチェーンで買ったクロワッサン・アマンドとロンドンフォグ、そしてメイシーズの洒落た店舗で買ったタロイモウベ味のココナッツプリン。計32ドル。約5000円。はっきりいって5000円の味じゃない。クロワッサン・アマンドは、烏丸の文博横のPAULで買ったほうが断然うまいし安い。ロンドンフォグは歯を溶かすほどに甘く、ココナッツプリンにいたっては、なんというか、ココナッツプリンだ。




 哲学者の三浦哲哉は『LAフードダイアリー』で訪米当初アメリカの食べ物に期待していた要素として伝統から断絶した「不自然さ」と人工的な「実験性」を挙げていたけれど、このクロワッサンとココナッツプリンにはそのどちらもなくて、ただ自然で保守的な、味わいのなさだけがある。*1

 でも、高価いとはおもわない。実際に日常的に買えるかどうかは別にして、この街ではおそらくだれもがこれを妥当な値付けとおもっているのだろう。食べ物の値段に反映されるのは原材料費と人件費だけとはかぎらない。安全、安心、健康、正気、この街をたいらかに保つあらゆる魔法の値段も含まれている。

かもかもかもかもかもかもかもかもリバー


 しばらくぼんやりイヌやカモを眺めたのち、西側から吹く潮風にさそわれて、散歩へ出かける。すぐ背の高い街路樹に抱かれた瀟洒な住宅街に入る。どの家もデカい。そして造りがいい。わたしは京都市水族館の水槽のなかにしか住んだことがないので高級な家というのがどういうものかわからない(わたしみたいなものが京都の東山に侵入しようとすると棒でつつかれて追い出される)けれど、まあ、なんか高価な家なんだとおもう。どれもひらべったい。敷地がじゅうぶんに広くて、屋を重ねる必要がないのだ。
 これまで見た住宅街のなかでも、もっとも美しい景観だ。ベルビュー(「美しい眺め」)という地名に恥じない。実際ここはアメリカでも四番目に住宅価格の高価い一帯として知られている。名だたるテック系の大企業が本社を置く街としても知られる。
 空気もいい。アメリカの街としてはびっくりするくらい車が通っておらず、植物も多いので酸素が濃くすずやかだ。湿っぽすぎず、乾きすぎてもいない。「呼吸ができる」というのは、こういう場所でこそいうのだろう。開放感もすごい。ここに比べたら、東京は海の底にひとしい。わたしなんか、潰れてしまうよ。

 そして、もちろん、みなイヌを連れている。デカいイヌを。林立するビル群のふもとに広がる芝生のうえや、整然とした石畳の歩道で、イヌたちをのびのび遊ばせている。道端にはイヌ用のエチケット袋を無料で配布するポストが建てられていて、街そのものがイヌを飼うことを奨励しているようだった。




 イヌの街、とでも呼ぶべき場所があるのだとおもう。イヌは、特にデカいイヌは、地域の治安のよさと住環境のよさを表す。幸福度の指標にもなる。リードにつながれた善いイヌたちが暮らす地上の楽園。それがここだ。こういうのが「イヌを飼う」ということであるなら、狭苦しい日本の都市部でイヌを飼うのはもれなく虐待なのかもしれないとすらおもわされる。


無限にイヌが遊べる空間がある



 この安寧はなんだろう。外国に行くと、いつも「ここは日本じゃないな」と感じるはずなのに。ひとびとが異国語をしゃべっているからではない。通貨や食べ物が違うからでもない。安全を実感できないからだ。治安の話じゃない。治安はもちろん含まれるが、そういうことじゃない。「自分の日常的にいる場所」ではない、という感覚だ。たとえ車に轢かれようと、近くの弁当屋がにぎりめしの代わりに大麻を売っていようと、闇バイトで雇われた若者が強盗に押し入ろうと、自分にとっての「ふつう」であるかぎりは、自分が排除される異物でないと確信できるかぎりはそれは安心と安全の境地へとむすびつく。その感覚は、外務省の危険安全レベルにはあらわれない。というか、なんなら東京ですら「日本じゃない」。あんなに自分が異物でしかない街もない。

 ところがベルビューはなんというか、日本だ。日本にこんな整った住宅地はおそらく存在しないけれど、日本だ。言語も気候も違うけれど、日本だ。こんな場所で育った記憶は一切ないけれど、曇りなく穏やかに過ごせる。それは自分とベルビューがおなじだからではない。自分は攻撃されたりや排除されたりしないだろうという絶対的な確信が持てるからだ。




 根拠はない。でも、そう感じる。だれもが銃を持っている可能性のあるこの国で「そう感じ」られるのは、とてつもないことだ。
 歩きつづけて、ワシントン湖沿いの別の公園にたどり着く。ここもまた良い公園だ。真新しい遊具が設置してあり(ベルビューの公園はどこでもたっぷりと小綺麗な遊具がある)、歩道も歩きやすく均されている。当然のように景色もよい。この街には雑で見苦しいところはひとつもないのか?

