名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


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文字と声と亡霊たちの天国――『ディスコ・エリジウム ザ・ファイナル・カット』について


「けど、”ディスコ”・エリジウムでしょ……。おかしくないかしら? ディスコは過去のもの、忘れられたものでしょう?」
「過去は未来だが、未来は死んでいる!」


 ――『ディスコ・エリジウム




 『ベイビー、あんたが探してんのは結局あんた自身なのよ』


 ――舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』(新潮文庫


 Disco Elysium の感想を書くなんてことは不可能だ。なぜなら、それは概観して全貌を捉えようにも分裂しすぎていて、要素へ分解しようにも継ぎ目がなさすぎる。*1そもそも世界の感触をことばで伝えるなんて人間の技量を超えているのでは?
 なので、ここに書かれているのはプレイ中に発された声の残響だ。あなたのために用意された25番目のスキル。それがわたし。


知覚(聴覚)[中:成功]
   遠くでラジオが聴こえる。世界のラジオが。音が流れてくる。おはよう、エリジウム。もうすぐ世界に戻る時間だ。


 大脳辺縁系*2と古代爬虫類脳に苛まされる常闇から抜け出すと、あなたはホテルの一室ですっぱだかになって昏倒している四十代の髭面の中年男性だ。自分の名前もわからない。なぜそこにいるのかもわからない。今が何年の何月何日かもわからない。なにもわからない。自分がみじめであること以外は、なにひとつ。

これがあなた。どんなに泣いて拒もうが、暴れて嫌がろうが、これがあなた。


 あなたは部屋中に散らばった衣服をかきあつめ(なぜ窓が割れているのだろう?)、のろのろと部屋の外へ出る。その瞬間から三十時間に渡る洪水に見舞われる。文字と声の氾濫だ。
 もちろん人が喋る。あなたが話しかけたキャラクターは(あなたを嫌っている人物でさえ)みな饒舌に自分のことを語ってくれる。物も喋る。街中に散りばめられたオブジェクトは土地を語り、歴史を語っている。ときに比喩ではなく物が”喋り”、こちらへ語りかけてくることさえある。コンテナや郵便ボックスやネクタイとは仲良くしたほうがいい。

もちろん死体も喋る。「物言わぬ死体」なんて誰がいった?


 そして、なにより、あなたの脳の中の24のスキルたちがささやきかけてくる。「論理」が指針を構築し、「百科事典」が用語を解説し、「修辞学」が会話を助け、「演劇」が相手の嘘を見抜き、「概念化」が芸術を称揚し、「視覚計算」が捜査し、「意志力」が正気を保ち、「内陸帝国」が狂気へ突き落とし、「共感」がやさしくさせ、「権威」が脅し、「団結心」が拠り所となり、「暗示」が皮肉を効かせ、「耐久力」によって耐え、「痛覚閾値」が痛みを求め、「肉体装置」が暴力を求め、「電気化学」が快楽を求め、「悪寒」があらゆる情景を描き出し、「薄明」があらゆる不安をほじくりだし、「手と眼の協調」が工作し、「知覚」が読み取り、「反応速度」は即応し、「才覚」が自由市場原理を唱え、「手さばき」が盗み、「平静」は二十四時間いつでも平静だ。これらの声は単にTRPG的なダイスロールによる成功判定に用いられるだけでなく、あなたの頭のなかで常時がなりたてたりケンカしたり議論したり一致団結したりする。
 頭のなかに24の人格がいる状態、と聞いて、あなたはもしかして自分が狂ってしまったのかと心配するのかもしれない。安心してほしい。その懸念は当たっている。
 ありとあらゆる声が文字となり、一つの小さな区画に閉じ込められている。Disco Elysium とはそういうゲームだ。


概念化 -
   ゲームだと? ゲーム? これが? ゲームというのはもっと……


 そう、あなたは(FGOを抜きにすれば)2020年代ビデオゲームとしては考えられないほどのテキスト量に呑み込まれる。ようこそ、エリジウムへ。ひとつのゲームとしてはもちろん、あるいは小説としてさえ異常な文字数だ。英語にして120万ワード弱*3。量だけでいえば、これを超える文学作品はマルセル・プルーストの『失われた時を求めて*4くらいしか存在しない。ピンチョンもトルストイもギャディスもトールキンドストエフスキーもスターンもGRRマーティン(電気化学:「早く続きを出せ!」)も、Disco Elysium に比べたらどんなに長い作品でも半分ほどの量しかない。
 あなたは目覚めたばかりのねぼけた頭でこう反発するだろう。
 量が問題なのか? 物語の質とは量なのか?
 そうだ。少なくともこの場合は、量だ。
 今話しているのはひとつの物語についてではない。必要最小限の手数で最大限の快楽を得られるようなハンディなドラッグについて話しているのではない。世界を作るために、あなたに世界がここに在るのだと錯覚させるために必要な物量について話している。

