名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


第三回文学フリマ出展告知とその詳細

 あけましておめでとうございます。
 突然ですが、1月20日(日)に京都市のみやこメッセで行われます京都文学フリマに出展します。徒党を組んで。


追記: 完売しました。当日購入いただいた皆様に感謝です。

追記その二: 電子版販売を始めました。5月21日までの期間限定販売です。‪
strange-fictions.booth.pm


bunfree.net

 配置はう-43。サークル名は「ストレンジ・フィクションズ」。

c.bunfree.net

 今回の特集内容は『異色作家短篇集リミックス』。
 昔、早川書房から出されていた『異色作家短篇集』という叢書の収録作・収録作家を下敷きに創作を書く、いわゆるトリビュート本ですね。
 最初は創作だけの薄い本になる予定でした。
 が、せっかくなので評論も入れようインタビューもやろう創作もリキ入っちゃった等で増しましが際限なく膨れあがり、最終的には270ページを超える見込みに。その場のノリというのはおそろしいものです。高級なノリになればなるほどよく燃やされる。
 

 ってなわけでなんだかんだ豪華になってしまいました。
 第九回創元SF短編賞大森望賞を受賞した織戸久貴同人の受賞後第一作や、『立ち読み会会報誌』の孔田多紀同人による「『異色作家』『奇妙な味』というタームの起源と発展」について十分でよくわかる解説もいまならついてくる。
 ゲスト原稿もゴージャスの極みです。
 表紙絵とカバーストーリーの掌編には『魔女の子供はやってこない』『〔少女庭国〕』の矢部嵩先生。
 インタビューには『呪いに首はありますか』『牛家』の岩城裕明先生、『刀と傘 明治京洛推理帖』の伊吹亜門先生のおふたり。
 岩城先生には「現代の異色作家」を切り口に、デビューから現在にいたるまでのさまざまなご活躍を語っていただきました。
 伊吹先生には11月に出たばかりのデビュー作『刀と傘』に関連し、作家としての御自身の源となった「14の短篇」についてサークルの先輩でもある織戸同人と対談していただきました。

 まあ概要はこんな感じ。ジャンルでくくるとミステリとかSFとかになるはず。


 で、おしながきやコンテンツごとのやや詳しめの内容を知りたい方は以下をご参照ください。画面はいずれも開発中のものです。

 

コンテンツ紹介

カバーストーリー

矢部嵩「私の好きな異色作家短篇集について」

 矢部嵩先生による寄稿。
 おじいちゃんと釣りに行ったときの思い出が書き綴られています。二ページほどの掌編ですが、あますところなく矢部嵩節が発揮されております。

特集:異色作家短篇集リミックス

創作パート

 企画趣旨:『異色作家短篇集』から各自好きな短篇(あるいは作家)を選んで、それを「リミックス」した短篇を書く。

九鬼ひとみ「十三子のショック」

リミックス元:リチャード・マシスン*1『十三のショック』

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 古今東西のホラー・怪奇コンテンツを語らせたら関西に並びたつもののいない博覧狂奇の怪人・九鬼同人。
 本作は元ネタの『十三のショック』に収録されている短篇をなるべくいっぱいリミックスしようという気宇壮大な志のもとに書かれた怪奇姉短篇です。
 作者は「富沢ひとし先生の『プロペラ天国』みたいに異なる姉がいっぱい出てくるとうれしい」みたいなことをお話になっていました。うれしくなるんじゃないかとおもいます。

紙月真魚「いつかの海へ」

フレドリック・ブラウン「雷獣ヴァヴェリ」

 死んだ伯父の遺品から金魚石なるふしぎな石と伯父の書いた同人SF小説を発見した少年が、その小説を読み解くうちに「あること」に気づく……という叙情的な内容。寓話的なSFとミステリの手法が融合したノスタルジーあふれる青春小説です。

浦久「象が地下鉄東西線に体当たり」

リミックス元:ウィリアム・コツウィンクル「象が列車に体当たり」

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 京都市営地下鉄東西線二条駅構内に忽然とゾウが出現し、いとけない京都市民を虐殺する話です。京都市民がゾウに踏まれて虐殺されるジャンルではたぶんナンバーワンなんじゃないかとおもいます。
 作者いわく「リミックスといえば古川日出男なので古川訳の『平家物語』の構成を用いた」だそうで、ふーんと思っていましたが、昨年十月に『MONKEY』のカバー特集に古川先生も参加していたの見、ささやかながらこれもシンクロニシティなのだと感じます。

水月司「渚の邂逅」

リミックス元:レイ・ブラッドベリ「穏やかな一日」

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 本来水月同人は非人情的なぐらいピーキーでガチガチのパズラー本格ミステリを書くヒトです。なので最初「ブラッドベリでやる」と聞いたときはいささか不安を催したのですが、実際あがったのを読んでみると杞憂でした。
 クラシカルな本格短篇でありながらも、ブラッドベリの叙情がうまい具合に絡まっていい感じのバランスにおさまっています。この企画でしかやれないであろうラストも見事。知らないあいだに人間は大人になっていくのだなと感じました。
 執筆中は取材と称してずっと Don’t Starve と Civilization V に興じていたようですが、それらが作品にどのような形で反映されているのかは不明です。



織戸久貴「時間のかかる約束」

リミックス元:シオドア・スタージョン「孤独の円盤」ほか
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 第九回創元SF短編賞大森望賞を受賞した百合SFおよび姉ミステリの麒麟児による受賞後第一作。
 理に生きエモに死ぬ織戸同人が選んだリミックス元はもちろんスタージョンです。
 ある街に出現した謎の円盤と交信する妹、その妹に寄り添う姉、そして彼女たち姉妹の物語をつむぐ作家が巻き込まれるとてつもない実験とは。
 作者自身も謎の円盤と交信して「『天体のメソッド』をやれ」というメッセージを受け取り実行したところ、完成後の昨年暮に『天体のメソッド』第二期の発表があったといういわくつきの短篇でもあります。 
 創元SF代表としてハヤカワ『SFマガジン』を向こうに回して史上最大の百合決戦を単騎挑む織戸先生の姉妹SFミステリをよろしくおねがいします。
 
saitonaname.hatenablog.com


孔田多紀「特別資料」

リミックス元:スタンリイ・エリン「特別料理」
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殊能将之論の名著『立ち読み会会報誌』で斯界の話題をさらい、松井和翠さんの『推理小説批評大全 総解説』の巻末座談会にも招かれるなどここ最近のミステリ評論界でプレゼンスが急上昇中、気鋭の論客・孔田多紀同人も創作と評論の二刀流で緊急参戦。
 小説がまったく読まれることのなくなった近未来の日本で、学校の図書係に任命された少年が小説好きの図書館司書との交流をつうじてフィクションのよろこびに目覚めていく……と書くとほのぼのした小説讃歌のようですが、ところどころで垣間見せる突き放したクールさに批評性がしのんでいます。
 ある種の読書論でもあり、本同人誌全体に対する評論みたいな内容でもある。創作パートの棹尾をかざるにふさわしい小篇。
anatataki.hatenablog.com


インタビュー・座談会・エッセイ

異色作家・岩城裕明氏メールインタビュー

 聞き手は九鬼同人。現代の異色作家・岩城先生のデビューから現在までを一問一答方式で答えていただきました。文学フリマに出展した縁からとある本につながったり、デビュー当時に先生が志向していた形式についてのお話があったり、短いながらもなかなか豊かです。

参考文献解題(孔田多紀)

 孔田同人による「「奇妙な味」「異色作家」という語が発生し拡散するまで」を素描していく野心的企画。
 「奇妙な味」の首唱者である江戸川乱歩から発して都筑道夫小林信彦常盤新平中村融らにリレーされていくうちに微妙に変容しつつゆるやかな合意を形成していく過程がスリリングに書かれています。
 これさえ読めば、明日からきみも異色作家短篇集博士。

平成以後の異色作家について語る匿名座談会

 「参考文献解題」が「異色作家」のいままでの話だったするのならば、これは「異色作家」のこれからを語る座談会。参加者がもちよった「ぼくのわたしのかんがえた最強の現代異色作家ベスト5」を戦わせてナンバーワンを決める大会です。いや、実際に戦わせはしませんが。
 やたらネームドロップしているだけの内容に見えるかもしれませんが、そのこと自体が「異色作家」や「奇妙な味」をめぐる状況をあらわしているともいえますね。
 巻末には座談会に出席できなかった九鬼同人のベスト5とコメントも掲載。

〈奇妙な味〉短編漫画エッセイ(紙月真魚

 まんが大好き紙月同人が編む現代の〈奇妙な味〉短篇まんがアンソロジー古今東西のストレンジでホットな短編を情熱的に紹介していきます。

二〇一八年の新作異色映画(浦久)