海沿いの公園



 公園の歩道をさらに行くと、だんだん傾斜がかっていき、やがて山道めいた坂の入口にさしかかる。鬱蒼とした木々がそれまでのほがらかな陽光を遮り、やや異質な薄闇でみずからの内を閉ざしている。




 どうしよう⋯⋯と迷っていると、魚が話しかけてきた。そう、魚、いまにも死にそうな、陸の魚だよ。その魚はゼエゼエと喘鳴しながら、かすれた声で、いう。

「つれてってくれ」

 どこに?

 墓に。

「あの方はもう一度アメリカを偉大な国にしたがっておられます」
「それはきみもじゃね、ウェイン。わしもそうじゃ。もっとも、最終目標についてはだれの意見も一致しているが、手段についてはもっと議論を重ねる余地がある……いや、それをいうなら、いったい、"アメリカ”という言葉が厳密には何を意味するのか、じゃ。これは情緒的なシンボルでな、ウェイン、一九八〇年、九〇年代に流行遅れになって、だれにもアピールしなくなったもので……」
  ーーJ・G・バラード、南山宏訳『ハロー、アメリカ』


11月5日午後1時 シアトル・キャピトルヒル地区





 もちろん、ここにもイヌはそこいらじゅうにいる。
 魚を脇に抱えてUberを降りると、赤いジャケットにバッヂをジャラジャラつけた髣髪髭面の男性に呼び止められる。
「気をつけたほうがいい」
 気をつける?
「この街は変わっちまったよ。いつもは善き隣人たちの街なんだ。今日は違う。気をつけなよ」
 男はそう警告を発して、乱杭歯を剥いてニッと笑い、ひたすら困惑するわたしたちを残して去っていく。


 信じてくれ。


 ほんとうに、そんな男と会ったんだ。


 わたしたちは警戒しながらキャピトルヒルを歩いた。この街のカラーを知るのにさして時間は要さない。五十メートルごとに虹色と遭遇する。レインボーフラッグをかかげた店、レインボーカラーに塗られた横断歩道、レインボーカラーのユニコーン⋯⋯。真っ黒な服装に身を包んだ、どう見ても中高生ぐらいの子どもたちが、やはり真っ黒な小さなライブハウスの前で列をつくっていた。その斜向かいにはポップアート志向のサブカルファッション・グッズショップがあった。アートと若者の街にありがちなヒリツイた空気はあるものの*2、髭バッヂ男の警告に反して、身の危険らしい危険は感じられない。

キャピトルヒルのジミー・ヘンドリクス像



 シアトルはグランジの発祥の地だという。マーク・フィッシャーによると、カート・コバーンは資本主義リアリズムの絶望をもっとも能く体現したミュージシャンなのだそうだ。ジェイムソンのいうところの『もはやスタイルの革新が不可能で、想像の博物館の中で死んだスタイルを模倣することしかできない世界』の中に自分がいることを見出し、反抗することそれ自体が産業にあらかじめ取り込まれた見世物だと了解しながらも、それが耐え難いほどに陳腐だと知りながらも、反抗の態度を貫かざるを得なかった男。
既に確立された『オルタナティブ』や『インディペンデント』という文化圏を見てみよう。そこでは、まるで初めてであるかのように、古い反抗や異議申し立ての身振りが延々と繰り返されている。『オルタナティブ』や『インディペンデント』は、主流文化の外側にあるものを指し示すのではない。むしろ、それらは主流の中でのスタイル、実際には支配的な様式なのである。」( Mark Fisher," Capitalist Realism: Is There No Alternative?")
 わたしたちは『インディペンデント』や『オルタナティブ』だったものが主流文化に取り込まれているさまを実際に目の当たりにすることができる。「想像の博物館」などではなく、現実の博物館で。シアトルには〈ポップカルチャー博物館〉という音楽・映画・ゲームなどのサブカルチャーを扱った施設*3があり、そこではニルヴァーナを特集した展示も設けられている*4。かれらの愛用した楽器、レコードのジャケット、ポートレイト、ライブのフライヤー、そして生涯がガラスケースの向こうで陳列され、かつて蔑まれていた文化に正統性を与えている。尊いことだ。入場料は30ドルほど。ウェブサイトから予約する場合は曜日とタイミングによって価格が変動するらしい。株価のように。

