名馬であれば馬のうち

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murashit 先生へのおたより:「メタフィクション表現の四分類についてのメモ」についてのメモ

【注意:今回の記事は私信みたいなものなので、知らない人が読んでもおもしろくない可能性があります】



murashit.hateblo.jp



👶 オギャーッ オギャーッ 


👶 フフフ……騙されたな


🐰 その泣き声は……わたしだ!!!


という茶番はともかく、murashit さん*1からのお便りが来たのではてな古来の作法である相互トラバで応答いたします。もともと「murashit 先生あたりが代わりに考えてくれねえかな……」とおもいながらつけたパートだったので、レスポンスいただけてサンキューなといった心持ち。*2

以下、自分の中でも固まっていないことが多く、わりと胡乱です。
返信といいますか、murashit さんのレスポンスを受けてつら考えたこと、くらいのテンションで笑覧いただければ幸いです。*3

1.emergent metafiction は 創発メタフィクションか問題

わたしも正直、四分類の訳語についてはそこまで真剣に考えていたわけでなく、辞書の言葉を機会的にあてたにすぎなかったのですが、これはよくなかったですね。イェスパー・ユールの『ハーフリアル』で emergent gameplay を「創発型ゲームプレイ」*4と訳していたこともありますし、ゲームの話の文脈で軽々に使うべきではありませんでした。
コックスの詳しい意図はわかりません*5が、四分類の文脈で和訳するならもうちょっと別の語、いっそ四分類すべてを意訳しても良かったかなとは思います。

2.Internal metafiction(内的なメタフィクション)はメタフィクションとして扱うべきかどうか問題

「物語世界を拡張する」ものでない表現が「(受け手は?)メタフィクションと認識しない」ことについては基本的には賛同でき、その意味で「こんなことが起こるなんて、まるで漫画の世界じゃん!」の例えをメタフィクションではないとするのはただしいかとおもいます(ただ「物語世界の拡張」については自分と murashit さんで多分違うこといってる。詳しくは3で。)。

「まるで漫画の世界じゃん!」という発言は、作品内の世界の枠組みをゆるがせるものでないと同時に、作品内の世界でよどみなく処理できるたぐいのものだからです。私たちも現実世界でそういうことはいうのだし。
四分類記事を書いたジェイムズ・コックス(ところできみのことはこれからジェイムズと呼んでいいかい? ありがとう!)が例として出している
「この世界が実はゲームで、自分達はヒーローにただ殺されるのを待っているNPCだと感じたことはないか?」というのもちょっと分析的になっただけで言ってるノリとしては「まるで漫画の世界じゃん!」とさしてかわりません。
ただ、実例とだしている The Secret of Monkey Island*6 の動画(20秒程度)を見てみると、
www.youtube.com

主人公「今回のことを通じて学びを得たよ」
ヒロイン?「どういう学び?」
主人公「(選択肢)コンピュータ・ゲームに20ドル以上払うもんじゃないってね」
ヒロイン「え?」
主人公「ごめん、なんでこんなこと言ったのか自分でもわからない」

あきらかに作品内世界の「フィクション」としては一時的な断絶が生じています。これはプレイヤーが能動的にそうした選択肢を選ぶという行為を含んでいるからでもあるでしょう。

また、同じく例に出されているメタルギア2では、最終的には物語内部で回収されるとはいえ、それだけでは意味不明で唐突な「ゲームの電源を切れ」とか別のメタルギアシリーズに関する言及が頻出します。

おそらくジェイムズ的には発言される文脈*7が大事なのでしょう。

as it never fully breaches the fourth wall でおそらく重要なのは never "fully" breaches の部分で、完全に第四の壁を破壊するものではないにしても、ある程度は揺らいでいる。その一時的なハレーションにプレイヤーは「メタさ」を感じるわけで、結果的にはくすぐりに終わるとしても、「物語世界は拡張されている」のではないでしょうか。おまえもそう言いたいんだよな、ジェイムズ? 違ったらすまない。

3.External Metafiction(外的なメタフィクション

ところが、murashit さんのおっしゃっている「フィクションの内部の理解としてはあくまで『意味わかんないもの』なんですよね。物語世界が拡張されていない。」というところにわれわれの認識のズレがおそらくあって、もしかして murashit さんの仰る「物語世界が拡張される」というのはあくまで物語内の世界が地続きに拡大していく*8ということ?
「あきらかにフィクション外を参照しているのだとオーディエンスにとってはわかる、けれども物語世界の意味理解としては関係ない状況……」とおっしゃってるし、そういうことか。
うーん、だとしたら、さっきのわたしの2での応答は応答になっていないことになりますね。

