名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


2023年に第一巻が発売された新作まんがのベスト20選+α


ランキング雑誌を信じてはいけない。
集合していると称しつつ少人数の博識に頼っているwikiの知性を信じてはいけない。不完全なアグリゲーションを信じてはいけない。metacritic を、Amazonレビューを、あなたの神を信じてはいけない。
自分自身に祈りなさい。
わたしはあなたに真理をシェアするでしょう。ハチワレが、そうなされたように。

[ちいかわ書:第八章:第二十四節〜第二十七節]

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【レギュレーション】

・2023年内に第一巻が発売された日本語(翻訳含)作品。
・短編集、初めから短期での連載が決まっていた単発長編などは含まない(これらについては別個に記事を立てます)
・2023年内に第一巻が発売され年内に完結した作品については除外し、別の記事(【五巻以内に完結したマンガ】)に回す。
・基本的に電子版の出ている本のみ。
・同人誌・自費出版は含まない。


【20選】

まとめて眺めてみるに、うそつきの話が多くなりました。
好きなんですね、そういうの。秋津みたいに。




1.平井大橋『ダイヤモンドの功罪』(ヤングジャンプコミックス)

。いまさら説明はいらないでしょう。なんてったって、『このマンガがすごい! 2024』一位ですよ。ランキング雑誌ってやっぱ頼りになりますわ。

しかしまあ、冗談抜きに、これを褒めなかったらウソでしょう。

わたしは常日頃からワナビ(スポーツ選手含む)における才能格差を問題を扱った作品を十把一絡に「才能もの」*1と怠惰にくくっているのですが、光の才能ものの最高峰が『メダリスト』なら、闇の才能ものの最高峰はこちらといってもよいでしょう。
スポーツまんがにおける(特に初期値の時点での)天才は常人ならざる怪物として描かれがちです。天才がゆえに凡人とは異なるメンタルを持っているし、凡人とは異なるメンタルを持っているがゆえに天才なのだろう、と。それは読者にもわかりやすく、受け入れやすい造形です。たとえば、本作の主人公である綾瀬川の才能のスケール感(天才揃いのプロすらも大幅に超えた史上類のない天才)でいえば今一番近いのは将棋マンガ『龍と苺』の主人公・苺でしょうが、苺はモロにわかりやすく奇人です*2。『メダリスト』のライバル狼崎光もその名の通り、狼めいた少女として登場します。常識を超えた怪物であるからこそ、人は天才を仰ぎ見ることができる。天才の側もその特殊なメンタリティに守られている面がある。
本作は綾瀬川という天才に常人の、それもちょっと小心なまでのマインドを吹き込みました。*3「ふつうの人の心もわかる天才」というのは、通常の作劇であればいいヤツとして描かれるのでしょう。ですが才能が彼の善人性をはるかに凌駕してしまったとき、他人の人生や感情だけでなく、自分の人生や感情も狂わせてしまう。
世間一般的に、才能とは他人の気持ちを踏みにじってもよい権利と解される面もあります。すくなくとも、フィクションではそのように描かれがちです。ですが、仮に、踏みつける側にも憐れみの心があるとしたら? 大怪獣が足元の人間たちを踏みたくないと、傷つきながら前進しているとしたら?
そんな大怪獣がいたら、わたしたちはこう感じるはずです。この怪獣は狂っている、と。
つまるところ、天才が天才として振る舞うのは他人にとっても自分にとってもある種の安全装置なのです。天才と凡人の物語は「圧倒的に理解/到達不能な存在がいる」というその分断にあるのです。だからこそ、逆にその天才に届きうるかどうかのエピソードや天才にもちょっと人間味があるんですよみたいなエピソードが盛り上がる。天才の物語とは凡人を語るための道具でしかない。*4
『ダイヤモンドの功罪』はそれをひっくり返しました。もう安全地帯はどこにもありません。泣きわめきながら大怪獣が都市を破壊していくスペクタクル。そのあとに残る焼け野原。ああ、青春のストライク。ズバーンといかしたアイツだぜ。がんばれ がんばれ 綾瀬川 おまえは〜カ〜スや〜♪


2.ひの宙子『最果てのセレナード』(アフタヌーンコミックス)

共犯者。なんと甘犯、じゃなかった、甘美な響きでしょう。後ろ暗い秘密で結ばれたふたつの魂に、わたしたちは灯蛾のようについふらふらと惹かれてしまいます。『最果てのセレナード』はそんな愚かなわたしたちを食らってくれる救済の光です。
主人公の小田嶋律は若手雑誌編集者。彼女は中学卒業十周年を祝う同窓会の幹事から、無二の親友だった白石小夜の行方を訊ねられます。それをきっかけに甦る中学時代の小夜との記憶。いまや自分とも疎遠になってしまった小夜の名前をググると、ピアニストとして大成したという記事がヒットします。ちょうどそんな折、故郷の北海道で身元不明の白骨死体が発見されたというニュースが飛び込んできて……という話。

スリーピング・マーダーものであるため回想シーンが結構な割合を占めているのですけれど、これを利用したモチーフ遣いがすごい。本作ではピアノが重要なアイテムとして出てくるのですが、回想に入っていることを示すコマ外の黒塗り*5とあえて背景を省くコマの多用が白黒のコントラストをあざやかに際立たせていて、ああ、そういえばマンガもピアノも白と黒で構成されていたのだな、と発見を与えてくれます。途中で同一ページ内で、現代パートの間に回想パートが真ん中に一コマだけ挿入される、という箇所もあるのですが、これなんかもう完全に鍵盤のイメージ。そういう眼になると、もう黒塗りに細長いコマがいくつか乗っているだけでピアノに見えてしまう。おそろしいことです。北海道に積もる真っ白な雪も、そうした白黒の対比をいっそうヴィヴィッドに印象付けます。
ピアノそのものの描写もものすごくて、律が小夜のピアノを初めて聴かされるシーンでは、その音の感覚が白い泡のような、あるいは不定形の光の迸りのようなものとして描写されます。それが、次に小夜のピアノを聴く場面では、小夜は前回と違って「自由」でない状態で弾くのですが、非常に端正な楽譜の譜面として律には聴こえる。この違いが最初と二回目のふたりの心理状態の違いとその状況をめぐる異常さをえぐり出していて、しびれますね。
そうしたテクニカルなストーリーテリングがなんのためかといいますと、すべて律と小夜の濃密な関係に奉仕しているわけです。束縛の強い毒親と小夜との異常な関係、なんとか親友を解放したい律の想い、そのふたつが組み合わさった末のサスペンス。
たぶんドラマ化するするんじゃないかな。でも、実写じゃぜったいに不可能な表現がここにはあります。
ピアノといえば昨年はもうひとつ傑作があったのですが、それは短編集/単発長編を扱った別記事(予定)で。


3.大武政夫『女子高生除霊師アカネ』(ヤングジャンプコミックス)

大武政夫は去年三冊出ました。いずれも傑作です。読みましょう。とりわけ、『女子高生除霊師アカネ』は作家性の濃度においても傑出しています。
大武作品は「登場人物がウソや虚偽を強いられる状況に陥り、それを取り繕うためにウソを重ねていった結果最終的にとんでもない画にいきつく」といったエピソードが多いのですが、本作は設定からしてそれを突き詰めています。なんといっても、詐欺師の話ですからね。
インチキ除霊師である父親が有り金持持ち出してキャバ嬢と駆け落ちしてしまった高校生、アカネ。困り果てた彼女は窮余の策として除霊の仕事を継ぐことに。父親同様、当然、霊能力など持ち合わせていない彼女は時に口先三寸、時に友人らの助けを借り、綱渡りのインチキ除霊を敢行していきます。
除霊師とはいいながら、アカネの敵は例ではなく依頼者本人です。つまりは、「霊が出る」と思い込んでいる依頼者をどう納得させていくか、という、説得をめぐるミステリ劇であり、そこにはインチキなりのロジックがあります。場合によっては単に「霊は成仏した」と説明するだけではだめで、その霊が成仏に値する心境に至った、というシチュエーションを作り出さなければいけない。ここのあたりをクリシェに頼らず構築できるのが大武先生のセンスですね。
第一巻の白眉はなんといっても、テレビで人気のベテラン霊能力者(もちろんコイツもインチキ!)とのインチキ除霊バトル。上述した対人間の説得ゲームに加え、もうひとつ上のレイヤーでの説得ゲームも繰り広げられます。
昔から除霊師・霊媒師ものは多いですが、23年のインチキものとしてら『令和陰陽師』(吉田博嗣)もありました。こちらはややシリアス寄りでアカネとはまたテイストが異なります。


4.羽流木はない、篠月しのぶ『フツーと化け物』(ビームコミックス)

高校生の伊藤は他人との距離感がいまいちわからずクラスから浮いているぼっちちゃん。彼女は同じクラスメイトで、そんなに目立ちもせずにみんなとそこそこうまくやっている「ふつう」なポジションの高橋さんを羨んでいました。ところが、ある日、その高橋さんが異形の怪物と化してクラス担任を捕食している場面に遭遇してしまいます。興奮した伊藤さんはつい高橋さんに「友達になろう」と申し出ますが……というコメディ。
薄汚くした『女の園の星』こと『百合の園にも蠱はいる』で学園コメディの才覚を世に知らしめていた羽流木はないが、ついにハネました。
「ふつうの人間」に溶け込めない人間と、「ふつうの人間」を装える怪物とによる人間性ディスカッション。人間のフリをしている怪物というとそれ自体「『ふつう』の人間なんか実はいなくてみんなそのフリをしているだけ」というメタファーのようですが、フィクションの強みは寓意がそのまま現実の質量を持つことで、人食いの怪物はやはり人食いの怪物なんですね。長いこと浮世で暮らしてきたので人間味はそこそこあるのですが、ギリギリの部分でヒトとは決定的に違うところがある。この塩梅が第一巻時点では絶妙で、このあとどう転がっていくのか。楽しみです。
ところで、最近は「クラスメイトが実は人間じゃなかった(or 人間じゃなくなった)」系が多い気がしますね。二巻で終わってしまいましたがこちらもパワフルなまんがだった(別記事で扱います)『変身人間ちえ』、四季賞読切から連載にのしあがった異星人同士もの『ワレワレハ』(松枝穂積、未単行化)なんてのもありました。いま、去年コミックDaysにアップされた講談社系の新人賞系読切全部読むやつを1/3くらいまでやったんですが、その時点で読切版「ワレワレハ」を含めて二三作ある。*6以前からある類型とはいえ、近年はギャグのフックというよりはティーンの生きづらさや多様性*7を描くための土台として使われている印象です。ハートフル学園群像劇ものとともに、静かなブームとなりつつあるのでしょうか。


5.路田行『すずめくんの声』(MeDu Comics)

会社員の綿野ほのかは恋人のすずめくんと別れてからというもの、携帯に録音した彼の声を四六時中イヤフォンを通して聴いていた。そんなある日、会社ですずめくんに激似の声を持つ新入社員・高梨史に出会い、しかもその教育係を任されることに。性格などはすずめくんと全く似ても似つかない高梨だが、その声を聴いてどうしようもなくなったほのかは「付き合ってください」と土下座してしまう…という恋愛漫画
比較的シンプルめの絵柄ながら、とにかく表情の捉え方が豊かですばらしい。路田先生は、ある女性が飼っていた愛犬の魂の憑依した若い男と同棲する怪作ラブコメワンコそばにいる』や去年出た短編集『透明人間そとに出る』のようにわりとスーパーナチュラル要素強めの作風という印象だったのですが、本作ではそこらへんは抑えめ、わりとノーマル、でもキャラのどこかネジの外れたおかしさはそのままといったバランスでしょうか。
「別れた恋人とよく似た風貌の人間が〜」というシチュエーション自体は恋愛ものよくあるものですけれど*8、似ているのが声だけ、というのがまた絶妙で、ほのかは高梨が話しているだけで聞きほれてしまうんですよね。この高梨の声に耽溺するシーンがまたいい。高梨くん自体はいいひとなんですが、ほのかの執着は声にある。一方で、高梨とすずめくんは違うひとで、別人格として扱うべきだと重々わかっている。だから罪悪感に押し潰れさそうになって、どうしようもなくなる。いやそれでもしかし、もういい大人なのだからそこに割り切りをつけられる理性も働かせることができて、ほのかは泥沼をなんとか脱そうとして、成功しかける。成功しかけるのだが、そこは恋愛漫画なのだから当然障害が現れて……いやああ、すばらしい。恋愛漫画のなにがおもしろいって、人間が狂うからおもしろいんですよ。ほのかのほかにも高梨を始めとして出てくるキャラもみんなほどほどにどこかヘン*9で、ここらへんも作家の美点という気がします。