 二〇一八年に公開された新作映画のなかで浦久同人が「異色っぽい」と思ったものをあげたリスト&コメント。ラインナップは見てのお楽しみ。

小特集:伊吹亜門

ロングインタビュー 伊吹亜門と十四の謎

 昨年11月に東京創元社から『刀と傘 明治京洛推理帖』でデビューするや法月綸太郎綾辻行人辻真先、青崎有吾など斯界の本格玄人たちから絶賛を集めた今日本ミステリ界最注目の新人、伊吹亜門先生のロングインタビュー。聞き手はサークルの先輩でもあり、デビュー前から伊吹先生を見守り共に研鑽に励んできた織戸同人。
 「伊吹亜門」という作家を形成した十四の短篇たちをその読書経歴(小学生から現在まで)とともにシロノワールより濃厚に語りおろしていただきました。
 思い入れ深い十四の短篇ひとつひとつが『刀と傘』の要所要所にパズルのピースのごとくはまっていくさまはそれ自体本格ミステリの解決編のような快感。ほとんど「メイキング・オブ・『刀と傘』」の趣です。

 伊吹亜門を読まずして二〇一九年を語るなかれ、
 本インタビューを読まずして伊吹亜門を語るなかれ。

小論――情念小説としての『刀と傘』解説(織戸久貴)

 織戸同人による「今現在、世界で最も詳しい『刀と傘』解説」。連城三紀彦の小説に対する巽昌章の「反―情念小説」というタームを援用しつつ、連城と『刀と傘』をあざやかに対比させ、伊吹亜門という作家をミステリ史のなかに位置づけた力作。今度の伊吹亜門論の試金石となるであろうことは間違いありません。
 


 こんなかんじ。
 繰り返しになりますがこういうのは末尾にもあったほうが便利なので書いておくと、
 事前予約・取り置き等もやっておりますので、
 ご希望の方は twitter の公式アカウント(@strangefictions)かメールアドレス(strangefictionsdoujin@gmail.com)に
「受取人名と欲しい部数」を添えて御連絡ください。一部1000円です。

*1:旧版ではマティス

まんが臨終図鑑2018〜(主に)二、三巻で完結してしまった今年のおもしろ漫画たち〜



 無駄だった
 全部……
 全然……伝わってなかった……


 ちゃんと言葉で言えば良かった?


「死なないで」って


 大今良時聲の形




 失うことから全ては始まる。


 山口貴由シグルイ



 うちの出す「年末ベスト」はこれです。

目次

ふめつのこころは LOVE LOVE LOVE


「諸行は無常」とはよくいったものです。
 人生がまったき真空であったとしても、時は流れ、各種まんが雑誌は定期的に刊行され、いろいろな連載が始まり、いろいろな連載が終わっていきます。
 『へレディタリー』という映画をごらんになったでしょうか? 
 まんがを終わらせる力学はああいうホラー映画によく似ています。原因は説明される。理屈は証明される。だがわかったところでキャラたちを殺しにくる魔の手は防ぐことはできない。
 観客である私たちは諦念をもって画面上で起こる悲劇をただ見守りつづけるしかないのです。
 ほんとうにその作品を愛していたのなら止められたのかもしれません。一巻につき百冊購入したり、アムウェイの勧誘員が裸足で逃げ出すしつこさで知人友人に薦めまくり、編集部に毎週ファンレターを出せば、あるいは打ち切りを防げたのかもしれません。ファンレターは実際効力あるそうですね。
 もしもあのとき、ああしていれば。
 もしも私にもっと覚悟と信心さえあったなら。
 ですがスタッフロールを眺めながらいくら「もしも」を考えたところで過去は変わりません。あなたのまんがは死んだのです。もういない。つづかない。

 残されたものにできるのは弔うことだけです。思い出を語り、ありえた未来を想う。
 さいわいなことに(小路啓之谷口ジローといった少数の不幸を除けば)まんがは死んでも作者は描き続けます。
 唱えるべき神の名前さえわかっているなら、次の信仰心をどこに賭けるべきかもわかる。そうではありませんか? そうやって、あなたたちは数々の奇跡を起こしてきたではありませんか? 
 お疑うたがいなら今すぐ Amazon Prime へ飛んでアニメ版『あそびあそばせ』をごらんあそばせ。そして kindle で『りとる・けいおす』の完全版を買え。その業を畏れよ。たしかに軌跡はそこにあるのだ。『蛮有引力』のラストが疑いなく『シグルイ』につながっていたように。

 では見ていきましょう、いつかは昇る北斗の伏龍たちを。

ルール

・二〜四巻で完結した作品(最終巻が2018年に出たまんが)を主として扱う。打ち切りっぽければもうちょっと長く続いた作品も入れる。*1
・単巻完結、短篇集、上下巻で出てるやつとかはナシ。*2
・オススメしやすさ≠個人的な好き度。★★★=一話完結形式で打ち切りの影響を受けにくいものや長さなりに完成度の高い長編が中心。★★=いろいろと不本意だったんだろうなあ、という箇所が見受けられるが、一本の物語として大きな破綻もなく読みやすい。★=いわゆる打ち切り展開。手仕舞いまでに十分な時間を与えられなかったんだろうが、連載中はたしかに未来が見えたんだ。



なんで終わったのかわからないレベルでおもしろい組

『星明かりグラフィクス』(全三巻、山本和音、ハルタコミックス、オススメしやすさ:★★)

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(なんか Amazon のリンクがうまくいかない……)


 ひところよりアートや美大を題材にした作品が増えたように見えるのは、美大出身のまんが家が当たり前になったからでしょうか。
 そのなかでも近年最良の収穫が『ブルーピリオド』であることは論を俟たないでしょう。しかしおなじく「青い時期」の描いた美術ドラマとしては『星明かりグラフィクス』もけしてひけをとっていませんでした。
 まあ美術といっても絵画ではなくデザイン系の物語です。
 舞台は埼玉県のとある美大。油絵を専攻する園部明里(黒髪だんごメガネ)は、デザイン専攻の同級生・吉持星(ウルトラ潔癖症で人間嫌いの金髪)の才能に目をつけ二人だけのデザインチーム「ほしあかり」を設立。学校の内外でデザインの仕事を請け負います。
 計算高いリア充マネージャー気質の明里と典型的な天才型コミュ障の星は凸凹がうまく噛み合っているように見えたのですが……という美大青春物語。
 
 みなさんは関係性、お好きですか?
 わたしは大好きです。
 さてここにいい関係性があります。
 共依存です。たんに「共依存って耽美でええわ〜」みたいなためにするやつじゃない、キャラと物語的に必然のある純度の高い共依存
 とにかく人間嫌いで主体性のない星と、その才能を世に出す(そして自分が出世する)ために外部との折衝を担当する明里という構図で始まりまして、とにかく星のプロモートに奔走する明里の姿はまるでお母さんのよう。最初は打算かもしれなかった明里も、星の世話で彼女自身を深く知るにつれて、だんだん一個の人間として友情を昂めていきます。
 星は「ほしあかり」での仕事を通じて外部の接点ができるにつれ、星も社会性を獲得していき、ときには自分自身に対する客観的な視座も持てるようになります。
 ただ人間的に成長しても、星からは明里が「保護者」であるという前提は抜けません。二人が不可分の関係であることは変わらないのです。
 そのままその関係が続くなら美しいドタバタ美大コメディだったのでしょう。が、学園という場はヒトや関係を変えずにはおられない。
 星は本物の才能を持つがゆえに「世間」がほっときません。大学の中では「デザイン事務所ごっこ」も成立したでしょう。しかし明里のマネージメント力は星のデザインセンスと異なり、社会においては代替可能なものです。
 このジレンマに気づいてしまったとき、明里は、星はどうなるのか。

「天才と凡人」の構図、そして置いてけぼりにされる凡人側の葛藤はさして珍しくないかもしれません。しかし、夢と挫折のるつぼである美大生活と彼女らをとりまく美大生たちの描写が才能譚である本作をより味わいぶかくしています。
 単純にある分野で才能があったりなかったする人々もいるし、才能がある側でもそれがどういう類かの才能で選択可能な人生が違ってくる。それでいて最終的に何を選び取るかは本質的に才能や他人からの評価ではなくて本人の意志と想いにゆだねられている。
 最終的には意志があるからこそ、わたしたちは関係をあきらめないでいられる。そういう人間讃歌です。
 劇中で回収しきれなかった要素も多々見受けられますが、その輝きを汚すほどのものではありません。以て瞑すべし。

『ワニ男爵』(全三巻、岡田卓也、モーニング・コミックス、オススメしやすさ:★★★)

 食卓、それは人類の秘めた野生と築いた文明が衝突するフロンティア。
 空腹を満たす動物の行為とよりよい味を探求をする理性の営為が絶え間ない駆け引きを繰り広げることで、わたしたちの日々を豊かにしてくれます。しかし食事はあまりにも日常的でありすぎるため、ふだんそのことをわたしたちが意識することはありません。
 そんな食文明の根源をわれわれに啓いてくれる希少なグルメまんがが『ワニ男爵』です。

 タイトルロールともなっている主人公の「先生(本名アルファルド)」は小説家のワニ。美食家でもある彼は美味しい食事を求め、お調子者の兎・ラビットボーイ(通称ラビボ)と共に街へ繰り出します。

