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新潮クレスト・ブックス全レビュー〈10〉:『西への出口』モーシン・ハミッド

モーシン・ハミッド『西への出口』、Exit West、藤井光・訳、英語



 私達はみな、時のなかを移住していく。
                (p.167)



西への出口 (新潮クレスト・ブックス)

西への出口 (新潮クレスト・ブックス)



 内戦下にある国のある街で、サイードとナディアは恋に落ちる。戦争に日常を蚕食されていくなか、ふたりは不思議な噂を耳にする。「扉」の噂だ。なんの変哲もない扉が、突然、遠くにある別の街へと繋がる扉へと変わるという。ふたりは戦火を逃れるために「扉」をくぐることを決意する。
 はたして「扉」は噂通り西へーーギリシャのミコノス島に繋がっていた。ふたりは難民として流れ着いた地で生き延びようとし、あたらしい「扉」をくぐるたびにさらに西へと移っていく。そして流亡の日々のなかで、ふたりの関係も更新されていく。
 世界は静的にはできていない。常に変貌していく。そうして、なにが変わっていくのか。自分とモノ、そして自分と他者との距離だ。
 サイードとナディアの風景をまず作り変えたのは、戦争だった。多くの戦争フィクションにおける市街戦の描写で明らかなように、戦時下における街は平和な時の街と違う表情を見せる。家族や生活を包む建物は、銃弾を避けるための防護壁となり、敵が潜んでいるかもしれない物陰となる。窓も外を眺めるための安全で透明な壁などではなくなり、「死が入ってくるとすればその可能性がもっとも高い境界」(p.59)へと変わる。
 そうしたリアリスティックな観察の延長線上で、モーシン・ハミッドは扉に魔法をかけた。
「扉」をくぐることは亡命越境のメタファー、というかその行為そのものとして描かれる。ファンタジーめいた「扉」の先には難民キャンプがあり、現地民による難民差別があり、テクノロジーによる監視があり、要するに現実がよこたわっている。
 単に戦争難民の流氓の物語として書くこともできたはずだった。かれらの艱難辛苦に寄り添ったドキュメンタリー的な書き方だって採れただろう。しかし、本書は意図的に抽象化を徹底した。本書に出てくる登場人物はナディアとサイード以外、名前を与えられていない。彼らの故郷である街も国もその名が示されない。
 モーシンはそうした寓話的な手法の意図を問われ、「読者自身の、あるいは読者に親しい人の住む街として想像してもらいたかった」*1と答えた。自らの住むパキスタンのラホールをモデルにしたが、そこが戦火に晒されると想像するのがつらかった、なぜならたぶん起こらないだろうが、全くありえないことではないから、とも。
 本書は特定の場所に生まれた特定の誰かの物語ではない。だからこそ、本書は名前をもったふたりの人間の恋愛という普遍的な切り口を通して語られるのだろう。
 劇中でもサイードはこんなセリフをナディアに言う。「空は同じで、時刻が違うだけだよ」。
 それは人間同士の関係を指しているのかもしれないし、悲劇の無場所性を指しているのかもしれない。わたしたちは結局みんな同じ場所にいて、ただ異なる時刻に生きているだけの存在なのかもしれない。
(1034文字)