わたしはキャラクター主観の意味や認識においては断絶していたり不可視であったとしては、プレイヤーには視えるものはそこにある、という立場です。幽霊みたいなもんですかね。この幽霊は街の住民たちの生活や物語関係なかろうが、視えるひとには無視できず、そこに在って、意識に作用している。そういうものはメタフィクションの表現にふれるではないか、と思います。これは多分わたしがメタフィクションにかぎらずあらゆる表現において、「異質さ」に惹かれているせいもあるでしょう。
だから究極的にはキャラクターがどう受け取ろうが、それはあまり関係のない。結局、世界を解釈しているのはプレイヤーなわけですから。*92もそういう話です。
ジェイムズはどう思ってるかって? 知らねえな、そんな男は……。


ジェイムズに関してひとつ言えるのは、タイトルが“The Four Types of Metafiction in Videogames”で文中でも“the kinds of metafiction that games can possess.”とも言われており、メタフィクションをジャンルではなく表現技法として用いているところだとおもいます。*10
だから、Internal metafiction や External Metafiction のように多くが一時的かつ可逆的な表現だったとしても彼にとってはメタフィクションに該当するのではないでしょうか。

だから、「過去改変SF*11において現代のインターネットミームがネタとして出された』ようなケースを考えたとき、それを「メタフィクション」として見るのか? 」といわれれば、これまで述べきたように、文脈として受け手にハレーションを引きおこすのであれば、「メタフィクション」なのでしょう。
もっと厳密にいうなら「メタフィクション的な表現」であって、作品全体としての「メタフィクションっぽさ」とは異なるのだとは思います。

個人的には(やはりジェイムズがどうなのかは知りませんが)、それが表現を指すものであるかぎり、「メタフィクション」がいくら増えてもあまり困らない。作品全体のジャンル性の話として用いる場合は若干困ることもあるのかな、と思いますが、そこは現状ただでさえゲームにおいてはバズワードと化している感もあり、もう手遅れな気もする。

手広く受ける立場をとると「単なる入れ子構造や自己言及」もメタフィクションにとして捉えがちになってしまうとは思います。
まあでもこのへんは自分でもなにか違うだろみたいな感覚があるのが正直なところです。実はストフィクに載せた記事からブログへ流し込むにあたって、いくつかタイトルを減らしていて、再帰型パズルのPatrick’s Parabox なんかがそう。再帰型パズルの分野は見ていて破壊的でおもしろく、メタフィクション的な官能があるのですが、言語化するときにそれがメタフィクションに一致するかというと微妙なところがある。Patrick’s Parabox再帰性はあくまで作品世界内におさまる範囲*12なので、削る決断は簡単にできたのですが、じゃあこれが作品外まで波及していったときにどう扱っていたかはどうなるんだろう。このへんまだよくわかっていません。
BABA IS YOU なんかもたしか削った組ですが、やはりどう扱うべきなのか微妙なところ。

4.チュートリアルやゲーム内での指示について

リスト記事で「信仰の体系」ではないかといったのは、基本的には「『解釈を止めている』なんじゃないかな」とおなじようなつもりだったんではないかと思います。

まあここからは多分に余談になるのですが、

「信仰の体系」ということばを使ったのはバーナード・ペロンの「プレイヤー」と「ゲーマー」の二分類*13が念頭にあります。
「プレイヤー」とは単純に娯楽目的で(特段ゲームでなくてもよいが)ゲームを楽しむ人たちで、「ゲーマー」とは明示されている条件に従ってゲームをクリアすることを明確に意図してプレイに取り組む人々を指す。後者は没入のために訓練されたひとびとであり、本来なら「ちょっと待ておかしいやろ」と立ち止まって考えるようなゲーム特有の慣習をリアリティを受け入れることのできるような信仰の体系を有した人々なのだ、と。*14
よくいわれるコールリッジの suspension of disbelief *15 のゲーム版メカニズム解説みたいなもんかしら?
実際にそんな二分類が正当かは疑わしいのですが、しかし「チュートリアルやゲーム内での指示はメタフィクションに含まない」とするジェイムズも似たような話をしています。
要するにゲームにしろ映画にしろ小説にしろ現実からすると「不自然」な部分はあるのだが、受け手はそれらのルールを知っているから「自然」に受け入れられるのだと。
そこから、ゲームのフォーマットは小説や映画のようにそこまで汎用的ではないから個別にルールをインストールする必要があるのだけれど、それはあくまで最初や序盤だけで、ゲームが進行するにつれて徐々に廃されていく。だからこれらは本来ゲームに含まれないものなのだから(四分類のいずれかに該当する形で発されているとしても?)メタフィクション表現に含むのをやめろ、と。

