歴史そのものが詩人や劇作者としての真に支配力を持っているところでは、いかなる詩人であれ歴史を凌駕しようとこころみてはならない。
――シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』
と、いうわけで。
realsound.jp
(↑連載第一回)
RealSoundテックのほうで連載していたベネット・フォディ(Bennett Foddy)の小伝が全七回で無事完結しました。読むなら今!!
九割くらいは、ある日いきなり七万字くらいの怪文書を送りつけられ、こんなん誰も読まねえよ!とリジェクトのうえ威力業務妨害で官憲に通報しても全然よかったはずのところを、「じゃあ分割掲載形式で連載にできるかどうか、上にかけあってきます!」とハツラツと飛び出していった編集部の三沢氏のおかげです。感謝。
ベネット・フォディさんはインディーゲーム作家です。
だれ? というかたにさらに説明しますと、このゲームの作者です。

ゲーム実況で実況者たちが絶叫してるあのゲームです。
タイトルは『Getting Over It with Bennett Foddy』。そう、タイトルになっているひとが、このフォディさん。
一見スロップなネタゲーに見える(そしてその工面はまったく否定できない)『Getting Over It』ですが、実はその裏側に作者の深遠な思想と激動の半生が隠されていたとしたら……?
というのが第一層目のたくらみ。
第二層目にあるのが、連載タイトルにもなっている〈ベネット・フォディを中心にして見るインディーゲーム史〉です。
ここでは「インディーゲーム」の範囲をかなり狭くとっています。2000年代後半からダウンロード販売プラットフォームを中心に世間で可視化されてきた、小規模制作チームによる、主として欧米圏発の作品群です。
それは今でもインディーゲームの一般的なイメージのコアに座しているものでもある。一部のひとはそんなのは幻想にすぎないと主張します。たしかに幻想ではあるかもしれないが、幻覚ではない。たしかにここに"これ"はある。では、"これ"はなんなのか。どこから来て、どこへいくのか。そして、インディーゲームを定義する/していたものとはなんなのか。
わたしはそれに興味があります。
急いで付け加えるならば、それらは現在インディーゲームとして流通している作品の総和の一側面でしかありません。インディーゲームは、2000年代以降の〈現代インディーゲーム〉はいくつかの異なる流れが合流してできている。フォディが属していたTIGSourceフォーラムに代表される開発者用フォーラム、各種ゲーム制作ツールコミュニティ、NewgroundsやKongregateなどに代表されるFlashポータル、IGFやIndieCadeといった賞/展示、Indie Game Jam(とそこから派生したExperimental Gameplay Workshop)やLudum Dareといったゲームジャム文化、大学における学生制作や研究者ネットワーク、MOD文化、シェアウェア/フリーウェア、『洞窟物語』や『ゆめにっき』にような日本のフリーゲームからの影響……まあ、そういうものが織物のように重なっている。*1
そのあたりの一部(賞制度と現代インディーの黎明における"インディー"でなさ、みたいな部分)はここですこし書いたつもりです。
で、まあ、しかし、当時そうしたムーブメントの渦中に身を置いていた当事者でもなければ、それらを取材していた記者でもなく、2020年代に炬燵でぬくぬく本や記事を読んでいるだけのこの卑小な身にはこれらの膨大な流れをひとつの歴史として見ることも語ることもできない。そもそも、知らないことわからないことがあまりに多すぎるわけですからね。
なればこその伝記なのです。視点となる人物を置くことで、グラウンドレベルで、しかもそのレベルでしか見えない景色を見ることができる。それも、あまり語られてこなかった界隈を。
その主人公がベネット・フォディであったことは意図せずしていくつかの幸運をもたらしてくれたのですが、そのうちのひとつが彼のキャリアパスです。
「ゲーム業界未経験からFlashを作りはじめ、TIGSフォーラムから大学(NYU)の教員へ」という軌跡。Youtubeにおけるゲーム配信黎明期でのバズやニューヨークにおける〈ニュー・アーケード〉ムーブメントも経験し、IGFでの受賞経験もあり、ZX Spectrum/Amigaにルーツを持つ世代で、オーストラリアという国際的なゲーム地図の周縁出身であり、日本での作品知名度も比較的(あくまで比較的)そこそこある。
われわれが俗的にイメージする「身一つのインディーゲーム開発者」を体現すると同時に、秘密めいた一匹狼でもなく、かつ風変りで興味深い来歴を持っている。
