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名馬であれば馬のうち

読書、映画、その他。


読書、映画、その他。


『シン・ゴジラ』の尾頭さんの苗字問題について。

漠然と映画について

 『シン・ゴジラ』を公開日に観て、そのときはまあ、おおむね心地のよい映画だな、だと思い、それ以上の感想については考えませんでした。それでマアその後、インターネットやリアル友人間でシンゴジについて語る言説を多量に摂取してくうち、自分のハラにも一つの問題意識が醸成されてきまして、それが市川実日子演じる環境省なんとか局課長補佐・尾頭さんの苗字の読み方問題。

 わたしは「尾頭さん」を「びとうさん」と読む/呼ぶべきだと思います。


『シン・ゴジラ』予告2


 もちろん、公式には「おがしらさん」です。
 しかし不思議と映画本編を熱心に観た人であっても、「尾頭」の読み方を「びとう」と誤解してる人が多い。映画内で「おがしら」「おがしら」と連呼されるのを聞いているはずなのになぜか間違えてしまう。たぶん、映画を鑑賞したあとにネットや何かで「あの人の名前なんだったかな」で検索して「尾頭」という字面が出たのを見て「なるほど、びとうさんだったな」と早合点するせいでしょう。わたしもそうでした。 そういう人は、その後、自分のなかで勘違いに気づいて本当の読みを学習しても、読むにあたってはいったん「びとう」と心の中で発音したあとで「おがしら」と訂正するくせがついてしまう。
 なぜ理性の人、文明人であるはずの我々がこのような愚を犯してしまうのか。これはおそらく我々が本能的に「びとう」と読むのが正しい、と思い込んでいるからだと思う。なぜそんなふうにおもいこんでいるかというと、他のあらゆる本能とおなじく、それが種の生存に必要な戦略だからです。
 つまり、「おがしら」という読みには不都合が潜んでいる。それも決定的に種の生存に不都合な何かが埋伏している。その不都合を避けるために、生きるために我々はまず「びとう」と読んでしまう。しょうがないことなのです。

 では「おがしら」と読むと、どういう不都合が生じるのか。小学生でもすこし考えればわかることと存じますので、ここにわざわざ言明する必要もないのでしょうが、インターネットがインフラとして全国民に浸透しきった昨今、そういう甘えは許されないので説明責任を果たすと、「おがしら」は「おかしら」という語と混同しやすいのです。「おかしら」とはむろん、「お頭」、集団の首領のことです。

 チームを仕切るヘッドの代名詞と取り違えられる可能性のある単語が、こと『たまこラブストーリー』クラスに円滑でスピーディなコミュニケーションを求められる今回の巨災対のような組織の会話に混入するのは大変に危険であると言わざるをえません。
 今回は幸いにもチームの人員に江戸っ子が一人もいなかったからよかったものの(江戸っ子には優秀な人間など存在しない、という関西育ちの監督の差別感情のあらわれでしょうか)、たとえば、江戸っ子かたぎの分子生物学者が登場して、ゴジラの分析と対応におおわらわになっている現場にとびこみ「てえへんでヤンス、おかしら! 蛇行にまじって歩行も混じってるでヤンスから既に自重を支えている状態でえヤンス」と叫んだとしましょう。*1「おかしら」とは当然チームの頭目たる矢口さんを指しています。ところが、気っ風はいいけど滑舌がわるいのが江戸っ子です。尾頭さんは自分を呼んだものと勘違いし、「なにこいつ勝手に私のこと呼び捨てにしてんのバカか死ね」とばかりに眉をひそめ絶対零度のまなざしを投げつけるわけですが、彼女のパーソナリティからしてそう思ったしても口にはださない。彼女は幼い頃から剣術や武術にすごい才能を発揮していたけれども、ここで江戸っ子を殴りつけたりはしない。ただ、すごい目つきで江戸っ子を睨みつけます。見られることに敏感な江戸っ子はその視線の持つ悪意に気づきますが、マゾ気質も備えているのでゾクゾクするものを覚えながらいいように甘受します。同時に、観客も江戸っ子の快感を共有します。監督のサービスですね。
 しかし、すれ違いは解消されない。尾頭さんは江戸っ子のことがだんだん嫌いになっていきます。その不和は周囲にも波及していき、チームの雰囲気も最悪なものに。単純に尾頭さんを呼ぶつもりが矢口が返事したり、矢口を呼ぶつもりが尾頭さんが振り返ったりという事故も頻発して、ますますイライラ度が上昇していきます。こんなことではゴジラともまともに戦えません。

 蕎麦をすする際もズルズル音をたてる無神経な江戸っ子科学者への憎しみを募らせる尾頭さんは、第三形態にフォームチェンジしたゴジラを眺めているときに、前のほうがかわいい感じでよかったななどと考えつつも、江戸っ子を排除するための名案を思いつきます。
 如何様、ゴジラを利用した江戸っ子の虐殺です。
 彼女はチームに黙って密かにゴジラをマインドコントロールする術を開発し、ゴジラを江戸っ子の根城である下町へ誘導します。巨獣の来襲ににげまどう江戸っ子たち。彼らに怪光線をあびせまくるゴジラ。赤々と燃え盛る城下八百八町。ゆらめく焔火が高笑いをあげる環境省の赤猫魔人尾頭さんの顔を凄絶に照らします。「ははは、おもいしったか! 江戸っ子どもめ! 慶喜公を裏切った報いをいまこそ受けるがよい!」。彼女が実は新選組局長近藤勇の生まれ変わりであった、という設定がここで開陳されます。彼女の恵まれた武才や極端な江戸っ子フォビアにはそういう因縁があったのです。
 我々はこのとき、本作が伝えようとしたテーマを、この世界の真理を、100%完璧に読み取って戦慄します。そう、本当に恐ろしいのはゴジラではなく人間だったのだ……。

 ありえた光景です。
 すべては尾頭という苗字を「おがしら」と読んでしまったがために生まれた悲劇です。
 我々が「びとうさん」と読んでしまうのは、「おがしら」が引き起こす悲劇を先験的に知っているからにほかならないのです。悲劇を想像できる力こそが、人間を万物の霊長たらしめる最強の機制であるのです。


 監督の願望とは裏腹に、現実の江戸っ子は有能な人材を多数輩出してきました(勝海舟とか?)。フィクショナルな事態であれ、ノンフィクショナルな事案であれ、江戸っ子が官僚や科学者として対ゴジラチームに参加する可能性は常にあります。上記の虐殺劇が繰り広げられる危険が、尾頭を「おがしら」と読むかぎりつきまとってくるのです。
我々は未来に対する責任があります。監督にだって、あるでしょう。尾頭に「おがしら」とふってしまうことで、人類の生存率が数%、あるいは数十パーセントほど低下してしまう。憂慮すべきエラーです。そしてそれは、人為的なエラーです。フィクション中のキャラの名前は、作者の一存でどうにでもなるものです。
 だったら、どうにかするべきです。
 そういう理由でもって、わたしは「びとう」と呼ぶべきだと、そう申し上げているのです。

*1:語尾のヤンスをつけるのは厳密には吉原の幇間のことばであって、江戸弁とは異なりますが、黙っていれば誤魔化せます。

バカがみるみるそれなりに探偵になるボードゲーム:『インサイダー・ゲーム』

ぼんやりした話

 先日、友人らで集まってウルトラ久々にボードゲームをやったのですが、そこで紹介された『インサイダー・ゲーム』がウルトラ楽しくてエピックだったのでご紹介。


オインクゲームズは、2016年6月19日に名古屋国際会議場で開催される「ファミリーゲームフェスティバル... - News | Oink Games開発元の紹介

インサイダー・ゲーム

インサイダー・ゲーム


概要

『インサイダー・ゲーム』は Oink Games *1から今年六月に発売されたボードゲームだ。
 「うみがめのスープ」に代表されるシチュエーション・パズル(出題者がある物語の頭とオチだけを与え、回答者がそのオチに至るまでのストーリーを考えるゲーム)と『汝人狼なりや?』に代表される「プレイヤー間に隠れている裏切り者を告発する推理ゲーム」を合わせたようなシステムを採用している。
 と、いえば身も蓋もオリジナリティもないゲームのように思われるかもしれないけれど、これがなかなか独特のプレイ感があって、おもしろい。『クルード』、『スコットランド・ヤード』、『藪の中』、人狼、『レジスタンス』と「推理」に焦点を当てたゲームはボドゲ界に綺羅星のごとく瞬いており、言ってみれば推理ゲームでないボードゲームのほうが少数派なんでしょうけれども、ことミステリ的な意味での「推理」ものとして本作は最高傑作に近いのではないでしょうか。

 以下、ルールと流れの説明。他人のキットで遊んだので、公式とくらべて細かい間違いがあるかもしれません。*2フェイズ名とかはこちらで勝手に名付けたものです。


ルールと流れ

パッケージの内容

 ・ルールブック
 ・砂時計
 ・役職(マスター、インサイダー、庶民)の書かれた札
 ・裏面に1~6までの数字、表面に1~6までの数字に対応した「答え」が書かれているカードの山。

役職ごとの役割と勝利条件

 【庶民陣営】
 ・庶民:占める人数が一番多い役職。無能力。ゲームごとに「答え」を探り当て、かつプレイヤー間に紛れたインサイダーを多数決によって告発することで勝利(インサイダーの敗北)。マスターと同陣営。
 ・マスター:いわゆるゲームマスターだが、庶民陣営の一員としてゲームに参加するプレイヤーでもある。「答え」を事前に知ることができる。基本的に質問フェイズ中は発言することを許されておらず、庶民たちが質問してきたときのみ、その質問に対して「はい」か「いいえ」で答えることができる。
 一方で推理フェイズでは自由に発言でき、庶民陣営としてインサイダーを追求することになる。投票権もある。勝利条件は庶民と同一。


 【インサイダー陣営】
・インサイダー:庶民陣営にとって獅子身中の敵。マスター以外(つまり、【質問フェイズ】に参加するプレイヤー)では唯一「答え」を知っている。プレイヤーたちのなかに潜伏し、制限時間内に庶民たちがうまく「答え」にたどり着くように誘導しつつ、インサイダーであることをさとられないように行動しなければならない。
 制限時間内に「答え」を庶民陣営に当てさせ、かつ告発パートでインサイダーとして指名されなかった場合に勝利。


ゲームの流れ

 一【役職決め】
 役職の書かれた札(人数分)を裏面にしたまま、各プレイヤーに配る。
 プレイヤーは他プレイヤーにわからないように自分の役職を確認する。マスターに当たった場合は札を開示してマスターであることを宣言し、以後進行を取り仕切る。それ以外の庶民とインサイダーは、ゲーム終了まで役職を公言してはならない。
 役職のうちわけは基本的にマスター1人、インサイダー1人、それ以外が庶民。バリエーションがあるのかもしれませんが、手元にキットがないのでわかりません。


 二【「答え」の決定】
 マスター以外のプレイヤーたちは目を閉じる。マスターは場の中央に置かれたカードの山から一枚めくり、山の横にオモテ面にして置く。マスターはカードの表面に書かれた6つの「答え」候補と残った山の一番上のカードの裏面に表示されている数字を対応させ、答えを決定する(例:「1. 猫 2.犬 3.狸 4.狐 5.兎 6.猿」と書かれたカードをひき、山の表示ナンバーが「3」だった場合、そのゲームの「答え」は「狸」となる)。もちろん、「答え」を他言してはならない。
 次に、マスターは表示されたカードをそのままにして目を閉じ、インサイダーにだけ目を開けるよう指示する。インサイダーは制限時間(マスターがカウントダウンする)内に「答え」を確認し、ふたたび目を閉じる。
 インサイダーによる確認が終わったら、マスターは再び目を開け、「答え」の表示されたカードを裏にして山の一番上に戻す。*3それが終わったらプレイヤー全員に目を開けるように指示する。


 三【質問フェイズ】
 マスターが砂時計を回し、カウントダウンが始まった瞬間からプレイヤーたちはマスターへの質問を許可される。
 プレイヤーたちは「それは生き物ですか?」「それは食べられますか?」「それは硬いですか?」など質問をしていき、マスターはそれに「はい」「いいえ」「わからない」のみで応答する。発言の順番は自由。*4
 プレイヤーが「それは◯◯ですか?」(例:「それは狸ですか?」)と「答え」(あるいはそれの別称)を名指しして正解したら、砂時計を逆転させて【推理フェイズ】へ移行。
 砂時計の砂が尽きる、すなわち制限時間内に「答え」に辿りつけなかった場合、庶民陣営もインサイダー陣営も共倒れ的に敗北扱いとなる。


