名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


名バであれば、ウマのうち。ーー『ウマ娘 プリティーダービー』について



「そのほうが語って聞かせるレースをことごとく観戦する暇が、いつそのほうにあったのか不思議なことよ。そのほうはこのコロナ渦、一歩もスマホの前から動いた様子さえないように朕には思えるのだが。 」


「私が見、またおこなうことはすべてこのスマホ画面と同じ静謐、同じ薄明、また同じネイチャのささやき*1渡るこの静寂が支配する精神の空間において意味を得るのでございます。恐らく、この世界で残されているものはジュエルと金を永遠に吸いこみつづける巨大な虚無と、ウマたちが戯れ遊ぶサークルのミニキャラ画面だけでございます。この二つの場所を距てているのはわれらの瞼でございますが、そのいずれが内にあり、いずれが外にあるかは、だれにもわかりません。」*2


「して、そのほうはこの一月でどれほどのウマを育てたのだ」

 
「200」


「200」


 200のウマがあり、200の生があり、200の死があった。*3



 あれのような名馬だけが馬のうちよ、ほかの馬などすべて獣と呼べばよいのだ。
       (he is indeed a horse, and all other jades you may call beasts.)
                     シェイクスピア『ヘンリー五世』


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人間に蹂躙されてきた家畜の例。



 競走馬の世界に「もし」はない。
 Youtube において、第118回天皇賞(秋)を記録したある動画は2021年3月現在、82万回も再生されているけれど、その82万回の出走で82万回とも、サイレンスズカは四コーナーを回ることなくレースを終える。

 同様にアグネスタキオンがダービーに出走することはなく、ライスシャワーはあらゆる不安材料を飲み込みつつ京都競馬場へと赴き、ハルウララは113戦して一度も勝つことなく、ツインターボの逃げはゴール手前500mで壊滅し、ゴールドシップは宝塚のゲートで誇るように一着のポーズをキメる。 

 記録を幾度観直しても歴史は変わらない。

 やりなおしの効かなさは競馬のレースプログラムにも組み込まれている。たとえば、一部のレースは再挑戦すらゆるされない。国内最高峰とされる日本ダービーもそうだ。三歳馬のみという年齢制限の関係上、生涯一度しか走れない*4。日本国民にとっての最高の玩具である高校球児ですら、理論上は五回も甲子園に挑戦できるのに。そんな一回性に一回性を重ねた容赦のなさが競馬をドラマにしてきた。


 一方、ビデオゲーム*5は「もし」を希求するメディアだ。コンティニューすること、やりなおすこと、過去の結果を修正していくこと、それがゲームをゲームにする。


 ここでわたしたちのテーゼを今一度確認しておきたい。

「あまねく傑作ゲームとは麻雀であり、ローグライトである」。*6


 限られた配牌を一定のランダム性のうねりのなかで上手くやりくりしていき、その局での最善を尽くす。最初はルールや役を把握するだけでもおぼつかないが、繰り返すうちにプレイヤーのなかでなんとなく正解の手筋のようなものが絞られていき、それを軸に場面ごとの最善手を探っていく。

 ローグライトを遊ぶことは、そのゲームにおけるシステムの核心へと掘り進むことであり、その過程でゲームそのものと同化することだと言える。言うのは自由だ。おまえが同意するかどうかはここでは問題ではない。

 こと、ローグライト的な、という条件が付く場合、ビデオゲームのハードコアはインタラクティブ性にはなくなる。*7リプレイ性こそに宿る。


 だが、その”ライフ”はやりなおしてよいものなのだろうか。




ウマ娘』は矛盾したコンセプトを内包している。 

 一回性を極限まで高めた存在である競走馬の一生を何度もやりなおす。しかも、その馬たちは『ダービースタリオン』や『ウイニングポスト』といった他の競馬関連ゲームと違い*8、実在の名馬にもとづいた”物語”を持っている。

 リプレイ性はときに代替可能性に置き換えられがちだが、そのセンでいけば本来代替不可能なものを代替可能としていることになる。


 ウマごとの物語は固有かつ不変であって、経路に多少の差異こそあれ、最終的にはひとつの”グッドエンド”へ収束していく。段階ごとの目標(「○○というレースで何着以上に入れ」など)をクリアできなければ、あっさりとプレイが断ち切られる。分岐はしない。一本道だ。つまりはトレーナーにそれを読め、ということ。

 育成部分の元になったのは『パワフルプロ野球』のサクセスモードであるけれど、そちらは架空の選手が架空の球団・学校で選手生活を送る*9のであって、製作側もその時々によってドラマ性を盛り込もうとしたりしなかったりの努力を計ってはいたものの、基本的には「スコア(能力値)の高い選手を作る遊び」と割り切られていたように思う。リプレイ性が高ければ高いほど、ドラマ性は薄まるものだ。*10

 ところが、『ウマ娘』ではプレイヤーの視点をウマ娘のコーチ役たるトレーナーに置き、パートナーであるウマ娘との濃密な関係を描く。メンター-アプレンティス的な関係の設計自体はサイゲームスがてがけてきたアイドルプロデュース系ソシャゲ等との延長にあるのは明らかではあるが、*11その濃密さを「競走馬」の世界に持ち込んでよいのか。*12


 どこへ向かおうとも問いかけは消えない。

 それはやりなおしていい物語なのか。

 おまえはどう思う?

 




 胸つぶるるもの 
 競馬*13見る。元結よる。親などの心地あしとて、例ならぬけしきなる。まして、世の中などさわがしと聞こゆる頃は、よろづのことおぼえず。


                    清少納言枕草子


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レースの演出とカメラワークがすごい。



 日本人が馬を擬人化すると戦争や人死にを招く。それは歴史が証明している。サイゲの布告した「馬主を刺激するな」という詔は、「第二の源頼政を生むな」*14という源氏さんサイドの史観に基づいている。でも、あいつら、崖からお馬さん突き落としたりしてたよね。

 ところで、競馬は競技者の死亡率が飛び抜けて高いスポーツだ。医療や知見が発展した現代でさえ、年平均すればレース100回につき1回の割合でレース中に「予後不良」と診断が下される馬を出している。*15*16