こんな変すぎるおかげで万遍なくちょうどいいひと、ほかにそんないないわけです。*2
大河ドラマで主人公がよく「おまえはなんでそんな時代時代の都合のいい時に都合のいい劇的な場面におるねん」とツッコミたくなるときがありますが、それを地でいく人物ともいえます。
もちろん、彼の人生だけで"すべて"は到底捉えつくせないわけですが、彼の肩をなめたカメラで撮ることで豊饒なものが見えてくる。ここ二十年のアメリカ/英語圏ウェブのインディーシーンというドラマが、その変遷が、非常におもしろく撮れるのです。
彼自身の思想(TIGS的なノスタルジー、「不服従」なソフトウェアの思想、名づけることについて、人間としてのプレイヤーと開発者の対話……)もそれぞれに時代と個性を反映していてユニークだし、彼と関わるアクターたちもやはりそれぞれに個性豊かで時代を反映している人物ばかりです*3。
まあ、企図して主人公に起用したのでなく、「特に何も考えずにやってみたらそうなった」というようなもので、これこそ幸運のたまものなわけですが。
伝記はいちばん遅くにやってきます。ヴィヴィアン・ド・ソラ・ピントによれば、伝記とはすべての人間を「尊重に値する個人」として考える観念を持つ社会を前提にして初めて成立する文学形式です。いうまでもなく、人類が個人を重要な単位と捉えだしたのはごくごく最近のことでありますし、そのあとでさえ文化の領域においては何かあたらしいメディアが出てくるたび、個人の価値はゼロベースでリセットされていくものです。
もちろん、ある種の領域においては個人に眼を向けすぎるのも誤謬のもとであって、マンガとゲームで育ったわたしたちはいとも簡単に生身の人間をキャラクター化し、出来事(事件史)主義的な歴史観や英雄史観に堕したりもする。
小説やマンガならまだしも、基本的に集団制作物であるゲームでは特に取り扱いに注意が必要です*4。小規模インディー、ソロデヴにおいてすらなお、わたしたちはその咎から足抜けすることはおそらくできない。
とはいえ、問題は罪を犯す可能性を心配することではなく、その罪が犯されてすらいないことだと個人的にはおもいます。わたしたちはあまりにインディゲーム作家を作家として扱っていない。興味深いキャラクターであるとさえみなしていない。
現代インディーゲームのアクターたちを作家として語ろうとする試みは、これまでもなかったわけではありません。かつて、今井晋はAutomatonで〈ONE MAN DEV〉というインディー個人開発者の列伝を書こうとしました。今読んでも非常に興味深い記事です。「全五回」だったはずの連載企画がなぜ第二回までで途絶してしまったのかは知りようがないわけですが、しかしもともとが困難に満ちた道であったのはわかる。
2014年の連載なのです。Cactusことヨナタン・ソダーシュトルムにしろ、テリー・キャヴァナーにしろ、まともに書こうとしたら「それまでめちゃくちゃいっぱいFlashゲーム作ってた人が商業で一作(Cactus)か二作(キャヴァナー)すごいゲームを出しました」くらいの材料しかない。そこをおもしろく書き上げたのが〈ONE MAN DEV〉のすさまじさなのですが、つまりは、ですね。ある時期までのインディー作家には絶対的に不足していたわけです。星座を形作れるだけの作品数が。人生の嵩が。
これは当時の在野出身の個人開発者はだいたいそうで、フォディも『QWOP』と『GIRP』は出していたものの、本格的な商業作品デビューはまだ先の時期でした。また、扱うに足る作品数だけが十分であったとしても、それをインディーやゲーム業界の流れの中にどう位置付けて語るか、といった背景の部分でも難しかった。
材料がないならないでどうにかこしらえるのが執筆者の技量ではあるでしょう。残念ながら、わたしにはそこまでの筆力はありません。その時代なりに語られること、語るべきことはあり、それを残すのは貴重な仕事だったのでしょうが、しかしどうしたって伝記だけは書けない。
時代が早すぎた。
〈ONE MAN DEV〉から12年が経ちました。
わたしたちはようやく「インディーゲーム」を振り返られるようになった。十分な材料、十分な背景、十分な嵩が時代が進んだことで単純に蓄積された。それは、かつて信じられていた制度の失効あるいは黄昏を意味しているのかもしれませんが、それよりはわたしはインディーゲーム作家たちが積み上げてきた星霜とそれを記録しようとしつづけてきた〈ONE MAN DEV〉のような執着があったからだと信じたい。
