名馬であれば馬のうち

読書、映画、その他。


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The Good, the Bad and the Ugly――トマス・フラナガン『アデスタを吹く冷たい風』

注意

 この記事はトマス・フラナガン『アデスタを吹く冷たい風』のネタバレをおおいに含んでいます。未読の人で展開を知りたくないという方は、読まないでください。
 未読だけどどうせ読まないし、いいや、という方も、たぶん読んでもわけわかんないだけなんで読まないほうがいいです。

 

『アデスタ』にだって繋がりがあります。

 一冊の本という同じ空に浮かんでいるにもかかわらず、『アデスタを吹く冷たい風』に収録されている七つの短編を一連の星座としてみなす人は少ない。
 四編の<テナント少佐もの>が、かろうじてひとまとまりにくくられるくらいか。しかしその枠内ですら連続性を指摘せよ、と言われたら「テナントのかっこよさ」だとか「特殊な世界観設定」だとかふんわりした印象におさまってしまう。
 元来トマス・フラナガンなる星座は存在しなかった、という説もある。文庫版に付されている千街晶之の解説によれば、本作はEQMM誌に掲載された短編を拾い集めた日本オリジナル編纂の短篇集なのだそう。ならば、生まれがバラバラのものを浚ってきたのだから、そこに統一性や一貫性を見いだせないのも当然なのではないですか。
 そいつは否でございます。アンソロジーならいざしらず、どの短編にも単独作者の名が刻印されている以上、すでにして一貫性は内蔵されている。作家性という呪いがかかっている。
 なにを間違ったかその呪いが米国ではなくて日本で発現しただけのことであって、都筑道夫の薫陶を通過した1961年の早川書房編集部が本格ミステリという神話をベースに独自のアステリズムを見出したとてもなんら不自然ではない。
 問題はプトレマイオスから五十年を経たわれわれが、『アデスタを吹く冷たい風』創造にあたって用いられた神話を、共通項を忘れてしまったことだ。
 その神話を思い出さないといけない。本書に封じられた七人の孤独な姉妹たちを再結合させなければいけない。そうでないとまた彼女らを見失ってしまう。絶版になってしまう。
 というわけで、ここでは『アデスタ』に一つの筋を通すためのコンスタレーションを試みよう。


キーワード

 さしあたって、読解のためのキーワードを設定したい。
 ミステリとは箱のなかに鍵が落ちているタイプの文学なので、とうぜん読解のためのキーワードも作中に埋め込まれている。

 「そんなことは問題じゃない。どんなに愚鈍であろうと、それはきみの長所のあらわれでもあるんだ。愚直であるということが、かつては誠実の別名だった時代もあった。ただ、このせわしない現代では、そう単純にいかなくなっただけのこと。誠実を披瀝したいにも、その世界そのものが、くらい影ばかりでいたって曖昧なものに変わってしまったんだからな」(「国のしきたり」, No. 1748)

 愚直。元は「simple」だろうか。愚かで、かつ正直であること。ある種の純粋さ。頑迷さ。
 「テナント少佐もの」でもなく、「北イタリア物語」でもなく、「トマス・フラナガンの作品全体」を描き出すためのツールとしてはこの「愚直」という語が最も使い手がいい。当然「狼」というワードは超重要だけれど、しかし「うまくやったようだわね」と「もし君が陪審員なら」を説明できないという弱点を持っている。
 やはり「愚直」だ。
 では、このキーワードをしるべに、愚直に『アデスタ』を頭から一話ずつ読んでいこう。


 

テナント少佐について

 「detect」するという語は、ラテン語の「de-tegere」つまり「おおいをはがす(unroof)に由来し、探偵(detective)のもともとの姿はユダヤの悪神アスモデ、家々の屋根をはがしてその生活を密かに探る跛行の魔神だった。
(『最初の刑事』, ケイト・サマースケイル)

「乱暴で評判」「気が短い」「傲慢で無遠慮」「責任感の強い男」「軍人としては傑物だが、少佐で一生おわる人間」「協調的なところはないが、非常に頭はいい」……毀誉褒貶の激しい軍人探偵にして"跛行の魔神”、テナント少佐は1952年5月号のEQMM誌に「アデスタをふく冷たい風」と題された短編の主人公として颯爽と登場した。以降、トマス・フラナガンが唯一創造したシリーズ探偵として、1958年の「国のしきたり」までの七年間、軍事独裁政権下で彼なりの正義を希求しつづけた。
 「将軍」と呼ばれる独裁者によって支配された《共和国》の憲兵将校であるテナントは、王政が打倒された革命以前から奉職する軍人だ。かつては「旧王国の軍隊のうちで、もっとも将来を嘱望された青年将校のひとり」だったのものの「内戦のさなかに信じきれぬほどのミスを演じて」*1、大佐から少佐へ降格してしまった。
 その風貌は爽やかとは言いがたい。義足で、片足を引きずって歩く。かみそりもあてていない顔。ズボンはよれよれで、軍服のポケットは葉巻をつめこんでいるせいで膨らんでいる。軍帽は皺のよった広い額でずりおちそうになっている……。ちなみに葉巻を愛好する。不眠症を患っているらしく、睡眠薬も常用している。これらはいずれも革命以前の王国軍人のスタイルであったらしい*2。暗黙の反抗、といえば聞こえはいいが、要するに窓際族のさえないおっさんだ。

 ところが見た目に反して脳漿はさえわたっている。「狼のなかの狼」*3とも呼ばれる狡知を備え、卓抜した能力と特異な経歴から「その評判は誰の耳にも入っている将校である」*4
 