 ポスト『ズートピア』という点でいえば、本作は実は『BEASTERS』(板垣巴留)よりも『ズートピア』的です。*3『BEASTERS』が「本能にからめとられそうになる理性」を描いているとするならば*4、『ワニ男爵』は「徹底して本能に勝利する理性」を謳います。

 ふだんの「先生」は絵に描いたようなジェントルマンです。シルクハットに蝶ネクタイというフォーマルな格好(でも残りのパーツはほぼ裸)で、言葉遣いも慇懃、物腰は至極やわらかかつ穏やか。
 それが故郷のナイル川を想起する環境に置かれるや、知らず暴走し、「野性」へと還ってしまいます。
 若いころの「先生」は弱肉強食の原理が支配するナイル川に棲む野生のワニでした。しかし不毛な縄張り争いやただ無法に肉を貪る日々を疑問を懐き、陸へとあがったのです。
 そんな彼にとって食事とはただ食欲を満たす行為ではありません。野蛮な過去を克服し、文明人として生きることを選んだことの確認でもあるのです。
 しかし、ワニの本性は、封じきるにはあまりに強力すぎました。楽しい食事の最中に「野性」化してしまった「先生」の姿に怯えるラビットボーイ。
 正気を取り戻した「先生」はラビットボーイにこう告げます。「かけがえないのない友を傷つけてしまうなんて私には耐えられない」「去ってください、私の前から」。
 しかしラビットボーイは離れません。「俺……先生に食べられるのなんてちっとも怖くない!! 本当に怖いのは無料(タダ)でうまいものが食えなくなることなんです」。
 この絶妙な感動のさじ加減。
 
 ラビットボーイにかぎらず、『ワニ男爵』では食事を通じてひとびと(動物ですが)がつながっていきます。実際の野生動物はどうあれ、本作では「野性」は孤独の象徴として描かれ、それが食事という文明のあたたかみによって解消されていく。ドラマが広がっていく。
 動物の生態を利用したまんがが増えてひさしい今日このごろですが、これ以上「擬人化された動物であること」にストーリーテリングのレベルで必然性を持たせた作品はなかなか見ません。
 岡田先生のあたたかみのある線とユーモラスなセリフ回しも洗練されていて、誰もが好きになるまんがだとおもいます。今から好きになっても遅くはないです。以て瞑すべし。
 

魔法少女おまつ』(全二巻、吉元ますめヤングマガジンコミックス、オススメしやすさ:★★)

魔法少女おまつ』、打ち切らる。『くまみこ』でテッペンを極めた天才・吉元ますめ*5にとってはせいぜいかすり傷程度だったでしょうが、読者にとっては二度と取り返しのつかない大いなる損失でした。
 時は江戸時代。パートナーだった魔法少女から引き離され過去へタイムスリップしてしまった妖精(いわゆるマスコット)ニャン太郎は当地で魔法少女を見つけ、その力で元の時代に戻ろうと勧誘活動に乗り出します。が、封建社会のリアリズムに生きる江戸時代人たちは魔法少女になるのに必要な「ドリーム力」が圧倒的に足りていなかった。
 絶望にくれるニャン太郎。そんなとき、やたら「ドリーム力」に溢れた少女おまつが現れ、無理やり契約を交わすが……というコメディ。
 いまさら吉元ますめ先生のポジティブな意味で遠慮なく破壊的なギャグのセンスと、そのなかに垣間見せる、人が人に寄せる(ときにはクマが人によせ、イモムシが妖精によせる)ひめやかな情の繊細さが絶人の域にあることは説明を要さないでしょう。魔法少女もの批評としてもなかなかピーキー
 話も良いですが、本作は絵もいい。
 漠然と「時代劇」をやることだけが決まっていた企画で「昭和の絵柄で描いてみたい!」と杉浦茂の本を読んでタッチを取り込み画風を進化させたエピソード*6は先生の天才の一端を示していますが、なるほど杉浦茂風のポップで線の丸い絵とますめワールドのリアリティが程よくマッチし、そのうえで丹念に取材された江戸の風景に溶け込んでいる。
 この奇跡のようなバランスだけでも二十巻くらい続ける価値はあったはずですが、KADOKAWAのマイナー誌(『Fellows!』、『フラッパー』)あがりに講談社の主力(?)ヤンマガ編集部は厳しかった。無念の二巻打ち切りです。以て瞑すべし。

『黒き淀みのヘドロさん』(全二巻、模造クリスタル、it Comics、オススメしやすさ:★★★)

 終わるまんがについて。
 世の中には終わったのか終わっていないのかどうにも不明なままに終わったり続いたりするまんがが多数あり、これもそのうちひとつで、*7だがいずれにしろ読んだ瞬間にあなたの一切が終わる。あなたが終わるまんが。そういうものもあるのです。
 ヘドロさんは女子高生レーンちゃんの魔導書によって召喚されたヘドロ人間。「善人」としてあらかじめプログラムされており、人助けに生きがいを見出します。ヘドロさんは持ち前のおせっかい精神を発揮して、執事に凄惨な暴力をふるうお嬢様や無免許なのになぜか学校に潜り込んで教師として振る舞う女などと相対します。しかし彼女の善意はいつも良い方向へ作用するとはかぎらなくて……というお話。
 模造クリスタル作品の例にもれず、『ヘドロさん』は孤独で歪な世界に閉じこもる人々が描かれます。これがそんじょそこらの安直な物語ならば、そうした寂しい円をぷちっと開いてハッピーエンドをもたらすのでしょう。ですが、もぞクリ先生はそういう方法はとらない。そんな嘘はつかない。
 先生は本気で孤独や歪みに寄り添おうとします。倫理や役割が明確であるかのようにふるまってるくせに実はグズグズな世間に生きる孤独に対し、どこまでも真摯に向き合うからこそ、一般的な物語メソッドからすればバッドなのかグッドなのか煮え切らないオチへと導かれる。
 『ヘドロさん』はまだわかりやすいほうかもしれません。「人助け」という主人公にはっきりとした役割が与えられているだけあって、悩みも明瞭ですし、最終話もわりあいきれいにまとまっている。以て瞑すべし。
 
 

『Do Race?』(全三巻、okamaヤングアニマルコミックス、オススメしやすさ:★★)

Do race? 1 (ヤングアニマルコミックス)

Do race? 1 (ヤングアニマルコミックス)

 なぜ okama 先生のまんがはすぐ終わってしまうのか? 
 漫画界の七不思議のひとつですが、実は不思議でもなんでもない。理由は実に明白です。
 わたしたちがあまりにトロすぎるからです。
 okama 先生のマンガは常に最高速度でまっすぐ駆けていきます。その速度に読者はおいつけない。

 あらすじ:

 人類が宇宙の星々に移り住むようになった未来
 国どうしの対立を決着させるため開かれるレースがあった
 ドレースは宇宙のレース
 ワープシステムを搭載した宇宙服(ドレス)を着て……
 はるか何億光年さきのゴールを目指す
 最速
 最長
 最先端にして
 最も美しいクレイジーなレース!!!!
 これは究極のレースに挑む少女たちの物語
 (第一巻第一話より)

 孤児の少女キュウは類稀なドレースの才を見せながらも、生来のやさしさと貧しさからドレースの花形代表チームの入団権を他人に譲ってしまう。
 ドレースを諦め配送員として働くキュウの前に、ある夜、憧れのドレースチャンピオン・ミュラが現れる。キュウの才能を認めたミュラは「まだ夢を諦めたくないなら、チャンスをあげよう」と彼女の来ていたドレスをキュウに譲る。「けして忘れてはならないコト……そのドレスはレースに敗北すると爆発する」
 絶対に負けられないキュウのドレース人生がはじまる……というお話。

 いうまでもありませんが、各種デザインがとにかく秀抜。よくもまあこんなデザイン思いついてかつマンガにして動かそうと思って実際動かせているもんだとほとほと驚かされます。*8絵を眺めているだけでも木戸銭には十分です。
 
 主人公は少年漫画的な意味で王道なキャラで、ピュアかつまっすぐな才能あふれる努力家。そしてそのピュアをどこまでもつらぬけるがゆえに強い。
 そんな主人公がまっすぐに駆け抜け、まっすぐに仲間を作り、まっすぐに憧れや夢へとぶつかっていく。これ以上ないほどに正統派なお話なんですよ。(独特の世界観や設定を除けば)筋はわかりやすいんですよ。もっとみんな okama 先生をイラスト方面だけではなくまんがでも褒めるべきなんですよ。なんで『TAIL STAR』といい、原作のつかないオリジナルは長続きしないのか。そんなこんなであやがついてしまったのか、現在連載中の作品(『キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦』)はライトノベル原作です。
 ちなみに『Do race?』は天才が描いた天才論まんがとしてもよいです。以て瞑すべし。
 

『しったかブリリア』(全二巻、珈琲、アフタヌーンコミックス、オススメしやすさ:★★)

