名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


「不可能」をいつから日本人が使っていたかということに関して

 僕は明治大正の本を日々読み漁ってるすごい人ではないので、以下はすべてインターネットで調べたことです。

江戸期

「不可能」という組み合わせ自体は漢籍を輸入する過程で江戸時代にはもう日本人の目に触れていたらしく*1、日本人儒学者の山井崑崙(鼎)が中国古典の比較考証を行い、後に荻生北渓*2によって校訂された『七経孟子考文』にも「不可能」の文字が見える。
f:id:Monomane:20151218204549p:plain

 自分は江戸時代の漢文を読めるほど学も知性も高くないので、果たしてこれが山井が書いた文なのか、北渓が打った注の一部なのか、そもそも中国古典*3の原文にあったものなのかはわからない。*4ただ、すくなくとも仏教や儒学に通じたインテリ層は「不可能」という単語をこのころから目にはしていたのである。


明治前半

 明治以降はどうなのか、という話になると、google 先生が言うには確認できるもので一番古い用例は当時の外務省が発行していた外交報告書『大日本外交文書』の十三巻(明治十三年)で、そこにはふつーに「不可能ナリ」とか書かれていたらしい。
f:id:Monomane:20151218204703p:plain
 らしい、というのは原文をあたっての確証を得られていないからで、『大日本外交文書』は外務省によって全巻全文のデジタルアーカイブを公開されているのだが、テキスト化されていないため、膨大な資料をちまちま読んでいるうちに「何が条約改正だ!!!!!!しね!!!!!!」みたいな気分になってくる。そりゃあ志々雄様も国崩しに走るわけだ。
 グーグル先生もグーグル先生で謎の OCR 技術によって用例を探しだしてくれるぶんには素晴らしいのだが、『学問のススメ』に含まれている「𠃍*5能ワズ」を拾ってきて「『可能』ですよ! コレ!」と喜々として差し出してくるくらいにはバカ犬なので、全面的には信用できない。せめてグーグルで全文読めればなとも思うんだけど、著作権者(この場合は外務省?)の許可が降りないとかなんとかいいわけして見せてくれない。しかしいちいち1000ページ近い明治初期の文章を読んでいく*6のも大変なのでこのへんはがんばれない。
 まあたぶん、漢籍古典に通じたインテリ層が明治政府にも登用されて文書を書いていた、みたいな流れがあったんだと思う。たぶんだけど。


 だけど一方で、「不可能」が普段使いされていなかったのは事実のようだ。明治元年に編まれた日仏辞典『Dixtionnaire Japonais-Francais』には「可能」も「不可能」も見当たらない*7。同じ辞書では、孔多さんによると、明治二十一年の英和辞典『和訳字彙:ウェブスター氏新刊大辞書』にも明治十九年の日本語辞典『言海』にも載っていない。


明治後半

 「不可能」が今に残る文学作品に登場するのは時代が下って 明治三十年代からだ。
 青空文庫でざらり調べたかぎり、一番早く「不可能」を作文に使ったのは僧侶である清澤滿之で、彼は亡くなる直前の明治三十六年に雑誌『精神界』に発表した文で、「若し眞面目に之を遂行せんとせば、終に「不可能」の歎に歸するより外なきことである。私は此「不可能」に衝き當りて、非常なる苦みを致しました。若し此の如き「不可能」のことの爲に、どこ迄も苦まねばならぬならば、私はとつくに自殺も遂げたでありませう。」などとやたら「不可能」をフィーチャーしている。わざわざカッコでくくるくらいだから、珍しい単語とみなされていたのかもしれないし、清澤的にはいっそ自分の造語くらいに考えていたのかもしれない。
 その次に使ったのもやはり仏教学の大家、井上円了明治三十八年の「妖怪談」で「全く不可能でございます」と、いかにも気張りのないフツーの使い方をしている。
 仏教外の人間としては、夏目漱石が『中学文芸』によせて学生時代の思い出を語ったエッセイ「落第」(明治三十九年)で「今の日本の有様では君の思って居る様な美術的の建築をして後代に遺(のこ)すなどと云うことは迚(とて)も不可能な話だ」と述べている。*8

 用例は明治四十年代になると爆発的に増える。
 もしかすると、明治四十年に発表された田山花袋の『蒲団』が契機だったのかもしれない。正宗白鳥が『文壇五十年』に書いてるところによると『蒲団』は「一種の革命宣言」みたいな衝撃が当時はあって、信者もアンチもこぞって影響を受けていたらしい。小説家がこぞって『蒲団』を読みこむうちになんとなく頭に「不可能」という単語がすりこまれていった、と考えるのは九割九分まちがっているだろうけれど、想像するだけならたのしい。
 森鴎外明治四十一年に「不可能」を見出すや、使い勝手のよさを気に入ったのか、その後、『雁』、『青年』、『独身』といった明治四十年代の自作に「不可能」を使いまくっている。

 それよりひとつ下ふたつ下の世代の作家たちになるともうなんのてらいもない。
 坂口安吾に至っては明治黎明期を舞台に勝海舟を主人公にすえた『明治開化安吾捕物帖』で「不可能」「不可能」と連発している。明治三十九年生まれの安吾にとって「不可能」を勝海舟が口にするのになんの違和感もなかったということだ。


 事ほど左様に、日本語において不可能は可能化されてきたわけですね。

*1: 日本に輸入されたという清の『欽定古今圖書集成』からも「不可能」が検出される

*2:荻生徂徠の弟。ちなみに山井は徂徠の弟子だったんそうである。へー。

*3:七経+『孟子』らしい

*4:「子曰」とあるので、原典からの引用である可能性が一番高い気がする

*5:「事」の略字。

*6:もしかしたら十三巻以外も読まないといけないかもしれない

*7:「説明(expliquer)できないこと」として「不可説」というのは載っていた。「不可説」は仏教の用語(可算数字として最上級の単位)であるので、日本人には昔から馴染みぶかかったんだと推察される

*8:漱石の弟子である科学者にして俳人寺田寅彦のエッセイのなかでも「不可能」という言葉が頻用される。師匠から教えられて学んだのか、その逆なのか、どちらでもないのか