名馬であれば馬のうち

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犬と人(マン)が出会うとき――映画『スーパーマン』におけるクリプトの重要性について

警告:本記事には2025年公開の映画『スーパーマン』のネタバレがあります。

 イヌを飼うっていうのは、イヌを飼うことを夢見た結果だろ。

  ――ギャヴィン・オコナー監督『ザ・コンサルタント2』

(クリプト)

まえおき


 イヌの話をしましょう。
 なぜなら、この映画はイヌなしには成立しなかったのですから。

 ジェームズ・ガン版『スーパーマン』はスーパーマンによる「人間宣言」の映画といって過言ではありません。特に『マン・オブ・スティール』以降に神格化の度合いも増していったスーパーマンでしたが、今回は見事に「間違えたり後悔したりもする」、「自分だけの力では世界を救えないので仲間の力を借りる」という等身大の人間マンとしての新しい装いを与えました。
その達成はジェームズ・ガンの作家性なくしてはありえなかったわけですが、そんなことは他で百万べんほど語られております。イヌの話をしましょう。


www.youtube.com
(オフィシャル・ティーザーでも大々的にフィーチャーされていた冒頭シーン)


 冒頭、戦闘に敗北し、北極でヤムチャのようなぶざまな姿をさらしていたスーパーマンが最後の力をふりしぼって口笛を吹くと、彼方から雪煙をあげながら白くてモサモサしたイヌが登場します。スーパーマンの愛犬、クリプトです。 
 クリプトは瀕死状態のスーパーマンをもちまえのヤンチャさで振り回した挙句、「うちまでつれていってくれ(Take me home)」というスーパーマンの求めに応じ、秘密基地・孤独の要塞へと彼をひきずっていきます。
あらゆる映画のファーストカットがそうであるように、『スーパーマン』でもこの冒頭に映画のエッセンスが示されています。
 今回のスーパーマンは「無敵」ではないこと。どころか、つねに打ちのめされ、倒れ伏すこと*1。他者の助力を乞うこと。その助力してくれる他者が「まともな人間」以外のなにかである可能性があること。また、飼いイヌ*2といえど、スーパーマンが満足にコントロールできる存在でないこと。それでもなにがしかのつながりで結ばれていること。クリプトとは「home」にひもづけられた存在であること。
 ジェームズ・ガン的な文脈でいえば、本作に出てくるクリプトが雑種犬であるところも見逃せません。今回のクリプトのモデルはジェームズ・ガンの飼い犬のオズ(小津安二郎にちなむ)です*3。監督自身の語るところによらば、オズは劣悪な環境のパピーミルにおしこまれていたところを、監督によって引き取られたらしい*4。ちなみにやんちゃでモノを振り回したがるのもオズから得たインスピレーションだそうです。「どこの馬の骨ともわからない”捨てられた”アウトサイダーたちがチームアップして疑似家族的な関係を形成する」というのは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズや『スーサイド・スクワッド』などに見られるジェームズ・ガン作品の特徴でもあります。
 要するに、クリプトは『スーパーマン』という映画のすべてを体現する存在なのです。

ジェームズ・ガンと愛犬のオズ)


もはやいままでのイヌではない

(初期のクリプト)

 コミックでの初登場から2025年でちょうど70年目*5を迎えるクリプトですが、意外なことに、これまで実写映画版『スーパーマン』に出演する機会*6を得られてきませんでした*7。理由はよくわからないのですが、CG処理できない時代のイヌはどうしてもただでさえ荒唐無稽な『スーパーマン』の世界をさらにバカバカしくしてしまう危険が厭われたのでしょう。*8

(『リック・アンド・モーティ』より。ザック・スナイダー(声・ザック・スナイダー)のただしさを認めるジェームズ・ガン(声・ジェームズ・ガン))


 実際、クリプトが活躍してきたのは制御可能なコミックやアニメの世界でした。そこでのクリプトは飼い主であるスーパーマンに負けず劣らず知的で生真面目なヒーロードッグでした。外見は基本的に統一されていて、「スーパーマンとおそろいのマント」のほかには、「がっしりとした立派な体格」に、「白く短めの体毛」を具えていました。犬種的には(異星犬なので地球の犬種にあてはめるのも見当違いかもしれませんが、)ラブラドール・レトリーバーにもっとも近いでしょうか。ラブラドールは知的で活発、そしてなにより飼い主に忠実なことで知られています。まさに、スーパーマンの愛犬にふさわしい。

(『スーパー・ペッツ』のクリプト。飼い主であるスーパーマンのイメージを模してもいる。)