 そして、その不吉さから、あるいはうしろめたさから目を背けるように人は競走馬の死に詩や物語を見出してきた。たとえば、沢木耕太郎日本ダービーの勝利後に破傷風安楽死となったトキノミノルについて、こう謳いあげている。「トキノミノルの死には、確かに人間においても夭逝した詩人だけが持ちうる特権的な輝きがあった」。*17

 こうも続く。「悲劇的な死ではあったが、ダービーという"たった一度"のために生まれ、走り、勝ち、そして死んでいったトキノミノルは、至福の生涯を送ったともいえる。」

 競走馬にとっての「至福の生涯」とはなんだろう、という疑問はおそらくここで手に負えるものではない。

 沢木耕太郎はこうも言った。馬には"たった一度"が許される。騎手には、そしてほとんどの人間にはその"たった一度"が許されない。どういうことかといえば、競走馬は生涯でたった一度だけダービーや皐月賞に出走して、勝とうが負けようがそこで終わりだ。しかし騎手には幸か不幸か”次”がある。あってしまう。*18トキノミノルに騎乗してダービーを制した岩下密政はその二十年後に事故で亡くなった。沢木は岩下の姿をギリシャ神話のシジフォスに重ねた。ここにも詩がある。

 でも、シジフォスの苦行に詩はあるだろうか。あるのは単調に刻まれるリズムだけではないのか。

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アニメでもゲームでも開始二秒でこう断言される。ホモサピの手前勝手さにあふれているが、まあコロコロコミックの玩具バトルまんがみたいな世界観だと了解すればよい。

 


 そして、ウマは?


 トウィンクルシリーズへの挑戦はウマ娘たちにとっても"たった一度"のイベントであり、トレーナーと過ごす三年間もそうだ。だが、トレーナーたる我々はその"たった一度"を無限に繰り返す罰を課されている。なんの罰か。わかるだろう。わかるはずだ。おまえには。


 ヘロドトスに言う。

 英雄ヘラクレスが失踪した愛馬を探していたときのこと。

 馬を捜索するうち、ヒュライアという土地で半人半蛇の女と出会った。

 蛇女は「馬は自分の許にいる」と告げ、馬を返す代わりに自分と交われと要求した。

 ヘラクレスは応じたが、契ったのちも蛇女は言を左右にしてなかなか馬を渡さない。

 しばらくのち、蛇女が突然ヘラクレスに馬を返却してきた。と同時に、自分が妊娠したこと*19を報せ、生まれてくる子どもたちを自分の国に住まわせるか、ヘラクレスのもとに送るかを問うた。

 ヘラクレスは蛇女にこういった。

「そなたは子供らが成人したならば、私がこれからいうようにすれば間違いなかろう。子供らのうち、この弓をこのようにと仕草を示し引き絞り、またこの帯をこのように締める者があったならば、その子をこの国に住まわせよ。しかしながら私の命ずるこれらの業を仕損じた子は、この国から追放してしまえ。」*20

 蛇女からは三人の子が生まれたが、ヘラクレスの言いつけた試練を合格できたのは末っ子のスキュテスのみだった。騎馬民族として名高いスキュタイ人はその末裔だという。

 わたしたちトレーナーは、薄情なヘラクレスのほうの末裔だ。

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 Do you know you’re all my very best friends?

    『My Little Pony: Friendship is Magic』主題歌



 いつの頃からか、ダイジョーブ博士ダイジョーブ博士ではない)が姿を現さなくなった。

 なぜだろうか。この世の構造を知って、彼女を必要としなくなったからだろうか。

 この世には二種類のウマしかない。名バと、そうでないウマだ。

 名バとは、対人レースに出せる強いウマ。それと、優秀な因子を有したウマ。

 その二者だけが本物のウマ娘として学園のロビーに受肉できる。それら以外は、ただの肉(ポイント)に換えられる。

 200名の収容人数を誇るにもかかわらず、常にガランと寂しいウマ娘の殿堂に、某名調教師のあのことばが響く。「馬は走るために生まれてきた。鍛えて強くせねば肉にされてしまう」。
 戸山師の厩舎がそうであったように、最初我々の元に来るのも”血統”的に貧相なウマだ。青1因子とフレンド青2因子の仔。もしセリという概念が『ウマ娘』にあったら*21、ロクな値がつかないだろう。

 そんなウマを鍛える。徹底的に鍛える。大食いイベントでは「太り気味」のリスクを意識しつつも常に体力が30回復するほうの選択肢を選び、故障率30%はむしろの分のいい賭けだとうそぶきながらぶっこむ。
 肉にしないために鍛えてに鍛えて、走らせて、また鍛えて。そうして。

 みごとな駄バができあがる。

 スピード因子1。

 先行因子1。

 あとは……なんだろう? 垂れウマ回避とか?

 使えないウマだ。

 有馬記念に、URAファイナルに勝った。

 だが、肉だ。

 温泉にも行って、最高のグッドエンドを迎えた。

 だが、肉だ。

 おまえは肉なんだよ、”グラスワンダー”。


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「一定の成績」を残せなかったら……残せなかったら、どうなるんですか。

 ほんとうにすまない。でも、おまえは”グラスワンダー”という名前で三年を過ごしただけで、本物のグラスワンダーにはなれなかった。なにがわるかったのかすらわからなくて、何が間違っていたのかといえばすべて間違いだったのかもしれないけれど、この判断だけは間違えることができない。許してほしい。



 努力や根性*22だけではどうにもならない領域がある。


 血だ。


 人類が5000年かけて改造してきた家畜としての馬の歴史がここでプレイヤーにも牙を剥く。あの三大始祖の像は仰ぎ見てありがたがるような御本尊ではない。敵だ。わたしたちが倒すべきは、終始ライバル面してるくせになんかぼんやり最後のレースにぴょっこり出てきて強いとも弱いともいえない微妙な走りを見せて去っていくハッピーミークではありえない。

 近代競馬400年の蹄跡こそ真の敵だ。

 その400年を凌駕する血の量を獲得しなければならない。大量の死体、大量の肉。

 聞くところによれば大塚英志は「ビデオゲームは死を描きえない」と断じたそうだが、むしろ逆だろう。ゲームは死しか描けない。そこいらじゅうにリストカットよりも手軽な死が充満している。

「死が私たちをどこで待っているかは定かではないのだから、私たちのほうが死をいたるところで待ち受けよう」とモンテーニュは呼びかけた。*23

 積極的かつ能動的な死の繰り返しによって世界を洗練させていくこと、肌触りと身体で真理の形をかたどること、それがローグライトの教義となる。

 必要なのは、リプレイの速さ。

「すべてのイベントをスキップする」にチェックし、テキスト送り最大速度でシナリオをすっとばし、ただ機械的な速度に身を委ねて三年を駆け抜けろ。個体で認識するな。星の数だけ数えろ。アブラハムのように。*24ライアン・テダーのように。*25

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「移籍」。どこへ?


