名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


2025年にブログの外で書いた主なテキスト



私にはあまり体力がないから、とフラナリーは言う。午前中、三時間書くのに必要な体力しかありません。あとはずっと孔雀を見て過ごすのです。


ジュヌヴィエーヴ・ブリザック、香川由利子・訳『フラナリー・オコナー楽園からの追放』(筑摩書房


(ソウルの川にいたコサギ



ぼんやりと座って川など眺めていると、たまに外から手紙が来る。

昨年は、外で書くことが多かった。世間的には寄稿と呼ばれる行為だ。けれど、寄せている意識はあまりわかない。頼まれて書いたものを川に流すと、海へと吸いこまれていく。そんな感覚。

寄せていないのかもしれない、というのは書く内容もそうで、ブログでのこころがけとさして変わりがない。
たいていブログを読んで寄越された依頼なのだから別にそれでいいのかもしれず、実際アレコレいわれることもすくないのだけれど、わたしだってスペースマウンテンに乗れるくらいはじゅうぶんおとなです。おくびをだした忖度が「もっと寄せたほうがいいぜ」と耳打ちしてくる。といって、寄せすぎると先方も「なんかこういうのじゃないんですよね〜」と期待してたのと違うっぽくなってしまうのかな、と別の悪魔がささやく。
結果的にハワイが日本列島に接近する速度で寄せるくらいの塩梅となり、見た目にはほとんど寄っていないふうに映る。むずかしいね。
しかし、おかげでこのブログの延長線のように読める。なので、ここにいらしているあなたがたにもオススメだということになる。オススメだということにしておく。

というわけで、主だったものを以下にまとめる。ポストモーテムのようだけれど、中身はそんなに説明しない。
分野的には映画、ゲーム、VR、まんが、SF、ブックガイド、ケモ、創作、インタビュー、美味しんぼ、と節操がない。こういう状態を「活動は多岐にわたる」という。多岐は現在の滋賀県と愛知県の境界の地名で、江戸時代に設置された多岐藩は代々譜代である多岐松平氏が治め、交通の要衝である東海道ににらみを効かせていた。東西に対して陰に陽に情報収集の網を張り巡らせた多岐藩。その暗躍を、ひとびとは「多岐の活き動き」と揶揄とおそれを込めて呼び、のちにそれが「活動は多岐にわたる」の語源となった。

『Padograph雑誌 第1号 特集:周縁から内在へ アジア現代美術』(Padograph)

booth.pm

Padograph パドグラフ 파도그래프という日韓の美術展・アートシーン情報に特化したサイトがあり、そこが雑誌を出すというので呼んでいただいた。アートに詳しかったか、おまえ? と問われれる、詳しかぁないですね、と応えるしかないのだけれども、「アートはともかく、VRのことについてのエッセイを書いてほしい」という注文だった。当時はVRChatもだいぶログイン頻度が減っていたので、あんまりこうノリノリなことは書けませんよ、といったらじゃあその気持ちで書いてください的なことをいわれて、そのとおり終わりの子どもだもうきみもぼくもみたいなとふうな内容になった。そもそもVRChatについて自分が書くときは終わりだ全部みたいなことしか書いてないので、いつもの内容だったともいえる。
目次でファンである in the blues shirt のアリムラ氏の隣に来たことを音楽のオタクに自慢したら、「目次で隣だっただけで……」みたいな反応だったので、自分がおもっていた以上にうれしかったらしい。

リアルサウンド

serial experiments lain

realsound.jp
リアルサウンドには一昨年から書いていて、二回ほど寄稿したあとで没交渉になったからもう頼まれることもあるまい、とおもっていたら突然春先に『serial experiments lain』について書きませんか、という依頼が来た。『serial experiments lain』についての原稿を頼まれるということは、「こいつは『serial experiments lain』についての原稿を書く(書ける)ようなやつである」と見なされたということでもある。ひとことでは言い表しきれない微妙なニュアンスを持った立場であるけれども、『serial experiments lain』を好きかどうかでいえばたいへんに好きなので、わりかし光栄に感じた。
というわけで、内容も「『serial experiments lain』についての原稿を書くようなやつが書くもの」に寄っている。どういう空気感かは読んでくれればわかる。口では説明しづらい。
ところでは、lainはみんな好きだ。季節外れでもかなり読まれたっぽく、リアルサウンド・テック*1の記事のなかで歴代一番はてなブックマークがついた。「いちばん読まれた記事」ではなく「いちばんはてなブックマーク」がついたというところが高齢化するインターネットについて色々考えさせられるところではあるけれども、ひとまずはきみたちに感謝を捧げておきたい。あんがとな。

