名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


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『君の名は。』はアカデミー賞を穫れるか? :今年の有力海外アニメ映画の状況

 結論からいうと、たぶん無理。


『君の名は。』オスカー候補に名乗り!第89回アカデミー賞長編アニメ部門の審査対象作品に - シネマトゥデイ


 この一報を目にしたとき、「正気か?」と関係者の判断を疑った。
「『君の名は。』がオスカー穫れる実力なんてあるわけないじゃん」と言いたいわけではない。
 個人の感想はあるだろうれど、『君の名は。』が今年の日本アニメ界を代表する作品であることは間違いないし、数少ない海外批評家レビューや一般観客の評価でも大絶賛されている。
 世界のミヤザキの後継者筆頭として、例年ならば、受賞は時期尚早にしてもノミネートくらいされていたかもしれない。例年ならば。たとえば、『ベイマックス』が受賞したような年であれば。

 今年は、ヤバい。
 面子がすごい。

 去年が神心会空手の全国大会だとすれば、今年は最大トーナメントに最強死刑囚編と大擂台賽編をあわせたくらいヤバい。


 そういうわけで今年の海外アニメ全選手入場ッ!

アメリカ国内スタジオ組

 もともと激戦は予想されていた。

 なにせアナ雪(2013年度受賞)と『ベイマックス』(2014年度受賞)で二年連続のオスカー獲得を果たし、完全復活を遂げたディズニーが満を持してズートピア(Zootopia)』『モアナと伝説の海(Moana)』という二大大作をぶちこんでくるスケジュール。

『ズートピア』予告編

『モアナと伝説の海』予告編


 絶対王者ピクサーも負けじとオスカー受賞作*1ファインディング・ニモ』の続編、ファインディング・ドリー(Finding Dory)』へ二度の受賞経験*2を持つベテラン、アンドリュー・スタントン監督を投入。

「ファインディング・ドリー MovieNEX」予告編


 この二大スタジオだけでノミネーション枠五枠のうち三枠は埋まるだろう。
 年度開始時点ではそう予想されていた。そして、実際に『ズートピア』と『ドリー』は記録的なメガヒットを飛ばし、両作とも全世界興収で十億ドルを突破した。十億ドルである。円ではない。ドルで、十億。米国内だけの興収を観ても、現時点で『ドリー』が約四億八千五百万ドルで堂々の第一位。『ズートピア』も『バットマン vs スーパーマン』を上回って約三億四千百万ドルで第六位にランクインしている。
 当然ながら、両者ともに批評家の評価も高い。特に『ズートピア』は全米の映画批評家の実に九十八%が支持*3しており、公開当初は「今年はこれで決まり!」の声も高かった。
 『モアナ』はまだ日米ともに未公開であるが、スタッフからキャストまで『ズートピア』以上の豪華メンツを集め、前評判は相当に高い。今年の上半期に公開したために印象の薄れてしまいがちな『ズートピア』の先行をひっくりかえして、一気に受賞本命となる可能性も大いにありうる。


 ところが、ディズニー/ピクサーのライヴァルたちも今年はなぜか気合が入りまくっている。

 米国内のスタジオとしてはディズニーに肩をならべるノミネート常連であるドリームワークス。
 ドリワはディズニーのハワイアンミュージカル『モアナ』に対抗すべく、歌手のジャスティン・ティンバーレイクアナ・ケンドリックといったミュージカル映画で既に確固たる評判を確立した鉄板俳優を主演声優に据え、名曲カバーとオリジナル楽曲の二正面ミュージカル『Trolls』を制作。
 アメリカではつい先週公開され、マーベルの話題作『ドクター・ストレンジ』に続き二位にランクインした。批評家の反応も上々だ。特にサントラは高評価を受けている。主題歌はアカデミー歌曲賞へのノミネートが有力視されている模様。

TROLLS | Official Trailer #1


 また、ドリワは一月に『カンフーパンダ』シリーズの最新作『カンフーパンダ3(Kung Fu Panda 3)』を公開し、世界興収五億ドル(国内一・四億)を達成。広範に支持を獲得しており、「シリーズ最高傑作」の呼び声も高い。今となってはすっかりかすんでしまった感があるけれどもまあがんばれ。

映画「カンフー・パンダ3」予告1


 米国内スタジオでは過去作すべてでノミネーションを経験しているストップモーションアニメ界の雄、ライカ(『コラライン』や『パラノーマン』など)を忘れてはいけない。
 悲願の初オスカーを狙うライカはジャポネスク趣味に振った渾身の大作『Kubo and Two Strings』を発表。これが元々評価の高かったライカでもずばぬけた会心作として批評家筋で絶賛を受け、オスカー戦線の大本命に躍り出た。ジャポネスクがオスカー戦線で強いのは『千と千尋の神隠し』と『ベイマックス』で証明済み。

KUBO AND THE TWO STRINGS - Official Trailer [HD] - In Theaters August 2016


 新作をリリースするごとに総スカンを食らってきたガッカリの殿堂ソニーも今年は何かが違う。
 そう、現在日本でも公開中の『ソーセージ・パーティ(Sausage Party)』があるからだ。
 アメリカコメディ界で猛威を奮うセス・ローゲン&アキヴァ・ゴールズマンのコンビ(『ディス・イズ・ジ・エンド』等)が初のアニメに挑戦した本作は、そのお下劣ネタの嵐で下ネタ大好きなアメリカ人から賞賛を浴びまくった。

映画 『ソーセージ・パーティー』 予告

 これも日本で現在公開中だが、コウノトリ大作戦!(Storks)』も忘れちゃいけない。
 ピクサーお家芸である疑似家族・子育て系ロードムービーにしょーもないスラップスティックギャグをまぶした正統派家族向けアニメである。こちらもセス・ローゲンらと同じ「アメリカ・コメディ界のゴッドファーザー」(by 長谷川町蔵ジャド・アパトー一派出身のニコラス・ストーラー監督。

