名馬であれば馬のうち

読書、映画、その他。


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ホラー映画における奪われやすい対象としての子どもたち――『クワイエット・プレイス』

微妙にネタバレ注意



「大きく存在する寓意は、いつかは子どもたちを外の暗く深い森へと出さなければいけないときがくる、ということだ。この映画で家族を襲う“何か”のようなものが外の世界にはいるものだ」
「クワイエット・プレイス」に隠された裏テーマとは? 監督が明かす : 映画ニュース - 映画.com


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 狙われるのは常に子どもたちだ。
 大きな音を立てれば「何か*1」に襲われて殺される世界。
 ジョン・クラシンスキとエミリー・ブラント演じる夫婦*2は、「何か」から子どもたちを守るために奮闘する。
 
 興味深いのは、「何か」の脅威に晒されるのが、ほぼ常に子どもたちであるという点だ。
 もちろん、家族を描いたホラー映画その他において、家族のもっともやわらかい部分である「子ども」がターゲットにされるのはめずらしくない。 
 しかし本作は「何か」の凶手はほぼ子どもたちに向けられおり、両親、特にクラシンスキ演じる父親は子どもたちを守る存在として描かれ、「狩られるもの」として受け身に回ることはあまりない。
 エミリー・ブラントを演じる母親ですら、直接「何か」と対峙するのは妊娠した赤ん坊を守るためだ。「何か」が彼女の前に現れるのはどういうタイミングだったか。彼女が陣痛をもよおしたとき、だ。
  

 ここから導ける寓意は無数にあるけれど、本記事では一本に絞ろう。
 かつて、ヒトの子どもは生物として今よりずっと弱い存在だった。
 まず産まれるのが大変だった。
 たとえば十九世紀なかばのアメリカにおける新生児死亡率は出生児千人につき約二百十六人と推定されている。これは白人のこどもの数字で、アフリカ系となると千人につき約三百四十人の命が失われていた。*3
 今日におけるアメリカでの新生児死亡率は出生児千人につき六人*4だ。そしてこの数字ですら他の先進国に比べて格段(一・五倍〜三倍)に多い。
 不衛生な環境で誕生を強いられた赤ん坊、そして妊婦たちがいかにフラジャイルな存在であったか、医療の発達した現代では忘れがちな視点だ。

 無事生まれたところで成人に至るまで生き延びられる子どもの数も今よりずっと少なかった。なにせ、ちょっとした病気や事故であっけなく亡くなってしまう。
 そういう現象や子どもの不安定さをひっくるめて、「得体の知れない『何か』が子どもをさらっていく」と捉えるのは古今東西に汎く見られた発想だ。古くは旧約聖書の「出エジプト記」に出てくるユダヤの神によってエジプトへもたらされた十の災いの十個目「長子を皆殺しにする」もそのうちだろうし、ヨーロッパのチェンジリング(取り替え子)なる妖精のいたずら、日本でも河童などは本来子どもの命をねらう凶悪な妖怪だという話をどこかで聞いたおぼえがある。*5日本でそこらへんが文化として能く現れていたのが幼名、つまり小さい頃の仮の名をつける慣習で、もちろん長福丸だの千寿王だの福々しくめでたい名付けで長寿を勝ち取ろうとする戦略もあった一方、棄*6だの阿古久曽*7だのととても自分の子どもにつけないような汚らしい、あるいは禍々しい名をつける親たちもいた。
 これは、『何か』は親が大切にしている子どもを奪ってしまうため、無関心を装ったり、不浄な感じを加えたりしなければならない、というわかるようなわからないような魔除けの発想*8で、やはり「意志を有した『何か』が親から子どもを奪っていく」というスタンスがあったのだろう。

 言ってしまえば、お父さんやお母さんが自分の子どもを守る系ホラー映画はすべてこうした万古不易の恐怖心を具現化した内容だと言ってもさしつかえない。
 その中にあって『クワイエット・プレイス』が「奪われていく子ども」のイメージをとりわけ意識させるのは、先述したように、狙われる対象としての妊婦や子どもたちの描写が多いせいだろう。

 それに「何か」を子どもを取り巻く危険の歴史と重ね合わせたなら、ラストの展開がよりするりと腑に落ちてくる。
 現代において子どもたちが命をながらえられるようになったのは、科学的思考により発展した技術と、親から受け継ぐ有形無形の資産のおかげなのだから。

*1:劇中では Creature としか呼ばれていない

*2:もちろん二人は実生活上でも夫婦である

*3:https://en.wikipedia.org/wiki/Infant_mortality#cite_ref-107

*4:https://data.worldbank.org/indicator/SP.DYN.IMRT.IN

*5:おぼえがあるだけ

*6:豊臣鶴松

*7:紀貫之

*8:http://membrane.jugem.jp/?eid=296