6.紫のあ『この恋を星には願わない』(it Comics)

昨年は強烈な迫力を有した百合まんがが世に多く出ました。『破滅の恋人』(郷本)、『アウトサイダーパラダイス』(涼川りん)、そしてこの『この恋を星には願わない』。
冬葵(ふゆき)と瑛莉(えり)は幼いころから大の仲良し。なにをするにもいっしょでした。冬葵のほうはひそかに瑛莉に対して恋心を抱いていたのですが、ある事情からそれをずっと胸に秘めて過ごしていました。ところが、冬葵の弟の京平が瑛莉に告白し、ふたりが付き合いはじめたことから睦まじかった冬葵と瑛莉の関係が歪みはじめていきます。
この歪ませかたが周到かつ緻密ですね。些細なすれ違いと躊躇いと臆病さがこまごまと焚べられていくうちに執着の炎を静かに強めていき、気がついたら相手も自分も火だるまになっている。なぜお互いのことを大事に思ってそのように行動しているはずなのに、結果的にふたりとも傷だらけになってしまっているのか。なぜ、言葉というのはあんなにも刺さったまま残り続けるのか。
線の細いフラジャイルな絵柄がこの話の重みに果たして耐えられるのか、読んでいてドキドキさせられます。キャラの笑顔ひとつが苛烈なまでにスリリングでサスペンスフル。
読者の心臓のどこをひっかけば良い悲鳴が出るか、本作ほど熟知している漫画もないでしょう。
百合というのは、つくづく、心臓の弱い読者には向かないジャンルです。


7.秦三子『だんドーン!』(モーニングコミックス)

ハコヅメ』連載開始当初、誰もが秦三子を見誤っていました。自身が職業警官であった経験をベースに、ちょっとキレのいいお仕事コメディを描ける、たしかに貴重ではあるけれどもよく『モーニング』が拾いそしてロクにめんどうもみないまま放り出していく、そんなスケッチ作家だとおもわれていました。『ハコヅメ』が完結*10したとき、もはやこの作家の本性を取り違える読者はいなくなりました。
芯まで凍りついたような冷たい人間観と驚くほど周到なプロットをギャグでくるんで人情に落とせる、そんな尋常でない技芸をこなせるナチュラルボーンストーリーテラーであることを秦先生は証明したのです。
さて、その資質がもっともよく輝くのはいかなるジャンルか。『モーニング』もまた先生の資質を見誤りませんでした。そう、陰謀劇です。
時はペリー来航で揺れる幕末、薩摩藩の藩主・島津斉彬の寵愛を受ける下っ端藩士川路利良は上意を受け、同僚の西郷隆盛とともに世継ぎ問題でバチバチにやりあっている幕府の政争の渦中へ放り込まれる……というお話。
主人公が川路利良というだけで山田風太郎ファンの血が騒ぎますが、それはさておき、スパイものとしての切れ味はすでにして超一級。
特に川路が敵方のスパイを二重スパイへと"籠絡"していく顛末はどんなエスピオナージュでも見たことのなかった微温的なイヤさに溢れており、まさに秦先生の真骨頂。
快活な好青年がたまたま人たらしの才能を具えていたがために他人を、ひいては時代をまるごと(しかも自覚しながら)狂わせていくさまはピカレスクロマンの風格さえ感じます。


8.田島列島『みちかとまり』(モーニングコミックス)

白状しましょう。わたしは田島列島の『水は海に向かって流れる』も『子どもはわかってあげない』もそこまで好きではありません。佳いまんがだとはおもいます。おもしろくは感じます。名作と評価を得ていることに関して不満はありません。しかし、どうしても「自分のまんが」のカゴにはいれられない。他人にとっては死ぬほどどうでもいい線引きでしょうが、ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ、その境界を踏みにじったらわたしはわたしでなくなってしまう。
しかし、作家は、ときにわたしをわたしでなくしてしまう力を持ちます。
『みちかとまり』。ジュブナイル日常怪奇ホラー、とくくってよいでしょうか。
8歳の少女まりは、ある日、たけやぶで寝転がっていたみちかという同い年くらいの女の子と出会います。近所のおばちゃんに引き取られたみちかはなんだか存在がふんわりとしていて学校にいかず、まりからすれば羨ましい自由を得ています。自分も学校に行きたくない……そんなまりのぼやきを聞いたみちかは「じゃあ、かわってみる?」と手を差し出してきます。その手をまりが握った途端、ふたりは入れ替わり……といった話。
現実とファンタジーの境を継ぎ目なく行き来する独特の浮遊感は、8歳である主人公の主観的な日常感覚と直結していて、そのあやうさ含めて特別で愛おしい。作者特有の柔らかい線も、作中のリアリティラインのゆらぎをうま〜く曖昧にふやけさせていて、描かれている空間そのものが独自の法則を具えたひとつの世界になっています。
田島先生がここまで常ならざるものどもをシャープに描けるひとだとはあまりおもってきませんでした。びっくりした。自分の眼の節穴さを痛感させられる今日このごろですが、まあ、そんなことばかりですよ、まんがを読んでいると。

9.飴石『開化アパートメント』(ハルタコミックス)

今年の新人王は投票制にしたらば満場一致で平井大橋でしょうが、しかし個人的にはこちらも捨てがたい。
時は大正末期。モダーンなスパニッシュ・ミッション方式にデザインされた共同集合住宅「開化アパートメント」に集う住人たちはひとくせふたくせあるものばかり。そんなかれらの秘された物語が、探偵・東条を狂言回しに語られていく。そんな連作短編形式のお話です。
大正ロマンはいつでもどこでも人気のモチーフです。ハルタコミックス系列では特に最近レトロモダンづいているのか、同じく大正時代が舞台である『煙と蜜』(長蔵ヒロコ)を筆頭に、明治舞台の『八百万黒猫速報』(浅井海奈)、昭和初期舞台の『贋―まがいもの―』(黒川裕美)、ファンタジー入っていますが昨年完結の『帝都影物語』(比嘉史果)と、まあ、なんかそのへんの年代が多い。Fellows! のころはおなじレトロでもアメリカかぶれだったくせに……。
それはともかく、『開化アパートメント』です。大正ロマン趣味をここまで研ぎ澄まして洗練した作品もよう見ません。とにかく洒脱。とにかく耽美。ハルタ直系のいい意味でバタくさく細密な画風に、見せ場ではさらにフキダシに至るまでデザインを凝らしてきます。時には実験的ですらあります。
作品世界のトーンをすみずみまでコントロールしようという欲求に漲っているわけですが、かとおもえば、探偵の助手として学ラン学帽三白眼のヘキむき出しの少年をお出ししてくる。この「全部やってやる」という野心の壮大さがデビュー作として好ましい。
話ものんびりした風土のハルタにはめずらしく、シュッと切れるような収まりのよいものでありつつ、師弟あり百合ありBLあり双子ありとすでに関係性のベースブレッドのようなまんべんなさ、その上で連作としてのコンティニュイティが意識されたものばかりで、この欲張りな器がどこまで大きくなるのか、楽しみです。


10.安原萌『凍犬しらこ』(青騎士コミックス)

デカい犬が出てくる極寒北海道ポストアポカリプス。
とにかく、犬がデカい。
それだけで人間は幸せになってしまいますね。犬がデカい、というだけでマンガを褒める理由があるのか? とおもわれる方もおられるかもしれません。なります。なぜなら、犬がデカいから。
この犬はしかもしゃべります。まあ人語を解するとかではなくて、どうも飼い主である主人公が犬と会話できる特殊能力の持ち主だからっぽいんですけど。
この犬はしかも雪でできています。理屈はよくわかんないですけど、雪でできているので人肌程度の温度でも溶けちゃうらしいです。こういうフラジャイルなボディをもっている生き物がどういう目にあうか、いや、あわせたいのか、わたしたちはとうに知っている
話としては止まぬ豪雪で閉ざされて滅びかけている北海道を、主人公とデカい凍犬しらこがあるものを求めてさまようロードノベルで、札幌だとか釧路だとか苫小牧だとかいう地名が出てきますが、いかんせん雪で滅びかけているので観光的な要素はあまりなく、『ザ・ロード』とかみたいにひたすらさびしい世界がつづきます。意外に地域レベルのコミュニティは荒廃しておらず、北海道人の理性への信頼が伺えますね。
まあそういう物語はあるんですが、このマンガはやはり犬ですよ。デカい犬ですよ。デカい犬がはしゃぐ。デカい犬が走る。デカい犬が闘う。デカい犬が溶ける。スケラッコのデカい犬マンガの金字塔『大きい犬』の大きい犬さんに比べるとやや小さめで、そのぶん奇想も薄めですが、それでもデカい犬の歓びにあふれている。


11.おぐりイコ『触レ愛』(ヤングキングコミックス)

俗に「百合に挟まる男は死ね」というミームがございます。それはそのまま「百合に挟まる男」という存在の否定であり、あるひとにとっては一種のジョーク、別のひとにとっては本気の思想であったりします。どちらの了簡にせよ、つまりはクリシェです。陳腐化したクリシェは真剣に考えるに値しないものと議論のまな板の上から棄却され、ジャンルのゴミ箱で朽ち果てていきます。
ですが、われわれはクリシェクリシェであることに甘えすぎてはいなかったか。腐った豆から納豆ができるように、有り得た可能性の発展を阻害してはいなかったか。
『触レ愛』は、そんなインターネット的な腐敗とは別の次元からやってきた、「百合に挟まる男」のオルタナティヴな未来です。ええ。自分でいっておいて、なんて未来だな、とおもいます。
クラスの一軍グループに属する小木かぶらと、陰キャぼっちの大和田和音は高校では一言も口をきかない仲。しかし、放課後になるとカフェに集って憧れの大学生店員、錦さんを仲良く愛でておりました。ところがふとした拍子から和音は錦さんと付き合うこととなってしまいます。しかも初デートでキスまで交わしてしまう。ふたりの友情は破綻してしまうのか、とおもいきや、かぶらは和音に「錦さんのキスの再現」を要求して……というお話。
まあ、いってしまうと、かぶらは和音に錦さん役を演じさせながら、ふたりがデートでの行為を、友情の名のもとに共有していくわけです。会話から、キスまで。すさまじいのはかぶらと和音の再現への執着がマンガの技法にまで伝播しているところで、たとえば(1)錦さんがこっそり和音の耳元でささやいた言葉を、(2)和音がかぶらに伝えるシーンがあるのですが、そこでは(1)のときの構図が(2)でもそっくりそのまま反復されている。(1)では囁かれる側だった和音が(2)では囁く側になる。この倒錯。しびれますね。こうした脳に良い技巧がそこかしこで咲き乱れている作品です。
恋愛の構図としては主人公ふたりが共通したひとりの男を好いているはずなのに、片方が直接男とつながり、そしてもう片方が男とつながっている方を介して男とつながっているわけで、三角関係というよりは神聖モテモテ王国よりシンプルな直線的。いや、でも想いの矢印としてはやはり三角なのか……? その上ややこしいことにもう片方のほうには名目上の彼氏がいて、なんでつきあっているのかよくわからないんですが、彼氏のほうがもう片方のことが大好きなんでなんとか男と付き合ってる方を利用して自分の彼女と男の関係も破綻させようと策動しはじめ……ふつうなら四角関係なんでしょうけど、もうここまできたらどういう形状をしているのかわかりません。おそらくカラビ=ヤウ多様体みたいな形なのでしょう。
一巻後半でややキツイシーンがあるので、そこは警告しておきます。