 「テナント少佐もの」四篇は、彼の探偵しての成長と変化と贖罪を描いたオールドスクールな名探偵シリーズである。


「アデスタを吹く冷たい風」――1. 名探偵テナント少佐、誕生す

 表題作にはその短篇集のすべてが出る。
 「アデスタを吹く冷たい風」は地図と銃の話だ。

 「だがロジックはつねに正しい」テナントはいった。「最後には、だ」 *5


 かつての革命戦争で、王国側に与したテナント率いる部隊は「将軍」の軍勢に打ち負かされ、一時国外へと敗走。その後、本国へと舞い戻り「将軍」に降伏する。が、降る際にテナント部隊が装備していたはずの銃がごっそり消失してしまっていた。
 それから十五年の時が流れ、《共和国》国境付近の町アデスタ。この地域の警備を仕切る司令官ジャレル大佐はちかごろ急増した旧式銃の流入に頭を悩ませていた。どうやら、《共和》へぶどう酒を運んでいる貿易商人、ゴマールがあやしい。しかし、彼のトラックをいくら調べてホコリひとつ出ない。
 そんな折、中央から義足の憲兵少佐、テナントが派遣されてくる。テナントは密輸されている旧式銃が昔、革命戦争で自分たちが使っていたものと同じであることを看破し、同地の若い少尉ボナレスとともに執念の捜索へと乗り出す。


 このときはまだ狼ではなかった。
 名探偵テナント少佐は過去に苦い敗北を経験した人物として読者の前に姿を現す。デビュー当時の彼は後の出演作からは考えられないほど、あけっぴろげな態度で喋りまくる。なにせ地の文で三回も彼の心情描写も入るのだ。後の三作ではそうした描写はまったくなされない。

 ――おれはなにも恐れてはおらん。卑怯者だから恐れんのだ。希望を失ったから恐れることがなくなったのだ。*6

 彼にとって、埋められた銃がどんなものかも進んで説明してくれる。

 「当時我々がどんなにアデスタ軍を誇りに思ったことか。降伏するまえに、武器を埋める処置を選んだ軍隊だ」かれは微笑んで、「将軍の捜索隊が、ついに発見できずに引き揚げたと聞いて、どんなにわれわれが喜んだことか」*7

  銃を埋めること、武器を葬ること、それがテナントにとって何を意味するのか。ここで有名なあのセリフが出てくる。

  「地図と銃」テナントはいった。「論理と暴力。このふたつが結びついたあかつき、この世に、不可能なことは考えられぬ。革命さえ成就するだろう」*8

 地図は論理の象徴であり、銃は暴力を象徴する。
 一見奇矯な結びつきに思える。しかし、直前にテナントが「万事がロジックと明白な論理でかたまって」*9いるジャレル大佐を羨み*10自らのロジック能力の不足を嘆いていること、そして地図が論理の人*11ジャレル大佐(彼の地道な論証作業なしには推理の土台が築かれなかった事実を忘れてはならない)に属するアイテム*12であることを踏まえれば、上の名言は「警句」以上の意味をおびてくる。

 幻想の網膜の上を、疲れきった兵士の列がいつまでも長くつづいている。険しい山道を降り、将軍の軍事法廷へ、捕虜収容所へとつづいている。焦点を合わせれば、銃をもっているかが見えるかもしれぬ。テナントは知っていた。銃はいつまでも埋もれたままではいない。暴力はいつまでも地下に逼塞していない。かれは十五年を回顧して、失ったてがかりを求めていた……*13

  銃はかつての戦友たちの化身であると同時に、将軍の昏い権力へと続く細道ともオーバーラップする暴力の漏出でもある。そして、将軍の暴力とは論理なき暴力だ。

 「あんたは、証拠なしでは逮捕できんといわれた。結構なことだ。よい考えだ。将軍の軍人としては、めずらしい現象といえるだろう」*14

 茶化しぎみに発されたこのセリフはしかし、逆説的に将軍が「証拠(論理)なしで逮捕(暴力)する」のが珍しくない人物であることを照射している。同時に論理なき暴力の持ち主である将軍は、この作品内において論理と暴力の融合として理想化されている「革命」を真の意味でなしえなかったとも。
 だとするならば、旧式銃の密輸を阻止することは戦友への追悼以上に将軍への根本的な反逆という性格を持ってくる。つまり、つまりだ。

 「それはこうだ。おれは暴力がいやになったのだ」*15

  そうしてテナント少佐は地図を見る。

  そうしているうちに、徐々にではあるが、おれたち二人は、それぞれに悟るところがあったのだ。*16

  彼が暴力を超克するロジックの人として覚醒するのは、まさにこの瞬間だ。それまでは思いつきで酒樽を「銃」で撃ちぬく行き当たりばったりの武佐公にすぎなかったのが、ジャレル大佐との出会いを経て、地図を見つめる人になった。
 名探偵の誕生である。

 「どうだ、論理的な証明だろう」*17

 

 ところが、彼は名探偵として目覚めるにあたって代償を払わなければならなかった。
 捜査の現場協力者であるボナレス少尉を、だ。
 

「アデスタを吹く冷たい風」――2. イノセンスの喪失

 ボナレスが犯人である、ということはポジショナルな意外性のほかに、どういう意味あいを持つのか。

 
 ボナレス少尉は率直で有能な若者として物語に現れる。叶わないと知りながら、軍隊での出世を夢見、都会ぐらしに憧れる。「政治に首をつっこむな」*18という内戦後世代への教えを忠実を守りつつ、片田舎での雑駁とした任務に退屈しきっている若者だ。
 そして、なにより誠実な男だ。その誠実さが彼を殺す。