ポップカルチャー博物館



 ちなみにこのポップカルチャー博物館でのニルヴァーナの展示は、つい最近、ある物議をかもしたカート・コバーンについての解説板に「彼は27歳で"un-alived himself"した」と書いたのだ。
 un-alive とはインターネットのスラングで「自殺」を指す。
 2020年以降、コロナ禍で病みやすくなったユーザーの精神を救うために、プラットフォームの側が検索において特定のネガティブな単語を検閲するようになった。「自殺」もそのひとつだったのだけれど、まあしかし、インターネットで自殺について語らないなんて不可能だ。ユーザーは禁止された単語を別にワードに置き換えるようになった。それが、un-live 。
 こうしたネットにおける検閲逃れのテクニックを英語圏では、アルゴリズムによるフィルタリングに適応した言語という意味でアルゴスピーク(Algospeak)と呼ぶ。そうしたものをポップカルチャー博物館のキュレーターは「メンタルヘルスとの闘争のために悲しくも命を落とした人々への敬意のしるしとして」使ったらしい。奇妙ではあるが、文脈としては通らなくもない。
 ところが、一部のひとびとがその言い換えに反発した。かれらが引き合いに出したのはジョージ・オーウェルの『1984年』だった。『1984年』で描かれる管理ディストピア社会では、市民を馴致するためにアルゴスピークならぬニュースピークなる語法が幅を利かせている。要するに語彙をシンプルに変えていくことで市民の思考の幅を絞ろうとするのだけれど、そのうちのテクニックのひとつとして、接頭辞にun-をつけることで(主に政府批判に使えそうなネガティブな)反対語を大幅に削減するというものがあり、un-liveはそれを想起させる⋯⋯というのが博物館批判派の主張だ。

 結局、博物館側が折れて「died by suicide」という一般的な表現に修正されたらしい。
 皮肉な騒動だ。アルゴリズムによる統制に抗って生まれたアルゴスピークが博物館という権威に回収され、自殺という悲劇を無痛化するために用いられた。おそらく、キュレーターにはコバーンの死を消費したくない、という個人的な願いがあったのかもしれない。しかし、インターネット上での力なきひとびとの抵抗手段を博物館のキュレーターという立場から振るった結果、インターネット文化からのディストピア的悪夢めいた収奪と化してしまった。フィッシャーにいわせれば、これこそニルヴァーナ的な現象だろう。
 オルタナティブでありたい、自由でありたいと願うわたしたちの精神はすきあらば盗まれ、無害化され、取り込まれ、換金されていく。そこから逃れることはできない。

 I’m out for Presidents to represent me. (Say What?)
 I’m out for Presidents to represent me. (Say What?)
 I’m out for dead Presidents to represent me.

俺を代表してくれる大統領なんていない
 俺を代表してくれる大統領なんていない
 俺が求めている大統領は 札束に印刷された死んだ大統領だよ
 ーーNas、池城美菜子訳「The World is Yours」


11月5日午後3時 エリオット・ベイ・ブック・カンパニー


生まれながらにして土地の名を腹部に縫い込まれた哀しき獣



 魚があいかわらず墓場に行きたいとだだをこねるので、書店に入る。書店は墓場以外でもっとも墓場に近い場所だ。いまは亡い人間が死んだ紙に失われてしまったことばを綴るのが本であり、書店ではそうした墓碑を粛然と並べている。
 書店はエリオット・ベイ・ブック・カンパニーと名乗っていた。公式サイトにはこうある。
エリオット・ベイ・ブック・カンパニーは、キャピトル・ヒル地区の心臓部に位置する総合書店です。地域最高レベルの15万冊以上の新刊書コレクションに加え、大量の既刊本も取り揃えています。さらに、年間を通してすばらしい著者たちによる朗読会やイベントを実施しています。
1973年にウォルター・カー氏によって創業された当店は、パイオニア・スクエアのメイン・ストリート109番地にインディペンデント系書店として設立されました。その後、著者朗読会用のイベントスペースやシアトル初の書店併設カフェを加えながら、店舗の拡大と変遷を重ね、2010年にシアトルのダウンタウンに隣接するキャピトル・ヒル地区に移転しました。私たちは独自の書籍セレクション、杉材を用いたオリジナルの本棚、そして知識豊富なスタッフと共に移転し、これまでと変わらない温かい雰囲気、カスタマーサービス、品揃えを維持しています⋯⋯
 そして、「Thank you for supporting this woman and queer owned business.」という一文で締めくくられている。