 やりなおすたびにウマたちは前世の記憶を桜井裕章のごとく忘却していく。

 そうやって一回一回のゲームプレイをかぎりなく圧縮させていけば、どのウマも等しくのっぺらぼうにしてしまえば、どうだろう、忘れられるか、いや、無理だ。忘れたくない。忘れたくねーよ。

 シナリオは飛ばせる。だが、レースは観てしまう。なぜか。わからない。物語は走るだけで完成する。もうどこにもいかない。

 ヘミングウェイは「最高の競馬アニメが読みたかったら、アニメ版『ウマ娘』を観ろ」と提言した。違った。「最高の小説が読みたかったら、競馬新聞を読め」といったんだ。

 馬は喋らないからこそ、人間が過剰に思いを乗せる器にふさわしい。ウマ娘たちもまた語らない。

 わたしたちの思い出は、地獄は、レース結果の積み重ねとリザルト画面にある。

 ウマ娘たちのモデルになった競走馬たちに固有のドラマがあったように、わたしたちの”グラスワンダー”や”エルコンドルパサー”にもそのプレイ限りのドラマがある。30頭の”シンボリルドルフ”は、誰一人として同じ”シンボリルドルフ”ではない。
 
 それでも依然、ウマはウマで、肉は肉だ。

 この絶望に見覚えはないか。

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市川春子「虫と歌」より)



 替えのきかない物語を重ね、間引き、継いでいく。


 継がれていく血は選りすぐられた勝ちウマだけだ。だが、わたしたちは選ばれなかったウマたちも覚えている。

 生き残ったウマの血の中に、血統表の系統樹以上のウマたちがひしめいていることを知っている。

 憶えているがゆえに、わたしたちは日々削られていく。

 わたしたちにはチェンソーマン*26はいないし、リメイク版『サスペリア』のスージー・バニヨン*27もいない。すべて憶えている。記憶しつづけることで、何かを支払っている。あなたが『ウマ娘』をプレイすることに疲れているのは、ゲームのせいではあるがゲームのせいではない。

 シェイクスピアのリチャード三世は、最後の戦場で自らの王国と引き換えに一頭のウマを望んだ。*28

 キュロスの王は、あるトレーナーに彼のウマと王国を交換しないかと持ちかけた。*29

 本来ならそのくらいの対価が必要なのだ。

 寺山修司が「トウィンクルシリーズは人生のメタファーではない。人生がトウィンクルシリーズのメタファーなのだ」と言ったのは有名であるが、これは荘子の「万物は一頭のウマであると同時にウマではない」という万物斉ウマ説を踏まえている。つまり、世界とはウマである。

 世界というマクロコスモスと等価に引き換えできるのは、自分というミクロコスモスだけだ。

 全部ギブしろ。

 全身全霊で自分のウマに賭けろ。

 2500メートルはそのまま最高の小説だ。

 レースはすべて観ろ。勝ちも負けもすべて聞け。

 償え。


 そして、第四コーナーだ。大歓声です。中山の直線は短いぞ。澄み切った師走の空気を切り裂いて、最後の力競べが始まります。

 ハッピーミークがまだ先頭。ハッピーミークがまだ先頭。テイエムは今日は来ないのか。外の方からトウカイテイオーも来ている。ビワハヤヒデトウカイテイオー。ダービーバの意地を見せるか。それともグランプリ史上にスピード全振りの栄冠を刻むか、サクラバクシンオー。しかしアグネス、アグネス。いや、外からぐーんと飛んできた。物凄い脚、物凄い脚だ。来たぞ来た来た来たぞ、シンボリルドルフがやって来た。こっからが強い、こっからが強い! キングは追いつくか。ライアン、マックイーンはまだ後方。そして内からエアグルーヴがバ群を食いちぎっていく。グラスワンダーもちぎっていくか。そして、大外から、大外からゴールドシップ。今年もまた大波乱。その荒波の向こうにはスペシャルウィークエルコンドルパサータイキシャトルハルウララナイスネイチャサクラバクシンオーマヤノトップガンウオッカダイワスカーレットスーパークリークマルゼンスキーミホノブルボンウイニングチケットライスシャワーサイレンススズカ。みんないます、みんな走っています。あなたは憶えています。そうだ。見えないのか。感じないのか。伝説はここにある。風は吹いている。有馬記念、冬の中山、雪、重バ場、あなたの夢、わたしの夢、懐かしい未来、そして永遠、すべての美しい君の愛バが。


 あの坂を越えて、やってくる。


 おまえだけが、やってくる。





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浅田次郎『競馬どんぶり』より。『競馬どんぶり』には今日からソシャゲにも適用できる金言がいっぱい詰まっているのでみんな読もう))

なんか女神像すげえくれるらしい。

*1:効果:「レース中盤にすぐ前のウマ娘をわずかに戸惑わせる<中距離>」。ナイスネイチャだけでなくスイープトウショウでも取得可能

*2:カルヴィーノ『見えない都市』米川良夫訳

*3:注意:これはゲームの攻略記事でもなければ、分析記事でも、ウマ娘と社会を絡めて何か世相を語っているふうな記事でもない。一切、あなたのためにならない。世の中には吐き出さなければどうにもならないことがあり、このブログの他の記事同様、これもまたそのように排泄されたものだ。

*4:そもそも出られるようになるだけでも大変なのだが

*5:ここではデジタルベースのゲームくらいの意味にとってほしい

*6:これはうちのテーゼなので、あなたは信じても信じなくてもいい。なんとなれば、私も『The Return of the Obra Dinn』とか大好きだ

*7:グラント・タヴィナーは芸術の形式としてのビデオゲームをこう定義している。「Xは、以下のときにビデオゲーム作品である。それが視覚的なデジタル媒体を持った人工物であり、かつ娯楽の対象として意図されており、かつ、そのような娯楽が、以下のいずれかまたは両方の参加方式を使って提供されるように意図されているとき、ルールと目的を持ったゲームプレイ、インタラクティブなフィクション」:松永伸司『ビデオゲームの美学』