映画『コウノトリ大作戦!』本予告【HD】2016年11月3日公開

 ちなみに同じトリネタだと『アングリーバード(Angry Birds)』もあったけど……まあこれは無理か。


 『怪盗グルー』のフランチャンズでヒットメーカーとしてのしあがり、次世代のピクサーの呼び声も高いユニバーサル傘下イルミネーション・スタジオからはキュートな二作品がエントリー。
 このうちペットたちの知らざる日常と冒険を追った『ペット(The Secret Life of Pets)』は国内三・六億ドル(世界八・七億ドル)を稼ぎ、国内興収ランキングでは目下のところ『ジャングル・ブック』を二百万ドルの僅差で抑えて年間三位にランクイン。ディズニー勢の一位二位三位独占を阻んでいる。
 米国屈指のドル箱スタジオであるにもかかわらず、賞レースではあまり恵まれてこなかったイルミネーションだが、『ペット』は作品としての評価も高いだけに期待が持てる。

映画『ペット』吹替版予告編

 しかし、イルミネーションの本命はなんといってもミュージカル映画『SING/シング(SING)』だろう。『銀河ヒッチハイクガイド』や『リトル・ランボーズ』といった実写映画でカルト的人気を博すガース・ジェニングスを監督・脚本に迎え、主演にマシュー・マコノヒー、助演にリース・ウィザースプーンセス・マクファーレンスカーレット・ヨハンソンジョン・C・ライリー、タロン・エジャートン、レスリー・ジョーンズといった超豪華声優陣で同じく有力ミュージカルである『モアナ』や『Trolls』を迎え撃つ。一説には、エドガー・ライトウェス・アンダーソンカメオ出演するとか。本気だ。
 先行レビューでの評判も上々だが、一方でトロント国際映画祭ではあまりウケがよくなかったなどの不安材料もある。

映画『SING/シング』日本語吹替え版 特報


 昨年、『I LOVE スヌーピー(Peanuts the movie)』でゴールデングローブ賞ノミネートを果たした21世紀フォックス傘下ブルー・スカイ・スタジオだが、アメリカの主要スタジオでは唯一元気がない。『アイス・エイジ』シリーズ五作目となる『Ice Age: Collision Course』は批評的にも興行的にも大失敗してしまった。これでシリーズは打ち止めか?

 あと独立プロダクション系は情報少ないのでよくわからないんですが、1966年に起きたテキサスタワー銃乱射事件を描いたアニメドキュメンタリー『Tower』が今年公開された映画全体の中でもトップクラスの評価を受けてます。

www.youtube.com

 ただ、これはアニメ枠じゃなくて長編ドキュメンタリー部門行くかなあ。


ヨーロッパからの刺客

 長編アニメーション賞では「ヨーロッパ枠」とでも呼ぶべきか、毎年必ずヨーロッパ系アニメが毎年一作はノミネートされる。暗黙の了解みたいなものだけれど、大変に意義のある文化的なコンセンサスでまことにけっこうだと存じますが、こういう福祉のせいで『レゴ・ムービー』みたいな作品がノミネートを逃すこともあると思うと結構複雑。
 逆にゴールデングローブ賞みたいにアメリカ作品オンリーイベントみたいな顔ぶれになられてもそれはそれでアレなんですが。


 ヨーロッパの雄フランス勢は2010年代に入ってから『イリュージョニスト(L'Illusionniste)』(2010年)、『パリ猫ディノの夜(Une vie de chat)』(2011年)、『アーネストとセレスティーヌ(Ernest et Célestine)』(2013年)とノミネート作を三作品輩出している。
 あにはからんや、今年はそのフランス勢が史上稀に見る大豊年だ。

 まず有力視されているのが世界最大規模を誇る国際アニメーション映画祭、アヌシー国際アニメーション映画祭で2015年に最高賞に輝いた『April and the Extraordinary World(Avril et le Monde Truqué)』だ。スチームパンクな世界観の十九世紀パリを舞台に想像力豊かかつエレガントに描き出した活劇は、すでにアメリカでも多数の評論家から最高級の支持を獲得している。

April and the Extraordinary World Trailer 1 (2016) - Animated Movie HD


 その『April』を2016年のセザール賞(フランスのアカデミー賞に相当)の長編アニメーション賞で破ったのが日本でも昨年公開された『リトル・プリンス 星の王子さまLe Petit Prince)』だ。サン=テグジュペリの名作寓話を原作にした『カンフー・パンダ』のマーク・オズボーン畢生のプロジェクト。製作国こそフランスだが、俳優は英語圏の有名俳優がずらりとならんでおり、当然劇中で話される言語も英語。
 その評価の高さにもかかわらず、アメリカでは配給元が見つからなかったせいで公開が遅れてしまい、一時はお蔵入りさえ危ぶまれたが、我らが NETFLIX が男気を見せて配給を買って出た。
 そういう経緯もあってか、日本でもNETFLIXで観られるようになっている。

映画『リトルプリンス 星の王子さまと私』日本語吹替版予告編【HD】2015年11月21日公開


 この二作に負けず劣らずの評判なのが2016年のアヌシーで最高賞をかっさらった人形アニメ『My Life as a Zucchini(Ma vie de courgette)』。すでに鑑賞した数少ない批評家のあいだでは『君の名は。』に劣らぬ大絶賛を浴びている。アヌシーの異なる年の覇者が同年度内にぶつかりあう椿事もまた二〇一六年度の魔性ゆえか。

My Life as a Courgette / Ma vie de Courgette (2016) - Trailer (English Subs)


 だが、フランス勢の真打ちはなんといっても日本でも(おもにスタジオ・ジブリ製作と圧倒的な不入りで)話題になった『レッド・タートル』だろう。厳密にはフランスと日本の共同制作だが、監督はフランス人。先のカンヌ国際映画祭ではある視点部門*4で特別賞を獲得。前評判の高さは折り紙付きだ。その息を呑む映像美と映画的表現でどれだけの観客を魅了できるか。

『レッドタートル ある島の物語』予告


 ヨーロッパ勢のダークホースともいえるのは、フランス・デンマーク共同制作の『Long Way North(Tout En Haut Du Monde)』。北極点を目指す途上で行方不明になった祖父を探すため、勇敢な孫娘が旅に出る本作は、東京アニメアワードフェスティバル2016のコンペ部門でグランプリを獲得した。
 アメリカでは九月にひっそりと限定公開され、その独特のタッチと魅力的なアニメーションで高評価を獲得。賞レースの有力なコンテンダーのひとつにかぞえられる次第となった。