わたしは怠惰な人間です。書き物のできるだけの体力が持つのはせいぜい一日三時間までで、あとはずっと庭の孔雀を眺めて過ごしています。あまり遠出もしません。人とも会いません。世間のことを教えてくれるのは10年前に北野天満宮の朝市で買ったMacbookだけです。
伝記の書かれる時代とは、そのような人間でも作家と出会える時代のことです。
たとえそれが、ボズウェルとジョンソン以前のようなカタルシスの作法に乗っ取ったうそくさい聖人伝であろうが、リード・ウィットモアが嘆いたような何もかも包括しようとしてごちゃごちゃになっただけの細部のカタログであろうが、です。
だから……そうですね。みなさん、もっと伝記を書きましょう。作家論を書きましょう。
わたしたちにはもう時代などという贅沢は残されておらず、そんな戯れしかなくなってしまったのかもしれないから。
note.com
(そういえば昨日オブラディンみたいなゲームのカタログも書きました。よろしくね。)
*1:そして、雑に欧米圏と括ってもその国ごとにわりと固有のゲーム文化的背景がある。フォディの生まれたオーストラリアとかは良い例ですね。もっともフォディ自身はオーストラリアゲーム産業に籍を置いたことはないのでオーストラリアゲーム界史上最大のトラウマとなった世界金融危機によるゲーム産業の崩壊を経験していない、という特異な存在なのですが。
*2:蓮實重彦的な意味における「凡庸」さってやつね
*3:そしてそれは当時のインディーシーンの光の部分だけを映しているわけではありません。連載中に二度、アレック・ホロウカという名前が出てきます。TIGSフォーラムでは中心的な常連のひとりであり、管理人であったデレク・ユウとは『Aquaria』で組んでIGFの大賞を獲った人物です。のちに彼は日本でも『Night in the Woods』のメインクリエイターのひとりとして知られるわけですが、2019年に性的虐待の告発を受けたのち、自殺しました。この問題は、基本的には彼ひとりの病んだメンタリティのせいにされているわけですが、果たしてそうだろうか。アンナ・アンスロピーなどが指摘しているように当時のTIGSやほかのゲーム関係のフォーラムを見ていると「ボーイズクラブ」的な空気があったのは間違いなく(2000年代の日本のインターネットの空気を思い出してもらえればよい)、そこで育まれていたメンタリティというものは確実にあったはずではなかった。ホロウカとの記憶について語ったスコット・ベンソンのメモワールに描かれたホロウカを見たときにまず思い出したのは、『Indie Game: The Movie』に出てきた『Fez』開発者フィル・フィッシュだった。フィッシュもホロウカも気分の上がり下がりが激しく、意に沿わない他人に対して攻撃的で、すぐ「自殺する」と自死を脅迫に使う。このような二人が、かたや今でもインディーゲーム史上の伝説として称えられ、かたや悪に塗れた罪人として葬られる(ホロウカが死んだとき、ユウが距離を取ったよそよそしいコメントを出していたのを憶えている)。『Night in the Woods』のパブリッシャーであったFinjiを率いていたのはアダム・サルツマンで、サルツマンはやはりTIGS常連としてホロウカとは共同開発まで行う旧知だった。パブリッシングもその伝手だったのだろう。とすれば、『Night in the Woods』もTIGSの、2000年代インターネットのボーイズクラブ的な空気とは無縁ではなかったということだ。ベンソンはアレックの問題行動をアダムに報告したとき、「現場で何が起きているのかを話すと、彼らはショックを受けた。なにも知らなかったから。知っているわけがない。外からは順調なように見えていたのだ」と記している。ほんとうにサルツマンは知らなかったのだろうか? デレク・ユウが知らなかったように? 10年来の付き合いだった彼らはホロウカのトキシックさをまったく認知していなかったのだろうか? できていなかった、としよう。それはそれで2000年代個人開発インディーシーンのある種の悪弊を示唆している。そして、それはまだ残っているのだ。そこいらじゅうに、TIGSとかつてかかわりをもとうがそうでなかろうが、開発者だろうがプレイヤーだろうが、日本だろうがアメリカだろうが、はびこっているのだ。『Getting Over It』についてフォディが「ポストゲーマーゲートのゲームだ)というとき、『Baby Steps』について「挫折した男性性のゲームだ」というとき、彼もまたそれらの空気と無縁ではなく、内省し、考えつづけていたことを示しているのではないでしょうか。
*4:二〇〇〇年代には平均六〇人前後だったのが今はAAAタイトルだと平気で4000人や5000人を超える状況を考えると、ここ十年はとみに〈個人〉が薄まっている時代とも捉えることもできる。