 SNS時代のハッタリ豆知識コミュニケーションコメディ。
 このパワーをもってしもマンガ界の鏖の野(キリングフィールド)『アフタヌーン』では二巻打ち切りになってしまうのですね。
 大学二年生の白波理助は学年主席・三つのサークルを運営・三ヶ国語に精通・国際ボランティア・スポーツ万能・クラブDJ・スタバのバイトリーダーと数々の肩書を持つ完璧超人……と周囲からは見なされているが、実際は異常な見栄っ張りなだけで上記の九割はウソ。
 彼は新入生の美少女・濱崎みなとみらいに目をつけ、得意のハッタリとリサーチ力をふるって首尾よく電話番号をゲット。
 したまではよかったが、そこに高校時代に彼を捨てた元カノの加古川姫姫が現れヨリを戻そうと言い出し……というラブコメ

 現代日本においてわれわれが何かととりがちな地獄コミュニケーション、そう、「漠然と聞きかじったネタやインターネットで調べた安い知識でマウントをとろうとする」の悲喜こもごもが絶妙な塩梅で展開されます。
 主人公はまあはっきりいって意識高い系を装ってるくせに見栄っ張りで嘘つき野郎なんで登場時の好感度はゼロです。
 しかし読み進めると意外に彼に対して悪い印象を抱かない。それは、彼が実は「コンプレックスをバネに見栄を張るために本気で努力する」というやや間違った純粋さを有しているからでもありますし、そんな彼にわたしたちがどこか通有性を見出すからでもあるでしょう。
 虚飾と嘘からはじまったコミュニケーションがだんだんと文字通り「素」になっていく構成の巧さもテーマと絡んでていいなあ、とおもいますが、やはり二巻完結は早足すぎた印象。以て瞑すべし。
 

『ピヨ子と魔界町の姫さま』(全二巻、渡会けいじ、角川コミックエース、おススメしやすさ:★★★)

 高貴(noble)であることとは、どのように定義されるのでしょう?
 血統? 地位? 財産? コネクション?
 いいえ、高貴さに必要な要素はたったひとつ。ゆるがぬ威厳(dignity)です。渡会けいじ先生はそれを教えてくれた。渡会先生だけがきみに教えてくれる。

 魔界町とはいかなる場所か。日本にある、魔界のひとびとが多く住む謎の町です。そこに越してきた人間の女子高生ピヨ子は、魔王の嫡流である「姫さま」と知り合い、交友を深めていきます。
 旧支配者の末裔ということで町内でもそれなりのリスペクトを受けている姫さまですが、当代は零落しきっており、平屋ぐらしのド貧乏。しかし、あくまで「姫」としての誇りと風格を失わない姫さまに、ピヨ子は惹かれていくのです。

 基本は姫さまの破天荒なキャラとノリボケなピヨ子によるスラップスティックな日常ギャグマンガです。ボケとボケのボケ倒し。個人的に好きな漫才のかたちです。
 魔界町の日常風景は日本のそれとさほど変わりません。独自の階級の概念だけがやたら強く残っているだけの田舎町、といったふぜいでしょうか。
 そんな場所で没落した魔王の令嬢と魔界町ではイレギュラーな人間という、本来なら交わらないはずのふたりが条例に反して潮干狩りをしたり、まちおこしのためにクラスメイトの家の塀にヒップホップなアートを描いたり、ゆるぎゃん(*ゆるいギャンブルの略)をしたり……。
 常識(庶民)から離れたところで我が道を征く彼女たちの姿にはばかばかしくもたしかに青春のきらめきが宿っている。
 その永遠には続かないであろう刹那のかがやきが一話一話に渡会先生一流のポップかつ美麗な絵で封じられていて、わたしたちの時間も永遠にしてくれます。
 ラストはなんか警官と癒着してる系の東映ヤクザ映画のワンシーンみたいな絵面ですがそれはそれ。

 二巻で終わったのはさびしいかぎりですが、一話完結形式なのでおススメはしやすい。
 
 

『バンデット 偽伝太平記』(全六巻、河辺真道、モーニングKC、オススメしやすさ:★★)

バンデット(1) (モーニングコミックス)

バンデット(1) (モーニングコミックス)

 サブタイトルの通り、鎌倉幕府末期〜南北朝の動乱期を扱った時代物……だったはずが、鎌倉幕府が滅亡する前に終了。『応仁の乱』や『観応の擾乱』といった新書のブームでこれまで人気のなかった鎌倉末期〜戦国時代以前の時期がにわかに脚光を浴び始めてはいたものの、まだまだ厳しかった模様。
 基本的には下人出身の若者「石」が狂言回になり赤松円心足利尊氏、大塔宮、後醍醐天皇楠木正成といった個性的な野心家たちのもとを渡り歩き、「自分の国」を築くために悪党(もちろんここでは歴史教科書的な意味)として時代を駆け抜けるストーリー。
 キーワードは「ヒリつく」。線の太くて濃い画風で描かれた濃いキャラの男たちが濃いセリフを吐きながら濃いノリで濃い敵を殺しまくっていく、ヒリヒリするような暴力が盛りだくさんで、まあまさしくわたしたちの読みたい時代劇マンガです。
 タルいインターバルがほとんどなく、時間を数年単位ですっとばして美味しい事件をつまみ食いしていく作劇で、正中の変だの下赤坂城の戦いだの六波羅滅亡だのがスピーディに展開され、その時歴史が動きまくります。
 時代の変革期に野心家たちの権謀術数を描く。男たちの絆を描く。見せ方も上手い。*9こんなものが面白くないわけがなく、せめて室町幕府成立くらいまでは描いてほしい、と思っていたら一年で終了しました。
 歴史ものはやはりある程度読者が有している共通認識を裏返したり、すきまをついていくことで興味を惹くものなので、いかに演出やキャラ立てに長けていたとしても題材がマイナーすぎたか。以て瞑すべし。
 河部先生は最近『モーニング』で『KILLER APE』という二十二世紀を舞台にしたSFを描き始めた模様。SFといっても内容は民間軍事会社に入った若者が訓練として歴史上の有名な戦場にシミュレーションで放り込まれる、という内容で事実上歴史ものっぽい。
 

『麻衣の虫ぐらし』(全二巻、雨がっぱ少女群、バンブーコミックス、オススメしやすさ:★★★)

 百合、死、虫、サイコパス。エンペドクレスが提唱した四元素をすべて含有する現状唯一のまんがが『麻衣の虫ぐらし』です。錬金術はあったのですよ。
 最終的(二巻)には桜乃麻衣という無職の女と菜々ちゃんという農家の女のラブになるのですが、第一巻は主にジェノサイドと爺です。菜々ちゃんがハイライトの消えた目で害虫を冷酷に虐殺していくさまと奈々ちゃんの余命いくばくもないおじいちゃんが病み衰えていく様子が描かれます。
 奈々ちゃんが虫を殺しまくるのは愛するおじいちゃんの畑を守ろうとする想いから発しているわけですが、そのおじいちゃんにお迎えが来たら彼女はどうなってしまうのか。ギャグも織り込みつつも、喪失との向き合い方をていねいに描いた叙情的な一作です。
 「虫ぐらし」をうたうだけあって、各話ごとに虫の生態や農業に関する豆知識を挟み、それをストーリーに自然かつ巧みに織りこんでいきます。最近この手のまんがが増えましたけれど、なかでも手腕が卓抜していますね。ストーリーテリングのうまさは二巻序盤でのあえての菜々ちゃん外しあたりにもあられています。
 終わってみれば二巻で終わったのもおさまりがよかったかな、という気もします。でも欲を言えば魅力的なサブキャラたちのからみももうちょっと見たかったかなあ……えっ? ちょうど電子書籍でサブキャラの番外編が出ているですって〜!? 
 以て瞑すべし。

『剣姫、咲く』(全四巻、山高守人、角川コミックエース、オススメしやすさ:★★)

 21世紀の今日にあって剣道まんがは呪われたジャンルといえるかもしれません。『BAMBOO BLADE』は別格であるにしても、二〇〇〇年代に入ってから三年以上の長期連載を勝ち取ったのは四コマの『青春甘辛煮』くらいではないでしょうか。
 特に少年誌での戦績は散々たるものです。『六三四の剣』の栄光は遠くになりにけり。
 
 さてここにそんな剣道まんがを救うかに見えた新星がありました。『剣姫、咲く』。
 高校女子剣道における全国区の強豪、鶴城高校剣道部。そこに入部してきて早々、ある一年生が主将に対してケンカをふっかけ、完勝します。
 この一年生剣士こそ『開闢の剣姫』、中学一年時の全中大会で破格の強さを見せて女子剣道界に革命をもたらすも、その後三年間消息しれずになっていた戸狩姫咲だったのです。
 自身の「強さ」によって先輩たちの剣道を否定する戸狩。彼女に対して、同じく新入部員である草薙諸葉が待ったをかけて立ち向かいます。最初は相手にもならないとおもわれていた諸葉ですが、立ち会いで思いがけない冴えを見せ、戸狩の心を捉えます。試合後、戸狩は諸葉を「好敵手(仮)」に任命し、自分のライバルにふさわしい存在に育て上げることを誓う……という剣道青春ストーリー。 
 