Long Way North Official Trailer 1 (2016) - Rémi Chayé Movie


 上記フランス五人衆からすれば格はやや落ちるものの、2015年の東京アニメアワードフェスティバルでコンペ部門優秀賞*5を獲った『Mune: Guardian of the Moon(Mune, le gardien de la lune)』もあなどりがたい。

Mune: The Guardian of the Moon Trailer (2015) HD


 2011年のアカデミー賞ノミネート作『パリ猫ディノの夜』の監督コンビ、ジャン=ルー・フェリシオリとアラン・ガニョルが放つスーパーナチュラル冒険物語『Phantom Boy』もアメリカですでに公開されて高い支持を得た。*6

Phantom Boy (2015) - Trailer English


 以上、このなかから最低一作は最終ノミネーション入りするものとおもわれる。が、別のヨーロッパ作品(イギリスあたり)や去年みたく南米からという手もあるので油断はできない。最近は中国アニメ(『Monkey Magic』あたり?)もがんばってることだし。乱入者は地下バトルにつきものである。
 カナダでもエル・ファニングデイン・デハーン主演バレリーナ映画『Ballerina』や、ジェイムズ・マーズデン主演のオリジナルスーパーヒーロー映画『Henchmen』の公開が控えていて、いまのところ評判は一切聞こえてこないもののおもしろそう。

 そういえば、今年は『ウォレスとグルミット』のアードマンスタジオはなにも出さないのかね。

日本代表たち。

 去年まで三年連続で最終ノミネーション入りを果たしていたジブリは死んだ。

 では日本の映画アニメーションもまた死んだのか?

 そうではない。そう謳うのは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国』の巨匠・原恵一だ。彼は敬愛する杉浦日向子の原作漫画をもとに大江戸ロマネスク百日紅(Miss Hokusai)』を送り出し、海外のアニメファンたちを江戸の虜にした。現状、日本勢で最終ノミネーション入りが最有力視されているのは本作である。

Miss Hokusai Official US Release Trailer (2016) - Animated Movie


 この予想に待ったをかけたのが我らが『君の名は。(Your Name.)』である。

君の名は。』は最最最終候補五作に残ることができるか?

 冒頭のリンク記事にもあるように、アカデミー賞の対象になるためには期間内、具体的にいえば今年の一月始から十二月末までのあいだにロサンゼルスの劇場で一定期間興行しなければならない。上に挙げた作品、特にヨーロッパ系だとその条件を満たせないものも出てくるかもしれない。

 で、その条件を満たした作品のなかからまず十数作がショートリストとしてしぼられる。去年は十一月の今の時期あたりにショートリストが出ていたような気もするけれど、今年はまだ見ない。

 そして、最終的にその十数作のショートリストから更に五作品を絞込み、二月の本番を迎えるわけだ。

 わたしたちの最大の興味はこの最終五作品にどれが残るか、だ。
 はじめに「『君の名は。』は無理目かも」といったけれど、絶望的に芽がないわけでもない。
 アメリカで受ける日本映画はオリエンタルな要素が強い。長編アニメーション賞の日本勢唯一の受賞作が『千と千尋の神隠し』であることを思い出していただきたい。
 そこへもってきて、『君の名は。』はど田舎の学園風景、TOKYOのゴミゴミとした雑踏、なんだかファンタスティックな神話要素などといったものがとにかく美しく描かれている。僕はアメリカ人じゃないのでアメリカ人の好みをよく知りませんが、なんかアメリカのお菓子とか見てると毒々しいまでにキラキラしてるし、きっとキラキラしたアニメも好きなんじゃないかな。

 このキラキラオリエンタル推しがハマれば、カブトムシの鎧武者とかが出てくる『Kubo and Two Strings』などはいくらアートワークが上等だろうと所詮エセ日本。モノホンのクールジャパンの敵ではないはず。たぶん。
 しかし、モノホンのクールジャパンといえばミス・ホクサイこと『百日紅』も控えているわけで、こちらはチョンマゲ、サムライの時代を扱っているだけあってよりオリエンタル感では強い。ゲエ―ッ、なんということだ、敵は身内にいたのか。

 もっともアートとエンタメがぶつかれば、エンタメが勝つのが長編アニメーション賞の風土だ。見た目にもわかりやすい『君の名は。』は『百日紅』より支持を得やすいことは明らかである。おや、意外と芽があるかんじになってきたぞ。
 こんな感じのノリで、三年連続ノミネートされてきたジブリ枠の浮いたところへ日本代表として滑りこめば意外とノミネートまではいけるかもしれない。
 いやいける。
 きっといけるぞ!
 うおーっ。

わたしの最終ノミネーション予想。

 そういうわけで以下が僕の最終候補五作品の予想です。


 『Kubo and Two Strings』
 『ズートピア
 『ファインディング・ドリー
 『レッド・タートル』
 『APRIL AND THE EXTRAORDINARY WORLD』

    • 次点---

『モアナ』
百日紅
『ペット』
『リトル・プリンス』
『Longways north』
君の名は。
『My Life as a Zucchini』


 受賞をあらそうならエンタメが勝つのが長編アニメーション賞だけど、日本勢に求められているのはアートなのよね……まあでもあっちの人からすれば『君の名は。』は全然アートかもしれない。
 それはともかく、『ドリー』は入るか微妙なんですよね。続編だし。アメリカアニメーション史上最高の興収をあげたからには入れないわけにはいかないと思いますが……。


 受賞は『Kubo』になったらいいなと思います。
 いいかげんライカアニメの日本でのほっとかれ具合がやばいので、受賞でもしてくれないと日本で公開してくれないのでは? という思いがあります。

追記

 ショートリスト27作品が発表されました。本選5本がこのうちから選ばれます。
proxia.hateblo.jp



The Art of Kubo and the Two Strings (The Art of...)

The Art of Kubo and the Two Strings (The Art of...)