 ところが、ジェームズ・ガン版『スーパーマン』では、70年間(アニメ映画『スーパーペット』に至るまで)ほぼ一貫してきたこの定型が覆されています。オズに準じた新クリプトの外見は、どちらかといえばテリア系。
 テリアはやんちゃで躾のしにくい系統です。だいたい、映画に出てきたクリプトのような挙動を見せます。この「忠犬」から「適度にいうことをきかない愛犬」へのモデルチェンジが映画全体のテイストを、ひいてはストーリーをも左右しています。
 

反復と伏線としてのバカ犬

 ジェームズ・ガン版『スーパーマン』におけるクリプトは単なるマスコットではありません。きちんとクライマックスに貢献する「good boy」です。
 劇中、クリプトは球状のものを見るとすぐに反応し、じゃれつきます。その被害をもっとも被るのが天才科学者ヒーローであるミスター・テリフィック。かれはハッキングから飛行、戦闘までをすべてこなせる謎球体「T-スフィア」を操るのですが、それにクリプトは中盤のポケットユニバースでのスーパーマン救出シーンでじゃれついてテリフィックを苛立たせてしまう。
 ここでのクリプトの「ボール好き」は悪癖として強調されます。ヒーローとしても役にたたない資質であるようにもおもわれる。
 ところが、クライマックスのスーパーマンウルトラマン戦において、この悪癖がむしろスーパーマンの有利に作用するのです。ウルトラマンは背後にいるレックス・ルーサーの指示によって緻密な格闘を繰り出せるわけですが、その連携にはウルトラマンの周囲を漂うカメラドローンが欠かせません。クリプトはこの球状のドローンに飛びかかり、一挙にルーサー側を窮地へと追い込み、形成を逆転させます。

(レスキュードッグ、クリプト)


 さらにいうのなら、このくだりにおけるクリプトの登場シーンは映画冒頭の反復にもなっている。打ちのめされて絶体絶命になっているスーパーマンのもとに駆けつけ、かれを助ける。それをやってくれるのが他のスーパーヒーローではなく、ともすれば人間ですらなく、ことばも解さない一介のイヌ。クリプトは「言うことを聞く献身的な忠犬だから」スーパーマンを救うのではなく、「言うことを聞かないけれど、善意を持ってスーパーマンと互いに信頼しあう間柄だから」こそスーパーマンを救えるのです。*9
 ここもまた、アウトサイダーたちの映画としてのジェームズ・ガン作品の面目躍如たるところでしょう。

飼い主のキャラ紹介装置としてのイヌ

 さらにクリプトは作品単位のみならず、新生DCユニバース全体のストーリーテリングにも寄与しています。途中でロイスからクリプトの躾がなっていないことを指摘されたスーパーマンは「これは飼い犬というより、預かっているイヌだから……」とぼやきます。たしかに映画の冒頭から「生真面目なスーパーマンがイヌの躾を放棄するか?」という違和感はつねにつきまとっていましたから「実はスーパーマンの飼い犬ではなかった」というオチは納得できるところです。
 そして、映画の終盤になって、その「真の飼い主」の正体が明かされます。ここでのキャラクターのつなぎ方がうまい。「このイヌ」の飼い主であれば、「このキャラ」しかいないだろうとおもわせてくれ、ユニバースのつぎなる展開に期待を持たせてくれます。つまりは、クリプトの性格が媒介となり、登場時間にしてわずか数十秒ほどのキャラクターの紹介がほぼ十全に果たされている。これも、クリプトの存在抜きでは説得力を欠くあたりです。劇中ではスーパーマンがいっているとおり「イヌは飼い主に似すぎる」のです。

構図的な対比としてのイヌ

 ダイアログや展開上の役割だけでなく、キャラ配置におけるクリプトの存在も指摘しておくべきでしょう。
 本作でルーサーに使嗾されるヴィランのひとり、ウルトラマン。かれの正体が実はクローン技術で作った「おバカなバージョンのスーパーマン」であることが映画後半に明かされます。ウルトラマンは能力や肉体こそスーパーマンに劣らないのですが、ほとんど思考能力を持たないため、ルーサーから一挙手一投足を指示されることで戦闘や悪事を行うのです。
 いってみれば、ルーサーにとってのペットです。ルーサーのチームは人数こそ多いものの、主体性に欠けたイエスマンばかりです*10。これは「自分勝手でどこか抜けているけれども、自分なりの主体性と倫理を具えた」スーパーマン側のひとびと(デイリー・プラネットやジャスティス・ギャング)との対比になっています。
 つまり、ルーサーの専制的支配に対抗する形でスーパーマンたちのチームはいる。その代表こそが飼いならされていないクリプトであり、かれがラストバトルに直接参戦するのも必然であるわけです。たがいに自分を生きながら、どこかで結び合わされる映画『スーパーマン』の人間関係があの白いふさふさした体毛に集約されている。「自分が犬と一緒になっておればこそ、わたしは、複数の種の結び目――複数の種が結びこまれ、互いに繰り返す反応によって結び直される――に引き寄せられる」*11
 イヌにまつわる歴史を語る多くの書物が認めているように、ヒトがイヌを家畜にした一方で、イヌはヒトを「人間」にしました。*12もちろん、「人間」になろうとするスーパーマンに愛らしくも愚かなクリプトは必然なのです。



