名馬であれば馬のうち

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I KILL GIANTS ――『バーバラと心の巨人』

 ピュアな魂があまりにもハードすぎる現実に耐えきれず、膜を隔てて世界と接することがある。『ベイビー・ドライバー』の場合、その膜とは音楽だった。そして、『バーバラと心の巨人』では巨人(ジャイアンツ)*1だった。



映画『バーバラと心の巨人』予告編



 ロングアイランド*2の浜辺に近いボロ家に姉兄らと住む少女バーバラ(マディソン・ウルフ)は、日々攻めよせる巨人から街を守っている。だが、他人の目から見れば完全に変人だ

 うさぎの耳を模したカチューシャをつけ、「コヴェルスキ」という昔のプロ野球選手の名前をつけたポシェットを携行し、呪術めいた奇行に走るバーバラは、学校でも浮いた存在でいじめっ子に目をつけられていた。*3

 そんな彼女もある日イギリスから転校してきたクラスメイト(シドニー・ウェイド)と接近し、「巨人」の何たるかについてレクチャーするほど仲良しになる。

 一方、学校の新任心理カウンセラー(ゾーイ・サルダナ)は素行と家庭に難しい事情*4を抱えたバーバラを心配し、対話しようと試みる。しかしバーバラはカウンセリングを拒む。

 特に家族の話題を出したときのバーバラの反応は頑なだ。バーバラは「巨人」とそれをとりまく世界観に生きているが、その膜を切り裂いてバーバラを傷つける話題が「家族」だ。

 そこのあたりが端的に表れているのが事実上の家長として一家を支える姉(イモージェン・プーツ)と手人形で会話するシーン。架空のキャラクターの口を通じて普段はギスギスしている姉となごやかにやりとりするのだが、姉がふと「私ももっと妹と向き合うべきかしらね」とつぶやくと、途端に人形を引っ込め気まずく沈黙する。「家族」がバーバラを剥き出しの現実に引き戻す。


 一体「家族」のなにが彼女はそこまで追い詰めているのか、というのが本編の興味を牽引するメインの謎だ。

 バーバラの「巨人」は周囲のひとびとから空想と見なされ、映画の物語もあたかも現実逃避に走る少女を友人やカウンセラーを通じて社会化していくかのように展開される。

 転校生の少女は常に黄色のコートを羽織っているが、これはバーバラが常用しているワインレッドのパーカーとの対比であるとともに、劇中で頻繁にスクールバスの黄色と重ねあわされる。つまり、転校生はバーバラにとって学校=健全な社会への媒介だ。


 ところが、そうした見方だけでは取りこぼされる面もある。

 空想癖は現実から逃避する手段である、そういう観念がとかく抱かれがちだ。事実、「現実の苦痛から逃避するためのマジカルでリアルな空想」を描いた映画作品はヴァリエーションまで含めると枚挙にいとまない。*5

 しかしバーバラの「巨人殺し」はストーリーは逃避のみに徹しているわけではない。

 冒頭におけるバーバラのパンチラインを思い出していただきたい。

「私は巨人を見つける。巨人を狩る。そして、殺す。(I find giants I hunt giants. I kill giants.)」

 バーバラは自らを「戦士」と認じ、「巨人」を捕捉するための罠を日々試験し、巨人を倒すために呪文を張り巡らせている。必殺の武器はポシェットに秘めた巨大ハンマーだ。引きこもるために作り出すストーリーとしてはかなりアグレッシブであるといえる。

 バーバラにとり、「巨人殺し」は生の現実に向き合うためのプロセスの一部だ。
 個人的には自己セラピーと形容したくはない。バーバラにとって「巨人」は明らかに現実であり、そして世界だ。*6 *7
 ラストシーンにも描かれているように、彼女は「巨人」がいたからこそ、自らと戦えた。空想は弱さの現れかもしれないが、同時に強さを与えてくれる道具でもある。
 あるいは想像力が本来はバラバラに独立している身の回りの物事を統合し、意味のある物語に整えるからこそみな日々をギリギリに生きられるのであって、そう考えれば本作は誰しもが持っている正気についての物語なのかもしれない。



I KILL GIANTS (IKKI COMIX)

I KILL GIANTS (IKKI COMIX)

 ずいぶんひさしぶりに読み直したけど、コミック版はバーバラ視点でのマジックリアリズム的世界のディテールが豊富で、映画版はそこを削った分、姉を中心とした家族の話に注力した印象。

*1:大枠は北欧神話のそれに則っている。共同原作者のケン・ニイムラ曰く『ワンダと巨像』や『千と千尋の神隠し』に影響を受けたそう。http://collider.com/i-kill-giants-movie-interview-joe-kelly-ken-niimura/

*2:共同原作者で脚本も務めるジョー・ケリーの実家がある場所。「変化の象徴としての水辺」の意味合いも込められているらしい。ちなみに実際の撮影場所はダブリンやベルギーだったとか。https://nofilmschool.com/2018/03/i-kill-giants-screenwriter-joe-kelly

*3:いじめっ子がバーバラを袋叩きにするシーンは割と真正面から物理的に暴力的で、女の子同士がいじめが描かれる映画としては珍しい描写な気がする

*4:コミック版では終盤までかなり強引に隠匿されるが、映画版ではかなり早い段階で見抜けるように作られている。

*5:最近だとテーマ的に非常によく似た作品にJ・A・バヨナ監督『怪物はささやく』がある。原作の出版も『I KILL GIANTS』とほぼ同時期。

*6:コミック版では巨人と人間の質感がフラットだったために現実と非現実の境目がより曖昧であり、巨人以外にも妖精などのファンタジーキャラが登場するためよりマジックリアリズム感が強い。一方映画ではバーバラのネガティブな神経質さが強調され、巨人がCGで描かれるため、逃避癖的空想感が強くなってしまっている

*7:さらにいえば、監督のアンダース・ウォルターは「状況に伴う苦痛を緩和するためのイマジナリな世界やファンタジー」に興味があると述べている。すくなくとも彼自身は空想の逃避的な面を描きたいようだ。https://www.filminquiry.com/interview-anders-walter/