名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


ファッション映画の続編が教えてくれるダイジなこと:『プラダを着た悪魔2』について






 突然、気づいた これこそ、わたしがなりたかったもの


 ーーKTタンストール「Suddenly I See」



 いまや、終末の感覚はあなただけのひそやかな感傷ではなくなった。

『プラダを着た悪魔2』を観るといい。

 どこもかしこも死の匂いと終末論者に溢れている。かれらは叫んでいる。出版業界は死につつある、ファッション業界は死につつある、映画業界は死につつある、芸術が死につつある、人間が死につつある。あなたも、わたしも。すべてが滅びつつある。だれでも知っている。いまや、靴磨きの少年でさえシオランbotの警句を賢しら顔で引いている。





『2』のオープニングは『1』とおなじくアンディ・サックス(アン・ハサウェイ)が朝、電動歯ブラシを口につっこむところからはじまる。あきらかに『1』のセルフオマージュであるけれど、違うところは多い。若き女性の野心と憧れを歌ったKTタンストールの『Suddenly I See』は、頂点に立った誇りを歌ったレディ・ガガとドーチーのオリジナル曲『RUNWAY』にとってかわられ、アンディと並行して映っていた名もなき女性たちは消えてアンディひとりのみのルーティンとなっている。
 功成り名を遂げ、その他大勢のひとりでしかない代わりに多様に開かれていた未来はひとつの現実に収束した。つまりは、そういうことだ。あれから20年が経った。

『1』でアンディは新聞社の調査報道記者として輝かしいキャリアを歩んでいた。が、その栄光は映画の冒頭で早々にうばわれてしまう。コスト削減のため、新聞社はアンディを含めた調査報道部門をまるごと解雇したのだ。新聞の死。報道の死。メディアの死。
 落ち込んでいたアンディに、かつて訣別した『ランウェイ』誌からのオファーが転がりこむ。彼女は奴隷労働で利益を上げているブランドを讃えた咎で炎上中の編集長ミランダ(メリル・ストリープ)で揺れる編集部を救うために呼び戻されたのだった。アンディは謝罪声明記事を書き、『ランウェイ』のウェブ版に載せる。記事は真摯な姿勢が評価され、一定の好評を得る。アンディはこれならミランダも認めてくれるはずだと胸を張るものの、編集長はすげない。誰があんたの記事なんて読んでるの、という。そう、もはや誰も雑誌など読まない。ウェブだろうが、紙だろうが。
『プラダを着た悪魔』はファッション業界についての映画である以前に、メディアについての映画だった。2006年にはモードを左右する帝国だった『ランウェイ』は、2026年には黄昏を迎えている。なぜ、って、説明が必要だろうか? 理由など誰もが知っている。考えたことがなかったとしても、自分のふだんの消費行動を一から省みれば万もの原因におもいいたるだろう。けっきょくは、『ランウェイ』はファッション雑誌なのであり、メディアコングロマットの一部であり、他の古い世代のあらゆるメディアとおなじ運命を共有している。似たような腐臭を放っている。


 死につつある。恐竜であるわれわれは、古い世代であるわれわれは、このメディアは、このジャンルは、ここは逃れきれない破局への途上にある。そのテーゼを発見したのは『プラダを着た悪魔2』が最初ではなかった*1し、そのことをかれらは自覚もしている。どころか、もはや当たり前の現実として受け入れてすらいる。
『2』のラストをネタバレを避けてひとことで表すのなら、『トップガン: マーヴェリック』のあのセリフがちょうどいいーー「そうかもしれませんね。でも、今日じゃない(Maybe So, Sir. But Not Today.)」。





 当時、トム・クルーズのあのセリフは老兵たる自分だけに向けられたものでなく、映画業界全体に対するエールとして受け止められた。そしてもちろん、『プラダを着た悪魔2』もまた映画業界のメタファーとして機能している。AIの台頭に対する恐怖やテックビリオネアに牛耳られつつある現況(MGMはジェフ・ベゾスに、パラマウントとワーナーはデヴィッド・エリソンに買収された)は奇妙なほど、といいたいところだけれども、もはや陳腐なほど自然に『2』のプロットに溶けこんでいる。
 だが、その滅びはもはや「明日」なのだろうか? みんなに知れわたっていることは、すでに現出しているもの同然なのではないか? 映画業界の終わりについて語る映画はそのグロテスクなセルフパロディをすすんで演じている。
『トップガン・マーヴェリック』はエリソンのスカイダンスのもとで作られたし、ミランダのモデルとなった『VOGUE』のアナ・ウィンターが議長を務めるMETガラの今年の共同議長はジェフ・ベゾスだ。
 首斬り役人がお経まで読んでくれている、というわけで、ではやはり死んでいるのでは?


 だが、「終わっていること」は映画は描けない。死は一切を停止させるが、物語は生起が義務付けられている。「終わりつつあること」や「終わっていること」を描けたとしても、「終わったこと」を描けるようにできていない。それは映画に限った話ではなく、他の媒体も、われわれ自身だってそうだ。

 かつてボードリヤールはこう指摘した。歴史が終わっていたとしても、われわれはその「終わり」に燃料を焚べつづけるようにできているのかもしれない、と。



かつて私たちは狂乱の後に来るものを問うた——喪か、メランコリーか。だが、おそらくそのどちらも来ない。すべてが終わりを迎えつつあるという黙示録的な予感の中でやってくるのは、近代以降におけるすべての変遷とその解放プロセス(民族、性、夢、芸術、無意識——要するに私たちの時代の狂乱を構成するすべてのもの)の際限のない後始末だろう。未来へと突き進んで飛び立つ代わりに、私たちは回顧的な黙示録と包括的な改訂主義を好む。


Jean Baudrillard, The Illusion of the End(English Edition)