 四【推理フェイズ】
 プレイヤーたちは互いに相談しあい、制限時間内にその場にいるインサイダーが誰であるかを推理する。このとき、ゲームマスターも話し合いに参加することができる。
 インサイダーは自分に嫌疑がかからないようにうまいこと振る舞わないといけない。
 逆転させていた砂時計の砂が尽きると【告発フェイズ】へ移行。つまり、【質問フェイズ】に要した時間=【推理フェイズ】に使える時間ということになる。


 五【告発フェイズ】 まず、(最もインサイダー容疑のかかりやすい)正解者がインサイダーであるかの多数決を(マスターを含めた)挙手で取る。決を取ったのち、その結果に関わりなく、正解者は札を開示する。
 このとき、挙手が過半数を超えたら正解者がインサイダーとして指名される。正解者が本当にインサイダーだった場合は庶民陣営の勝利。はずれ(庶民)だった場合はインサイダーの勝利となる。
 挙手者が過半数を超えなかった(正解者をインサイダーとして告発しなかった)場合。正解者の正体がインサイダーであったらインサイダーの勝利。正解者が庶民であったら更にインサイダーを追求するべく、ゲームは続行される。

 正解者がインサイダーとして告発されず、かつ正解者が庶民であった場合にのみ、【告発フェイズ】の第二段階へと進む。投票である。
 プレイヤーたちは自分の考えるインサイダーをめいめいで一斉に指さして指名する。もちろん、このとき、すでに札が開示されているマスターと正解者庶民は投票先から除外される(どちらのプレイヤーも投票権は有する)。
 投票で一番多くの票を獲得したプレイヤーがインサイダーとして告発される。告発されたプレイヤーは札を開示する。それがインサイダーであれば庶民陣営の勝利。庶民であればインサイダーの勝利。

 これで一ゲームが終了。


評価

人狼ゲームの初日吊りの凡庸な退屈さ

 先にも述べたが、プレイの感触としては前半シチュエーションパズル→後半人狼ゲームのバイアスロンに近い。ルールもわかりやすく、一ゲームあたりの所用時間も短いため間口は広い。

 本作で注目すべきは、推理ゲームとしての「推理」の純度がかなり高くデザインされていることだ。
 たとえば人狼ゲームには「初日吊り問題」というのがある。人狼ゲームでは「発言」と「処刑投票の投票先」の二つを大きな推理材料として用いる。だが、前日の処刑を行っておらず、狼の襲撃も無く、よって発言することもなにもないような状況では、事実上、プレイヤーに与えられた推理材料がゼロといっていい。また、こうした推理材料の不足を補うべき能力者の能力も初日では発動しない、あるいは有効でないものが多い。
 初日で唯一有効である推理材料としては、カミングアウトした能力者(多くの場合は直で狼と村人を指摘できる占い師)とその偽者、および彼らが指名した村人が一応の白候補として投票先から除外されるくらい*5だろうか。しかしその場合も、「白っぽい人」が増えてしまうだけで、狼を引き当てるべき投票の材料としては機能しない。
 これらが何を引き起こすかといえば、ゲーム序盤のシステマチックな進行とそれによるプレイヤーの無気力だ。人狼ゲームは「ゼロからはじめて真相へ到達する」というデザインをそのまま打ち出しすぎたがために、かえって序盤の自由を失ってダルい感じになってしまったのである。
 人狼は確定・不確定の材料が増えてくるにしたがって尻上がり的に面白くなる推理ゲームだ。反面、場が暖まらないうちに理不尽に退場するプレイヤーを必然的に生み出してしまう設計であり、しかもワンプレイのゲーム時間が長いため、序盤で退場するプレイヤーの幸福度は低い。*6そうしたスロースターターなデザインが人狼ゲームを厭う人々を生み出す一因となってきた。
 まあ逆にいえば、人狼ゲームはそうした欠点を含んでいてもなお今日の人気を博しているのであり、これはゲーム全体のデザインが秀抜な証拠であろう、とここでは言っておく。

 さて、『インサイダー・ゲーム』は人狼の「初日吊り問題」の欠点を全面的に補ったゲームであるといえる。
 「両陣営にいったんゴールを共有させて、別のゲームをまるまる一回やる」という荒業によって、ゲームの進行度に関わらず盛り上がりを維持しながら、不確定以上・確定未満のちょうどいい具合の推理材料を提供し、発言の内容・タイミング・流れという人狼ではプライオリティの低い情報の価値を高めることに成功した。
 人狼にしろ『レジスタンス』にしろ、プレイヤーに紛れた裏切り者を探す系のゲームは対立陣営の目標を相反するようにデザインされ*7、裏切り者は一見多数はに協調しているようで同時に裏で妨害してる、というアンビバレンツな行動が要求される。とうぜん、その両方を同時に達成するのは無理なので、どこかでネジレやほころびが出てしまう。そのほころびを、多数派は摘発するわけだ。
 ところが『インサイダー・ゲーム』ではどちらの陣営に属していても与えられる勝利条件は【質問フェイズ】終了まで変わらない。「全面的に庶民陣営に協力しても、いや協力するからこそインサイダー側にジレンマが発生して怪しくなる」というのは(まあ僕がボドゲに疎いからというのもあるけれど)フレッシュな視点だ。


庶民、マスター、インサイダー、スパイ

 犯人たるインサイダーが考慮しなければならない要素は多岐にわたる。
 【質問フェイズ】ではノーヒントから「答え」を探し当てないといけない。インサイダーの助けなしに「答え」に到達するのは容易なことではない。かといって、インサイダーがあまりに「カンのいい発言」を連発すると後々あやしまれる。さればとて、ぼんくらな庶民どもにまかせて発言しないようだと制限時間内に「答え」に辿りつけない。
 制限時間も重要だ。先述したように、【推理フェイズ】に費やせる時間は【質問フェイズ】に要した時間に等しい。つまり、「答え」が早く出れば出るほど犯人当てに使える時間は短くなるので、インサイダー有利に働く。だからといって、早い段階で自分で「答え」を言ってしまうのは本末転倒だ。庶民にとっては逆の意味で推理時間を必要としない状況を作り出してしまうかもしれない。
 要するにはインサイダー役の人物は、「答え」から適度な距離をとりつつ庶民がなるべく早期に正解できるようにお膳立てしなければならない。このバランスの舵取りが難しい。

 ゲームマスターが直接参加するボードゲームは珍しいが、それゆえにマスターは【推理フェイズ】において重要な役割を果たす。
 【質問フェイズ】のマスターは単に質問に答える機械ではない。庶民陣営で唯一「答え」を知った状態で、一段高所から場や流れを見渡せる、いわばミステリおける名探偵的なアドバンテージを持った人物なのだ。
 果たして自分がインサイダーだとしたらどうやって「答え」へ誘導していくだろうか、ということを常に念頭に置きつつ、流れを観察していけば、自ずと怪しい人物があぶりだされていく。これはインサイダー探しより「答え」当てに忙しい庶民にはなかなか持てない視点だ。
 【推理フェイズ】におけるゲームマスターの発言には一目置くべきだろう。

 庶民たちは【質問フェイズ】と【推理フェイズ】で異なる役割を要求される。本来なら【推理フェイズ】の材料にするために【質問フェイズ】での各プレイヤーの挙動に目を光らせておきたいところだが、【質問フェイズ】では「答え」探しに汲々としがちでなかなか難しい。
 とはいえ、【質問フェイズ】でインサイダーが無理やりでしゃばるをえない状況を演出するのは庶民プレイヤーたちの器量のうちだ。仮にインサイダーが傍目から見たら違和感なく正解かそれに近いものにたどり着いたような場合でも、それに不自然な飛躍を見いだせるのは凡人探偵として足並みを揃える庶民たちだからこそだ。

 そう、気づきこそがこのゲームのキモだ。
 冒頭で「「推理」に焦点を当てたものとしては最高傑作に近い」と放言したのは、本作がロジックに基づく、ヒューマンな気づきに特化したデザインを採用していることを指している。
 機械的な進行を防ぐために確定情報を最小限にしかしゲームが立ち行く程度に抑える。役職数をぎりぎりまで絞ることでマスターインサイダー含めた全員が探偵として思考しなければならない状況を作る。推理に使える材料を数分間の決定的な会話(と場合によっては投票)に限定することで誰もが平等に探偵として推理に参加できる。*8
 これらの要素がすべて人間の顔をした推理ゲームの完成に寄与している。Swag.


汝、その人を知れ。

 余談になるけれども、『インサイダー・ゲーム』は初対面の人たちとやるとなお「気付き」が増えて面白いかもしれない。
 一般にボードゲームのプレイスタイルにはその人の人格や性格が出やすいものだけれども、『インサイダー・ゲーム』はコミュニケーションに関わるゲームであるため、普段のその人が日常的に(意識的にであれ無意識的にであれ)とっているコミュニケーション戦略が浮き立ちやすい。特にインサイダーになったときはもろにその人となりが出る。
 要するに、「答え」へ誘導するためにどう段取りをつくり上げるか、だ。
 最初っから全力で露骨に「答え」へ誘導する人、乾坤一擲の誘導にかける人、段取りが未完成なのにあからさまなタイミングで「答え」を言っちゃう人、絶対自分では「答え」を口にしない人、そもそも徹底的に誘導を避ける人、誘導するにしても七百八十度くらいひねったような遠回りすぎる質問しちゃう人、どうしても空気がずれてる人……インサイダーで上手い人は後から振り返ってみると致命的で露骨な誘導をしていても、その場では自然に発言したような印象をあたえるのが上手い。そういう人はふだんからそういう場に強いようで、僕が一緒にプレイして上手だった後輩は就活のときもグループ討論で一回しか落ちなかった*9そうです。就活生にもオススメだ。

 基本的にボドゲはゲームを重ねていくほどその人のプレイスタイルが把握しやすくなる。本作は一ゲームが10分〜20分程度なため、どんどんプレイログが溜まっていく。プレイヤーごとの傾向がつかみやすくなる。その人がわかっていく。それどころか世界の真実がわかっていってしまう。どいつもこいつも善人面してても、一皮剥げば皆同じ腐ったオオカミ野郎なんだ。この世に正義なんてないんだ。しょせん食うか食われるか、弱肉強食――と『ディプロマシー』みたいな感じはならない程度のほんわか人間不信ゲームです。

 単純に、楽しくプレイすると仲良くなれるしね。


拡張可能性

 ちなみにゲームの性質上、「答え」の候補を知っている人はどうしても強くなる。といっても、お題のカードは42枚で一枚につき6個候補が書かれているので、252個暗記せねばならない。まあ、気合を入れれば覚えられないものでもないし、ある程度「答え」の傾向を知るだけでもアドバンテージは出る。
 ゲームの習熟具合に応じて、オリジナルのお題カードを作るとよいかもしれない。

 何度も繰り返しているように本作は既存のゲームの合体技なので、前半のシチュエーション・パズル部の「答え」をそのまま別の形にアレンジできるはずだ。
 シチュエーション・パズルといえば『ブラック・ストーリーズ』シリーズ。これは「うみがめのスープ」問題をひたらすら集めたゲーム、というか設問集だ。この『ブラック・ストーリーズ』のカードをそっくり『インサイダー・ゲーム』のものと入れ替えれば、より歯応えのあるプレイ体験をできるのではないか。その場合、もちろん『ブラック・ストーリーズ』はモノではなくストーリーを当てなければならなくてより複雑なので、制限時間を延ばす必要が出てくるかと思う。



*1:他に『藪の中』や『小早川』など小ぶりでシンプルながら知的な戦略が要求されるゲームを作っているメーカー

*2:明日キットが手に入る予定なんで記事の公開を伸ばしてもよかったんだけどまあ

*3:プレイしたゲームではそうしていた。一ゲーム終了したあとにまた新しいゲームを始めるときにうっかり山をシャッフルし忘れて前ゲームと答えが被る事故が発生していたりなんかしてたので、個人的には答えを表示された札を山に戻さず裏に返すか、山の一番下に戻す方がいいと思う。まあ、札の数字とカードごとの「答え」候補を丸暗記してるプレーヤーが存在した場合には「答え」がわかってしまうかもしれないけど、そんなことのできるカード数じゃないし

*4:特に指定はないので順番に質問していくターン制を採用しても面白いかもしれない

*5:パターンとしては占い師が初日に狼を引き当てるものもあるが、確率は低いし、その日の投票先がインスタントに決まってしまうため推理要素という面ではマイナスに作用する

