名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


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不可能とアンビバレントによる快楽 ―― ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』/千字選評(3)

 そろそろお気づきかと存じますが、フフフ、本連載は〈新潮クレスト・ブックス〉全レビュー企画です。フフフ、ウソです。


ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』(中嶋浩郎・訳、新潮クレスト・ブックス、2015年9月30日)

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)



 ある特定の場所に属していない者は、実はどこにも帰ることができない。亡命と帰還という概念は、当然その原点となる祖国を必要とする。祖国も真の母国語も持たないわたしは、世界を、そして机の上をさまよっている。最後に気づくのは、ほんとうの亡命とはまったく違うものだということだ。わたしは亡命という定義からも遠ざけられている。


p.86, 「二度目の亡命」



 『停電の夜に』などで知られるベンガル系アメリカ人作家ジュンパ・ラヒリが、二十七歳で初めて行ったイタリアに魅了され、その後十数年に渡ってイタリア語を学び、四十代で一念発起してローマへ移住した。本書はそんな彼女がイタリア語で書いた初のエッセイ集(と二編の掌編)だ。
 日本人で海外移住して現地語で作品を発表している作家といえば、まっさきに参照されるのは多和田葉子だろう。その多和田でもドイツへ移住したのは作家デビュー前の、二十代前半のときだった。そこへきて、ラヒリはローマに移住した時点ですでに立派に名を成した大作家だった。
 いわば英語という言語のプロなわけで、その彼女がなぜまったく縁もゆかりもない未知の言語を学び、未知の国へ飛びこんだのか。その動機の謎がイタリアでの生活を通じてゆるやかに解きほぐされていく。

 ラヒリは来歴は複雑だ。カルカッタ出身のベンガル人の両親のもとでロンドンに生まれ、幼いころにアメリカへ移住した。両親の言語であるベンガル語を彼女はうまく話すことができず、自分のネイティブである英語を両親はうまく話すことができない。ベンガル人にもアメリカ人にもなりきれない。
 そんな二つの言語と国に引き裂かれたアイデンティティに対する不安が彼女を創作に走らせた、とラヒリは自己分析する。「書くことは長期にわたる不完全さへのオマージュなのだ」と。つまり、小説とは執筆しているあいだは常に未完成なものであり、完成に向かってるはずなのに完成できない感覚を持ちつづけなければならない人生の状態に似ている。小説はいつかは書き終わるものだが、完成したらしたで出来そのものの不完全さを痛感させられる。「ある種の頂点には立てないことを知ることは極めて有益です」とは本書で引用されるカルロス・フエンテスの言葉だ。この世には完璧な小説も完璧な人生も存在しない。

 母語ではない言語の学習も不可能性の点では小説や人生と変わらない。厳密には母語ですら完璧に体得するのは無理なのだけれども、外国語の学習はその不毛さがより際立つ。おぼえても、おぼえても、知らない単語が出てくる。単語や文法のテストで百点を取れたとしても、書いたり話したりするとどうも不自然になる。
 ラヒリはだからこそ、まったく自分に関係のない言語だからこそイタリア語に恋をしたのかもしれない。彼女はその不毛さを愛している。その距離感を愛している。その完成しない不完全さを追い求める熱情がラヒリという作家の動力源なのだろう。

(1025文字)

あなたが選んでくれた国――千字選評(2):『陽気なお葬式』リュドミラ・ウリツカヤ

『陽気なお葬式』リュドミラ・ウリツカヤ(奈倉有里・訳、新潮クレスト・ブックス、2016年2月25日)




 ここにいる、ロシアに生まれた人々は、生まれ持った才能も受けた教育も、あるいは単に人間としての素養も、何もかも違ったが、ひとつ共通点があった――みんな、なんらかの事情でロシアを出てきた人々だ。ほとんどは合法的に出国していたが、なかにはもう国に戻れない者もいるし、いちばん無茶な者は不法に国境線を越えてきていた。けれども国を出てきたのだという共通項が、彼らを繋いでいた。いくら考え方が違っても、亡命後の人生が違っても、亡命という一致はゆるぎなくひとつだ――それは越えた国境線であり、途切れた人生であり、また先端の切り落とされた古き根を、成分も香りも異なる新しい土地に貼り直すことである。


 p.117

 画家が死にかけている。1991年、夏、ニューヨーク。彼の容態を聞きつけて、かつての恋人や愛人を含む友人たちがアパートの一室に集う。ロシア正教に帰依している妻は、天に召される前になんとか不信心な夫を改宗させたいと考える。それを夫に伝える。夫は妻の要求を呑むが、正教の司祭といっしょにユダヤ教のラビも呼びたいという。彼は亡命ロシア人でもあり、ユダヤ人でもあるから。「別の可能性を検討させてもらう権利だってあるだろう……」。
 こうして物語の登場人物は増えていき、現れるごとにその人の来歴が語られる。