*1:2003年度

*2:『ニモ』と『WALL-E』

*3:RottenTomatoes.com調べ

*4:コンペ部門の二部みたいなもん

*5:最優秀賞は『ソング・オブ・シー』

*6:日本でも広島国際アニメーションフェスティバルで上映されたそう。観たかったなあ。

10月に観た新作映画の短い感想。

一ヶ月分をまとめて書こうとすると結構内容忘れますね。



👎『ジェーン(Jane got a gun)』(ギャビン・オコナー監督)


「ジェーン」予告編

 なにかとマッチョな男ばかり画面にあふれがちな西部劇で、ひとつ女性を主題に据えて撮ってみようじゃないかとナタリー・ポートマンの肝いりで作られたらしい。ところが当初監督する予定だった監督が撮影数日前に突如降板してしまい、出演者のジョエル・エドガートンが急遽オコナーをひっぱってきて代打させることに。
 女性を主役に西部劇、といってもジョン・ウェインの魂をそのままポートマンに注入したようなノリではなくて、あくまで当時の女性のリアリティに沿って、どこまで書けるか挑んだもの。そういう意味で志は高い。志は高いけれども、作劇自体は不必要に回想シーンを多様する構成のせいで、なんというか全体に緩慢におちいっているきらいがあります。
 それでもドンパチシーンがしっかりしてりゃあいいかなと思っていると、二人 vs 十数人の包囲戦で、さあ、どうやって無双して逆境にはねかえしていくかとなったときに、庭に仕掛けた火薬やなんかを家のなかから撃って忍び寄るクソどもを炎上させてしまう。マップ兵器を使ってしまう。
 細腕の女性とエドガートンのタッグだとそんなもんですよ、と言いたかったんだろうけど、そこはポートマンなんだから、単騎で十人ぶち殺すくらいの気概が欲しい。っていうか、夫に重傷を負わせたクソやろうどもがやってくると知るや、おやかな妻の装いからシュッと雄々しいガンマンの装いへ変身する序盤のシーン見たら期待するでしょ。クソどもに勝つのもわりとスムースというか、あっさり風味だし。

 それでも、ジョエル・エドガートンがらみのシーンはよかったかな。クソどもの斥候を話術で交わしつつ撃つシーンの緊迫感、逆に広大な平原に潜む姿なき敵たちに撃ち抜かれるときの絶望。オコナーの悪い言い方を緩慢な、良い言い方をすると丹念でエモい演出は総体的にはマイナスだったと思うけれど、こういうところではある種の無常さを醸し出すのに貢献していた。*1
 キャラもいいしね。戦争に行って帰ってくると子どもを亡くし、奥さんを寝どられていた元夫。それが奥さんに懇請されて、奥さんと今の奥さんを助ける羽目になる。もちろん、簡単に呑み込める感情じゃない。最初は、重傷を負って寝込んでいる今の夫に地味な嫌がらせしたりしちゃう。こういう「小物感あるけど根は良い人」を演じさせるとエドガートンはハマる。
 そのエドガートンの特質をよく活かしたのが、『ザ・ギフト』だ。


👏『ザ・ギフト(The Gift)』(ジョエル・エドガートン監督)

映画『ザ・ギフト』 予告篇 スマートフォン版

 今月のベスト。
 プロデューサーとエクゼクティブ・プロデューサーにジェイソン・ブラムとジェイムズ・ワンを迎えたおおよそ間違いのない布陣で、しかも監督はジョエル・エドガートン。長編初監督ですが、短編はいくつか既に撮っていたそう。
 あんまり筋をバラせない系のお話なんだけれども、いちおう説明しとくと、ロサンゼルスの郊外に引っ越してきた夫婦(ジェイソン・ベイトマンレベッカ・ホール)が夫の高校時代の同級生だという怪しい男ゴード(ジョエル・エドガートン)と再会する。高校で生徒会長までつとめた人気者のベイトマンは、陰キャラだったエドガートンのことをよくおぼえていないのか、ひさしぶりの対面にもどこかぎこちない。「あいつは、まあ、良い奴だよ」と妻に紹介するセリフもふわふわしている。
 それをきっかけに、エドガートンは夫妻に対してプレゼントを送ったり、何度も訪問して些事を手伝ったりとやたら親身に接してくる。妻のホールは「ちょっとコミュ障っぽいけど、親切で良い人じゃない」みたいなスタンスなんだけど、夫のベイトマンはそんな彼女に対して「あいつは俺が会社で出ているのを知ってて、昼間にやってくるじゃないか。きっとお前を寝どろうとしているだ」とやたら刺々しい。
「知ってるか? あいつは高校時代『ウィアード・ゴード(キモいゴード)』ってあだ名つけられてたんだぞ」
「ひどいあだ名ね」
「高校生ってのはそんなもんさ。俺だって『シンプル・シモン(アホのシモン)』だった」
 ベイトマンの無神経さがにじみ出ていてなかなか生々しい。
 ともかく、ベイトマンは過剰なまでにエドガートンとの付き合いを拒絶する一方で、ホールは夫がエドガートンを遠ざけようとすればするほど憐れみからか彼に付き合ってあげようとする。
 観客は「ベイトマンはたしかにヤなやつだけど、まあでもリアルでああいう間合いの詰め方するコミュ障にあったら警戒するよな」と漠然と考える。成功したビジネスマンであるベイトマンに比べて、エドガートンはみすぼらしい格好をした正体不明の男。どう考えても無職。傍から見たら、一方的にベイトマンにすりよろうとしているようで、そういう人のキモさってあるじゃない?

