名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


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越えていく物語たちのポリフォニー――ゲーム『未解決事件は終わらせないといけないから』に影響した作品について

미제사건은 끝내야 하니까、2024)

(注1:本記事はゲーム『未解決事件は終わらせないといけないから』、小説『白光』『新参者』『終わりの感覚』、映画『ファーザー』の軽度〜中度のネタバレを含みます)
(注2:基本的には、『未解決事件』をクリアした人に向けて書かれた文章です。なに? まだやってない? 傷ついたことがないならそれでいいけど。まあ二時間くらいで終わるのでサッと買ってやっちゃいなよ。)

store.steampowered.com



 なぜ小説を書きたいのだろうか。それは小説を読んだからだ――という形で、「読む」ということと「書く」ということを、結びつけてみようと思ったのである。


 後藤明生『小説――いかに読み、いかに書くか』アーリーバード・ブックス



物語は越境します。ときには言語を。ときにはジャンルを。ときには時代を。ときには媒体を。
ひとつの作品をひもといて見るとき、それはすでに複数の物語をはらんだ集合体なのであって、真に孤立した物語というのは存在しません。あらゆる物語は越境の行先地であり、出発点でもある。その事実自体はなんら興奮をもたらす問いではない。
なので、問題となるのは、それがどのような仕方で越えられているか、ということなのです。


今年一月にリリースされた韓国産ミステリーADV、『未解決事件は終わらせないといけないから』(以下『未解決事件』と略)。過去に起こって迷宮入りしていた少女誘拐事件をめぐる、記憶と物語、そしてひとりの人間たちの再生の物語を独特なゲームシステムで描き、話題を呼んだ作品です。
そのユニークさや内容はさまざまなところで紹介されているので、いまさらここで改めては語りません。


www.4gamer.net
(ゲーム内容について知りたいかたはこちら)




さて、『未解決事件』の開発者であるSOMIが、日本のゲームニュースサイトのインタビューに答えてこんなことを言っていました。



――本作の開発にあたって影響を受けた作品はありますか?

Somi:主に小説からインスピレーションを受けています。ゲームのクレジットにもありますが、韓国の小説家キム・ヨンスが書いた「濡れずに水に入る方法」からインスピレーションを受けました、 この小説は、他人に対する無条件の優しさについて書かれています。また、ミステリー部分では三木彦連蔵の小説「白光」から、ドラマティックな部分では東野圭吾の小説「新参者」から多くのヒントを得ました。


『未解決事件は終わらせないといけないから』の最大の特徴は、プレイすることで安らぎを得られること―人気短編ADV多数手掛けるクリエイターSomi氏【開発者インタビュー】 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト



三木彦連蔵ってだれだよ、連城三紀彦だろがい、直木賞作家やぞ、という翻訳部分でのツッコミはすでに散々なされているであるのでともかくとして、これは実はかなりクリティカルな回答だったりします。
映画にしろゲームにしろクリエイターがインタビューで出してくる「影響を受けた作品」なんてのは、たいてい刺身のツマ程度の参考にしかならないのですが、『未解決事件』に関しては「あれ、『新参者』と連城の『白光』なんですよ」と言えば既読者なら膝を打つはず。実際、わたしの身の回りにいるミステリオタクも膝を打ちすぎてゴリランダーになっていました。*1

というのも、『白光』にはこんな一節が出てくるんですね。



そんな風に自分が起こした自殺未遂事件のことさえちゃんと説明できずにいる僕が、今度の事件のまだ未解決の部分を……たとえば誰がどんな動機で僕の大切な……大切な娘を殺害したか……あの正月の一つの「家族の風景」が今度の事件にどうつながり、一人の罪のない少女を死へと追いつめたか……説明するために警察を訪ねてきたと言っても、信じてもらえないかもしれませんね。
でも僕は今日、やっと勇気を出して真実を語りにここへ来たのです。



連城三紀彦『白光』光文社文庫(no.1227)
(太字は筆者による強調)



まさに「未解決事件を終わらせないといけないから」。いや〜、こういうのを見ると……嬉しくなっちゃいますよね。なりませんか? 🙋読者「なるなる〜」  👍御同意ありがとう!