 「あの男は気のよい若者だった。が、純真すぎてもろさがあった」*19

 「アデスタ」事件における犯人は彼だ。ちょっとした小遣いかせぎ兼退屈しのぎとしてぶどう酒商人の密輸に手をかしていた。それがどんな意味を持つかも知らずに。

 無理もない。彼は革命戦争当時にはまだほんの子どもだった。
 地下に埋められた銃の由来など知るよしもなかった。

 「はじめて見るのか? これに似た銃をみたことはないのか?」
  ボナレスは首をふった。
 「そうだろう」テナントはいった。「きみは若いからな。この型式を使わなくなって、もうかなりになる。よい銃ではないからだ。戦争で負けたのも、こいつのためといえるくらいだ」*20

 そして、掘り出された銃が祖国を滅ぼすかもしれない暴力になるかもしれない可能性に思い至らなかった。それは《共和国》教育の悪意ある欠落*21のもたらした愚かさだった。
 彼は「将軍」の子どもたち、その代表だった。彼はテナントとは異なる愛国心の根拠*22を有していた。

 「この建物は、しっかり出来てはおらん。ピンク色の化粧壁に安大理石――」
  建造の方針が間違っている――ホテルにしても、国家にしても。建てるときは、完全と名誉を期さなければならぬ。強固な石のうえに、強固な石をもって――。*23

 救いがたいことに、ボナレスは「完全」さに欠けていた一方で「名誉」のなんたるかはわきまえていた。
 そうした部分が、「嘘がつけなかった」*24という彼の誠実さ、そして黙して密輸業者を単身阻止しようとする愚直さへとつながってしまった。

 
 地図を前に真相に到達したテナントは、ボナレスの自白を望んだ。自白されたとして、重大な軍規違反を犯した彼を救いえたかどうかはわからない。
 仮にテナントがボナレスの破滅を不可避的と認識しながらも、自らの前での告白を「祈」*25らずにはおれなかったのは、彼が無意識に名探偵としての責務を果たそうとしたからではないか。
 だが結果として、テナントは一個の人間としても、名探偵としても、ボナレスを救済することはできなかった。
 「将軍」の教導する枠内でしか、与えられた法の枠内でしか生きられなかったがゆえにボナレスは死んだ*26。しかも原因はかつてテナントが隠匿した銃=暴力だ。テナントの暴力と将軍の暴力とが共犯してボナレスを殺した形になったともとれる。
 作中で埋められた銃を発見し、掘り出した最初の人物の名前は明示されない。そもそも十五年前に哨舎へ銃を隠したのもテナントではない。*27この不気味な情報の欠如が銃の抽象度を俄かに引き上げている。

 本編は、テナントは「将軍」の建設した国家を象徴する「建造の方針が間違っ」たホテルに背を向け、「闇を通して、峠のかなたを眺めやった」*28という一文で締められる。
 以後、彼の探偵行は、論理なき暴力である「将軍」との戦い、そして、ワトスン役になり得たかもしれない素朴で愚直な青年への償いという二つの戦線を軸に展開されていく。


インターバル: 「獅子」が先か、「良心」が先か。

 本短篇集の配置にはひとつ奇妙な点がある。
 「獅子のたてがみ」と「良心の問題」の掲載順序だ。
 テナント少佐ものはシリーズなので、発表順にならべていくのがセオリーである。あるいは、物語内の時系列にそって編成するのが適当だ。
 しかし早川書房編集部はそのどちらにも従わなかった。以下が本短篇集におけるテナント少佐シリーズの掲載順序とオリジナルの発表年月(EQMM)だ。*29

「アデスタを吹く冷たい風」(1952年4月号)→「獅子のたてがみ」(1953年3月号)→「良心の問題」(1952年12月号)→「国のしきたり」(1956年7月)


 発表年的にも物語の時系列的にも、本来なら「良心の問題」は「獅子のたてがみ」の前にくる話なのだ。この入れ替えがまったく事故や偶然や気まぐれによって行われたものとは考えにくい。というのも他の二編に比べて「獅子のたてがみ」と「良心の問題」のあいだには、物語的にかなり協力な結びつきが存在するのだ。
 基本的にテナント少佐ものは「サブキャラは一人につき一編のみ」を踏襲している。個性豊かで人間味溢れるサブキャラたちを彫り込んだうえで、あえて使い捨てにするこの姿勢が、シリーズ探偵たるテナント少佐の孤独をより深めている。
 ところが、「良心の問題」と「獅子のたてがみ」の二作にかぎっては、アメリカ人医師のコートン博士が共通して登場する。
 しかも、「獅子のたてがみ」に登場するコートン医師は、あきらかに「良心の問題」を通じてテナント少佐への認識の変化を経験しているものとして描かれる。
 「獅子のたてがみ」でのコートンは訳知り顔でテナントを「狼の中の狼」と讃え、友人としてその工作に協力してすらいる。しかし、「良心の問題」での二人は初対面であり、コートンはテナントに不信の念すら抱いている。
 この異動を事前の報知なしに読まされた読者は、混乱をきたす。入れ替えの意味をつかめない。そして、その入れ替えの意図は出版後半世紀を経た現在に至るまで、どこにも明かされていない。
 早川のうっかりミスだとみなしてスルーすることは簡単だ。
 本稿も読者としての良心に従い、「良心の問題」→「獅子のたてがみ」という本来の順番に戻してから進行すべきなのかもしれない。
 しかし、お忘れだろうか、『アデスタを吹く冷たい風』は日本オリジナルの短篇集なのだ。どころか、世界中見渡してもトマス・フラナガンの短篇集を出版した国は日本以外に、早川書房以外に存在しない。
 本書を再読するというのは単にトマス・フラナガンの全短編を読む、のでなく、宇野利泰が訳し早川書房が編み上げた『アデスタを吹く冷たい風』を読む、という行為に他ならない。
 小説は作家一人でも書けるかもしれないが、書籍はそうではない。『アデスタ』創造にあたって用いられた神話を取り戻すには、日本版『アデスタ』に関わった人びと、早川書房の担当編集者や宇野利泰とも向き合わなくてはいけない。星座というのは、線を結ぶ順序が大事なのだ。
 よって、本稿では「獅子のたてがみ」を先に取り上げる。
 