*8:厳密にいえば、『ウイニングポスト』では実在の名馬の足跡を追体験できる要素がある。

*9:7あたりで実在のプロ野球チームに入団できたことはあった

*10:この妥協に抗おうとしたのが『パワプロクンポケット』シリーズだということはできる。

*11:「”美少女”を”育成”する」という合せ技は『パワプロ』以前にも『プリンセスメーカー』(ガイナックス)が存在し、恋愛ゲームの『ときめきメモリアル』に引き継がれていった。アイマスとかもその系譜ということになるんじゃないかと思うんだけど、あんまり詳しくない分野なので深入りは避ける。rf. 多根清史『教養としてのゲーム史』

*12:前注に出てきたゲーム研究者の多根清史は『ダービースタリオン』の楽しさを「プレイヤーが馬主と生産者と調教師の三役を兼ねる」点にあると指摘したけれど、この見方に則れば、『ウマ娘』は「(ヒトとして対等な)パートナー」という役割を追加したといえる。

*13:くらべうま

*14:いわゆる、以仁王の乱

*15:参考:https://umas.club/stat-fatality ”レース中に負ったけがによって予後不良の診断が下された馬が対象で、レース前後(発走前や入線後)に生じたけがによるものは含まれていません。予後不良であっても安楽死処置がとられないこともあります。”

*16:ちなみに騎手の死亡率はドイツで約17万5000人に1人。サッカーで死ぬ人は約10万人に1人で、水泳は5万6000人に1人なので、人間に関しては比較的安全なスポーツといえる。http://www.bandolier.org.uk/booth/Risk/sports.html

*17:イシノヒカル、おまえは走った!」より

*18:だからこそ、テイエムオペラオーの主戦騎手だった和田竜二などにもドラマが生まれる

*19:フロイトによれば、馬は(馬にかぎらずフロイトの手にかかれば何でもそうなるのだが)それ自体、性的なシンボルである。サイゲウマ娘のエロ同人を禁じたのは馬主からの反発を恐れたためではない。在るだけでセクシャルな象徴についてエロを描くなどとは、屋上屋を重ねるごとき不粋である。風流を知る企業であるサイゲはその恥辱に耐えられなかったのだろう。

*20:ヘロドトス『歴史』松平千秋訳

*21:種付け権に関しては、ある。フレンド機能で実行できる

*22:スペシャルウィークは根性トレーニングのときだけでなくスピードトレーニングのときも「根性です!」と叫ぶ。

*23:『エセー』宮下志朗・訳を一部改変

*24:”そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」”『創世記』15:5

*25:「最近、どうもなんだか眠れない/僕たちの後悔を夢に見るようで/だけどね、ベイビー。一生懸命祈ってもいるんだ/金を数えるのをやめて、星を数えよう」One Republic「Counting Stars

*26:漫画『チェンソーマン』に出てくるチェンソーの悪魔が食べた悪魔は概念ごと抹殺される。

*27:ルカ・グァダニーノ監督版『サスペリア』では魔女として覚醒した主人公スージーは、ある辛い経験に苛まさてきた老人の記憶を消してあげる。

*28:ウィリアム・シェイクスピア『リチャード三世』

*29:クセノポン『キュロスの教育』

2020年に第一巻が発売されたおもしろマンガ・ベスト10と+40作くらい

これまでのあらすじ

・村長から「俺は2020年の第一巻発売オススメまんが記事をアップしたけど、おまえはまだなの?」と煽られた。
msknmr.hatenablog.com

・わがブログ固有の文化・商標である年度第一巻発売マンガまとめ企画を村長に盗用され、怒りを禁じえません。目下、弁護士を通じて訴訟の準備中です。

レギュレーション

・タイトル後のカッコ内は掲載誌
・2020年1月〜12月に第一巻が発売された作品
・上下巻、短編集、アンソロジー、短期集中連載作などは扱いません(意外と判定むずい)*1。コミカライズに関してはこの限りではない。*2
・ナンバリングされてない作品等についても責任は持てない。
・前に70作とか80作とかあげてたら「多すぎて散漫」みたいなコメントがついたので反省して今回は限界まで絞りました。

並んでるタイトルだけ確認して満足する人用インデックス

ベスト10作(順不同)

つるまいかだ『メダリスト』(『アフタヌーン』連載)

 単に「第一巻が発売された」というくくりを除いても『メダリスト』は、2020年でもトップクラスにおもしろいマンガ作品です。ほんとうにマジで毎回おもしろい、ウソみたいに奇跡です。
 才能についてのフィクションとはどれだけ才能を残酷に描けるか、それでいて絶望に落ちきらずにいられるか、そこに尽きます。
 そう考えると日本のフィギュアスケート界ほど残酷な世界はないのかもしれません。なにせ小学五年生ですら本格的に始めるのには遅すぎるといわれる。まあ、人気のあるスポーツはだいたいそうなのかもしれませんが、それでも小学生にその現実に見せつけるのはあまりに酷といいますか、だって小五の主人公が小三でめっちゃ滑れるライバルを見て「昔から正しく積み重ねてきた子を見ると、頑張ろうじゃなくて、自分はもう頑張ってもこうなれないかもって気持ちが出てきちゃう」と落ち込むんですよ。ようやく年齢が二桁になったばかりの子どもがですよ。
 才能フィクションは主人公に圧をかければかけるほどおもしろくなるので、この時点で十二分に傑作の条件を満たしているんですが、他の部分もおしなべてレベルが高い。
 まず顔がいいですよね。どのキャラクターも活き活きとしていて、くるくる表情が変わる。シリアスな泣き顔からコミカルな笑いまでエモーションがすごい勢いで乱高下していくさまがそのままストーリーのメリハリとしても機能している。
 そして、キャラ。スポーツまんがなので個性豊かなライバルが矢継ぎ早に登場するのですが、これがまあ一人残らずビンビンにキャラ立ちしていて魅力的。配置も巧くて、主人公とのケミストリーが実によく計算されています。
「コーチと選手の関係」にフォーカスしてバディ感を高めているところもよくて、実はフィギュアスケートまんがって結構あるのですが*3、『ユーリオンアイス』のようなコーチとスケーターの関係性をそのまま熱血スポ根に持ち込んだようなあたりはいいとこどりもいいとこどりで、フィギュアスケートまんがの大正解出ちゃった感がすごい。
 そしてなによりダンスシーンの躍動感。これはもう問答無用で画で殴ってくる。
 さすがにそろそろ黄金期も終焉に近いかとおもわれていた『アフタヌーン』ですが、こういう作品が出てくるあたり、まだまだ当分覇権は続きそうです。