踊る大捜査線


 文字を読むこと。とにかく膨大な記述を眼で追うこと。それは書物時代の儀式であり、リュミエール以降には避けるべきとされる忌まわしい行為だった。21世紀のひとびとはアクションにしか興味をもたない。なるべく喋るな、なるべく書くな、語るな、見せろ、猫を守れ。
 そうしてメガノヴェル的なパラノイアは前世紀へと駆逐され*5、わたしたちは聖堂のように静かなスクリーンを慎み深く眺める禁欲的な消費者になった。
 Disco Elysium はその逆をいく。世界を文字で溢れさせている。そして、決定版となる現行の Final Cut バージョンではその文字に(声として発されるべきものについては)すべてボイスが吹き込まれている。
 文字も声も語るためのツールだ。それらは何を語っているのだろう。物語? 半分は正解だ。しかし人は物語には感動はしても崇めはしない。わたしたちが畏敬を抱く対象は世界そのものだけだ。そして、わたしたちは世界を広大さによって知覚する。果てのない感覚。果てにはまだその先の果ての果てへの期待。未視感。驚異。憧れ。
 それはしかし本来は”画”に媒介される感覚だ。文字に表現できる範囲は、非合理なまでに狭い。だが、文字という不便で不器用な方法の積み重ねによってでしか表現しえない領域がある。記憶と過去がそれだ。


百科事典
   ボルヘスはかつてこう言った。書物は記憶と想像力が拡大延長されたものだ、と……。*6 ついでに、こうも言った。書物は残されているが、死んでいる、と。


平静[失敗:やや難しい]
   それは言っていない。


 Disco Elysium の舞台となるのはレヴァショール*7という架空の都市の一区画であるマルティネ―ズだ。フランス革命ロシア革命が同時に起こったような騒乱で一度は共産主義政権が樹立されたものの、《連合》と呼ばれる資本主義者の外圧によって粉砕された。以降はどの警察の管区にも属さない、政治的社会的空隙のような一劃になっている。1910年代と30年代と70年代と2020年代のそれぞれの挫折をミックスしてかき回したような終末の感覚。夢見られていた理想は王政時代の立像の下に埋葬されてしまった。
 革命も熱狂もとうに冷えている。そこに住むのは打ち捨てられた人々だ。誰もかれも貧しく、絶望している。12歳の少年はヤク中の父親に虐待されて家を飛び出し、連日木から吊るされた死体に石を投げている。公的機関に替わって街を取り仕切る労働組合は腐敗しきっており、過激な人種主義グループと結託してさえいる。時代に取り残され、誰からも必要とされなくなった老人ふたりは肩を寄せ合うようにして毎日街の片隅でペタンクに明け暮れる。
 街自体も寂れきっている。鈍色の建物や銅像が雪に埋もれ、なにかが芽吹く気配を微塵も感じさせない。その中心にあるのが呪われた集合商業施設で、そこに入ったテナントはたちまちに潰れてしまうと噂される。
 ゲームを開始して三十分であなたは理解する。壊れてしまっているのはあなただけではない。この街もだ。


薄明
   ここもだ。

金持ちすぎて光(空間)を捻じ曲げるおとこ。大好き。来賀友志がSF作家だったらこういうキャラを考えていたかもしれない。


 そうした壊れ果てた街と人々からあなたは世界と人々についての過去を掘り返す。あるいは思い出す。忘れないでほしい、意味不明な単語や歴史を教えてくれる「百科事典」スキルも元はあなたの脳に宿っている。
 そうしてあなたの人格も思い出されていく。しかし注意してほしいのだけれど、思い出されていく自分自身の人格とは、ゲームプレイ上では作り出されるものでもある。あなたは社会主義理論の信奉者だったかもしれない。ハードコア美学の理解者だったのかもしれない。ネオリベも裸足で逃げ出すウルトラリベラリストだったのかもしれない。極めて複雑で奇々怪々な人種差別理論をインプットしたファシストだったのかもしれない。自身のセクシュアリティから”解放”された人だったのかもしれない。すばらしい量のクソを勢いよくぶちまける肛門の持ち主だったのかもしれない。あらゆる物質を変形破壊することで次の創造の形を導く対オブジェクト部隊員だったのかもしれない。コル・ド・ド・ダクアの声を聞くために全身の皮膚を聴覚器官と化した黄金の耳の持ち主だったのかもしれない。共産主義の0.000%を実現して”真実”の学位を取得し今、共産主義を立ち上げるのではなく、二枚舌のグロテスクなこの世界の正確なモデルを確立しようとしている本物の共産主義者だったかもしれない。これらすべてであった可能性もある。どれでもなかった可能性もある。