 物語は模倣しかできない。わたしたちはかつて見た「なにかの終わりについての話」でしか終わりを描けないし、なぜだか知らないがそれをひたすら反復することで終わりを先送りできると考えている。
 あるいは(もっと悲惨で現実的な仮定として)単に終わったあとの話を手札に持ちあわせていないだけかもしれない。
「終わりつつある」と語り続けることでしか「終わり」を表現できない。なにもかもがとっちらかってわやくちゃになってる混沌のなかから、使える材料をかき集め、本作のアンディの恋人となる建築家(パトリック・ブラモール)のように崩れかけた歴史的建造物をリフォームして高く売りつけるようにして、なんとかなにかを絞り出すのだ。後始末の作業として。
 ここに奇妙なジレンマがあって、そのような映画は「つつある」と強迫的にいいつづけられていても「終わった」と言い切ることはできない。
 ランティモスの『ブゴニア』のラストが示すように、終わるということは終わるということだ。続きがない。そこから現生地球人類の営みを描くことは不可能になる。営みなど、消滅してしまうのだから。
 なにより、映画で描かれる「終わり」がつねに映画業界のメタファーである以上、その終焉を受け入れることは映画そのものの自意識が許さない。特にスターが。




 
 この終わった世の中で『トップガン:マーヴェリック』と『プラダを着た悪魔2』を「終わり」についての映画として成り立たせている要素はなにか、といえば、それはスターたちの顔だ。トム・クルーズの顔であり、アン・ハサウェイの顔であり、メリル・ストリープの顔である。
 両作品とも数十年越しの続編という、本来なら超越不可能であるはずのブランクをたやすく成り立たせて、かつ「それは今日ではない」と言い切らせるだけの傲岸さと力強さを兼ね備えられるのはこれらのスターの顔が一作目と変わらずにそこにあるからだ。
 それはハリウッドスターは若作りがうまい、といった美容的な事実だけでなく、もっと魔術的でおそろしい事態でもある。トム・クルーズやアン・ハサウェイやエミリー・ブラントの顔は20代前半当時と変わらず朗らかに画面に現れる。十分におどろくべき事態だけれど、それはいい。だが、前作で50代だったメリル・ストリープが20年後も50代のままのように現れ、50代のときと変わらぬふるまいを見せるときに抱く、いわくいいがたい畏れをなんと形容したものだろう?
 いま。この瞬間。編集会議でクリスマスツリーのようにゴテゴテとタッセルをぶらさげたドリス・ヴァン・ノッテンのジャケットを着て、ハサウェイをいびる75歳のメリル・ストリープの両肩に、映画界全体の、あるいは人類すべての運命がかかっている--そんな錯覚さえ抱いてしまう。心打たれさえする。わたしが変わらないから映画も滅びない。そう宣言しているかのようだ。

 
 これまでハリウッド俳優たちが鼻筋にプロテーゼを挿れ、咬筋にボトックスを打ち、糖尿病でもないのに糖尿病治療薬を使ってまで減量するのは自分の身体の市場価値を保つための営業努力か、さもなくば誇大的なナルシシズムかだとおもっていた。まちがっていた。変わらないことはスターの神聖な義務なのだ。映画を永遠にするためには、まずみずからを永遠にしなければならない。
「今日ではない」とトム・クルーズが断言したときにわたしたちが信じられるのは、トム・クルーズがトム・クルーズであるからだ。同じセリフをキャリアの紆余曲折を経て、声帯まで失ったヴァル・キルマーが言ったらそれはそれで味わい深かった(『ヴァル・キルマー/映画に人生を捧げた男』は観るべきドキュメンタリーだ)ろうが、だが映画の存続までは信じられなかっただろう。トム・クルーズは36年前と変わらずトム・クルーズでありつづけた。本人が不死でないのなら、どうして自分の属する世界の存続を語れるだろう?
 かれらの顔はある意味では古代ローマの廃墟のようなものだ。あるものの死は、死なないものを通して伝えられる。あるいは、墓碑のような、といってもいい*2。フィッツジェラルドの短編「氷の宮殿」で、北部人の男性と婚約した南部の娘がフィアンセを南北戦争で戦死した南軍兵士の墓が立ち並ぶ墓地へと連れて行くくだりを思い出そう。彼女はこういうのだ。「みんなこの世でもっとも美しいもののために死んだのよーー死せる南部のために」と彼女はいう。「夢の対象は全部死んでしまった物事ばかりだから幻滅を感じる危険性がないんですもの。…(中略)…ここには何かがあったの、何かが! あなたに分っていただこうとしても、とてもできそうにないけれど、何かがあったのよ*3


 映画も、出版も、ファッションも、いまやアンシャン・レジームの呪われた美であって、それは『プラダを着た悪魔2』でも十分に意識されている。言及さえされる。ミランダは、『ランウェイ』を買収せんと目論むイーロン・マスク*4じみたテックビリオネア(もちろん彼はあらゆる面におけるAIの導入と人間の消滅を大いに擁護している)に古典的な美の不滅を説きつつも、同時にその終わりを自覚する。あれほどまでに剛毅だった名物編集長の顔が、感傷と哀悼の涙にあふれている。

 そして、その顔にわれわれは金を払う。狭い意味ではチケット代として、広い意味では、そう、あらゆる意味で。
 スクリーンの外に眼を転じると、アメリカでの展開はダイエットコークとコラボしたり40ドルもするポップコーン容器を売ったりと商魂たくましい。滅んだあとでさえ、人はグズグズと生きつづけなければならず、われわれは買いつづけなければいけない。
 それをもっとよく体現していたのが、映画本編の直前に流れたシャネルのCMだった。カイリー・ミノーグの「Come Into My World」のMVをマーゴット・ロビー(彼女もスターだ)を主演にしたパロディ。シャネルが新作バッグ「CHANEL 25」にちなんで、26年にリリース25周年を迎える「Come into My World」をミシェル・ゴンドリー直々にセルフオマージュさせたものだ。


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 ノスタルジーとよぶにはあまりあっけらかんとして脈絡もてらいもないあのCMのような過去を、われわれは贖いつづける。スクリーンの向こうに映る不死者たちを羨みながら、すでに無名兵士の墓地に埋葬されてしまったわれわれは……。



*1:イーストウッド映画や『雨に唄えば』などをひきあいに出すまでもなく、映画はトーキー登場以来滅びゆく自身への哀惜と感傷を持ち続けてきたマゾヒスティックなメディアだ

*2:マーク・フィッシャーはこういっている。「博物館のなかでしか出会えないようになってしまった文化は、すでに枯れきっている。記念や顕彰に明け暮れる文化は墓場である。それを見る新たな眼差しがもはや存在しないとき、いかなる文化的対象もその力を保つことはできない。」(https://k-punk.org/coffee-bars-and-internment-camps/) おそらくフィッシャー的には『トゥモロー・ワールド』と『プラダを着た悪魔2』は似たような映画だ。

*3:沼澤洽治・訳

*4:ところでこの人はいったい何回2020年以降の映画の悪役にされているんだろう?