作者のブログでは、ほかにもアンソニー・ホプキンスのオスカー受賞で話題になった*2『ザ・ファーザー』なども参考作にあげられています。もちろん、ゲーム本編のエンディングに引用文献として紹介されるジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』やキム・ヨンスの作品も忘れてはいけません。

いってみれば、『未解決事件は終わらせないといけないから』は複数の異なる国のフィクション、そして複数の異なるメディアの交差点でもあるわけです。ボルヘスが言うように、引用とは言語のシステムであるわけですが、同時に書き直す(リライト)ことでもある。
作者が影響を公言しているこれらの作品群は『未解決事件』において実際どのように作用していったのか。

ひとつずつ、見ていきましょう。

連城三紀彦『白光』

連城三紀彦の『白光』はこんな話です。
聡子という主婦が妹の幸子から娘である直子を預かります。カルチャースクールへ出かける、というのが幸子の大義名分でしたが、実は不倫相手の大学生・平田とあいびきするためであることを聡子は知っていました。そして、聡子が家に直子とボケかかっている舅の桂造を残し、娘の佳代と買い物に出かけているあいだに直子が行方不明になってしまう。直子の父親である武彦や聡子の夫である立介も直子の捜索に出るのですが……

と、まあ、ここまでおわかりのとおり、扱う範囲が”家族”なわりに登場人物がやたら多い。三世代で二組の家族が出てくる。しかも、かれらの関係と感情の矢印が錯綜しまくり、それがまた物語のダイナミズムとなっていくので、ちょっとあらすじとしてまとめにくいんですよ。しかし、これはミステリなので、「ネタバレ防止」というエクスキューズをもってサボることができる。楽ですね。
とはいえ、四行五行程度のあらすじでも『未解決事件』との関連はいくつか見て取れるはずです。
まずなにより、少女が、それも娘であり孫でもある少女が失踪する事件であること。痴呆症気味の老人が出てくること。さらに物語が進むと、前に示した引用部からも読み取られるように、ある人物が警察に自首します。ここも共通していますね。細かいところでは、「つま先立ちして塀の向こうにいる子どもを覗く」という行為も。

(自白司法制度の国では事件解決の図)

しかし、『未解決事件』が『白光』からなによりも受け継いだのは、その語りの部分です。前述のSOMIのブログでは*3こう述べられています。
『白光』からは、一つの事件に注がれる複数の異なる視線がもたらす反転の魅力を学んだ」、と。
ミステリ作家の綾辻行人が、かつて「逆転の小説」であると形容したように*4、連城作品はとにかく構図が逆転反転しまくります。長編はもちろん、短篇でもおかまいなしに三回も四回もどんでんがえりまくる。そうして、最初に見えていた絵が最後には完全に別物となって立ち現れてくる。
そんな連城式の「逆転」を可能にしているのが語りの操作です。特に『白光』ではとにかく視点がせわしなく切り替わります。正体不明の老人(のちに桂造と判明)の一人語りに始まり、聡子、武彦、立介、幸子、平田……人物だけでなく人称も一人称と視点人物よりの三人称を自在に使い分け、しかも視点の切り替わりも章分けでなく一行空けでポンポンやってくる。
登場人物たちは平凡な生活な上で決して表に出さない「秘密」――この場合はある人物のある人物に対する想い――を抱え、その「秘密」同士がすれ違い、観測者である読者の想定を裏切りつづけていく。
『未解決事件』は、なるほど、連城作品の「反転の魅力」をスマートに翻訳にした語り口であるといえるでしょう。