 
 

「獅子のたてがみ」――わが良き狼

 余計な荷物が増えてしまった。愚直さ、暴力と論理の戦い、そして短篇集の配置の必然性。しかし『アデスタを吹く冷たい風』が本格ミステリである以上、すべての要素は必然のうえに成り立っており、通そうとおもえば筋を通せる。
 ならば、通してみせましょう、牡丹に唐獅子。

「あなたはどうも、あの男を信用しすぎるようですね。やつにしてからが、この国の他の連中とおなじですよ――狼のなかの狼でしょう」
「狼にかこまれて住むには、仔羊でいるのが賢明だということを忘れんがいいぜ」
*30


 「獅子」の異名を取る《共和国》の英雄モレル憲兵大佐。テナントは上官である彼の命令を受け、スパイ容疑のかかったアメリカ人医師ロジャース暗殺を実行する。
 だが、テナントはロジャースがスパイでないという確信を持っていた。
 任務実行後、テナントはとある事情によって審問へとかけられる。彼の口から事件の真相が縷縷と述べられる。

 本編には叙述トリックが用いられている。読者は殺害された人物をロジャース博士だと認識しながら読み進めるが、終盤に劇的な形で「実は殺されたのはモレル大佐だった」と示される。
 そこまでの詐称の巧みさ(と、ときどきの強引さ)に読者は感嘆する。が、ここではいちいちトリックを構成する言い落しやダブルミーニングの手際など検証しない。*31
 もっぱらキャラに注目する。


 前節でも取り扱ったように、テナントにとってはこれが三作目の主演だ。そのキャラはほぼ確固たるものとして確立されている。(話自体の構造や審問という舞台の性質も大いに関係してるものの)「アデスタ」の饒舌さとは打って変わり、淡々と事実のみを述べていく掴みどころない人物として描かれている。
 というか、そもそも探偵ですらない。犯人である。故意に殺人を犯した。のみならず、事件に対して開かれた審問でうまうまと言い逃れに成功し、罪を免れたばかりか、空席となった憲兵隊長の地位まで手に入れてしまった。*32 それを彼はわずか二手――狙撃の舞台を変更すること、コートンとロジャースの宿直を交代させたこと――で達成した。
 「アデスタ」で純朴な青年士官を死ぬに任せたひところと比べると、ずいぶんな成長だ。いったいどこでこんな狡猾さを仕入れてきたのか。それは「良心の問題」で語られるべき事柄かもしれないが、まあ……。



 繰り返される単語がある。「狼」だ。

  ……あの《狼》とお近づきですか?……*33
  ……テナント少佐はいって、狼に似た笑いをもらした……*34
  ……やつにしてからが、この国の他の連中とおなじですよ――狼のなかの狼でしょう……*35

 この「狼」という単語は本編からはじまって、この短篇集全体で二十四回繰り返される。正確に、二十四回だ。先走って言うならば、『アデスタを吹く冷たい風』を読むのはこの「狼」のDNAをさかのぼる旅でもある。
 言うまでもなく、狼とはテナント大佐を象徴する動物だ。物語レベルでも、繰り返し「テナントは狼である」と指示される。その意味するところもやはり「良心の問題」で語られる。
 その狼に対置される存在が「獅子」だ。
 本編における獅子の役は当然、モレル大佐にあてがわれている。彼の獅子としての性質が散々強調されるのは、そのあだ名のダブルミーニングと彼の持つ「たてがみ」の虚栄の効果を実際的に高めるためもあるが、それだけではない。本書を一読した読者なら、他の短編にも獅子の異名をとる人物が登場するのを見たことだろう。それとのつながりはしかし、まだ語られるときではない。
 


 まだ言えないことばかりだ。すでに言ったことから式を組み立てるならば、地図=論理=名探偵テナント大佐からさらに拡張して、=狼をつけたせる。狼は論理の代弁者としての性格を持つ。
 一方で獅子たるモレル大佐は将軍の股肱の臣であり、いかなる理不尽な命令をもいったん下知されれば万難を排して実行されねばならない軍のシステムを悪用して自らの慾望を満たそうとする、論理なき暴力の権化だ。
 要するに、「獅子のたてがみ」では、〈テナントの論理 vs. 将軍の暴力〉の構図が「アデスタ」とくらべてより鮮明となるのだ。 ほとんど直截的とすら言ってもいい。テナントはどの短編でも、茫漠たる闇である将軍の一部分、その化身たちと暗闘する。
 「アデスタ」で事実上の敗北を喫したその暴力の理不尽相手に、いかにして回避策を講じるか。その問いは「良心の問題」で既にしてクリアした。
 つぎなるステップは「どうやって打ち負かすか」だ。
 『キリング・バイツ』*36の世界では予断をゆるさないけれども、《共和国》にかぎってはいわば獅子が支配する国だ。ゆえに狼が一対一で獅子に勝つことは不可能。
 そこで狼はかつて救いきれなかった愚直さをパートナーに選んだ。
 狙撃手のラマール中尉はボナレスをどこか彷彿とさせる人物である。若く、有能で、命令に忠実な軍人。軍隊組織というシステムの歯車に乗せれば確実に目標まで達する。いまさらスナイパーという職の象徴性を云々するまでもなく、ラマールは劇中でテナントから一対の純粋な目、疑いや考えを持たない目としての役割を託されている。