 二階建ての、すばらしく雰囲気のいい本屋だ。質量ともに充実していつつも、インディペンデント系らしく店としての趣味や政治性*5を反映したセレクトも並ぶ。YA、絵本、マンガといった子どもたちのためのスペースも贅沢に取っていて、そういうのを見るだけでも豊かな心地になれる。
 誘われるようにSF&ファンタジーのコーナーに行くと、新刊棚にパオロ・バチガルピの新作『Navola』(内容はまだ知らない)やレヴ・グロスマンの『The Bright Sword』(内容はまだ知らない)、20世紀初頭の満州を舞台にしているらしいヤンシィー・チュウの『The Fox Wife』(やっぱり内容はまだ知らない)などが面陳されている。その裏に回ると、慣れ親しんだ、死んだ作家たちがたくさんいた。

 そのなかにJ・G・バラードの『ハロー、アメリカ』があった。
 コンラッドの『闇の奥』を下敷きにエネルギー枯渇と財政破綻と劇的な環境変動によって滅んだあとのアメリカ合衆国*6を舞台にしたSFだ。滅亡から一世紀ほど経ったところで、ヨーロッパに離散していたアメリカ人の子孫*7が蒸気船アポロ号に乗ってマンハッタン島へ上陸し、その船にこっそり潜んで「密航した21歳の青年(もっとも偉大な西部劇俳優と同じ名前の「ウェイン」)は、自分がこの国の新しい支配者、第45代大統領となることを夢見るが⋯⋯」*8。かつて合衆国を覆っていた資本主義と車とパラノイアが幻想的かつ鮮烈なイメージとして矢継ぎ早に展開されていく、いつもどおり美しくどうかしているバラード作品だ。「優れたアメリカ論フィクションは往々にしてアメリカ人以外の手で描かれる」という法則*9に、この本もまたのっとっている。
「第45代大統領?」
 と、魚は、ない首をかしげる
「今は第何代だっけ⋯⋯?」
『ハロー、アメリカ』が出版されたのは、1981年のことだ。古いSFの描く近未来は、わたしたちの生きる現在に追い越されることがある。それが昔はいやだった。今は、ちょっと、いいかもしれない。
 ググると一発で出る。1789年ジョージ・ワシントンから数えて45代目(58期目)のアメリカ合衆国大統領は、2017年に誕生した。見たことのある顔だった。ホテルのテレビが絶えずその顔を映していた。
『ハロー、アメリカ』に出てくる”もうひとりの第45代大統領”がどんな名を名乗っていたか。おもいだすべきではないのか。
 

レーガンの個性(パーソナリティ)。この大統領選候補者の深遠な肛門性は、将来において合衆国を支配すると予想されよう。⋯⋯(中略)⋯⋯サディズム傾向をもつ精神病質者たちにレーガンをともなう性的妄想を生みだすよう求める実験がさらにおこなわれて、大統領職にある人物たちはもっぱら生殖器の観点から認識されているという見込を裏づける結果となった。

 J・G・バラード法水金太郎訳「どうしてわたしはロナルド・レーガンをファックしたいのか」


11月5日午後5時 シアトル・ボランティアパーク


 



 書店で手に入れた『Nintendo Power』誌*10に載っていた地図をたよりに、墓へ向かう。シアトルのレイクビュー墓地には、ある偉大なスター俳優が葬られている。
 ブルース・リーだ。十八歳で香港からシアトルに渡った李小龍青年は六年のあいだ肉体*11と精神*12を磨き、それからカリフォルニアへ移ってジークンドーを創始した。ついでに映画スターにもなった。と、いうのが Wikipediaで語られるところのブルース・リーとシアトルの由縁で、しょうじきブルース・リー映画をロクに観たことのないわたしには、なぜ死んだカンフースターが魚にとってそこまで深甚な意味をもつのか、わからない。
 あらゆる死への道がそうであるように、墓場までの道のりもまた遠い。ANTIFAが集会を計画しているともボンクラどもがLARPを開こうとしているとも噂されているボランティアパークを横目に、やたら人間に対してイキりたっているリスのガンつけに怯えつつ、住宅街を過ぎていく。よくアメリカの映画なんかで見るかんじの「郊外の一軒家」然とした家が多い。適度な広さの芝生に、トム・ソーヤーがペンキ塗りをしていそうな塀に、年老いた南部人が安楽椅子を漕ぎながらライフルの手入れをしてそうなポーチ。ハロウィンのかざりつけが残っている家も多い。そして、もちろん、路上にはリードで人間と並走しているイヌたち。

激しく動いて人間を威嚇する、凶暴なリス



 ベルビューより手ごろかもだけど、だとしても生活費がべらぼうなんだろうなあ、などと世知辛いことを考えながら、坂をのぼっていく。夕方の風が冷たい。冬に近づきつつある。あるいは死に。
 住宅街を抜けると、また別の公園だ。なんかもう、シアトルの公園の多さと豊かさにはびっくりする。どこも歩くだけで心地よくて、たちまち土地に対する愛が芽生えてしまう。I ♡ Seatle。