 とにかくアツいライバル関係を描くのがうまい。二巻まで*10は本当に神がかっていて、主軸となる戸狩×諸葉の「圧倒的な天才対徹底的な努力の人」という関係はもちろん、諸葉と中学時代に同じ剣道部に所属していた火ノ浦という剣士と諸葉の関係もよい。
 火ノ浦も戸狩もずばぬけた実力をもつ天才という点ではかわらないのですが、その二人が諸葉に惹かれている理由がそれぞれ違ってていいんですよね……。その感情のぶつかりあいがこれまた激アツな剣戟シーンとなって弾けるからすごくいいんですよね……。絵もきれいでキャラも立ってるしギャグとシリアスの配分も絶妙だし、正直なんでこれをモロ打ち切り展開にして四巻で終わらせたのか理解できません。
 鉄火場で対戦者同士が互いに向けるエモーションの交錯がうまいマンガは関係性の積み重ねあってのものなので、続ければ続けるほどよくなっていくものなのに……。やはり剣道まんがは不遇なのでしょうか。以て瞑すべし。


終わるのも理解できなくはないがもうちょっと続いてほしかったり、傑作だけど色んな事情で上には入らなかった組

『ひつじがいっぴき』(全二巻、高江洲弥、ハルタコミックス、オススメしやすさ:★★)
 
ひつじがいっぴき 1 (ハルタコミックス)

 小学四年生のお嬢様、怜夢がファンシーな夢のなかに作り出したヤンキーと仲良くなっていく、ガール・ミーツ・ヤンキーもの。いかに現実と向き合うかみたいな話。『ハルタ』出身だけあって絵がかわいい。


『青高チア部はかわいくない!』(全三巻、CONIX、ビームコミックス、オススメしやすさ:★★)

青高チア部はかわいくない! 1 (ビームコミックス)

 女子高生たちのチアリーディング部青春もの。絵がいい。


キャッチャー・イン・ザ・ライム』(全二巻、背川昇、ビッグコミックス、オススメしやすさ:★)

キャッチャー・イン・ザ・ライム 1 (1) (ビッグコミックス)

 女子高生がフリースタイルラップする系まんが。般若とR指-定(CREEPY NUTS)が監修しているだけあってラップ部分とライムを組み立てるときのディティールは本物。絵柄はライトなのに展開はヘビイといいますか、各キャラに背負わせているものが重い。終盤でいきなり「団地のリアル」みたいな描写いれてくるし。あまりにおもすぎたのが敬遠されたか。同じ女子高生ラップまんが『CHANGE!』が現在ワンステージ上に行ってることを思えばもったいなかった。


『少女支配』(全二巻、筒井いつき、オススメしやすさ:★★)

少女支配(1) (ヤンマガKCスペシャル)

 仲良し女子高生グループがそのうちの一人のクソオヤジを協力して殺害し、一緒に山に埋める話。あなたはこれを出落ちだっていうんだろう。でも、初速で秒速百メートル出れば百メートル走じゃ勝ちなんですよ。実際出落ちにならない程度に「仲良しグループの崩壊」でもうひと山場つくりつつ、うまくエグくまとめあげている。熱さと冷たさの同居するエピローグ周辺がすき。


『バカレイドッグス』(全三巻、原作・矢樹純&漫画・青木優、ヤンマガKC、オススメしやすさ:★★)

バカレイドッグス(1) (ヤングマガジンコミックス)

 ヤクザや犯罪者を相手に闇医者稼業をする兄弟のお話。話の構成がうまくてミスリードを二重三重に貼ってきて飽きません。反面やや型通りな感も否めなかったので終わる時は「そうか……」でしたが、完結後に重版かかったとも聞き、やはり他にも好きな人はいたんだなあ、と感慨にふけったりもしました。まんがが終わっているので感慨にふけってる場合ではないんですが……。
ちなみに医学監修にあの名作『ナイチンゲール伝』や『まんが医学の歴史』の茨木保先生が入っているのもポイント。


もっこり半兵衛』(全二巻、徳弘正也ヤングジャンプコミックス、オススメしやすさ:★★)

もっこり半兵衛 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 落ち着きある丹精な時代連作短篇集なのですが、あまりに落ち着きすぎているのと作者の名前に「旬」感がないのであまりに見過ごされすぎたか。こういう作品のニッチが削られていく今日このごろですが、もったいないですね。


『ブランクアーカイヴス』(全二巻、交田稜アフタヌーンコミックス、オススメしやすさ:★★)

ブランクアーカイヴズ(1) (アフタヌーンコミックス)

 大きなくくりでいえば異能サスペンスもの。発動する能力が少年バトルまんがとかに比べてやや複雑なのと、特有のジャーゴンも絡んでくるので初見ではのみこみづらいかもですが、それさえ乗り越えれば良質なサスペンスまんが。一話ごとの出来はともかく、主人公の物語としてはあまりに使えた時間が少なかった。


『リウーを待ちながら』(全三巻、朱戸アオ、イブニングKC、オススメしやすさ:★★★)

リウーを待ちながら(1) (イブニングコミックス)

パンデミックの流行から収束まで。話としては割に綺麗に終わっているので、薦めやすくはあります。パンデミック医療ものは珍奇ではありますし、このいかにもイブニング好みの緊張感ある静謐さは見知った日常がじわじわと崩れていく恐怖によくマッチしている。三巻まででも十二分な満足感は得られる作品です。


『斑丸ケイオス』(全三巻、大野ツトム、ヤングアニマル、オススメしやすさ:★★)

斑丸ケイオス 1 (ヤングアニマルコミックス)

「ヌシ」と呼ばれる化物たちがはびこる世界で、「ヌシ」を殺しまくる腕利きの女忍者・白夜。彼女に付き従っていた少年・斑丸は「ヌシ」狩りの途中で切り捨てられてしまう。裏切られてもなお白夜を慕う斑丸ががんばる異形時代バトルおねショタまんが。エクストリーム加減が終盤やや失速したか。


キスアンドクライ』(全二巻、日傘希望、週刊少年マガジンコミックス、オススメしやすさ:★)

キスアンドクライ(1) (講談社コミックス)

 フィギュアスケートまんが。性格を極悪にしたような羽生結弦が記憶喪失になり、フィギュアの訓練をいちから組みなおす。ほんとうに可能性だけを見せて終わったマンガなのでオススメはしないのですが、作者の名前はおぼえておきたい。


『柔のミケランジェロ』(全二巻、カクイシシュンスケ、ヤングアニマルコミックス、オススメしやすさ:★)

柔のミケランジェロ 1 (ヤングアニマルコミックス)

 柔道漫画。芸術家の息子として鍛錬を積みまくったおかげでヒョロい文化系にもかかわらず相手の重心を一目で捉えられるので強いッッ! みたいな主人公がライバルたちと切磋琢磨していく正統派青春スポーツもの。ほんとうに可能性だけを見せて終わったマンガなのでオススメはしないのですが、作者の名前はおぼえておきたい。


『時計じかけの姉』(全三巻、池田たかし、バーズコミックス、オススメしやすさ:★★)

時計じかけの姉 (1) (バーズコミックス)

 姉SFの傑作。話的にもよくまとまっていて読みやすいのですが、導入が「死んだ弟のロボットを造り、それが娼夫として商店街のおっさんたちに明るく楽しく犯されているさまを監視カメラで盗撮しながら自慰をしたり、ときには自分もロボットとセックスしている時計屋の姉」という複数の道徳に抵触するアレなアレなのでちょっとススメにくい。
 とはいえ背徳的でエグいばかりがヒキのまんがかといえばそうではありません。おちゃらけたなコメディを基調にしつつ、時計屋の姉の静かな葛藤と彼女に恋するアラサー男の空回り純愛を軸に据えて丹念に描かれるドラマは見てくれよりずっと堅実で重厚です。



『私は君を泣かせたい』(全三巻、文尾文、ヤングアニマル、オススメしやすさ:★★★)

私は君を泣かせたい 1 (ヤングアニマルコミックス)

 ヤンキーと優等生が映画鑑賞によってつながっていく百合。個人的には終始好みでなかったのですが、好みでないというだけでこのリストから外すほどわたしたちは愚かではないはずです。


『落ちてるふたり』(全二巻、西原梨花、マガジンポケットコミックス、オススメしやすさ:★★)

落ちてるふたり(1) (マガジンポケットコミックス)

 男子高校生と留年生女子大生のラブコメ。ドギツイ設定やビジュアルでツカもうとしてくることが多いマガジン連載陣にあって、この繊細で地に足のついたクズさでせめてくる作品は貴重だったのですが……。


『たのしいたのししま』(全二巻、大沖週刊少年マガジンコミックス、オススメしやすさ:★★)

たのしいたのししま(1) (講談社コミックス)

