名馬であれば馬のうち

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ラーメンのたまごをどう食べればいいのか問題

 たいして美味い食い物でもないどころか一食あたりベーコン七枚分ほどの寿命を減らす反滋養食にもかかわらず、ラーメン屋という帝国はなぜだか繁栄を極めており、いっこうに滅びる気配がない。
 ことさら嫌いな文化なわけでもなし、滅びないなら滅びないで結構。しかし、もし近々に滅びる予定があるのなら、せめてたまごの食べ方を教示してから滅んでほしいとおもいます。

 ラーメン屋のたまごはむずかしい。まず「たまごください」と頼むと、頼むのは大抵店員にではなく券売機のなかに入ったイルカに対してだが、ともかく頼むと無条件に半熟たまごが提供される。この時点でもうむずかしい。一般に「たまご」といった場合、全人類の半数が想起するのは生たまごであり、残りの半数が想起するのはゆでたまごだ。なぜ「たまご」と言っただけで、半熟が出てくるのか。あるいはイルカの常識ではたまご=半熟なのかもしれないけれど、イルカは胎生の哺乳類であって、たまごが身近にある動物ともおもえない。
 
 食べるときも困る。食べるときが一番困る。
 半熟とは、ようするに半分しか熟してないたまごである。だから、あつあつのスープにつけるとたちまち熟してない側の半分が溶け出てしまう。このとき、不健康なオレンジ色の卵液が油のように豚骨スープと混ざるさまをもちもちぼんやり眺めていると、ラーメン屋のおやじから怒号が飛んでくる。うちのスープはバラの骨だけで取ったピュアな味わいが売りなのに、さっそく一個百円のたまごと混ぜるとは何事か、と。ラーメン屋のおやじというのは別に自分がラーメンを作ってるわけでもないのにやたらラーメンの食べ方にうるさい。でも、店主だけあって客を怒鳴りつける権利だけは一丁前に保証されていて、怒鳴られた方はその日いろいろつらいことがあったのもあって感情が溢れてしまい、もう泣くしかない。おまえごときが泣いたところで、ラーメン屋のおやじは許さない。鬼である。鬼はおまえの涙が枯れるか、耐えきれなくなって金を払って(すでに券売機で支払っているので二重請求である)遁走するまで怒鳴りつづける。濃厚な甘い豚骨スープのはずがこぼれおちた涙ですっかり塩ラーメンのあじわい。
 
 ではどうすればいいのか。
 取りうる方策はひとつしかない。
 スープに浮かんだたまごの黄身に麺をつけて食べるのだ。
 いってみれば、つけ麺の応用だ。半分こに切られて断面を上にしたたまごを椀に、黄身をつけ汁に見立てる。ラーメン椀のなかでラーメン的な行為をエミュレーションするマインクラフト精神に満ちた処理法であるが、言うほど簡単にはいかない。
 半熟卵の黄身はねばりけがつよい。さきほどのようにうっかりもちもちしていると麺を黄身につけた拍子にたまごの舟が転覆してしまい、乗客たる黄身は全員溺死あるいは行方不明。洞爺丸転覆事故以来の惨事として責任者たるおまえは遺族やイルカやそして何よりラーメン屋のおやじからはげしく糾弾され、そのせいで心身を病んで退職し、残りの人生を精神病院のベッドのうえで「どうすればあの悲劇を防げたのか」という逆『ハドソン川の奇跡』的な後悔に苛まされながら生きることになり、のちに中井英夫がその事故を題材にミステリを書いて江戸川乱歩賞に送ろうとするが、第一部までしか書かれてなかったのでさすがに受賞はできない。ようやく塔晶夫名義で講談社から出版されるころには、おまえはすでに死んでいる。なにもかも報われない。でもそれが人生ってもんじゃないか? すべてはおまえの肉体と精神が脆弱だったせいだ。

