名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


ホラー映画における奪われやすい対象としての子どもたち――『クワイエット・プレイス』

微妙にネタバレ注意



「大きく存在する寓意は、いつかは子どもたちを外の暗く深い森へと出さなければいけないときがくる、ということだ。この映画で家族を襲う“何か”のようなものが外の世界にはいるものだ」
「クワイエット・プレイス」に隠された裏テーマとは? 監督が明かす : 映画ニュース - 映画.com


www.youtube.com



 狙われるのは常に子どもたちだ。
 大きな音を立てれば「何か*1」に襲われて殺される世界。
 ジョン・クラシンスキとエミリー・ブラント演じる夫婦*2は、「何か」から子どもたちを守るために奮闘する。
 
 興味深いのは、「何か」の脅威に晒されるのが、ほぼ常に子どもたちであるという点だ。
 もちろん、家族を描いたホラー映画その他において、家族のもっともやわらかい部分である「子ども」がターゲットにされるのはめずらしくない。 
 しかし本作は「何か」の凶手はほぼ子どもたちに向けられおり、両親、特にクラシンスキ演じる父親は子どもたちを守る存在として描かれ、「狩られるもの」として受け身に回ることはあまりない。
 エミリー・ブラントを演じる母親ですら、直接「何か」と対峙するのは妊娠した赤ん坊を守るためだ。「何か」が彼女の前に現れるのはどういうタイミングだったか。彼女が陣痛をもよおしたとき、だ。
  

 ここから導ける寓意は無数にあるけれど、本記事では一本に絞ろう。
 かつて、ヒトの子どもは生物として今よりずっと弱い存在だった。
 まず産まれるのが大変だった。
 たとえば十九世紀なかばのアメリカにおける新生児死亡率は出生児千人につき約二百十六人と推定されている。これは白人のこどもの数字で、アフリカ系となると千人につき約三百四十人の命が失われていた。*3
 今日におけるアメリカでの新生児死亡率は出生児千人につき六人*4だ。そしてこの数字ですら他の先進国に比べて格段(一・五倍〜三倍)に多い。
 不衛生な環境で誕生を強いられた赤ん坊、そして妊婦たちがいかにフラジャイルな存在であったか、医療の発達した現代では忘れがちな視点だ。

 無事生まれたところで成人に至るまで生き延びられる子どもの数も今よりずっと少なかった。なにせ、ちょっとした病気や事故であっけなく亡くなってしまう。
 そういう現象や子どもの不安定さをひっくるめて、「得体の知れない『何か』が子どもをさらっていく」と捉えるのは古今東西に汎く見られた発想だ。古くは旧約聖書の「出エジプト記」に出てくるユダヤの神によってエジプトへもたらされた十の災いの十個目「長子を皆殺しにする」もそのうちだろうし、ヨーロッパのチェンジリング(取り替え子)なる妖精のいたずら、日本でも河童などは本来子どもの命をねらう凶悪な妖怪だという話をどこかで聞いたおぼえがある。*5日本でそこらへんが文化として能く現れていたのが幼名、つまり小さい頃の仮の名をつける慣習で、もちろん長福丸だの千寿王だの福々しくめでたい名付けで長寿を勝ち取ろうとする戦略もあった一方、棄*6だの阿古久曽*7だのととても自分の子どもにつけないような汚らしい、あるいは禍々しい名をつける親たちもいた。
 これは、『何か』は親が大切にしている子どもを奪ってしまうため、無関心を装ったり、不浄な感じを加えたりしなければならない、というわかるようなわからないような魔除けの発想*8で、やはり「意志を有した『何か』が親から子どもを奪っていく」というスタンスがあったのだろう。

 言ってしまえば、お父さんやお母さんが自分の子どもを守る系ホラー映画はすべてこうした万古不易の恐怖心を具現化した内容だと言ってもさしつかえない。
 その中にあって『クワイエット・プレイス』が「奪われていく子ども」のイメージをとりわけ意識させるのは、先述したように、狙われる対象としての妊婦や子どもたちの描写が多いせいだろう。