*6:まあ、退場した人間は観戦側に回るため、それが面白いといえば面白いのかもしれないが、やはりゲームである以上は参加して愉しみたいものだ

*7:たとえば『レジスタンス』であれば、スパイ陣営に割り振られたプレイヤーは正体を隠しながらレジスタンス陣営の遂行するミッションを妨害する

*8:とはいえ、人数が増えればその分会話情報も増えて把握しづらくなる。参加人数が八人までとなっているのも、このためだろう

*9:母数は聞いてないので一戦一敗の可能性もある

『ファインディング・ニモ』のドリーは本当に記憶障害なのか。

調べ物 漠然と映画について

本記事の概要

 『ファインディング・ニモ』に出てくるやたら忘れっぽいナンヨウハギのドリーが記憶障害(健忘症)なのかについて検証した英語記事の翻訳。


前説

 『ファインディング・ドリー』を観て、「『ニモ』のときのドリーの忘れっぽさは単なるキャラづけだと思ってたのに、実はガチだったんだね、驚いたよ(笑)」みたいなことを自撮り写真と一緒に twitter にあげたら、多方面のベテラン・ピクサーファン(半裸のシルベスター・スタローンを想起していただきたい。関係はないが)から「いや、そもそもそんなん一作目のときからガチの障碍だってわかってたやろ」「おまえは何を観てきたんだ」「だからおまえはダメなんだ」「俺の足の裏に生えたフジツボより生きる価値がない」「クローネンバーグに頼んでハエにしてもらえ」というきびしいお言葉を賜り、死にたくなったわけですが、ほんとは死ねとも言われてないし、自撮りもあげてません。足の裏にフジツボが生えた不幸な人もいなかった。
 とにかく、そんな感じで作ってるひとらはどれだけ本気でドリーを記憶障碍として描こうとしていたのか気になったわけです。そこで、グーグル先生に「ニモ ドリー 記憶」的な雑なワード(よくおぼえてない)を打ち込みました。

 すると出てきたのはNeuroPsyFi - NeuroPsyfi brain science behind the moviesなるサイト。主に脳科学者や神経医学者の専門家の視点から作品を読み解く系の映画評サイトらしく、そのひとつに『ファインディング・ニモ』時代のドリーについての考察がありました。その内容がわりに面白かったので、ぶっちゃけスタッフの証言とかどうでもよくなりました。満足した。

 以下、その訳です。相変わらず端折ったり適当にいじったりしてますので、原文と参考文献一覧はbrain disorders movie reviews - NeuroPsyFiを参照のこと。
 あくまで『ファインディング・ニモ』のときのドリーについて語ったものですから、『ファインディング・ドリー』での出来事は考慮されていません。


「泳ぎつづけろ――健忘症とたたかうための海のレッスン」ダニエラ・ブリンクマン

「ええと、あなたと一緒にいるとよく思い出せるようになるの」。
 シンプルでありながら、実に切実な思いが込められたセリフだ。


 『ファインディング・ニモ』のメインキャラであるドリーには、パッと見の印象以上に神経心理学的に興味深い洞察が隠されている。本作は劇映画としては健忘症を精確に描写している数少ない作品のひとつとして専門家からも讃えられている(Baxendale, 2004)。のみならず、健忘症患者の記憶能力に良い影響をおよぼしうる、前向きな姿勢やソーシャル・サポート(家族として、友人として、あるいはその両方として)のヒントを示している。


 ナンヨウハギのドリーが初登場するのは、カクレクマノミのマーリンとぶつかる場面だ。マーリンはスキューバダイバーに拐われた息子のニモを助けだすため、ダイバーのボートを大慌てで追っている途中だった。
 ボートを目撃したことを思い出したドリーは、マーリンにその行き先を教えようとする。ところがちょっと泳ぐと、マーリンが何者か、なぜ彼が自分のあとをついてきているのかを完全に忘却してしまう。彼女はあきらかに前向性健忘を患っているか、あるいは新しい物事を憶えるのに問題を抱えている。こうしたハンデをはらみつつ、マーリンとドリーはチームを組み、ニモを探す旅へ出発する。


 この冒険のあいだ、ドリーの記憶障碍はさまざまな実例をもって描かれる。彼女は他者の名前を(特にニモの名前を)憶えることができない。新しい情報を得たはしから忘れていき、数分前に会話を交わした事実さえ覚えられない。そのうえ自分の泳いでいる方角もおぼつかず、ましてや自分が何をしているのか、なぜそれをしているのかなどわかりようもない。
 暗唱――たとえば、オーストラリアのある住所を憶えるシーンを思い出そう――は別のタスクへ注意をそらさないようにするのに効果を発揮する。だが、彼女の集中はすぐに散漫になり、繰りかえし憶えようとしたはずの情報も忘れてしまう。
 新しい情報をインプットするさいに見られるこうした問題の数々は、前向性健忘の特徴でもある。
 ドリーは彼女の症状を「短期記憶喪失*1」と説明している。この言葉は、前向性健忘の特徴である「新しい情報のインプットにおける困難」と結びつけられる。ドリーの健忘症の由来についてはほとんど説明されてないものの、彼女は「家族もみな忘れっぽい」と述べている。*2
 人類における前向性健忘は、ほとんどの場合、前側頭葉部の損傷と関係している。特に海馬と呼ばれる部位だ。若年層の前向性健忘は通常、頭部の怪我による頭部外傷によって引き起こされる。


 彼女の障碍とそれによる困難にもかかわらず、ドリーは常に楽観的で、ポジティブで、粘り強くありつづけ、健忘症がゴールへ向かう彼女を妨げることをゆるさない。困難や課題に直面したとき、彼女は彼女自身(とマーリン)に「泳ぎつづけろ(just keep swimming)」と言い聞かせる。本作でもっとも知られた名台詞のひとつだ。
 事実、ドリーの前向きな態度と屈託のない性分は、彼女をマーリンの相棒として欠かせない存在にしている。ドリー抜きではニモを発見できなかったかもしれない。
 ドリーの健忘症が旅の障害であったことはまぎれもない事実だ。しかし、彼女の楽観主義がそうした障害に打ち克ち、ともに数々の困難へ立ち向かうことを可能にしたのだ。


 かたやマーリンはポジティブでいつづけづらい状況にある。終盤、彼は希望を失い、ニモは死んでしまったと思いこみ家へ帰ろうとする。ドリーは、マーリンと一緒だと家にいるみたいな気持ちになれて記憶力が良くなると告白し、彼に留まってくれるよう懇願する。*3このとき、情緒的に安全で前向きになれる環境と、ふたりで築き上げた関係性が彼女の記憶能力に良い影響を与えることを観客は知る。


 コミカルな子ども向け映画という見かけとは裏腹に、『ファインディング・ニモ』はソーシャル・サポートや親密性の潜在的な有益さに触れ、ポジティブな環境が前向性健忘を抱える人の記憶の維持を刺激し促進しうると示している。このテクニックは「リアリティ・オリエンテーション」として活用されている。
 1966年に Taulbee と Folsom によって首唱されたリアリティ・オリエンテーションは、ある人物が今ある現実に順応することを目的としており、健忘症患者のクオリティ・オブ・ライフを抜本的に向上させる。*4親近感のある物や、音楽、写真、音、におい、健忘症患者の周囲に置くことで、症状を和らげる(De Guise, Leblanc, Feyz, Thomas, & Gosselin, 2005)。
 リアリティ・オリエンテーション認知症アルツハイマーの患者によく使われ、ひろく効果を証明している(Zanetti, et al., 2002)。また、このメソッドは頭部外傷によって引き起こされた外傷後健忘の患者にも有効であることが確認されている(De Guise et al., 2005)。同様に、後天的神経障害の患者にも有効である(Kaschel, Zaiser-Kaschel, Shiel, & Mayer, 1995)。
 ドリーはマーリンに深く結びついた環境を「家(Home)」として認識し、この条件下で記憶能力が良くなると信じている。リアリティ・オリエンテーションのフィクション版が、彼女の記憶喪失を軽減する現実的なアプローチになりえることを示している。


 他方、『ファインディング・ニモ』は健忘症患者に対する介護やソーシャル・サポートについても示唆に満ちている。
 彼女がマーリンに対してフラストレーションを与えているのは確かかもしれないが、ドリーは真にマーリンと一緒に彼女の家となるべき居場所を見つけ、家族的で相互扶助的で協力的な関係を彼と発展させていく。他の状況下での彼女の深刻な健忘症状とは異なり、ドリーはマーリンのことを思い出すのに問題を抱えていないようで、こうした関係こそが「よく思い出すこと」を可能にする源となっているのだと彼女は信じている。
 興味深いことに、家族機能*5や、ソーシャル・サポートを含む介護者の人格が決定的な役割を果たし、外傷性脳損傷の改善に貢献すると研究でも証明されている(Vangel, Rapport, & Hanks, 2011)。おそらく、ドリーは我々が考える以上にこうしたことについて洞察に富んでいるのだろう。


 ドリーをなす最も重要な資質は、ポジティブさだろう。おそらくこのポジティブさこそが前向性健忘に彼女を向きあわせ、癒しているのだ。多くの研究が、不屈の楽観主義や前向きな期待がよりよい健康や幸福や改善に繋がると示している(Lench, 2010; Scheier & Carver, 1987)。
 ドリーはたびたび人生に対する楽観主義を「泳ぎつづけろ」というモットーで表現する。*6ニモを探すための旅の道中のみならず、過去の彼女にもそれが助けとなったのだろう。冒険で直面する難事だけではなく、健忘症で直面する日常的な難事にも彼女の態度は有用だろうか?


 『ファインディング・ニモ』からは、前向性健忘では前向きな心がけと協力的な家族・友人関係が重要であることが読み取れる。人生の困難に対して「泳ぎつづけろ」、というメッセージは、驚くべきことではないだろうが、科学的な根拠があったのである。

*1:short-term memory loss

*2:訳注:監督のアンドリュー・スタントンは続編である『ファインディング・ドリー』を作るにあたってこのセリフに沿ってドリーの両親を健忘症的に描こうと試みたが、「忘れっぽい人物が三人そろってしゃべるシーン」が映画として成立しないことに気づいて路線変更した。http://www.slashfilm.com/interview-finding-dory-director/

*3:「こんなに長いあいだ誰かと一緒にいたのは初めてなの。なのに置いていかれたら、置いていかれたら……あなたといると物をよく思い出せるんだ。ほら、P・シャーマン 42……42…….。思い出せるのに。憶えてるのに。知ってるのに。だって、あなたを見てると……感じる(feel)の。あなたを見てると……家にいるみたいで(I’m home)。だから、おねがい……行かないで。私は忘れたくない」

*4:リアリティ・オリエンテーションは日本だと現実当見識訓練とも訳される。リアリティ・オリエンテーションについて知りたい。 | レファレンス協同データベース

*5:family functioning ファミリー・セラピストのエドウィンフリードマンによれば家族機能には情緒機能、社会化と社会付置機能、生殖機能、経済的機能、ヘルスケア機能の5つがある。http://www16.atpages.jp/apr27/kazokuenjoron.html

*6:このフレーズが『ニモ』でも最終盤のピンチを救い、続編『ドリー』でもキーワードとなる。

緑の服、緑の店、緑の国――『ブルックリン』について

映画単体感想

『ブルックリン』(ジョン・クロウリー監督、カナダ・アイルランド・イギリス・アメリカ合作、2015年)

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 以下、ネタバレを含みます。記事中程の警告部分以降は結末部を含む重大なネタバレがなされていますのでご注意ください。


あらすじ

 1950年代のアイルランド。第二次大戦後の不況にあえぐこの国*1の港町で、雑貨屋の店員として働くエイリシュ(シアーシャ・ローナン)は姉(フィオナ・グラスコット)を通じてNY在住の神父(ジム・ブロードベント)からアメリカでの職を紹介される。
 アイルランドでの生活に生きがいを持てなかった彼女は一も二もなく渡米、NYの移民街であるブルックリンで下宿しつつ、デパート店員として働くようになる。
 しかし、知り合いも友人もいないNYでの生活は彼女を蝕んでいく。ついには寂しさが募ってホームシックにかかってしまう。
 見かねた神父は彼女に「簿記の勉強をやってみないか」とブルックリン・カレッジでの夜間コース受講をもちかける。簿記の資格を得て、姉と同じ事務職に就くという目標ができたエイリシュは徐々に元気を取り戻していき、やがてイタリア人の恋人トニー(エモリー・コーエン)もゲット。だが、なにもかも順調にいきかけていたところに、故郷から衝撃の報せがまいこむ。


視えるグリーン

 色の切り替わりが物語の切り替わりだ。
 『ブルックリン』は物語の進捗に応じて、舞台も移り変わっていく。
 一つ目(序盤)は、主人公エイリシュの生まれ育ったアイルランドの港街エニスコーシー。
 二つ目(中盤)は、エイリシュが移り住むこととなるニューヨークのブルックリン。
 三つ目(終盤)は、再びエニスコーシー。

