名馬であれば馬のうち

読書、映画、その他。


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真実の鍵――ルース・レンデル『街への鍵』(山本やよい訳、原1996、訳2015)

 2015年度ポケミス全レビュー計画(但し『カルニヴィア』を除く)第一弾にしておそらく最後の弾。

あらすじ

 1990年代のロンドン。主な視点人物は三人。*1

メアリ

 アイリーン・アドラー博物館で働く女性メアリは、婚約者であるアリステアの暴力に耐えかね、ある日同棲先から飛び出す。ちょうど、長期旅行に出る老夫婦の留守番役の口を見つけたメアリは、夫婦の豪邸にひとり滞在することに。
 そんな折、婚約者と仲違いするきっかけともなった骨髄移植手術の提供先の白血病患者、レオと面会する機会を持つ。粗暴なアリステアと対照的に繊細で優しげなレオへ徐々に惹かれていくメアリ。しかし、嫉妬深いアリステアは彼女をどうしても諦めきれなかった――。

ローマン

 交通事故で妻と二人のこどもを瞬時に失った男、ローマン。そのショックで虚無にとりつかれた彼はそれまでの資産や地位を投げ打ち、路上生活へ身を投じる。ホームレスな日々を通じて過去や現在を観想していた彼は、ちかごろ特定の女性(メアリ)をよく街角で見かけることに気づく。どうやら彼女は怯えているようだ。
 ローマンは人知れず、名も知らぬ「彼女を見守り、危険から遠ざけ」*2ようと心に決める。が、そんなある日、彼は、凄惨なホームレス殺人事件の現場に出くわしてしまう。鉄道の防護柵に串刺しにされた遺体ーーそれはロンドンを揺るがす連続殺人、〈串刺し公〉事件のはじまりだった。

ビーン

 引退した元従僕、ビーン。人間を蔑み、犬を友とたのむ狷介なこの老人は、趣味と老後の生計を兼ねて、近隣住民の飼い犬の散歩代行業を営んでいた。そんなある日、ひったくり事件に遭う。全身に鍵をじゃらじゃらつけた近所の名物ホームレス、ファラオこそその犯人であると目したビーンは、ある行動に走るのだが。

紹介

 『ブエノスアイレスに消えた』に並ぶ、本年度のポケミス・マイベスト。
 突如勃発した連続ホームレス殺人事件を背景に、各人物たちの人生が微妙かつ絶妙にからまりあっていく群像ドラマです。
 特筆すべきはなんといっても、キャラ造形とストーリーテリングの圧倒的な巧さ。
 レンデルは熟練の業前でもって、上記の視点人物三人をそれぞれ全く異なるジャンルの筆致で描き出す、という離れ業をやってのけています。
 たとえば、物語の中心であるメアリのパートは、「DV夫からの虐待を逃れて理想の王子様と出会う」*3展開を揺れ動きやすい繊細なメアリの心情に寄り添った、甘いラブロマンスとして描かれます。
 一方、メアリを陰ながら守るロンドンのダークナイト、ローマンのパートは、あらゆる景色を灰色に映すような文体で、内省的な問いかけを繰り返すハードボイルド風味。
 物語が進むに連れてとんでもない爺さんであることがあらわとなるビーンのパートは、ダークなユーモアにあふれた小市民コメディ的な色合いを見せるんですね。
 さらにもう一人、サブ的な視点人物としてヤク中のホブという人物がちょこっとだけ出てくるんですが、彼がクスリをキメるシーンはバロウズもかくや、というほど、やたら詳らか。読者に「ルース婆さん、もしかして……」と思わせる真に迫ったドラッグ小説としての面も持ち合わせております。

 「厭ミスの元祖女王」*4レンデルさんとあまり縁深くなさそうな個性的でマイナー物語たちを、「連続殺人事件」といういかにもミステリ的な道具立てのパイ皮で包み、こんがりやきあげたら……うわあ、しっかりレンデル風味じゃないですか!! というまったくおそるべき代物、それが『街への鍵』。
 しかもジャンル小説的な手法は単なる嫌味ではありません。クライマックスを盛り上げるためのピースとしてキチンとハマっている。この手腕、この豪力。イギリス・ミステリ界*5は惜しい書き手を亡くしました。
 以って瞑すべし。

ワンポイント

 本作はロンドンを舞台にした都市小説的な側面を持ちます。
 群像劇のひとつのキモは「登場人物たちのすれちがい、袖振れあい、絡み合い」ですが、それをレンデルはほぼ視線の交錯のみで描ききってしまう。
 たとえば、メアリとローマンは劇中で常に互いの存在を意識しあいながらも、ある決定的な場面まで言葉を交わすことはありません*6。メアリはゴーゴリの作品にちなんでローマンを「ニコライ」と名付け*7、ローマンのほうもメアリの名前を知らないままに見守ります。
 一般市民から塵芥のごとく無視されるホームレスを人間として認識し、仮の名前を与える。これはクライマックスの展開にも、先に「名前」から出てくるある登場人物との対比とも絡んでくるわけで、こういうところ巧みさに品の良さがでるんですね。
 人物と都市を観察する視線こそ要とするならば、本作の主人公は実は、ともに敏感な自意識を持つメアリやローマンではなく、常に皮肉な観察者たるビーンなのかもしれません。

 常に主観でもって語られる本作は、視点人物以外人物・事物を後景へ追いやります。ミステリ的な興味であるはずの「連続殺人事件の犯人」も、刑事以外には追求するインセンティブがありません。なにせホームレスをターゲットにした連続殺人ですから、高級マンションに住むメアリやビーンのような人々には基本関係ないのです。
 しかし事件は確実に各キャラクターへ影を落としていきます。
 ストーカーと化したDV野郎アリステアは「君が殺人鬼に狙われるかもしれない」という口実で無理やりメアリに迫り、自分の管理下のもとに閉じこめようとします。起こってしまった事件は当該コミュニティに属していない人々の物語にも作用します。
 いわば都市の悪意が暴力的な男性性と結託し、メアリを追いこんでいくわけで、このへんの絶妙かつ厭〜なナーブスリラーサスペンス感覚には舌がスゴイマルマール。
 だからこそ、見た目やプロフィールの向こうにある真実、一個の人間としての物語がメアリ自身の物語と結合したとき、無上にカタルシスを喚起するのです。

その他

 ちなみに kindle で読んだのですが、書籍版には裏表紙にネタバレがあるそうで、ご注意をあるべし。


街への鍵 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

街への鍵 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

*1:ヤク中のホブ含めて四人とする説もある

*2:loc. 3826

*3:そしてそれが「自立」のきっかけとなる

*4:今考えたニックネーム

*5:といったら「私はミステリじゃなくて文学やってるんですけど」と自負していたルース媼から怒られるでしょうか

*6:メアリが挨拶してもローマンは驚きのあまり返事ができない。loc. 1295

*7:loc. 1642