名馬であれば馬のうち

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救おうとするから救えない――模造クリスタル『黒き淀みのヘドロさん』

 模造クリスタルは常に世間や他人から廃棄された人間を描く。

黒き淀みのヘドロさん 1 (it COMICS)

黒き淀みのヘドロさん 1 (it COMICS)

(作者のサイトで三話目まで読めます。http://www.mozocry.com/hedrosan/01.html

 
 ここにも廃棄されかけた人間がいる。無表情なお嬢様に仕える執事の少年シャンプーボムだ。彼は、お嬢様からあまりに冷淡に扱われているので自分の人生の意味の無さに絶望しかけていた。
 そこに彼のクラスメイトであるお節介焼きの黒魔術少女レーンちゃんが現れて、少年に「人々を助ける『白馬の騎士』を一緒に作ろう」ともちかける。材料はオホーツク海のヘドロ。理屈は曖昧だけれども、このヘドロに魔術書を用いてマニュピュレートした「人間らしさ」を与えるとヘドロ人間ができあがる、らしい。要はホムンクルスみたいなものだ。
 こうして完成したのが、超ポジティブポンコツ人造ヘドロ少女、ヘドロさんである。
 ヘドロさんは自分を作ったマスター(レーンちゃん)の命令どおり、人助けのためにがんばる。
 この漫画は、概ねそういう枠組みで進んでいく。


王様になる夢を十二時間見る職人は、職人の夢を十二時間見る王様と見分けがつかない

 なんやかんやあってお嬢様と執事の件は落着、というかうやむやにされて、第一巻の後半からは「りもん先生編」がはじまる。

 りもん先生はシャンプーボムやレーンちゃんの通う学校の有名人である。とてもきさくなキャラクターで、学校の先生・生徒からの人望も篤い。学校に通い始めたヘドロちゃんにも優しく接し、学校を案内するなどしてくれる。

 だが、その実体は、自分のことを教師だと思いこんでいる近所のアホである。

 彼女の扱いに困った校長は、レーンちゃんに対して「わけのわからんヘドロ生物の通学を認める条件として、りもん先生の身元を調査しろ」と取引を要求する。
 りもん先生が頭のおかしい無害なアホであればよし、何か裏があるようなら善後策を講じなければならない。 
 が、それは学校の事情である。りもん先生を慕うレーンちゃんたちはヘドロちゃんの人間生活のためとはいえ、気がすすまない。レーンちゃんは言う。
 

「りもん先生が先生じゃないのはみんな知ってる。知らないのは、りもん先生だけ。りもん先生だけが知らない。だから、うまくいってる。だから、この事件を解決する必要はないんだ…」(p.152)

 
 りもん先生の認知が歪んでいるからこそ、まるく収まっている。彼女が正気を戻ってしまったら、認知が他の「まとも」な人と合致してしまったら、誰も幸せでなくなってしまう。レーンちゃんはアメリカ皇帝を自称した狂人ジョシュア・ノートンのエジプト版みたいな挿話を紹介しつつ、その危険性を指摘する。にもかかわらず、探偵行をきっぱりやめようとはしない。妄想狂の幸福な世界は、崩壊に向けてまっしぐらへとつきすすむ。


 前述のように、ヘドロちゃんは人助けのために生み出された白馬の騎士だ。ヘドロという悪から生み出された善である(というように作中では言われる)彼女はまったく裏表なく、純粋な善意と熱意でもって皆を助けようとする。
 その行為は歪みを矯める、という意味において治療ともいえるかもしれない。
 彼女自身が悪から善へと変換されたように、彼女は「間違った状態」にある他人を「正しい状態」へと(彼女自身意図する意図しないにかかわらず)戻してしまう。その過程で歪みの膿みたいなものが表出してしまい、トラブル化する。
 
 「お嬢様編」では、お嬢様と執事との閉鎖的で異常な関係に初めての健全な他者として現れた結果、お嬢様を狂わせてしまうし、「りもん先生編」では、先生の異常性を追求することが先生を追い詰めていく。
 人助けのはずが、介入することや解決することそれ自体が不幸を引き起こしてしまう。それは模造クリスタルの代表作である『金魚王国の崩壊』で見られた、虐待されたバッタを救おうとして結果的に不幸なバッタをふやしてしまう主人公みかぜちゃん的なジレンマだ。あるいはこの救いのない無常さこそ模造クリスタル的世界観のキモと言い切ってしまってもいいのかもしれない。


 人間は、どうすれば。
 
 

模造クリスタルという人

 『金魚王国の崩壊』というメンタルの弱った人に人気のウェブ漫画クラシックがあり、さっき引いたバッタの話でいえば、小学生男子がバットの肢をもいで作った肢なしバッタを自然を愛する少女が買い取り、まもなく死なせてしまい、むなしくなっていると翌日に同じ男子からまた肢なしバッタを売りつけられそうになりキレるみたいな、病的な内容です。倉橋由美子はかつて、中井英夫の小説を病気のときに読むといいのはそれが病的な小説だからなのではなく脳に刺激を与える知的な喜びにあふれた小説だからだ、的なことを言ってたと記憶してますが、中井英夫中井英夫でまあいいとして、病的なフィクションも病人には効くんだと思います。ほら、ホメオパシーって疑似科学、あるじゃないですか。

 で、そんなメンタルに効くレメディである『金魚王国』の作者が模造クリスタル先生です。ネットやコミティアで精力的に活躍したのち、四年くらい前に『ビーンク&ロサ』なるキテレツな作品で商業デビューを果たしました。で、第二冊目の単行本として今年出たのが今回紹介した『黒き淀みのヘドロさん』(it COMICS)というわけです。
 amazon で名前を検索すると panpanya (『動物たち』『足摺り水族館』)や派手な看護婦(『魔女団地』)などの漫画家たちがついでにヒットしますが、まあ、そういう感じの漫画家です。
 ここはいい所ですね。なんて世界は目新しいんでしょう。すべてが光って見えますよ。