「映画版『8番出口』」

realsound.jp
映画の『8番出口』の記事。話が来た時はなんも書くことなさそうだな、とおもっていたけれど、実際映画を観に行ったら書くことがモリモリ出てきて、その日のうちに提出した記憶がある。ちょうど、ゲームと映画の関係についてちょっと考えていた時期でもあり、タイミングもよかったのかもしれない。
いち観客としてはそんなに好きではないし、自分の趣味から離れた物差しからいってもいろいろつまづきのある映画だけれど、それはそれとして技術的あるいは部分的な達成は認めなければいけない。そういう作品は世の中にたくさんある。評価の軸だっていくつもある。しかし、世間では「いい」か「わるい」でバイナリ的にしか判断されない。まずしいことである……と、嘆いてみてもいいが、我が身を顧みれば自分だって人生の九割九分そんな感じで、だから精読の機会を得るという意味でも外からの依頼はありがたいのかもしれない。

ファイナルファンタジー・タクティクス」

realsound.jp
ファイナルファンタジータクティクス』について。リメイク版リリースのタイミングで出た記事。『ファイナルファンタジータクティクス』は自分の人生でもかなり上位の方に来るゲームなので、なにがなんでもなにかを書きたいという気持ちで引き受けた。で、引き受けてみると、やっぱりなにを書けばいいのかはわからない。
読み直すと奇妙な記事で、まあでも形になっているからいいんじゃないだろうか。歴史叙述について考えていた時期で、『FFT』はその問題意識にあまりマッチした作品とはいえないのだけれど、マッチするように仕立てるのが仕事の妙だ。そういう意味ではこれも寄せてある。寄せると互いに相性の悪そうな材料でもおいしく食べられるものになる。寄せ鍋というやつですね。
あとリアルサウンドではもうひとつ有料読者用のコラムを書いたのだけれど、有料読者用なので有料読者しか読めません。VRChat発のネットミームと『ブレードランナー2049』の話。

美味しんぼエッセイアンソロジー 恋愛編 ZigZagに恋して!』(水色残酷事件)

booth.pm
水町綜さんというヤンキーとSFがうまい作家さんがいる。大戸又さんのところのアンソロに参加したときに打ち上げの焼き肉でたまたま美味しんぼの話題になって、他の参加者そっちのけにしてずっと美味しんぼトークをするものだから、しまいには大戸さんから怒られて店から追い出されそうになった。そこで、水町さんが「待ってください。一週間後にまたここに来てください。最高の『美味しんぼ』エッセイアンソロジーを用意します。もしそれに満足できなかったら、千葉さんと私は一生カツオの刺し身をマヨネーズ抜きで食べます」という約束を勝手にしてしまったものだから、もう、大変! 水町さんたら! なんて勝手な約束をしちゃうの!? 相手はあの大戸又よ。下手な『美味しんぼ』エッセイなんか出したら、わたしたちのほうが刺し身にされちゃうわ! ……と苦言を呈したのだけれど時既に遅し。そのまま、わたしは「究極の『美味しんぼ』エッセイアンソロ」の原稿作りに巻き込まれてしまったのでした……。以上の八割はウソです。
そんなこんなで出たのがが第一弾『Dang Dang 気になる』。『ZigZagに恋して!』はその第二弾。第二弾は恋愛がテーマだったようにおもう。わたしはアイスクリーム居合斬り回について書いた。ちなみに美味しんぼについては一昨年にも別のメディアに書いた美味しんぼエッセイを三つも書いたのだから、いまや押しも押されぬせぬ美味しんぼエッセイストとして斯界からは尊ばれている。斯界?

【遊星歯車機関】

ビデオゲームのおもしろメカニックを中心に扱う同人企画。元インターネットの錬金術師ことxclocheさん a.k.a.かもリバー氏が二、三年前の文フリかSNSかで「ゲームの変なメカニックを扱った同人誌作りたいんですよね。木原善彦の『実験する小説たち』のゲーム版みてえなの」といいだして、そら、おもしろそうッスね、と待機してたらnoteで先出ししながらやるぞ、ということになった。いまのところ、かもリバー氏、murashit氏、わたしが三人で回しながらゲスト寄稿者を随時お呼びしているかんじ。