ここでのあなたは熱烈な共産主義者であり、レイシストであり、ほとんど浮浪者であり、黙示録の到来を予感させるスーパースター刑事だ


 あなたはゲームプレイを通じてあなたという人格を作り出していく/思い出していく。*8注意してほしい。あなたが取り戻していくのは、自分が「どういうふうに壊れていた」のかということだ。そう、「壊れていた」という事実だけは動かしがたい。マルティネ―ズという街がそうであるように。
 なんでも言おう。大量のテキストが要るのだ。それは自動的にあなたの網膜に流し込まれていく文章ではない。あなたが自分で選び、鯨飲せねばらない。破滅的な飲酒を行うようにして、あなたは進んでテキストに酔い、テキストに呑まれていく。*9
 そう、望むのなら、あなたは自分がアルコール中毒者だったということにもできる。


内陸帝国
   あなたさまはここで、是が非でもカラオケをしなければなりません。このような機会は滅多にないのですから。内に秘めたその感情を表現なさるべきです。あなたの海にように広大なお心を、皆に広く知らしめるべきです。


 だからこそ、*10Disco Elysium はハードボイルド刑事小説のとらねばらなかった。昏倒から始まり、歩行と聞き取りによって街と人の(忌まわしい)記憶を呼び起こすには、これ以上ふさわしいジャンルはない。
 単にメインのストーリーとその道具立てだけをなぞるなら、本作はシンプルで古典的で明快だ。名も無き死体、ファム・ファタル労働組合と企業の対立、スト破り、酔いどれ刑事、戦争の記憶、みなしごたち、人種差別、スラムの再開発、陰謀、地下の同性愛者たち、素手の殴り合い、男たちの友愛、消えた銃、共産主義、行方不明者たち……そういうものがハメットの『血の収穫』風の勢力間衝突とチャンドラー好みの”男と女の物語”を通して*11語られていく。懐かしさすらおぼえるかもしれない。
 そのシンプルな物語が、それまで呑んできた(一見本筋とは関係ない)テキストと記憶によってたまらなくオリジナルな体験になる。
 つまるところ、Disco Elysium は難解なゲームではない。たしかに複雑な歴史が描かれているし、現実とは異なるテクノロジー(ラジオ通信によるインターネット!)や明らかにSF的な設定(〈識域〉と呼ばれる謎の空間物質)に満ちている。しかし、それらは全く未知というわけでもないし、理解不能というわけでもない。ただ、膨大なのだ。そして、広大なのだ。世界のように。世界そのもののように。わたしたちの脳みそが処理しきれないレベルで。
 もちろん、「広い」ゲームはいくらでもある。「豊かな」ゲームも無数にある。世界を語るために散りばめられたロアにしたって、最近の大作オープンワールドRPGなら当然のように具わっている。*12しかしそうしたゲームにおいて世界は視られ、触れられるべきものだ。Disco Elysium での世界とは、読まれ、聴かれるべきものだ。


柳田國男
   つまり、セックスってことやね。

折口信夫
   今回は違うと思います。


 だから、あなたも聴くだろう。読むだろう。思い出すだろう。
 過去からやってきた未来の天国。
 グルーヴィでディスコなエリジウム







*1:本作の世界観、ゲームプレイ、設定、人物、背景知識、レファレンス元などを知りたければ、ゲームメディアの doope! の特集連載を読めば大体足りる。プレイ前に概要を掴みたいならここを読もう。https://doope.jp/2022/06127832.html

*2:「記憶は海馬でコード化され、大脳真皮質に貯蔵され、前頭―辺緑系のメカニズムによって取り出される」『意識はどこから生まれてくるのか』マーク・ソームズ、岸本寛史&佐渡忠洋・訳

*3:https://doope.jp/2022/07128131.html

*4:英訳版は約126万ワードとされる

*5:メガノヴェル自体は前世紀的ではないやりかたで今も生まれ続けている。https://www.esquire.com/entertainment/books/a40828532/adam-levin-mount-chicago-maximalist-novel/?fbclid=IwAR2xowm6yCab6cV-9hTGRKdzWmXAaUhhi8GF8rbNHTV7eQSRmhuEaLmuaeM

*6:『語るボルヘス 書物・不死性・時間ほか』ホルヘ・ルイス・ボルヘス木村榮一・訳

*7:Ravachol 間違いなく19世紀にレストランを爆破してギロチンにかけられた元墓泥棒のアナキスト、フランシス・ラヴァショルに由来している

*8:もしかしたらあらゆる”ロールプレイ”をしつつもどの”ロールプレイ”にもならないことがこのロールプレイングゲームの核心なのかもしれない

*9:公平を期すなら Disco Elysium こそ要所要所でのビジュアライズが卓越した作品であることは言明しておかねばならない。それを認めることがこの記事の記述の大半に反することになってもだ。特にブランコのシーンやあの”虫”が登場する瞬間の美しさといったら……

*10:「歩くことは読むことである」というクリシェと化したレベッカ・ソルニットの名言を引くまでもなく

*11:そして驚嘆すべきことに、2020年代的なバランス感覚で

*12:直接の参照元となった Planescape 以外にも本作に多大な影響を与えたcRPGの伝統も見逃していけないだろう。その伝統が他国より強大だったエストニアのゲーム文化という背景も。そこのあたりは前述の doope! の特集記事に詳しい。