「わたしはただ、ラマール中尉に、目標の人物を見る機会を与えただけです」*37

 「見る機会を与えただけ」。そのテナントの行動の裏にある意味を「知る機会」「考える機会」は与えなかった。
 しかも、ラマールは単なる歩く目玉ではない。銃を伴った視線だ。無辜の暴力だ。テナントはその暴力を、狼の論理と結びつけた。この金言を思い出そう。

  「地図と銃」テナントはいった。「論理と暴力。このふたつが結びついたあかつき、この世に、不可能なことは考えられぬ。革命さえ成就するだろう」*38

 テナントは無垢の暴力を論理で染めた。愚直さと結びつくことで、世界を革命する力を手に入れたのだった。


 無垢の暴力を論理で染めた、と言った。刮目すべきはテナントがモレルを排除するにあたって、少なくとも表面上は軍組織のシステムからはみ出さず、むしろのそのシステムを逆に利用してモレルを陥れた事実だ。
 

 「しかし、そうだとしたら、なぜ君は大佐の指示にしたがった? ラマール中尉への命令は、破棄すればできたであろうに」
 「なればこそわたしは、公式な順序を践んで、意見書を提出しました。しかし、意見書が採用されますまでは、わたしとしてはモレル大佐の命令に服さねばならぬ地位にあります」*39

 テナントはモレルの手前勝手な権力濫用をあえて時間差で告発することで、モレル大佐を「自分の欲のために無実の外国人を殺した悪人」として公式にのっぴきならない状況へ追いこんだ。

 「といったわけで、テナントは推測したのだ。この問題では政府は静観して動かぬに違いないとにらんだ。そして少佐は、モレル大佐の失策に気がつくと、わざと複雑精緻に持ってまわった筆を使って意見書をしたためた。それを提出しておいて、一方、モレル大佐の意図を命令通り実行してしまった」*40

 こう語るコートン医師もまた「良心の問題」でテナントに利用された愚直さの一人であるし、いまや論理に加担する側の人物だ。
 こううしてテナントはモレルを社会的に抹殺したうえで、論理によって巧緻に精確にズラした銃口を向けた。論理を伴った暴力。その一撃が論理なき暴力を屠った。
 

 しかし狼は狡知たるのみをよしとしなかった。査察使がラマールの責任を問うようなことを言い出すと、

  ハッとして、ラマールは顔をあげた。肩をすぼめて椅子にかしこまった中尉は、痙攣的に身震いをはじめた。
 「それはいかん」とテナントがいきなりさけんだ。「中尉に命令したのはわたしです。わたしの命令は、わたしが責任を持ちます。身代わりの羊は必要としません」*41

 と擁護にまわる。これまで不敵に淡々と査問に応じていたテナントが唯一激情を見せる瞬間である。機知縦横の罠でもって冷徹に上官をハメた男にしては、道具にすぎない部下に対する情は一見奇妙に映るだろう。

 しかし、(「良心の問題」で見せた)正義に対する想い入れからテナントはラマールを見殺しにできなかった。加えて、「アデスタ」で死んだボナレスにラマール(彼もまた革命後に教育を受けた世代だ)を重ね、今度こそその愚直を見殺しにしてはならない、と思い至ったのではないか。
 
 似ているのはボナレスとラマールだけではない。
 「アデスタ」におけるボナレスの立場と「獅子のたてがみ」におけるテナントの立場にもまた近い要素を見いだせる。 
 つまり、両者とも上官に疑われる状況で、嘘をつかずに自分の真意を隠し通した。ボナレスを破滅に追いやった状況を自らの身にあえて再現することで、テナントは「アデスタ」の悲劇を克服しようとしたのではなかったか。罪なき人物を理不尽に葬ろうとした人物を彼自身の刃で殺すこと、論理なき暴力をふるう獅子を打倒することで、ボナレスを弔ったのではなかったか。
 本編が葬式のシーンではじまるのは偶然ではない。
 本編がリーダビリティを無視して「アデスタ」の直後に配されたのも気まぐれではない。
 本短篇集の編者は仮面なき人物の葬礼を通して、この短編自体が誰に対する追悼であったのかを読者に問いかけようとしたのだ。

おまけ

 ……それはそれとして、なおこの事件には、その結果として、殺人が生じている。アメリカ人が射殺されておるのだ。……*42

 原文ではどうなっているのか、ともかくはっきりと「アメリカ人が射殺された」と書かれている。これはちょっとアンフェアじゃないのか?
 いや、でも、もしかしたら、これは……
 モレル大佐はアメリカ人だった?
 

