読書会までに『涙香迷宮』読めなかったショックで気力がわかない。
イーヴリン・ウォー『卑しい肉体』
傑作。構図的にも物語的にもかっきりキマって流麗なスクリューボール・コメディ。愛する恋人との結婚資金を稼ぐべく、純朴なイギリス青年アダムが奮闘する。1920年代のロンドンには海千山千の詐欺師が跋扈していて、アダムを含めた登場人物全員が金をだまし取ったりだまし取られたりする。その軽やかな笑劇を読み流していくうちに、ふと陰鬱な泥沼にハマっていることに気づく。そのウォーの卓抜した手つきがすでにして詐欺師的ですらある。
『ニューヨーカー誌の世界』第五話
Amazon ビデオのプライム特典で『ニューヨーカー』が作ったショート映像集が配信されるようになった。ドキュメンタリー、短編映画、映像エッセイ、その他もろもろを一回三十分の尺でのつめあわせ。
いきなり第五話だけ観たのは、紹介文にミランダ・ジュライの「ロイ・スパイヴィ」の映像化が含まれてますよ、と書いてあったからで、一回雑誌で読んだきりだったので、ああこんな話だったかなあと記憶の糸をシナプスに撚り合わせながら思い出そうとする。まあ、内容は寂しい女の一時の甘い妄想みたいなもの。主人公の女性はたしか原作では「180センチを越す巨体」みたいな設定だったと思うけれど、本編で彼女を演じていた俳優もいいかんじにデカくてモサかった。
あと、お目当てでなかったけれど、ロサンゼルスの太陽光の秘密に迫った「LAの輝き」もよかった。導入がふるっている。製作者である記者が三十年前、ニューヨークからテレビで逃走中のOJシンプソンと警察とのカーチェイスを観ている最中、ふと涙をこぼしてしまった。娘から「OJシンプソンがかわいそうなの?」と不審げに訊ねられた記者は、首を横にふって「いいや、ロサンゼルスの風景が美しすぎて」と答える。
彼は、三十年越しにそのカーチェイスを空撮していたカメラマンに会いにロサンゼルスへ出向く。
ロサンゼルスの独特の光線美は、年中温暖で雨の降らない気候(だからハリウッドが生まれた)と取り囲む山脈によって遮られたガスに反射する太陽光によって醸成されるものらしい。
そういえば自分もロサンゼルスの光が好きなのかもしれない。、昨年度の新作映画ランキングでベストテンに挙げた映画のうち、『インヒアレント・ヴァイス』、『ナイト・クローラー』と『マップ・トゥ・ザ・スターズ』はハッキリとロサンゼルスものだった。二位に入れている『セッション』もモデルとなっている音楽学校はニューヨークにあるはずなのに、撮影はロサンゼルス。してみれば、一位から三位までがロサンゼルスが舞台だったわけで。
とりわけ『インヒアレント・ヴァイス』は夢のようだった。掘っ立て小屋を挟んでかいま見えるビーチのやわらかい描線と空気、そのファーストショットから「この世界になら住んでみたい」と思わせられる。
吉元ますめ『くまみこ』六巻、『くまみこちゃん』、『くまみこアンソロジー』
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『くまみこ』の本編のキャラが誰も彼も二面性を備え、そのことに大なり小なりはがゆさや罪悪感を感じているなかで、いとこのよしおくんだけはそういうのがないうえにナチュラルな策略家キャラでもあるから結果彼だけが突出して怪物化していっていると思います。
『ボブとデイヴィッドと』(w/Bob & David)
Netflix で配信されてるスケッチコメディ。90年代に放送されてたシリーズが十数年ぶりに帰ってきたぞみたいなノリらしいが、とうぜんこちらもそんなもの観ていないし知らない。それでも海の向こうの新規視聴者を置いてけぼりにしない親切設計である。
構成が特異。プログレッシブ・スケッチコメディとでも呼ぶべきか、通常スケッチコメディはスケッチ(コント)ごとに独立していて、あるスケッチが終わると次のスケッチが始まり、スケッチ間に連続性はない。イギリスでは『モンティ・パイソン』、アメリカでは『サタデー・ナイト・ライブ』、日本ではまあドリフとかひょうきん族とか笑う犬のなんたらとか。
ところが『ボブとデイヴィッドと』はちょっと違う。最初のスケッチでギャグとして出てきたものをそのまま転がしていってしまう。
たとえば、第一回。親しい中年オヤジたちが集まって、互いに「将来の夢」を語り合う。「何事も50歳から初めても遅いということはない」と超ポジティブに「移動法廷の判事」だとか「携帯電話会社の社長」だと「ローマ法王(ユダヤ人なのに)」とかいくらなんでも50歳からでは無理すぎる夢をそれぞれ述べ、「実現できるよ」と励まし合うのだが、医者から節制を言い渡されて「肉を食わない」と宣言した男だけは「おまえには無理だ」と否定される。