「シアトルのつづりは、Seattle。tはふたつだ」
 と、魚がテンションの下がることをいう。
「それは先住民の酋長の名だった。彼は入植者たちと交渉しつつ、彼のひとびとを守る方策を探った。平和主義者と、いまならいえるだろう。でも、その姿勢が妥協と見られて、彼のひとびとから反発もされ、その一部が入植者と戦争を起こした。結局、彼のやさしさは報われなかった。あの悪名高いポイント・エリオット条約が結ばれ、彼のひとびとは先祖代々の土地を失い、アメリカ各地へと散らばった。平和とはなんだろうね、オオサンショウウオ? 交渉とは? ひととひととが交わることとは? 英語でtがひとつだから、ふたつだから、それが英語でないことばを話していたひとびとにとってなんなんだ?」

 魚は視点の定まらない眼を泳がせ、顎をパクパクさせながら、早口でそんなうわごとを口走る。息を吸い吐きするたびに、腹部の鱗に藍色の夕闇にきらめきの波を立たせる。いや、もう、夜だ。


 魚は死にかけている。


 どうしようかと、顔をあげると、視界に黒い穴がとびこんだ。よく見ると、表面がたゆたっている。貯水池だ。
 魚を池に放さねば、と焦るのだけれど、池の周囲に網と有刺鉄線が張り巡らされており、侵入できない。
 ふと、池のそばに目をやると、高い塔があった。あの塔の最上階から魚を池へ落とせば、有刺鉄線の壁を越えられる。これだ。わたしは塔に突撃した。

 



 これだ、ではなかった。
 死ぬほど死んだ。
 塔のなかは強敵だらけで、『ダークソウル』の城下不死街みたいになっており、いや城下不死街より適切なたとえが『ダークソウル』にはあるのかもしれないがわたしはそこより先に進めておらず、ともかくも永遠に出られない死地なのだった。
 篝火から篝火に移動しようとしては、休憩ごとに復活するスケルトン兵たちの襲撃に耐えきれず、もとの篝火へと撤退する。乾坤一擲で無理に突破をはかると、死ぬ。どうにもならない。
 途中の踊り場で出会った商人の話によれば、塔のなかは全三十の階層に区切られており、フロアごとにボスが配置されている。屋上にたどりつくには最低でも30くらいまでレベルをあげておかないときびしいらしく、それもまともなプレイスキルがあっての話だった。わたしの腕なら50でもちょっと苦しい。


 結局、塔の攻略は断念せざるを得なかった。わたしたちは塔を離れ、ふたたび墓地を目指した。寒風に逆らいつつ、ひいひいと坂をのぼる。魚は目に見えて衰弱していく。だんだんと、鱗の波が凪いでいく。
 開けた丘のような地点に出た。なにやら立派な博物館が建っている。ウィング・ルーク博物館だ。アジア系移民の歴史に特化した展示を行う博物館らしい。すこし惹かれたが、とうに十七時を過ぎて閉館している。




 その博物館の正面に展望台があった。ドーナツ型の謎のオブジェの向こうに、シアトル中心街の夜景が広がっている。きれいだね。疲れ果てた身体からはそんなシンプルなことばしか出ない。墓地はまだまだ遠いようだった。
 ほら、きれいだよ、とよく夜景が見えるようにと抱えていた魚を上に持ちあげる。反応が薄い。なにもいわない。

 魚をおろして、その呼吸をたしかめる。

 息が絶えていた。



 この土地では他人の同情心なんかをあてにしてはいけないのだ。カールはアメリカのことを本で読んでいたが、この点ではまったく正しかったわけだ。ここではただ幸福な人々だけが周囲の無関心な顔にはさまれながら、めいめいの幸福をほんとうに享楽しているように見えた。

 ーーフランツ・カフカ、中居正文・訳『アメリカ』



11月5日午後7時 シアトル・某所


出口。ほんとうに?



 死んだ魚を抱えて、Uberの運転手にてきとうなバーへ向かうように頼んだ。禿頭の運転手は自分のことをAmazonのCEOだと思い込んでいる狂人で、自分もこのあたりに住んでいるのだといった。
「このへんはいいところだよ。みな穏やかで、犯罪もない。隣人はみな親切だ」
 と、運転手はいう。
 わたしは昼間に遭遇した赤いジャケットの予言者からもらった警告について考えた。
 運転手は一方的に喋る。
「バーに行きたいのか? こんな日に? へんな人だね。まあ、いいんじゃないか。この街ではなにかが起こっても、なにも起こらない」
 バーは混んでいた。なにやらパーティのようなものが開かれているせいだった。色とりどりの風船が飛び、スーツを着た女性のパネルが設けられ、大きなプロジェクタ用スクリーンにMSNBCの特別ニュース番組が映し出されている。