 監督のジョン・クロウリーFilmmaker Magazine 誌のインタビューに答えて曰く、

 この映画は視覚的に三つの局面に分かれています。
 一つ目の局面はエイリシュがアイルランドを離れる前ですね。フレームは窮屈で、ワイドショットは一切使われていません。エイリシュの顔が重要なんです。
 私たちは(WWII)戦後のアイルランドについて調べました。当時撮られた写真から当時のアイルランドがどういう「色」だったかの知識を得たのです。
 画面を濁った感じにはしたくなかったので、茶色やくすんだ色彩をなるべく避けました。そこで、より緑をくわえるようにしたのです。
 この映画で最初にワイドショットが使用されるのは、エイリシュが旅立ちのために船に乗るシーンです。彼女の地平*2が開ける様子を、文字通り画面上の地平線で示しています。
 ここから色使いがもっと豊かになります。1952年のアメリカは黎明期にあったポップ・カルチャーの最先端でした。終盤でエイリシュの目に映るアイルランドは序盤のそれとは違って見えます。より明るく、カラフルに見えるのです。それは彼女自身と彼女の外見が変化したせいでもあるのでしょう。

第一幕:アイルランドアイルランド

 映画の序盤において、直接的に画面へ「緑をくわえ」ているのは主人公エイリシュの服装だ。
 映画の冒頭、明け方の街へと足を踏みだすファーストシーンから彼女は濃い緑色のダブルブレストコートを羽織っている。
 緑はアイルランドを象徴する色だ。縁起は約千六百年前、キリスト教の伝道師であったパトリキウスがアイルランド島民に対して三つ葉のシャムロック(クローバーなどの葉が三つに分かれた植物の総称)を用いて三位一体の概念を説いたことから、シャムロックが後に聖人パトリックとして讃えられる彼の象徴となり、ひいてはアイルランドの国花とされた。このシャムロックの緑がアイルランドの国の色として結び付けられて、現在世界中で祝われている「聖パトリックの日」のメインカラーとして「アイルランド=緑」のイメージを定着させた。
 そんな緑の国にあって、彼女は一貫して緑系統の服(あるいは暗いところでは緑に見えるエメラルドブルーのニット)を身にまとう。
 エイリシュの愛国心がそうさせるのだろうか? いや、違う。彼女は地元を、アイルランドという国に嫌気がさしている。勤め先の雑貨屋のオーナーは嫌みな因業ババアだし、恋に燃える親友と一緒にダンスパーティーに出てもなんとなく馴染めない。アイルランドに彼女の居場所はない。アイルランドの緑は彼女を囚える鬱屈の緑だ。積極的に嫌っているわけでもないが、ばくぜんと「このままではいけない」と考えている。
 ちなみにファーストルックが薄暗いシーンなので気づきにくいかもしれないが、雑貨屋の外観が緑色なのにも留意しておきたい。のちのち重要な意味を帯びてくる。


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 彼女は緑のコートをしっかりと閉じて、新天地アメリカへと旅立つ。
 その船中で新しい色に出会う。赤だ。三等客室で相部屋になったアメリカ帰りのブロンド美女ジョルジーナが真っ赤なコートとともに彼女の前に現れる。最初のうちは赤い女の押しのつよさに戸惑うものの、旅慣れた彼女のアドバイスに助けられて打ち解ける。
 到着直前、エイリシュは赤い女から入管に際しての助言をもらう。

「検査に備えて、あらかじめバッグを開けたままにしておきなさい。
 あんまり純朴そうに見え過ぎないように。口紅とマスカラを塗っておきましょう。ついでにアイライナーも。
 背筋をピンと伸ばして立ちなさい。靴もちゃんと磨いておくこと。絶対に咳だけはしないこと。*3無作法になっちゃダメ。厚かましくなってもダメ。あんまりビクつくのもダメ。
 自分をアメリカ人として考えるの(Think like an American.)。
 着いたら自分がどこに行くのか知っておきなさい。」


 そして*4、エイリシュは赤い女から「これをつけなさい」とストールを渡される。赤と白のストールだ。
 エイリシュは彼女の助言とストールを例の緑のコートの下に抱き、入管を見事パスする。審査官から「その青い扉へ進みなさい」と言われて、壁一面にさげられたアメリカ国旗のしたをくぐり、緑色の彼女の背中が扉の向こうの光へ吸い込まれていく。
 ストールの赤と白、扉の青。三色揃えば、言うまでもなく、アメリカ国旗の色だ。

第二幕:アメリカのアイルランド

 とはいえ、エイリシュは最初から赤と白と青の国になじんだわけではない。
 下宿先のかしましい同輩たちはキラキラしすぎて控えめな彼女にはとっつきづらいし、勤務先のデパートでも上手に接客できない。勤務の合間に立ち寄った定食屋では店員のあんちゃんから「俺が天国の門をくぐるときは、そのかわいいアイルランド訛りで呼ばれたいもんだね」とセクハラともナンパともつかない軽口を叩かれる。*5店員にとっては軽口でも、エイリシュにとっては刺さる一言だ。アイルランド訛りをバリバリのNYっ子からひやかされて、自分がまだ「Think like an American」に振る舞えていないことを認識せざるをえない。しかも、なお悪いことに、その定食屋は内装から外観まで緑色で統一されていて、彼女はデパートの制服の上に例の緑のコートを着ている。いやが上にも自分がアイルランドから逃れられないのだと思わされる。
 親友と優しい姉がいない孤独を感じるぶん、もしかしたらNYは故郷より悪いのかもしれない。こうなると故郷が懐かしい。

 定食屋のシーンの直後、彼女のもとに姉からの手紙が届く。家族の近況を報せつつ、妹の身を案じる、なんでもないような内容の手紙だが、これがそのなんでもなさゆえにエイリシュのホームシックにとどめをさす*6。心をこわしてしまった彼女は勤務中に泣き出してしまう。
 駆けつけた神父は「すべて私の責任だ。故郷を離れるということがどんなにきついか、忘れていたよ」と詫びてエイリシュに簿記の資格を取るための夜間コースを紹介する。
 「なぜですか?」と問うエイリシュに神父はこう答える。

神父:
 きみのように賢い子がアイルランドでちゃんとした仕事を見つけられないと知っておどろかされたんだ。
 私はアメリカに長く住みすぎた。
 アイルランドで生きるということがどういうことが忘れてしまったんだ(I forget what it’s like in Ireland.)
 だから、きみのお姉さんが手紙できみのことを知らせてきたとき、私は教会で手助けできるかもしれないと申し出たんだ。ともあれ、ブルックリンに住むアイルランド人の女の子が教会として必要でもあったしね。
 ホームシックは他の病気と変わらない。いつかは他の人に伝染って、自分はケロリと治るのさ。


 これもまたなにげないセリフであるけれども、「アイルランドで生きるということがどういうことが忘れてしまったんだ(I forget what it’s like in Ireland.)」というラインは終盤の極めて印象的な場面でリフレインされる。*7

 ともあれ、簿記のクラスは彼女にとって丁度いいきばらしとなる。

 もうひとつ、エイリシュにとって印象的な出来事が起こる。
 クリスマスの晩、教会の慈善活動として恵まれないアイルランド人労働者(というか失業者)たちにクリスマスディナーをふるまう催しに参加するのだが、そこで彼女は年老いたアイルランド人を大量に目にしてショックを受ける。

 エイリシュ:
  この人たちはみんなアイルランド人なんですか?

 神父:
  そうだとも。みんなアイルランド人さ。


 彼らもエイリシュとおなじようにアイルランドから渡米してきて肉体労働者としてニューヨークの建設ラッシュを支えたのだが、ひとたび摩天楼が完成してしまうと放り出されて浮浪者同然になってしまった。故郷であるアイルランドにも移民先のニューヨークにも行き場のない人々。エイリシュは彼らに自らの状況と心情を重ねる。*8
 一方で、苦節をおなじくする先輩たちの姿に触れたことで、彼女は「寂しいのは自分だけじゃないんだ」と逆説的に孤独ではないと知ったのではないか。あるいは、故郷を遠く離れたNYもまたアイルランドと地続きなのだと悟ったのか。
 いずれにしろ、クリスマス明けにはもう彼女のホームシックは完治している。
 目に鮮やかなクリームレモン*9のシャレた服装で街を闊歩する姿は、もういっぱしのニューヨーカーだ。*10

 そして、エイリシュは教会主催のダンスパーティでイタリア人の青年トニーと出会う。
 彼とひとしきり踊ったあと、下宿まで送ってもらうことに。このとき、彼女はジョルジーナを思わせる真っ赤なコートを着用している。これより先、あの緑のコートは退場し、いっさい姿を見せなくなる。孤独の孤独でなさを知り、恋を知った彼女のワードローブは一新され、それまでのおぼこい地味な服装とは様変わりして、ニューヨークで仕入れたとおぼしきコレクションを着て歩く。

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 本作の衣装デザイナー、オディール・ディックス=ミローの証言。

 エイリッシュの服装は、到着して間もない世界に溶け込んで自信を持って成長していく若い女性の物語を飲み込みやすくします。
 だから彼女のワードローブは、アイルランドに居たときのものとニューヨークに住んでからのものとで異なっているんです。このふたつはまったく別の世界ですからね。
 第二次大戦でヨーロッパは甚大な被害を被りましたが、NYは無傷でした。
 なので、エイリッシュがアメリカにいるときは、よりくっきりと力強く見えるように意識したんです。

http://www.instyle.com/reviews-coverage/movies/7-gorgeous-50s-outfits-look-when-you-watch-movie-brooklyn


 以降、トニーとデートを重ねていくが、彼女はいつも赤いコートを身につける。アメリカのコートを。

 しかし、トニーの家族を晩餐をともにした帰り道で彼女は白い地味な服に身を包んでいる。どういうことだろうか、こちらがいぶかしんでいると、トニーが別れ際に「きみを愛してる」と告げる。同じく彼を愛していてもどこかで躊躇ってしまう彼女*11は返事を保留してしまう。
 エイリシュはその夜、人生の先輩でもある下宿先の友人と結婚についての会話を交わしたことで背中を押され、翌日のデートで「わたしもあなたを愛している」と告げる。もちろん、赤いコートを着て。

 こうして大きな一歩を踏み出したカップルは、次なるステップとして海水浴デートに出かける。このときの彼女はエメラルドグリーンのカーディガンを着ているが、全体として占める面積では内に着込んだパールピンクのシャツと花柄のロングスカートの装いが印象的だ*12。さらには可愛らしいポーチをぶらさげた手にピンクのわたがしを持ち、目にはなんと派手なサングラス。すっかりアイルランドの緑をアメリカナイズしてしまっている。このファッションだけでももはやエイリシュが以前の彼女とは違う、自信に満ちた女性へ変化したことが伺える。ちなみに当時としては格段にセクシーな水着も緑色だ。

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 アメリカに溶け込み、恋人もできて、幸せ街道まっしぐらかに見えたエイリシュだったが、そんな矢先にとんでもない悲報がアイルランドからもたらされる。そしてその報せが、彼女の人生をおおきくゆさぶることとなる。




 ここから先は結末部を含む物語の重要なネタバレを含みます。



第三幕・アイルランドのアメリカ人

 エイリシュの姉が心臓の病で急逝した。
 激しく落ち込むエイリシュ。なにはともあれ葬式に参列するために、アイルランドへ帰国しなければならない。トニーはエイリシュを慰めながらも「きみが行ったままアメリカに帰ってこないかもしれないのがこわい」と吐露する。エイリシュは「もう自分に家(Home)があるのかもわからなくなっちゃった」と言う。エイリシュにとって自分をいつも気にかけてくれる姉こそが家の象徴だった。その姉を亡くすということは世界中のどこにも帰る場所がなくなってしまいことと同義だ。
 そんなエイリシュの心情を察したのかトニーは翌日、彼女をロングアイランドへ連れて行く。そこで購入したばかりの空き地を見せて「ここに一緒に住んで、店をやろう。結婚してくれ」とプロポーズ。新しい、自分たちの家をここにつくろうと言ってくれたのだ。エイリシュは申し出を諾う。このときのエイリシュの服装は涙をすべて吸い取ったようなペイルブルーで統一されている。
 ふたりは役所にでかけ結婚の手続きをすませる。しかし、この婚姻はまだお互いだけの秘密だ。
 このとき、エイリシュにとってのNYは単なる下宿先ではなくて、終の棲家と定まった。

 役所の場面から切り替わるともうアイルランドで、姉の葬式は終わっている。
 エイリシュは母を伴って教会から出てくるが、このときの彼女の装いは頭部こそ黒いセパレートのヴェールで覆っているものの、服はNYで買った派手なレモンイエローのシャツドレス。葬式にはどう考えても不釣り合いだが、これも「NYこそが私の家」と無言に主張したい彼女のアティテュードなのだろう。渡米前から懇意だったエイリシュの親友ナンシーはその姿を見るなり、「すいぶんセクシーになっちゃたじゃないの!」と賛嘆の声をあげる。
 彼女はNYから持ち帰ったワードローブを着続ける。今より情報の伝播が遅い時代、しかもアイルランドという保守的な土地ではNYの最新モードは他人からは好奇の対象だ。サングラス姿のエイリシュとすれ違った婦人は「なにあの格好?」と不審げに声をひそめる。