2025年のそこそこ良かった新作ゲームたち

 Sweet Thames, run softly, till I end my song.

  ――T・S・エリオット『荒地』


これまでのあらすじ

・毎年このブログで発表してきた年間ベストゲーム記事ですが、今年はJiniさんのInteracrit(旧ゲームゼミ)へ寄稿する形と相成りました。
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・で、上の記事はベスト10までなのね。ここではベスト10から漏れたけれど、良かった新作ゲームたちについて簡単に触れておきたい。
・まじで簡単にね。
・最近、元気がなくてね。
・思い出せるゲームだけなので、思い出せなかったらすいません。
・特にゲームの内容を紹介したりはしない。ごめんね。
・わたしは田舎のネズミが好き。

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【そこそこどころではなく良かった枠】

Absolum


・ファンタジー風味のベルトスクロールアクション×ローグライト。今どきベルトスクロールアクションに全力投球なスタジオが作っているだけあって、ちゃんと志とおもしろさが磨かれています。下敷きになった『HADES』の2よりも好きかもしれない。

Ball x Pit


・RPG風ブロック崩しローグライト。ローグライトととして非常によく磨かれています。村作り要素は余計かともおもいましたが、サブのメカニックを並走させて味変しつつプレイヤーをとにかく忙しくさせる昨今のローグライトの潮流にも乗ってるし、まあよいのでは。見た目よりプレイにバリエーションが出るのも楽しいところ。きみのフェイバリットヒーローは誰かな?
・Devolverは25年は『Baby Steps』、『Look Outside』、『Skate Story』とシブくて良い作品を連発しましたね。近年低調との声もありましたが、豊年だとおもいます。『Possessor(s)』? 知らんな、そんなタイトルは……。いやうそ、なんとかHeatMachineには復活してもらいたいですね…‥けど見てると……もうだめそう……。

Type Help

・ベスト10の記事でだいたい言った気もします。『Obra Dinn』から『Golden Idol』へ、『Golden Idol』と『Her Story』から『Roottrees』へ、と下ってきたところをさらに「じゃあ、テキストだけでやるにはどうするか」を達成してのけたところは称賛してもしきるところがありません。おそらく『CLUEDO』から得た「部屋と時間と人物の一致」、さらにシステムを活かすためのトリッキーなメタ演出と『そして誰もいなくなった』的シチュエーション。すべてがガチガチに組み立てられていて、一見シンプルで容易いようでいて、実は上に列記した先行作のどれと比べてももっとも再現がむずかしいゲームなのではないか。
・というところで、今年遊んだ『The Red Pearls of Borneo』なんかは、Type Helpが到達した地点から少し巻き戻すようにビジュアルをつけることでアクセシビリティを上げ、ストーリー部分の物足りなさを補っています。また、先ごろ話題となった『ギルド探求団へようこそ』もビジュアルとキャラの味付けを行うことで愉しい一品にしあがりました。
 ・要するに、『Type Help』くらいガチガチにできないのならビジュアルはあったほうがいい、という感じ。罠ですね。

Eclipsium


・3Dプラットフォーム謎解きアクション。巨女がじっと見つめてくるパート(巨女といえば、『SAEKO』も期待より良かった)ばかり注目されますが、全体的に楽しいウィアードホラー・ウォーキング・アドベンチャーです。
・なんというか、ウォーキングシムのコアのひとつである「見ること」を非常によく転がしており、悪夢巡りがロジカルにできている。近年のウォークシム(パズル要素が多々あるけれども)ではかなり上位に来る一作ではないでしょうか。
・それにしてもロシアの人が考える終末世界ってなんでだだっぴろい海辺に虚無(ヴォイド)の穴が空いてるイメージばっかなんだろな……とおもったらスウェーデンのスタジオだった。まあ、寒い国つながりということで。今年は日本が世界で一番寒いらしいです。
・去年のCritical Reflexパブリッシング作品としてもいちばん良かったですね。去年は『No, I'm not human』もありました。あちらはコンセプトが非常に現代社会への批評として最高だったのですが、肝心のゲームプレイがあまりに淡白すぎたと申しますか、デモで遊んだ感触から一歩も外に出なかったのが惜しい。でも、プレイすべき作品だとおもいます。

黄泉に落ちても麻雀


・昨年は麻雀をローグライト(っていうかBalatroライク)にしたゲームが一挙に三つも出ました。『青天井』、『雀魂』の「青雲の志」、そして本作です。「青雲の志」は24年だった気もしますが、まあいいでしょう。そのなかで中毒性においてベストだったのがこれ。とりあえずすべての牌を風牌にしてみたり、全部白にしてみたりすると、日式なんだかチュンマなんだかよくわからない役がつきまくって点が億を超えます。いちおう計算式で出るはずのスコアの計算が、派手派手演出とインフレの快楽によってどうでもよくなってしまうのがただしくカジノローグライト。主題歌つきだったり、最初中国語しかなかった声がのちに日本語でも吹き替えられたりとやたら開発陣に熱意があるのもよし。

MINDWAVE(デモ版)


・デモ版なのに一生やれる。製品版出たら九生でも足りなくなりそう。
・デモ版でめちゃ良かったのだと、『Mina the Hollower』なんですが、開発元がかなりヤバい状況にあるっぽくて心配。

【そこそこ良かった枠】

HADES 2


・なんかこう、みんながHADESの1のときに言ってたことがわかってきた気がする。
・キャラはあいかわらず良い。わたしのメインヒロインはアルテミスです。キャラたちと会話するために周回していると、なんだかこう、ペルソナ5みたいだなっておもいます。

SHINOBI 復讐の斬撃


・「ステージクリア型のメトロイドヴァニア」という矛盾したジャンル名を当てはめたくなる探索要素アリなスタイリッシュ・プラットフォーム・アクション。細部はよく覚えてないけどカッコいい忍殺をキメまくれる良いゲームでした。
・25年はニンジャの年でしたね。『NINJA GAIDEN: RAGE BOUND』*1? 『NINJA GAIDEN 4』*2? 『忍者明ら』*3? 何をおっしゃいますやら。男は黙って、『忍者ハヤテ HDリマスター』!*4