12.大武政夫『J⇔M』(ハルタコミックス)

大武政夫は去年三冊出ました。いずれも傑作です。読みましょう。(2)
『J⇔M』はいわゆる入れ替わりもの。中年の凄腕殺し屋Jが小学生の女の子・恵と入れ替わってしまうお話です。基本的には『アカネ』で説明した大武先生のギャグの転がし方がこれにも当てはまっていて、殺し屋J(身体は小学生)は入れ替わった事実を覆い隠すために殺しの仕事から学業まで奮闘し、その無理の過程でおもしろみが出てきます。一方で中年男性の身体になって恵のほうは一人暮らしの家で好きなだけブラブラできるから特に元の身体に戻りたくなく……というモチベーションの相反がいい味付けになっています。
いやあ、Jが殺し屋としては凄腕なんですが、私生活ではハードボイルドに憧れてやたら自分をハードボイルドに演出しようとするバカで、そのバランスがいいんですよね。でも本棚は結構ガチで、チャンドラーや大藪春彦のほかにも樋口有介とかビル・プロンジーニとか並んでる。ちゃんと読んでる人だ。
ガチといえば、大武作品としての本作の特色を挙げるなら、暗殺業務におけるアクション描写のガチさでしょう。『ヒナまつり』でもときどき片鱗を見せていたアクションセンス*11が、本作では前面に押し出されています。映画の引用ネタもけっこうあるようで、Jと恵の初邂逅はあきらかに『レオン』だし……。

13.秋ヨシカ『ミドリの台所』(FUZコミックス)

花粉を通じてあらゆる動物に寄生し身体を乗っ取るヤバい植物の蔓延した終末世界。Amazon*12の倉庫で暮らす十五歳の種田みどりは、九歳の異父妹さくらのために日々料理に家庭菜園と料理に勤しんでおりました。動物性由来の食材が払底してしまったこの世界では、強制的にヴィーガン食を強いられます。しかし食いしんぼのさくらのため、みどりは大豆を軸に創意工夫で数々のレシピを考案し明日をサバイブする活力へと繋げていく、というお話。ヴィーガンパンクというかソイパンクというか。もちろん、実質ゾンビものでもあります*13
まず本作は、大豆料理マンガ? として充実しておりまして、出てくる料理がかなりおいしそう。しかも材料はもちろんわれわれの世界にもあるものばかりだから、再現性も備わっています。自分もなんか一品作りたくなってしまうことうけあいです。
そしてその料理を軸に展開される物語がユニークですばらしい。そもそも大豆料理だけを強制的に作りつづけるシチュエーションにゾンビものを取り入れたところが発想の勝利で、まあ、先述のように食料の種類に乏しいため、並の人間だとあんまり凝った美味しい食事を作られないわけです。
そこで、サイエンスに長じた主人公のみどりが持ち前の料理の腕と知識をいかして、大豆でハンバーガーやとんかつやたまごサンドを再現していく。これが本作の終末世界ではかなりの強み。ひいては他者との交渉や交流の糸口となっていきます。もっとも、ただ料理を出してノックアウト、ではなく、そこに至るまでのキャラクターや人間関係の描写も地に足をつけて丹念に描いていきます。
ちなみに本作はかなり控えめというか、世界観でコーティングした形ではありますが、ヴィーガニズム寄り*14の態度を見せている部分もそういう点でも結構めずらしい。まあ、ほんのちょみっとではあるんですけど。


14.古部亮『スカベンジャーズアナザースカイ』(ヤングチャンピオン・コミックス)

異常な少女たちの特殊部隊が異常な世界へ飛ばされ異常な異形たちを狩りつつ超常的なアイテムを回収(スカベンジ)していく怪異ミリタリーコンバットまんが。
Amazonレビュー欄で猛り狂っているファンは口々にこんな言葉を吐き出しております。「SCP」「タルコフ」「S.T.A.L.K.E.R.」。パラノーマルな領域(ゾーン)でアノマリーをぶちのめしたり、逆にぶちのめされたりしていく絶望がお好きな向きにはなにはさておきオススメです。まあ、わたしはタルコフもS.T.A.L.K.E.R.もやったことはないんですが……。*15
とはいえ、こうしたノリや固有名詞を知らないかたがたでも、個性豊かでいたいけな少女たちが修羅場に放り込まれてどうみてもオタクの作画としか思えない銃器をぶんまわして血反吐を吐きながらタフに異形たちと撃ち合っていくマンガが好きなら好きになれます。
かつてすさまじいハンティングバトルものを世に問いながらも、俗界の無理解によって三巻で打ち切られた『狩猟のユメカ』のリベンジがここに成就するか。


15.にゃんにゃんファクトリー『ヤニねこ』(ヤングマガジンコミックス)

Twitter から生まれたバズマンガ。タイトル通り、ニコチン中毒の猫獣人ヤニねこがただひたすらニコチン中毒者としてダメな生活を送っていくギャグまんが。ときおりちらりと垣間見えるハードな世界設定も見どころ。
こんなファッキンな世の中、いかなるドラッグもVtuberもわたしを脳に効かなくなってしまいました。ほんとうにどうしようもないクズがふにゃふにゃずぶとく健気に生きているマンガだけが、わたしに生きる力を与えてくれます。末法を迎えつつあるのはこの世ではなく、わたしなのかもしれない。
あなたは?


16.スタニング沢村『佐々田は友達』(文藝春秋

16歳の大人しくて至極地味な高校生、佐々田絵美はひょんなことからこれまで接点のなかったクラスの人気女子、高橋とすこしずつ交流を深めていきます。高橋独特の距離感に戸惑いながらも、なんとか間合いを測り合っていくふたり。一方で、クラスを飛び交う色恋のドラマに佐々田はどことなく戸惑いを覚えていく……という日常学園ドラマ。
今のアフタヌーン風の(最近の阿部共実的ともいっていいかもしれない)やわらかい陰影で切り取られた、高校生活のなんでもない、しかし輝かしく美しい瞬間を連発してくる、非常に雰囲気に満ちたまんがです。いっそ格調高さすら放っているかもしれない。
一見ノーテンキに見えるクラスメイトたちにもそれぞれの悩みがあり、クラス内カーストの線引と政治があり、人間関係の駆け引きがあり、おもいやりがあり、とそういういかにも最近の学園群像劇のようですが、うるせえ、わるいか、いかにも最近の学園群像劇が好きで。ディティールはいくらあってもよいものなのです。
しかし、そんななかにあって、カメラがずっと寄り添っている主人公であるはずの佐々田の内面だけがやや見えにくい。引っ込み思案で口下手なようだけれど、けして人嫌いではないのに、その口を重くしているのはなんなのか。高橋から親しげに下の名前で呼ばれてもそれを拒もうとするのはなぜなのか……。疑問と呼ぶには些末な違和感が読者のなかで積み上がっていき、佐々田という人物に対する興味を惹きます。
学園群像劇がある種の野次馬根性で成り立っているのは否めないところですね。
ところで作者のスタニング沢村とは聞き慣れない名ですね。これは実は『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました』や『女の体をゆるすまで』といった一連の壮絶なエッセイコミックでおなじみのペス山ポピーの変名というか、改名です。そういえば、もともとストーリー漫画志望でエッセイでも最後のほうに創作を載せて「これからはフィクションでやっていく」と決意表明をしていたような。
もともとエッセイまんがとしては正道のフィクションまんが(へんないいかただ)の技巧をかなり取り入れていた(しかもそれが巧かった)人だったので*16、フィクションを描くこと自体に意外性はありません。しかし、ここまでテクニカルなものを描ける作家だったとは、という嬉しく新鮮な驚きがあります。エッセイ出身でフィクション方面で活躍するようになった作家というと最近は『ブスなんて言わないで』のとあるアラ子が挙がりますが、ひとつルートとして確立されつつあるのかもしれません。
ともかく、『泣くボコ』と『女の体』の二作を読んでいれば『佐々田』についての読み方もややクリアになるとはおもいますが、本作については先入観を持たずに味わってほしい面もあるので、ややむつかしいところ。


17.つのさめ『一二三四キョンシーちゃん』

ひとり暮らしの小学生、おさなのもとに中国へ赴任しているパパから誕生日プレゼントとして先端科学的キョンシー・山田が贈られてくる。たしかに高機能ではあるのだけれど、どこか抜けている山田におさなは戸惑いつつも、ふたりで愉快な日常を築き上げていく。日常系キョンシーギャグ。
いやあ、いいですね。わりとシンプルな線で描かれて、キャラの眼なんかも楕円形の黒色塗りつぶしといった感じでかなり記号化されているんですが、このゆるいノリがオフビートなテイストとよくマッチしています。手足がゴムホースっぽく細長くてぐにゃぐにゃしていて、昔のアニメーション、もとい『アドベンチャー・タイム』っぽいんですよ。あれは少年とイヌのアニメでしたが、これは少女とキョンシー。だからなんだといわれれば、いまのところなんでもありません。
全体的にコミティア的な風味を残しつつも、たしかな巧さで読ませていくよいマンガです。こういうのが年に一作出てきたら嬉しくなってしまいます。まあ、ゆるかったり、オフビートなだけの作品はいくらでもあって……いやこれは空気わるくのでやめときましょう。
とにかく、もしかしたら、明日の『フイチンさん』になれるかもしれない。なれないかもしれない。どうかな。わかんない。オススメです。キョンシーちゃん。お子様の情操教育にもピッタリ。ご家庭にかならず一冊。文部科学省文化庁もオススメしなさい。


18.坂上暁仁『神田ごくら町職人ばなし』(トーチコミックス)

江戸を生きる職人たちの生き様を描いた職人時代物連作短篇。
とにかく、桶とか刀とか蔵とか、いろんなもん作ってます。それらの現場での作業の描写がちょっとびっくりするくらい豊かで細かくて艶めいています。江戸の時代の話なのに、どうやって取材したんだろう。現役の職人さんたちにあたったのかな。
とにかくこの手仕事の官能だけでも木戸賃は取れます。話もいいよ。時代物はたまにこういうごっついのが出てくるんですよねえ。


19.向浦宏和『CHILDEATH』(ヤングアニマルコミックス)

地球が自らの意志?で生み出した「魔女の森」から発生する「魔女」なる怪物たちによって人類は虐殺され、さらには「時の魔女」によって大人になったら死ぬ呪いがかけられた世界。人類は自然、12歳以下しか生き残れなくなり、子どもたちはいくつかの小グループにわかれてそれぞれの仕方で「魔女」の襲撃に抗っていた。「みんなと生き延びて大人になりたい」と強く願う主人公の鈴本モモの属するコミュニティでは子どもたちが魔女の肉を燃料として駆動する機械で飛び、襲いかかってくる魔女を討伐していた。が、あるとき、ついにコミュニティは全滅。唯一生き残ったモモはそのときに「自分は魔女の呪いで永遠に大人になれない(=この世界では死を運命づけられてはいない)」と知り、子どもたちみんなと自分自身が大人になるために魔女をすべてぶっ殺すと決意する……というポストアポカリプスジュブナイルダークファンタジー
ゴッツいです。てざわりがゴッツゴツしています。ひとことでいえば、北極かどこかで冷凍保存されていた80-90年代っぽい絵やノリや設定(鬼頭莫宏とか大友克洋とか大塚英志とか岩明均とか、あとそうそう、富沢ひとしらへん)を2020年代のテイスト(まどマギとかチェンソーマンとか)とブリーディングして誕生した謎の生命体、といった感じでしょうか。このまんがが過去に属しているのか未来に属しているのかはちょっと測りかねますが、本来2023年に存在しないはずの作品であることだけはわかる。
なんか子どもたちがいっぱい死ぬんですよ。生き残ってる子どもたちも「頭がよいと魔女に襲われる」という理由でロボトミー的な手術をみずからに施して知能を下げているんですよ*17。なんか、え、そこ切っていいの? みたいなすごい勢いで展開トバしたりもするんですよ。でもなんか伝わる気がしたりするんですよ。もうなんていいますか、ひたすらほとばしっているマンガです。作者の燃料が尽きるまでほとばしりつづけていてほしい。
それにしても、最近大友克洋に意識的に先祖返りするようなマンガが増えてきている気がするのは気のせいでしょうか。