 そんなこんなである晩、夫妻はエドガートンに食事へ招待される。ベイトマンはとうぜん行きたがらないんだけど、ホールの押しでしぶしぶ出席することに。教えられた住所に車を飛ばすと、そこに建っていたのはベイトマンや観客が予想もしていなかった豪邸だった……。
 ここから物語がものすごい勢いでドライブしだす。

 ネタバレをさけつつ評するならば、「ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれる」という道徳訓であり、「物語を利用するものを物語に仕返しされる」というビブリオフィリックな寓話でもある。お題目やひとつひとつの要素はシンプルだけど、その「ウソ」の描き方の深度がものすごい。ウソをつく方はどういう戦略にもとづいてウソをつくのか、ウソをつかれるほうはそれがウソだと気づいたときにどういう心情になるのか、それは人間関係にどのような影響をおよぼすのか、そのあたりのゲームを繊細にエドガートンは描いている。

 俺監督俺主演系の映画って、監督が自分の役者としてキャラクターを極端に勘違いしてるか、深く理解できているかのどちらかになるんだけれども、これは圧倒的に後者。
 善人と悪人、異常と正常のあいだを振り子のように行き来するゴードという人物。その得体の知れなさに、エドガートンという役者が完璧にフィットしているし、ひいては『ザ・ギフト』という複雑怪奇な物語に一貫した説得力を与えている。
 そして、なによりその存在感。冒頭の夫妻とブティックだか家具屋だかで邂逅するシーンで、楽しげにショッピングする夫妻の後方、大きなガラス窓の外でぼやけている人影。ほんとうにぼんやり映ってるだけなのに、ひと目で異様な雰囲気な発してるヤツがあそこにいるぞ!!! とわかるんですよね。あれはすごい。
 一歩間違えれば捻りすぎたしょーもないクソ映画になりそうな材料をよくここまで極上にしあげたものだ。ジョエル・エドガートンの才能はいくら賛美してもしたりない。(((まあ元々ぼくがジョエル・エドガートンびいきだという欲目もあるけれども))

 夫妻の夫役であるベイトマンも卓絶している。
 『モンスター上司』にしろ『アレステッド・ディヴェロップメント』にしろ、もとから気弱で受け身な巻き込まれ型なようでいて芯はクレイジーなキャラがうまいという印象はあったんだけど、本作ではそんな魅力を史上最高級に発揮している。ここもキャスティングの妙だとおもう。『ズートピア』に続いて、今年の主演男優賞ものだ。


👏永い言い訳』(西川美和監督)

映画『永い言い訳』本予告

 長い間本を書かずにテレビタレントと化していた小説家(本木雅弘)がスキー旅行へでかけた妻(深津絵里)の不在をいいことに、若い女(黒木華)と倫セックスにしけこんでいたら、突然岩手県警を名乗る男から電話がかかってきて「奥様がバスの事故に巻き込まれたようでして……」と言う。
 バスの事故? テレビのニュースでやってる滑落事故のことか? まさか? 妻は旅行に行くと言っていたけれど、たしか……たしか……どこへ行くと言っていたんだっけ?

 その通り、本木雅弘はクズ野郎だ。
 この映画は本木が美容師でもある深津絵里に髪を切ってもらうシーンからはじまるのだが、そこから観客に本木のクズ男っぷりが余すところなく提示される。
 鏡を見つめながら、耳で自分の出演しているバラエティクイズ番組の音声を聞いていた本木は深津に「観てないんだったら消せよ」と要求する。深津は本木が嫌がっていることをなかば了解しつつ、「え〜観てるもん」と冗談っぽく拒否する。ここまでなら仲のいい夫婦のじゃれあいだが、本木が「俺をバカにしてんだろ」とばかりにマジギレして無理やりテレビを消して、空気がなんとなく不穏になる。
 イライラしながら本木は、「幸雄くん」と自分の本名を人前で呼ぶのをやめるように深津に言う。本木の演じる男のフルネームは衣笠幸雄。元広島カープの「鉄人」衣笠祥雄と漢字違いの同姓同名だ。往年の名プレーヤーを想起させるこの名前が嫌で、小説家としては別にペンネームを持って、それで通すようにしていた。
 「そんなこと言われても、私にとって幸雄くんは昔から私にとって幸雄くんだし……」
 深津は本木と大学時代に知り合い、小説家デビュー以前から本木を支え続けた、世に言うところの糟糠の妻だ。そこも本木は気に入らないらしく、
「俺が食えなかったころに食わせてやってたのは誰だ? って言いたいわけか?」
 と妙につっかかる。
 自分の快不快で妻に対して物事をまかりとおそうとする様子は、亭主関白というよりはむしろ聞き分けのない子どものわがままっぽい。
 そういう印象を受けるのは、本木がブータレているあいだじゅうずっと深津に散髪してもらっているからだ。
 家で誰かに髪を切ってもらうのは、信頼と言うか甘えがないとできない。のちに判明することだけれども、本木は結婚以来ずっと深津に髪を切ってもらっていた。
 結局、本木は肥大化した自意識を深津のお母さん性に丸抱えしてもらっているだけのガキなのだ、彼が本当に関われる(と自分で思い込んでいる)のはと妻だけなのだ、この冒頭の五分そこそこだけで観客に飲み込ませる。

 で、その疑似お母さんを失った四十路の大きなこどもがどうやって社会(西川美和作品のナガレからいえば「世間」)と健全な関係を構築していくか。それを手探りで求めていく話だ。その過程で、妻とは自分にとってどういう存在であったのか、逆に自分とは妻にとってどういう存在であったのかがわかっていく。わかったところで死んでしまっているので、どうすればいいんだよってなるところはなんとも西川美和っぽいというか。

 まあ他にも同じ事故犠牲者遺族であり妻の友人の夫でもあった竹原ピストルの子どものお守りを代行することを通じて「そして父になる」っぽい感じなる筋もあるんだけど、そこでも本木のフェイク野郎感が露呈する瞬間が描かれていて佳い。もっとも、予想していたよりはずいぶん本木に対してやさしい仕上がりになっているけど。
 本木はヤなやつだし、テレビマンは無神経だけど、全体的に悪人がいない系のお話だ。みんながみんなが完璧にオトナや人間やっていけてるわけじゃないけど、でもパーフェクトでないことに絶望する必要はない。要はおもいやりなんだよ。想像力なんだよ。人と人の(適度でわきまえた)関わり合いなんだよ。そういう感じ。


 あと映像的には、テレビドキュメンタリーを撮影してる最中にカメラのまえでキレだした本木に対してタックルをかますマネージャー(池松壮亮)の水平な横運動、ある諍いからリビングを出ていった本木を追いかけるときに椅子を蹴ってガタンと立つ竹原ピストルの垂直方向の縦運動、そのふたつがやたら快楽的に、自分のフェティシズムの在り処がまたひとつわかった感じです。