Promise Mascot Agency


・九州ヤクザマスコット派遣アドベンチャー。見た通りに奇妙奇天烈なゲームであるものの、九州の限界地方都市にここまでポップかつ的確に迫ったゲームを他に知らない。リアリズムのゲームであるところは声優起用にも現れていて、学校で英語を教えているALT(外国語指導助手)が出てくるんですが、そのひとの日本語がアニメでよくある「◯◯デース」みたいなエセ外国訛り日本語ではなく、「母語が日本語ではないひとが喋るめちゃ上手い日本語」のアクセントで喋る。このニュアンスはゲームだとまず見ません。
・キャラとテキストがよく描けている一方で、ゲームのコアとなるマスコット派遣パートはややタルかった。

FaceMiner


・上半期まとめブログ参照。これについてはもう三回くらい書いてる気がする。最近は資本主義についてのコメンタリーが巧みなゲームが多くなってきた印象で、『Pipistrello and the Cursed Yoyo』もその範疇。

Lumines Arise


・期待通りのものを出してくれた印象。水口先生は電子ドラッグディーラーという本分を貫きつづけてるのがエラい。本人がブツをつまんでいるアディクトなだけかもしれませんが……。

ステラーコード


・もう日本の『プロジェクト・ヘイル・メアリー』はこれで良い気もしてきますが、それはさておき、懐かしい感じの手触りを残しつつちゃんとSFしているのが好印象。
・世間には「頭の良いひとたちが伝導率100%で頭の良い会話をしている小説を読みたい!」と願う層が一定数いて、わたしのほうは頭の良いひとたちの会話って読んでて逆に疲れないか、などとおもうのですが、たまに味わうぶんにはよいものです。

Time flies


・Playablesといえば良い意味でも悪い意味でも「アートゲーム」の代表格だったわけですが、今回はわりと「ゲーム」に寄せてきて、それでいてアート的な手触りとテーマ性をきっちり整えてくるという器用なことをしてきた。やればできるじゃん。
・アートアニメがやりたいんだったらアートアニメをやれ、インタラクティブ・アートやりたいんだったらインタラクティブ・アートやれ、といいたい気持ちはまあわからなくもないのですが、その境界を曖昧にしていくことの利点もあるのだとおもいます。

Keep Driving


・ルックとコンセプトの勝利やね。
・こういう戦闘がRPGっぽいけど厳密には分類不能なローグライトって最近そこそこあって、最近触ったゲームだと『Winnie's Hole』とかもそうだったんですけれど、なんつーか、遠回しにいえば、デザインがむずかしいよね〜、となります。ストレートにいえば、タルい。

He is Coming


・で、RPGっぽいローグライトをやりたければRPGローグライトをやりましょう、という話になるわけです。そこで安心と信頼のHooded Horseの出番になる。
・装備の組み合わせが限定されてるぶん、カスみたいに脳死でプレイしていてもある程度は筋道みたいなのが見えてきて、そこそこのところで死ねる。カスみたいに脳死でプレイできるローグライトはいいローグライトです。まあこれはローグライクといってもいいかもしれない。

ダレカレ


・ストーリーストーリーというわりにはストーリーテリングの方法にあまり気を遣わない本邦において、比較的貴重な一作。
・『ダレカレ』に関しては(『FLORENCE』と違って)ルドナラティブなストーリーテリングに齟齬をきたしてはいないか? というご意見を耳にしました。わたしなどは、え? そうとう出来てるほうでは? と感じたのですが、たぶん比較的チャレンジングでありつつも不出来な『FLORENCE』ライクを触っているからでしょう。今はあんまり触っていません。

『ENDER MAGNOLIA』

『CITIZEN SLEEPER 2』


・どっちも「前作よりはノレないけど悪くない続編」枠です。CS2は物語的に1と変わったところがわかりやすかったといいますか、今度は仲間がいるぞ! というドラクエ1が2になるみたいな正統派の拡張の仕方をしていたんですが、それがサイバーパンク世知辛スペースオペラという枠組みに合致していたかはちょっとどうでしょう。そういえば、CSシリーズを出している一人スタジオJump over the ageのギャレス・ダミアン・マーティンが批評家時代に出していた建築×ゲームというコンセプトの批評同人誌をitch.ioでまとめ買いして読んでるんですが、おもしろいです。こういうアングルの人なのか、とおもうと、CSのやや冗長なまでに書き込まれたテキストもなんとなく受け入れやすくなります。
・マグノリアについてはOKなんだけれど、このノリのまま三作目はちょっとつらいぞ、とおもいます。
・あと『The Outer World 2』に関しては途中でなんとなく違うなってなってギブアップしました。

Dogpile


・2025年のヒドゥン・ジェムはこれ。
・スイカゲームのフルーツをイヌに置き換えてローグライトにしたゲーム。最高なワードしか並んでないな。天国で飼い主を探すゲームをぶっちぎって2025年のイヌゲームオブザイヤーです。天国で飼い主を探すゲームまだ積んでますが。
・「スイカゲームをローグライトにするならどんなバフデバフが考えられるか」について真剣に向き合った稀少なゲームであるともおもうので、別にイヌ好きでなくともオススメしたい。

Birdigo


・昨年はWordleをローグライト(っていうかBalatroライク)にしたゲームが一挙に三つも出ました。『Word Play』、『Wardatro』、その中でも総合的にベストだったのがこれ。
・やはりビジュアルって大事だなっておもうわけです。システム的には他の二作とあまり変わらないわけですが、ローポリのさまざまな鳥さんたちが楽しげに踊り狂っているのを見るのは目に愉しい。まあ、あと強化のバリエーションもこれが一番わかりやすかった気がする。
・たぶん、これ以上発展しようのないジャンルではある。

The Warrior


・最近はみんなゲームでメタフィクションやることに飽きたのかな、といった印象だったところで、こういうパロディとしてのメタフィクエンタメをやってくれるのは嬉しいですね。サイズ感に対して収まりの良い完成度です。もっと気軽にメタフィクションしましょう、みなさん。
・フレンドから勧めてもらったおぼえがある。みんな、ゲム友は大事だぜ!

