名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


2012年4月の読書まとめ

 エッセイだったりノンフィクションだったり資料だったり、そんなものばかり読んでいた気がする。菅啓次郎は若いころの文章の方が好みかもしれない、元々思想の面ではあまり惹かれないだけに。漫画は漫画っていうかゴーリーの絵本ばかり漁っていた。

居心地の悪い部屋

居心地の悪い部屋

四月はこれに全部もってかれた感が強い。ケン・カルファス「喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ」にカルヴィーノ臭というか『見えない都市』っぽさを嗅ぎ取って、もう一つの訳出短編が載っていた柴田元幸編の『どこにもない国』も買ったのだけれど、タイトルが「見えないショッピング・モール」でまあド直球ですよねっていう。文体再現の功績は訳者に帰せられるべきか。

どこにもない国―現代アメリカ幻想小説集

どこにもない国―現代アメリカ幻想小説集

目当て以外ではケリー・リンク「ザ・ホルトラク」の仕立てが素晴らしい。非常に示唆的だけれど過剰にならない節度をたもった寓意を、巧みに転がしていく。ゾンビとカナダ人しかやってこないコンビニに場面が固定された、三谷幸喜のコメディみたいな設定なのに、こんなにもメリハリをつけられるんですね。なんとなく積んでいた『マジック・フォー・ビギナーズ』を呼び戻そう。

古川日出男黒歴史なんだけど、まあやっていることはまんまヒデオちゃんなので別に履歴に黒線いれる必要もないような。こんなピーキーな文体のピーキーな筋がライトノベルの座を占めていた時代もあったのだね。そっちの方が、抹消された歴史なのか。

幻の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 9-1))

幻の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 9-1))

最近は過程さえよければ、オチは割とどうでもよくなっているのかもしれない。ガッカリってわけじゃないんですけど、いや、むしろ好みの範疇ではあるんですけど。

ゴーレム 100 (未来の文学)

ゴーレム 100 (未来の文学)

面白いのかつまらないのかさえの判断に困る。何かこう、手放しで絶賛するのは非常に躊躇われるんだけど、褒めるとしたらそうするしかないのは解る。『虎よ! 虎よ!』が存在していてよかったと思う。「物語を駆動させているエンジンの強力さやねばっこさにおいて、こっちの方が好み」と比較で逃げられるから。

冬物語―シェイクスピア全集〈18〉 (ちくま文庫)

冬物語―シェイクスピア全集〈18〉 (ちくま文庫)

途中まではとても悲惨な話なのに、終盤の異様なまでの陽気さをもって「喜劇」に分類されている気持ち悪い話。すべてはポーリーンのせいなんだけど、なんでしょうね、これは。なんでPがついてないのか。