東野圭吾『新参者』

『白光』とならんで日本のミステリ小説からの参考作としてあげられている『新参者』は、「ドラマティックな部分」(インタビュー)あるいは「事件をめぐるキャラクターたちの態度」に影響を受けたと語られています。
東野圭吾はいまさら説明もいらない国民的ミステリ作家で、『新参者』も有名作ですが、いちおう概要を説明しておきましょう。

まあたしかにこんな顔力(かおぢから)の「新参者」刑事が来たら一発で地域になじみそう

探偵役をつとめる刑事・加賀恭一郎(ドラマや映画では阿部寛が演じています)という男がおりまして、そのシリーズ八作目です。
東京は日本橋の警察署に異動したてほやほやの加賀。その彼があるマンションの一室で起きた中年女性殺害事件を追う連作短篇……であるはずなのですけれど、ちょっと構成が奇妙なんですね。
最初の方はわりと殺人事件と直接関係あるようであんまりない、料亭の小僧さんを加賀がコロンボ的な陰湿さでいじめる小咄だったり、ちょっと泣かせる人情噺のような短篇(もちろんミステリですが)などが続きます。読み進めていくにつれ、加賀は被害女性に近しい人物に寄っていき、彼女を取り巻いていた人間関係や物語が浮き上がってくるのです。
この構成は意識的に組まれている。加賀は下町の「新参者」として「誰もが見向きもしないような些細なことに拘り、たとえ事件に無関係だとわかっていても、決して手を抜かずに真相を突き止めようとしてきた」*5からこそ、最終的な真相を解決までに持っていく最適な一手を見抜き、そのためにただしく動けるようになるのです。
途中、加賀はミステリの探偵役としてあまりに寄り道をしがちなことに、あるキャラからメタ的な疑義を呈されます。それに加賀はこう答える。



捜査もしていますよ、もちろん。でも、刑事の仕事はそれだけじゃない。事件によって心が傷つけられた人がいるのなら、その人だって被害者だ。そういう被害者を救う手だてを探しだすのも、刑事の役目です*6



これはミステリの探偵役としては異端な思想です。事件そのものを解決してこその探偵なのですから、そこから派生した事件にまで関わる必要は、本来であれば、ない。
しかし、こうした加賀の態度、「ある悲劇的な事件が起きた場合、その”被害者”は直接的に加害された当人だけではなく、”事件”もまたひとつだけに留まらない」という考えは『未解決事件』における登場人物たちの扱いに通底しています。
悲劇に関わったすべての人間を救済すること。それは『未解決事件』でも間違いなく意識されているテーマであるのだとおもいます。
そして、「だれもがだれかのために『秘密(嘘)』を抱えている」というコンセプトも。


ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』

「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信だ」という引用によりエンディングで参考文献として銘記されているジュリアン・バーンズの『終わりの感覚』ですが、単に一文を引用したという以上に、『未解決事件』に深い影響を及ぼしています。


https://pbs.twimg.com/media/GEy-utjaMAAlReL?format=jpg&name=large


『終わりの感覚』は、ひとりの老人が自らの半生を振り返る回想の物語です。
あるとき、主人公のトニー老人のもとにある人物から遺産の一部を譲り渡すという報せが届きます。その人物とは、大学生時代に恋人だった女性ベロニカ……の母親。
トニーは訝しみます。というのも、元恋人の母親とは40年前に一回だけ会ったきりだったからです。遺贈される品にはお金だけでなく、トニーがかつて敬愛していた友人エイドリアンの日記も含まれていました。これまた奇妙です。たしかにエイドリアンはトニーとベロニカが別れた後、ベロニカに付き合いだしていました。そして、大学卒業間近になったころに唐突に自殺してしまっていたのです。その彼の日記をなぜベロニカの母親が?
疑問を抱きながらも、彼は親友の死の真相がかかれているかもしれない日記を手に入れるため、かつての恋人ベロニカと40年ぶりに会おうとします。
その過程で、彼は高校時代のエイドリアンや、大学時代のベロニカとの記憶を思い出すのです。それは未熟で恥ずかしい思い出ですが、老人となった今では懐かしく甘美なものでした。
ですが、どうしてもエイドリアンの日記を引き渡そうとしないベロニカと駆け引きを繰り返すうちに、彼女からこんなことばを投げつけられるのです。「あなたってなにもわかっていないのね。昔から、そうだった……」