 イリーナは老画家の元恋人で、サーカス一家に生まれた。彼女はサーカスを脱け出すと、ユダヤ教徒を夫に迎えて二年ほど信仰篤く生きたのち、ここからも脱け出して弁護士になる。彼女は老画家に対して妙な未練を抱いている。悪徳画廊に騙されて困窮している夫婦を陰ながら援助したりもするけれど、無邪気な画家夫婦はそんなこととはつゆ知らず、放埒な生活に明け暮れる。彼女はほのかな嫉妬を燃やす。
 そのイリーナの元夫を介して招かれたラビは、イスラエル建国翌日に生まれてからというもの人生の大半をイスラエルで過ごしてきた生粋のユダヤ人。大学でユダヤ学の講座を受けもつために訪米して、まだ三月だ。ユダヤ教を教えられずに育ったユダヤ人たちが「本物のユダヤ人」たちより多くなった現状を半ば嘆きつつ、「私は生まれたときからユダヤ人だった」と枕元で言う彼に、老画家は「こいつも選択しないで生きてきたのか。なぜ俺には山のような選択肢が与えられてきたんだろう」と考える。
 実はラビにも選択の機会がないではなかった。彼は若い頃に西洋哲学を学ぶためにドイツへ留学し、のちに宗教へ回帰した人物だった。ニーチェマルクスショーペンハウアー、夜の乏しきドイツ哲学は無神論の本場だ。彼はドイツを通過してイスラエルへと帰還し、彼より一世紀前に生まれた哲学者の裔たちはロシアで神なき国を興した。

 あまねく人生は選択の連続であって、その小さな選択の集積が歴史になる。生き死にはどうにもならない事柄だけれども、それでも「どう」生まれたり死んだりするかに関しては各々の裁量に委ねられるところも多い。亡命や逃走や脱出といった行動もまた選択肢のひとつであり、そして言ってみれば、アメリカやニューヨークとは亡命者たちの国だ*1。選択したものたちによる、可能性の国。
 そんな人たちの人生が、老画家の死を中心にして十数人ぶん、ウリツカヤ一流のやわらかなタッチでスケッチされていく。

(1050文字)

陽気なお葬式 (新潮クレスト・ブックス)

陽気なお葬式 (新潮クレスト・ブックス)

*1:まあもちろん、自らの選択によらず連れこられた人々も多いわけだけれど、それはあんまりロシア的な視点ではないんだろう

爆弾のある日常――千字選評(1):『あの素晴らしき七年』エトガル・ケレット

これまでのあらすじ

「読書、映画、その他」と書いてあるのに、「アニメ、映画、その他」みたいな状況になってきたので書評を書く訓練などしたい。ほっとくとだらだら長くなるのでとりあえず千字前後を目標に。

『あの素晴らしき七年』エトガル・ケレット(秋元考文・訳、新潮クレスト・ブックス、2016年4月27日)



 ハイウェイに乗ると、半分はぼくに、半分は自分に話しかけるかのように、運転手は言った。「ホンモノの戦争ですよね、ね?」そして、長いこと間をとったあとで、懐かしむように、「昔みたいに」と言った。


 p. 20, 「戦時下のぼくら



 テロ事件の犠牲者でごったがえす病院で子どもが産まれる話ではじまり、七年後、空襲警報の鳴り響く道路で成長した子どもと一緒に地面に伏せる話で終わる。そのあいだの七年間を描いたエッセイ集だ。

 ひとくちに「日常」といっても、そのリアリティは人それぞれだ。飢餓が日常の人もあれば、爆撃が日常の地域だってある。そうした国では、戦争とは生活であり、ジョークの種であり、ときに懐旧の対象ですらあったりもする。

 イスラエルは建国以来ずっとだらだらと戦争を継いできた。戦争を日常とする国家だ。そんな場所にエドガル・ケレットは住んでいる。イスラエルで生まれ、イスラエルで育った。父親第二次世界大戦を戦い抜いた元レジスタンスで、母親はヒトラーによって故国ポーランドを追われた元孤児。ふたりとも、ホロコーストの真っ只中にいた。ケレット自身も若くして軍に入った。元神童の兄は紆余曲折を経てタイに移住し、超正統派ユダヤ教徒になった姉は弟をハグすることすら許されない厳格な生活を営んでいる。
 イスラエル第一世代の五人家族の末っ子としてのケレットと、第二世代の三人家族の父親としてのケレット、そして国際的短編作家としてのケレットが多層的に折り重なって現れる。通底するのは、どのケレットも「自分はユダヤ人である」という自意識を抱えていること。

 このエッセイ集はもともとアメリカ人読者に向けて書かれたものだから、戦略的に〈イスラエル在住作家〉のペルソナをわかりやすく強調している面もあるにはある。しかし、それ以上に、彼が講演旅行でよく廻るヨーロッパという土地は、ユダヤ人にみずからがユダヤ人であることを思い知らせずにはいられない。なんとなれば、そこいら中にじぶんたちの足跡が残されている。逆説的ではあるけれど、彼にとってイスラエル以外の土地こそ、あるいは放浪そのものこそが故郷なんだろう。ケレットの母親は彼の最初の短編集を読んでこう言う。「あなたは全然イスラエルの作家じゃないわ。国外を放浪しているポーランド人作家よ」。
 彼は母の故郷、ワルシャワに家を買う。ただ刻印することだけを目的にしたような、奇妙な家を。

 エドガル・ケレットは掌編の名手として知られる。エッセイもだいたい四五ページで簡潔に収まっている。自分と自分の置かれている微妙に奇妙な状況をペーソスと諧謔でユーモラスに、しかし堅実な筆致で描くことで、時にファンタジーの領域にすら届く。やさしくなったカフカみたいだ。

(1018文字)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)