ネタバレ防止のため、発言者名は伏せてあります。
こうして抜き出してみると、各喩え話がゆるやかに繋がっていることがわかるようなわからんような。
一話「ワニのジレンマ」
「私たちは友人ではない……つまりですね、いつかはそうなるかもしれない。にしてもですよ、もし私があなたのような立場に置かれたとしたら、その男を殺しますよ」
「え、今何を……やだなあ」
「彼は高校時代にあなたを虐めていた、とおっしゃってた」
「四年間ね。人生の汚点です。一度なんか、オイル缶に詰められて道路で転がされた」
「ほんとうに? そのうえ、彼とあなたの奥さんとの関係まで聞かされた。彼の子どものまえで、また虐められたんです。その男にあなたと同じ空気を吸う資格はないですよ」
「あー、ハイ、でも……んー、でもですね……」
「いいや。『でも』もクソもない」
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「君の問題はだね、ずっとルールを気に病んで生きていたということだ。『そんなもの』は存在しないのに。俺たちはその昔、ゴリラだった。取るか取られるかがすべてだった。実際のところ、今日の君は昨日の君よりも『男』なんだよ」
「どうやってわかる?」
「赤潮だよ、レスター、俺たちの人生は赤潮だ。他人がひねりだしたクソを毎日食わされる。上司。女房。そんなやつらにすり潰される。もし屈したままなら、君のもっとも深く大事な部分はいまだに猿人(サル)なのだとやつらに思い知らせなかったとしたら……君は洗い流されるだけだ」
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「こんばんわ、お巡りさん」
「こんばんわ。免許証か登録証を見せてください」
「そういうやりかた*1もあるかもしれませんね。あなたは私に証明書を出せと言う。私は『これは自分の車ではなく、借りたものです』と応える。そういう帰結、そういう流れもありうるかもしれない。あるいは、あなたが御自分のパトカーに戻って、去ることだって可能です」
「なんでそんなことをしなきゃいけない?」
「なぜなら。いくつかの道はあなたが往くべきではない道だからです。古い地図に、『ここにはドラゴンがいる』と書かれているからです。今の地図にはそう書かれていませんがね。しかし、だからといって『そこ』にドラゴンが存在しないってわけじゃない」
「(パトカー内の無線から)パパ。応答せよ、パパ、オーバー」
「……車から出なさい」
「お子さんはお幾つだね?」
「出ろと言っているんだ」
「これから何が起こるか教えてあげよう、グリムリー巡査。私はウィンドウを閉めて、そのまま走り去る。君は娘さんの待つ家に戻る。そして、何年かごとに娘さんの顔を見るたびに思い知る。君がこうして生きているのは、あの夜に、あの道に行かなかったおかげなのだと。闇ではなく、光へ向かって歩くことを選んだおかげなのだと」
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二話「おんどり王子」
「覚えてるかはしらんが、おまえが五つのころ、虫歯を治すために麻酔をかけたことがあったな。マスクなんかつけて」
「ええ、甘い果物みたいなにおいのガスだった」
「ああ。私のやわいちっちゃな娘は、いまやドリルと針でできたハードな世界の住人ってわけだ」
「もう三十一だよ。銃だって携帯してる」
「そうだな。でも、関係はあるんだよ。教師が生徒のズル休みを見ぬくのと、警官が殺人や暴力や罰金のがれを目撃するのは、みんな似ているところがある。今おまえが抱えてる事件だってそうだ」
「なにが?」
「そうだな、俺が正しければ……それは、純粋でまっすぐな野蛮さだ。反吐をもよおすような殺戮だ。死んだ目をして鮫のような笑みを浮かべる悪魔だ。お前だっていつか結婚して、子どもを持つだろう。その子どもを、子どもの顔を見たとき、お前はこの世界の善なるを見るはずだ。そうでなければ、どうして生きられる?」
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三話「泥の道」
「ねえ、蜘蛛の卵を首に産み付けられた人の話、知ってる?」
「なにそれ」
「私の友達が、彼女の友達の身に起こったことだって教えてくれた」
「キモッ」
「うん。その人が寝てる最中に、首からいっきに蜘蛛のあかちゃんたちが湧き出てきたらしいよ。そんなことが起こるような世界に生きたいかどうか、わからない」
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「ゾンビ対策キットはいるか? ショットガン、山刀、ヨードチンキ。サイドビジネスってやつさ。ゾンビ・アポカリプスに備えて俺が自作したんだ。いつ死人が生き返って、『犬同士相食む』世界になるかわかんないからね」