 とはいえ、『ブルックリン』は「都会帰りの女が出戻った田舎で嫉妬混じりのいじめを受ける」系の話ではない。一人の引っ込み思案な女性がまったくタイプの違う二人の男性の間でゆれうごく、ジェーン・オースティンやトマス・ハーディ風の古典的なロマンス劇だ。
 地元に戻って早々、エイリシュはナンシーから、ナンシーの婚約者の友人ジム(ドーナル・グリーソン)を紹介される。ジムは商店を親から継いだばかりの裕福な中産階級だ。NYの下町の移民労働者であるトニーとは対照的に、洗練された穏やかな人物として描かれている。最初は秘密とはいえ夫を持つ身ということで、ジムと彼女をくっつけようと勤しむナンシーのおせっかいをうとましく思っていたものの、亡くなった姉の話題(ジムの母親とエイリシュの姉がおなじゴルフクラブに所属していた)を通じてだんだん打ち解けていき、いつしか強く惹かれていく。
 一方で、亡くなった姉の後釜として、なし崩し的に事務員の仕事もひきうけて、期せずして渡米前には得られなかった「魅力的な恋人」と「相応の仕事」を一挙に手にしてしまう。生前の姉が妹のキャリアアップのためにNYの仕事を神父を通じて手配してくれたように、死後の姉の導きがエイリシュをアイルランドにとどまらせようとしたのだろうのか。*13
 「アイルランドに行く前にあなたに出会えたらよかったのに」とエイリシュは複雑な心境をジムに漏らし、姉の墓に花を供える表情も曇る。

 エイリシュとジムはナンシーと彼女の婚約とで連れ立って海水浴ダブルデートを行う。このときのエイリシュの服装は、トニーと海水浴デートに行ったときと同じサングラス+グリーンのカーディガン+花柄のスカート(と微妙に仕立てが異なるが同じく淡いピンクのシャツ)という出で立ちで、そのうえ水着までブルックリン時代と一緒。
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 渡米直後のときはアイルランドの緑色の忘れられなさが彼女のホームシックを引き起こしたわけだが、今度はNYのヴィヴィッドなファッションが彼女の後ろ髪をひく。本作において、常に「故郷(Home)」はワンテンポ遅れてやってきてエイリシュを引き裂く。
 彼女は夫のある身でありながら別の男性へ惹かれていくことによるトニーへの罪悪感と、夫がいることを隠しながら付き合いを続けてしまうジムへの罪悪感、その二重の重圧につぶされそうで、トニーから絶え間なく送られてくる手紙に返事を書くこともできない。

 それでもやはり物理的に近くにいる存在の方が強いのか、彼女はますますジムに接近していく。ジムの両親にも紹介され、エイリシュの母親もすっかりその気になっている。
 そしてついにダンスホール*14エイリシュはジムから求婚される。しかしエイリシュははっきりと返答できない。

 二つの愛に引き裂かれそうになるエイリシュ。しかしジムの求婚劇の直後、思いもよらぬところから刺客が舞い込んでくる。
 渡米以前に働いていた雑貨屋のオーナーから突然呼び出されるのだ。
 あの人とは切れたと思ったのに、と訝しみつつも雑貨屋までエイリシュは出向く。この時、はじめてまともに観客は雑貨屋の外観を目の当たりにするのだが、日中の店舗は思ったより緑のペンキが濃い。
 彼女はオーナーである老女の私室へと招じ入れられる。日光が窓からわずかにさしこむだけのうすぐらい室内。壁にかかげられた年代物の絵画やアンティークの調度品から、部屋自体が持ち主の老婆のようにここでずっと年月を重ねてきたことがうかがえる。窓際には鉢がいくつも並べられ、緑の植物が植わっている。
 エイリシュは老婆から緑のベルベットのソファーを薦められ、そこに腰をおろす。
 清新なパールホワイトのカーディガンを羽織るエイリシュに対し、老婆が袖を通しているカーディガンは緑色。緑色の店の緑色の古い部屋。
 ここはかつてエイリシュが倦んだアイルランドそのもののミニチュアだ。

 劇中でそれまでさりげなくばらまかれてきた断片が、一挙に寄せ集まって爆発するシーン。それをひとは「クライマックス」と呼ぶ。『ブルックリン』のクライマックスはこの静かな対決だ。

 老婆は雑貨屋の常連客のなかに、ブルックリン在住の親類を持つ人がいるという。
「世界っていうのは狭いものね、え?」
 そういえば、あなたジムとずいぶん仲がいいそうじゃないの。噂によると結婚するとか。でも――その常連さんによると、あなたもう結婚してるらしいじゃない?
 そして老婆は勝ち誇った顔で言う。「あなたが婚姻届を出すところを役所で見たそうよ。なんでも、イタリア系の苗字に変わったとか」
 エイリシュの表情が硬まる。たしかに、役所で結婚手続きするときにたまたま知りあった人の奥さんがアイルランド系で、エニスコーシーあたりの出身だと聞いた気はしたが。
「白を切るのはよして、ミス・ランシー*15。もっとも、今はどんな苗字か私は知らないけれど」
 エイリシュは言う。「忘れてたんです」

 老婆:
  忘れてたですって!? よくもまあ……

 エイリシュ:
  私はここがどんな町だったか、忘れていたんです。(I’d forgotten what this town is like.)
  それで、このあと貴方はどうなさるおつもりですか。
  ジムとの仲を裂きたい?
  アメリカに戻るのをやめさせたい?
  ……きっと貴方自身にもどうしたいのかわからないでしょうね。


 I’d forgotten what this town is like. というセリフは、ブルックリンでホームシックにかかったエイリシュを慰めた神父の「私はここに長く暮らしすぎた。アイルランドで生きるということがどういうことが忘れてしまったんだ(I forget what it’s like in Ireland.)」というセリフと共鳴する。
 故郷からあまり長く離れすぎてしまったがゆえに、彼女は故郷のクソさを、なぜここを離れたいと思っていたのかを忘れてしまった。それは、恋人やまともな仕事などでは償われない、もっと根深く、おそらくは名づけえない昏い感情だった。
 彼女にとってのアイルランドとは、まさに目の前に座っている業突く張りの老婆のような存在だったのだ。ただ目的も思想もなく、歴史と執着のみでもって若者の人生をからめとる濃緑の呪い。

 そしてエイリシュは思い出す。彼女の家はいまやアメリカに、ロングアイランドにある。彼女はそこで仕事を見つけ、恋人を見つけ、自分の人生を見つけたのだ。たとえ、「本物の幸せ」がジムとともにあるのかもしれなくとも、「家」はあそこだ。
 だから、エイリシュは泣きながらこう宣言する。
「私の名前は、エイリシュ・フィオレロです」
 そして彼女はものすごい勢いで店を出て、店の緑の扉を閉め、目を閉じる。大きく肩で息を継ぎながら激しく動悸する心臓を落ち着かせ、やがて閉じた目をゆっくりと開く。アイルランドとの別れを決意する。


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 彼女は実家に戻るや、母親に結婚の事実を告げ、ジムに置き手紙を残し、アメリカ行きの船に乗る。
 その船上で、アメリカに初めて行くのだという若い女性と出会う。初渡米時のエイリシュの引き写しのように純朴そうな若い女性に。

 女性:
  アメリカに移住しに行くんですか?

 エイリシュ:
  いいえ。

 女性:
  じゃあ、観光?

 エイリシュ:
  もとからアメリカに住んでるの。

 ブルックリンに住む予定だという女性は、傷心のエイリシュにブルックリンがどういった場所かを興味津々で訊ねる。

 女性:
  みんなが言うには、ブルックリンにはいっぱいアイルランド人がいて、まるで故郷(home)みたいなんだって! ホントですか?

 エイリシュ:
  そうね。まるで故郷みたいな場所よ。


 エイリシュは、かつて自分が赤い女ジョルジーナから教えてもらった船上でのサバイバル術と入管の心得を(神父から教えてもらったホームシック対処法も添えて)若い女性に伝授する。
「自分をアメリカ人として考えるの。(Think like an American.)」とアメリカ人になったエイリシュが言う。

「そうして、いつかは過去と何の繋がりもない誰かや何かについて考えるようになる。あなただけの誰かについて。そのとき、気づくの。ここにこそ、あなたの人生があるんだって」

ブルックリン、ニューヨーク

 『ブルックリン』は端的に言えば、女性視点から描いた移民物語、ということになるだろうか。
 最終的にエイリシュは過去=故郷=アイルランドと訣別し、同じく移民であるイタリア人の若者とともにアメリカ国民として、移民国家アメリカの二十世紀へと乗り出していく。
 彼女がなかば属していきつづけるであろうアイリッシュのコミュニティは、アイルランドとつながってはいてもアイルランドそのものではない。このへんの移民の繊細な機微が移民国家の外に住んでいるとわかりづらいところもあるけれど、田舎から都市へ出てきた人間が新しい土地と古い土地のあいだでいたばさみになる上京&帰郷物語として読めばある程度の普遍性はある*16し、実際日本ではそういう読まれ方をされるのだろう。

 まあ、とはいえ、『ブルックリン』は単純なストーリーのようでいていろいろな読み方ができる話だ。
 生まれついた土地などではなく、自分が心から「故郷」と信じられる場所をさがしもとめる魂のクエスト。
 常に後ろから追ってくる「故郷」、外での生活が長くなる内に思い出の糞な部分がそぎおとされてなんとなく美化されるノスタルジーの危険性、そういう過去からいかに逃れるかというエクソダス・ストーリー。
 いくぶん粗野だがワイルドで頼もしいピュアな肉体労働者タイプの男性と、洗練されたオトナな金持ちのあいだでふらふら恋のいたばさみに陥るロマンス。
 ぼんやりとした田舎娘が上京して自己を確立していく成長物語。
 心優しい姉の影に人生を導かれたり、ふりまわされたりする姉妹物語。


 ひとつ『ブルックリン』について確かなことが言えるととしたら、間違いなくシアーシャ・ローナンの映画である、ということでしょうか。



ブルックリン (エクス・リブリス)

ブルックリン (エクス・リブリス)

原作。映画パンフの訳者解説によれば続編(といってもエイリシュは出てこなそう)が近々出るとか。

*1:パンフレットによるとアイルランドは第二次大戦で中立の立場をとったせいでマーシャル・プランの恩恵を享受できなかったそう

*2:horizon には(人の)「視野」や「限界」という意味もある

*3:当時は入管で結核と見なされてしまったら強制送還の憂き目にあったため。ジェームズ・グレイ監督『エヴァの告白』にもそんなシーンが描かれている

*4:時系列的には上記の助言の前だが

*5:とはいえ、ここでエイリシュが発する「Could I have a bill, please?」の一言は本当にやばいくらい可憐なので、店員の気持ちはわからなくもない

*6:手紙を読んでいるあいだに挿入されるモンタージュが見事だ。横断歩道を渡るカットなのだが、色とりどり服装の群衆にあって濃い緑色のコートを着たエイリシュがやけに浮いている。コートの下に着ている薄いピンクのシャツにオレンジのジャケットならおそらくNYに”埋没"できるだろうに、彼女にまとわりつく緑色が境界となって同化を妨害しているのだ

*7:「an Irish girl in Brooklyn」が欲しかったと言う神父に対して、エイリシュが返す「できるならアイルランドに住むアイルランド人の女の子(an Irish girl in Ireland)でいたかった」というセリフも割に重要で、ここからブルックリンが彼女にとっての「故郷」になっていく

*8:ここで労働者の一人がゲール語で歌う印象的な場面があり、町山智浩の解説に詳しい。http://miyearnzzlabo.com/archives/37844

*9:黄色のシャツはこの映画は二種類登場する。胸元がV字に大きく開いたものと、首元でキュッとしまっているののふたつ。よく似ているが微妙に違う

*10:このシーンがどのあたりにくるか実は記憶が曖昧で、もしかしたら婚姻届を出した直後だったかもしれない

*11:古い体質のカトリックであるアイルランド人女性にとって結婚というのは後戻りのできない極めて重要な選択

*12:このコーディネートはもう一つの海水浴のシーン、そしてラストでも繰り返し登場する。カーディガンと花柄のスカートは同一だが、なかのシャツは同じような色合いでいて微妙にどれも違う

*13:余談だけれども、エイリシュの姉は仕事場に妹の写真を飾っていた。姉の死後、エイリシュが仕事を引き継ぐときにその写真立てを見つける。いいシーンだ。いいシーンですよね?