河部真道『鬼ゴロシ』(『漫画ゴラク』連載)

鬼ゴロシ 1

鬼ゴロシ 1

『バンデット』、そして『KILLER APE』。暴力と知性のダブルパンチで『モーニング』読者に衝撃を与えた河部真道は嵐のように去っていき、そして勢力を強めながら『漫画ゴラク』で最大瞬間風速を記録しました。
 話はシンプルです。
 なにものかにハメられ妻子殺害の濡れ衣を着せられた元ヤクザの十数年越しの復讐劇。でも、その迫力がハンパじゃない。
 ネーム、ストーリー、キャラ、セリフ、絵、世界観、すべてが「暴力」の一語によって貫かれた暴力ドリヴンの暴力漫画です。ときどきこういう異形の暴力まんがは現れるものですが、単に暴力が暴力をしていれば成り立つわけでもなく、まんがとしてパッケージングするには緻密に計算された暴力でなくてはいけません。
『鬼ゴロシ』の走りは研ぎ澄まされた短距離走者のようで、知性と暴力がひとつの拳で炸裂している。
 これまで賢しさ(『モーニング』読者に対する配慮でもあったでしょう)がどこかブレーキになっていた河部マンガですが、『ゴラク』というフィールドを得て、ようやくその真価が発揮されはじめたというべきか。

近藤信輔『忍者と極道』(『コミックDAYS』連載)

『ヤオチノ乱』打ち切りによってこの世に忍者ものの居場所はなくなってしまったことが証明された……とおもったら、そのコミックDAYSでまさに新しい忍者ものがハネてしまった。まだ世界に希望は残っているのかもしれません。
 異能忍者バトルとして太祖山田風太郎にリスペクトを捧げつつ*4、2010年代以降のバズりのテイストを戦略的に取り入れてもいて、話題にしやすいツイッタジェニックさで攻めつつも、展開もキャラもきっちり練り込まれていて読み応えがある。
 四方に隙がない。 
 ここまで作者の「おもしろくしたい」気持ちが読者側に伝わってくる作品も稀有でして、回を追うごとにエンタメのボルテージが上がっていく感覚もあり、週一で連載を追う体験としての愉しみも具えている作品です。

山田風太郎(原作)、勝田文(漫画・漫画原作)『風太郎不戦日記』(『モーニング』連載)

 奇しくも2020年の気分をなにより能く表すことになった一作。ほら、コロナ的な意味でね。
 山田風太郎という作家がいます。天才です。
 この人は作家になる前の医学生だった戦中から作家デビューした戦後初期にかけて日記を残していて、それは日記文学の名作として各出版社から出されています。「戦中派」を自認した山風の人間観に決定的な影響を与えた時期の日記だけに、山風理解の上で欠かせない本です。
 さて、そのコミカライズの本作は終戦間際から(現在のところ)終戦直後くらいまでの時期をコミカライズしたもの。(フィクションなので比較対象として不適当かもしれませんが)こうの史代の『この世界の片隅に』が呉という地方都市に絞った家庭の日常を描いたのに対して、本作では医学部のある東京を中心として山風の故郷である兵庫県の養父や疎開先の長野、あるいは通りがった京都などの色んな土地の戦時の風景を描きつつ、独りよるべなくさまよう青年の日々と心情が物語られていきます。
 モノがない。食糧もない。人手が足りない。爆弾は毎晩ふってくる。昨日普通に笑っていた同級生や近所のひとたちがあっけなく死んでいく。
 そういう凄絶な場所にも人々の日常のリアリティは生成されていくもので、青年山風が「苦手なテストやりたくないなから試験日にアメリカ軍が空爆しにきてくれないかな……(試験日に空襲があるとその日のテストは中止にされ自動的に全員合格判定がくだされる)」とぼんやり願い、それが叶えられて大喜びするシーン、あるいは赤紙の配達人に化けて知人を騙して笑うドッキリシーンなどはほんともうどういう感情になればいいのかわからない。
 そんなどういう感情になればいいのかわからないものを託されたのは『ジーヴス』シリーズのコミカライズでも知られる勝田文。これは『モーニング』編集部の大殊勲とたとうべきでしょう。淡々としたタッチで描かれる勝田版青年山風の生活は静謐さのなかにも昏い熱が籠もっていて、まさにこの漫画家以外にはありえなかった、非の打ち所のないコミカライズに仕上がっています。

杉浦次郎『僕の妻は感情がない』(『コミックフラッパー』連載)

 なんとなればわたしたちは後ろ暗さや罪深さをひっそりと共有するためにページを繰るのであり、その厳かさは中世に聖書の一言一句をていねいに転写していた修道士たちにも劣らない。
 杉浦次郎の描く家事用アンドロイド・ミーナとの新婚生活は不穏な平穏さに包まれています。
 正しいか間違っているでいえば、間違っているほうの話です。
 子どもや動物がそうであるように、所有者に尽くすことを至上目的とする人工知能は主体的な判断が可能な人格としての資格を欠いています。すくなくとも形式的には、そう。そのような対象を対等に愛するなど可能なのでしょうか。結論から申し上げれば、不可能です。根本的に間違っている。
 それを主人公は自覚している。自覚しているが、止まらない。その二律背反が作品世界にときおり影を差します。
 焼き上がった生首が皿に盛られて差し出されるときの不穏さはなんだろう? 生首の後ろでは頚椎部の断面からなんらかの液体がふきあがっている。
 身内の目から隠すためにミーナを暗い押入れに閉じ込めようするとき、決定的ななにかが犯されそうな心地をおぼえ、主人公は躊躇する。
 ですがまあ、すくなくとも外形的にはポジティブなまんがで、愛し方も愛され方もわからない不器用が二者が寄り添ってすこしずつ進んでいく。そしてそんなふたりを包む世界もまたやさしくデザインされている。
 たとえば、ミーナを開発した会社が点検員を派遣してくるくだりがあるのですが、会社の内部では通常の点検プロセスとは別に「家事ロボットをユーザーが家族扱いしている場合」のプロトコルが用意されていて、そのあたりの細部にちょっとしたSFを感じると同時に、孤独な異常者をちゃんとやわらかく受け止めてくれるなんてやさしいなあとおもったりもします。
 そこのあたりの次郎先生の理屈っぽい世界デザインセンスは pixiv で連載中の異世界転生もの『ニセモノの錬金術師(旧称・異世界でがんばる話)』にも反映されていて、こちらは冨樫フォロワーのなかでも群を抜いて『ハンター✕ハンター』の理屈バトルのエミュレート精度の高い逸品*5となっていて、めちゃおもしろいです。出版社はいますぐ拾うべき。