20.福島鉄平『放課後ひみつクラブ』(ジャンプコミックス

ふしぎ学園ギャグ。コメだけど、ラブをつけるかは各自の判断によります。『ボクらは魔法少年』であんな笑っちゃうくらいにヘキを丸出しにしてなおまんがを成立させていた、福島鉄平が、またこんな笑っちゃうくらいピーキーな表現を出してきて、それでもなおなんの変哲もないまんがづらできている(できているのか?)のがすごい。まんがという枠組みの耐久テストの項目のひとつみたいな作品です。


そのほかで良かった30作

いつもはオナブルメンション枠をこんなに多く取らないような気もしますが、今年は第一巻開始まんがで単独の記事を立てたので、ついあれもこれも入れたくなりました。その途中で、以前に70作くらいあげたとき「多すぎるぞバカ」みたいなお叱りをネットのみなさまから受けたのを思い出したので半分削りました。
ゆえに、あるべきものがなにか漏れてるかもですが、そこにないものはないですね。


雪永ちっち、なだいにし『サツドウ』

サツドウ(1) (ヤングマガジンコミックス)

殺し屋よりの格闘バトルロワイヤルまんが。ギャグとシリアスの塩梅が良い。『ファブル』みたいな凄腕のファイターがふだんは常人を装っているみたいなギャップギャグもある。暗殺者たちで世界ができあがっているところがジョン・ウィックっぽいですね。


鬼山瑞樹『ぼくとミモザの75日』

ぼくとミモザの75日 1巻 (デジタル版ガンガンコミックスJOKER)

ヤクザのオヤジを殺して世話係の高身長でアバラの透けたタレ目の凄腕殺し屋お姉さんと逃避行するお話。あらゆる点でプリミティブにむき出しな作品で、作中にも作者自身にも走り切ってくれ、と願わずにはいられません。


小野寺こころ『スクールバック』

スクールバック(1) (サンデーうぇぶりコミックス)

友達にも大人にも言えないような高校生たちの悩みを、糸目で関西弁の学校の用務員さんが聞いてくれる学園カウンセリング系ドラマ。とにかく第一話の完成度がストーリー的にもまんが的にも高い。ただ、この類型の物語であのレベルを出し続けるのはやはり難しいのかな、という印象です。しかし、安定しておもしろくかつ誠実ではありつづけており、こうした「イイ話のために作りだされたマジカルな人物」が苦手な向きにもオススメ。


涼川りんアウトサイダーパラダイス』

アウトサイダーパラダイス : 1 (アクションコミックス)

あそびあそばせ』のスピンオフ……といったらフツーなんですが、中身はぜんぜん普通ではない。分類としては『劇光仮面』と同じ棚に入れていいとおもう。エンタメのために造られたものではない作者の”想い”から出てきた本物の異形たちの話という意味で。涼川先生を野放しにしたらこうなるのか……という恐ろしさを垣間見てしまい、そっと蓋をしたくなりました。こういう凄まじいのだけれど、どう受け止めていいのかわからない作品に出くわしたときに素直にベストに入れられなくなったとき、自分は老いたのだな、と感じます。


くわばらたもつ『ぜんぶ壊して地獄で愛して』

ぜんぶ壊して地獄で愛して: 1【イラスト特典付】 (百合姫コミックス)

階段の高低差を活かした詰め方(その後の視線の逆転とラストのさらに大逆転)とか、万引きしてる場面を盗撮することの二重性とか、構図がめちゃくちゃエキサイティング。くわばら先生は筒井いつきに続く暗黒百合の一等星になれるとおもいます。


はせべso鬱『俺の男魂 サクリファイス

俺の男魂 サクリファイス(1)

男子高校生が女装して女子校に入るという手垢のつきまくった設定をおもしろく料理して見せられるのは作者の力量の証。


薄場圭『スーパースターを唄って』

スーパースターを唄って。(1) (ビッグコミックス)

最近ジャンルとして目立つようなそうでもないようなな現代日本の貧困を反映したストリート系アングラ半グレもの×ラップミュージック。一巻が百点。これはすでに話題作ですね。


朝田ねむい『まだら模様のヨイ』

まだら模様のヨイ(1) (裏サンデー女子部)

朝田ねむいの非BL。遺伝子改良超人ものを日常からぬめっとスライドさせていくところが作家性というか巧さ。


みそくろ『思春期姉弟

思春期姉弟 1巻 <電子版限定特典付き> (クランチコミックス)

男女の双子の中学生がそれぞれに思春期というか性の目覚めを迎えるカミングエイジコメディ。トピックは生々しいのだが、絵のチャーミングさで巧妙に中和されている。


ニャロメロン『ドラゴン娘のどこでもないゾーン』

ドラゴン娘のどこでもないゾーン(1) (てんとう虫コミックススペシャル)

ちおうコロコロコミック連載のギャグ4コマ。ポプテピスクール(別にニャロメロン先生はポプテプフォロワーではないのだけれど)ではもっとも芸術の域に近づいている。


東村アキコ『まるさんかくしかく』

まるさんかくしかく(1) (ビッグコミックス)

東村先生が小学生時代を過ごした宮崎での回想実録エッセイ。やはりこのひとは話を盛る才能がありすぎる。お父さんのキャラが卑怯。


KENT『大怪獣ゲァーチマ』

大怪獣ゲァーチマ(1) (ヤングマガジンコミックス)

怪獣もの。怪獣ものとしてもオーソドックスさとユニークさのバランスが絶妙。怪獣にそんな思い入れとかないんですが、これは楽しく読めています。サンデーうぇぶりではじまった『Kaiju on the Earth ボルカルス』といい、最近怪獣が勢いづいてますね。


ヨシアキ『雷雷雷』

雷雷雷(1) (裏少年サンデーコミックス)

怪物異能アクション。タツキフォロワー色が濃いのですが、ポップなタッチで救われており、独自の味わいも深い。線がいいですね。


Peppe『ENDO』

ENDO(1) (裏少年サンデーコミックス)

WWII末期の日本のイタリア人収容所の話。緊迫感あるディティールが読ませます。あまり日本では注目されてなかった題材ですが、参考文献リスト見るかぎりイタリアではけっこう語られてきたらしい。


速水螺旋人スターリングラードの凶賊』

スターリングラードの凶賊 1 (楽園コミックス)

安定しておもしろい螺旋人先生の共産圏エスピオナージュ。この無常感ある戦争こそがここでしか摂取できない味なんですよねえ。


亀『バットゥータ先生のグルメアンナイト』

バットゥータ先生のグルメアンナイト 1 (ボニータ・コミックス)

ボニータが『ジャードゥーガル』の二匹目のドジョウを狙ったと思しきマイナー地域(中東)骨太コメディ。単に知識の出し入れだけじゃなくて、まんがとしても意外によくできている。それにしてもイブン・バットゥータとは、またシブい。


BLZ『電網呪相ノロイさん』

電網呪相ノロイさん 1 (アライブ+)

現代怪異バトルもの。時代に取り残されたガラケーの呪いのサイトに優位性を与えたり、バトロワデスゲームを怪異化したり、発想はユニークでおもしろい。意外に会話でギャグを組み立てるセンスがある。ワンテンポで性急なのがややもったいない。


武田スーパー『だれでも抱けるキミが好き』

だれでも抱けるキミが好き(1) (ヤングマガジンコミックス)

『友だちとして大好き。』亡き今、性欲と性愛の境についていちばん真摯に考えているまんが。しょうがないんですよ。連載先がアフタヌーンじゃなくてヤンマガなので。


堤葎子『生まれ変わるなら犬がいい』

生まれ変わるなら犬がいい(1)【電子限定特典ペーパー付き】 (RYU COMICS)

クズ男が死んだ飼い犬に見えるようになってしまったお嬢様が男を飼う。これも絵がいい。 奇妙ですが、切実ですよ。こういうのに弱い。


うごほりさん、okama『無冠の棋士、幼女に転生する』

無冠の棋士、幼女に転生する【電子単行本】 1 (ヤングチャンピオン・コミックス)

うだつのあがらない中年プロ棋士が幼い子どもに転生して今度は羽生に勝とうとする話。才能と子どもの話なのでOkama先生がいきいきしてはります。転生もののわりには俺TUEEE要員がいろいろ意図的に排されている(転生先で将棋の知識が曖昧、双子の妹の方が才能があるなど)のが興味深い。


うぐいす祥子『僕に殺されろ』

僕に殺されろ(1) (月刊少年マガジンコミックス)

スプラッタホラーコメディ。名前だけで買っていい作家のひとりです。 一発でしょーもなくするオフビートさが今回も活きている。


松本ひで吉『いきものがたり』

いきものがたり(1) (モーニングコミックス)

動物おもしろ生態紹介エッセーとしては目の付け所が抜群にキャッチーでおもしろい。


見ル野栄司『デスクリエイト』

デスクリエイト(1)

デスゲーム管理・制作もの。前例がないわけではないではないのだが、それ自体をデスゲームにした上に原作者の専門知識が活かされているのはフレッシュ。設定はかなり無理があるけどまあいいだしたらデスゲームものみんなそうなので。


飯野俊祐『偏愛ハートビート』

偏愛ハートビート 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

出合頭のインパクトがとにかく強烈。


冬野梅子『スルーロマンス』

スルーロマンス(2) (コミックDAYSコミックス)

最初は向いてないんじゃとおもったけど読み進めてみると存外にスクリューボールコメディとして上質。


諏訪符馬『逢いたくて、島耕作

逢いたくて、島耕作(1) (モーニングコミックス)

島耕作世界で島耕作オタクがループする話。島耕作スピンオフでは出色の出来。島耕作読んどいてよかったと思わせられる。そんなことって人生であんまりないじゃない?


