名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


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わたしたちは思った以上にゾンビなんだ。ーー『デッド・ドント・ダイ』について

 気がふさぐと、いつもゾンビどものせいにするんだから。
 ーー『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

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 大量消費主義の問題、ロメロの映画に織り込まれている問題は悪化しているだけだ。何も変わっちゃいない。僕たちは彼の映画で警告されていたことのせいで危機に陥っている。
 ーージム・ジャームッシュ*1

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 いまさら劇中で「ゾンビとは消費社会のメタファーである」とドヤ顔で指摘されたところであまりにもあたりまえすぎて気恥ずかしさすらおぼえるのだけれど、『デッド・ドント・ダイ』は、ジム・ジャームッシュの生まれ持ったリズムが、奇跡的にか運命的にか、ゾンビ映画のフォーマットにマッチしていてある程度まで救われている。
 

 本作におけるゾンビ発生のきっかけは環境破壊だ。北極だか南極だかでのフラッキング*2により地球の地軸が狂い、(たぶん)そのせいでアメリカじゅうの死者がよみがえる事態となる。
 人口七百人ちょっとの小さな町、センターヴィルも例外ではなく、アダム・ドライバービル・マーレイの警官コンビや日本刀を振り回す葬儀屋のティルダ・スウィントンなどがゾンビたちと対決するはめに陥る。


 未曾有の異常事態にあってアダム・ドライバーは終始無表情に淡々と職務をこなす。マチェーテを片手にマイナーリーグ仕込みのスイングでゾンビどもを屠りまくり、ゾンビに殺された死体を見つけたらゾンビ化を防ぐために躊躇なく首をはねすらする。
 そんなドライバーの態度に相棒であるビル・マーレイは「なんでそんなに落ち着いていられるんだ!」とキレる*3のだけれど、対してドライバーは「だってジムの渡してくれた脚本を全部読んだから、何が起こるか全部知っている。結末も」とメタ丸出しの返答をする。マーレイも「俺が読んだのは俺のパートだけだったよ」とぼやく。


 一見すると、つまらないメタギャグだ。けれど、「気候問題のメタファーとしてのゾンビ」と結びつけたならば、少し意味合いも変わってくるだろう。
 2020年現在、このまま欲望ドリヴンで消費文明を継続させていけば地球がやがてぶっ壊れてしまうことは、誰もが知っている。わたしたちはわたしたちの物語のオチをわかっているのだ。
 絶滅を免れたいならなにか行動を起こすべきなのだが、アダム・ドライバーであるところのわれわれには抗う気力が起きない。なにせ回りは物質主義のゾンビばかりなのだ*4。多少彼らをぶち殺したところで悲惨な結末に影響はない。
 しょせん自分は一介の取るに足らない個人でしかなく、結末は変わらない。そのような無力感が彼を無気力に、スクリプトに流されるだけの人間にしてしまう。*5ジム・ジャームッシュが尊敬しているというグレタ・トゥンベリなどとは対照的な人物といえるだろう。
 その一方で、「自分の出ている場面しか読まない」ビル・マーレイのような人間もいる。この種の人間はなぜ世界が滅びるかも把握しえないまま死んでいく。
 ドライバーとマーレイのコンビは今日滅びつつある人類の代表でもあるのだ。
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』に見られた永遠の倦怠としてのスロウでトボけたテンポは、本作では予感された不可避の滅びとして踏まれている。

 
 唯一、そのテンポと「脚本」から外れるキャラもいる。ティルダ・スウィントン演じる葬儀屋のゼルダだ。『ゴースト・ドッグ』の殺し屋よろしく日本のゼンに通じた凄腕の剣士であるスウィントンは、おろおろするばかりの町民たちを尻目に一人だけアクション映画ばりに刀を振り回してゾンビたちを鏖殺し、やがて「脚本」にない行動を取る。
 しかし、彼女が人類救済の希望であるかといえばそうではないわけで、ここにもジム・ジャームッシュの諦念(とある種のエリーティズム)がにおう。
 とはいえ、別にジャームッシュの映画を見て人類や地球の未来に希望を抱こうとはおもわないのだし、まあこれはこれで楽しく観られる。なんとなれば、映画だってマテリアリズムや消費文明のうちなのだし……。

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(字幕版)

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(字幕版)

  • 発売日: 2014/06/18
  • メディア: Prime Video

*1:http://indietokyo.com/?p=11872

*2:天然ガスや石油を採掘するために用いられる水圧式の破砕法。水質汚染の原因として世界各地で問題視されている。

*3:といっても落ち着き具合ではビル・マーレイもたいがいであって、劇中でパニック映画っぽく取り乱すのは婦人警官のクロエ・セヴィニーくらいだと言ってもいい

*4:生前の消費行動に執着するゾンビたちの姿は清々しいほどになんのひねりもなくロメロのゾンビ像をなぞっている。

*5:人によっては「冷笑的」と評するだろう。個人的にはこのタームが嫌いだ。世界における諸問題を真剣に考えたとき、一度は誰しも絶望と諦念の罠に陥らざるを得ないのだし、それを「行動しない人間以外は無価値」と糾弾するのは彼らにさらなる無力感を植え付ける行為であるから。