新潮クレスト・ブックスという海外文学のレーベルから出ているとはいえ、ミステリ的な要素をもつ小説であるので、過度のネタバレはよしておきましょう。
しかし、『終わりの感覚』を一言で表すなら、「人生において、他者も自分も、なにひとつ、全然わかっていなかった人間の話」です。

こうしたことを踏まえて、『未解決事件』の「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信だ」の前後の会話を見てみましょう。主人公である「清崎蒼」が彼女の前に現れた警察官(「審判者」とこの場面では呼称されている)と会話する場面です。



審判者「『歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信だ』と言います。」
清崎蒼「どういう意味ですか?」
審判者「あなたは『全然わかってない』って意味です。」



『終わりの感覚』のなかでこのセリフが出てくる文脈もまた『未解決事件』を読み解くうえで示唆的です。
これは高校時代に早熟の哲人であったエイドリアンが授業中に先生から「歴史とはなにか?」と問われた際に言ったセリフ*7なのですが、彼はその実例として先に女性を妊娠させたことを苦に自殺した同級生を引き合いに出します。
妊娠させたガールフレンドがいたらしいということからその同級生の死についてわかった気でいるが、しかし自分たちの手元にあるのはかぎられた情報だけで、もしかしたら他にも死に至る動機や理由もあったかもしれない……時間が経って彼のことを記述したいとおもったとき、そんな彼をどう書けばよいのか。
一方で、先生は賢しらな若者にこう返します。



問題だとはわかる。だが、フィン君*8、君は歴史というものを――ついでに歴史家というものを――見くびっている。仮に哀れなロブソン君*9が歴史的興味を掻き立てる存在だったとしよう。歴史家が直接的証拠の不足に直面するなど、いまに始まったことではない。むしろそれが当たり前だ。だが、今回の件では検屍が行われているはずだな。ならば検屍官の報告書があることを忘れてはならん。ほかにも、ロブソン君は日記をつけていたかもしれんし、手紙を書いたかもしれん。
誰かに電話をして、その内容が相手の記憶に残っているかもしれん。ご両親は寄せられたお悔やみの手紙に返事を書いているだろう。いまから五十年後、現在の平均寿命からすると、君ら生徒諸君もかなりの人数が生き残っていて、聞取り調査に応じられるだろう。君の想像ほど手に負えない問題ではないかもしれんよ




このかれらのやりとりは、『終わりの感覚』のその後の展開に深く関わってきます。
そして、もちろん『未解決事件』にも。
記憶はたしかに曖昧になっていくし、十分な情報を得られないこともあるかもしれない。しかし、早々に悲観して諦めず、丹念に記憶を掘り出し、証拠書類を探し出して突き合わせれば、わたしたちはいずれ「真相」にたどり着ける。それは『未解決事件』においては、悪しきニヒリズムに屈しない態度へと昇華されています。

(『未解決事件は終わらせないといけないから』より)

そして、『終わりの感覚』では老いと記憶についてこうも語られます。



年齢が進むにつれ、その感覚と思いは鈍ってくる。記憶は重なり合い、行きつ戻りつし、虚偽の記憶が充満してくる。若ければ、まだ短い人生の全体を思い出すことができるが、老人の記憶は断片の集まりや継ぎはぎになる。記憶は、飛行機事故を記録するブラックボックスのようなものだ。墜落がなければテープは自動消去される。何かがあって初めて詳細な記録が残り、何事もなければ、人生の旅路の記録はずっと曖味なものになる。