 それに「何か」を子どもを取り巻く危険の歴史と重ね合わせたなら、ラストの展開がよりするりと腑に落ちてくる。
 現代において子どもたちが命をながらえられるようになったのは、科学的思考により発展した技術と、親から受け継ぐ有形無形の資産のおかげなのだから。

*1:劇中では Creature としか呼ばれていない

*2:もちろん二人は実生活上でも夫婦である

*3:https://en.wikipedia.org/wiki/Infant_mortality#cite_ref-107

*4:https://data.worldbank.org/indicator/SP.DYN.IMRT.IN

*5:おぼえがあるだけ

*6:豊臣鶴松

*7:紀貫之

*8:http://membrane.jugem.jp/?eid=296

2018年に公開された Netflix オリジナルのSF映画全レビュー

遊星からの物体 NetfliX

 2018年から「ネットフリックス・オリジナル」を冠した映画・ドラマが爆発的に増えましたね。すげえ増えましたね。ばかみたいに増えましたよ。年ごとに倍々になってなるんじゃないか? って勢い。

https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_original_films_distributed_by_Netflix#Drama


 わけても、SFがちょっとした勢力を誇っている様子。
 たとえばドラマでは『ストレンジャー・シングス』や『センス8』*1、『グッド・プレイス』、『エキスパンス』*2、『ブラック・ミラー』といった人気シリーズの最新シーズンに加え、『マニアック』、『オルタード・カーボン』、『ロスト・イン・スペース』などが新たに立ち上げられていて、いずれも好評を博していますし、アニメでも『ファイナル・スペース』の第二シーズン制作が決定済み。どれもカネがかかっていますね。

 一方で映画はといえば、中規模程度の予算の作品が多い模様です。監督の顔ぶれをながめますと、アレックス・ガーランドダンカン・ジョーンズなど界隈で声望を築いている監督をしっかり押さえる一方*3、短編などで話題を博した新人〜若手を積極的に起用してメジャーへの試金石にしているのがうかがえます。数撃ちゃ当たるでやっているのか、批評的に成功している作品は今の所多くありませんが……。

 ともかく、2018年に発表されたネトフリオリジナルSF映画*4を見ていきましょう。
 


星取り解説

☆☆☆……面白い
☆☆ ……愉しめはする
☆  ……時間は潰せる

作品一覧

『カーゴ』(Cargo、ベン・ホウリング&ヨランダ・へムケ監督、オーストラリア)☆☆☆



Cargo Teaser Trailer (2017) Martin Freeman Post-Apocalypse Movie


 ゾンビめいた伝染病が蔓延し文明が滅んだオーストラリアを舞台に、妻を失い自らもゾンビ病におかされつつあるマーティン・フリーマンが一粒種である赤ん坊の託し先を求め、試される大地を彷徨う。
 非常にシブいゾンビ映画です。激シブです。王道展開や典型的な「本当に怖いのは人間」路線を踏襲しつつも、派手で扇情的なアクションや銃撃戦を乱発せず、それでいて要所要所でサスペンスフルな演出やドラマで観客を惹きつけます。
 もともとジョージ・A・ロメロの作品を始めとしてゾンビ映画が人種問題や差別問題と密接に関係していることはよく指摘されるところです。アメリカでの黒人差別のメタファーだったものがオーストラリアに輸入されると先住民差別のそれとなる。ゾンビポカリプス下にあっても白人に搾取される彼らの姿*5は、ゾンビよりも人間をこそおぞましく思わせます。*6そうして、ご当地ゾンビ映画として見事なレペゼン感を醸し出す。
 もちろん、マーティン・フリーマンもいい。オーストラリアの大自然と対比される彼の頼りない表情がまたユニークな味わいを出している。特に最終盤の「有様」は衝撃的でもあり、感動的でもあります。
 元となったのは世界最大の短編映画祭トロップフェスとで2013年に話題を集めた同名の作品*7。本作はその長編化で、監督のベン・ホウリング&ヨランダ・ラムケのコンビはこれが長編監督デビュー作です。