宮下裕樹『宇宙人ムームー』(『ヤングキングアワーズ』連載)

 宮下先生の『決闘裁判』は2019年に終わったまんがで最も過小評価された作品のひとつでしたが、かなしいかな、『宇宙人ムームー』もやはり2020年に始まったまんがで最も過小評価されている作品のひとつということになるでしょうか。*6
 戦争によって母星と発展した超科学技術を失ったネコ型の異星人が、ぼっち大学生・桜子の家に居候しつつ、低レベルな発展段階にある地球の家電からテクノロジーを構造から学びなおしていく家電学習コメディ。
 ブラックボックス化した文明の利器をふだん機構もわからず使っている我々凡愚でも楽しく家電のことを学べてためになります。掃除機の構造が「ほとんどモーターに直結しただけのファンで、ほぼ『風を造る』だけの機械」だとか、冷蔵庫は「冷たい空気を作っているのではなくて食品から熱を奪って外に出す機械」だとか、身もふたもない感じで分析されるのも気持ちよいですね。
 一巻の途中からは桜子が人類再生研究会(を名乗る家電研究会)というサークルに入会し、分解だけではなく修理・改造にも発展していきます。物語的にもファンタスティックどたばたトラブルバスター大学サークルもののノリが加わって重厚さを増していきます。スマホを遠隔充電する機械を工作しようとしてうっかりEMP兵器になってしまったりだとか。
 青春、恋愛、家電、宇宙人SF、ネコ、大学サークルと全部盛りで嬉しい仕上がり。家電の歴史や豆知識、節電術なども学べるコラムまでついてきて、大変お買い得な作品です。

ドリヤス工場異世界もう帰りたい』(『月刊ヒーローズ』連載)

 画風で出オチ扱いされがちなドリヤス工場ですが、十分にストーリーテラーとしての才覚もあって、冴えないサラリーマンが剣と魔法の異世界に召喚される『異世界もう帰りたい』ではそのセンスの一端を垣間見ることができます。
 底辺転生者*7である主人公・下山口一郎は召喚されて早々、使いみちのないあぶれものとして雑用に割当てられ、序盤はそんな彼のせぜこましい日常が描かれます。
 異世界での生活は一郎が日本で送ってきた生活とさして変わりません。地味で代用可能な労働があり、その疲れを癒やす日本食レストランや酒場がある。不要な日本人が召喚されては解き放たれた結果、どこの国にも日本人街みたいなものが形成されて文化的にも日本とあまり乖離がなくなってしまったのです。
 一方で、あきらかにソーシャルゲームのガチャを生のまま取り入れた(十連召喚や石という概念がある)転生者のシステムや魔術の設定や世界観は徐々に開陳されるにつれ、意外に作り込まれてたものであることがわかってきます。
 そうした理屈っぽい部分と所帯じみた地味日本パンクが合わさったとき、なんともオフビートで独特な読み味が立ち上がってきます。

背川昇『海辺のキュー』(『月刊ヒーローズ』連載)

 今年は『マグちゃん』『プリンタニア・ニッポン』『宇宙人ムームー』『バクちゃん』そして本作と謎かわいい生物まんがの当たり年でした。わけても『海辺のキュー』のキューちゃんのかわいさは忘れがたい。
 ウミウシみたいなアウトラインにイヌっぽいテイスト、くるんとした大きな目はたばよう先生の描くキャラのようで、無垢さのなかにもどこかあやうい印象を漂わせている災厄の獣、それがキューちゃんです。このキューちゃんを見ているだけもしあわせな気分に浸れます。
 しかし、ハッピー一辺倒でもないのが本作の侮れないところ。
 主人公の中学生・千穂は傍から見ると仲のいい友だちもいる快活な少女なのですが、実は細かいコンプレックス(流行りに疎くて友人同士の会話についていけない、部活の先輩がいじわるすぎる、片思い相手がそのいじわるな先輩と仲良し、友人グループでいじられキャラとして軽んじられている気がするなど)を降り積もらせていて、世界とのズレを抱えている。
 そこへキューちゃんが現れて彼女の「黒い部分」を呑んでくれる。キューちゃんに丸呑みにされた人間は、なぜかはわからないけれど、すごく晴れ晴れとスッキリした気持ちで戻ってくるんですね。ところが、そんなキューちゃんのセラピー能力にも副作用がある。もちろん、ある。
 志は高かったもののその野心ゆえに終盤チグハグになってしまったガールズフッドラップまんが『キャッチャー・イン・ザ・ライム』、そこでも見せたポップな絵柄に”生”感のある人間の悪意やどうしようもなさを宿らせる(宿らせつつも抜けがよく暗くならない)作風が物語にすばらしくマッチした快作です。
 基本不思議生物オチもの日常系のゆるやかなほのぼの感で生きつつも、キューちゃんが初めて千穂を丸呑みするロングショットなどの時折見せる突き放した不穏さも技巧的。
 ちなみにですが、わたしは丸呑みに興奮するヘキはありません。

灰田高鴻『スインギンドラゴンタイガーブギ』(『モーニング』連載)

 画が躍っている。
『スインギンドラゴンタイガーブギ』の第一話は衝撃でした。
『モーニング』なんていう動体視力と欲望の衰えたトロいおっさんの読む雑誌に、ヒリつくほどにヴィヴィッドなまんがが載っている。
 昭和二十六年、記憶喪失になった姉のために東京まで人探しにやってきた少女が奇縁からアメリカ軍の駐留地を回るジャズバンドにボーカルとして加入するお話で、アメリカ文化のジャズと活気を取り戻しつつある日本の芸能が猥雑に混淆していく、この時期特有のヴァイブスを物語より何よりまんがの画として表現しているのがすばらしい。
 展開のもたつき感を差し引いてもなお2020年において最も読まれるべき一作であることはゆるぎません。