「もう既に『犬同士相食む』世界になってるよ、御友人。ゾンビどもより悪いかもわからん」
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四話「知らぬ存ぜぬ」
「どうしてそんな嘘がつける?」
「人間の眼は他のどの色よりも、緑色を一番認識できるようにつくられている。知ってたか?」
「なんだって?」
「『人間の眼は他のどの色よりも、緑色を一番認識できるようにつくられている。知ってたか?』と言ったんだ。こっちの質問は『それはなぜか?』だ」
「……いやいやいや、ちょっ、ちょっと待て」
「いつか答えがわかったら、お前の質問に答えてやろう」
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「なにがあったの?」
「ええと、かれら*2がマルヴォを釈放したんだ。そう、アリバイがあって、それが確認された。でも、あいつに間違いない」
「どうしてわかるの?」
「僕がローン・マルヴォの名前を出したら、彼は立ち止まった。そして僕をとても面白そうに眺めた。で、なぞなぞを出してきた」
「どういうなぞなぞ?」
「そうだな、えー、人間の眼が他のどの色よりも、緑色を一番認識できるようになっているのはなぜか、みたいな」
「捕食者。人間はかつてサルだったでしょ? 森のなかでは、ジャングルのなかでは、なにもかもが緑色でしょ。だから、パンサーや熊から逃げるため、草や木々のあいだに潜むそういう動物たちを視認するため。捕食者だよ」
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五話「愚か者の群れ」
「ある金持ちの男が、ある日、朝刊を開いた。そして、世界が凄惨さに満ちているのを見た。彼は言った、『私には金がある。私ならどうにかできる』。彼は全財産を投げ打った。しかし、それだけでは足りなかった。人々はまだ苦しんでいる。
ある日、その男は別の記事を読んだ。彼は金を与えるだけじゃ不十分だと考えた。だから、彼は医者のところへ向かい、言った。『先生、私は腎臓を提供したいのですが」。
医者は手術を行った。大成功だった。
それでも、善い事をしたにもかかわらず、彼の気分は晴れなかった。人々は未だに苦しんでいた。
彼は医者のもとに戻り、こう言った。
『先生、こんどは全部提供したいのですが』。
医者は、『全部、とはどういうことです?』。
彼は言った。『今回は肝臓も提供したいんです。肝臓だけじゃありません。心臓も提供したい。心臓だけじゃありません。角膜も提供したい。角膜だけじゃありません。臓器を全部取り去りたいんです。私のすべてを。私の持っているすべてを』。
医者は言った。『肝臓は一つしかありませんし、あなたの全身をバラバラに剖けるなんて無理です。自殺ですよそれは』。
そして、男は家へ送り返された。しかし、助けを求めて苦しんでいる人々がいるのを知りながら、生きつづけることなどできなかった。そして、たったひとつ自分に残されたものを与えることに決めた。彼の生命を」
「それで、どうなったんですか? 苦しみは世界からなくなったんですか?」
「あなたが生きている世界がその世界です。どうお考えになりますか?」
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「たしか、ローマ人でしょう?」
「何言ってるんだおまえ」
「聖ローレンス。あなたの家のステンドグラスに描かれているやつ。ローマ人は彼を生きたまま焼き殺した」
「そうだな」
「なぜだかご存知ですか?」
「彼がキリスト教徒だったからだ」
「おそらくはね。しかし私は、ローマ人が狼に育てられたせいだと思っています。人類史上、もっとも偉大な帝国は狼によって築かれたんです。狼がどんな生き物だかご存知でしょう。彼らは狩人です。殺し屋です。だから私は『ジャングル・ブック』を信じる気にはなれない。狼によって育てられた子どもが、熊やパンサーと友達になるなんて。まったく信じられない。
ある女性がいましてね、百十ポンドもあるロットワイラー犬を飼っていました。ある晩、彼女はきっと面白いジョークになるだろうと考えて、四つん這いになって犬を自分にまたがらせた。去勢もしてないオス犬ですよ。犬にとってはジョークじゃなかった。彼女が発情したメス犬に見えた。彼はコトを終えるまで離れようとしなかった。女が自分の犯した間違いに気づいたときには、すでに手遅れだった。立ち上がろうとしても、犬はそうさせない。思いを遂げるまではね」
「いや……その……」