「なんでアホなあいつが判事になる可能性より、俺が肉を我慢できる可能性が低いんだよ!」と男はキレるものの、スケッチの最後に届いた宅配ピザの誘惑に負けて肉を食いまくる。そこでいきなり画面が暗くなり、ナレーションが入る。
「◯◯は数年後、見事判事に昇格……」「△△は見事携帯電話会社の社長に」「××はハリウッド映画の監督に」「そして、□□はユダヤ人初のローマ法王に」
で、肉男は入院しました、というオチがつき、スケッチが切れる。
ふつうなら次から同じキャストでまったく別の設定、キャラのスケッチが始まるはずなのだが、なんとそこから「ローマ法王になった□□が出演しているCM」の話が展開される。さらにその次のスケッチでは「判事になった◯◯の出演しているドキュメンタリー番組」、そして「映画監督になった××のインタビュー番組」と続いていく。
最初のスケッチで達成された各人の夢が今度はそのままスケッチの設定やネタとして流用されるのだ。
あんまりアメリカのスケッチ・コメディ事情には明るくないので、『ボブとデイヴィッドと』が初めての試み、というわけでもないかもしれないが、観ていて新鮮だった。ギャグもふつーに楽しめる出来だしね。
ジョナサン・レヴィン監督『ナイト・ビフォア 俺達のメリー・ハングオーバー』
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「オトナになりきれないボンクラ男子」系ムービーかつローゲン主演作ではいまのところベストかな。
脱走して死んだシマウマ
ウマ科は元来誇り高い。シマウマはその中でも最も高貴な動物だ。
……そのわりに馬の家畜化は必ずしもかんたんに成功したわけではなかった。およそ九〇〇〇年前頃、西アジアで麦の栽培が開始され、ほとんど同時期に家畜の飼育も始まっている。羊や山羊に比べれば、牛や豚はやや遅れたが、馬はそれよりはるかに遅れて飼育されるようになった。
馬を家畜化する以前から、人間は家畜動物の扱い方をすでに知っていたはずである。しかし、馬を飼育するには、ほかの動物よりも、かなりの努力と革新が必要であった。
じっさい、ウマ科動物のなかでも、シマウマは現在でも家畜化されていない。(本村凌二『馬の世界史』中公文庫)
シマウマはなぜ縞模様なのか。
他の縞模様の持ち主たち、シマリスやシママングース、そしてトラといった動物はどれも擬態して天敵あるいは獲物から身を隠すためにシマシマの毛皮を獲得したと言われる。
だが、シマウマだけはそうではない。土色と黒の縞模様であるトラやシマリスなどとは違い、シマウマのモノトーンはサバンナで目立ちすぎる。擬態の体をなしていない。
一説には群れをなしたときに個体同士の境目の区別を曖昧にして、捕食者の狙いを定めにくくする効果があるともいう。
シマウマは自然に身を隠すのではなく、むしろ自分たちの存在を主張することによって生きようとする種なのだ。後ろ蹴りの威力に絶対の自信を持ち、けっしてヒトに飼いならされない。*1
そんなシマウマを牧場につなごうとしたのがそもそもの間違いだった。
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アンドリュー・バジャルスキ『成果』(Results)
Trailer Alert: Results | Guy Pearce, Cobie Smulders (Kaleidoscope Entertainment)
マンブルコアに関する記事をまとめといてバジャルスキを一作も見ないのもどうかな、というある種の疚しさから観た。出ている面子が常に無く豪華(といっても落ち目のガイ・ピアースだけど)だし、ルックス的にもそれなりに金をかけているっぽいので、マンブルコアに含めるべきかどうか。
ロマコメには普段あんまりノレないたちなのだけれど、これはよく出来ている。
最初はデブの成金(ケヴィン・コリガン)の恋愛話だと思わせといて徐々にデブの通うフィットネス・ジムのオーナー(ガイ・ピアース)の恋愛へとシフトしていくのを、不自然さなく見せていく。ピアースは「人間努力すればなんでもできる」という哲学を極端に信仰している人間で、いちおうまともな社会人ではあるんだけれど、ある事件がきっかけで殴り合って喧嘩したデブに対して別れ際、「でも身体を鍛えることはやめないでほしい。他のジムに通う気はないか?」と言葉をかけるちょっとズレたとこも持っている。
そんな彼、デブ、そして二人の男の間に挟まれたデブの専属トレーナーの女性(コビー・スマルダーズ)の三角関係、というにはあまりにグダグダでへんてこな関係が観ていて飽きない。
いかにもロマコメっぽい説教なのだけれど、これの前後のおかげで流れとしていい味出している。