玉置勉強『突発的クリエイトファミリー』

突発的クリエイトファミリー 1 (MeDu COMICS)

45歳の落ち目のライトノベル作家がひょんなことからまるで関係のない行きずりの女の息子を引き取って共同生活することになるコメディ。子どものほうもイラストの上手いオタク少年で、互いにクリエイターとして論を戦わせ?る。そこそこ年を食った作家の感覚がおそらく作者と直結していてリアル。玉置勉強版の『秋津』。


郷本『破滅の恋人』

破滅の恋人 1 (楽園コミックス)

贅沢過ぎる狂気。これは読んどくといいですよ。好む好まないはともかく。


森高夕次『四軍くん(仮)』

4軍くん(仮) 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

都立で都大会ベスト4までいって調子こいてた球児がロクダイに入ったら四軍スタートで絶望するところからはじまる大学野球まんが。二巻でサブキャラたちのバックストーリーが描かれる。準野球エリートたちの質感のよさが際立っています。森高夕次はここくらいのポジションを書かせるとやはり抜群です。


川田『アスミカケル』

アスミカケル 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

高校生格闘マンガ。こんなレッドオーシャンのジャンルをまっすぐに描いておもしろくできるのはやはり横綱の風格。


これまでの新作連載年間ベスト

proxia.hateblo.jp
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*1:ほんとうはもっと意地汚い用語をつかっているのですが、内輪ネタなのでやめておきましょう

*2:テクニカルな戦略というより、作者の柳本先生のヘキなのだとおもわれますが

*3:主人公が強くなり続けた結果、読者が遡及的に「あいつもどうかしてる天才だったんじゃん」と気づく作品はままある。

*4:そこを突き詰めたのがまさに『龍と苺』の達成といえるでしょう。

*5:回想の表現としてはよく見られるやつ

*6:オススメは間宮ミヤ「アカネの自由帳」https://comic-days.com/episode/4855956445053723654

*7:人外ものをダイバーシティのメタファーとして扱うまんがが『BEASTERS』以降はとみに増えました

*8:寝ても覚めても』とか

*9:高梨は「好きな人が自分を好いてくれるならあまり形には拘らない」(でもだんだんそのことで傷ついていく)というメンタリティで、ここは『ワンコそばにいる』と似ています

*10:第一部完みたいな感じでしたが

*11:たとえば、15日まで公開されている第八話 https://comic-walker.com/viewer/?cid=KDCW_EB06204023010008_68&dlcl=ja&tw=2 では「換装時の射出のいきおいで銃のマガジンを飛ばして敵に当ててひるませ、そのすきにマガジンを交換し、態勢を立て直しかけた敵の腕をまず撃ち抜いて、直後に仕留める」というジョン・ウィックみたいなくだりが出てきます。

*12:特定の企業名は作中で挙げられていないがどう見てもAmazon

*13:キノコの胞子を媒介にしてゾンビになる話は『The Last of Us』や『マタンゴ』などちょいちょい見かけますが、植物の花粉でゾンビになる設定はゾンビものとしてめずらしい気がする

*14:一部アニマルウォルフェア的

*15:FPSニガテアルからね。『CONTROL』は好きヨ。

*16:余談ですが、エッセイまんがにおいてはフィクションまんがの技巧がうまければうまいほどなんかエッセイまんがしての強度は弱まる、という仮説を立てたことがあります。その話はいつかしたいな、とおもっていますが、まああんまりできる機会はなさそう。

*17:ラニュークの「ZOMBIES」みたいだ

2023年に遊んでおもしろかったゲーム20選+α

前説

HADESやHollow Knightなどをやりなおしているあいだに2023年が終わってしまいました。この一年はほんとうに一年だったのでしょうか。365日のうち20日ぐらいちょろまかされたりされていないか。だれに? そりゃあ、あんた……任天堂


オマエーッ!


Steamの年間まとめによれば、わたしは2023年に新作旧作ひっくるめて56本のレビューを書いていたそうです。基本的にエンドクレジットまでたどりついた作品にしかレビューを書かない主義であるのをふまえると、あたかもたいそうな廃人のようでありますが、それらのほとんどは2時間か3時間で終わる作品ばかりです。わたしが廃人なのはライフスタイルとは関係なく、心が廃れているからです。その心が2時間か3時間かくらいのプレイにしか耐えられないのです。2,3時間で完結しない場合は飽きて別のゲームへふらふら移ります。それがわたしの性なのです。にもかかわらず。
なぜ、現代のAAAタイトルはプレイヤーに無条件に100時間の投資を要求するのでしょうか。その100時間に実りある体験が詰まっているならまだしも、100時間のうちの80時間くらいは(なんのゲームとは申しませんが)無駄に細かく分類されている銃弾をやりくりするためにインベントリを整理したり、(なんのゲームとは申しませんが)FF8のリノアキャッチみたいなクソダルイベントを2時間ごとに1回のペースで繰り返させるのです。どのような論理と権利があって、そのような虚無を1万数千円で売りつけてくるのでしょうか。[サラ・モーガンは悪く思っている……]
制作費に5億ドルかけているからでしょうか。広告費に10億ドルかけているからでしょうか。あるいは、単純接触時間の長さだけがプレイヤーに感動をもたらすための唯一のゲームデザインの黄金則だからでしょうか。むしろそうした細やかな雑作にこそプレイヤーのユニークな体験が宿り、自分だけの思い出になっていくからでしょうか。
おそらく、どれも正解ではないのでしょう。
その100時間は必要な100時間なのか、あるいはそうでないのか、という問いが存在するとして、それにただしく答えられるひとは地球上のどこにもいません。
わたしたちはかつてない時代にいます。単体のパッケージについて100時間でひとつらなりの体験を、どう語り、どう受容すればいいのか。誰も知らないのです。
でも、そういうものが現に生み出され、現に嗜まれている。
探索可能な1000以上の無の惑星で、無のミネラルを採掘する体験が、最終的には正当化されてしまうなにかがあのおぼろげな100時間のどこかにある。
途方もないことです。
途方もない時代です。

2023年のゲームトップ20

基本的には2023年にリリースあるいは翻訳された新作ですが、一部旧作が混じります

1.The Cosmic Wheel Sisterhood

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魔女宇宙タロット制作&占いADV。ADVの歴史は手入力式だったプレイヤーの行動を開き直って選択式にしたときから、有限も有限すぎるゲーム内での未来の帰結がいかに未知で無限であるかと錯覚させるかの詐術の歴史でもあったとおもうのですが、本作はプレイヤーと主人公に(メタ的な手法に依らず)ある程度の距離を作った上で「プレイヤー自身が未来を作っている」という錯覚を作り上げてくれます。そして、その錯覚を錯覚と作り手自身も知悉した上で、物語として肯定してくれるのが強い。*1
まあ、しかし、なによりキャラがいい。絵がいい。てざわりがいい。窮極的には、ビデオゲームとはルックなのではないかとおもいます。

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2.Kentucky Route Zero

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届け物を届けるためにトラック運転手が麦わら帽子をかぶったイヌやゆかいな仲間たちとともにケンタッキーを彷徨うADV。
マーク・トウェインに曰く、「ユーモラスな物語はアメリカのものであり」、その良し悪しは「話の中身(マター)」ではなく「語りのやりかた(マナー)」にかかっている。「ユーモラスな物語は重々しく語られ」、「何か面白いことがあるなんてことを少しでも勘づいているそぶり」など見せず、「好きなだけあちこちさまよい、特にどこにもたどり着かなくても構わない」。*22024年のいま、この条件に当てはまるアメリカ産のゲームをわたしはいまやひとつ知っている。
KRZはアメリカのお話であると同時に、演劇や現代美術、そしてビデオゲームのアドベンチャージャンルの歴史も踏まえています。それはビデオゲームアメリカの歴史を語る上で欠かせないものになったという本作なりのステイトメントであり、リスペクトやオマージュやノスタルジーを超え、ひとつのおおきな流れのなかに自らを位置づけようとする誇大妄想の叫びでもある。そうした狂いこそが、もっとも本作を特別なものにしているのでしょう。




3.Cyberpunk 2077: Phantom Liberty

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あのときの未来の続編。

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サイバーパンクとはノワールである、と看破した開発陣の慧眼はいくら称えても足らないくらいなのですが、ではノワールに徹しきれる物語がどれだけあるのか。宣伝広告の中に存在しない自由を素朴に信じ、その憧れのためにどこまでも都合よく使われるチンピラでしかない主人公とは、無限にクエストを課されるオープンワールドRPGのプレイヤー自身の似姿でもあったわけですが、今回は立場を同じくする仲間たち(と呼ぶにはあまりに複雑な利害と友情とつながった間柄)がいて、かれらに勇気づけられるときもあれば絡め取られるときもある。
ネトフリの『サイバーパンク2077:エッジランナーズ』の功績は大きいですよね。『エッジランナーズ』は本DLC配信前後のメジャーアップデートでもかなり優遇されていたわけ*3ですが、あのアニメこそが Cyberpunk 2077 におけるノワールを定義づけてくれました。つまりは、夜空に大きく輝いて見えるのに、手を伸ばしてもけっして届くことのない月。あるミステリ書評家がかつて「人間の魂の暗部を描く――これはノワールの芯である」*4と述べていたのにはおおむね同感で、その昏さのみを見つめる作品も数多いのですが、一方でそのすり潰されそうなほどに稠密な暗闇のなかで、わずかに射し込む光明をつかもうともがく姿を描くのもまたノワールであるとおもうのです。
Phantom Liberty はそれをほぼ理想的に達成してくれました。
引用されるのがジョン・カーペンターの『ニューヨーク1997』であるというのがまたニクい。『ニューヨーク1997』から生まれたもうひとつのゲーム史的傑作がなんであったかを思い出すのなら、本DLCで課される内容と語られる内容がこれまでのビデオゲームが積み上げてきた歴史の上で成り立っているのだと感得されることでしょう。

4.Chicory: A Colorful Tale(チコリー:いろとりどりの物語)

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世界一のアーティスト=その世界を保っている大魔法使い、みたいな世界で、その大魔法使いから唐突に大魔法使いたる役目を押し付けられたお調子者の弟子のイヌ、チコリーの冒険を描くお絵かきADV.
特にインディーゲームにおいては創作者の苦しみを表現しようとしたものは無数に存在するわけですが、Chicory ほど繊細かつ開かれた形で描いたものはかつてあったかどうか。
本作では難しさを抱えているさまざまなひとびと(獣人ですが)に出会います。成功したアーティストであるがゆえに、他人と自分自身から過大な期待を負わされて精神的につぶれてしまう師匠。表面上はへらへらとポジティブにふるまいながらも、心のどこかでは突然ふってわいた地位に自分の実力が見合ってないんじゃないかというインポスター症候群めいた不安をおぼえる主人公。その主人公に対して嫉妬し「業界はやはりコネなんだ!」と怒りをおぼえる絵師志望のハリネズミ。明日の面接が不安で朝からずっと浜辺で砂のお城をつくりつづけているイタチ。たいした理由はないのに「無性に”ツラいな〜”という日」がつづいて心が落ち着かないオポッサム……。だれもがとりたてて表には出さないけれど、どこかで大なり小なり不安定な感情を抱えています。
では陰鬱に塗りつぶされた世界かといえば、さにあらず。本作の世界にはそうした不安によりそい、共感し、元気づけてくれるひとびと(だから獣人なんだけど)もたくさんおります。かれら自身もまたなにがしかの苦しさを持っていて、そこがまたよい。思いやられながら思いやる。朗らかだけど憂鬱で、ダウナーだけどハッピー。そうした互恵といえるほど立派でも余裕のあるわけでもない関係こそが、人間同士のいとなみなのだと確認させてくれる貴重な作品です。




5.ゼルダの伝説:ティアーズ・オブ・キングダム

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ブレワイといっしょでラストのエモさにごまかされている気がしないでもないのですが、ちゃんとラストでエモくなれるということはそこまでのデザインが緻密に組み立てられているということなのだろうし、なんだかんだパズルを楽しく解いた気もするし、クリアから半年以上経った今となっては「とても良かった」という感触が残ってて、その気持ちは本物だとおもいたい。
だって、もう、縦の軸のゲームでさ、縦の軸のアクションのクライマックスやられたら感動しちゃうでしょう。しない? あなたにはひとの心がないんですか。いや、ひとの心がないのはブレワイであんな目に合わせたゼルダ姫をティアキンで百倍増しにひどい目に合わせなおす任天堂でしょうよ。こんな倫理観のひとたちに世界中の子どもたちがあそぶゲームや観る映画をつくらせていいんですか? まあでも劇場アニメ版『マリオ』を共同で作ったイルミネーションのメインコンテンツって泥棒だしな……。
ベストの五指に入っている理由の七割くらいはミネルさまです。