👍『ディア・ホワイト・ピープル(Dear White People)』(ジャスティン・シミエン監督)


Dear White People (2/10) Movie CLIP - Dining Hall Dispute (2014) HD

Dear White People Official Trailer #1 (2014) - Comedy HD

 ネットフリックスで視聴。
 アメリカの名門大学の学生たちが調子こいてミンストレル・ショー(白人が顔を黒く塗った黒人の装いで行うショー)にちなんだ仮装パーティを開いてめっちゃ怒られた実話をもとにした黒人青春群像劇。
 エスタブリッシュメントを目指して「いい子ちゃん」ヅラするエリート学生、リアリティ・ショーに出演して名声を得ることを目論む Youtuber 女子、「ディア・ホワイト・ピープル」という学内ラジオ番組でえんえん白人をディスりまくるDJ(『クリード』でマイケル・B・ジョーダンの恋人役をつとめ、『マイティ・ソー』シリーズの新ヒロインにも内定しているテッサ・トンプソン)、記者志望のゲイ、といった個性豊かな面々が、学校のダイバーシティ推進方針にもとづいて白人学生も住むようになった元黒人学生寮を中心としてドラマを展開していく。
 かなり黒人差別問題にコンシャスな作品で、当然、ステロタイプに批判的だ。ただ、単純に「こういうステロタイプはよくないよね」と言うだけじゃなくて、「こういうステロタイプはよくないよね」と言明することによって生じるある種のアイデンティティポリティクスのあやうさや、逆にステロタイプジョークの種に使わないと白人社会でサバイブできない哀しさなんかも描かれていて、なかなか一筋縄ではいかない。ここのあたりのバランス感覚は映画としては無類だとおもう。
 白人側(名門大学だけあってガワだけはリベラル)の描写にも「もう十分"譲歩"したじゃないか、これ以上なにが望みなんだ」というポリコレ疲れが反映されていてとても現在的。挙句の果てに「おまえら黒人は本当は公民権運動前が懐かしいんだろ? 戦うべき相手がいるから」などと運動家の学生に言っちゃう。
 映画というメディアの特性か、『フルートベール駅で』やスパイク・リー作品みたいなバリバリ社会派でさえ、日本人から観てて黒人差別のリアリティは伝わりづらいところが多い。スラムを舞台にしたギリギリな状況の作品が多いからかもしれない。そんななかで、中流以上*2における現在的な黒人の肌感覚を憑依させてくれる映画はなかなか貴重だ。

 ちなみに、ネットフリックスはこの映画をドラマ化する予定らしい。監督は同じくシミエン。主演はタイラー・ペリー*3のテレビコメディなどに出演していたローガン・ブラウニングや、歌手のブランドン・ベルなど。こちらもたのしみ。


👍『13th 合衆国憲法修正第13条(the 13th)』(エヴァ・デューヴァネイ監督)

 ネットフリックスで視聴。
 サブタイトルの「合衆国憲法修正第十三条」とは奴隷制を禁止した修正条項のこと。もちろん、黒人奴隷を解放する意図にもとづいた条項で、エイブラハム・リンカーンが1865年に制定した。この憲法修正を議会にどう通すかの駆け引きを濃密に描いたのが、スピルバーグの『リンカーン』だった。
 解放されても差別は残り、残った火種がKKKだったりセグレゲーションだったりして、公民権運動につながっていく。そうした対立の歴史を乗り越えて、2008年、ついに初の黒人大統領が誕生し、合衆国民はいつまでも仲良く末永く暮らしましたとさ、めでたしめでたし……。

 もちろん、嘘だ。差別は残りつづけ、なんとなれば奴隷制が存続してさえいる。
 現代の奴隷制、それは刑務所だと本作は主張する。
 全世界の囚人の25%がアメリカ合衆国国内に収監されており、その大多数は黒人だ。これだけ聞くと「やっぱり黒人は貧しい人が多いから、それで犯罪に走りがちなんだろうなあ」と安易に考えがちだが、話はそう単純じゃない。
 アメリカの抱える超長期的かつ構造的な黒人抑圧の歴史が暴き出され、わたしたちが漠然と抱いていた「黒人差別って要するにこういうことだよね」というイメージが刷新されていく。
  
 アメリカでは早くも今年を代表するドキュメンタリー映画という評価を受けているようだけれど、かなりコントラバーシャルな作品だから『ハンティング・グラウンド』や『ゴーイング・クリア』同様アカデミー賞レースにはもしかしたら絡まないかも。


👍『サイレンス(Hush)』(マイク・フラナガン監督)

Hush Movie Clip 1 - Netflix descriptive video, sign language, and subtitles

 ネットフリックスで観た。
 人里離れたコテージで過ごす聾唖の女性がイカれた殺人鬼に狙われるサイコ・スリラー。
 と言ってしまえは一行でコンセプトの説明はすむけど、結構テンプレを外してきてなかなかにユニーク。
 まず殺人鬼が仮面をかぶって幽霊みたいに現れる。やたら膂力があったり、気づいたらテレポートしてくる系の超人的なサイコ怪物なのかな? と思っていたら、わりあい序盤で仮面を脱いでしまう。
 女性がガラス窓に「私はあなたの顔を見ていない。しゃべれないから通報もできない。見逃してくれ」と書いて懇願するんだけど、それを見た殺人鬼が仮面を外してこう宣言する。
「これで顔を見たな? よし、殺す」
 ここから籠城する女性と攻める殺人鬼のガチバトルがはじまる。

 素顔の殺人鬼は、眼光こそ常ならぬものを帯びているものの、どこかナヨッとしたアンちゃんだ。
 じっさい、体力や筋力もせいぜい平均程度しかないため、女性が必死になって抵抗すると案外手痛い一撃を食らってしまう。
 いちおうボウガンが上手という特殊技能もあるにはあるのだが、そのボウガンと争ううちに女性に奪われる。
 しかも、攻めあぐねていると女性の友人の恋人であるマッチョ男がやってきて、あからさまに殺人鬼を訝しんでくる。
 体格差は一目瞭然であり、正攻法では殺人鬼はマッチョに勝てない。さてどうするのか――。
 と、「殺人鬼がわりと貧弱」という設定を加えるだけで予想外の方向からドラマがつぎつぎと生まれてくる。
 しかし、この殺人鬼も殺人鬼やっているだけあって殺したいという気持ちは人一倍。その殺る気もとい、やる気でもって全力で殺しにくるから迫ってくると超怖いし、緊張感は出る。