おわりに。

 イヌ映画とは、ただイヌが出てくる映画のことではありません。イヌでなければ成り立たない映画のことです。ですから、その物語からイヌを差し引いたり、ほかの動物で代用できたりする映画は本来イヌ映画と呼ぶに値しません。
 なればこそ、『スーパーマン』はイヌ映画なのです。
 ただ原作でクリプトがイヌだからという理由だけでイヌを出してくるような怠惰さに陥っていたのであれば、新生DCユニバースはおそらくDCEU時代とおなじ轍を踏んでいたでしょう。
 このことは少なくともDCスタジオの総帥たるジェームズ・ガンがストーリーのことを真摯に考えていることの証左です。
 とはいえ、『スーパーマン』はそれまでの『スーパーマン』映画の流れに、たまたまジェームズ・ガンのひねくれ性が合致してしまった結果でもある。果たして今後の新生DCユニバースの行方は――と心配するのはやめておきましょう。映画とはおよそ二時間の祝祭であり、祭りとは期間の区切られた非日常であり、その場その場で消費されるべきものです。
 わたしたちはひとつひとつ観ていって、眼の前のアイキャンディと戯れていればよい。
 そうしたあるべき鑑賞態度こそ、クリプトが今回教えてくれたことではありませんか?


 なあ、ジェームズ……



 やっぱりちょっと心配かもしんない。


〜🐶終🐶〜



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そろそろカテゴリ分けしたほうがいいかもね。

*1:今作のスーパーマンは戦いのたびに地に這いつくばります。主要なところで、三度。それはかれの飛行能力との対比でもあるわけですが、同時に倒れるたびに「だれかの力を借りて立ち上がること」を語るためでもあります。

*2:正確には預かっているイヌ

*3:撮影中のスタンドダブルはジョリーンという俳優犬

*4:https://www.vulture.com/article/krypto-superman-inspiration-james-gunn-dog-ozu.html

*5:クリプトの略史はここに詳しい。https://time.com/7301596/krypto-dog-superman-history/

*6:ドラマでは『スーパーマン・アンド・ロイス』にちょこっと出てきたりしてらしい。

*7:ちなみにクリプトは「クリプトン星時代からのエル家の愛犬で、脱出時にスーパーマンともども地球に送られたものの途中ではぐれてしまい、あとから(スーパーマンのデビューから17年後の1955年に)やっと合流した」という設定です。クリプトとはもともとそのようにして迂回してやってくるイヌなのです。

*8:https://www.moviemaker.com/krypto-supermans-dog/

*9:いそいで付け加えさせてさえてもらうならば、スーパーヒーローや人間が役に立たない、ということではない。「メトロポリスか、紛争地域か」の二択を迫られたさいに「どちらも助ける」というヒーロー的な選択肢を取れたのはグリーンランタン率いるジャスティス・ギャングのおかげですし、当初は敵対するポジションだったメタモルフォも人外の極みのようなビジュアルと能力でありつつもチームの一員に加わっている。そして、ルーサーを追い落とす鍵を握るのはデイリー・プラネットのボンクラ社員のジミーと一見頭空っぽな恋愛体質インフルエンサーのイヴです。かれらは全員、完璧なヒーロー/人間然としてはいませんが、ここぞというときに矜持を発揮し、人類を救います

*10:とはいえ、濃淡はあれどそうした「なにも考えてないとおもわれたルーサーの手下たち」から主体性を発揮するキャラが何人か出てくるのはおもしろいところです。

*11:ダナ・ハラウェイ、高橋さきの・訳『犬と人が出会うとき 異種協働のポリティクス』青土社

*12:家畜化されたイヌはそれ以前に比べて脳容量が20%減少しましたが、同時にヒトもイヌ家畜化以前に比べて脳容量が10%減っています。/島泰三『ヒト、犬に会う 言葉と論理の始原へ』講談社選書メチエ