Ropuka's idle lsland


・Rusty's Retirementに始まったデスクトップアクセサリ式インクリメンタル放置ゲームもすっかり定着しきった昨今ですが、そのなかでもひときわ惹かれるのがこれ。目つきの悪いカエルくんがのんびりくらす。それでいいんです。

Evil egg


・無料ゲームとしては去年の十指に入るのでは。レトロ趣味やるんなら偽史作るくらいには設定には凝らないといけない。

Clical Trial

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・「自分が翻訳した作品はベストにいれない」という原則を持っているわけではなく、単にリリースが24年の暮れだったためなんとなく外れてしまった。無料有料関係なくRPGツクール製アドベンチャーでは近年稀に見るクオリティだとおもいます。
・それはそれとして自分はゲーム翻訳にあんまり向いてないな……とおもう点が二点があり、ひとつはアップデート無精なところ(今も直したい部分が数カ所あるのだけれど腰が重すぎてやれない)、もうひとつは実況動画を無限に見てしまうところで、まあ、要するに他にやることが……多い……。
 ・ちなみにCTのあとで『Space Funeral』を翻訳しようとして、RPGツクール2003問題にぶちあたってやめました。

The Alters

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・「コンセプトについてはなにか語りたくなるけれど肝心のゲームプレイはタルい」という作品は多々存在し、先に言及した『No, I am not Human』なんかもそのひとつなのですが、まあしかし言い換えれば、なにかをいいたくなるだけの魅力はあるといえる。
・かといって、つまらないわけではないんだよな。
・かといって、おもしろいわけでもないんだよな。
・そういうゲームをやっていける時間がある状態を、「余裕がある」といいます。
・なんかこう、このくらいの温度感の作品って去年だと『文字遊戯』もね……。

Öoo


・解法があまりにカッチリ決まりすぎている気もするけれど、イマーシブ・シム志向のインディー界にあっては良いアクセントなのかもしれない。ああ、でも、倉庫番とかあるか。

ドドトリ


・たまにはこのくらいの小品がいいときもある。ブレイニア要素もあるよ。

StarVaders


・『Into the Breach』を大衆化したのはエラすぎる。
・そのジャンルである時点で自分のなかの得点の上限が決まっているジャンルというのがあって、ローグライトSLGというのはそれなのですが、そのなかでは最高得点。

Discopup


・ローポリ『どうぶつの森』的マスコットホラーの雰囲気をたたえたイマーシブ・シム
・いろんなところが変。

OVIS LOOP


・そこそこ良い感じの高速ローグライトメトロイドヴァニアって年にやまほど出るんで甲乙つけがたく、けっきょく甲乙つけないままでいいかってなりがち。でもそのなかではOVIS LOOPはストーリーをやろうと頑張っているぶん忘れがたかったかも。
・最近は触ってなかったけど、アップデートが不評みたいね。どうなってるのやら。
・ローグライトメトロイドヴァニアだと『Lia: Hacking Destiny』も悪くなかったけど、こっちはほんとダラダラやるかんじ。

【良いかんじだったけれど、十分に遊んでないもの】

Death Howl

・なんでもソウルライクっていえばいいってわけじゃないけれど、いいゲームです。

Look Outside

・RPGツクール製ホラーはあいかわらず元気かつオーバーテクノロジー気味で、本作はその最先端。ツクールのドラクエ式戦闘画面で「敵かどうかわからない不信感」を煽るのはいじわるすぎてよい。

Pipistrello and the Cursed Yoyo

・ヨーヨーでやる見下ろしゼルダライクアクション。とにかく手触りが快適。
・ボンボンです。これはコミックボンボンです。なぜかというと主人公が正義の味方でなくて資本主義の犬だから。

Skate Story

・スケボゲームってあんまり好きじゃないというか、スケボというよりなにかにライドしながらトリックを決めましょう!といったようなゲームがあまり好きじゃない。だってうまくコンボを入力できないもの。のですが、本作に関してはそのへんがけっこうゆるゆるでもかっこよくキメられて、ベリーグッドです。

Scrabdackle

・ゼルダライクといえばいいのか。全体的にウィアードでゆるい世界観で楽しげ。

歴史の終わり

・アップデート待ち。『太閤立志伝』ファンの残党なので、いつまでも待てる。

Easy Delivery Co.

・何度か凍死したのでゲームを味わい尽くしたといえばそうなのかもしれないけれど。

Little Rocket Lab

・工場建設系ってだいたい二時間でやる気がなくなるんだけれど、これはその先に百合のにおいがする。

Dice Gambit

・システムに比べて味付けがピーキーすぎへんか???

【新作ではないもの】

Antimatter Dimension

・去年今年とクリッカー/インクリメンタルの古典をあらかた触りました。クリッカーは外部から見たときと内部に入っていったときの景色がかなり異なるジャンルで、なんというか、なんてことない洞穴だとおもって入ったら古代遺跡の大迷宮だった、みたいなかんじです。古典とされている作品は多く、ジャンル的な議論の蓄積もそこそこあるんですけれども、その99%はジャンル外だと誰も知らない。
・なかでもAntimatter Dimensionはすごい。クッキークリッカーと比肩するレベルにあるのはこれくらいでしょう。
・「シンプルなインクリメンタルにできること」を突き詰めたような代物で、フェーズが変わるごとにゲームそのものも変わる。時にはゲームをオフにすることが最大効率となる。禅問答のようなクリッカーゲーム。

Space Plan

・クリッカー古典探訪その二。元ネタは『lifeline』か『a dark room』あるいはその両方だとおもうのだけれど、ストーリーテリングのなめらかさとウィット効き具合が頭抜けている。

Universal Paperclips

・クリッカー古典探訪その三。クリッカー/インクリメンタルの最高傑作の一つだとおもう。インクリメンタルであることそれ自体をストーリーテリングに取り入れたゲームは多いけれど、これに並ぶものはそうそうないのではないか。ちなみに作者(フランク・ランツ)は25年には『Q-UP』を出していますが、こちらも実質クリッカー……だとおもってたら最終的にバリバリのデッキ構築を要求してきてビビった。

Tiny Rougues

・ちょうどよすぎ!