 はは、そりゃあ、君、鯨はどこだってありますよ。

戦時中の十蘭先生は「とりあえず、メリケンdisっとけばあとは何やってもいいんだろ?」というヤケクソ気味な開き直りみたいなものが迸っていて実に素敵です。
 その白眉がワールドワイドな敵討ちの顛末を描いた「亜墨利加討」。主人公は馬鹿囃子好きが高じて講武所を首になってダメ侍なんだけど、偏屈な父親から「じゃあ上野戦争参加してこい」と家を追い出される。上野で頼まれて囃子を鳴らして若き侍たちの士気を高めるものの、なぜだか戦争には参加させてもらえない。仕方ないから、会津へ転戦して端役をもらうけれど、途中で日本人同士が殺しあう内戦の虚しさみたいなものをおぼえて半端なまま郷里へ帰ってしまう。
 ところが帰って大災難、いとこの娘から自分の父親が切腹して果てたと告げられる。なんでもアメリカの水兵に侮辱され、それを恥として腹を割いたらしい。その切腹までの成り行きというのがまたひねくれている。最初はへらへらとなんでもなしな体で帰宅した父親(いとこの娘にとっては伯父)だったが、いとこの娘は事情を問いただすや浩然と「一族の恥だから死ぬべき」と主張する。そんなものかな、で死んでしまうのが十蘭の武士たちで、父親は結局押し通される形で割腹。シリアスなんだか軽薄なんだか、ともかく情けない。
 主人公は亡き父の無念を晴らすため、水兵への仇討ちを誓い、再び家を出る。途中で、同じくアメリカへの恨みを持つ同志たちを得つつ、船に乗り込んで向かった先はなんとサンフランシスコ。『紀ノ上一族』のはじまりの舞台ともなった大都市で、主人公は仇を求める。普通ならその探索だけで何百ページも費やしそうなものだけれど、十蘭先生は二三ページもしないうちにさっさと仇を発見させてしまう。
 仇討ちのシーンというのがまた奇妙だ。もっとも盛り上がる場面のはずなのに、直接的な描写が避けられている。いかに討ったかは主人公の口から同志へ話されるのだけれど、水兵をほとんど一太刀で四人ぶったぎるというのは講談というか、冗談めいている。そんなこと言ったら、明治はじめの頃の男たちが袴姿で大小ぶらさげてサンフランシスコを闊歩しているというのもファンタジーなんだけれど。
 で、主人公は目的を果たすとさっさと奥の間へ行って切腹してしまう。よく考えたら仇討ちを遂げた後に切腹してしまうのはおかしいのだけれど、そのへんの理屈を十蘭は説明してくれない。というか十蘭小説に出てくる武士はやたら切腹のハードルが低い。主君にむかついたから切腹。貧乏に嫌気がさして切腹。動機が軽すぎていっそ清々しい。この話の主人公の父親だって、言ってみれば「姪に死ねと言われたから切腹」したみたいなもんだ。この短絡的で怪奇な死生観が戦後に大傑作「ハムレット」として結実するのだから、ますますわからない。
 最後の最後の見せ場なんだから、主人公に心情を吐露させるくらいの情は見せてあげてもいいんじゃないかと思うんだけど、十蘭先生は厳しい。ここでも直接描写は行われない。主人公を見送った同志たちがあいつはちゃんと切腹できたろうかと、やきもきし、そのうちの一人が奥へ首尾を確認しに行く。やがて戻ってきた彼は、あいつは立派に切腹したぞ、と朗らかに報告する。
 なんだかよくわからないうちに感動の幕引き、ということになってしまい、読者は感動させられる。
 この無縫で無茶苦茶でエネルギッシュな話を、あくまですまし顔でスマートに整えてしまう。諧謔諧謔なんだけど、どこまでいっても真顔で講じている感じがなんとも洒落ている。だいたいそんな話ばかり。


 

アランの戦争――アラン・イングラム・コープの回想録 (BDコレクション)

アランの戦争――アラン・イングラム・コープの回想録 (BDコレクション)

 こちらもいい具合に脱臼している。タイトルからして前線に送られた若き兵士の苛酷な戦場ライフを期待して読むと見事に外される。なにせ、主人公が一番死に近づくのは仲間のジープに轢かれそうになるシーンだ。無惨に死ぬのはドイツ兵ばかりだ。死ぬのだけれど、どこまでも静かに死んでいく。主人公とその友人たちは生き延びる。
 戦後のアランには深い孤独が香る。


「おまえらのサービスシーンなんか読者は期待してねえんだよ!」はみかべるの定番ネタだけど、ちゃんとサービスになってました。最終巻になってしまったのが惜しい。


完璧な再現。やはり十兵衛はカッコいい。


木曜日のフルット 1 (少年チャンピオン・コミックス)

木曜日のフルット 1 (少年チャンピオン・コミックス)

よくもまあたった二ページでここまでウィットに富ませられるよ。


はじめて悪役が悪役っぽいかっこよさを帯びた。死亡フラグだった。死亡?

The Gilded Bat

The Gilded Bat

ゴーリーは終始一貫した救いのなさとか悲惨さばかりがクローズアップされがちで、まあこれもそんな範疇内(どちらかといえばサクセスストーリーなので悲惨でもないんだけど)で、でもラストシーンに他のどのゴーリーとも異なる美しさがある。訳すべき(by 江戸川乱歩)