 スクリーン前に群がったひとびとは、「Harris/Walz」と書かれた帽子やバッヂをつけ、談笑しながら光をながめていた。
 番組の画面が切り替わって、青背景をバックにパネルになっていた女性が映し出され、「ヴァージニアで勝った」と報じられる。バーの客たちから歓声があがる。直後、赤背景をバックに金髪の老人が映し出され、「サウスカロライナで勝った」と出る。ブーイングがあがる。
 なにをやっているのか、と訊ねる勇気はなかった。たぶん、スポーツ観戦かなにかだろう。あるいは、ビンゴ大会。

Dang Dang 混み合う



 わたしはバーの前に停まっていたフードトラックに死んだ魚を調理してくれるように頼んだ。すると、たいそう見栄えの良いフィッシュ&チップスをこしらえてくれる。フードトラックのシェフがこう訊ねる。
「友だちだったのかい?」
 わたしは答える。
「たぶんね」
 ほんとうは「そうだったらよかったね」といいたかったのだが、わたしは英語でどういえば起こり得なかった過去についての願望を表現できるのかわからない。

別のハンバーガー屋のテレビ



 バーのなかから歓声が響いた。また青い女性が勝ったらしい。
 チップスをつまみながらバーに戻ると、出入口横の空間にステージらしき台座がこしらえられていた。ギターやベースを持ったひとびとが音合わせをしている。マイクスタンドもできていた。ライブをやろうとしているらしい。でも、バーのひとたちの視線はスクリーンに注がれていて、だれもステージとバンドの出現に気づいていないようだった。

バーにも、イヌ。



 今度はブーイング。見ると、金髪の老人ではなく、壮年の別の男性が映っていた。テキサス州でSENATEというのを勝ち取ったらしい。ここでは赤ければ、みんな敵であるようだった。
 バンドが演奏をはじめた。ボーカルが三人フロントに立ち、耳慣れたなつかしいサウンドに乗せてラップをはじめる。Rapper's Delight であるようだけれど、わたしの知っている歌詞とは違う。どういう歌詞かわかればよかったのだけれど、フィッシュ&チップスをたらふく食べてお腹があったまり、ねむくなっていたわたしには、マイクを通して撹拌されバーの喧騒に融けていく声をうまく聴きとれない。まどろみのすきまを縫って、となりに座っていた客が別の客にこうこぼしているのが聞こえる。「なんて混沌だ。恥だよ。なんとも、恥ずかしい⋯⋯」




 そういえば、ベルビューのショッピングモールを散策しているときも、聴こえてくる音楽は絶妙にチージイで懐かしかった。トゥー・ドア・シネマ・クラブの「Undercover Martyn」、マルーン・ファイヴの「This Love」、ダニエル・パウターの「Bad Day」。”あのころ”のヒットナンバーばかり。やはり混沌としていたけれど、今よりはそうでなかった”あのころ”。ベルビューのメイシーズはそんな時代に留まっているかのようだった。なんたって、バーンズ&ノーブルとかいう大手書店チェーンが新規開業するモールなのだ。2024年なのに。本を、しかも紙の本を読む人間なんて地上のどこにも残っていないはずなのに。*13なのに⋯⋯なのに⋯⋯⋯⋯Zzzz....。

〜かわいイヌ〜



 さいきん観た映画でシアトルが舞台だったものはあっただろうか? あった。リチャード・リンクレイターの『バーナデット ママは行方不明』だ。シアトルの郊外に住む裕福な家庭の主婦であるバーナデット(ケイト・ブランシェットが演じている)が近所付き合いや子育てに疲れはてて壊れ、建築家というかつての夢に逃避して南極へと向かう物語。彼女の夫はマイクロソフト社員で、マイクロソフトの本社はもちろんシアトル近郊のレドモントンにある。「資本主義の何が問題かというというと、誰にも好まれないものを供給するということです。資本主義と選択の話をすれば、「マイクロソフト」、そのひとことにすべてが凝縮されています。誰もほしいとおもっていないのに、みんな持っていないとダメなものです。チェーン店も同じです。チェーン店の大ファンなんているのでしょうか? ほとんどいないとおもいますが、わたしたちはみなそこに行く羽目になるのです*14⋯⋯。
 幸福であるように見えることも「誰もほしいとおもっていないのに、みんな持っていないとダメなもの」のひとつだ。幸せな家庭を築き、それを近所に福々しく見せなければならない。そうした見た目の幸福はマイクロソフトAmazonスターバックスから配られる。ここシアトルから輸出される。みなそこに行く羽目になる。