*14:ダンスホールは都合三度ほど本作で繰り返し使用される舞台だ。いずれも恋愛がらみ。一回目は序盤のアイルランドで、ナンシーが意中の男性とお近づきになり、エイリシュが孤独をおぼえるシーン。二回目はブルックリンのカトリック教会のダンスホールでトニーと出逢うシーン。そして三回目がアイルランドでジムに求婚されるこのシーン

*15:エイリシュの苗字

*16:ズートピア』でも田舎から都会に出てきたアニメスタッフのホームシック体験談が反映されているというインタビューを読んだ

モーテン・ストーム『イスラム過激派二重スパイ』

読書感想文

寒い国から暑い国へやってきた二重スパイ

 今こそあなたと私は、より政治的に敏感になり、何のための投票なのか; 票を投ずる時に何を得ることを支持するのか; はっきりと理解するときだ。そしてまた、もし我々が投票しないのならば、弾丸が撃たれなければならないような事態に陥るだろう。投票(バロット)か弾丸(ブレット)かどちらかだ。

 ――マルコムX*1

 投票(バロット)は我々を裏切ったことがあるが、銃弾(ブレット)は裏切らない。

 ――アンワル・アル=アウラ*2


 2015年に世界を震撼させたシャルリー・エブド襲撃事件。実行犯たちは同社での銃乱射後、逃走のために市民の車を強奪したさいにこう言い放ったという。

「この殺戮はアンワル・アル=アウラキの復讐だ」。

 アウラキはアメリカ生まれのイエメン人*3イスラム過激派で、ビン・ラディン死後に台頭してきた「アラビア半島のアル=カーイダ(AQAP)」の指導者的存在だった。
 父親はアメリカの大学で学びイエメン政府の大臣も務めたエリート、その息子であるアウラキも幼少期と大学時代をアメリカで過ごした(西洋的な意味での)インテリだ。しかしコロンビア大学在学中から過激派との関係を疑われ、FBIからもマークされていたらしい。2001年の9.11テロ事件では犯行前に実行犯と接触していたことから、米国内での行動を制限されるようになり、ワシントン大学での博士課程を中断して故国イエメンに戻った。帰国してからは大学で教鞭を取りつつ、気鋭の説教師として次世代の過激派での地位を着々と築いていった。
 デンマーク生まれの白人青年モーテン・ストームが、ラディカルなサラフィー主義*4イスラム教徒ムラド・ストームとしてアウラキと出会ったのはそんな折*5のことだった。
 五つ年上であるアウラキのカリスマ性に魅了されたモーテンはアウラキ主催の勉強会に熱心に参加するようになり、アウラキもまた暴走族上がりの変わり種改宗者に深い友愛の気持ちを抱く。

 その五年後、モーテンはCIAの二重スパイとしてアウラキ暗殺に深く関わることとなる。

イスラム過激派二重スパイ』は、デンマークの港町で生まれ育ったチンピラがいかにしてイスラム過激派に傾倒し、その中枢に入り込んで名を馳せ、やがて失望して諜報機関の二重スパイとして働くようになり、かつての師や友を葬り去ったか、その過程が克明に記された愛と裏切りのメモワールだ。

二重スパイの日常系

 断っておいたほうがいいと思うけれども、本書を読んでも「なぜヨーロッパ生まれの若者たちがイスラム過激派に参加するのか」だとか「テロの前線に立っている若者たちが何を考えているのか」だとかは、ポリティカルな事柄はあんまりわからない。ところどころ汲み取れそうな部分がないではないけれど、そういう興味を主眼として書かれた本ではない。
 モーテンが改宗した理由も「二十歳を超えて将来に不安を抱える無学な前科者が図書館でムハンマドについて書かれた本に出会って」という(もともとイスラム系の移民のワルガキたちとつるんでいたという文脈はあったとはいえ)突飛なものだし、棄教するくだりもいささか唐突の感はぬぐえない。特に後者はなにか著者の側でぼやかされているものがあるように思われる。

 本書はあくまで、イスラム過激派組織の指導者の側近として、あるいはヨーロッパとイエメンを股にかける二重スパイとしてのミクロな視点から捉えた日常のディテールを描いたものだ。
 モーテン自身は銃弾の飛び交う最前線で砲火を交えたり、テロを実行したりはしない。基本的にはヨーロッパで過激派をリクルートしたり、アウラキのために雑務をこなす仕事が中心だ。彼の視点からはあまり直接的にエグい光景は映されない。
 それでも全体としてはバレたら一発で即終了な緊迫したサスペンスであるはずなのだが、中盤まではどこかゆるく、節々で妙に笑えるシーンも多い。
 たとえば、モーテンを囲おうと接触してくる二大諜報機関、イギリスMI6とアメリカCIAの縄張り争い。彼等らは英米間のライバル意識からか唯一無二の情報源である彼を取り込もうと互いに接待合戦を繰り広げる。CIAのエージェントはモーテンに渡す報酬が詰まったトランクに番号錠をかけて、その暗証番号を「007」に設定するおちゃめさんだ。CIAの使い走りとして直接モーテンと交渉を持つデンマーク公安警察(PET)の一人はモーテンの作戦会議にかこつけてタイへ出張し、売春ツアーのご乱行。もちろん、国民の金で。
 アウラキ側の人間としても、日々ジハードに精励する一方、「パツキンの西洋人妻(三人目)が欲しい」と言い出したアウラキさんのためにフェイスブックで嫁探しを手伝ったり、それが成功すると今度は外に出られない新しい奥さんの買い物を代行したり。「洋酒風味のチョコレートってムスリム的に大丈夫なんですかね?」「不浄だよ不浄」
 「友人」たちが戦争や自爆テロでどんどん死んでいくので、当然のごとくモーテンも自爆テロに誘われて困ったり、なんて一幕も。
 スパイならではのガジェットも豊富だ。さすがに『007』みたいな突飛なものは出てこないけれども、打ち込んだテキストや撮影した写真が自動的にリアルタイムでサーバにアップロードされるPET特製 iPhone などはいかにも「現代」っぽいスパイアイテムで、地味なぶん、それっぽくもある。一方でCIAはやたらに盗聴器を仕込みたがるが、その仕掛けがしょぼいのでモーテンから呆れられてしまう。

 読んでるほうとしては愉快だけれども、現場のモーテンにしてみれば一瞬一瞬が緊張の連続だ。露見の恐怖や、テロリストとはいえ自分を信頼してくれる友人たちの殺害に加担する罪悪感から次第に精神を蝕まれていき、ついには薬物に手を染めてしまう。
 そんな彼の苦悩など意に介さず、諜報機関は容赦なくモーテンに対して無茶な要求を重ねる。

ヒューマン・ファクター

 モーテンの運命はアウラキ暗殺前後から急速にダークさをおびていく。それまではスパイ小説としては牧歌的にすぎる感のあったプロットが、一気に「面白く」なっていってしまう。
 彼が嵌まることになる罠はスパイの末路として古典的ですらある。
 スパイ小説と違うのは、これがノンフィクション、つまり現実である点だ。
 結果としては彼はイスラム過激派と諜報機関の双方に喧嘩を売る行動に出るわけだが、皮肉なことにテロ組織も諜報機関も政府もフィクション内で演じているほどに万能ではないようだ。
 二重スパイとしてマスコミの前に出てきてから四年、伝記を出版してから二年がたった現在でもモーテンは生きながらえている。

 www.cnn.co.jp


 ちなみに2014年に本書がアメリカで出版された当初は『ボーン』シリーズで知られるポール・グリーングラスが映画化する予定だったのだそうだが、続報を聞かない。たぶん頓挫したんだろう。

*1:https://ja.wikipedia.org/wiki/The_Ballot_or_the_Bullet

*2:本書 p.19

*3:したがってアメリカとの二重国籍

*4:wikipediaによると「現状改革の上で初期イスラムの時代(サラフ)を模範とし、それに回帰すべきであるとするイスラムスンナ派の思想」。基本的には穏健であるが、一部の過激派は「サラフィー・ジハード主義」と呼ばれ区別される。

*5:2006年

2016年上半期の新作映画ベスト10+10

映画まとめ

 2016年も半分過ぎましたね。
 というわけで、今年の上半期に観た新作映画のベスト10です。

表スジ

1.『クリーピー 偽りの隣人』(黒沢清監督、日本)
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 いわゆる「セリフの自然さ」を追求したと謳い事実ナチュラルに撮っている作品がスクリーンに映ってみるとどうもしっくりこない、「リアル」には受け取れない。そういう不思議な地場が映画には働いているもので、では映画のリアリティとはなんだろうみたいな話を考えます。
 一方でリアルさとは反対のところで、紋切り型の陳腐さみたいなものも映画のウソっぽさを際立たせがちです。しかし、善人顔の役者を悪役に配する場合にどこかで説明の時間を取る必要があって、紋切り型がないとフィクションというのはどうも流れが淀みます。
 大体の作品はそのあいだでバランスを取ろうとしたり、あるいは開きなおったりしているわけですが、この作品はそのどちらの道もとっていないように見える。紋切り型が紋切り型であるという事実そのものを利用し、何か別のことを言おうとしているようにも見える。
 それは何か。

 冒頭、サイコパスの連続殺人犯(馬場徹)が西島秀俊演じる刑事に向かってこう言う。
「刑事さん、僕には僕のモラルがあるんですよ」
 直後、取調室から脱走した殺人犯は女性を人質に取る。西島は人質にフォークをつきつける殺人犯に向かって、「おまえにもモラルがあるって言ったよな」と信頼に訴えてかけて説得にかかり、丸腰で近づく。
 殺人犯は「じゃあ、僕があんたに後ろを向けっていったら後ろを向けるんですか?」と問われて、西島はこともなげに「ああ、できるよ」と後ろを向き、途端に腰をフォークで刺される。殺人犯は西島の後輩の刑事(東出昌大)に撃たれ、死ぬ。

 その銃声でもって、「俺たちはこれからルールの話をするんだ」と宣言される。

 日本ではだいたいの人が日本語を、NHKによって統一された標準語を話していて、一見みんなつつがなくコミュニケーションをこなしている。
 ところが、まったく同じ文章や単語が発話者と受け手で百八十度異なる意味を持ってしまうケースも日常生活では多い。人間にはそれぞれ解釈のルールがあって、そのルールは各々で微妙にあるいは大幅に違う。

 『クリーピー』はそんな言葉のルールの支配権をめぐる抗争の話なのだと思います。
 劇中内の言葉には、あきらかに魔力が付加されている。ヒロインの竹内結子は夫である西島と悪役である香川照之のあいだで言葉のパワーゲームに板挟みにされて幽霊のようにさまよう。ある未解決事件の関係者である川口春奈西島秀俊が激しく問い詰めるとき、尋問前までは何の変哲もなかった*1空間が突如としてファンタジーめく。
 西島も香川も自分のオブセッションのために他人を支配しようとします。支配とは、他人に自分の思い通りの言葉を言わせることです。自分の言葉によって画定された世界を無批判に相手に受け入れさせることです。そういうのを無自覚に行えるからこそ、西島も香川も「怪物」と呼ばれるのです。
 冒頭で「後ろを向けるか」と問うてきた殺人犯に対して背中を無防備に晒したのは、彼が性善説を信奉するヒューマニストであるからではないのかもしれません。自分のルールがその場を支配している、という無邪気な傲慢さからです。そうした心性の持ち主だからこそ、もう一匹の怪物・香川の対手足りえるのです。
 山場のシーンで西島が香川に対して「おまえは悲しいやつだな!」というセリフをぶつけます。人間ではない、「怪物」である香川を評して「悲しいやつ」と上から目線で哀れむことでマウンティングしようとしているわけですが、これ自体使い古された、悲しいくらいに陳腐な紋切り型です。しかも、自分を常に最高だと思っている*2香川はまるで意味を捉えられない。
 香川は他人の内面にも自分の内面にも興味が無い。単にある種の人間のどこを押せば、どう動くかについて通暁しているだけです。
 そしてそれは犯罪心理学者たる西島にも通じる。ただ彼は学者として理論に詳しくても、香川のように実地でどう機能するかというエンジニアリングについてはまるで素人です。
 その差が彼等のバトルスタイルにそのまま反映されていきます。
 要するに、最高にアツい格闘映画ってわけです。



2.『ズートピア』(バイロン・ハワード&リッチ・ムーア監督、アメリカ)
f:id:Monomane:20160704014723p:plain
 何かを過剰に突き詰めた作品が好きです。
 作家というものは上手くなればなるほどそうしたものを巧妙に隠したがりますが、やはりディズニーはファミリー向けですね、ヤバさが非常にわかりやすい。
 わかりやすい映画が好きです。
 上の画像は一番好きなジュディのアングルです。

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3.『バタード・バスタード・ベースボール』(チャップマン・ウェイ&マクレーン・ウェイ監督、アメリカ)
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 感動を絞りとる系の映画が嫌われがちなのは、エクスプロイテーションとして本気で搾り取ろうと考えられていないからだと思います。
 『バタード・バスタード・ベースボール』は神話を持たない国アメリカの神話であるベースボールでもってそこらへんを真摯に追求したドキュメンタリーであります。

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4.『レヴェナント 蘇りし者』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、アメリカ)

 名作マンガ『くまみこ』の映画化です。
 ヒトとクマの触れ合いが描かれていて、とても泣けますね。

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5.『人生はローリングストーン』(ジェームズ・ポンソルト監督、アメリカ)

 一夜にして時代の寵児になった人気純文作家(ジェイソン・シーゲル)と彼に内心嫉妬しつつも『ローリング・ストーン』誌の記者として密着取材する記者(ジェシー・アイゼンバーグ)、二人のクズ青年が織りなすステキなロードムービー

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6.『ディストラクション・ベイビーズ』(真利子哲也監督、日本)

 映画にあってのみ暴力はいいものですよね。
 ロジカルな暴力であればなお最高です。



7.『ボーダーライン』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、アメリカ)

 だって麻薬戦争ものですよ?