「狼に育てられたローマ人たちは、水をワインに変える男を見たとき、どういう行動に出たか。彼を食べてしまった。なぜなら、動物界に聖人はいないから。あるのは、朝飯と夕飯だけ」
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「ここはコミュニティなんだ。人々が他の誰かの後ろを見張ってあげるんだ。誰かが風邪をひいたら、誰かが死んだら、キャセロールを持ってきて、力を貸してあげるんだ」
「私は、力になるために来たのですよ」
「違うね。あんたの眼は黒い。あんたは災厄だ。私はこれから家に戻って、警察を呼ぶ」
「建物を眺めていただけで? ユダ公と外にいただけで?」
「それだよ。ついに本性を表したな」
「ねえ、二階の窓に警報装置をつける必要はないと考える人って多いんですよ。僅かな金を出し惜しんでおきながら、それでも自分たちは安全だと思っている。節約するなら、電話線を警報につなげないという手もありますね。もし賊が来たら、隣人が通報してくれるだろうとね。それがあなたの仰る『コミュニティの絆』ってやつだとしたら、それはあなたの生命を守れるほどに迅速なんでしょうな。あるいは、あなたの子どもたちの生命を守れるほどに」
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六話「ビュリダンのロバ」
「おまえは僕を支えてくれるはずだろ」
「兄貴はずっと、おれのお荷物だったんだ。もうたくさんだ。あんたはどこか間違った人間なんだよ、レスター。なにか――なにかが欠けている。この世界にそぐわない人間なんだ」
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七話「理容師の髭をそるのは誰?」
「これがそうだ。おまえはしくじった。おまえは選択した。そして、その結果がこれだ。この私が、結果だ」
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八話「砂山のパラドックス」
「一度、熊を見たことがある。トラバサミにかかっていた。熊は自分の脚を食いちぎり、罠から逃れた。アラスカでのことだ。その一時間後に川でうつ伏せになって死んでいたよ。まあ、いわば自分らしく死ねたわけだ」
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「そういうことは時々起きるんだ。それが人生だよ。不快感を抱えながらベッドに入る。
するとテレビで宝くじの当選番号が読み上げられるだろ。最初のいくつかの番号は自分のくじと一致するかもしれない。そしてもう当たったような気になる。ジェット機やフィヨルドでも買う気になっている。だが、そうはならない。ならないんだよ」
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九話「狐と兎とキャベツ」
「うちの妻は結婚指輪をはめたとたんに、フェラをしてくれなくなった」
「そいつは全国家的な悲劇*3だな、バート」
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「ある男が狐と兎とキャベツを持っていた。彼は川をわたろうとしていた。けれど、ボートは一回につき一つのものしか運べない。同じ岸に狐と兎を残した場合、狐は兎を食べる。同じことが兎とキャベツにも起こる。さて、男はどうやったら三つのものを一つも欠かすことなく向こう岸まで渡れるでしょうか?」
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十話「モートンの熊手」
「かつては俺も世界や人々について前向きな見解を持っていた。いつも一番良い面を見ようとしていた。だが今は不安で落ち着かなくてたまらない。仕事のプレッシャーで、毎晩酒を飲みながら暖炉をながめてる。俺は物事を深く考えるたちじゃない。ただ、今はパンケーキを食って平凡に暮らしたい」
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「パパは蜘蛛だって怖がるような人なのに」
「バズ・オルドリンだって蜘蛛を怖がっていたけど、宇宙へ行ったぞ」
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「ある男が電車に駆け込もうとしていた。片方の手袋をホームに落としたけど気づかぬまま。そのあと男は窓際の席に座り、手袋を落としたことに気づいた。でも電車は走りだしていた。男はどうしたと思う? 窓をあけて、もう片方の手袋をホームへ放り出した。拾った人がそろいの手袋を持てるようにね」
「どういう意味だ?」
「さようなら、ミスター」