去年のいつだったかエラリー・クイーン『ギリシャ棺』の読書会を担当した。
そのとき資料として参照したフランシス・M・ネヴィンズによる伝記『エラリイ・クイーンの世界』の増補改訂版『Ellery Queen: The Art of Detection』の最後のほうに、「なぜアメリカ人はエラリー・クイーンを読まなくなったのか?」という半分嘆きのような考察が記されていた。『エラリイ・クイーンの世界』の原著はダネイの生前に出されたものなので、おそらく改訂前にはなかった箇所。
戦前戦中にかけて一世を風靡したベストセラー作家クイーンは、没後数年のうちに米国文学界の記憶から抹殺されてしまった。*1その事実にショックを受けた生粋のエラリアン、ネヴィンズさんは風化の原因を探るべく、同じくクイーン愛好家であるジョン・L・ブリーンによる「アメリカでクイーンが忘れられた五つの理由」を引く。
(1)探偵作家の「性分業」
ハードボイルドやノワールがハメットやチャンドラーといった男性作家とイメージ的に強く結び付けられた一方で、クラシックな推理パズル*2がクリスティーやセイヤーズなどといった女性作家のものとみなされるようになった。
こうしたミステリにおける「性分業」の構図が、そのどちらにも属さない黄金期本格の偉大なる巨匠たち、すなわち男性のパズラー作家であるジョン・ディクスン・カーやクイーンらを「文化的な裂け目」へ陥れてしまった。
(2) クイーンの文体
クイーンの散文的な文体*3はこんにちの読者にとって読みづらい。
(3)「コンビ作家」に対する偏見
なぜだかアメリカでは「コンビ作家」の地位が相対的に低い。
(4)60年代におけるゴーストライターによるクイーン名義作品の濫造
執筆担当のリーがスランプに陥った時期に、そのへんの三文ペーパーバック作家に「クイーン」の名義を貸して、探偵エラリー・クイーンの登場しない単発作品を書かせた。
これらの作品は同じくリー以外の作家が執筆を担当した探偵エラリー・クイーン・シリーズの作品とは違い、本家の手がほとんど入っておらず、質的にもかなり落ちる。
しかし事情を知らない読者からすればどちらも「クイーン」なわけで、このことで相当な失望を生んでしまった。
(5) アメリカ人の知性や文化リテラシーへのリスペクトが減退した結果
アメリカ人が頭を使って自分で推理するような知的でゲーム的な小説を好まなくなったため。
要するにアメリカ人がバカになったから。
ネヴィンズさんはこれら五つの理由に「そうだそうだ」と頷きまくってるわけだけど、読んでる方はほんとかよと思ってしまう。あくまで一ファンの肌感覚として挙げられたものなのでエビデンスがあるかといえば、ちょっとあやしい。特に五番目の理由なんかは「なんで俺の好きなものの良さがお前らにはわからないんだ! バカか! バカだからか!」と駄々をこねるオタクのやつあたりに近い。
それでも一番目の「探偵作家の性分業」なんかは、真偽はどうあれ、文化論の切り口として興味深い。ハードボイルド的な行動派の探偵たちがアメリカ男性のマッチョ信仰をくすぐり、かたや、ねちねちと証拠や人間関係を探って思慮をめぐらせる探偵たちを筋肉のたりない女子どものものとみなすようになった。これだけだとなにかにつけ性差を語りたがるおっさんの戯言に見えるけど、『ステロイド合衆国』などのドキュメンタリーでアメリカ男性における筋肉信仰のすさまじさを目撃したあとだと、けっこう説得的に映る。「男は強くあれ」という教義が小説読者の強迫観念に作用して、一ジャンルの文化を形成していったわけだ。
こうした考えを敷衍させていけば、アクション=男性的な技法、モノローグ=女性的な技法というテクニック単位での「性分業」まで行き着くのかもしれない。行き着いたところで、政治的にまったく正しくないんで使えないんですけど。
忘れられた理由はわかったとして、じゃあぼくらのエラリー・ベイベーはもう二度と生き返らないのか。
ネヴィンさんは「生き返る」と断言する。悲しみの弔鐘は鳴り止むのだとアジる。
具体的にどうやって?
そこはまあ、今年邦訳の出る本だし、書くのはやめときたいんだけど、はっきりいって耄碌したノスタル爺さんのうわごとにしか見えない。やっぱりエラリー・クイーンは死につづけるのかもしれない。
- 作者: エラリー・クイーン,越前敏弥,北田絵里子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2013/06/21
- メディア: 文庫
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