 ふしぎな離島四コマ。大沖先生にはおもしろい大沖先生とあんまりおもしろくない大沖先生がいて、これはその中間くらいのやつです。


『月曜日の友達』(全二巻、阿部共実ビッグコミックス、オススメしやすさ:★★★)

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

 阿部共実先生がいつのまにか四季賞出身者みたいな陰影使いを習得していて全読者を驚嘆させた。最初から二巻で終わらせる予定だったんだろうなあ、という感じだったんでここに。阿部共実先生のは全部読みましょう。国民の義務です。


『ジャバウォッキー1914』(全四巻、久正人シリウスコミックス、オススメしやすさ:★★【続編なので】)

ジャバウォッキー1914(1) (シリウスKC)

 『ジャバウォッキー』の続編。まあ続編だし最初からこのへんでおわらせる感じだったんだろうなあ、という印象。『ジャバウォッキー』をあとを受けたお話としては満足な完成度で、ラストシーンはファンなら号泣必至。久正人先生のは全部読みましょう。国民の義務です。


でぃす×こみ』(全三巻、ゆうきまさみビッグコミックススペシャル、オススメしやすさ:★★★)

でぃす×こみ(1) (ビッグコミックススペシャル)

 毎回冒頭につく作中作の彩色をさまざまな有名漫画家が担当するという趣向で話題を読んだ漫画家まんが。これもまあこのくらいで終わるつもりだったんだろうなあ、というようなきれいな手仕舞いでした。創作者の物語としてさすがゆうき先生、という出来。
 ゆうき先生は新連載の『新九郎、奔る!』がめちゃくちゃおもしろいのでそちらに要注目。


『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』(全二巻、ペス山ポピー、バンチコミックス、オススメしやすさ:★★★)
実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。(1) (BUNCH COMICS)

『一人交換日記』(全二巻、永田カビ、ビッグコミックススペシャル、オススメしやすさ:★★★)
一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)

 エッセイ漫画。もともとエッセイ漫画は一巻完結が前提で、つづくもののほうがめずらしいし、こういう記事だと扱いにこまります。ただ、この二巻は何はさておき読むべき傑作。
 前者の『泣くまでボコられて〜』はマゾと形容するのもはばかられるクラスの被虐癖を有した女性が出会い系を通じて知り合ったサドの男性と恋に落ちる内容。自身の抱えた複合的で複雑極まりないセクシュアリティを認識していく過程がまんが的な意味において巧みに描かれていて、かなり惹き込まれます。
 『一人交換日記』は話題作『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』の実質的な続編。家族関係で消耗したり、「身近な人物をネタにすることの罪悪感」というエッセイまんがの壁にぶちあたったり、入院したりと前作に輪をかけてヘビイな内容。こんな状態の人間にまんがを描かせる編集部はマジで鬼だと思いますが、おかげで稀に見るほど””人生””のつまった傑作に仕上がってしまった(最終話の「ただの人生です」という宣言がとにかくクる)ので、芸術の功罪はとかく判断がむずかしいものです。



 他にもいろいろありましたね。『TAMATA』とか『もしもし、てるみです。』とか『しおりを探すページたち』とか『GREAT OLD』とか……。彼ら彼女らがよりよき明日のまんが界の礎となることを願って、いささか駆け足とあいなりましたが、今年のところはおしまいとさせていただきます。
 よいお年を。
 

追記

 ブコメ見てアアッ! 『ようことよしなに』(全三巻、町田翠、ビッグコミックスを完全に見落としてたッ! と愕然としたので特別に追記。
 

ようことよしなに 1 (ビッグコミックス)

ようことよしなに 1 (ビッグコミックス)

 下の記事でもちょっと書きましたが、青春ガールズバンドものの傑作です。
 このくらいのスケール感ならこのくらいでちょうどいいんだろうな、というところにジャストフィットして完結した印象。
 なので悲劇感はうすいのですけれども、青春ものに抱く「このままこの幸せが永遠につづいてくれ」という読者としての願いが……こう……。
 あとこういう機会でもないかぎりは推せないので推しておきます。きれいにはじまってきれいにおわるので読みやすいですよ。読め。買って読め。
人類が存続を保証すべき2017年の新作連載マンガ72選 - 名馬であれば馬のうち

 

人間臨終図巻1<新装版> (徳間文庫)

人間臨終図巻1<新装版> (徳間文庫)

 

*1:いくらなんでも17年続いて割と円満に完結した『ストレンジ・プラス』とかは入れない

*2:『銀河の死なない子供たちへ』とかはさすがになんか違うだろということで

*3:板垣先生の名誉のために申し述べておくなら、『BEAST COMPLEX』のあとがきによると、『BEASTERS』の構想自体は『ズートピア』より前です。

*4:まあ長期連載になってくるとそう簡単に割り切れる図式でもなくなってくるのですが

*5:くまみこ』最新巻で『押入れのわらしさん』以来のショタリミッターを外して読者を「いままでこれほどの”力”をセーブして戦っていたのか……」と震撼させたのは記憶にあたらしいところ

*6:第一巻あとがき参照

*7:各種有料まんが配信サイトの「完結」表記から完結と推測

*8:まんがとして見難いコマが散見されるのも事実ですが

*9:セリフパロ(多分)しているところを見ると『へうげもの』とか『シグルイ』とか『ジョジョ』に影響受けてんだろな―という感じ。

*10:実質的には三巻序盤まで

より深い『シュガー・ラッシュ:オンライン』理解のためのインターネット

 あなたはより深い『シュガー・ラッシュ:オンライン』理解に至りたいと思ったことはありませんか? 
 わたしはあります。
 わたしはより深い『シュガー・ラッシュ:オンライン』理解に至りたいと思ったので至るための文章を書こうとしました。それを読んであなたがより深い『シュガー・ラッシュ:オンライン』理解に至れるかどうかはまた別の話ですが、しかしあなた自身が何を願うかにかかわらず、わたしがより深い『シュガー・ラッシュ:オンライン』理解に至れるように祈ってほしい。

 基本的には観た人用です。とくにまとまりはない。ネタバレ注意。


インターネットが分かつもの

リッチ・ムーア監督
 インターネットの世界に来たラルフとヴァネロペは、自分たちがそれぞれ異なるものを欲していることに気づきます。そして、彼らの出会った新しい世界は二人の違いを際立たせていくのです。
 ここにインターネットの大いなる真実があります。すばらしい架け橋である一方で、分断を生じさせもするのです。

『The Art of Ralph Break The Internet』


 第一作目の『シュガー・ラッシュ』でハッピーエンドを迎え、それぞれ「居場所」を見つけたラルフとヴァネロペ。ふたりは親友として強い絆で結ばれていた。
 続編である『シュガー・ラッシュ:オンライン』の冒頭では、仲良しなふたりの他愛もない日常が映し出される。ゲームセンターの閉店後にクイズを出し合ったり、ルートビアを飲んだり、誰も居ないアメフトのスタジアムで星空を見上げて語らったり……。
 一見すると幸福な風景に見えるかもしれない。しかし、そこには微妙な不一致が見え隠れする。

 『1』でゲームを乗っ取っていたヴィランを倒してプリンセスに返り咲き、トップレーサーとして輝いているヴァネロペだが本人はどこか倦んでいた。毎日同じコースを走り、新しい刺激もない。
 『1』のラストでお姫様であることよりもバグった(Glitch)アウトサイダーであることを選択するような彼女だ。同じことの繰り返しは停滞と感じられる。

 その不満を口にするとラルフは「俺はこのままのほうがいいけどな」と言う。
 悪役としての業務を「仕事」と割り切り、職場での人間関係も良好でゲームセンターに友達も多く持ち、なによりヴァネロペという最高の親友と毎日遊んで暮らせる。彼における自尊心の問題は『1』で大方解決されたのだから、彼が満たされているのは当然だ。「強いていえば、働かずにすめばいいかな」。

 このふたりの違いはなんなのか。
 もちろん性格の違いもあるだろうけれど、そもそも置かれた立場が異なるという点も見逃せない。
 ラルフは『フィックス・イット・フィリックス』の悪役だ。彼自身はその立場にうんざりしていたけれども、裏を返せば彼抜きではゲーム全体が成り立たないということでもある。それは『1』でラルフが「ターボ(自分の所属しているゲームから別のゲームへと違法に移る)」したさいに『フィックス・イット・フィリックス』の進行が止まって筐体ごと故障扱いになった事実からも明らかだ。もし「ターボ」に走ったのがモブキャラであるマンションの住民たちの一人だったなら、あんな大混乱を招いてはいなかっただろう。
 ラルフは『フィックス・イット・フィリックス』の重要人物なのだ。

 ひるがえって、ヴァネロペはどうか?
 なるほど、彼女はゲームの筐体にイラストを描かれているし、すくなくとも設定上では(ゲームとしての)『シュガー・ラッシュ』世界のお姫様ということにはなっている。
 しかし一個のキャラとしての重要性は実は薄い。『シュガー・ラッシュ』は用意された十六名のレーサーから毎日九名のみが選抜され、その日のプレイアブルキャラになるというシステムだ。『1』の方式を引き継いでるとしたら選抜はランダムではなく実力によって決定されるので、群を抜いて優秀なレーサーであるヴァネロペが九人の枠から漏れることはないかもしれない。けれど、交換可能な存在であるという事実、抜けたところでゲームは動き続けるという事実は依然変わらない。
 さらにいえば、彼女はバグキャラ(Glitch)だ。まともに動作しているラルフとは異なる次元でアウトサイダーとしての自意識を育んでいる。スウィートでウェルメイドな『シュガー・ラッシュ』の世界に違和感とはいわないまでも、どこかしっくりこなさを感じていたとしても不思議ではない。
 『1』ではバグキャラであることによってゲームの外へ出られず、他のゲームキャラや世界を知らないこともある。

 要するに、ラルフは確立された世界に安住していて、ヴァネロペの世界はまだ未確定で狭い。
 この違いがインターネットの世界へ飛び出したときのふたりのリアクションに違いを引き起こす。


なぜアリエルに頼まなかったのか?

