名馬であれば馬のうち

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地獄に落ちた少女ども――『魔女の子供はやってこない』を読むための六夜(5)(終)

第五話「魔法少女帰れない家」



 第五話では本書を貫くイメージのひとつである「絵画」のモチーフが前面に打ち出されます。
 ゲストキャラクターである奥さんこと奥様子は元画家の主婦。結婚した夫とのあいだに一男一女をもうけて、夏子たちの目からすると幸せそうに見えます。
 ある日、奥さんのもとに美大時代の旧友から結婚式の招待状が届きます。参列するべきかどうかで迷う奥さんに、夏子とぬりえは助力を申し出て背中を押してあげます。結婚式に出るための準備期間が一週間欲しい、と言う奥さんにその間の身代わりを申し出るのです。
 かくして夏子は奥さんに変装して主婦の役割を引き受けます。が、小学生の彼女に一家四人分+αの家事は重すぎました。客人として眺めれば理想の一家でも、子供は母親をリスペクトしてくれず、夫はまるで化け物。疲弊していく彼女に追い打ちをかけるかのように、奥さんにまつわる不可解な矛盾が徐々に露呈していきます。約束した一週間が過ぎても奥さんは戻ってこず、夏子は壊れかけますが、手抜きを学ぶことでなんとか持ちこたえます。
 出立から二週間たって奥さんはようやく帰宅を果たします。主婦業の大変さとともにその意義を学び、自分なりに体験を総括しようとする夏子に、奥さんはぶちぎれます。「この家のどこに私があるの?」と。奥さんは夏子に自分の描いた絵を見せます。それはこの二週間を費やして描かれた絵でした。平凡以下の絵でした。家のなかで夏子が一度だけ目撃した昔の奥さんの絵とは似ても似つかない下手な絵でした。「これが私だよ。駄目になった! この家に吸われて大事な物全部なくなってしまった! 食われてく、この家の奴らに、全部。持っているもの全部。私全部」
 ぬりえちゃんは毎度の手続き通り、奥さんの記憶を消します。
 家に戻った夏子は衝撃的なニュースを目にします。奥さんが出席する予定だった結婚式で新郎新婦が惨殺されたのです。犯人は明らかに奥さんでした。夏子は自分が二重に謀られていたことを悟りますが、奥さんには夏子の作った二週間ぶんのアリバイがあり、また本人は記憶消去により事件を起こしたことも憶えていません。奥さんは親友を殺されたことで真実泣いてさえいました。
 呆然と夏子は問います。「私たちだけが覚えているの? この人が何をしたかを、私たちが何をしたかを」
 ぬりえちゃんは答えます。「疑われないよ。彼女は家にいたのだもの。願いは叶えられたんだよ」

 
 「願いは叶えられた」。最初から奥さんは二人を殺すことをこそ望んでいたのでした。絵を描いていたのは往年の夢が取り戻せるという希みを抱いたからではなく、自分の絶望を確認する儀式にすぎませんでした。凶器や変装道具を家からあらかじめ持ち出していた事実がその計画性を証拠づけています。
 願いがそもそも歪んでいるのだから、叶える道具であるぬりえちゃんには救えません。夏子は奥さんが帰ってきた直後に「二週より長い時間をあげられていたら。別の原因を取り除けたなら。ちゃんと力になれていたなら。よりよい結末があったかもしれないし、更に悪い結果になっていたかも知れませんでした」と第二話の繰り返しのように魔法の失敗を悔やみますが、虐殺のニュースを聞いて最初から彼女が自分たちを騙すつもりだったのだと悟ります。
 ねがいごとはねがう本人が決めます。基本的には叶える側は介入できない。介入できないのはいいにしても、何故オリジナルな奥さんの願いを事前に夏子たちは把握できなかったのか。。れは彼女たちの知る奥さんが、家を離れて事件を起こした奥さんとは文字通りの意味で全く別の存在だったからです。鶴だったからです。

 第四話では『シンデレラ』がモチーフとして使用されていましたが、第五話でも童話といいますか、昔話が引用されています。それが『鶴の恩返し』です。
 奥さんが昔描いたとおぼしき「海辺と鳥の絵」を家の一角から発掘した直後、夏子は『鶴の恩返し』について思いを馳せます。

 例えば考えるのは鳥のことでした。奥さんが本当は大きめの鳥で、飛び去って帰ってこないような想像でした。鳥が家に帰らないのなら、それは自然という気がしました。
 昔の鶴でもたくらみの個室があてがわれ、隠れる場所がなければ鶴は何もしなかったのか。その家で手も足も出なかったら、自分の正体を鶴はどうしていたのか。

 
 まさしく奥さんは隠れる場所を持たない鶴だったわけです。家族の視線に晒され、家事に忙殺されて、機を織る場所も暇もなかった。奥さんと旦那さんとのあいだにあったであろう恩返しの「恩」は劇中で語られることはないのですが、ともかくも人間に化けた鶴であるところの奥さんは鶴に戻って機を織るタイミングを見失ったまま昔鶴であったことさえ忘れてしまった。ここでいう鶴とは単に恩情と義理の深い動物ではなくて、昔の、絵を描いていたころの奥さんです。
 なぜ結婚式で惨劇で夏子の作った不出来な鶴のマスクをかぶったのか、もはや明らかですね。彼女は鶴に戻って、鶴のなすべきことをしたのです。
 鶴は人間になった今の奥さんとまったくつながりのない生き物ですから、テレビで鶴のマスクを見ても「アハハ」と笑える。隠れ場所を、家から離れた場所を夏子たちが提供してしまったがゆえに鶴としての面を思い出してしまったわけで、夏子たちは彼女の家で奥さんに会うかぎりは鶴としての奥さんの顔を知り得ません。
 結局、夏子たちにはどうしようもできなかったのです。

次回予告

 どうしようもないこと、とりかえしのつかないことは我々の人生においても常に生起します。
 たとえば、本連載。
 最終回となる第六回ではいよいよ本書を貫く「地獄」とは何か、について迫っていきたいと思っていましたが、一ヶ月くらい考えていい感じの結論がでなかったのでこれでおしまいです。おわびとして自転車に乗るサーカスのクマのクリップをもってかえさせていただきます。

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 サーカスのクマの動画はどれもクマがあきらかにやる気ない感じで趣深いですね。