「最初にキャラクター(と読者)の想像していた構図がひっくり返され、その画が衝撃となる」という点では、『終わりの感覚』は、連城作品同様、『未解決事件』の手触りとよく似ています。欠落したりバラバラになった過去の記憶と、その再構成への試み、あるいは後悔の意識、という点でも共通している。
読んでいるときの印象という点では、どの参考作よりも『未解決事件』に近いかもしれません。

とはいえ、「老いと記憶」というテーマについて、直接的にモチーフに取られている参考作はほかにもあります。
映画『ファーザー』です。


ロリアン・ゼレール監督『ファーザー』


www.youtube.com

『ファーザー』はそのものずばり、認知症により記憶の混濁した老人(アンソニー・ホプキンス)を主人公にした作品です。
この映画から『未解決事件』は開発者曰く「認知症にかかった老人のもつれた記憶と歪んだ現実認識という、ゲームの根幹をなす構成を得」たのだそう。

どういうことか。

『ファーザー』では、アンソニー・ホプキンスの主観で話が進んでいきます。一人暮らしをしていた偏屈な老人のもとに娘のアンがやってきて、恋人のいるパリに移住すると言い出す。見捨てられたのか……と老人が悲嘆に暮れていると、家のソファに見知らぬ男が座っている。「あんた誰だ」「誰って……ポールですよ」どうもポールはアンの夫らしいのですが、さきほどアンから「恋人ができたのでパリに引っ越す」と言われたばかりの老人は(視聴者といっしょに)戸惑います。やがてアンが帰ってきたので「お前の夫のポールを見た」と彼女に告げると、「夫? 夫なんていないけど?」と不思議がられ……
とまあ、このような感じでどんどん錯綜していきます。認識している記憶の時系列がめちゃくちゃに入れ替わり、ある人物だとおもっていた者が別の人物としてズラされていく体験はたしかに『未解決事件』の「ゲームの根幹をなす構成」に巧妙に翻訳されて導入されているといえるでしょう。

『ファーザー』において、アンソニー・ホプキンスはひたすら混乱していく自らの現実認識と記憶について、こう訴えます。「すべての葉を失ったようだ……枝や風や雨が……もうなにがなんだかわからんよ……
そして映画はおだやかに風に揺れる木々のカットで終わります。
こうした記憶や人格としての木のイメージは『未解決事件』でも、反転したポジティブな形として、継承されているように思われます。
よく「twitter的」と評される『未解決事件』のインターフェイスですが、個別の発言や発話者を入れ替えることで発言の「ツリー」をつくりあげていく作業がそのゲームプレイとなっています。
年月や精神という風雨によって散ってしまった葉や枝をかき集めて、樹木を再生していくこと。
作者のSOMIは、『ファーザー』のあまりにあわれなアンソニー・ホプキンスを救いたいという気持ちがあったのではないか。

まとめのようなもの

ここまで挙げた作品はいずれも「記憶」や「秘密」の話です。記憶や秘密の話でないミステリなんてまずほとんどないので、それ自体はカロリーのない言明ですが、その記憶をどう再構成するかで各メディアで違いが出てきます。
ミステリには探偵役というものがいて、終盤でそれまでバラバラで断片的だった証言や証拠を時系列に沿ったリニアなプロットして提示します。これが解決と呼ばれる行為です。この解決の作業をゲームのシステムに取り込んでプレイヤーを強制的に参加させるのがミステリゲームといえます*10。まあ例外はある。例外はいくらでもあるのだが、今この瞬間はそういうことにしておいてください。
『未解決事件』もそうした「ミステリ小説への読者の能動的な参加」というゲームのうちではあるのですが、注目したいのは、ゲーム内において再構成されるのは実は「事件のプロット=誰が犯人で、どのように犯行が行われたか」ではなく、「各証言者におけるタイムライン=事件の関係者の物語」であるということです。
最初は不審だったり距離のある感じを出していた人物が、実はひとりの人間であったと識る。それは『未解決事件』が上記参考四作から共通して受け継ぎ、ビデオゲームならではの語り口として翻訳されたエッセンスだったのではないでしょうか。