「良心の問題」――しっかり生きて。

 マイアとエレクトラは取り戻した。残りは五人で五編。プレアデスの七姉妹をまるごと追い回していたというオリオンはどういう根性だったのだろう。脳漿が精液できていたのか。
 ともかくも。「獅子のたてがみ」で、「アデスタ」の不甲斐ない敗北から一転したテナントの輝かしい勝利を見せつけられたわけだが、しかし今度はそのミッシングリンクを埋めなければいけない。

 

  少佐は少佐の能力にしたがって、最善の行動に出ているのだ。しかもかれは、法規以上のあるものを目指している――コートンは適当な表現をしらなかったが、冷厳にして峻烈な、なにものかを愛している……*43


 在《共和国》のアメリカ人医師、コートン博士はかかりつけ患者が殺害されたという一報を聞いて、事件現場にかけつける。被害者のブレーマンはかつてナチス強制収容所にいた人物だった。
 まもなく彼を殺害した犯人であるらしいフォン・ヘルツィッヒという名の元ナチスSS将校が遺体を収容したモルグへつれてこられる。十中八九この男が犯人なのだが、ヘルツィッヒは将軍をはじめとして《共和国》で強固なネットワークを築いていた。はたしてどう処置すべきなのか。


 先述のとおり、時系列的にも発表順的にも「獅子のたてがみ」の前のエピソードだ。「獅子のたてがみ」でテナントの良き共犯者として描かれたコートン医師の初登場。
 コートンもまた銃を捨てた人物として描かれる。

 「たしか、あなたがこの国へ映られたのは、終戦間もなくのことでしたね」
 「ええ」コートンの返事は、そっけなかった。「戦闘行為につくづくいや気がさして、気分転換のつもりでした。きてみると、ここでもいろいろ、仕事がありました」*44

 しかし、論理の人ではない。自らの見たそのままのことしか解釈できない彼の「善良な性質」*45は、将軍の教育によってフレームミングによって限定された《共和国》の若い士官たちに類似した、誠実な愚直さに属する。
 本編も人物の入れ替わりが扱われている。「獅子のたてがみ」と「良心の問題」はそのミスディレクションの方向において極めて近い話のようにも思われる(被害者と犯人の入れ替わり)けれど、実は決定的に違う性質を有している。「獅子のたてがみ」での「誤認」は読者にのみ向けられたもので、作中人物たちにとっては叙述トリックでもなんでもなかった。ところが「良心の問題」での「誤認」は読者とテナント以外の作中人物の両方に共有されている。
 特にコートンだ。二編間のこの差異が、コートンという人物を通して語られるとき、重要な意味を持ってくる。「獅子のたてがみ」では事件以前から「死体=ロジャース」という構図の外側にいたコートンが、「良心の問題」ではその認知を完全に読者と連動させている。*46そのように書かれている。
 「良心の問題」でテナントを理解し、馴染んでいた*47《共和国》の論理から脱したコートンは、物事を俯瞰して見られるポジションという特権を手にしたのだった。

 「おれも変わったものだ」かれはこころのうちにつぶやいていた。「むかしはおれも、この男とおなじ気持ちだったが――」*48

 トマス・フラナガンが想定するところの読者とは、笠井潔の言うような「読者=探偵」などではない。


 しかしこのときのコートンはまだ狼の友人ではない。むしろ、テナントに対して不信感すら抱いている。
 劇中ではそんな彼のピュアさ、愚直さがテナントによって何度も強調される。

 ……「捕虜収容所はブレーマンにとって、あなたという善良な医師が考えるほど苛酷な施設であったろうか?」*49
 「ドクター、あなたは善良な性質だ。が、それだけにまた、単純でもある。わたしが予想したとおりにね」*50
 「いまもいったとおり、あなたは善良な方だ。お人好しとさえいえる。なぜだかわかりますか? 狼の国に住んでいないからです。あなたの住んでいる国では、おとなしい男が、自分は《亡命者》だといえば、あなたはそうかと思う。将軍もまた、あなたと同じ国の住人だが、あの人はあなたほどに善人ではない。」*51

 特に最後の引用部が極めてクリティカルだ。
 これはコートンに対する言葉(あるいは No. 1137 において将軍の前で「閣下のお国にすまわせていただいておるだけ」の「あくまでもアメリカ合衆国の一市民」というセリフを吐いたことに対する皮肉))であると同時に、ボナレスに対する言葉でもある。ラマールに対する言葉でもある。そして、読者に対する言葉でもある。
 狼の国、つまり論理によって出来事の裏面を読み解けない人間は、将軍の支配する論理なき血と暴力の国から脱し得ない。その国で「善良」であることは、ボナレスの例を見るまでもなく、命とりになりかねない。
 そして将軍の国における「物事の表層」には何が含まれているか。
 それは将軍自身の口から語られる。

 「わかっておりますとも、ドクター・コートン。しかし、困ったことになりましたな。なにぶんわれわれとしては、勝手気ままな処置をとるわけにはいかんので、法規はあくまで、尊重せんければならんのですからな」*52

 《共和国》で重要なのは法規である。誰が決めた法規か。もちろん将軍だ。

 「で、ご命令の趣旨に変更はありませんか?」
 「変更などは」と将軍は、叫ぶような大声を立てた。「絶対にない! 法規どおりに処理すればよろしい」*53

 法に従って物事を処理することは一見合理的なことのように思える。しかし、もしその法規そのものが不正であったとしたら? 
 その法規を所与のものとして教育されてきた人間は法規そのものに対するメタ的な批判意識が働かない。だからこそ、テナントは敗北をあらかじめ経験しておく必要があった。革命戦争で将軍派ではなく旧王国派に属している必要があった。名探偵である必要があった。
 探偵とは、法規の外にあって、論理に依って私的制裁を与える天災である。一個の鉄の意志である。 
 この言葉だけで名探偵を語るには、あまりに弱い。舞城王太郎を召喚することを許していただきたい。