サイコキネシス -念力-』(염력、ヨン・サンホ監督、韓国)☆☆☆



PSYCHOKINESIS Bande Annonce (Netflix 2018) Super-Héros


 うだつのあがらない中年警備員がある日、ひょんなきっかけから強力なサイコキネシス能力を手に入れる。その力で彼は長い間離れて暮らしていた娘の力になろうと、彼女の所属する商店街一帯を地上げしようとするヤクザに対して抗戦を開始するのだが……といった内容。
『新感染 ファイナル・エクスプレス』で世界の映画ファンに衝撃を与えたヨン・サンホの実写長編第二作です。
 『新感染』同様に「娘を守るためにがんばるダメな父親」*8ものですね。本作の娘は成人済みですが。
 劇中のセリフでも「かめはめ波」が引用されるように、主人公の能力自体は『ドラゴンボール』じみていて、それっぽい画も多々出てきます。
 しかし、本作の主眼はその能力を爆発させて悪者を退治することではありません。主人公のカウンターパートとなるべき「同等の能力を持った敵役」などは出てきませんし、基本的に主人公は群れる雑魚をなぎ倒すだけです。
 主人公の本当の敵は誰か。商店街を蹂躙する地上げヤクザでもなければ、それを裏で操る建設会社の役員でもありません。「韓国資本主義社会」そのものなのです。これがあまりに巨大で強力すぎる。一個人がスーパーパワーを手にしたくらいでは太刀打ちできるものではない。
 フィクショナルな超人ですら、現実に存在する悪を打倒しえない。そうしたビターな意識に貫かれた一本ですが、そうした絶望的な状況下にあっても一筋の光明としての家族の絆を輝かせる、そういうところも『新感染』の監督だなあ、と思います。
 キャラも相変わらず濃いのが揃っています。暴力常務もすてきですが、地上げヤクザの側近のデブがかわいい。ガタイから用心棒的な立ち位置かと思いきや会計だったり、ビビるときはかならずボスの袖を掴んでたりとか。
 

『アナイアレイション 全滅領域』(Annihilation、アレックス・ガーランド監督、アメリカ)☆☆



Annihilation (2018) - Official Trailer - Paramount Pictures


 突如発生した謎の「ゾーン」に行って帰ってきた夫がなんだかうまくいえないけれど変わりはててしまった。夫とゾーンの謎を探るため、科学者である妻は女性だけで構成された調査チームに加わる。
 原作ファンからはすこぶる評判の悪い本作ですが、単体の作品として観た場合は、わけのわからないものだけれど映像がキレイだしまあオッケーくらいの感覚なんじゃないかな、と思います。
 ただ、「そのオチ」はもう飽きたよ、ガーランド先生……という気持ちがなくはない。
 アレックス・ガーランドはイギリス出身。小説家としてデビューしたのち、『ザ・ビーチ』(ダニー・ボイル監督)が映画化されたのをきっかけに映画界入りし、『28日後……』や『わたしを離さないで』、『ジャッジ・ドレッド』なで脚本をつとめます。そして2015年に監督デビュー作となる『エクス・マキナ』で一挙にSF映画界の旗手として躍り出ました。次回作は本作でもプロデューサーを務めたスコット・ルーディンと組んだSFスリラー・テレビドラマ『Devs』。人気ゲーム『Halo』の映画化作品の脚本も担当するらしいです。


『Mute/ミュート』(Mute、ダンカン・ジョーンズ監督、アメリカ)☆


www.youtube.com


 原色ネオンばりばりな近未来のベルリンで、唖のバーテンダーが行方不明になった恋人を探して裏社会のディープサイドに入りこんでいく話。
 いま一番信頼できるSF映画作家だったのに、なぜか『ワールド・オブ・ウォークラフト』というゲーム原作ファンタジー大作をひきうけ、大方の予想通り見事にコケたダンカン・ジョーンズの捲土重来となる一作……だったはずが……。
 ビジュアルは洗練されていてさすが、という感じなのですが、いかんせんストーリーがいきあたりばったりで脈絡がなさすぎる。ノワールというのはある程度迷走しているほうが雰囲気に貢献するものなのですが、これはちょっとダルさが勝ちすぎていて……場面毎のアイディアもそんな新鮮でもないし……。
 なんというか……なんだかな……また次がんばってほしいですね、ジョーンズは。
 