「ランバックとコープスランについて」

note.com
ジャーゴンとかテクニカルタームみたいなのはないならないでどうにかなったり、むしろ変に導入すると混乱を招いたりする。自前の造語など論外だ。
でも、どっからどうみてもあったほうがいいだろが、という概念もある。ランバックとコープスランはそのひとつ。言われれば「ああ、あれね」となるのだけれど、日本語圏では語ろうとすると曖昧にしか表現されない。
ことばは柵のようなものだ。領域を区切り、対象を指示する。議論とはその柵の中でないと成立しない。
というわけで、輸入した。英語圏ではそれなりの時間をかけて鍛えられた用語*2であり、じゅうぶんに有用性と耐久性を兼ね備えている。有用だからといって広まるかどうか、精緻に運用されていくかどうかはそれぞれ別の問題で、まあしかし、別にAppleStoreでもないのだから、二年間のカスタマーサポートを保証するいわれもない。


「SFゲームとSFインディーゲームについて」

note.com
note.com
京都SFフェスティバルでかもリバー氏と「SFインディーゲームの部屋」企画でしゃべった内容がもとになっている。
ゲームに固有のジャンルはだいたいメカニックを現す。SFやファンタジーなどはゲームの歴史の初期に物語や環境の様式を指し示すために持ち込まれたもので、実はゲームのオーディエンスにとってはあまり重要でなかったりする。では逆になぜ小説や映画などでSFやファンタジーといったタグがより重要に機能しているのかというと、それが物語だけでなく文章やルックのモードを左右するからだ。ゲームは文章やルックだけでは(たいていの場合)動かない。
この点ミステリはおもしろくて、小説や映画におけるミステリはプロットのカタを定める。ゲームでミステリであることはプロットの展開だけでなく、メカニックにも影響する。これはSFゲームにはない特徴だ。
ゲームにおけるジャンルについて考えるのはだからおもしろいのだけれど、むずかしいことでもある。ジャンルという生き物は貪欲で、放っておけば際限なく領域を広げつづける。かといって枷をはめようとすると今度はうまく回らなくなるおそれもある。それらのバランスの調整に腐心したところで、そもそも有用なのかという問題も出てくる。まあ、有用でないからこそ考えるのにちょうどいいのかもしれない。

「プレイ中に不自由な操作を強いてくるゲームについて」

note.com
ジャンル的なものに対する自分の興味はジェンガや将棋崩しに似ている。あるジャンルから「何」を抜けば、そのジャンルはジャンルでなくなってしまうのか。この問題意識はゲームというメディアそのものにも適用される。ゲームから何を抜けばゲームでなくなるのか。ゲームをゲームたらしめているものの正体を知りたい、という学究的な理由ではなくて、むしろゲームがあらゆるパーツを抜かれてもなおゲームでありつづけること、あるメディアが数や要素に還元しえないことを期待しているのかもしれない。魔法がそこに残ることを信じたい。神秘主義者なのだな、とおもう。

『文体の舵の取り方』(フィルムアート社)

www.filmart.co.jp
厳密には書いてはいない。話したことのログが書き起こされたもの。
経緯は複雑だ。大戸又さんのサークルでハイファンタジー小説合同が企画され、その過程でさまざまに神妙な出来事が生じ、フィルムアート社から「合同誌で執筆中の小説を使って、ル・グィンの創作指南本『文体の舵を取れ』に即した合評会をやり、そのログを本にしないか」という流れになった。どこがどうなればそのような流れになるのか、とおもわれそうだが、なったものはしようがない。そうして、そのような本が出た。
わたしの小説についても合評会のログが載っている。けれども、実際に頒布されたハイファンタジー小説合同本誌のほうにそのタイトルは載っていない。どういうことなのかは察しのいいおとなならわかってくれることとおもう。わからないのなら、はやく成長しておとなになってほしい。
大戸さんには申し訳なさしかない。ダメだな、とおもいます。

SFマガジン 2025年8月号/ウィリアム・ギブスン特集』(早川書房

www.hayakawa-online.co.jp
ギブスン特集ということで〈スプロール三部作〉のひとつ『カウント・ゼロ』のガイドを書いた。ギブスンについてはぼんやりとした理解しかなかったのでガイドを書くためにいろいろ調べて、結果、ギブスンについてみんなぼんやりとした理解をしているのだな、ということがわかった。

ユリイカ/特集=宮崎夏次系』(青土社

www.seidosha.co.jp
宮崎夏次系の全作解題を半分担当した。もともと、紙月真魚氏のほうへ依頼されていた案件だったのけれど、ちょうど氏のプライベートが大変な時期だった*3ので、ヘルプに呼ばれたという形。宮崎夏次系はデビュー時から読んできて好きな作家だったのだけれど、その作家性についてちゃんと向き合って考えたことがなかったので、よい機会になった。