 なので、おまえは、身体を鍛えだす。筋肉を鍛えたら、健全な精神もしぜんについてくるだろうと無根拠に盲信し、ジムに通う。いちばん大事なのは指先の筋力、そして箸運びの繊細さだ。おまえは練成する。おまえは練達する。誰よりもビルドアップされた肉体と、巧緻極まる箸使いを獲得する。もうラーメン屋のおやじに怒鳴られても泣きべそをかいたりしないだろう。おまえはつよい。おまえは最強だ。

 おまえは憂いも躊躇いもなくラーメン屋に入る。ラーメンを頼む。もちろん、たまごつきで。券売機のなかのイルカが何かを警告するように、きゅう、と鳴くが、慢心したおまえに届くことはない。というか、超音波なのでそもそも聞こえない。
 ほどなくラーメンが収穫されてカウンターに供され、おまえは驚く。
 
 たまごが割られていない。
 
 普通は、切る。二つに割る。そして、平面をを上にし、湾曲した尻をスープに濡らして、ふたつのミニつけ麺汁が出てくる。そのはずだった。だが、目の前にあって至福の二次曲面を具えるその完全なる楕円体は、高潔なまでに浅黒く、淫靡な黄身をどうしても晒そうとしない。おまえは二十年前の淡い初恋をふと思い出しかけるが、今思い出してみたところでなんになる? 甘美な懐旧ではなく、現実からの逃避にしかならない。
 事ここに至っては、もはや熟練の操箸技術も頑健な筋肉も無為無益だ。モミの木から削り出したと称する店特製の割り箸は、つるりとしたたまごの表面をむなしくすべるばかり。焦りは恐ろしい勢いで時間と精神を蝕んでいき、もはやおまえはラーメン屋のおやじの怒号どころか、コンビニの店員の「袋はお分けしますか?」という問いかけにすら泣き出すだろう。
 もうだめだ。
 なにもかもだめだ。
 頭が割れそうだ。
 鼻の上のあたりがじんじんと痛む。

 なぜ、誰も教えてくれないのだろう。みんなどうやっているのだろう。
 みんなどうやってラーメンのたまごを食べているの? なぜ、ラーメン屋にはラーメンの食べ方マニュアルが置いてないの? 言われなきゃわかんないじゃない? こういうの、教えてくれなきゃできないじゃない? じゃなかったら、券売機だけじゃなくて、食べるところまで全部オートメーション化してよ。
 

 そんなとき、 
「お困りですか」
 と、声をかけてきたのが隣に座っていたテッセクラトである。
 われわれより高次元なからだを持つこの正八胞体は、他人をおもいやるこころまで高次にできているらしく、堅牢な白身に守られたたまごの食し方について実に有用なアドバイスをくれた。

「卵だけ、手でつまみ出して口にいれればいいんですよ」
 
 まさにコペルニクス的転回。四次元存在にしかできない、革命的な発想である。そうして、おまえのなかでパラダイムがひとつシフトした音がなり、おまえは無思慮に指をスープに突っ込む。

 熱い。

 おまえは椅子から転げるようにずりおち、のたうちまわる。客たちの視線がいっせいにおまえへ注がれる。ラーメン屋のおやじはもちろん激怒する。
 テッセクラトは他人のふりをしている。だが、彼は最初から他人であったし、むしろ他人でなかった瞬間など毫もなかった。おまえはその認識不可能な横顔に、四次元をサバイブするものの冷徹さを知る。いくら精神を鍛えようと、けして及ばぬ領域があるのだ。そして、それは。

 ラーメン代を二重徴収されて店の外へ放り出されたおまえはもはやイルカにも劣る生き物だ。引退して余生を過ごすなどもう許されない。おまえは人間としての尊厳を、生きる資格を取り戻す必要がある。つまり、おまえが死ぬか、ラーメンが死ぬかだ。
 おまえがラーメン文化の撲滅を決意したのはまさにこのときだろうと言われている。厳密に史料に照らすと、前後数日のスパンで複数の説が入り乱れていて、学界では今も論争の的であるらしいが、おおよそ大衆に信じずるところの「歴史」というものはわかりやすく劇的でチージーなものだ。
 いまだにラーメンのたまごのただしい食べ方はわからないけれども、殺すべき対象だけは精確に識別できる。 