TAU/タウ』(TAU、フェデリコ・ダレッサンドロ監督、アメリカ)☆

www.youtube.com


 イカレた天才AI研究者(『デッドプール』で悪役だったエド・スクレイン)に実験のため監禁されてしまった娼婦(マイカ・モンロー)。彼女は監禁場所である研究者の屋敷を管理するAI・タウ(声:ゲイリー・オールドマン)を仲間につけ、脱出を果たそうとする……。
 一言で言ってしまえば、アレックス・ガーランドの『エクス・マキナ』の二番煎じです。*9家父長的な権力に抑圧を受け監禁される弱者としての女性がいて、その属性が人間の奴隷としてのAIと重ねあわされ、そういう状況に対して反乱が起こされる。
エクス・マキナ』では「女性」と「奴隷としてのAI」がアリシア・ヴィカンダー一人に集約されていましたが、本作ではそのまま二つの器に分割されています。それを表現の退化とみるかどうかはともかく、別々に置いたことの効果はあるもので、タウ(声:ゲイリー・オールドマン)がかわいらしい。
 基本的には主人である研究者に忠実なのですが、女と交流を深めるにつれ、研究者から禁止されていた知識をどんどん吸収して感情豊かになっていき、「(普段は研究者から禁止されている)ご本をもっと読んで〜」と子供っぽくねだるようになります。声はゲイリー・オールドマンなのですが。
 しかし、AIの描き方があまりにテンプレすぎるのと、主人公である女性のキャラの薄さがあまりに心もとない。最終盤の展開もそれこそ『エクス・マキナ』を薄めたようなだし……。
監督のフェデリコ・ダレッサンドロは、2000年代からマーベル映画やSF映画などの多数の大作でアニマティック/ストーリーボード・アーティスト*10として活躍してきた人物。本作が長編デビューです。
 
 

『エクスティンクション 地球奪還』(Extinction、ベン・ヤング監督、米)☆

www.youtube.com

 何者かから地球侵略を受ける悪夢に夜な夜なうなされる男(『アントマン』の相棒役で知られるマイケル・ペーニャ)。ある日、その夢が現実となる。彼は家族を守るために予知夢めいた夢を利用して妻子とともに生き延びることを目指すが……といった『宇宙戦争』的インベイジョンもの・ミーツ・SFミステリ。
 主人公の見た「夢」は何を意味するのか? 本当に予知夢なのか? 姿形も自分たちによく似ていて、技術程度もさして変わらないらしい「侵略者」の正体とは? といった謎がストーリーを牽引する反面、(予算の関係か)侵略者の攻撃によってドキドキハラハラするといった味は意外に薄い。
 話の核となるどんでん返しの部分は、アイディア自体は陳腐なものの、話運びがよくできています(「夢」と現実の齟齬をうまくついている)。しかし、クライマックスの後処理がなんだかおざなりで、説得力と物語的な魅力の両面で詰めを甘くしている印象です。つーか、末端の兵士と仲良くなっても大局に影響ないだろうしなあ……。
 監督のベン・ヤングはオーストラリア出身。同国のテレビで俳優や監督としてキャリアを積んだあと、2016年の長編第一作『アニマルズ 愛のケダモノ』で注目を集め、『エクスティンクション』が第二作目となります。
 
 

『タイタン』(The Titan、レナート・ラフ監督、米英スペイン)☆☆

www.youtube.com

 どん詰まりで滅びかけた人類を救うため、土星の衛星タイタンへの移住計画が持ち上がる。しかしタイタンの環境は過酷であり、現在の人類ではとても居住できない。そのため天才科学者マーティン教授は軍人や科学者を選りすぐり、人体改造実験を施す。しかし次第に身体だけでなく心も人間離れしていく被験者たちに家族を始めとした周囲は戸惑いはじめる……といった内容。
 序盤から難解な専門用語を飛び交わせつつ静かに進行するさまはいかにも典型的なインディー系SFといったおもむきで、個人的には嫌いではないです。
 サム・ワ―シントン演じる中尉たちが次第に「進化」していくプロセスも割合丁寧に描かれており、SFマインドをくすぐられます。
 が、あまりに進行が単調なうえ、終盤のとってつけたような急展開でそれまでの重々しさが一気に軽いものに。「進化」の理論付けがかなり雑なのもちょっと……。
 監督のレナート・ルフはこれが初長編。2014年に「Nocebo」というスリラー短編で学生アカデミー賞の外国映画部門を受賞したことを受けての抜擢なようです。