エンディングで示されるSOMIからのメッセージも、そうした態度を証しているのだとおもいます。



「各自図生*11」が答えだと誰もが言う
弱肉強食が然だと言い張り怒りと嫌悪を帰る時代
その中で揺れ動き時には嘲笑され見下されても周りを見て連帯できるみなさんを私は心から応援したい
他人に理由なく優しくしたとき
それまで存在しなかった物が新たに作り出されて人生のプロットが変わると信じながら私はこのゲームを完成させた



国やジャンルや媒体を越えて、わたしたちは影響されあっている。越えてきたものは、その都度、適切な語り口、適切な物語へとアダプテーションされていくわけですが、確固として変わらない部分もある。
そうしたなにかをつないでいくことこそが、読むという行為であり、作るという営為なのではないでしょうか。


補記:読めなかった参考作

冒頭部のインタビューでも触れられていたように、『未解決事件』では韓国人作家のキム・ヨンス(金衍洙)の「「젖지 않고 물에 들어가는 법(ゲーム中の日本語訳では「濡れずに水に入る方法」)」も直接の引用として出てきます。:「他人に理由もなく優しくしたとき、存在しなかった物が新たに作り出されて今までの人生のプロットが変わります」
この小説はキム・ヨンスが23年に出したばかりの短編集である『너무나 많은 여름이(「あまりにも多くの夏が」といったような意味らしい」)』に収録されている作品で、現状未邦訳であり、当然読めません。
どうもコロナ禍の状況が強く反映された作品集であるらしく、おなじくコロナ禍が思索の起点になったという『未解決事件』と通じるところがあるようです。
キム・ヨンス自体は日本でも近年の韓国文学ブームを受けて著書がものすごい勢いで訳されまくっているので*12そのうち、この短編集も出るといいなあ。

(クラゲネタはSOMIの娘がクラゲ大好きで「絶対ゲームに入れて」と頼まれたから入れたらしい)

ちなみに作者はこの記事で取り上げた作品以外にも引用やオマージュをたくさん仕込んでいると語っているのですが、それを発見するのはプレイヤーの楽しみのひとつであろうということで明かすのを我慢しているのだとか。そうしたものを探していったら、また『未解決事件』の読みのアングルも変わっていくのかもしれませんね。

*1:オタクはよくゴリランダーに進化します。気をつけましょう。

*2:なぜ"話題になった"かは各自ググって調べてください

*3:Google翻訳が韓国語ビタイチできない私を騙そうとしてしないかぎりにおいて

*4:逆説というより、もっと分かりやすい”逆転”ですね。「実は逆だったのだ」という構図が、いったいどれだけ連城作品の中に出てくることか。象徴的な意味での”逆”に限らず、もっとあからさまな”逆”がいっぱい!」(『連城三紀彦 レジェンド2 傑作ミステリー集』講談社文庫)

*5:p.389

*6:p.253

*7:『終わりの感覚』の劇中では、『歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信だ』はパトリック・ラグランジュというフランス人の言葉とされています。しかし、本書の訳者あとがきによれば、ラグランジュは作者ジュリアン・バーンズがでっちあげた人物の可能性が高い。「バーンズのミドルネームがパトリックであり、ラグランジュを英訳すればバーン(Lagrange→la grange→the barn=納屋)になるのだから、パトリック・ラグランジュジュリアン・バーンズ本人と考えて間違いあるまい。」

*8:エイドリアンのこと

*9:自殺した生徒

*10:成功している例は少ないですが

*11:「各」々が「自」分で「生」き残ることを「図」る、というような意味の韓国の熟語らしい。社会競争の熾烈さを伺わせる

*12:わたしは『世界の果て、彼女』くらいしか読めていませんが