 そういえば、昨日はスターバックスの一号店に行った。海辺のピアにある小さな店舗で、店内に飲食用のスペースはなく、半分はカウンター、もう半分はマーチャンダイズに割り振られていた。




「みんなここでしか手に入らない商品ですよ」と一号店の店員はほがらかにつげる。京都に帰ってからそれを■■■■に話すと、「京都のスターバックスでも京都限定のグッズが売られている」と教えてくれた。御当地ハローキティのように規格化された差異という、矛盾した商品がいともかんたんにわたしたちの現実に流通する。わたしたちはみなあらゆる場所へ行く羽目になる。
 一号店のコーヒーには一号店限定の豆が使われていた。飲むと、たしかにおいしい。でも、ふだんスターバックスに行かないわたしには、その味が他店とどう異なるのかわからない。

〜かわいイヌ〜



 椅子から転がり落ちかけたところで、目が覚める。よだれをふきふきあげた視線が、プロジェクタの画面に定まる。画面の両端からそれぞれ赤いバーと青いバーが表示されていて、赤いバーのほうが長い。来たときから、ずっとだ。
 客の数が減っていた。残ったひとたちもEXITと掲げられたサブの出入り口から帰りはじめている。みな、憮然とした表情だ。怒りや悲しみといった激烈さはなく、ただただ無表情になにかを諦めているようすだった。
 バンドはティアーズ・フォー・ティアーズの「Everybody Wants to Rule the World」を口ずさんでいる。本気か? 『Mr.Robot』じゃあるまいし。今年は『ネクスト・ゴール・ウィンズ』でも『怪盗グルー』の新作でも聴いた気がする。*15ウクライナでの戦争開始からこのかた、ずっと流れている曲な気がする。いや、2016年からだったか? それよりもっと前から? 「光の届かない部屋がある/壁が崩れ落ちる中で手を取り合って/その時が来たら、私はすぐ後ろにいる」⋯⋯。*16

 だれも歌を聴いてはいなかった。ステージの前は不自然なまでにきまずい空白ができていた。みなプロジェクタを凝視するか、帰路につくかしている。ひとりを除いて。
 



 赤いジャケットの髭バッヂ男だった。あの予言者がいた。

 バンドの演奏にただひとり反応し、踊り狂っている。

 ボーカルのひとりが「Recount!」と叫び、あたらしい曲がはじまる。

 ますます髭バッヂ男のダンスがはげしくなる。

 彼の存在に気づいた一部の客たちはなんともいえないかんじで彼をながめていた。

「あの男、おれは好きだな」とだれかがつぶやくのが聞こえた。




 信じてくれ。

 これはほんとうにあったことだ。
 
 11月5日に、わたしが目撃したすべてだ。

「それで、どこへ?」トムはさけんだ。「ぜんたい、どこへ行くつもりなんだ?」
「わからない」と彼はいった。「いや、そうだ。アメリカへ行くんだ!」
「いや、やめろ」トムは煩悶しながら、さけんだ。「行くな。お願いだから行かないでくれ。もう一度、よくよく考えてみてくれ。そんな向こう見ずなことはしないでくれ。アメリカへは、行かないでくれ」

 ーーチャールズ・ディケンズ『マーティン・チャズルウィット』


11月6日午前8時 ベルビュー





 朝の風景はおだやかだった。なにひとつ変わったようにはおもわれない。イヌはあいかわらずそこいらじゅうにいて、ヒトは走っている。安全がつづいている。
 ふたたび、ワシントン湖沿いの公園に来ていた。あのとき、魚に呼び止められて入れなかった薄暗い坂道の前に立つ。




Alan Wake 2』の冒頭に出てくる森のようで、かすかにいやな予感もよぎったけれど、いやここはベルビューなのだし、”日本”なのだし、と一歩を踏み出す。あしもとの枯れ葉がくしゃりと乾いた音をたてる。くしゃり、くしゃり、とそんな音を響かせながら、だれもいない茂みをゆく。
 おもったとおり、ここもまた気持ちよくウォーキングが楽しめる道だ。傾斜はやや急だが、適度に脚に負担がかかるところがまた心地いい。入る前におぼえたいやな予感など、とっくに忘れてしまっていた。
 静かだった。住宅街のど真ん中にあるはずなのに、どこかの山の中腹みたいに人気がない。こんな場所を街なかに造れるだなんて⋯⋯ベルビューでは驚かされっぱなしな気がする。


 と。


 背後に気配を感じた。その感覚に、低いエンジン音が追いついてくる。
 振り返ると、うしろからシアトル市警のパトカーがのろのろと迫っていた。

 2023年1月、と魚が昨日教えてくれた事件をおもいだす。
 インド系の23歳の大学院生、ジャーナビ・カンドゥラが横断歩道を渡っている最中にパトカーに轢かれて死亡した。シアトル市警は最初その事実を隠蔽しようとしたという。その後、別の警官がカンドゥラの死を茶化している動画が公開された。録画されたその映像で、警官はこういっていた。
「彼女はなんでもない人間だったんだよ⋯⋯11000ドルだっけ? 小切手を切ればいい。どうせ26歳なんだし、そんな価値のある女じゃなかった⋯⋯」

 パトカーはゆっくりとわたしを追い越し、十メートルほど先で停車する。

 
 なんだ?