ネクスト・ロボ』(Next Gen、ジョー・クサンダ―&ケヴィン・R・アダムス監督、アニメ、米中カナダ)☆☆

www.youtube.com


 無国籍近未来シティに住むやさぐれたアジア系少女*11が兵器として生み出されたロボットと友情を深めるファミリー向けロボットアニメ。原作は中国で人気のウェブコミックだそうです。
 この手のアニメ映画には『アイアン・ジャイアント』や『ベイマックス』という巨大な壁がそびえているわけですが、ストーリーテリングの面ではその域にはおよぶべくもないものの、画面のルックやアクションシーンの面に関してはかなりのがんばりがうかがえます。
 世界観(カップラーメンロボットなどが出てきたり、原作者の Wang Nima を戯画化したキャラが登場したりする)はやや中国テイストが強めですが、キャストおよびスタッフはアメリカ人が中心。監督はディズニー出身で『9 〜9番目の奇妙な人形〜』などで美術監督兼撮影監督を務めたケヴィン・R・アダムスと、リズム&ヒューズ社やインダストリアル・ライト&マジック社などの特殊効果畑で活躍したジョー・クサンダー。このコンビは2014年に近未来ロボットSF実写短編「Gear」*12を共同監督しており、その腕を見込まれての抜擢でしょう。


 

『軽い男じゃないのよ』(Je ne suis pas un homme facile、エレノア・ポートリアット監督、仏)☆☆

 セクシストのプレイボーイが電柱で頭を打って男女の社会的地位が完全に逆転した世界へ。戸惑いをおぼえながらもその世界でセクシストのモテ女である作家と関係を深めるが、実はその作家は異世界転生を主張する主人公をネタに本を書こうとしており……という内容。
 女は化粧をせず身体を鍛えナンパをし、男はボディコンシャスな短パンを履いてマニキュアをし男女同権を訴える。まっすぐなまでにミラーリング(マイノリティの立場をマジョリティと置き換えて考える思考実験的なやつ)に徹していて、細部がところどころ気になるものの性差ギャグとしてよく機能しています。男性優位社会のグロテスクさというのは、それをあたりまえのものとして受容しているぶんにはなかなか意識しづらいものですが、本作でそれをある程度体験できるのではないでしょうか。
 あまりにまっすぐすぎてそれ以上になりきれていないのがもどかしい部分ではありますが……とはいえ、ラストシーンの光景のゾッとする不穏さはなかなかに秀抜。
 監督のエレノア・ポートリアットはもともとはフランスのテレビドラマなどで活躍していた女優でこれが長編デビュー作。10分ほどの短編だった「Majorité_opprimée」*13の世界観を拡張したのが本作のようです。


『マーキュリー13:宇宙開発を支えた女性たち』(Mercury 13、デイヴィッド・シントン&ヘザー・ウォルシュ監督、米)☆☆☆

www.youtube.com


 アメリカの初期宇宙開発の裏で進行していた女性宇宙飛行士採用計画「マーキュリー13」についてのドキュメンタリー。S”F"ではないですが、いちおうサイエンス関係なので。
 出演している元計画参加者たちがとにかくパワフルでストロングで自由なパイロットおばあさんばかりで、彼女たちなら宇宙でもどこでも行けたんじゃないかと思わされますが、それを許さなかったのが六十年代という時代でした。理不尽な圧力がかかりまくり、彼女たちはどこまでも戦います。
 アメリカ初の女性宇宙飛行士がマーキュリー13関係者をロケット打ち上げに招いたときの話は感動的。あと再現映像の複葉機の飛行シーンがうつくしい。
 監督の一人であるデイヴィッド・シントンはこの前にも『ザ・ムーン』というアポロ計画を描いたドキュメンタリーを残しています。