【めんどくさいので、短編クリッカー/インクリメンタルに関してはここで新旧含めたランキングを出しておきます】

・主に10時間以内で終わるもの。Universal Paperclipもプレイの仕方によっては10時間以内で終わるとおもうんだけれど、初プレイでそれ以上かかった記憶があるので除外しておきました。

1.nodebuster
2.Digseum
3.(The)Gnorp Apologue
4.Feed the Reactor
5.Space Rock Breaker
6.Faceminer
7.Magic Archery
8.Astro Prospector
9.Click and Conquer
10.Lyca
11.Defrag
12.Execute
13.Shelldiver
14.Unfair Flips
15.keep on mining!
16.Clickolding
17.Outhold
18.A Game about feeding a black hole
19.A game about digging a hole
20.This game will end in 205 clicks
21.Fill up the hole
22. Snakremental
23.Pinata Go Boom
24.Duncrush
25.Trainatic


【期待してたけど良くなかったで賞2025】*5

『Wonderstop』。アンチRPGティーハウスコージーアドベンチャー。Davey Wredenに求めていたものではなかった。あと茶摘みがダルい。



ほかにも遊んだり飽きたりしていました。しかし、だいたいそんなところでしょうか。今年もよろしくお願いいたします。

*1:途中で止まってる

*2:買ってない

*3:買ってない

*4:やっぱり買ってない

*5:2023年は『Starfield』、2024年は『Sea of Stars』

2025年にブログの外で書いた主なテキスト



私にはあまり体力がないから、とフラナリーは言う。午前中、三時間書くのに必要な体力しかありません。あとはずっと孔雀を見て過ごすのです。


ジュヌヴィエーヴ・ブリザック、香川由利子・訳『フラナリー・オコナー楽園からの追放』(筑摩書房


(ソウルの川にいたコサギ



ぼんやりと座って川など眺めていると、たまに外から手紙が来る。

昨年は、外で書くことが多かった。世間的には寄稿と呼ばれる行為だ。けれど、寄せている意識はあまりわかない。頼まれて書いたものを川に流すと、海へと吸いこまれていく。そんな感覚。

寄せていないのかもしれない、というのは書く内容もそうで、ブログでのこころがけとさして変わりがない。
たいていブログを読んで寄越された依頼なのだから別にそれでいいのかもしれず、実際アレコレいわれることもすくないのだけれど、わたしだってスペースマウンテンに乗れるくらいはじゅうぶんおとなです。おくびをだした忖度が「もっと寄せたほうがいいぜ」と耳打ちしてくる。といって、寄せすぎると先方も「なんかこういうのじゃないんですよね〜」と期待してたのと違うっぽくなってしまうのかな、と別の悪魔がささやく。
結果的にハワイが日本列島に接近する速度で寄せるくらいの塩梅となり、見た目にはほとんど寄っていないふうに映る。むずかしいね。
しかし、おかげでこのブログの延長線のように読める。なので、ここにいらしているあなたがたにもオススメだということになる。オススメだということにしておく。

というわけで、主だったものを以下にまとめる。ポストモーテムのようだけれど、中身はそんなに説明しない。
分野的には映画、ゲーム、VR、まんが、SF、ブックガイド、ケモ、創作、インタビュー、美味しんぼ、と節操がない。こういう状態を「活動は多岐にわたる」という。多岐は現在の滋賀県と愛知県の境界の地名で、江戸時代に設置された多岐藩は代々譜代である多岐松平氏が治め、交通の要衝である東海道ににらみを効かせていた。東西に対して陰に陽に情報収集の網を張り巡らせた多岐藩。その暗躍を、ひとびとは「多岐の活き動き」と揶揄とおそれを込めて呼び、のちにそれが「活動は多岐にわたる」の語源となった。

『Padograph雑誌 第1号 特集:周縁から内在へ アジア現代美術』(Padograph)

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Padograph パドグラフ 파도그래프という日韓の美術展・アートシーン情報に特化したサイトがあり、そこが雑誌を出すというので呼んでいただいた。アートに詳しかったか、おまえ? と問われれる、詳しかぁないですね、と応えるしかないのだけれども、「アートはともかく、VRのことについてのエッセイを書いてほしい」という注文だった。当時はVRChatもだいぶログイン頻度が減っていたので、あんまりこうノリノリなことは書けませんよ、といったらじゃあその気持ちで書いてください的なことをいわれて、そのとおり終わりの子どもだもうきみもぼくもみたいなとふうな内容になった。そもそもVRChatについて自分が書くときは終わりだ全部みたいなことしか書いてないので、いつもの内容だったともいえる。
目次でファンである in the blues shirt のアリムラ氏の隣に来たことを音楽のオタクに自慢したら、「目次で隣だっただけで……」みたいな反応だったので、自分がおもっていた以上にうれしかったらしい。

リアルサウンド

serial experiments lain

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リアルサウンドには一昨年から書いていて、二回ほど寄稿したあとで没交渉になったからもう頼まれることもあるまい、とおもっていたら突然春先に『serial experiments lain』について書きませんか、という依頼が来た。『serial experiments lain』についての原稿を頼まれるということは、「こいつは『serial experiments lain』についての原稿を書く(書ける)ようなやつである」と見なされたということでもある。ひとことでは言い表しきれない微妙なニュアンスを持った立場であるけれども、『serial experiments lain』を好きかどうかでいえばたいへんに好きなので、わりかし光栄に感じた。
というわけで、内容も「『serial experiments lain』についての原稿を書くようなやつが書くもの」に寄っている。どういう空気感かは読んでくれればわかる。口では説明しづらい。
ところでは、lainはみんな好きだ。季節外れでもかなり読まれたっぽく、リアルサウンド・テック*1の記事のなかで歴代一番はてなブックマークがついた。「いちばん読まれた記事」ではなく「いちばんはてなブックマーク」がついたというところが高齢化するインターネットについて色々考えさせられるところではあるけれども、ひとまずはきみたちに感謝を捧げておきたい。あんがとな。

「映画版『8番出口』」

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映画の『8番出口』の記事。話が来た時はなんも書くことなさそうだな、とおもっていたけれど、実際映画を観に行ったら書くことがモリモリ出てきて、その日のうちに提出した記憶がある。ちょうど、ゲームと映画の関係についてちょっと考えていた時期でもあり、タイミングもよかったのかもしれない。
いち観客としてはそんなに好きではないし、自分の趣味から離れた物差しからいってもいろいろつまづきのある映画だけれど、それはそれとして技術的あるいは部分的な達成は認めなければいけない。そういう作品は世の中にたくさんある。評価の軸だっていくつもある。しかし、世間では「いい」か「わるい」でバイナリ的にしか判断されない。まずしいことである……と、嘆いてみてもいいが、我が身を顧みれば自分だって人生の九割九分そんな感じで、だから精読の機会を得るという意味でも外からの依頼はありがたいのかもしれない。