6.The Case of the Golden Idol

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The Game Awards の配信を某動画サイトで観ていたのですが、その冒頭で流れた本作の新作続編CMに対するコメントが「なにこれ?」といったような戸惑いの反応ばかりだったのを見て去年イチ悲しくなりました。The Case of the Golden Idol をご存知ない? なにも失ったことがないなら、それでいいけど*5
ひとことでいえば、『Return of the Obra Dinn』を2Dにして歴史改変SFにしてユーモラスで気持ち悪いおじさんたちを大量に投入した推理パズルADV、といったかんじでしょうか。「大量のユーモラスで気持ち悪いおじさんどもって、それ、要るやつ??」という疑問をおもちの向きもあるかとはおもいますが、断言しましょう、必要です。
ストアページのスクショやムービーを見てわかるとおり、この独特の絵からみなぎってくる謎のパワー、それそのものが本作の世界を織りなしているのです。
推理パートは理不尽すぎず簡単すぎないほどよいバランスで、それを解き明かす過程自体も愉しいのですが、謎を埋めていくことによって物語がプレイヤーのなかで読み取られていく過程のほうもまたエキサイティング。ここのあたりが『Return of the Obra Dinn』フォロワーの面目躍如たる部分でもあるでしょう。RotOD作者のルーカス・ポープ御大(埼玉県在住)絶賛も納得です。ちなみにエンディングのあとに全ストーリー解説もついてくるという親切仕様。
翻訳は有志のMODですが、これも凝っていてすばらしい仕事です。




7.Terror of Hemasaurus

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なんかデカくてつよいやつになりたい? なら、これ。
愚かな人類にイライラしてる? なら、これ。
ビルをぶっこわしてスカッとしたい? なら、これ。
ゴジラみたいな怪獣になって愚かで無力な人類をビルごとひねる潰す横スクロールアクション。ベースとなっているのは、何年か前にドウェイン・ジョンソンで映画化されたことでおなじみ(?)の『Rampage』(1986)。とにかく爽快。怪獣になって愚かで無力な人類を滅ぼしたい人にオススメです。途中で挟まるストーリーも諷刺がラジカルに利いててなかなかおもしろい。


8.Birth

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骨や臓物や植物でビジュアルを作り上げることに異常な執着を持つ Madison Karrh によるポイント・アンド・クリック式パズルADV。公式のストア紹介文によれば、「街中で見つかる骨や臓器から、寂しさをいやす生き物を作り上げるパズルゲーム」です。おぞましそうでしょう?
しかし、実際プレイしてみると、思いがけない温かさに満ちたゲームです。この感触はあまり類を見ない。
二時間ほどで終わる個人開発のゲームにわたしが求めるのは、そうしたユニークなテイストであるのです。新鮮な驚きとは、ミックやゲームのシステムだけに宿るものとはかぎらない。




9.Astrea: Six Sided Oracles

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Slay the Spire 的なデッキビルド式ローグライトカードゲーム……のサイコロ版。サイコロでデッキビルドというとテリー・キャヴァナー(『VVVVVV』などの開発者)の『Dicey Dungeons』があるわけですが、DDがヤッツィーっぽかったのに対して Astrea はStSフォロワーであることに呵責がない。
運と技術のバランスをいかに配分するかというゲームデザインの根本がつねに問われるデッキビルドものですが、「賽は投げられた」というフレーズがあるように、サイコロといわれるとかなり運よりな印象を受けがちです。しかし、本作ではその出目をスキルなどで事前/事後にかなりの程度、操作できてしまう。ここは発明ですよね。自分ではどうにもならないはずの運をテクニカルに操作ことで、逆に「運を自分で支配している」というプレイングの快感を演出している。そういう運要素の人為的操作ってふつーのカードゲームのデザインの基盤にもかならず含まれていたり(もっともシンプルな例がカードの追加ドローやリドローができるカード)するんですが、そこが明示的になることで単なるStSフォロワーとも違った味わいを生んでいます。

まあ、本作の詳細に関してはわたしよりうまく説明しておられる方がいらっしゃるのでそちらをお読みください。
yobitz.hatenablog.com

ふだんはあんまりデッキビルド系って熱心にはフォローしてないんですが、去年だと他にはポーカーを破壊していくポーカーベースのデッキビルド『Aces & Adventures』がたのしかったですね。


10.The Excavation of Hob's Barrow

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その昔、アドベンチャーサブジャンルにポイント・アンド・クリックというのがありました。画面上に表示されているキャラクターを主にマウスで操り、調べたい対象や移動先などをクリックして導くタイプのアドベンチャーです。90年代にルーカスアーツ(『The Monkey Island』など)の隆興とともに拡がりを見せ、一時代を築きましたが、さまざまな要因により2000年代には滅んだ*6……とおもわれていましたが、なんか00年代なかばにしぶとく復活し、こんにちに至るまで一定のファン層と文化を形成してきました。
ところで、Wadjet Eye Games というインディー・ディベロッパー/パブリッシャーがあります。The ShivahGemini Rueといった昔ながらの硬派なポイント・アンド・クリック・アドベンチャーを出している、というか、それしか出さないウルトラ硬派な会社です。ポイント・アンド・クリックというのは、操作キャラクターの出ない(つまり三人称視点ではなく一人称主観視点の)ビジュアルノベル的なインタフェースを持ったものを指す場合もある*7のですが、ワジェット・アイのゲームは日和らねえ。常に昔ながらのポイント・アンド・クリック一筋で勝負します。
The Excavation of Hob’s Barrow はそのような文脈において生み出されたハードコア・ポイント・アンド・クリック・アドベンチャーのひとつ。
19世紀のイングランドで、片田舎の墳墓の発掘調査にやってきた若き女性考古学者が、姿を現さない調査の依頼主を探すうちに墳墓と自分の因縁、そして村にまつわるある謎に気づいていく……という内容のフォークホラーです。
ちょっとローファイめのグラフィックによって描き出される悪夢的カットシーン、それもまあ、嘔吐する中年男性、なにやら木の枝にしばりつけられた中年男性、酔って目のすわった中年男性、魔女めいた老婆のアップ、穴の中でミミズに囲まれたブサイクな手作り人形、といった見ていてご褒美感ゼロの禍々しいイメージが連発されます。たしかにこのスロウでぬめっとした不吉さの提示はこのジャンルでしか出来ないような気がする。
スタイルこそはオールドスクールですが、操作感やシステム周りは現代的で、プレイ自体も快適です。
問題は、ワジェット・アイズ、というよりテキスト量が膨大になりがちなわりに売れにくいこの手のポイント・アンド・クリック全般にありがちな問題なのですが、日本語訳がないこと。けっこう特殊な単語が出てきたりするので、TOEIC2点のわたしにはつまづきながらのプレイでした。





11.South Scrimshaw, Part one

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トップ10の紹介も終わったところで、それそろ本記事の締切である1月1日の終わりも迫ってきたので、ここからはなるべく簡単に行きたい。
あ〜〜〜でもな〜〜〜これも本来ならトップ10クラスだったんだよな〜〜〜。数時間で終わる無料のデモ版なのに、とにかくフレッシュだった。
地球とは別の星に住むクジラの子どもの追う自然ドキュメンタリー番組風のビジュアルノベルです。このクジラがまたおもしろくて、成長していくにつれて海中の植物や動物や岩石や骨などを取り込んで個体それぞれに独自の共生環境を自分の身体表面に作り上げていく。生きる鯨骨生物群集みたいなものですかね。仔クジラが旅の道中で出会っていく大人クジラたちの個体ごとの違いを眺めるだけでも非常に愉しい。
クジラたちを取り巻く世界もまた作り込まれていて、テキストボックス中の注釈みたいな感じでその星の動物たちの生態や、ドキュメンタリーを撮っている調査班の設定などが明かされていく。時には注釈のなかに注釈gああり、注釈の注釈の注釈までいき、おもってみなかった情報に出会うことも。
ビジュアルノベルとしては取り立てて珍奇な仕掛けなどはほどこされていないし、デモ版というのもあってストーリーらしいストーリーも今のところないのですが、ただ「世界がある」という手触りが得られる。主人公の仔クジラも超絶かわいい。
フルヴァージョンが楽しみな一作です。日本語はこれもなし。

今年も海のゲームいっぱいねえ、ありましたね……山にクジラがいたゲームも……


12.Suzerain

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出たのは2020年で、翻訳MODが紹介されたのは2022年ですが、わたしは23年に初めてプレイしました。とある小国の大統領となり、外交では対立する大国のあいだで板挟みになり、内政では庶民と企業のあいだで板挟みになり、議会では右翼と左翼のあいだえ板挟みになり、家庭では家族と仕事のあいだで板挟みになり、内閣では友情と政局のあいだで板挟みになる、と、とにかくあらゆるところにジレンマの潜む、胃の痛くなるリソース管理系アドベンチャーRPGです。とにかくテキストとキャラクターが豊富で魅力的。これが非公式とはいえ訳されてプレイできるというのは、ひとつの奇跡といえます。




13.Diablo 4

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こいつです、おまわりさん。こいつが犯人です。こいつがわたしの貴重な時間を盗み、わたしの生産性をいちじるしく損ないました。ぜったい、許せねえ。なんですか、この……ボタンぽちぽちしているだけでなんか大量の雑魚をつぎつぎと屠ってレベルアップしていき使えるのか使えないのかわかんないスキルをゲットし強化しつつ、落ちている武器や防具などを絶えず選りすぐっていくだけで気持ちよくなれるゲームデザインは? こんなのあったらワンセッション二時間とか三時間とか平気で飛ぶに決まってるじゃないですか? 
ええ? ハックアンドスラッシュ? 知らないですね。そんなジャンル、聞いたことも触ったこともないです。
ええはい。たしかにそれはわたしのライブラリです。Grimdawnは……やったことあったかな……ある気がします。でも、ちょびっとです。舐めただけです。勝手にひとのプレイ時間をチェックしないでください。そういうの、違法捜査でしょ。知り合いの議員にいいつけてやるからな。
なんかストーリーとか? ぜんぜんよくわかんないんですけど、善良なひとびとの人生が神出鬼没のSEXY DEVILによって狂わされていくさまは見ていてなんだかいい感じがします。何の話なのかはシリーズほとんどやってないのでマジでぜんぜんわかんないんですけど。
でも、ストーリーがあるのはいいことだと思います。だって、クリアすればもうやめられるってことでしょう。
え?
クリアしても、やめられない?
なんで??? なぜ……?

14.Slay the Princess

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「森の小屋の地下に閉じ込められた姫を殺害せよ」と命じられた勇者に扮して姫を討伐しにいくビジュアルノベル。これ以上のことはあまり多く語れないので、さっさとプレイしてほしいところですが、日本語版がまだありません。要望が多ければローカライズしてくれるそうなので、要望を出しましょう。
構造としてはそこまで新鮮味は(特に日本では)ないのかもしれませんが、それを成立させるための手数とトーンのチューニング、テキストの味付け、そして声優の演技が極まっています。
結局のところ、わたしたちはみなバッド・テイストなゲームが好きなのです。




15.Shogun Showdown

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横方向にに一マスずつしか進めないというデザインがシンプルながらも効いているローグライト。日本語訳も地味にがんばっているとおもいます。


16.VIEWFINDER

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意外にプラットフォーマー的なセンスが要求される騙し絵的写真パズル。このアイデアを成立させるの大変だったろうな……とおもわされますが、TGAでインディー部門にノミネートされていたので、報われましたね。


17.Peglin

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Peggleにローグライト要素を足した結果、全人類にある悟りを開かせた。そうか、パチンコってローグライトだったんだ!