 女性側のドラマ描写も丁寧。弱者がいかに絶望的な状況で道を切り開くかというテーマ性のある作劇も両立できている。


👍『ハイライズ(High-Rise)』(ベン・ウィートリー監督)


映画『ハイ・ライズ』特別映像

 いいかげん書くのつかれてきた……。
 トム・ヒドルストンがイヌを焼いて食っていたり、子どもが暴動を起こしたり、マンションの上階から落下してきた男が車のボンネットにつきささる瞬間をウルトラスローモーションで撮ったり、まあそれなりに愉しい。


👎ジェイソン・ボーン(JASON BOURNE)』(ポール・グリーングラス監督)
 今回のライバルはスナイパー! というわけでスナイプシーンが都合三回くらい出てくるんだけど、どれも中途半端というか、『ミッション・イン・ポッシブル:ローグ・ネイション』のカッコよさをすこしは見習って欲しい。
 ただ、ラストのカーチェイスは「そこまでやるか」とわらっちゃうくらい過剰なんで一見の価値あり。


👍『SCOOP!』(大根仁監督)

【映画】SCOOP! 予告集 “特報”

 大人になれない大人たちの青春がグズグズに崩れていくさまはいつ観てもいいものですね。


👍『グッバイ、サマー(Microbe et Gasoil)』(ミシェル・ゴンドリー監督)

ミシェル・ゴンドリー監督の青春ムービー!映画『グッバイ、サマー』予告編

 夏休み映画のあらたなオールタイム・ベスト。
 よく女の子に見間違えられる少年とやんちゃ系少年の二人組がなんと自分らでキャンピングカーをこしらえてフランス横断の旅に出る。
 ミシェル・ゴンドリー映画の夢遊病めいたガジェットがあの年代特有の可能性と全能感に見事にマッチしていて、このうえないグルーヴを生み出している。


👏『淵に立つ』(深田晃司監督)

『 淵に立つ 』HARMONIUM (2016) Clips

 メトロノームにあわせてパーツごとに描出されるタイトルにやられ、夫婦の平穏な不穏さにやられ、浅野忠信のたたずまいにやられる。
 一家三人+浅野忠信のが朝飯を食うところを長回しで撮っているシーンがべらぼうにいい。浅野忠信だけめっちゃ食べるのが早いんですね。この時点では半分伏せられている彼の来歴(でもまあだいたいのひとはなんとなく察している)からすると当然なんだけど、絵面として見せられるとものすごい異物感。なんだかんだで同期している三人のなかに、ひとりだけBPMの違うやつが投げ込まれる。そのフレッシュさ。


👍『粒子への熱い思い(Particle Fever)』
 ネットフリックス。
 CERNによるヒッグス粒子発見を追いかけたドキュメンタリー。
 対立する二つの物理学理論があって、ヒッグス粒子の発見状況如何によってはどっちかが否定されてしまうかもしれない、というところに物語的クライマックスが置かれる。
「もし、あの理論が否定されたら、俺が五十年やってきたことは無駄になるよなー」と嘆息する老教授が印象的。そういうことだよなあ、新発見って。先日謎のカルトが侵入して儀式を行っていたとして話題になったシヴァ神像が、なぜCERNにあるかもわかります。


👍高慢と偏見とゾンビ(Pride and Prejudice and Zombies)』(バー・スティアーズ監督)

 『ランボー怒りの改新』(読んでないけど)みたいなもので、マッシュアップというのはいかに原作Aと原作Bのあいだを違和感なくスムースに行き来できるかにかかっている。そういう意味で、あらゆる事象がフラットに記述される小説という手段は比較的向いていて、逆に映画はそういうのがちょっと難しいのかもしれない。
 観る前はそんな心配をしていたけれど、無用な心配でした。
 ちゃんとゾンビ世界の世界観で『高慢と偏見』をやれている。


👍『ラスト・ウィッチ・ハンター(The Last Witch Hunter)』(ブレック・アイズナー監督)

 現代ニューヨークで生きる魔女たちの生態、というアイディアだけでノーベル『ジョン・ウィック』賞ですね。


👎『アングリーバード(Angry Birds)』(ファーガル・ライリ&クレイ・ケイティス監督)
 昨今の時勢的に(メキシコ系)移民排斥ととられかねないネタのオンパレードは原作要素をそのまま受け継いだせいらしいですが、それはそれとして洋邦ともに稀に見るアニメ映画の大豊作年である今年にあえて劇場へいって観るようなものでもなかったか。
 とりあえず、鳥が投石機から発射されて街を破壊する絵面はおもしろかった。
 破壊・崩落の快楽という点でも『コウノトリ大作戦!』に劣る気がするけれどもともかく。


👍『ドープ!(DOPE)』(リック・ファミュイワ監督)
 

映画『DOPE/ドープ!!』第2弾予告編

 ヨーロッパが『シング・ストリート』なら、アメリカは『DOPE』だ、ということで今年の青春音楽映画の双璧。
 黒人社会で生きるお勉強できる系オタク(九十年代ヒップホップマニア)を今ドキっぽい撮り方で撮る、というのはむしろ正攻法のヒップホップ映画より日本の映画ファンに伝わりやすいかんじがする。
 リック・ファミュイワはエズラ・ミラー主演の映画版『フラッシュ』を撮る予定だったみたいだけど、つい先日降板したそう。次何撮るんだろ。


👍『われらが背きしもの(Our Kind of Traitor)』(スザンネ・ホワイト監督)

『われらが背きし者』予告

 『ナイト・マネジャー』のスザンネ・ビアといい、ル・カレ映画を女性監督に撮らせる流れでも来ているのかしらん?
 内容自体は仁義〜ってかんじで佳いです。
 あと、『スーサイドスクワッド』の後遺症か、ヘリコプターが飛ぶシーンを長めに撮られると不安がはんぱない。