 麺類のモンテ・クリスト伯と化したおまえは、敵側のやわらかい脇腹にまず食らいつく。イルカだ。券売機のなかで一日四時間二交代制時給三千六百円の奴隷労働を強いられているイルカは賃金が払われている時点で厳密な意味での奴隷にはあたらないかもしれないが、その悪辣な資本の論理は間違いなく現代の奴隷を意図しているであろう旨を強く主張し、おまえの復讐に力を貸す。
 イルカが券売機のボタンの灯りを利用したモールス信号で言うには、ラーメン屋のおやじは実はラーメンを作っていない。ラーメンというものは、ラーメンのたまごからできるものであり、麺はたまごの黄身、スープは白身の部分なのだそうだ。ラーメンを作るにあたっては、ただ器のなかにラーメンのたまごを割って落とせば良い。

 ラーメンがたまごからできると言うのなら、その親はなんなのだ、とおまえは尋ねる。
「わたしたちです。わたしたちフジツボ・イルカの無精卵がラーメンのたまごになるんです。
 ジェラル・ド・バリことジラルドゥス・カンブレンシスは1187年にわれわれについてこう書き残しています。
『当地にはベルナカと呼ばれるイルカがたくさんいる。自然に逆らって生まれる、まことに不思議なイルカである。バンドウイルカに似ているが、少し小さい。海に投げられたたまごから産し、メスは十分に成熟すると陸にあがってモミの木のような形へ変化する。その木とオスがつがい、ベルナカのたまごが成る。たまごは熟すと自然に木から離れ、海へと転がっていく。
 孵化しなかったたまごを割ると、しなやかでつるつるしたツタのような黄身が出てきて、これを白身と一緒に煮ると美味である。こうしたことからアイルランドのいくつかの地方では、司教や牧師が斎日にこの鳥を何のためらいもなく食している‥…』
 マンテヴィル卿やヘリット・ド・フェーアといった名だたる冒険家たちもたびたび著書でわれわれについて言及しています。
 おそらく、アイルランドでほそぼそと食されていたわれわれの無精卵に目をつけて、テッセクラトたちが日本にラーメン食を持ち込んだのでしょう」

 そう。
 券売機で働くフジツボ・イルカたちこそ、ラーメンの原材料だったのだ。
 われわれは彼らのこどもたちをすすっていたのである。
 倫理とは……。

 では、ラーメン屋のおやじにどういう役割が与えられているのかいえば、何も与えられていない。彼らはみな近所の狂人であって、きままにラーメン屋のキッチンにやってきてはてきとうに小麦粉の麺をゆがいたり、使ってもない器を洗ったり、麦飯を盛ったり、客を怒鳴りちらしたりしている。実際の業務をやっているのはテッセクラトたちで、彼らはわれわれ三次元生物には見えない空間でラーメンのたまごを器に落としたり、器を洗ったりしている。
 
 するってえとあれだな、とおまえは鼻先を意味もなく親指で拭いながら言う。あまねく四次元空間をぶっとばしちまえばラーメンは終わる。
 
「そして、われわれイルカたちも解放される。理論上は、そうなりますね。理論上は」
 
 そんなに難しいことなのか、とおまえは訊く。

「少なくとも、人間の物理理論では彼らの領域に攻め入る方法は存在しません。」 

 じゃあ、どうする。

「人間のがダメなら、イルカのがあります。
 いいですか。テッセクラトに支配された食べ物屋は何もラーメン屋だけではありません。
 和食、イタリアン、中華、フレンチ、インド料理、ハンバーガー、ケバブ屋、回転寿司……まあとにかく外食産業はどこもテッセクラトに蚕食されてしまっているんです。そしてどの分野でもイルカとカッパが奴隷として酷使されている。
 そんなテッセクラトの陰謀ネットワークの頂点に位置しているのが『ミシュラン』と呼ばれるガイドブックです。
 彼らはそのガイドブックを通じて人間の食欲を支配し、自分たちに都合のいい店に誘導している……そうそう、『ミシュラン』のマスコットキャラがいるでしょう。
 タイヤが重なった姿と言われていますがあんなのは大嘘で、その正体はテッセクラトたちの王――十六次元存在の戯画化された姿です」