 監督のリッチ・ムーアはインタビューで本作の導入を「過去を守るために未来へ行く」と形容している*1。そもそもインターネットの世界へ飛び出すのも、YouTuber 活動で金を工面しようとするのも、失われてしまった『シュガー・ラッシュ』の筐体のハンドルを手に入れるためだ。*2
 だがその途中で『スローターレース』という魅力的なポストアポカリプティック・オンラインレースゲームに触れたことで「過去を守る」はずだったヴァネロペは脱線していく。
 彼女はおおむね「ハンドルを手に入れる」という当初の目的に沿って行動するものの、『スローターレース』に出会ったことで心にゆらぎが生じる。そのゆらぎは彼女自身にもなんなのかがよくわからない。
 マーベルなども含めたディズニーキャラが一堂に会する人気サイト「オーマイディズニー・ドットコム」で歴代ディズニープリンセスの揃う部屋にきたとき、ヴァネロペは「なりたい自分」を表現するための手段としてのミュージカルを教えられる。
 言ってしまえば、最近のディズニー作品によく見られる自己言及的なパロディだ。
 だが、本作における自己パロディは単なるウケ狙い(もちろんそれ自体おおいに笑えるものであるけれど)や現代の観客に対するエクスキューズとは一線を画している。
 たとえば、自己言及的パロディに関してムーア監督はこう語っている。


 インターネットのユーモアセンスは自己参照的です。ですから(過去のディズニー作品に対する自己パロディを行う場としては)私たちからするとセルフパロディのような類のギャグをやるにはふさわしい場に思われるのです。


INTERVIEW: "Wreck-It Ralph 2" directors Rich Moore and Phil Johnston discuss Disney Princesses, in-jokes, and the fate of that unlucky bunny


 ディズニーパロはインターネットの鉄板ネタだ。日本を含めた世界中で政治的な風刺やドギツいシモネタまで、さまざまな人の手によって改変され、わたしたちもそれを享受してきた。
 インターネットを舞台にするのなら、ある種批評的なメタネタを織り込むのはむしろ正当といえる。

 しかしなにより、プリンセス部屋には場の重力以上に物語的な必然が与えられていることを見逃してはならない。
 プリンセスたちは「水面に自分の顔を映すと自分のやりたいことが歌えるようになる」という。揺れているヴァネロペに対する「自分の心を見つめろ」との助言に他ならない。
 ヴァネロペはプリンセスたちに促されるままに「自分のやりたいこと」を歌い出すが、プリンセスたちのように光が射したり小鳥がさえずったりのミラクルは起きない。なぜなら彼女の歌っている歌詞は「ハンドルを取り返して元の世界に戻る」という内容で、すでに『スローターレース』に心惹かれている彼女の本心と呼応しないからだ。

 ここでミュージカルのお手本としてアリエル(『リトル・マーメイド』)が歌うのが『Part of Your World』であるのは興味深い。
『Part of Your World』は海の底で生きる人魚であるアリエルが、海中で拾った地上の品々を「自分だけの部屋」で愛でながら人間世界に対する憧れ*3を切々と歌い上げるナンバーだ。*4
 


「わたしは人間たちのいるところに行きたい。
 彼らの踊る姿を見たい。
 『足』というのだっけ? それで歩き回りたい。
 (中略)
 この海を出て、陸地を自由に歩き回れたらどんなに素敵だろう。
 あの世界の一部(Part of that world)になれたら……」


 ヴァネロペが出会ったのは王子ではなくシャンクというバッドアスな女性レーサーで、憧れたのは人間世界ではなく犯罪の横行するヤバい世界であるけれども、プリンセス部屋時点でのヴァネロペは『Part of Your World』を歌ったときのアリエルと照応する。

 さらにディズニー作品史の観点を持ち込むなら、アリエルはディズニー・ルネサンスと呼ばれる90年代におけるディズニーアニメ復活期の嚆矢であったことも指摘できる。
 ルネサンス期の「改革」はさまざまな面から語られるうるけれども、ことプリンセス描写に関していえば、ディズニー伝統の「イノセント&アドレセント」路線をある程度まで継承しつつも自分から運命を切り開く主体性を有していたこと*5が挙げられる。
 プリンセス部屋を監修するために『シュガー・ラッシュ:オンライン』のスタッフに招聘されたマーク・ヘン(主に90年代に活躍したディズニーの大アニメーター)も「90年代に入るとプリンセスたちはより大胆でアグレッシブであけすけになっていきました」と語っている。*6
 この傾向はプリンセス部屋にいた14名のプリンセスたちをルネサンス(90年代)以前と以後で分けて比較してみればよくわかる。
 『白雪姫』(1937年)や『眠れる森の美女』(1959年)は基本的に王子様の真実のキスを待つ受け身なポジションであるし、『シンデレラ』(1949年)はがんばってドレスを自作するまではいいものの、舞踏会に行かれずオイオイ泣き伏しているところに都合よくフェアリー・ゴッド・マザーが現れてビビディ・バビディ・ブー。王子様に対しても基本「待ち」の姿勢だった。
 残りの11名はいずれもルネサンス以降。
 アリエルはむしろ王子様を救う側だったし、『美女と野獣』(1993年)のベルもそうだった。『ムーラン』(1998年)にいたってはなんと兵士。最初は花嫁候補だったのが、病身の父を助けるために男子と偽って軍に入隊する。
 時代が下るとともにプリンセスの主体性はどんどん強まっていく。ジョン・ラセターエド・キャットムル体制となって以降の『プリンセスと魔法のキス』(2009年)『塔の上のラプンツェル』(2010年)、『アナと雪の女王』(2013年)、『モアナ』(2016年)についてはもはや何も言う必要はないだろう。
 主体性が強まっていくにつれ、物語自体も恋愛の成就をゴールにしたウェルメイドなおとぎ話ではなく、感情ある個人のアイデンティティや夢についてのお話へと重点がシフトしていく。
 現代のディズニー・プリンセスものにおける最大の主題は「どうしたらなりたい自分になれるのか/なりたい自分とは何か」だろう。
 その意味において、ヴァネロペは紛れもなくディズニープリンセスなのだ。プリンセスたちがヴァネロペの友人になりえるのも道理だといえる。

 プリンセス部屋を経て、ヴァネロペはラルフから「ハンドルを取り戻すのに十分に金が溜まった」と聞かされる。しかし彼女はなぜか浮かない。
 すると眼の前にあった水たまりがきらきらと輝きだし、彼女を『スローターレース』の世界へといざない、シャンクたちと『スローターレース』のすばらしさについて歌うミュージカルシーン(「あたしの居場所」)が始まる。

 このミュージカル曲の作曲者がこれまた奮っている。
 アラン・メンケンである。先述したディズニー・ルネサンス期の立役者となった大作曲家で、『リトル・マーメイド』を始めとして*790年代のディズニー作品のほとんどに関わった。クライマックスのコーラス大盛り上りから余韻を残して終わる「あたしの居場所」の構成は、いかにもメンケン風味で、これ自体セルフパロディの感が強い。
 メンケンの参加もまた、ヴァネロペをディズニープリンセスとして、特にルネサンス以降のプリンセスとして位置づける重要な要素だ。


 このようにディズニーは単にプリンセスを茶化して笑いを取りに来ているだけではなく、より深いレベルのストーリーテリングで利用しつつ、なんとなれば保守的なイメージがもたれがちなディズニープリンセスを「なりたい自分を探求する女性」として再定義することを試みている。


ラララルフ

 まあおおむねそのようにしてヴァネロペの世界はインターネットによって拡張されていくわけだけれど、ラルフはむしろインターネットに対して閉じていく。
 冒頭で「できれば働きたくない」と言っていたラルフが動画配信者として「労働」を強いられるのは笑える皮肉だとしても、大親友のヴァネロペはシャンクという別の友人を見つけてしまうし、せっかくノリかけた動画配信でもコメント欄の心無いディスを見かけて落ち込んでしまう。
 こうしてラルフのインターネットに対する印象はどんどん悪化していき、同時にヴァネロペを失うのではないかという不安から彼女に対するパラノイアが増幅していく。信念やフラストレーション、あるは孤独がマシマシされるのもまたインターネットという場の特性だ。*8