👍『何者』(三浦大輔監督)


『何者』予告編

 こころがいたい。

*1:ノア・エメリッヒが娼館にとらわれたポートマンを救出するシーンもよかった。

*2:黒人の中流家庭というのはイメージされているよりも割合的に多い

*3:本作の劇中では映画館に活動家の学生たちが押し寄せて「タイラー・ペリーもの以外の黒人向け映画を流せ! あんなクソ映画みたかねーんだよ!」と怒鳴り込むシーンがある

光のほうへ――アンソニー・ドーア『すべての見えない光』/千字選評(4)

アンソニー・ドーア『すべての見えない光』(藤井光・訳、新潮クレスト・ブックス、2016年)

 二千字になっちゃった。



 空気は生きたすべての生命、発せられたすべての文章の書庫にして記録であり、送信されたすべての言葉が、その内側でこだましつづけているのだとしたら。


p.511

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)


 個性的な佳品から誰もが絶賛する傑作まで取りそろえる新潮クレストであるけれども、毎年一冊は「これぞ」という圧倒的な一冊を出してくれる。二〇一六年のそれは『すべての見えない光』だ。


 一九四四年八月、第二次世界大戦末期。ノルマンディーを始めとした欧州上陸に成功した連合軍はドイツ占領下にあったフランスをつぎつぎと奪還し、西フランスでは海岸沿いの小さな町サン・マロを残すのみとなった。
 サン・マロを完全に包囲した連合軍は居残るドイツ軍を追い出すべく、爆撃を開始。激しい砲火にさらされる市街に、十六歳の盲目の少女マリー=ロールと十八歳のドイツ工兵ヴェルナーがいた。
 この二人の少年少女がいかにして一九四四年のサン・マロまでたどりついたか、その足跡を軸に十年に及ぶ鮮烈な物語が語られる。

 本国アメリカでの大ベストセラー、ピューリツァー賞オバマも読んだ! そんなセンセーショナルな売り文句に反して、本書はなかなかにトリッキーな構成をとっている。
 複数の視点人物をおいて基本二、三ページからなるごく短い断章をならべつつ(短編「メモリー・ウォール」でドーアがものにした手法だ)、奇数章で一九四四年八月のサン・マロ、偶数章で一九三四年からはじまる二人の過去話を交互に叙述していく。


 内容は、ありていにいってしまえば戦時下でのボーイ・ミーツ・ガールだ。
 ボーイであるヴェルナーは、ドイツのとある炭鉱町の孤児院育ち。拾いもののラジオから流れてきた謎のフランス語科学教育番組に魅了され、科学者を夢見るようになる。だが、ナチス政権下では、孤児たちはみな十五歳になると鉱山へ送られる運命にあった。そんな彼の人生は、町に赴任してきたナチス青年将校のラジオを修理したことがきっかけで変転する。エンジニアとしての才能を見込まれ、将校の推薦で国家政治教育学校*1という党員養成のためのエリート校へ入れられる。そこで鳥好きの内気な少年と友情を育んだり、数学の才能を発揮して特別な実験に駆り出されたり、凄惨ないじめを目撃したりする。だがいつまでも学園生活は続かない。日を追うごと戦況は悪化していき、彼もまた否応なく戦場へと駆り出されていく。
 一方、ガールたるマリー=ロールは病気で光を喪うが、貝の専門家である博物館の研究員に導かれてこちらも科学に魅了される日々を送る。が、ナチスのフランス侵攻で父子ふたりのつましい生活も一変、金持ちだが精神を病んだ大叔父エティエンヌの住むサン・マロへとおちのびる。
 科学に通じたエティエンヌは読書好きな彼女のためにダーウィンを読み聞かせるなどして距離を縮めていくものの、ある日彼女を絶望へと叩き落とす大事件が起こる。やがてサン・マロもドイツに占領されてしまい、マリー=ロールも対独レジスタンス活動に巻き込まれていく。
 この二人の他にもう一人、定期的に現れる視点人物がいる。死病を患った元宝石職人のドイツ軍下士官フォン・ルンペルだ。彼は「所持者に永遠の命を与えるが、その周囲の人々をすべて奪い去る」という伝説を持つ宝石〈炎の海〉を血眼で追い求める。そして、宝石を所蔵していた博物館の館主がマリー=ロールの父親へそれを託したと知るや、サン・マロへと向かう。
 三人とそれを取り巻く人々の運命が一九四四年八月に交錯し、大きなうねりへ変わる。


 本書をたのしむにあたっては多様な切り口がある。
 ギムナジウムもの、戦争文学、ボーイ・ミーツ・ガール、科学少年少女の成長物語、レジスタンス/スパイ、宝探しのサスペンス。
 そうしたサブジャンル的な枠組みの連続がアンソニー・ドーア的なモチーフ(科学、鳥、貝殻、記憶、古典冒険小説 and etc)と彼一流の叙情的な文体に彩られて読者へと供される。いわば、作家としての集大成的な作品だ。
 とはいえ、『メモリー・ウォール』や『シェル・コレクター』などといったドーアの既作を知っておく必要はない。むしろ、これをドーアの入門編にしたほうがいいぐらいだ。ドーアの作家的感性や特質がいかんなく発揮されつつも、丁寧な描写と訳者の努力のおかげで非常に読みやすく仕上がっている。
 ドーアの特質、といったが『メモリー・ウォール』(新潮クレスト・ブックス)の故・岩本正恵による訳者解説によれば、「科学と文学の融合が挙げられる」ことにあるという。ドーア本人曰く、「ぼくにとって、文学と科学はけっして遠く離れた別々のものではない。どちらも『われわれはなぜここに存在するのか』という問題を扱っているのだから」*2
 ドーアのテーマがもっともよく現れるモチーフは、おそらく「記憶」だろう。本作の終盤でも、記憶が極めて重要な役割を演じる。

 ドーアは技術に詩性を見出す。光も音も文字も記憶もすべて、技術によって伝わり、交わるからだ。神が宿っていない行は一行たりとも存在しない、まごうことなく今年の新潮クレストを代表する傑作。

(1981文字)