『Philosofur 6』(Philosofur編集部)

alice-books.com
ケモノ/furry系をメインに扱う評論誌。評論界隈から見ればケモを対象にすることが、ケモ界隈から評論を扱うことがそれぞれ稀なことで、ユニークな試みだとおもう。わたしはvol.4で初めてお誘いを受けて、そのときはチップとデールの成立史を書いた。日本語で書かれたチップとデールに関するテキストとしては史上最も真剣な代物であるだろうけれど、そもそもチップとデールに真剣な人間が日本にこれまでどれだけいたものかは知らない。
proxia.hateblo.jp
で、Vol.5では書けずじまいになって、Vol.6で復帰した。中身は映画『北極百貨店のコンシェルジュ』の評論。ちょうど、別件でパリ万博について調べたあとだったので、なんかそれなりにするりと書けた。

にゃるら氏インタビュー(interacrit)

note.com
noteで〈ゲームゼミ〉を主宰しているJini氏が、〈ゲームゼミ〉をベースに新しいメディアに衣替えするというのでその実質的な布石として出たインタビュー記事、という認識で多分合ってるはず。インタビュアーと序文はJini氏で、こちらはインタビュー本文の記事化を担当した。
なぜこれをやることになったかについては、複雑怪奇な経緯があるのだけれど、あまりにこんがらがっており、ところどころ不明瞭で情報不足なので文字で説明するのがめんどうくさい。いつか説明する気になったらします。利害関係者か知り合いなら直接お問い合わせください。


【小説】

・「千葉集」という名は創元SF短編賞の応募時にこしらえられたもので、受賞以来、いちおう小説を書くひとということになっている。小説のほうがわたしに書かれているかという意識を持ってくれているかはさだかでない。ないのだが、ちょうど今日、Kaguya Planetから新作短編がリリースされてくれた

『TOKI anthology』(展葉社)

「おばけとよふかし」という掌編を寄稿した。『TOKI anthology』は京都を拠点とするライフスタイルブランド、ANONYMの発行した文芸アンソロジー。ANONYMは特定の時刻をモチーフにしたハーブティーとコーヒーを販売しており、それをベースにしたお話を書かないかということで声がかかった。内容としては、三条京阪のスタバで幽霊(ハロウィンの仮装とかで見る白いシーツをかぶったような形態のやつ)に会うというやつ。三条京阪のスタバには半地下がある。

『ドンキーアーカイヴ vol.3 〈特集:異国〉』(V&R BOOKS)

「公爵の二つの領土」という短編を寄稿した。出生の関係で国際法上、身体=領土になってしまった公爵の話。わたしの書くものなので、公爵の体内には公国民であるネズミの書記官が棲んでいる。体内に孕まれた語り手というのは好きなモチーフで、その昔、米国防総省に使役され、時空間を超越して拒食症をばらまきまくる生物ミサイルにされたキツネの中に孕まれたその仔を語り手にした(途中で生まれる)話を書いたことがある。某社の編集者から「独りよがりすぎる」とコメントされたことをよくおぼえている。
『ドンキーアーカイヴ』は暴力と破滅の運び手氏が主宰している同人誌。坂永雄一氏、稲田一声氏、春眠蛙氏、藤見みのり氏といった面々が参加している。

『おとなの自由研究① 万博』(V&R BOOKS)

booth.pm
「聖ジャンボ伝」という翻訳ということになっている小説を寄稿した。19世紀のパリに〈バスチーユのゾウ〉という巨大なゾウの像*4が実在した*5のだけれど、それが実はほんとうは実際に生きたゾウで、ナポレオン帝政期の英雄に祭り上げられたけれど時代の変転でなんやかんのあった挙げ句、アメリカへと渡りP・T・バーナムの〈地上最大のショウ〉で有名なジャンボ(こちらも実在)というゾウになったという話。『Philosofur 6』のときに書いた「別件」とはこれのこと。
『おとなの自由研究① 万博』は暴力と破滅の運び手氏が主宰した合同アンソロ同人誌。19世紀のパリ万博にまつわる小説とか評論とかがいっぱい載っている。



 

*1:外見には分かりづらいが、リアルサウンドは扱う分野ごとに三部門くらいに分かれている。

*2:とはいえ、英語圏でも誰でも知っていたり厳密に定義されたことばかといえば、けっこうブレたりもしていてそこまででもない

*3:氏のプライベートが大変でなかった時期をわたしは知らないが

*4:ダジャレ

*5:レ・ミゼラブル』なんかにも出てくる