雨隠ギド『ゆらゆらQ』(『ザ花とゆめ』連載)

 神の使いである狐の娘と神主の男が恋に落ちて*8産まれた九人のこどもたちはいずれ劣らぬ美男美女ばかり、そう、九番目の末っ子である久子を除いて。高校生の久子は自分のちんちくりんさにコンプレックスを抱き、幼馴染の春人への恋慕もひた隠しにしてきました。が、あるとき突然自分を美女に見せ周囲の人間を魅了する「魅力の化け力」に目覚ます。ところがその術が春人にだけは通じなくて……というドタバタコメディ。
 ある種ルッキズムを扱った作品ではあるのですが、安易に「外面が美しいこと/内面が美しいこと」の二元論に陥らず、主人公の久子もコンプレックスは抱えているものの性格はパッキリしていて「(他人がどうこうというよりも)自分が自分のことを好きになれるようにがんばりたい」という前向きガールで、読み味が非常に清々しい。
 春人や久子の家族といった周囲の人間が軒並みあたたかいのもいいですね。
 雨隠ギド作品を読むときは常に「人間があったけえ……」となります。
 そのぽかぽか具合とパラノーマルロマンスがギド先生のシグネイチャー。


【他におもしろかったもの・なんか心に残ったもの・ひとこと言いたいもの】*9

吉本浩二『定額制夫のこづかい万歳 月額2万千円の金欠ライフ』

・狂っている。
・毎回のゲスト登場人物、作者、作者の家族、日本社会、編集部、メディア、そして読者。すべてが狂っている。令和をこんな日本にしてしまったわたしたちにはこの狂気を直視する義務がある。
・『カツシン』や『ブラックジャック創作秘話』などで確立した作者独特の決めゴマが得も言われぬパワーで殴りかかってくる。ここでは読むことも暴力であるなら、読ませられることも暴力だ。

山田縫人(原作)、アベツカサ(作画)『葬送のフリーレン』

・気がついたらいまさら褒めてもな状態になっていた。
・ギャグパートの切れ味がむしろ本篇よりすさまじいの何。
・基本的にアベツカサの作画は「静」のまんがで、バトル・アクションパートになる途端に端切れが悪くなるかな、という印象だったのだけれど、最新巻ではそこを逆手にとってくるというか、むしろ魔術師メインという題材を考えるとこっちのがしっくりくる気さえしてきた。

都留泰作『竜女戦記』

・理知的ではあるのに独特のリビドーに彩られているせいでなかなかとっつきづらい都留作品にあって比較的入りやすい一作なのではないか。
・和風架空戦記としては二巻時点でもまだ導入という感じなのでこれからどう転ぶのか。
・日本準拠のファンタジー世界で、龍がいて、戦記もの(?)となると『皇国の守護者』を思い出してしまいます。

赤坂アカ横槍メンゴ『推しの子』

・『かぐや様は告らせたい』で一世を風靡した赤坂アカチェンソーマン連載時に毎週死んでいたことでおなじみの横槍メンゴ*10のコラボレーション。タイトルの通り、推しの子どもに転生した男女の人生を描く。けっこうな大河ロマン。

魚豊『チ。――地球の運動について――』

・激アツ情熱ロングショット地動説まんが。おもしろキチガイがたくさん出てくるもののまだ『ひゃくえむ。』ほどのインパクトには欠けるかなといった印象。
・とはいえ、いい意味で展開の予想がつかなくて新刊が最も楽しみなまんがのひとつ。

米代恭『往生際の意味を知れ!』

・非常にざっくりいえば、強烈な片思い的未練と毒親ものを混ぜたドログチャ情念もの。あのエッセイまんが家とあのエッセイまんが家を合体させたような悪役を出してくるので大丈夫か、これ??? となる。
・出てくる人間全員むちゃくちゃな狂人コメディなのだが、たまにまっとうな恋愛ものの描写をはさむことで正気であることを担保してくるというか、読者を騙しにかかっている。
・なにげにエッセイまんがの虚実という業界的にフェイタルな部分にも突っ込みつつ、それをドキュメンタリー映画として撮ることをフィクションマンガを描くというややこしくも興味深い多層構造になっていて、ここのあたり堀りがいがありそう。

古部亮『狩猟のユメカ』

・僕たちが夢見た動物バディもの。喋る動物とペアを組んで異世界化した日本でサバイブする。
・敵キャラに結構キレた性格の人物が多いところが愉しい。「おれたち猟師は自由に猟銃を撃てる世界を心の底で望んでいた」って、猟師さんそれでいいのか?
・え? もう最終回?

ゆーき『魔々ならぬ』

異世界から魔王(ダメ人間)と勇者パーティの脳筋魔術師(ダメ人間)が平々凡々な青年(ダメ人間)の元にころがりこんでてんやわんやを巻き起こすダメ人間落ちもの(たぶん)コメディ。
・一巻は物語のコントロールできていなさを絵の良さで押し通している印象が強かったけれど、キャラも出揃った二巻はふつうに安定しておもしろい。

蒼井まもる『恋のはじまり』

・他人の恋愛は報われないほうがおもしろい。でもまあ、これもいつかは報われていくんだろうな。

ビエラー長谷川『抜刀』

・性的なリビドーをテコにむちゃくちゃな話をドライブさせていくマンガはどの時代にもあって、これはどこまで燃料が持つのかな。

江島絵里『対ありでした。〜お嬢様は格闘ゲームなんてしない』

・ただ戦って勝ちたい、というプリミティブな欲動をここまで称揚してくれる作品もなかなかなない。

迷子『プリンタニア・ニッポン』

・謎の生物を飼う系のまんがは結構あるのだけれど、そのなかでもわりとSF的な世界構築に関心が向けられているのがよい。

AMPHIBIAN(原作)、中山敦支(作画)『こっくりマジョ裁判』

・へえ、村長は中山敦支で『スーサイドガール』を推すんですねえ。だったらこちらはこのカード! 『こっくりマジョ裁判』!
・『レイジングループ』などで有名なゲームシナリオライター Amphibian によるデスゲームもの。始めからすべてのルールを提示せずに手探りで進行していくさまがむしろ妙味。むしろ、なので真っ当な特殊設定知的デスゲームを期待するとちょっと期待にそぐわないかもしれない。