ファイナルファンタジー・タクティクス」

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ファイナルファンタジータクティクス』について。リメイク版リリースのタイミングで出た記事。『ファイナルファンタジータクティクス』は自分の人生でもかなり上位の方に来るゲームなので、なにがなんでもなにかを書きたいという気持ちで引き受けた。で、引き受けてみると、やっぱりなにを書けばいいのかはわからない。
読み直すと奇妙な記事で、まあでも形になっているからいいんじゃないだろうか。歴史叙述について考えていた時期で、『FFT』はその問題意識にあまりマッチした作品とはいえないのだけれど、マッチするように仕立てるのが仕事の妙だ。そういう意味ではこれも寄せてある。寄せると互いに相性の悪そうな材料でもおいしく食べられるものになる。寄せ鍋というやつですね。
あとリアルサウンドではもうひとつ有料読者用のコラムを書いたのだけれど、有料読者用なので有料読者しか読めません。VRChat発のネットミームと『ブレードランナー2049』の話。

美味しんぼエッセイアンソロジー 恋愛編 ZigZagに恋して!』(水色残酷事件)

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水町綜さんというヤンキーとSFがうまい作家さんがいる。大戸又さんのところのアンソロに参加したときに打ち上げの焼き肉でたまたま美味しんぼの話題になって、他の参加者そっちのけにしてずっと美味しんぼトークをするものだから、しまいには大戸さんから怒られて店から追い出されそうになった。そこで、水町さんが「待ってください。一週間後にまたここに来てください。最高の『美味しんぼ』エッセイアンソロジーを用意します。もしそれに満足できなかったら、千葉さんと私は一生カツオの刺し身をマヨネーズ抜きで食べます」という約束を勝手にしてしまったものだから、もう、大変! 水町さんたら! なんて勝手な約束をしちゃうの!? 相手はあの大戸又よ。下手な『美味しんぼ』エッセイなんか出したら、わたしたちのほうが刺し身にされちゃうわ! ……と苦言を呈したのだけれど時既に遅し。そのまま、わたしは「究極の『美味しんぼ』エッセイアンソロ」の原稿作りに巻き込まれてしまったのでした……。以上の八割はウソです。
そんなこんなで出たのがが第一弾『Dang Dang 気になる』。『ZigZagに恋して!』はその第二弾。第二弾は恋愛がテーマだったようにおもう。わたしはアイスクリーム居合斬り回について書いた。ちなみに美味しんぼについては一昨年にも別のメディアに書いた美味しんぼエッセイを三つも書いたのだから、いまや押しも押されぬせぬ美味しんぼエッセイストとして斯界からは尊ばれている。斯界?

【遊星歯車機関】

ビデオゲームのおもしろメカニックを中心に扱う同人企画。元インターネットの錬金術師ことxclocheさん a.k.a.かもリバー氏が二、三年前の文フリかSNSかで「ゲームの変なメカニックを扱った同人誌作りたいんですよね。木原善彦の『実験する小説たち』のゲーム版みてえなの」といいだして、そら、おもしろそうッスね、と待機してたらnoteで先出ししながらやるぞ、ということになった。いまのところ、かもリバー氏、murashit氏、わたしが三人で回しながらゲスト寄稿者を随時お呼びしているかんじ。

「ランバックとコープスランについて」

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ジャーゴンとかテクニカルタームみたいなのはないならないでどうにかなったり、むしろ変に導入すると混乱を招いたりする。自前の造語など論外だ。
でも、どっからどうみてもあったほうがいいだろが、という概念もある。ランバックとコープスランはそのひとつ。言われれば「ああ、あれね」となるのだけれど、日本語圏では語ろうとすると曖昧にしか表現されない。
ことばは柵のようなものだ。領域を区切り、対象を指示する。議論とはその柵の中でないと成立しない。
というわけで、輸入した。英語圏ではそれなりの時間をかけて鍛えられた用語*2であり、じゅうぶんに有用性と耐久性を兼ね備えている。有用だからといって広まるかどうか、精緻に運用されていくかどうかはそれぞれ別の問題で、まあしかし、別にAppleStoreでもないのだから、二年間のカスタマーサポートを保証するいわれもない。


「SFゲームとSFインディーゲームについて」

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京都SFフェスティバルでかもリバー氏と「SFインディーゲームの部屋」企画でしゃべった内容がもとになっている。
ゲームに固有のジャンルはだいたいメカニックを現す。SFやファンタジーなどはゲームの歴史の初期に物語や環境の様式を指し示すために持ち込まれたもので、実はゲームのオーディエンスにとってはあまり重要でなかったりする。では逆になぜ小説や映画などでSFやファンタジーといったタグがより重要に機能しているのかというと、それが物語だけでなく文章やルックのモードを左右するからだ。ゲームは文章やルックだけでは(たいていの場合)動かない。
この点ミステリはおもしろくて、小説や映画におけるミステリはプロットのカタを定める。ゲームでミステリであることはプロットの展開だけでなく、メカニックにも影響する。これはSFゲームにはない特徴だ。
ゲームにおけるジャンルについて考えるのはだからおもしろいのだけれど、むずかしいことでもある。ジャンルという生き物は貪欲で、放っておけば際限なく領域を広げつづける。かといって枷をはめようとすると今度はうまく回らなくなるおそれもある。それらのバランスの調整に腐心したところで、そもそも有用なのかという問題も出てくる。まあ、有用でないからこそ考えるのにちょうどいいのかもしれない。

「プレイ中に不自由な操作を強いてくるゲームについて」

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ジャンル的なものに対する自分の興味はジェンガや将棋崩しに似ている。あるジャンルから「何」を抜けば、そのジャンルはジャンルでなくなってしまうのか。この問題意識はゲームというメディアそのものにも適用される。ゲームから何を抜けばゲームでなくなるのか。ゲームをゲームたらしめているものの正体を知りたい、という学究的な理由ではなくて、むしろゲームがあらゆるパーツを抜かれてもなおゲームでありつづけること、あるメディアが数や要素に還元しえないことを期待しているのかもしれない。魔法がそこに残ることを信じたい。神秘主義者なのだな、とおもう。