18.パラノマサイト FILE23 本所七不思議

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2023年のこの時代にゲーム中で設定した名前ではなく、パソコンのユーザーネーム(Steamの登録名だったかな?)でプレイヤーに呼びかける懐かしいメタネタをしかけてくるADVがあるなんて、という感動。しかしそれはもちろんジャブ程度のもので、本作の最大の楽しみなアクの強いキャラたちが織りなす、どこかファニーな群像バトル劇にあります。


19.Mothlight

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なんだかよくわからないが、16歳の少年の「とにかく俺は Dark Soul が好き」という熱情が前のめり気味に伝わってくるツクール製RPG。この作者は今は転生して『Angel’s Gear』とかあいかわらず尖ったゲームを作っています。


20.ファミレスを享受せよ

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ユニークさとウェルメイドさをふせもった個人開発者はなかなかおめにかかれないものです。『イルカにうろこがないわけ』では意外にゲームデザインのバランスのセンスめいたものも持っているんだなと気付かされる。そうか、このひとはバランス感覚が武器なんだ。

トピック別

【余談1:ゲームの翻訳の2023年】

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なにはともあれ、もはや説明不要な領域に達しつつある伝説のADV、Kentucky Route Zeroが”良質な”日本語でも遊べるようになったことをまず寿ぐべきでしょう。ローカリゼーションと訳者の重要性がこれほどまでに真剣に受け止められた年があったでしょうか。
わたしたちは『Baldur’s Gate 3』を発売年内にあそべるようになりました。『Chicory』もリリースから数年で翻訳されました。『Where the Water Tastes Like Wine』も日本語でプレイ可能になりました(わたしはなんかセッティングがうまくいかずに未プレイ)。特に翻訳なくても十分遊べたのだけれど『VVVVVV』も十数年越しに公式訳が出ました。わたしは難しくて投げ出してしまったけど作者独特の世界観が魅力的な『Angel's Gear』、いいかげん『To the Moon』やらななあとおもってるうちに公式有志訳された『imposter factory』、ツクール製RPGパズルADVとしては圧倒的な賛辞を受けている(個人的には合いませんでしたが)『RAKUEN』の六年越しのローカライズ『ストレンジャーシングス』前後の80年代ジュブナイルシンセホラーリバイバルムーブメントの流れにありながらも日本では訳されてなかったせいでいまいち認知されてない『OXENFREE』と、23年になって出たその続編『OXENFREE 2』。いまや最重要インディーパブリッシャーの一翼にのしあがった New Blood Interactive が贈るぬるぬるエイトビット悪魔祓いADV『FAITH』の有志訳、あの歴史的メタウォーキングシムのデラックス版というか事実上の続編『The Stanley Parable: Ultra Deluxe』、『潮汐少女:現象』や『上に天井がある。』のようなヴィヴィッドな小品ADVにすばやく翻訳がついた例、ゲームボーイ用の開発環境で作られかなりセンシティヴなテーマを扱うADVをひらがなで繊細に訳した『彼は私の中の少女を犯し尽くした - HFTGOOM』、あるいはKRZのように不十分だった訳をファンの愛の力で改めた『Milky Way Prince – The Vampire Star』(そして同じ翻訳者が訳した新作『Mediterranea Inferno』)もあれば、翻訳不可能ではないかと囁かれた『Pentiment』は……まあ、たしかに、知識を要する翻訳というもののハードルの高さを思い知らされました。


翻訳といえば、22年の『7 days to end with you』みたいな翻訳ゲーム*8を23年の新作でやりたい向きにオススメなのが『Chants of Sennaar』。他人のしゃべっている言葉や店の名前などがまったくわからない状態で、会話や探索で拾った記号から単語を推測していくパズルADVです。『7 days~』と似たようなシステム(推測まわりのインターフェイスは『Return of the Obra Dinn』あたりを参考にしてるっぽい)ではある。このゲーム自体のローカリゼーションまわりで地味にがんばっているのは、単語単位で確定させていくと、やがて他人の話しているセリフもちゃんとなめらかな文章として均されるというとこ。たとえば、「イヌ」「ネコ」「吠える」という単語をそれぞれ確定させたとして、そのままだと他人のセリフも「『イヌ』、『吠える』、『ネコ』。」とぶつぎれでカタコトっぽい文になりそうですが、ちゃんと「『イヌがネコに吠えていますね。』」という自然な文章にコレクトしてくれる。ここらへんが「外国語を学習して上手くなっている」感を演出できていて、いいなあ、と感じました。


ちなみにわたしが今年もっとも期待している翻訳待機作は『Decarnation』と、『文字遊戯』です。特に『文字遊戯』はすべてが漢字で出来た世界を冒険するRPGなのですが、これを中国語から翻訳するという偉業。デモ版に触れてそのとんでもなさを体感してほしい。

【余談2:きみもやがては他人のノスタルジー

80年代にカナダへ移民した南インド系の家族を描いた『Venba』や、南フランスで過ごした子ども時代が反映された『Dordogne』など、昨年はなにかと他人の国のノスタルジーが話題でした。*9
そんな他人の国のノスタルジー系ゲームで昨年最大の話題作と言えば、インドネシア発の青春アドベンチャーA Space for the Unbound』だったでしょうかストーリー面ではともかく、ビジュアル面では約束どおりのものを出してくれましたね。ストーリー面はともかく。美麗なピクセルアートで活写された90年代後半のインドネシアの田舎町のディティールは唯一無二の豊穣さで、コントラストの利いた陽光と影とサモサの屋台が織りなす風景は、なぜか日本人の「懐かしさ」にもクリティカルヒットします。『ヤンヤン 夏の思い出』(エドワード・ヤン監督)を観て台湾の夏休みノスタルジーに共感するようなものかもしれない。他国でも日本の80-90年代ノスタルジーが消費されているというし、実のところ、わたしたちのノスタルジーはわたしたちに固有のようで、けっこう普遍的なのかもしれません。特にアジア圏は意外と日本とコンテンツが共通しているっぽいし。日本カルチャーって思ったより人気あったっぽいんですよ。もう過去形だけどね。そして、今や日本という場のそのものがノスタルジーの対象になりつつある気がする。
たとえば、中国の90年代のノスタルジーを描いたループものADV『完璧な一日』というのもあって、かなり日本カルチャーが出てきてビックリします。ミニ四駆(『爆走兄弟烈&豪』!)に、ファミコンに、『餓狼伝説』に、ゴジラに……作中では純正品として描かれてますけど、たとえばファミコンとかはパチモンのホビーパソコンが主流だったはずですがそれはまあ。



(これがあの伝説のネットミームか……と感動した瞬間)


逆に去年『Fading Afternoon』を発表したロシア人開発者の yeo はヤンキーとかヤクザ(それも任侠映画な)とか、終わりゆく日本のアウトローをそれこそ80年代90年代的な風景とともに哀感たっぷりに描いていて、なんというか、他人の国のノスタルジーにうれしくなるのは自分だけではないのだな、とおもったりもします。

ノスタルジーとはまた違ったところで他国を感じられるのはWWIIに実際にあった台湾の爆撃被害(と日本による植民地支配の悲劇)を扱った『台北大空襲』は、当時の日台の複雑な関係がゲームのそこかしこに仕込まれていて、つきなみな言い方ですが、歴史を学べます。

インドネシアシンガポールを中心とした伝奇的事物を織り込んだ「イーストパンク」を標榜するハクスラGhostlore』も去年はちょっと触っただけだったので、いずれちゃんとプレイしたいな……。

【余談3:ガッカリしたゲーム】

わたしは欲望に忠実なので、事前の期待との落差でゲームに対する評価を決めてるところあるんですけれど、それでいえば2023年では『Starfield』と『Sea of Stars』の赤字がひどかった。この記事を書く前はその恨み言を1万字くらいぶちまけようかという勢いだったのですが、なんかここまでノンストップで記事を書いてきて色々疲れたのでやめておきます。

【余談4:ループもので苦しみを描くことについて】

In Stars and TIme』をやったときにループものについて考えさせられました。映画とかアニメとかの映像作品のループものって、ループ毎に繰り返されるルーチンをカットしたり、あるいはそこまでしなくてテンポよく編集して視聴者をいらつかせないようにするじゃないですか。去年は『リバー、流れないでよ』という例外も出ましたけど。
ゲームもジャンルとしてループものをやる場合は、結構ルーチンをカットできたりもしますよね。
でも、ループもののクリシェとして「終わりのないループに苦しんで狂っていく主人公」的なやつがあって。そういうのって、主人公の主観ではまさに毎回お定まりのルーチンを省略できないからこそ病みが積みかさなっていくじゃないですか。
つまり、視聴者と主人公の感覚をシンクロさせるには視聴者にも主人公のループを余すところなくリアルタイムに味わわせておくべきで、まあふつうのループものはそんな情動に主眼置かないわけですけど、『In Stars and Time』ではおそらくエンディングから逆算した結果意図せずうっかり置いてしまって、その結果大変なことになってしまったんですよ。
ここのあたりの「ループをあえてリアルタイムで繰り返すこと」について、『minits』や『Twelve Minutes』や『リバー、流れないでよ』あたりと比較しつつ考えておきかったんですけれど、そろそろ1月2日の1時を超えそうなので、今回はやめておきます。

【余談5:良かったサントラ】

歌モノでは終末青春恐竜人類バンドもの『Goodbye Valcano High』はバンドものだけあって、よかったですね。いかにもアメリカのインディーロックっぽい透明感が前面に出ていて。
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あとさすがにジャンル的に向いてないかなっておもってプレイしてないんですが、『クラブ・スーサイド』の「ねえ、ねえ」がすばらしかった。
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サントラとしては『Celeste』などでおなじみの Lena Raine がコンポーザーを務めた『Chicory』、Mr.Saucemanの『Pizza Tower』、ローファイながらも耳残る『ファミレスを享受せよ』とか……アッ、1時だ。


といわけで、わたしはいまから後生大事に新年までとっておいた『Alan Wake 2』と『Baldur’s Gate 3』をプレイする旅に出ます。三ヶ月くらい探さないでください。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

*1:そういえば、年末に murashit 先生とお話させていただいた(精確には murashit 先生は御簾の向こう側にやんごとなく御座し、その隣に侍っている御側衆の取次を介してやりとりした)ときに、ビデ美の話の流れで、プレイヤー個人の資質として「自己関与寄りにプレイしがちな性向/ミミクリ寄りにプレイしがちな性向」があるのではないか、といった話題になり、そのときにロールプレイもロールプレイとひとことでいっても、さまざまな態度がありそうだな、などとぼんやり考えたりもしたのですが、TCWSにはあまり関係ないのでここでは放っておきます。

*2:柴田元幸・訳「物語の語り方」

*3:電車乗れる機能とかもうエッジランナーズロールプレイのためでしかないだろ

*4:殊能将之 読書日記 2000〜2009』no.4683

*5:by 円城塔

*6:カットシーンをいちはやく導入するなどゲームの映画的な発展に寄与していたのですが、コンソールやPCの進化によってグラフィックが向上していくと、むしろポイント・アンド・クリックは映画的な演出や体験に不向きになってしまった。

*7:すくなくとも『Milk outside a bag of milk』ではそう言っていた

*8:「だからあれは翻訳ではないだろ」というお叱りは甘んじて受けましょう。

*9:ちなみにわたしはVenbaはクリアしましたけど、Dordogneは未プレイ

2023年の新作映画ベスト20選+α、その夢の年

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「自分の夢がなんなのか知りたかったら、それをつきとめる方法は、映画をたくさん見ることだよ」


コニー・ウィリス大森望・訳『リメイク』(ハヤカワSF文庫)



映画を鑑賞するときの視座の一貫性を失ってしまったような気がする。
みなさん、お元気ですか。
わたしはトムの怒れる暴走列車です。

2023年ベスト10

1.『オオカミの家』(クリストバル・レオン&ホアキン・コシーニャ監督、チリ)


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映画は夢でできている。年末に『ヘルレイザー』のリマスター版を観たときにもおもったのだけれど、なにかがある種の手続きに沿って生成されていく過程にはなにやら冒涜的なざわめきが宿る。自分が生成AIの絵について描出の完了したものよりはその過程で中断されたもののほうを、もっといえば、生成されていく過程そのものの動画のほうを好むのは、そうしたざわめきを興奮と錯覚しているからかもしれない。痒みだって痛みの錯覚なのだ。
『オオカミの家』はそうしたざめわき、網膜をとおして全身に大量のウジが這うような経験ができる数少ない映画だ。それは悪夢だ。昏い歴史にねざした昏いアニメーションだ。だが、すばらしい夢でもある。

2.『兎たちの暴走』(シェン・ユー監督、中国)