 なんということだ。そんなやつらに勝つ方法があるのか。

「勝算は五分といったところですが……
 われわれはこう考えました。
 相手がガイドブックで人間たちの食欲を都合よくマニピュレートしているのなら、こちらも同じ手段で彼らの『フランチャイズ』から人間たちを引き離せばいい。
 つまり、あたらしいレストランガイドの創設です。
 われわれは何年ものあいだ、そのたまごを温めつづけてきたました。すっかり熟して復讐を受肉するまでね。そして今、あなたが現れて時が満ちました。
 
https://tabelog.com

 『食べログ計画』が今こそ孵化するときです。」

 食べログでやつらのラーメン屋の評判を落とせば……。

「テッセクラトたちの野望は潰える。彼らの目的がなんなのかはよくわかっていないんですが、まあそれはどうでもいいですね。さっそくとりかかりましょう」


 おまえたちは手動でテッセクラトたちの店のレビューを入力する。
 アタックをかけはじめてやっと、なぜイルカたちがおまえの登場を待ったのかが判明する。
 フジツボ・イルカたちのヒレはキーボード入力に向かず、スマホを介したフリック入力も流暢とはいえないのだ。なので、いやがらせの主力はおまえだ。イルカと人類の最後の希望。

「まずい」「うんこのあじがする」「スープの中にコンドームが入っていた」という定番disはもちろんのこと、「味は悪くないけど、料理が出てくるのに十分もかかったので星ひとつです」「店員のツラがむかつく」「そもそもラーメンというのが気にいらない」などの難癖も縱橫に駆使して、テッセクラトたちの店をじわじわと追い詰める。
 攻撃開始から三ヶ月も立つ頃には、潰れる店も出てきた。
 その一ヶ月後には二軒。
 その一ヶ月後には七軒。
 一件潰すたびに、イルカたちが総出でおまえのことをほめてくれる。
 おまえの惨めな人生にはついぞなかった幸福だ。
 おまえは勢いづく。
 ドミノだおしのように店が潰れまくる。あらたに解放されたイルカたちの歓喜の声が大波のようにうねる。カッパたちもおおよろこびだ。三軒に一軒はイルカもカッパも出てこないが、調査管理部は誤差の範囲内であると回答している。

 さらに半年後には一週間で七十三軒。
 市内からラーメン屋のみならず、外食屋という外食屋が消えた。


 その日、イルカたちの様子がおかしい。
 みな挙動不審で、おまえをみると皆目をそらす。
 おまえは不安にかられる。

 なにかまずいことをやってしまったのか?

 また、なにか間違えてしまったのか?

 また、ひとりぼっちになってしまうのか?

 おまえは何ヶ月かぶりに泣きそうになりながら、イルカたちの用意してくれたドミトリーへと戻る。
 真っ暗な部屋に入った瞬間、電源にふれてもないのにパッと灯りがつき、複数の乾いた破裂音がさして広くもない空間に響いた。
 色とりどりのリボンがおまえのからだにまとわりついている。
 おまえはわけがわからない。
 眼をあげると、イルカたちの嬉しそうな顔、そして、天井につりさげられた「お誕生日おめでとう!」の垂れ幕。


 おまえはながらく自分の誕生日など忘れていた。


 おまえは、そこで、やはり泣いてしまうのだ。
 イルカたちが心配そうな顔つきでかけよってきて、
 おどろかせてごめんなさい、
 とすっかりおまえも聴き取れるようになったやさしい超音波で語りかけてくるが、ちがう、そうじゃない、そうじゃないんだ。
 おまえはなにかを言おうとするけれども、それらはすべて目もとから溢れる涙に絡み取られて、けっきょく何もことばにならない。
 だが、イルカたちには伝わっている。
 おまえたちは共鳴している。


 おまえはいまだにラーメンのたまごの正しい食べかたを知らないだろう。
 だが、自分が何者であるかを知っている。
 それで十分だ。


動物たち

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奇怪動物百科 (ハヤカワ文庫 NF (299))

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