『文体の舵の取り方』(フィルムアート社)

www.filmart.co.jp
厳密には書いてはいない。話したことのログが書き起こされたもの。
経緯は複雑だ。大戸又さんのサークルでハイファンタジー小説合同が企画され、その過程でさまざまに神妙な出来事が生じ、フィルムアート社から「合同誌で執筆中の小説を使って、ル・グィンの創作指南本『文体の舵を取れ』に即した合評会をやり、そのログを本にしないか」という流れになった。どこがどうなればそのような流れになるのか、とおもわれそうだが、なったものはしようがない。そうして、そのような本が出た。
わたしの小説についても合評会のログが載っている。けれども、実際に頒布されたハイファンタジー小説合同本誌のほうにそのタイトルは載っていない。どういうことなのかは察しのいいおとなならわかってくれることとおもう。わからないのなら、はやく成長しておとなになってほしい。
大戸さんには申し訳なさしかない。ダメだな、とおもいます。

SFマガジン 2025年8月号/ウィリアム・ギブスン特集』(早川書房

www.hayakawa-online.co.jp
ギブスン特集ということで〈スプロール三部作〉のひとつ『カウント・ゼロ』のガイドを書いた。ギブスンについてはぼんやりとした理解しかなかったのでガイドを書くためにいろいろ調べて、結果、ギブスンについてみんなぼんやりとした理解をしているのだな、ということがわかった。

ユリイカ/特集=宮崎夏次系』(青土社

www.seidosha.co.jp
宮崎夏次系の全作解題を半分担当した。もともと、紙月真魚氏のほうへ依頼されていた案件だったのけれど、ちょうど氏のプライベートが大変な時期だった*3ので、ヘルプに呼ばれたという形。宮崎夏次系はデビュー時から読んできて好きな作家だったのだけれど、その作家性についてちゃんと向き合って考えたことがなかったので、よい機会になった。

『Philosofur 6』(Philosofur編集部)

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ケモノ/furry系をメインに扱う評論誌。評論界隈から見ればケモを対象にすることが、ケモ界隈から評論を扱うことがそれぞれ稀なことで、ユニークな試みだとおもう。わたしはvol.4で初めてお誘いを受けて、そのときはチップとデールの成立史を書いた。日本語で書かれたチップとデールに関するテキストとしては史上最も真剣な代物であるだろうけれど、そもそもチップとデールに真剣な人間が日本にこれまでどれだけいたものかは知らない。
proxia.hateblo.jp
で、Vol.5では書けずじまいになって、Vol.6で復帰した。中身は映画『北極百貨店のコンシェルジュ』の評論。ちょうど、別件でパリ万博について調べたあとだったので、なんかそれなりにするりと書けた。

にゃるら氏インタビュー(interacrit)

note.com
noteで〈ゲームゼミ〉を主宰しているJini氏が、〈ゲームゼミ〉をベースに新しいメディアに衣替えするというのでその実質的な布石として出たインタビュー記事、という認識で多分合ってるはず。インタビュアーと序文はJini氏で、こちらはインタビュー本文の記事化を担当した。
なぜこれをやることになったかについては、複雑怪奇な経緯があるのだけれど、あまりにこんがらがっており、ところどころ不明瞭で情報不足なので文字で説明するのがめんどうくさい。いつか説明する気になったらします。利害関係者か知り合いなら直接お問い合わせください。


【小説】

・「千葉集」という名は創元SF短編賞の応募時にこしらえられたもので、受賞以来、いちおう小説を書くひとということになっている。小説のほうがわたしに書かれているかという意識を持ってくれているかはさだかでない。ないのだが、ちょうど今日、Kaguya Planetから新作短編がリリースされてくれた

『TOKI anthology』(展葉社)

「おばけとよふかし」という掌編を寄稿した。『TOKI anthology』は京都を拠点とするライフスタイルブランド、ANONYMの発行した文芸アンソロジー。ANONYMは特定の時刻をモチーフにしたハーブティーとコーヒーを販売しており、それをベースにしたお話を書かないかということで声がかかった。内容としては、三条京阪のスタバで幽霊(ハロウィンの仮装とかで見る白いシーツをかぶったような形態のやつ)に会うというやつ。三条京阪のスタバには半地下がある。

『ドンキーアーカイヴ vol.3 〈特集:異国〉』(V&R BOOKS)

「公爵の二つの領土」という短編を寄稿した。出生の関係で国際法上、身体=領土になってしまった公爵の話。わたしの書くものなので、公爵の体内には公国民であるネズミの書記官が棲んでいる。体内に孕まれた語り手というのは好きなモチーフで、その昔、米国防総省に使役され、時空間を超越して拒食症をばらまきまくる生物ミサイルにされたキツネの中に孕まれたその仔を語り手にした(途中で生まれる)話を書いたことがある。某社の編集者から「独りよがりすぎる」とコメントされたことをよくおぼえている。
『ドンキーアーカイヴ』は暴力と破滅の運び手氏が主宰している同人誌。坂永雄一氏、稲田一声氏、春眠蛙氏、藤見みのり氏といった面々が参加している。

『おとなの自由研究① 万博』(V&R BOOKS)

booth.pm
「聖ジャンボ伝」という翻訳ということになっている小説を寄稿した。19世紀のパリに〈バスチーユのゾウ〉という巨大なゾウの像*4が実在した*5のだけれど、それが実はほんとうは実際に生きたゾウで、ナポレオン帝政期の英雄に祭り上げられたけれど時代の変転でなんやかんのあった挙げ句、アメリカへと渡りP・T・バーナムの〈地上最大のショウ〉で有名なジャンボ(こちらも実在)というゾウになったという話。『Philosofur 6』のときに書いた「別件」とはこれのこと。
『おとなの自由研究① 万博』は暴力と破滅の運び手氏が主宰した合同アンソロ同人誌。19世紀のパリ万博にまつわる小説とか評論とかがいっぱい載っている。



 

*1:外見には分かりづらいが、リアルサウンドは扱う分野ごとに三部門くらいに分かれている。

*2:とはいえ、英語圏でも誰でも知っていたり厳密に定義されたことばかといえば、けっこうブレたりもしていてそこまででもない

*3:氏のプライベートが大変でなかった時期をわたしは知らないが

*4:ダジャレ

*5:レ・ミゼラブル』なんかにも出てくる