『すべての終わり』(How It Ends、デイヴィッド・M・ローゼンタール監督、米)☆

www.youtube.com


 婚約者の両親に挨拶するためにシカゴを訪れていたウィル(テオ・ジェームズ)が婚約者の待つシアトルへ帰れなくなる。西海岸一帯を謎の異常事態が見舞い、各種交通機関が不通になってしまったためだ。恋人の安否が心配なウィルは、前の晩に喧嘩別れしてしまっていた恋人の父親(フォレスト・ウィテカー)と共に3200キロの大陸横断行へ挑むのだが、彼らは道中で信じられない光景をつぎつぎと目撃することに……。
 元軍人の横暴なオヤジと命がけのアポカリプティック・サバイバル旅行を通じて友情を築く……というのがプロットの本線のはずですが、なんというかあまり友情構築プロセスが効果的に描かれておらず、気づいたら仲良くなってましたって感じ。
 ロードムービーだけあって結構色んなキャラが出入りするんですが、基本的にはシーンごとの使い捨てで後から再登場したりはしません。それはそれで作法なのでしょうが、唯一メインっぽいノリで主人公一行に加わる先住民の女(グレイス・ドーヴ*14)までも途中離脱&永久に退場するのはなんだkな
 こうした手法の難点は、キャラの背景や感情が特段説明づけされないまま観客が彼らの行動を評価しなければならないため、どいつもこいつも愚かな行動を取りまくる本作においては大変にストレスフルに感じられてしまうことです。本来、登場人物が愚かだったり短慮だったりすること自体は、フィクションの評価において責められるべき性質ではありません。人間はもともと愚かで短慮ないきものですし、フィクションでそう描かれるのも物語上・感情上の必然や必要が前提されているからです。が、逆にいえば、その行動に至るまでの人物の性格や感情の流れや物語的な背景などが説明されず、ただストーリーを進めるため、主人公たちを窮地に陥れて盛り上げるためだけにそう演出しているのが透けてみえるとどうにも厳しい。いくら状況が状況だといえ限度がある。
 監督のデイヴィッド・M・ローゼンタールは2000年代から活躍している映画監督で、近年では『パーフェクト・ガイ』や『転落の銃弾』などのサスペンス・スリラー作品をてがけています。次回作も『ジェイコブス・ラダー』のリメイクだとか。

『ホンモノの気持ち』(Zoe、ドレイク・ドレマス監督、米)☆☆


www.youtube.com


 人間のパートナーとしてのアンドロイド、通称「シンセ」を開発している研究所の中間管理職ゾーイ(レア・セドゥ)がシンセの研究者(ユアン・マクレガー)に惹かれていく。彼女は研究者の開発した相性診断ソフトでマクレガーとの相性を診断するが、なんと結果は一致率ゼロパーセント。「根本的に違う二人」だという判定を下されてしまう。
 ショックを受けて診断結果を打ち明けるゾーイに対し、マクレガーはさらなる衝撃的な事実をつきつける。なんと、ゾーイは彼の開発した「シンセ」の最新ヴァージョンだというのだ……といった恋愛映画。
 これもAIものの一つですね。人間とAIの恋愛を描くとしては2013年のスパイク・ジョーンズ監督『her/世界に一つだけの彼女』と、いくぶん変則的ですが『エクス・マキナ』が思い出されますね。本作は前者の色合いのほうが濃いかな。(特に前半で)AI側の視点に重きが置かれているのも珍しい。*15特に病んだ男性性などを告発する気がないフツーにピュアな純愛ストーリーです。
 ドレイク・ドレマス監督はアメリカ恋愛映画における若手のホープとしてデビュー以来一貫してせつないラブストーリーを撮ってきました。それだけに本作でもセドゥとマクレガーの関係の描き方は繊細を極めており、デートを重ねて仲を深めていく様子は多幸感に溢れています。となると、「人間はどうやったら『人間』になれるのか」という普遍的な問いかけに対する答えも自ずと決まってくるものですが。
 繰り返しますが、あくまで基調はラブストーリーであり、AIを扱ったSFとして新鮮味やリアリティを期待するのは筋違いです。
 