 「そう在ることを『そう在る』って受け取ることのどこが悪いんだよ」
 「結論じゃなくて、そこにいくまでの自分で吟味しろってこと。自分で考えて咀嚼して出た結論が『そう』ならほんでいいけど、おめえ、与えられたまんまじゃん。あんなあ、おめえには世界を疑う権利があるんやで?権利っていうか、世界をちゃんと理解しようと思ったら疑わなあかんのやし、疑わな考えられんし、考えられんと信じられんやろ?まずは疑うことから始まるんや。だからほやで、疑うことは義務にも近いもんでねえ?ちゃんと生きるためにさ」
(『獣の樹』/舞城王太郎

 舞城の大作『ディスコ探偵水曜日』もそう在る世界を疑うことによって、ピュアさの権化である子どもたちを食い物にして成り立っている世界を、「鉄の意志」によって貫き運命を刷新する物語だ。そしてそれを成し遂げ得るものこそ、

 「意志ですよ。強い、鉄の意志は運命も引き寄せるんですよ。これしか答えはありません。僕ら名探偵は強い意志をもって謎を解明し、ウェンズディさんは鉄の意志で迷子を探し当てるんですよ」
(『ディスコ探偵水曜日』/舞城王太郎

 「名探偵」なのだ。狼なのだ。
 こうなってくると細田守の『おおかみこどもと雨と雪』で狼として生きることを選んだ雨に対して母親の花が「しっかり生きて!」というエールを送ったのが『アデスタ』の狼を介して舞城の「疑うのは義務だ。ちゃんと生きるためにさ」というセリフと呼応してくるのもあながち偶然とは思えなくなってくるが、もちろん偶然である。

 
 《共和国》に戻ろう。
 テナントはかくも善良でピュアなコートン医師を利用する。ナチスSSを殺した元囚人*54を合法的に逃すためには、自分一人の力では無理だ。ここでも彼は「獅子のたてがみ」のときとおなじく、疑うことを知らない愚直な視線を操った。

  そこで彼は、急迫の情勢を作りあげることにした。そのために、憲兵将校は、善良な人物を利用した。お人好しの医師を、事件の渦に巻き込んだのです。道義心の強い人物、アメリカ人――医師には真相をあかさずにおいて、憲兵はわざと、ぶざまな手際にみせた。それによって、医師は決意した。かれはかれの活動を開始すべき時だと――これで、即刻フォン・ヘルツィッヒを国外に逃亡させなければ、殺人者は四十八時間以内に、連合国の手に引き渡されるであろう――そして、ジェネラルは――フォン・ヘルツィッヒの友人たちの勢力を、極度に怖れている将軍はかれを逃亡させることに肚を決めた。
  善人の、おどろくべき愚鈍さで、医師は以上の策略を、手もなく信じきった。囚人はすべて、せまい歩幅で、ぎごちなく動く。それを医師は、ナチスの傲岸さと解した……
  かくて医師はその役割を完全につとめおえた。指導を受けたのであれば、これほど見事には演じられなかったであろう。
  狼と呼ばれる憲兵将校は、良心にそむかぬ行動をとったつもりでいる。はたしてそれが、是認されるあろうか、かれ自身にわかることではない。かれはただ、なすべき行動をしただけのことだ。*55

 医師はボナレスと違い、テナントと利害関係の対立をもたなかった。さらに、彼の正義とテナントの良心とが一致していた。そのため、コートンは騙されたとしっても反発はせず、むしろテナントの深謀遠慮に感服した。この瞬間に彼は恋に落ちたと言ってもいい。
 テナントはテナントでこの話で、愚直さとの一定の和解を達成した。そうして、「アデスタ」のときにはまだなかった*56狼としてのアイデンティティを自ら定義した。

 「ここであなたに、その憲兵将校の人柄を聞いておいてもらいましょうか。この男は、あなたのように善良ではない――といって、将軍ほど悪人でもない。かれはいわば、うさぎといっしょに逃げまわる男で、一面また、猟犬といっしょに、それを追う男でもあるのです。虐げられる者を憐れむくせに、虐げる者のために忠勤をつくすのです。」*57

 コートンのように善良、つまり法規や出来事に対して疑いの目をもたず、かといって、将軍のようにその構造を理解したうえで恣意的に暴力を行使もしない。良心に従うべきときは、法規を逸脱しない範囲でうさぎのために逃げ穴をみつけてやる。
 それが、テナントにとっての狼の正義だ。その業は「獅子のたてがみ」でより洗練される。
 こういった話がナチス・ドイツの幻影に重ねられていたというのは、いまさら指摘するまでもなく、実に意味深だ。
 

 「良心の問題」は、「アデスタ」から「獅子のたてがみ」までのミッシングリンクを埋める話であるとともに、このうえなくストレートなブロマンスである。この邂逅とコートンの意識変革を経たからこそ、「獅子のたてがみ」でのあざやかな連携プレーが成ったのだ。

 コートンも、この足のわるい軍人に歩調をあわせて、ひらいてあるドアを通り抜けた。無表情で、非人間的な、将軍の肖像写真に気づきもせず……
 やがて軍用車が、かれら二人を市内へ運ぶことであろう。戒厳令下の、人影も見えぬ町中へ……*58

