ニコニコの映画かなにかに金をはらったことはあってもニコ生に金を払うというのは初めての屈辱でありまして、まあでも殊能だししょうがないよな、これも香典あるいはご焼香みたいなもんだよなと自分をごまかしながら1000円払って観るわけです。
内容は『S-Fマガジン』で名を馳せた「福井の天才高校生」田波正さんが名大SF研→編プロでどういう活動をやってきて、デビュー後にどんなふうに作品を作っていたかという話で、これまでファン界隈でなんとなく聞いてきた話が改めて関係者の口からディープに掘り下げられるという感じ。
殊能先生は一冊の本を書くのに一年かけてリサーチする取材の人であったそうです。で、その努力のかけかたというのが半端無く、『キマイラ』でファンタジーネタのために中村融に一からレクチャーしてもらったり、『鏡の中は日曜日』で使うパウル・ツェランマラルメの詩(たった数行)を訳すために学び始めたフランス語学習が高じてフランスミステリ*1の原書を読むようになったり、とにかくわからんでもないすごい労力をはじめて、いつのまにか変な方向へ向く。
殊能先生はベイリーだか誰だかを評して「正しい秀才」と言っていたらしく、それを大森望が「間違った秀才」、つまり「ある目的を達するために傍目からみたらひどく大層で不合理な(大森先生的には「間違った」)努力を費やす」と殊能将之本人のことと読み換えていてなるほど殊能将之を解する上では重要なワードかもしれない。「10のことをやるのに100のことを知っていないといけないと思い込むタイプ」という中村融の評も、「正しい/間違った秀才」の資質の範疇ですよね。
磯達雄のほうで証言されていた「彼は見たものしか書かなかった」ってのも、もしかしたらこの「正しい/間違った秀才」性格の裏返しで、知識やファクトに対して誠実であろうとしたために知識外のことは書こうとしなかったのかもしれない。そうなってくると、殊能先生自身が『読書日記』で「幻想は幻想以上のものであり、自分を救済してくれるに違いない、などと考えるのは、最悪である」と仰っていたのもなんだか示唆的であります。
こういうファクトで自分を縛るタイプの作家があんな奔放でファンタスティックな作品群をものにしていた事実は考えるだにそら恐ろしく、往々にして奇想とはゼロから生じるものでなく100からリークして鍾乳石のようにできるものなのかもしれないなあ、と、そう思いました。
となると、もしかしたらSFは「書かなかった」のではなく、「書けなかった」のかもしれない。
知識量や技量の問題ではなく、作家としてのメンタル的に。