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爆弾のある日常――千字選評(1):『あの素晴らしき七年』エトガル・ケレット

これまでのあらすじ

「読書、映画、その他」と書いてあるのに、「アニメ、映画、その他」みたいな状況になってきたので書評を書く訓練などしたい。ほっとくとだらだら長くなるのでとりあえず千字前後を目標に。

『あの素晴らしき七年』エトガル・ケレット(秋元考文・訳、新潮クレスト・ブックス、2016年4月27日)



 ハイウェイに乗ると、半分はぼくに、半分は自分に話しかけるかのように、運転手は言った。「ホンモノの戦争ですよね、ね?」そして、長いこと間をとったあとで、懐かしむように、「昔みたいに」と言った。


 p. 20, 「戦時下のぼくら



 テロ事件の犠牲者でごったがえす病院で子どもが産まれる話ではじまり、七年後、空襲警報の鳴り響く道路で成長した子どもと一緒に地面に伏せる話で終わる。そのあいだの七年間を描いたエッセイ集だ。

 ひとくちに「日常」といっても、そのリアリティは人それぞれだ。飢餓が日常の人もあれば、爆撃が日常の地域だってある。そうした国では、戦争とは生活であり、ジョークの種であり、ときに懐旧の対象ですらあったりもする。

 イスラエルは建国以来ずっとだらだらと戦争を継いできた。戦争を日常とする国家だ。そんな場所にエドガル・ケレットは住んでいる。イスラエルで生まれ、イスラエルで育った。父親第二次世界大戦を戦い抜いた元レジスタンスで、母親はヒトラーによって故国ポーランドを追われた元孤児。ふたりとも、ホロコーストの真っ只中にいた。ケレット自身も若くして軍に入った。元神童の兄は紆余曲折を経てタイに移住し、超正統派ユダヤ教徒になった姉は弟をハグすることすら許されない厳格な生活を営んでいる。
 イスラエル第一世代の五人家族の末っ子としてのケレットと、第二世代の三人家族の父親としてのケレット、そして国際的短編作家としてのケレットが多層的に折り重なって現れる。通底するのは、どのケレットも「自分はユダヤ人である」という自意識を抱えていること。

 このエッセイ集はもともとアメリカ人読者に向けて書かれたものだから、戦略的に〈イスラエル在住作家〉のペルソナをわかりやすく強調している面もあるにはある。しかし、それ以上に、彼が講演旅行でよく廻るヨーロッパという土地は、ユダヤ人にみずからがユダヤ人であることを思い知らせずにはいられない。なんとなれば、そこいら中にじぶんたちの足跡が残されている。逆説的ではあるけれど、彼にとってイスラエル以外の土地こそ、あるいは放浪そのものこそが故郷なんだろう。ケレットの母親は彼の最初の短編集を読んでこう言う。「あなたは全然イスラエルの作家じゃないわ。国外を放浪しているポーランド人作家よ」。
 彼は母の故郷、ワルシャワに家を買う。ただ刻印することだけを目的にしたような、奇妙な家を。

 エドガル・ケレットは掌編の名手として知られる。エッセイもだいたい四五ページで簡潔に収まっている。自分と自分の置かれている微妙に奇妙な状況をペーソスと諧謔でユーモラスに、しかし堅実な筆致で描くことで、時にファンタジーの領域にすら届く。やさしくなったカフカみたいだ。

(1018文字)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)