ジェイムズの言うことは事前に説明書を読むことが前提だった旧世代のプレイヤー的なとこがある気がします。
というのも今どきのチュートリアルはゲーム内の物語レベル*16に組み込まれている事が多い。そう簡単に物語世界から切り離せない。*17

そもそもゲームがルールとフィクションの融合であるならば、ルールはルールだよと簡単に切り離せないはずで、ルールの説明や指示が作品内部(特に近年は)に存在することの特殊性をもっとよくジェイムズは考えるべきではないでしょうか。わたしもそこまでよく考えてはいませんが。

こうした話をするときにわたしが思い出すのは、いわゆる異世界転生ものの小説やマンガのことです。ああしたジャンルでは、転生した主人公が(主人公にしか認識でない形で)物語世界内にポップするステータス画面やシステム画面を見る。主人公はそうした画面にシームレスに干渉して、世界に影響を及ぼすことができる。ゲーム的な感覚といいますか、ゲームそのものです。
ジェイムズが弁別したがっている異なる二つのレイヤーが、そこでは同じ屋根の下に現れているのです。
こうした世界観はすくなからず、ゲームプレイヤーのゲーム世界に対する感覚と重なっているのではないかと思います。
つまり、ステータス画面やシステム画面も世界の一部ではないか、ということです。
とはいっても別メディアに翻訳されたものと、ゲーム内に現れてくるものではやはり違うのではないかという気もするので、そのへんはまだ保留中ではありますが……。

*1:常日頃から「インターネットを殺して俺も死ぬ」と繰り返し予告していたところに、先日ついに twitter を破壊して、野望に一歩近づいたことで有名。

*2:自分自身が『ストレンジ・フィクションズ』で記事を立てるときに早期に深掘りをやめてしまったので、今回反応いただけたことで2mmくらいは進めることができた気がします

*3:わたしはそこまでフィクション論などを掘っていないのであんまり前提が共有しきれないところもあるでしょうし

*4:そして、emergence を創発

*5:ホイジンガのマジック・サークル概念を引っ張ってきたり、ルールとフィクションの枠組みでゲームを理解しているあたり、ユールを前提にしていそうな気もします

*6:私は未プレイです。最近、リマスター版が出て評判がよかったので、ポイント&クリックの元祖というのもあり、買って積んでます

*7:「これは situational irony(状況を皮肉る?)ために使われることが多い」という一文があることからしても

*8:たとえば、キャラが「この世界は作られたもの」だと気づいてそれが物語や行動[クリエイターやプレイヤーへの復讐だったり]にも反映されていく

*9:佐々木敦のパラフィクション論も読者への働きかけなのだみたいなスタンスだった気がするけど、ほぼ内容忘却してる

*10:ここは実はわたしが悪くて、あのメタフィクション紹介記事ではあきらかに作品全体そのもののジャンル性を指すものとして使っている。

*11:キャラが主体的に過去を改変していくタイムリープ的なやつを指しているのか、いわゆる改変歴史ものを指しているのか判然としないので、とりあえず後者で話をススメますが

*12:クリアしていないので最終的には作品世界を飛び出していたのかもしれない

*13:”From Gamers to Players and Gameplayers: the Example of Interactive movies” だったはずですが、今自分は読めないので正確に思い出せているかはわかりません

*14:ただしい理解かはわからないけれど、『ゲームの美学』の第七章で出てくるサールの「制度的事実」も似たようなもんかもしんない

*15:https://artscape.jp/artword/index.php/不信の宙づり

*16:「ナラティブ」という言葉が嫌いでないならそういう表現でもない

*17:物語の語りに完全に溶け込ませている場合と、物語と並行しながらも物語とは関係なくインストラクションが表示される場合があり、このへん一概にはくくれないのですが