 ここはなにもない坂道だ。歩いているものも、わたし以外に存在しない。
 わたしか? わたしに用があるのか?

 心臓が高く強く打つ。脳の髄が焼けつく感覚をおぼえる。寒さにかじかんでいた指先が火照る。

 ここはアメリカだ、とわたしは今まで忘れていた事実を思いだす。
 だれかが銃を持っているかもしれない国だ、という事実を。
 というか、確実に持っている。相手は警官なのだから。
 入国審査官のねちっこい、疑わしげな視線をおもいだす。
 あの赤いジャケットの髭バッヂ男をおもいだす。
「気をつけろ」

「おまえはひとりだ」



 動揺を押し殺しながら、パトカーの横を通る。
 呼び止められるか、とおもったが、パトカーのなかからの反応はない。警官が車内でなにをしているのか気になったが、こわすぎて運転席を一瞥すらできない。

 ある程度パトカーに先行したところで、速歩きになる。歩道へはみ出した茂みがパトカーからの視線(「射線」だ、とそのときは捉えていた)をさえぎってくれるところまでくると、小走りに駆け出す。坂をあがりきり、住宅の並ぶ通りへ飛び出す。

 パトカーが追ってくる様子はなかった。

 だが、恐怖は止まらない。


 わたしは走りつづけた。走って走って、道を下り、車道を横切り、ダウンタウンを越え、地下へと潜り、京都市営地下鉄の車両に飛びこんだ。
 慣れた灯りに照らされて、ようやく一息をつくが、呼吸は荒れたまま落ち着かない。鼓動も全身を揺らしつづけていく。
 扉が閉まり、車両がゆっくりと動き出す。そして、国際会館を経由して烏丸御池まで⋯⋯京都までわたしを運んでいく。

なんか京都駅にちいかわポップアップストアができてた。



proxia.hateblo.jp

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*1:ベルビューの名誉のためにいっておくと、ダウンタウンにあるRoyal Bakehouseのクロワッサン・アマンドは過剰な甘さでおいしかった。コーヒーチェーンのクロワッサンより安いにもかかわらず、大きさは3倍ほどあった

*2:キャピトルヒル地区はブラック・ライブス・マターの時期に抗議運動を過熱させた末、シアトル市警を追い出して自治を行ってもいた。Capitol Hill Occupied Protest - Wikipedia

*3:創設者はマイクロソフトの共同創業者でもあるポール・アレン

*4:Nirvana: Taking Punk to the Masses | Museum of Pop Culture

*5:とはいえ受けは広く、見間違えでなければバーニー・サンダースなどの本と並んでオルトライトの論客であるマイロ・ヤロプロスの本まであった。

*6:ついでになぜか日本も滅んでたはず

*7:そもそもアメリカ人自体がいろんな国からの移民で構成されているので、彼らは「故郷」に戻っていただけだったともいえるが

*8:創元SF文庫版表紙あらすじより

*9:ゲームだと『Death Stranding』もそうだし、『Life is Strange』もそうだ。そういえば、『Life is Strange 2』はシアトルから始まって米墨国境の「壁」に至るロードストーリーだっだ。それをわたしはあるプロラブコメディアンから指摘されて、はじめて気づいた。というか、調べてみると、シアトルはLISシリーズ通して出てくる定数であり、一部ファンのセオリーでは「”力”の発現に関係あるのでは」とささやかれている。らしい。

*10:アメリカで発行されていた任天堂公式のゲームマガジン

*11:詠春拳をベースに道場を開いた

*12:名門ワシントン大学の哲学科に入った

*13:これはわたしの物知らずだ。バーンズ&ノーブルは近年は店舗ごとに地域に合わせた品揃えを展開し、シアトルにかぎらず全国的に拡大傾向にあるらしい。https://www.honest-broker.com/p/what-can-we-learn-from-barnes-and

*14:マーク・フィッシャー、セバスチャン・ブロイ&河南瑠莉・訳「「未来を創造しなければならない」ーーマーク・フィッシャーとの未公開インタビュー(2012年)」

*15:『マエストロ』では「Shout」も流れてたっけな。

*16:個人的には『ハンガー・ゲーム』の主題歌としてロードがカバーしたバージョンが好きだ