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8.『日本で一番悪い奴ら』(白石和彌監督、日本)
 日本で一番ピュアな青春映画。
 絵面としてはどう考えても間違っているけれど、雰囲気的には超感動、みたいな演出に弱い。



9.『ロブスター』(ヨルゴス・ランティモス監督、アイルランド・イギリス・ギリシャ・フランス・オランダ・アメリカ)
 結婚できない人間は動物に変えられる世界の話。
 このコンセプト一行で、ハイ優勝、てなりますよね。
 好きでもないサイコパスの女と付きあおうと頑張るシーンがとても良かったですね。
 『日悪』といい『ディスべ』といい『レヴェナント』といい、人間がその人なりに頑張ってる姿を見てると幸福になれます。

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10.『帰ってきたヒトラー』(デビッド・ベンド監督、ドイツ)
 『ボラット』みたいな半突撃ドキュメンタリー方式を取り入れた映画なんですが、主演のヒトラー役の人が真にすごいのは単に「ヒトラー」を演じているのではなくて、「『帰ってきたヒトラー』のヒトラー」を演じているところ。


裏スジ

1.『イット・フォローズ』(デイヴィッド・ロバート・ミッチェル監督、アメリカ)
 単体でもよろしいんですが、監督の前作である『アメリカン・スリープオーバー』と併せてみると二百万倍良くなりますね。



2.『マネー・ショート』(アダム・マッケイ監督、アメリカ)
 「論理的に考えれば確実に世界が崩壊するとわかるはずなのに、誰も理解していない。ポジショントーク的に『理解できないフリ』をしているのではなくて、本当に理解していない」という恐ろしい状況が歴史的な事実としてあった。
 そういう世界で方舟を作り始める男たちの話。

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3.『ワイルド・ギャンブル』(アンナ・ボーデン&ライアン・フレック監督、アメリカ)
 『人生はローリング』と並ぶクズ野郎ロードムービーオブザイヤー。ギャンブル狂いで家族を失った男を希代のクズ野郎俳優ベン・メンデルソーンが演じてるだけあって、クズ野郎度ではこちらの方が断然上。

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4.『さざなみ』(アンドリュー・ヘイ監督、イギリス)
 元カノを忘れられないおじいさんと元カノを忘れられないおじいさんにヤキモキするおばあさんの話。
 人生において既になされてしまった決定的な選択を、やりなおそうにももう遅すぎる歳になってから悔やみだす。詮ないな、と他人からすれば思うけれども、そういう詮ないことに悶々となってしまうのが老いというものなのかもしれません。

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5.『マジカル・ガール』(カルロス・ベルムト監督、スペイン)
 気軽に祈ったり願ったりすると大変なことになるから気をつけようね、というヤクザ映画。

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6.『キャロル』(トッド・ヘインズ監督、アメリカ)
 何もかもがグラマラス。

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7.『ヘイル・シーザー』(コーエン兄弟監督、アメリカ)
 ジョシュ・ブローリンが頑張ってると観ているこちらも笑顔になりますよね。

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8.『COP CAR』(ジョン・ワッツ監督、アメリカ)
 焦ったおっさんが下着姿で必死に走ってる姿をロングショットで撮るとなんだかいい具合になるという発見。



9.『ブリッジ・オブ・スパイ』(スティーヴン・スピルバーグ監督、アメリカ)
 アメリカ人が信じなくなったアメリカの神話についてのおはなしで、これを観てると『ズートピア』とかの理解が容易になります。



10.『タンジェリン』(ショーン・ベイカー、アメリカ)
 人探し映画はいいよね。

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*1:まあ、あるんですが

*2:パンフのインタビューで香川照之が言ってた

2016年6月注目の新刊三十冊

新刊チェック

d.hatena.ne.jp

蓮實重彦『伯爵夫人』新潮社

伯爵夫人

伯爵夫人

世界の均衡は保たれるのか? エロスとサスペンスに満ちた文学的事件! 帝大入試を間近に控えた二朗は、謎めいた伯爵夫人に誘われ、性の昂ぶりを憶えていく。そこに容赦なく挑発を重ねる、従妹の蓬子や和製ルイーズ・ブルックスら魅力的な女たち。しかし背後には、開戦の足音が迫りつつあるらしい――。蠱惑的な文章に乗せられ、いつしか読者は未知のエクスタシーへ。著者22年ぶりとなる衝撃の長編小説。

 例のアレ。蓮實センセが小説を前に書いてたことを初めて知った。

ハビエル・マリアス『執着』東京創元社

執着 (海外文学セレクション)

執着 (海外文学セレクション)

30代の編集者マリアが、毎朝カフェで見る仲のよい夫婦。その夫がホームレスにメッタ刺しにされて死亡。その後、親しくなった未亡人から、夫の親友だったという男を紹介されるが、未亡人仲の良いその男とマリアは関係を持つように……。ある日男の部屋でマリアは、客と男の驚くべき会話を耳にする! 事件は通り魔殺人ではなかったのか? 三角関係の精算? それとも嘱託殺人? 愛とは? 人間とは? 読者を知的妄想に引き寄せる。ミステリ仕立ての愛をめぐる考察。

 なぜか日本で映画化された『女が眠る時』などのスペインの俊英ハビエル・マリアス最新作。

J・M・クッツェー『イエスの幼子時代』早川書房

イエスの幼子時代

イエスの幼子時代

過去を捨てた男は、少年と出会い、断ち切れない絆を知る――。

初老の男が5歳の少年の母親を捜している。2人に血の繋がりはなく、移民船で出会ったばかりだ。彼らが向かうのは、過去を捨てた人々が暮らす街。そこでは生活が保障されるものの、厳しい規則に従わねばならない。男も新たな名前と経歴を得て、ひとりで気ままに生きるはずだったが、少年の母親を捜し、性愛の相手を求めるうちに街の闇に踏み込んでゆく。
たくらみと可笑しさのつまった、ノーベル文学賞作家の新境地。

あらすじのかぎりでは、キリストのバイオグラフィー的作品ではないっぽい。

『新編・日本幻想文学集成 第1巻』国書刊行会

安部公房 (著), 倉橋由美子 (著), 中井英夫 (著), 日影丈吉 (著), 安藤礼二 (編集), 山尾悠子 (編集), 高原英理 (編集), 諏訪哲史 (編集)

豪華な選者に贅沢な著者、極上のアンソロジー。

『明治深刻悲惨小説集』講談社文芸文庫

死、貧窮、病苦、差別――
明治期、日清戦争後の社会不安を背景に、人生の暗黒面を見据え描き出した「悲惨小説」「深刻小説」と称された一連の作品群があった。
虐げられた者、弱き者への共感と社会批判に満ちたそれらの小説は、当時二十代だった文学者たちの若き志の発露であった。
自然主義への過渡期文学」という既成概念では計れない、熱気あふれる作品群を集成。

こういうゲスの極みみたいなタイトルのアンソロに惹かれないわけがない。

マキシーン・ホン・キングストン『〈村上柴田翻訳堂〉チャイナ・メン』新潮社

チャイナ・メン

チャイナ・メン

19世紀から20世紀にかけてアメリカを目指して海を渡った中国人たちがいた。鉄道建設や鉱山労働に従事し、アメリカの繁栄の礎を築いたが、深い沈黙の向こう側へと泡のように消えていった――。その末裔として生まれた女性作家が、声なき声に顔と名前を与え、想像力と幻想で神話的に紡いだ一族の物語。伝説の翻訳家の訳も冴えわたる全米図書賞受賞作品。『アメリカの中国人』改題。《村上柴田翻訳堂》シリーズ。

例の翻訳堂シリーズ。片っ端から読んどきゃ良い安心感。

ジェシカ・ジュリアス『The Art of ズートピア

ジ・アート・オブ ズートピア: THE ART OF ZOOTOPIA

ジ・アート・オブ ズートピア: THE ART OF ZOOTOPIA

ズートピア』のアートオブ本待望の邦訳。
ディズニー映画のアートオブ本としては異例の速度。ちなみに『アーロと少年』のアートオブ本も同日発売。

池上英洋他『美少年美術史』ちくま学芸文庫

美少年美術史: 禁じられた欲望の歴史 (ちくま学芸文庫 イ 55-3)

美少年美術史: 禁じられた欲望の歴史 (ちくま学芸文庫 イ 55-3)

神々が愛したかわいくエロティックなクピドたち。古代の英雄や皇帝たちを狂わせ、歴史の運命を大きく動かした少年愛のめくるめく世界。中世キリスト教社会で、激しい抑圧のなか密かに紡がれた同性愛的嗜好。そしてルネサンス期を迎え、ふたたび花開く男たちの肉体美―。西洋美術には美少年を描いた傑作が数多く存在する。彼らはなぜこれほどまでに芸術家たちを虜にし、その創造力をかきたててきたのか?ときに勇ましく、ときに儚げに描かれたその姿に、人類のどのような欲望が刻み込まれているのか?アート入門としても最適。カラーを含む200点以上の図版とともに辿るもうひとつの西洋史。

西洋美術解説業池上先生の最新耽美。「美少年」とついてればみんな買うと思ってまたあ。

東禹彦『爪 改訂第2版』金原出版

爪 基礎から臨床まで 改訂第2版

爪 基礎から臨床まで 改訂第2版

爪の基礎的な知見、ならびに現在の爪疾患に関する臨床的知見・治療法をまとめたロングセラーテキストの改訂版ついに刊行! 50年にわたり爪疾患の原因や治療法に関する研究を行う爪のスペシャリストの決定版。陥入爪・巻き爪に対する多くの治療法の登場,治療可能となった厚硬爪や爪甲鉤彎症についても追加し、本邦美容業界のジェルネイルの普及もふまえて解説・文献の追加を行っ。QOL の改善に役立つ、関係者必携の書。

充実した爪解説。

山岡重行『腐女子の心理学 彼女たちはなぜBL(男性同性愛)を好むのか?』福村出版

腐女子の心理学 彼女たちはなぜBL(男性同性愛)を好むのか?

腐女子の心理学 彼女たちはなぜBL(男性同性愛)を好むのか?