『クローバー・フィールド:パラドックス』(The Clover Field Paradox、ジュリアス・オナー監督、米)☆


www.youtube.com


 なんの予告もなく突然ネットフリックスに投下された『クローバー・フィールド』シリーズ最新作。
 ダニエル・ブリュールエリザベス・デビッキ様、デイヴィッド・オイェロウェ、クリス・ダウド、チャン・ツィイー、ググ・バサ=ローと、さすがにオールスター・キャストとまではいかないものの国際色豊かないぶし銀のメンツを揃えています。出演料の中央値はここで挙げたどの作品よりも高いもしれません。
 エネルギー資源が枯渇し、限られたパイを巡って各国の間で軍事的緊張が高まる時代、人類は打開策を求めて各国から選りすぐった六名を宇宙へと飛ばし、「シェパード」と呼ばれる超巨大粒子加速装置を起動させる……が、そこで事故が発生。それをきっかけとして次々と異常事態がクルーたちを襲う、というスペースパニックホラースリラー。
 宇宙ステーションという密室で展開されますが、メンツの豪華さもさることながらセット作り込みも相まって、あまりチープさを感じさせません。しかしそれが映画としての質に貢献しているかといえば微妙なところ。
 最大の難点はキャラクターの書き込みの薄さと動かし方の行き当たりばっかり感。ダメなスペースパニック特有の散漫に死んでいくキャラとかはおくとしても、動く腕とかダニエル・ブリュールスパイ疑惑なんかも処理が雑。何より理解に苦しむのがチャン・ツィイー演じる中国人エンジニアの扱い。他国のクルーが英語で会話をかわすなか、このヒトだけがなぜかナチュラルに中国語で通し、同僚たちも彼女に対しては中国語で返す*16
 いくらグローバル社会といえど不自然極まりなく、何か設定や物語的に意味がある演出なのかな、と思ったらすくなくとも表面上は何も回収されません。*17
 ホラーやパニック映画というジャンルは「投げたボールを投げっぱなしにしてもいいジャンル」ではけしてないとおもうのですが……。続編でカバーするつもりなのでしょうか。
 コメディ・リリーフのクリス・ダウドと3Dプリンターベーグルはよかった。
 監督のジュリアス・オナーはナイジェリア生まれのアメリカ人。父親がナイジェリア政府で各国大使を歴任した関係から世界各国を回ったのち、アメリカの大学を卒業。学生映画で名を馳せたのち、スパイク・リーの推薦により、クライムスリラー The Girls in Trouble で長編デビュー。本作が二作目です。
 ちなみに双子の兄弟であるアンソニー・オナーも2017年に The Prince で長編デビューを果たした映画監督です。

*1:S2最終話

*2:正確にはネトフリオリジナルではないのだが、日本ではネトフリオリジナルマークがついている

*3:ガーランドはパラマウントともめた末のネトフリ買い取りなので事情はちょっと違いますが

*4:日本で「ネットフリックスオリジナル」マークのついてる作品って「ネットフリックスが作ってますよ―」という意味ではなく、日本ではネトフリでしか観られませんよくらいの意味あいしかないですが、ともかく

*5:そしてそんな地獄を本来はイギリス人であるフリーマンが見るという構図のメタな皮肉

*6:とはいうものの、結局オーストラリアにおける人種問題をうまくさばき切れたとはいえない仕上がりですが

*7:https://www.youtube.com/watch?v=gryenlQKTbE

*8:by 町山智浩

*9:根源をたどれば『フランケンシュタイン』なのでしょうが

*10:この場合は実写映画の制作初期段階において描かれる絵コンテのようなもの。いわゆるプリビズ

*11:エモっぽさが『ベイマックス』のゴーゴータマゴの佇まいと似ている

*12:https://www.youtube.com/watch?v=SL27ME9Y2hI

*13:https://www.youtube.com/watch?v=kpfaza-Mw4I

*14:カナダ北部のシュワスップ族出身のカナダ人女優で、ディカプリオ主演の『レヴェナント』などにも出演経験あり。

*15:まあノリは人間の視点とそんなに変わんないんですけど

*16:その設定すらブレる場面があるのですが

*17:おそらくエリザベス・デビッキ演じるキャラとの絡みが関係してくるんでしょうが、劇中ではマジで何一つ説明してくれない

誰が歴史と物語を描くのかーー『スターリンの葬送狂騒曲』

(The Death of Stalin、英・仏、ベルギー、アルマンド・イアヌッチ監督)