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ひさしぶりに帰ってきた母親がファム・ファタールとなって娘の人生を狂わせていく。
すべてのカットが夢のようで、あらゆる反復(特に火と開閉の行為)が陶酔的だ。だから……なにから思い出せばいいだろう?
再会のはずなのに、あたかも運命的に初めて出会ったかのような初々しさで娘にタバコの火をねだる(娘はまだ高校生だ)母、母と娘で異なる場所に置かれている寝椅子、『リズと青い鳥』ばりに誇示される学校空間の立体性、放送室で読み上げられる本心、間違えられていた誕生日、透明なiPhoneケース、しまわれた指輪、秘密のトランク、あらゆる視線のやりとり。ラストシーンが政治的検閲によって暴力的に中断される瞬間すら美しい。

3.『レッド・ロケット』(ショーン・ベイカー監督、アメリカ)


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バカなのに打算的で、利己的なのに愛されたがり。そういう最低な人間をチャーミングに描いてゆるされるのが映画の爽快さだと、そうした軽薄なレトリックを貼ってもよいのだけれど、その裏には作り手たちの繊細な仕事がある。イヌがいい。イヌの視線の効用をベイカーはわかっている。

4.『ベネデッタ』(ポール・ヴァーホーヴェン監督、フランス)


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幼い頃からキリストを幻視してきた少女ベネデッタは修道院に入って、やがて聖痕を受けた”イエスの花嫁”として修道院内で祭り上げられる。
このベネデッタに幻視されるキリストがいかにも気の抜けたイケメンで、信仰の対象としてどうなんだという感じなのだけれど、それが安っぽい撮り方で聖化され、ベネデッタ自身はほんとうに信じているのだと示される。人を感動させるイメージやイコンというのは、ヨハネの夢の昔から、キッチュで俗悪なものだ。昔読んだ矢部嵩の小説に主人公が「テレビみたいにきれい」と瞠目する場面があったのを思い出す。信仰はどこにでも宿る。宿らせる先はあなたが決められる。
聖者であることと背教者であることが同時に成立していたように、信じ貫くことと恣に自由であることは両立しうる。
そんなしなやかさがこの映画を痛快にしている。

5.『ミッション・インポッシブル:デッドレコニング PART ONE』(クリストファー・マッカリー監督、アメリカ)


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今年になって生まれて初めて、映画館で映画を観ている最中に事故で映中止になる事態に出くわした。それは音が途切れて映像のみ流れるという不具合だったのだけれど、他の観客たちと静かな困惑を共有しながら、急に細部や動きが強調されて鮮明になっていく映像を浴びながら、やはり映画は光と影なんだと感銘を受けた。残念ながらその事故った作品はわたしのベストに入る作品ではなかったのだけれど、『ミッション・インポッシブル:デッドレコニング PART ONE』を観たときに似たような感慨が蘇ったことを憶えている。まるでプロットの体をなしていないストーリー。アクションのために用意されたアクション。陰に隠されてもなければ狡く謀られてもいない陰謀。事前に何度も予告編で見せられて味のしなくなった断崖絶壁からの全力バイクフリーフォール。80年代から一ミリも進んでないAIの未来像。いやただだがしかし、そこには身体があって動きがあった。それが映画で、絶体絶命に見えるシーンも絶体絶命でないとわかっているはずなのに、危ない! トム・クルーズ! とハラハラする瞬間が何度もあり、あるいはそうした錯覚すらなくても、ただなにかこみあげてくる興奮があった。

6.『イニシェリン島の精霊』(マーティン・マクドナー監督、英国)


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さびしい田舎の島に男がふたりいて、なぜか喧嘩をする。それだけなのが、べらぼうにおもしろい。なぜならこれも貫かれているから。

7.『マイ・エレメント』(ピーター・ソーン監督、アメリカ)


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良いとか悪いとかではなく、いや、スタジオとしてははっきりマイナスなのだろうけれど、ピクサー/ディズニーのスタイルはもはや古い類型の物語(ディズニー的な類型の物語、という意味では必ずしもない)の語り直しにしか向いていない。今のかれらは根本的に新しい型を作り出すようには教育されていないではないか、とさえおもってしまう。カルアーツはなにを教えているのだろう。で、そこらへんを開き直った『マイ・エレメント』は鮮やかなロマンティック・コメディだった。見てよ、あのポンヌフみたいな橋!

8.『ファースト・カウ』(ケリー・ライカート監督、アメリカ)


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このところ一年にひとりはかつて苦手だった監督が好きになる、というイベントが発生する。去年はそれが原田眞人の『ヘルドッグス』で起こった(新作の『BAD LANDS』も良かった)。今年はケリー・ライカートだ。ライヒャルトと呼ばれていた時代になんかジェシー・アイゼンバーグがダムを爆破? しようとする映画を観て、観てというか、画面が超絶暗くてなにもわからない、へたくそかな? としか思わなかった。さすがに『ウェンディ&ルーシー』はイヌがよいのでなんとかおもしろく観られたけれど、これがアメリカインディペンデント映画界の希望の星とはずいぶん暗い未来だな、と内心考えていたものだ。いやあ、でもね、映画館で観たら、よかったんですよ。ライカート。映画館向きの暗さだったんですね。
本作も、セットアップは西部劇なのに主人公たちが成り上がっていく手段が撃ち合いでも黄金でも列車強盗でもなく、揚げ菓子だというのがいい。しかもその菓子を売るシーンがまあ暗色めいて汚らしくて菓子自体もそんな映えないのに、めちゃくちゃうまそうに見えるのがすごい。牛? ああ、牛はいいよ。最高ですね。イヌもいいですね。過去を掘り出す存在としてのイヌ。最新作と『ショーイング・アップ』をふせて観れば、ズレていたふたりが最後に並ぶようになる系映画のひとだとわかる。山田尚子もやっと来年新作ですね。

9.『北極百貨店のコンシェルジュさん』(板津匡覧監督、日本)


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デパートを舞台にしたあらゆる物語は『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』に憧れる。その呪縛は原作のころから『北極百貨店のコンシェルジュさん』には現れていた。そして、映画にはその憧れがさらに濃く出ている。映画版の追加要素である、デパートについての歌から始まるオープニング、縦方向のアクション……なにより、どこまでも軽やかで朗らかな身振り。そして、タッチ。
西村ツチカは硬い作家である。その生真面目さが原作の良いところでもあり悪いところでもあった。映画版もまた映画版なりの良さと悪さがつきまとう。よく褒められる脚色も、90分の一連の体験としてはおさまりがよいはよいのだけれど、扱っているテーマからさらに離れてしまっている。
それでもこの作品がブレないのはアニメーションの最大の長所、すなわち現実の重力からの自由さがあらゆるレベルにおいて実現されているからだ。

10.『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(ダニエルズ監督、アメリカ)


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いやしくも多少なりとも映画を観ている人間であれば、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』などいうキッチュで美意識にも政治意識にも欠ける(にもかかわらずそのどちらも具えているかのようにふるまう)作品を全面的に称賛するなどあってはならない、という風潮がある、という妄想がわたしを支配していて、だからこの作品は今年のベスト5なら5位に、ベスト10なら10位に、ベスト15なら15位にかならずランクインする。正義は果たされなければならない。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は薄暗い映画館内での2時間の約束を遂げてくれた。わたしたちも義務を履行しなければいけない。
なので、この作品が2023年に日本で公開された事実を残しておかねばならない。

裏ベスト10

11.『Pearl/パール』(タイ・ウエスト監督)

アメリカンドリームが崩壊していくさまを描いた作品は例外なく良いものだ。これもまたキッチュな信仰をもってしまった人の話で、しかしベネデッタとは違ってパールは、前作を観ているひとなら最初からわかってるように、オーディションに合格することはない。彼女は映画が始まったときから怪物だった。だから、夢を持ったこと自体がはじめから間違いだった。それでも夢は見てしまう。凡人から怪物にまで平等に配布される夢見る権利、それがアメリカンドリームの残酷さだ。破られ折られ壊されつくしてもなお、夢を貫こうとした人間はどうなるのか。それがこの映画と前作の『X』では描かれる。

11.『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(ホアキンドス・サントス&ケンプ・パワーズジャスティン・K・トンプソン監督、アメリカ)

ひたすら目にやさしくない。『オオカミの家』とは別の形態の夢。

12.『イノセンツ』(エスキル・フォクト監督、ノルウェースウェーデンデンマークフィンランド

これとか『怪物』とか、あまりに子役の扱いがうますぎる映画ばかり摂取していると、たとえばある映画の序盤などを観せられたときに、「子役だなあ」と当たり前の事実に白けてしまうようになってしまう。よくないね。

13.『ボーンズ・アンド・オール』(ルカ・グァダニーノ監督、アメリカ)

両足の脛の部分が破れたジーンズ(超絶ダサい)から骸骨のように覗いたティモシー・シャラメの脚。

14.『ザ・キラー』(デイヴィッド・フィンチャー監督、アメリカ)

どこかポンコツマイケル・ファスベンダーがひたすらカッコつけているだけ、という週刊少年サンデーにでも連載されてそうなギャグまんが風味を楽しむシットコム映画。もちろん、ハーゲンダッツを食べたがるティルダ・スウィントンも抜群に良い。

15.『エリザベート1878』(マリー・クロイツァー監督、オーストリア

今年は特に邦画で水の話なのに水の扱いが非常に雑な作品が多くてイライラさせられたのだけれど、その点『エリザベート
1878』はなぜそこに水があるのか、なぜその人に水を重ねるのか、を惰性ではなく常に自問して考え抜いた上で水を用いていて良かった。

16.『フェイブルマンズ』(スティーブン・スピルバーグ監督、アメリカ)

映画論映画としては最上級なのだけれど、スピルバーグに期待される快楽がやや削がれている。

17.『EO』(イェジー・スコリモフスキ監督、ポーランド・イタリア)

動物映画枠。

18.『ジョン・ウィック:コンセクエンス』(チャド・スタエルスキ監督、アメリカ)

象徴的なキャラクターを中心に据えたシリーズものというのは、再演されるたびに壊れていくカラクリ人形劇のようなもので、4を超えるとあとはどう壊れていくかの仕方の問題になってくる。ジョン・ウィックの壊れ方は理想的だ。

19.『BAD LANDS』(原田眞人監督、日本)

とにかく、冒頭のオレオレ詐欺の受け渡しをめぐる攻防につきる。

20.『ロー・タイド』(ケビン・マクマリン監督、アメリカ)

サイズ感と予算感に対して無理しない範囲ですべてを詰め込んで丁寧にしあげた青春クライムドラマの佳品。こういう端正さに出会うと、嬉しくなってしまう。ちなみにマクマリン監督は『メイド・イン・アビス』の脚色を担当しているらしい。悪くない人選では?


あとは『ロスト・フライト』、『SEARCH 2』、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』、『マッドゴッド』、『ヒトラーのための虐殺会議』、『アステロイド・シティ』、『ナチスが仕掛けたチェスゲーム』、『聖なる証』、『HUNT』、『PERFECT DAYS』、『HUNT』、『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』、『ファルコン・レイク』あたりもおもしろかったです。

アニメーションのトップ10

『オオカミの家』
『マイ・エレメント』
スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
長ぐつをはいたネコと9つの命』
『マッド・ゴッド』
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・スタジオ」
『窓際のトットちゃん』
ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』
『駒田蒸留所へようこそ』
『マルセル 靴をはいたちいさな貝』


イヌ映画オブジイヤー

★『ジョン・ウィック:コンセクエンス』
 『レッド・ロケット』
 『ザ・キラー』
 『エリザベート1878』
 『ノースマン 導かれし復讐者』
 『窓際のトットちゃん』
 『ファースト・カウ』
 『長ぐつをはいたネコと9つの命』
 『スラム・ドッグス』
 『イニシェリン島の精霊』
特別賞:『ガンサーの相続金』

ドラマ

『サクセッション』と『BARRY』の年