「本書は社会心理学とパーソナリティ心理学の観点から、オタクと腐女子を研究した結果をまとめたものである。オタクとはどのような人物なのか、腐女子とはどのような人物なのか、その一端を明らかにすることを目的とする。客観的なデータを収集し、そのデータを統計学的に分析し、その分析結果からオタクと腐女子の心理と行動を考察していくものである」(「まえがき」より) 「腐女子」とは何者なのか? オタクとはどう違うのか? 大学生1万人以上の統計調査をもとに、心理学の方法論でその客観的な姿を描き出す若者文化・サブカルチャー研究。

 こういう系は面白さ的な意味で当たり外れデカいんですが、さて。

ロザリー・L・コリー『高山宏セレクション〈異貌の人文学〉 シェイクスピアの生ける芸術』白水社

シェイクスピアの生ける芸術 (高山宏セレクション〈異貌の人文学〉)

シェイクスピアの生ける芸術 (高山宏セレクション〈異貌の人文学〉)

英国ルネサンス最大の作家シェイクスピアの豊饒な文学世界を驚異的な博識と綿密な読解で様々な角度から解き明かした名著、待望の邦訳。

 没後400周年記念ということで各所で地味にシェイクスピア祭りが盛り上がっております。河合先生の『シェイクスピア大図鑑』も要チェキ。

中島隆信『高校野球の経済学』東洋経済新報社

高校野球の経済学

高校野球の経済学

「本書の目的は、高校スポーツの一つに過ぎない高校野球が100年の長きにわたって続いてきた理由について、経済学的思考法を用いて体系的に説明することである。」(本書「はじめに」より)

こういう系も当たり外れデカイんですが、さて。

フランコモレッティ『遠読 〈世界文学システム〉への挑戦』みすず書房

遠読――〈世界文学システム〉への挑戦

遠読――〈世界文学システム〉への挑戦

西洋を中心とする文学研究/比較文学ディシプリンが通用しえない時代に、
比較文学モレッティが「文学史すべてに対する目の向けかたの変更を目指」して着手したのが、
コンピューターを駆使して膨大なデータの解析を行い、文学史を自然科学や社会学の理論モデル
(ダーウィンの進化論、ウォーラーステインの世界システム理論)から俯瞰的に分析する「遠読」の手法だ。

みすずから出てるわりにむちゃくちゃ胡散臭そうな理論なんですが、そのあやしさが興味を掻き立てる。

今野真二『ことば遊びの歴史』河出書房新社

なぞなぞ、掛詞、折句、判じ絵、回文、都々逸……面白いことばあそびを紹介しながら、日本語という言語の仕組みを解き明かす。

今泉忠明『動物バトル図鑑 DVDつき』学研プラス

動物バトル図鑑 DVDつき

動物バトル図鑑 DVDつき

最強生物たちのド迫力バトルが図鑑になった!
ディスカバリーチャンネルの豪華90分映像がスゴい!

なんか動画付き動物図鑑がブームなのか、今月はやたらそういう本が出てます。
そのなかでもコンセプトがダイレクトアタックしてくるのがこれ。

鈴村和成『〈フィギュール彩〉三島SM谷崎』彩流社

三島SM谷崎(仮) (フィギュール彩)

三島SM谷崎(仮) (フィギュール彩)

三島のマゾヒズム、谷崎のサディズムノーベル賞候補者としてのライヴァル関係を はじめとする深い因縁関係にありながらも、 これまであまり関係性を論じられることのなかった 三島由紀夫谷崎潤一郎。 谷崎作品に重ねられる三島の実生活、 三島作品と谷崎作品に登場する女性の意外な共通性、 福島次郎との同性愛から解く三島像…… サディストの三島由紀夫、 マゾヒストの谷崎潤一郎のイメージを覆す新たな文学論。 S(サディズム)とM(マゾヒズム)の視点から、 文面下に隠された二人の真性を暴き出す!

なかなかどうしてゲスい感じの切り口ですが、ちゃんとした文学者の本です。

永井義男『江戸の売春』河出書房新社

江戸の売春

江戸の売春

吉原、江戸四宿(品川、新宿、千住、板橋)から、岡場所、夜鷹、舟饅頭、比丘尼まで、江戸の性愛の実態。図版多数。

『江戸の糞尿学』『江戸の下半身事情』など下世話な江戸話を多数出版してきた永井先生にようやく時代が追いついてきた。

森達也『オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ』角川文庫

職業=超能力者。ブームは消えても、彼らは消えてはいない。
超常現象、その議論は「信じる・信じない」という水掛け論に終始していた。
不毛な立場を超え、ドキュメンタリー監督がエスパー、超心理学者、陰陽師、メンタリスト等に直撃!!

佐村河内ドキュメンタリー『FAKE』が話題沸騰中の森達也監督のフェイカーインタビュー集が文庫化。
kindle版の値段が単行本版のときのままなのでさっさとアジャストしていただきたい。

橋本道範『再考ふなずしの歴史』サンライズ出版

再考ふなずしの歴史

再考ふなずしの歴史

日本最古のスシと言われているふなずし。でも本当にそうなのかという疑問を解くため、中世・近世のふなずしに関する文献をつぶさに調べた研究者達。それだけでは納得せず、アジアのナレズシ文化圏の論考から、現在のふなずしの漬け方のアンケート調査、ふなずしの成分分析結果まで収録。ふなずしと聞いただけで、あのにおいと味を思い出す人にはたまらない、まるごとふなずしの本。

ふなずしについて考えるだけでも大変そうなのに、再考となればなおさらに大変そう。

TJイングリッシュ『マフィア帝国 ハバナの夜 ランスキー・カストロケネディの時代』さくら舎

マフィア帝国 ハバナの夜 ―ランスキー・カストロ・ケネディの時代

マフィア帝国 ハバナの夜 ―ランスキー・カストロ・ケネディの時代

バティスタ独裁政権下のキューバの首都ハバナは世界有数の享楽の都だった。豪華なカジノホテル、
華麗なショー、一獲千金のギャンブル、赤裸々なセックスと女、流行のラテン音楽を求めて、世界中
から大勢の観光客やセレブが訪れた。それらの〝ビジネス〟を取り仕切ったのが、ランスキー率いる
アメリカマフィアだ。マフィア随一の頭脳派ランスキーは、この地にマフィアの犯罪帝国を打ち立てた。

バティスタを巨額賄賂で取り込む一方、敵対マフィアを暗殺し権力集中をはかるランスキー。だが、
マフィアたちの野望の前に、バティスタ打倒を掲げるカストロの革命軍が現れた--。

ニューヨークタイムズ・ベストセラー! 1959年のキューバ革命の裏にあったマフィアの策動を描く犯罪
ノンフィクション! 有名マフィア多数登場! 衝撃の口絵8ペーシ゛つき! 『ゴッドファーザーII』の真相が
いま明らかに!

ちょっと古い時代の話ですが、アツそう。

鳴沢真也『へんな星たち 天体物理学が挑んだ10の恒星』ブルーバックス

宇宙には、こんな星たちが実在している!
フィギュアスケートの選手みたいにイナバウアーしている
☆恒星のくせにバカバカしいほど長い尾を引きずっている
★墨を吐いて自分の姿をくらますタコなやつ
蚊取り線香みたいなやつ
遠距離恋愛のカップルが久しぶりに会ったような盛り上がりのペア
☆盛り上がりすぎてついにくっついてしまったペア
★世界中の天文学者が推理バトルを繰り広げた謎の幽霊星 ほか

変な星集。間口が広そう。

ベルンハルト・ホルストマン『野戦病院ヒトラーに何があったのか 闇の二十八日間、催眠治療とその結果』

野戦病院でヒトラーに何があったのか: 闇の二十八日間、催眠治療とその結果

野戦病院でヒトラーに何があったのか: 闇の二十八日間、催眠治療とその結果

ヒトラーは1918 年10月第一次大戦末期ベルギー戦線で毒ガス攻撃に遭い失明し、ドイツ東部のパーゼヴァルク野戦病院に収容される。そこで精神医学の権威エドムント・フォルスター教授に催眠治療を施され回復した。
戦争が終わりミュンヘンに現れたヒトラーは以前の「卑屈で目立たない」男ではなく、異様な目の光を持った政治家・大衆煽動者に変貌していた。
パーゼヴァルクの28日間に何があったのか。独裁者を誕生させた決定的瞬間に光を当て、これまで多くの歴史書が見逃してきた20 世紀最大のミステリーを解き明かす。

一ヶ月に一冊はある、ガチそうな精神医学ノンフィクション枠。

長澤均『ポルノ・ムービーの映像美学 エディソンからアンドリュー・ブレイクまで 視線と扇情の文化史』彩流社

ポルノ・ムービーの誕生から、倫理コードとの知られざる攻防、
いつどこでどのように公的に認められ、
映画史のなかで発展していったのか?
「視線(まなざし)」と「扇情」をキーワードに
その光芒史を体系化する野心作!

なかなか網羅的な研究がなさそうな分野だけに期待も高い。

小山友介『日本デジタルゲーム産業史 ファミコン以前からスマホゲームまで』人文書院

黎明期から現在まで40年におよぶ、日本におけるデジタルゲーム産業の興亡を描き出した画期的通史。アーケードやPCも含む包括的な記述で、高い資料的価値をもつとともに読み物としても成立させた、ビジネスマン・研究者必読の書。

バーニー・サンダースバーニー・サンダース自伝』大月書店

バーニー・サンダース自伝

バーニー・サンダース自伝

アメリカ大統領選挙で快進撃!
庶民や弱者に味方し、大胆な経済政策と政治改革を掲げて全米の若者を夢中にさせているバーニー・サンダース
草の根の民主主義にこだわり、無所属をつらぬいてきた「民主的社会主義者」のユニークな政治家人生を記した自伝。
推薦 荻上チキさん(評論家・「シノドス」編集長)

 結局ヒラリーに負けちゃいましたが、一躍日本でも名をあげたサンダースさんの伝記です。

長谷川裕也『靴磨きの本』亜紀書房

靴磨きの本

靴磨きの本

磨きの基本からトラブル対処まで、靴磨き専門店・Brift H代表 長谷川裕也が教える靴磨きのA to Z

靴磨き指南本自体はそんなにめずらしいもんでもないけれど、「靴磨き界のホープ・長谷川裕也氏」という肩書に何か強い「力」を感じる。

トマス・ペン『冬の王 (仮) ヘンリー七世と黎明のテューダー王朝』彩流社

冬の王 (仮): ヘンリー七世と黎明のテューダー王朝

冬の王 (仮): ヘンリー七世と黎明のテューダー王朝

野望! 権謀術数! 愛と憎しみ、欲望と策謀が渦巻く激動の時代を制した イギリス・テューダー王朝創始者ヘンリー七世の謎めいた生涯! イギリス薔薇戦争(1455-85)を制し、 相争った白薔薇(ヨーク家)と赤薔薇(ランカスター家)を和解させて王座に登極、 国内に安定をもたらしたテューダー朝創始者ヘンリー七世。 中世的国家からの脱却、イギリスという国家の基盤作りなど歴史的偉業をなしながら、 シェイクスピア戯曲でも有名なリチャード三世とヘンリー八世(カリスマ的大悪党! ?)の 時代に挟まれ、これまで謎に包まれた人物とされてきた。 春に戴冠しイギリスを花開かせたヘンリー八世に先行し 「冬の王」とされる彼のミステリアスな性格、スリリングな生涯を新事実もまじえて明らかに! イギリスで発表時に、各メディア(デイリー・テレグラフ、ガーディアン、サンデー・テレグラフサンデー・タイムズ、タイムズ文芸附録、ファイナンシャル・タイムズ、BBCヒストリー)が 「今年の本(ブック・オブ・ザ・イヤー)」(2011 年)に選出した話題の書!

 ブックオブザイヤーという言葉に弱い。
 彩流社の本に「(仮)」ってついてるとちゃんと予定通り出るか不安なんですけれども。

アダム・ハート=デイヴィス『世界の歴史大図鑑 増補改訂版』河出書房新社

世界の歴史 大図鑑[増補改訂版]

世界の歴史 大図鑑[増補改訂版]

人類全史が一冊に収まったオールカラー大図鑑。混迷の現代世界にいる私たちは「歴史」から多くを学びとれる。2007年以降の世界の出来事を含め、全項目を増補・大改訂した決定版!

15000円で人類史が把握できるんなら安い買い物じゃないでしょうか。

エドワード・O・ウィルソン『ヒトはどこまで進化するのか』亜紀書房

ヒトはどこまで進化するのか

ヒトはどこまで進化するのか

脳の増大とともに社会性を発達させ、地球を支配してきた人類はどこへ向かうのか。
ピューリッツァー賞を2度受賞した生物学の巨人が、社会性昆虫の生態、フェロモンによるコミュニケーション、極限環境に棲む微生物から、地球外生命体の可能性、宗教の弊害、意識と自由意志の先端研究までを論じ、「なぜ人間が存在するのか」の謎に挑む。
2014年度「全米図書賞」最終候補作品!

全米図書賞というワードに弱い。似たようなテーマの本が月初めにも出ていた気がする。

モーテン・ストーム『イスラム過激派二重スパイ』亜紀書房

テロ組織の内部事情を最も知る男によるスパイ活動の全貌
デンマーク生まれの鬱屈を抱えた白人青年は、偶然出会ったアッラーの教えに救いを見出し、イスラム過激派に傾倒していくが、やがて民間人の殺害を肯定するジハード主義への拭えぬ違和感から、その「大義」に疑問を抱いて棄教。
その後、情報機関の接触を受け、CIAやイギリス、デンマークのスパイとなり、テロとの戦いの最前線に立つ。過激派の大物たちとの交流、危険きわまりない砂漠での暗殺作戦、情報機関の暗躍、裏切り。スパイ活動の内幕と波乱万丈の体験を赤裸々に語る。

亜紀書房今月の本命。日本でも傭兵として参戦した人の体験記が出てちょっと話題になりましたが、こちらはどっぷりと内部に入ってしかも二重スパイまでやった人の話。