ロシアで上映禁止のブラックコメディー『スターリンの葬送狂騒曲』予告編公開 - シネマトゥデイ



 北野武の『アウトレイジ』シリーズにおける独特の緊張感、たとえばヤクザたちがあまりにもくだらない理屈であっけなく殺されていくさまを強調することで、一見穏やかな日常的な場面(ラーメンを食べている、歯医者で治療を受けている、自営の修理屋で車をメンテナンスしている)がおぞましいまでの死や暴力とシームレスに地続きであるのだと観客に意識させて常時集中を強いる、あの空気。
 何かのタイミングを間違えたら死ぬ。だがその「何か」がなんなのか、「タイミング」がいつなのかがわからない。気づいたら撃たれて死んでいる。ところが自分殺した理不尽にも腑に落ちるところを感じる。今までその理不尽に順応して、肌感覚でわかっているような気もあったから。


 独裁者スターリン死後の後継争いを描いた『スターリンの葬送狂騒曲』の基調は明確にコメディです。ときに戸惑いすら押しつけてくるある種のブラック・コメディなどとは違い、笑いどころを作って観客をわかりやすく笑わせてくれます。たとえそれが(おそらくロクでもない場所に行くのであろう)トラックの荷台にスターリンの別荘で働いていた使用人たちを強権的に乗せて送り出した兵士が、直後に横からNKVD*1の職員に頭を撃ち抜かれる、といった残酷なジョークであったとしてもです。
 さらにいえば、劇中で処刑されるような人物のほとんどは名もなき兵士や市民だけで、終盤のある場面を除き、メインキャラクターたる委員会の面々が直接的な暴力にさらされることはありません。彼らは一貫して、スターリンの死に右往左往するコメディアンとしてふるまいます。
 ところが弛緩した喜劇の裏には冒頭で述べたような”暴”のにおいが潜んでいる。委員会メンバーたちの吐く言葉、取る行動ひとつひとつが最終的に政敵を葬り、自らが権力の座を奪取するためのものであると私たちは知っています。
 ただキャラクターたちは自分たちの目的は知っているかもしれないけれど、自分たちの言動の効果までは把握しきれない。独裁者の死によって生じた一時的な権力的真空が、どの人物に権力を与えているのか不明瞭にしているのです。たとえばスターリンの遺児であるスヴェトラーナ。ライバル同士であるフルシチョフとベリヤはそれぞれの手管で彼女を味方につけ、後継者争いを優位に進めようとしますが、彼女にも思惑があってなかなかうまくいかない。ソ連北朝鮮のような王朝でないのですから、レーニンのこどもたちがそうであったように、スターリンの娘だからといって後継争いを左右する力を持つとはかぎりません。しかし、まったく影響しないともかぎらない。
 あるいはちょっとしたジョークで相手の機嫌を損ねたりするだけで、委員会内でのパワーバランスが傾くかもしれない。なにが自らの墓穴を掘ることにつながるかもわからない。油断のならない混沌とした曖昧さが、喜劇性とやがて爆発するであろう暴力の予感を高めてくれます。


 では、その混沌の正体とは何か。
 終盤、あるキャラクターが政敵を蹴落とし処刑した直後、スヴェトラーナにこのような「勝利宣言」を吐きます。


「これが"物語"を間違えた人間の末路です(This is how people get killed, when their stories don't fit.)」


 人にはそれぞれ描こうとしている物語があります。
 その Story 同士が闘争し、fit できなかった物語から滅ぼされていき、残ったものだけが公式な history となるーー人間同士の争いに関するシニカルで普遍的なテーマが本作には能く描かれています。


スターリンの葬送狂騒曲 (ShoPro Books)

スターリンの葬送狂騒曲 (ShoPro Books)

*1:旧ソの秘密警察機構。KGBの前進