「国のしきたり」――名探偵に薔薇を

 「これが、この国のしきたりでね」
 「これがね。チェッ! なんという国だろう!」
  テナントの口がゆがんだ。
 「国の名かね? 国の名は、《共和国》」*59


 《共和国》国境D県の鉄道で税関を指揮するバドラン大尉。有能で職務忠実な彼は横行する密輸犯たちをつぎつぎと摘発し、押収した物品を国庫におさめることで、《共和国》に莫大な収益をもたらしていた。
 しかしそんなおり、税関をスルーしている密輸の存在があるとして、中央から憲兵隊長テナントが派遣されてくる。


 国境。密輸。税関。有能な尉官。鷹揚だが実力ある現地の司令官。中央から派遣されてくるテナント少佐。雪の降りしきる山中と、海に面した温暖な海岸地帯という違いはあれど、道具立ては「アデスタ」と酷似している。
 言うまでもなく、これはテナントにとっての「アデスタ」のリベンジマッチだ。アデスタ地方の山中で失った愚直な若者の純真を、このD県で取り戻さないといけない。
 D県がアデスタの鏡像である以上、真犯人が有能な尉官から鷹揚な現地指令に変わるのは必然だった。
 「国のしきたり」の構図は極めて明快だ。
 犯罪の裏にある犯罪。法規が要求する範囲では有能であるが、そこから逸脱できないために密輸を阻止できない大尉。法規と部下を利用して私腹を肥やす旅団長。法規の裏にある犯罪を見抜くテナント。
 論理なき暴力と、その暴力に利用される愚直さと、暴力に抗するための論理。
 獅子とうさぎと狼。
 

 バドラン大尉は一兵士から大尉まで出世した、叩き上げの軍人である。革命戦争当時は将軍の指揮下のもと曹長として戦闘に加わり、終戦時には中尉へ昇進していた。
 そして現在では「鉄道によってこの国に出入りするものが、事実、法規にかなった手続きを践んでいるかどうかをあらためる」*60仕事についている。

  この任務を遂行するために、かれはなみなみならぬ修練を積んだ。その修練が、かれのプライドを生んだ。それは、彼の人生にあって、はじめて知ったプライドだった。*61

 となると、彼もまた将軍のこどもたちの一員であるように思われる。事実、二年の税関事務で鍛えあげられた彼の愚直な探偵術(もちろん法規に準ずる)は、将軍の国の名探偵として、トリッキーな狼の国の名探偵とは対をなす。
 バドランは命令の範囲内でしか探偵行為を行えない。命令からは自由になれない。さればこその探偵だろうか。

>> 
 「わたしはこれまで命令にしたがうように教えこまれてきました。すべての軍人がそうであるように、その階級のいかんを問わず、命令に従順であるのは絶対だと訓練されてきたのです。適切な命令はわたしをよろこばせます。わるい命令は不快であります。しかし、命令はわたしにとって、どんな内容であろうと、あくまでも厳守しなければならぬものであります」*62

*1:No. 1452

*2:No. 121

*3:No. 843

*4:No. 1393

*5:no. 300

*6:No. 347

*7:No. 270

*8:No. 259

*9:No. 259

*10:そして大佐のほうは皮肉にもテナントの不遜さをうらやむ

*11:「証拠もないの、逮捕はできんからな」, No.170

*12:No. 192

*13:No. 300

*14:No. 213

*15:No. 274

*16:No. 402

*17:No. 418

*18:No. 400

*19:No. 398

*20:No. 250

*21:「若い士官たちは、政治に首をつっこむなと教えられておる。われわれの時代もそうであった。おそらくそれは、賢明な政策といえよう。しかし、それだけにまた愚劣でもあるのだ」, No. 400

*22:「この国では、愛国心にも、それぞれ別個の根拠がある。それを聞いて歩くのが、おれは好きなのさ。いわばおれの道楽だが」, No. 115

*23:No. 374

*24:No. 402

*25:No. 407

*26:死んだとは別に作内で明言されてない

*27:そうであるならば、最初から銃の隠蔽場所を知っていたことになる

*28:No. 410

*29:http://www.unz.org/Pub/ElleryQueenMM?AuthorID=FlanaganThomas

*30:No. 840

*31:注意散漫な読者として落ち度を恥じる機会はいくらでも用意されている。外国人医師の葬儀で軍人たちが弔砲を捧げる奇妙さ。, No. 444。 あるいはモレル大佐に対する審問なのになぜ大佐自身が出廷しないのかったのか。

*32:昇進は「国のしきたり」で判明する

*33:No. 591

*34:No. 788

*35:No. 842

*36:獣人が戦うバトル漫画

*37:No. 650

*38:No. 259

*39:No. 665

*40:No. 725

*41:No. 796

*42:No. 775

*43:No. 1179

*44:No. 982

*45:No .1204

*46:一部の敏いミステリ読者は置いといて。http://www5a.biglobe.ne.jp/~sakatam/book/adesta.html

*47:コートン博士はあらゆる面で――領事自身の表現をかりると――《土着してしまった》と思われるからだ。文化の立ち遅れたこの国の習俗になじみすぎて、博士におけるモラルの観念までが、未開人なみに変わってしまっているのではないか。, 「獅子のたてがみ」, No. 455

*48:「獅子のたてがみ」, No. 767

*49:No. 1190

*50:No. 1200

*51:No. 1209

*52:No .1140

*53:No. 1154

*54:そう、彼は本編中で未逮捕であるにもかかわらず「囚人」とくりかえし呼ばれる

*55:No. 1255

*56:精確には「忘れていた」というべきか

*57:No. 1239

*58:No .1276

*59:No. 1528

*60:No. 1296

*61:No. 1300

*62:No. 1648