名馬であれば馬のうち

読書、映画、その他。


読書、映画、その他。


圧 vs 子どもたち――『たまご他五篇 光用千春作品集』



 きちんとしないと
 きちんとするのが
 普通。


 きちんとしたら
 きちんとしないのが
 普通。


(中略)


 どうしてみんな
 どこで教わるの。


 試験とかあったのかな
 普通認定試験。


 だとしたら私は
 教科書を
 もらい忘れたんだ。


  (本編より)



 月はその年の基準となる良い短編集が出る傾向があります。
 その短編集を読んでないことには一年間なにも読んでなかったのと同じという短編集が。
 2020年のそれはこれ。
 光用千春の『たまご他五篇 光用千春作品集』です。


概要



 ひとは誰しも外部から圧をかけられながら生きていて、その外部とは社会一般だったり職場だったり家族だったり友だちだったりします。
 それらの圧は(特定の誰かに起因していたとしても)顔のない圧であって基本対処しようがない。適応しつつ日々を生き延びていくしかないのが現実です。しかし、物語を噛ませればその圧の形を見定めることができるかもしれない。そういうのもフィクションの効用のひとつです。


 光用千春の第二単行本にして初の短編集となる『たまご他五篇 光用千春作品集』に出てくる圧は、どれもおそろしい。
事故死した両親に取り憑かれて娘を独支配する母親、空気の読めない天然な言動で妹をいたたまれない心地にする姉、同僚の愚痴のはけ口以外の人格をもたせてもらえない職場。そして、なによりそれらに対するストレスを吐き出せない、言語化できない、という状況。


 時にレゴブロックめいてさえいるシンプルな表情は、それぞれのキャラクターが抱えている感情の奔流を肚の底へ抑えこんでいるかのようなピリついた印象を読者に与えます。
 そして、その溜め込んだ感情が決壊しことばがあふれだし、かかっていた圧の輪郭が定まる。そこに生じるのは和解かもしれないし、そうでないかもしれない。
 とぼけているようで不穏、不穏なようでやさしい。光用千春はあまり語られていなかった領域を、マンガ独特の表現で征服した、間違いなく今最も注目すべき作家のひとりです。


f:id:Monomane:20200314165523p:plain
ことばの上では怜悧に状況を分析できる子どもでも、「大人としての力」を前にするとなすすべもない。こういう絶望をさらりと書くのが巧み。

個別論



 白眉を挙げるとするならば、やはり「エリコとカナコ」と「星に願いを」の、いわゆる”毒親もの”の二篇でしょうか。


「エリコとカナコ」で描かれるのは40才のシングルマザー・エリコと、11才の一人娘カナコ。
 エリコはちょっと善意が過剰なひとというか、自分の「善」を他人にところかまわず押し付けがちで、特に娘に対してはほとんど独善的といってもいいような態度でコントロールしようとします。*1


 エリコの強迫観念の出どころは死んだ実の両親。彼女は定期的にカナコを連れて両親の墓参りに訪れ、自分の近況やカナコの成長を墓前に(あたかもそこに両親がいるかのように)報告します。
 その行事が娘のカナコにはいやでたまらない。エリコはいまだに「エリコの両親の子ども」としてふるまいつづけていて、「カナコの親」ではないのです。
カナコと親子関係を築けそうなのは実の父親くらいですが、彼は彼で再婚して新しい家庭を持っており、早熟なカナコ*2は遠慮して甘えられません。
それでもカナコは勇気を振り絞って父親にワンピースをねだって買ってもらいます。ところがそれをエリコに見つかって……というお話。
親は親で親である以前には個人であり、もっと前には子どもだったんだよな、ということをエモ一辺倒でなくクールにいなす態度がユニークな逸品です。
クライマックスでの魔法的な演出*3もよく効いている。


「星に願いを」の主人公ミツル(9才)はもうちょっとモロに母親のアリサから虐待を受けています。エリコ同様に社会的に成功したシングルマザーであるミツルの母親は、男性トラブルが生じるたびに無茶ないいがかりをつけて、息子を物置部屋に閉じ込めます。
 大人びたミツルは物置にロックアウトされても慣れたもので、母親の激情が落ち着くまで、泣きもわめきもせずいにやりすごします。
 ところが翌朝、母親が物置のドアにつっかえ棒をしたまま出ていってしまった。途方に暮れかけるミツルでしたが、そこにある青年が現れ、つっかえ棒を外して彼を助け出します。それをきっかけとして、ミツルの母親の運転手兼雑用係、そしておそらくは新しい愛人である青年、菊池とミツルとのささやかな交流が始まります。


f:id:Monomane:20200314165423p:plain
キャプション。短編集中でもトップクラスに簡素化された顔つきのミツルくん。この顔がもたらす温度が光用作品最大の特徴といってもいい。


 あるトラウマから若さを追い求め、派手な装いで男をとっかえひっかえし、子どもにも自分を「アリサさん」と呼ばせ、恋人がマンションに来る時は「部屋に閉じこもっているように」と命じる母親の世界には、自分の息子は含まれていません。
 劇中、物置部屋に閉じ込めることで母親は息子を「なかったこと」にしたかったのだと悟ったミツルは、つとめて冷静な口調で「アリサさんは自分のなかの『おかあさん』をなかったことにしたかったんじゃないの」と看破し、こう呼びかけます。
「お母さん、お母さん、どこに閉じこめられちゃってるの」


 誰かを閉じ込めている人もまた、過去に閉じ込められて泣いている。そんな普遍的な悲劇にどう嘘なく、しかし希望のある未来を示せるか。
 ヘビーなテーマをソフトにくるんだ短編集です。

コスモス (CUE COMICS)

コスモス (CUE COMICS)

  • 作者:光用 千春
  • 発売日: 2019/04/07
  • メディア: コミック
作者のデビュー単行本。こちらも親子を描いた作品。

*1:エリコのキャラクタの説明を冒頭二ページですませて、さらに墓参りのシーンで異質さを爆上げする上手さはすさまじい。

*2:デビュー長編の『コスモス』もそうですが、光用作品の子どもたちは概して大人っぽい、という大人よりも優秀で冷静な観察眼を持っています

*3:高野文子の「田辺のつる」を思い出しました