 人格的には未熟なラルフであるけれども、上でも述べたように生活的には完成されている。新世界へ移るモチベーションがない。『1』で悪役であることに悩むラルフに対し『パックマン』のゴーストは「役割は変えられない。それを受け入れたほうが人生も楽しくなる」と諭したけれど、あるべき役割を受け入れた時点で、つまり『1』のラストの時点でラルフの物語は完結している。

 ただ、彼の幸福にはヴァネロペというピースが欠かせない。
 『オンライン』でも重要なアイテムとして反復されるクッキーのメダルの由来を思い出してもらいたい。
 『1』においてラルフは悪役から脱するためにヒーローの証明となるメダルを手に入れようとしていた。だが彼はその旅の途中でヴァネロペと出会い、彼女のレーシングカーづくりと練習を手伝い、友情の証としてクッキーのメダルを渡される。
 そもそも彼が悪役から逃れたがっていたのも一個の人間(ゲームキャラだけど)として繋がれる相手を求めてのことだった。そういう意味ではフィリックスを含めて『2』では打ち解けた仲間がそれなりにいるのだし、ヴァネロペだけに依存しなくてもよさそうなものだけれど、やはりコインをくれる大親友は得難いものだ。
 インターネットの世界はヴァネロペのために用意された「未来」であるけれども、原題のタイトルに Ralph ついているように『シュガー・ラッシュ』の主人公はラルフだ。プロット上の要請として、主人公である以上はよりよい変化を勝ち取らねばならない。
 ならばその敵が「ヴァネロペに固執するラルフ自身」になるのは必定だろう。
 そして、クライマックスが『キングコング』(1933年)になるのも。

 なんやかんやあってヴァネロペに対するラルフの執着心は巨大モンスター化して、ヴァネロペを攫ってエンパイアステートビルならぬグーグルのビルへと登る。
キングコング』は身勝手な人間たちによって森深い孤島からむりやり大都会へと引きずり出されたコングが、惚れた美女を攫って逃走を図る話だった。
シュガー・ラッシュ:オンライン』の共同監督であるフィル・ジョンストンが『The Art of Ralph Break the Internet』で「これは小さな町から大都市へと出てきた親友同士のふたりが『外の世界』に気づく話なんだ」と証言していることを踏まえると、おなじく田舎から大都市へと図らずも出てきて拒絶と孤独を味わうコングとラルフの共通が見いだせる。
 ここでもパロディがストーリーテリングに寄与しているわけだ。


 本作でラルフがキングコング化したことに対して嫌悪感を抱く向きは「前作で『やりすぎ』て反省したことから成長が見受けられない」みたいに言う。
 たしかに『1』で自分の思い込みからヴァネロペの車を壊してしまったのはラルフにとって痛恨ごとだっただろう。
 だが、『1』の車破壊と『オンライン』のバグ拡散は大分事情が異なる。
 まず『1』でラルフが車を破壊しようと決意したのは敵役であるキング・キャンディの佞言に騙されてしまったからだし、騙されてしまったのも「レースに出すとヴァネロペが死んでしまうかもしれない」という恐れからだ。新しくできた友人を失いたくなかった利己的な面もあるだろうけれど、基本的には「ヴァネロペのための自己犠牲」である。ふたりで作った思い出のカートを壊すのが彼の望みであるわけがない。*9
 一方で、『2』のバグ拡散は擁護しようがない。「ヴァネロペを(彼女に意に反して)取り戻したい」と願う独占欲から「『スローターレース』の世界にバグを振りまく」という他者を害する行動に出る。完全に自己中心的に考えなしだ。
 言ってみれば、友達のAさんを別の人間であるBさんに取られたからといって、Aさんに対してBさんの悪口を吹き込むのに近い。そんなのでAさんが良い気分になるはずもない。
 
 ラルフは『1』で成長したはずなのに、なぜこんな愚かなのだろう?
 そもそも彼は『1』で全面的にアップグレードされたわけではない。繰り返すが『1』のラストで完成したのはあくまで彼の生活であって、人格ではなかった。
 「悪役だけど悪いやつじゃない」ふうに生きられるようになったのは成長かもしれないが、それは変えられない人生に対する折り合いのつけかたの話であった、「友人に対するふるまい」を学んだわけでない。
 「友人の尊重」。外部にさらされてヴァネロペに新しい交友関係が生じたときに初めて向き合わねばならなくなった問題だ。
 言うなれば『オンライン』は『1』で治ったはずの病の再発ではなくて、『1』を原因にして発症した病気のセラピーにあたる。
 彼が精神的に安定した生活を送れているのもヴァネロペという依存先のおかげであり、それを失いかけたら不安定になる。
 そうして不安定になれば、ゲームキャラとして設定されていた彼の地が出る。なにごとも感情のままにオーバーキルしてしまう「壊し屋ラルフ」の地が。
「設定された役割」と対峙しなければならないのはヴァネロペもラルフも一緒だ。*10

ベンチとインターネット

 本作においてラルフとヴァネロペの親密さと関係性の変化はベンチの反復によって示される。
 まず最初は冒頭のエントランスでクイズを出し合うシーン。ふたりともリラックスした様子で二人がけのベンチに腰掛けている。周囲のキャラたちはだいたい歩いて往来しており、彼らだけが「止まっている」こともまた親密さを観客に印象づける。

 その次はかなり飛んで、「ラスボス」を倒したあと、ヴァネロペが『スローターレース』の世界へ移籍するシーン。別れのことばと抱擁を交わし、ヴァネロペは『スローターレース』への階段を登っていく。それをベンチに残されたラルフは名残惜しく見送る。
 
 三回目はエピローグとなるラストのシーン。エントランスのベンチに座ったラルフの傍は虚しい空間が占めている。だが、ラルフは嬉しそうだ。携帯型通信機器(インターネット世界で新キャラのイエスからもらったもの)を通じてネットの世界にいるヴァネロペとホログラム・ビデオチャットを行っているからだ。
 このシーンがうまいのは「ここにいるのは自分ひとりだけれど、でもネットを介して大切な人と繋がれる」というネットの良き側面についての讃歌になっているところだろう。
 ふたりはインターネットの世界へ行くことによって分断されたかもしれないけれど、インターネットのおかげでつながりつづけることもできる。新しい時代の友情のありかたがそこにはある。

 インターネットという舞台をただ場として利用するだけでなく、ストーリーテリングや思想にあますところなく使い尽くす。
 その徹底がやはり最近のディズニーのおそろしさなのだとおもいます。


The Art of Ralph Breaks the Internet: Wreck-It Ralph 2

The Art of Ralph Breaks the Internet: Wreck-It Ralph 2

*1:https://insidethemagic.net/2018/02/interview-wreck-ralph-2-directors-rich-moore-phil-johnston-discuss-disney-princesses-jokes-fate-unlucky-bunny/

*2:ハンドルが失われるきっかけとなった「ラルフの自作コース」は注目に値する。『1』にもラルフは素手でヴァネロペのためにコースを作るシーンがあった。洞窟にひきこもってカートを運転した経験がないヴァネロペにレースの練習を積ませるためだ。つまり『1』ではヴァネロペを「外」に出すために自作コースを造ったわけで、ニュアンスが異なるとはいえ結果的に『2』でもヴァネロペのための自作コースで似たような事態を招いたのはおもしろい。

*3:もっと言えばこの直前に出会った「王子」への憧れ

*4:『リトル・マーメイド』自体とディズニー映画史におけるこの曲の重要性は谷口昭弘『ディズニー・ミュージック〜ディズニー映画音楽の秘密』をお読みください

*5:もちろん彼女たちのあいだで差異はある

*6:https://scroll.in/reel/902439/interview-animator-mark-henn-on-bringing-disney-princesses-together-for-ralph-breaks-the-internet

*7:『リトル・マーメイド』自体は89年だが

*8:スタッフがインターネットという場がラルフたちに及ぼす影響を語るときに reinforce (補強する、促進する)という動詞を使っているのが興味深い。リッチ・ムーアは「インターネットは彼らの違いを強化する」といい、ストーリー・ディレクターのジム・リアードンは「ふたりがインターネットで出会うキャラクターたちはみんなふたりの抱いている感情を増幅させます」と言っている。:『The Art of Ralph Breaks the Internet』

*9:もうひとつ彼の起こした「災害」であるサイバグは劇中ではほとんど天災扱いされ、彼がクライマックスでダイエットコーク火山に飛び込む後押しくらいにはなったかもしれないが、はっきりとラルフが責任を感じるシーンはない

*10:「与えられた設定から脱却」はこのところのディズニー作品のテーマであり、ムーア監督の関わった『ズートピア』でも掘り下げられた問題でもある。