「剣術者 佐々道休」について
五味康祐という時代小説家がいて、その人に「剣術者佐々道休」という短編があります。
その昔、加賀前田藩に冨田蔵人高定*1という音に聞こえた剣術名人がおりまして、内膳こと佐々道休はその養子です。
父の衣鉢を継いで大阪夏の陣の槍働きで功を上げ、殿様以下周囲のおぼえめでたきを得た道休でしたが、そのときに手柄をわけあった不破左兵衛という、これまた手練の同輩が、ある日自宅で左介なる若者によって刺殺されてしまいます。
不破は左介の親の仇でした。不破には、加賀藩の重臣だった左介の父親を上意によって殺害した過去があったのです。遺恨の理由はわかったものの、道休にとって「納得参らず」*2だったのは「不破が為す術なく殺された」という事実そのもの。殿様から拝領した絵をあらためている隙をつかれ、槍で襲われたならいかに不破といえどひとたまりもなかろう、というのが周囲の評価でしたが、道休は「不破はそんなレベルの剣法者ではない」と主張します。あるいは左介の親を殺した後ろめたさからあえて討たれたのでは、との説も、道休は「暗殺は殿様の命令だったし、そもそも不破はそんなことで罪悪感をおぼえるタマではない」とこれも一蹴します。
その後、道休は隠居して剣術へ専心し、剣名を天下に轟かせます。が、「それほどの道休が、わが生涯に釈然たらざるは不破左兵衛が死因なりと人に語っていた」*3。
ずっと、why について考えていたわけです。
そんなある日のこと、道休は主君利常から無刀取りの極意について訊ねられます。無刀取りとは刀を持った相手を素手で制する術です。「左様のお慰みに仕る術にて之無く」とにべにもない道休でしたが、「但し、お望みとあらば何時にても我が隙へ斬付けて御覧なされませ」*4と殿様を挑発します。
数日後、利常は一瞬の隙を狙い、伺候していた道休へ抜き打ちで一閃。道休はこともなげに刀をかわします。そして、勢いあまった利常は自分の脛を斬ってしまいます。
その瞬間に道休は悟るのです。自らの剣術の未熟、そして、なぜ不破が殺されたのかを。
道休は暗然と面をくもらせて述懐した。
「殿様を傷つけるようなる武芸は、世にある筈なし。我はこの日まで、人に名人の如く言われ、気にもめざりしが末代の恥辱なり。あの場合は、見事に殿の手に懸って斬られるが名人なり。我も日頃は左様の心掛けにてあれど、不意をつかれ咄嗟に身を躱したるは武芸未熟の証拠なり」
そう言って長大息し、
「今にして思わば、不破左兵衛は名人なり。彼は箱の蓋にても掴み取り、曲者の槍先はらうは造作もなけれども、主君拝領の絵に粗相あらばと恐れ、おのが胸板にて絵を守りしならん。我はこの年になっていまだ左兵衛どのに劣りしぞ」*5
時代物におけるホワイダニットは結局フツーのホワイダニットとどう違うのか
時代物におけるホワイは異世界ミステリのホワイのようなものです。異なる時代に生きている異なる人々の異なるロジックを読者は期待します。それでも実際にはどこかで自分たちと地続きの論理を欲しているのですから、読者とは厄介な生き物のようです。
ちなみにこれは外国を舞台にしたホワイでも一緒で、まあ梓崎優の「砂漠を走る船」におけるアラブ人の論理なんかはその例ですね。ああいうものを人は時代ミステリにも期待してしまう。というか、究極的にはあらゆるホワイダニットにそういうものを求める。それは「ここではないどこかを見たい」というフィクションへの根源的な欲望と繋がっています。
ここにあるそれとは違うロジック。言うのは簡単ですが、作る方は大変でしょう。そもそも、ミステリにおけるロジックとは納得感を与えてくれるからミステリの、あくまでミステリのロジックたりえるのであって、「ここではない」感を前提とする異世界ものと最悪に相性が悪い。寿司屋に来てハンバーグを頼むようなものですが、今の回転寿司にハンバーグ寿司があるように、今のミステリは市場の要請に従ってそういう需要も満たさなくてはなりません。
そうした異世界ミステリ作家たちの苦心の結果が、『魔術師が多すぎる』や『六花の勇者』の「ガワは異世界(あっち)だけど、中身は現実(こっち)」的な解決で、それはそれで立派だけれど、そんなんなら別にコッチ側でロウファンタジーミステリやればいいよな、森川智喜みたいに、森川智喜みたいに? という気分にもなります。森川を持ち出すなら、アラブの砂漠を異世界(ハイファンタジー)扱いするのに、高度な知能を持つ食人ネコが支配する無人島は異世界じゃないのか、みたいなセンシティブな問題も出来しますが、今はそういうことを考えるのは少しめんどうくさい。十二時です。
さて、「剣術者 佐々道休」はもちろんミステリとして書かれたものではありせん。が、あえてミステリとして見てみれば優秀な時代ホワイダニットであるようにおもわれます。
まず、「被害者は回避できる状態にあったにもかかわらず、なぜむざむざ殺されてしまったのか?」という設定が「剣豪」と非常にマッチして秀抜ですし、探偵役の道休自身が剣豪であるがゆえに他人が疑わないような死因に固執して、ずっと事件について考え続けてしまいます。そして、彼がホワイの真相にたどり着くのも剣豪であるがゆえです。気づきのきっかけとなる瞬間も実に剣豪小説的ですし、真相の内容もベリー武士ティック。
「殿様から拝領した絵を汚さないために反撃しなかった」不破の死に様は、現代に生きる我々にとって非常に不合理で共感もしづらいです。しかし、本編では「その時代だからこそ、この人物(被害者も探偵も)であればこそ」の必然性と「剣豪」という背骨を物語に一本通していたために、さほど違和感も拒絶感も生じません。贅沢なことに、現場に残された絵、という伏線まで張ってあります。
時代ミステリにおけるホワイとは、「その時代ゆえの」意外性のある内容そのものでなく、「その時代ゆえの」理路構築の手続きやキャラクターの一貫した性格及び行動に妙があるのではないかとおもいます。
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