門馬司(原作)、鹿子(漫画)『満州アヘンスクワッド』

・みんな大好きドラッグとみんな大好き満州国を合体させるフックは強靭なのだが、やや展開に安直なところが見え隠れするのが不安材料。

愛南ぜろ『さよならエデン』

・90年代セカイ系の延長線上にあるような終末戦闘少女日常。悪い意味ではない。

和山やま『女の園の星』

・そこまでハネるか? と思わなくはないものの、ふつうによい。

若木民喜『16bitセンセーション』

・90年代エロゲ制作年代記。その時代を知っている人にしか描けないディティールが詰め込まれ過ぎない程度に詰め込まれていて、そのバランスがうまい。
・エロゲ史は日本のゲーム文化に多大な影響を及ぼしたわりには歴史としてまとめられることが少なくとも表立ってはあまりないとIGNのひとが言ってた記憶があるので、そこにスポットライトを当てるのは公共的にも意義があるんじゃないんでしょうか。そこの意識があるからこそちゃんと版権の承認とってくるんだろうし。

筒井いつき『この愛を終わらせてくれないか』

・完結済。暗黒系入れ替わり百合。作者は仲良し女子グループで死体を埋めに行くドロドロ相互依存暗黒百合『少女支配』を書いた筒井いつき。
・クラスメイトに芸能活動をやっている推しを持つ陰キャの高校生がある日推しの親友と身体が入れ替わってしまい、寵愛を一身に受けることに。夢見ていたはずのポジションを手に入れたはずの彼女だったが……? というお話
・出てくる女が全員STRに極振りしており、攻撃力がヤバくて防御が紙。
・筒井作品がわたしは大好きなのだけれど、周囲の百合好きに勧めても「そういうエグいのはちょっと……」と軒並み敬遠される。百合好きは精神的に惰弱な人が多いのではないだろうか。ちゃんと朝夕の乾布摩擦とボクササイズと栄養バランスのとれた食事で心身の健康を養った上で百合に相対してほしい。そんなんじゃ社会でやっていけないぞ。

雨隠ギド『おとなりに銀河』

・女性視点の『ゆらゆらQ』と同時に男性視点の本作と、パラノーマルロマンスを二作並行して描けるところが雨隠先生の才を証している。
・人間があったけえよ……となりたいときに読むとよい。

雨玉さき『JSのトリセツ』

・『なかよし』で連載されている小学生向け多方面教育まんが。トピックは性、恋愛、友達関係、勉強とさまざま。
・とにかくまんがが上手い。一話ごとの構成が見事だし、キメるコマはキッチリキメる。教育目的の啓蒙マンガはとにかく押し付けがましくなりがちだが、そうした視点にも注意が払われていて、大人たちはあくまで大人という立場から小学生に寄り添った助言を行う。2020年の教育マンガ最前線というかんじ。保護者や教育者が読むことも意識されているのか、そのへんの目配せもなされている。
・ふつうに小学生目線の友情・恋愛物語としても読める。というか、一般的な意味での教育マンガよりもそちらの比重が大きくなっているのかもしれない。

柳本光晴『龍と苺』

・『響』は序列がつけづらいはずに小説というものにギリギリのバランスで「強さ」という要素を持ち込んだところが魅力も危うさもあったのだけれど、今回はフツーに将棋という勝負事の話なので安心して読める。
・暴力(主人公はほぼ響)と「勝てない」人たちへの圧倒的シンパシーは健在。
・”世間”のクソさもちゃんと響で地続き。作品世界のトーンのひとつに「女を徹底的に見下す将棋界(のムカつくおっさんたち)」というのがあり、まあ一面ではリアルにそういう空気はあるんだろうなとは推測がつくんだけど、作中ではなんぼなんでもここまではやらんでしょというフルアクセルの誇張加減でおっさんたちが主人公の苺に対してクソナメくさった態度をとりまくるので、「世界は敵」感がすさまじく、だからこそ苺が孤高に世界をぶん殴っていくさまが気持ちいい。そこらへんのカタルシスは、『響』でもすくいとろうとしていたけれど、ここまでよどみなくすくいとれていなかった気がします。

畳ゆか『泣いたって画になるね』

ビッグコミックス系列が浄土るるとならんで、2020年に送り出した二大新人のひとり。ザ・サブカルってかんじでサブカりたいならこれ。
スクールカーストサブカル恋愛と三角関係を混ぜようとした結果、百合とおもっていたらアンチ百合になったかとおもいきややっぱり百合だったみいな展開になり、プロットの化学反応とはおもしろいものだとおもいます。
・誰かも愛されているクラスの人気者が「私のことを好きなひとは私のどこを好きかはわかんないけど、私のことを嫌いな人は私のことをよく知っている気がする」と考えるアンチ理論は完全に0048

上木敬『破壊神マグちゃん』

・ジャンプでこういうほのぼのかわいい生物まんがが続いているのはいいことだと思います。
・爆発的人気なイメージはないし、掲載順も恵まれてはけしていないんだけど、なんとなく続いていきそう。

縁山『家庭教師なずなさん』

・メイド(?)ギャグ漫画
・いったん区切りをつけておいてからのボケ重ねが上手い。絵といいギャグといい、この完成度で週刊誌連載はすごいとおもいます。
・四巻で完結っすか。そうですか。
・結果論になってしまいますが、設定が弱いといったらそれはそう。でも弱さを感じさせないキャラメイクをしているのはすごい。

宮崎周平『僕とロボコ』

・スタイルは大石浩二の後継者っぽいけれど、大石浩二よりは良識を持ち合わせている。いや、最近の『トマトイプーのリコピン』けっこービビりますよ。
・ガチゴリラが”おいしいキャラ”だと気づいてからはずいぶん悪どい笑いのとり方をするようになった。
・編集部的にもタイアップとかで使いでがありまくる作品だし、連載も安定しそう。

左藤真通『この世界は不完全すぎる』

・没入型のVR世界*11でデバッガーをしていた主人公が事故によってゲーム世界に閉じ込められてしまったが、とりあえずデバッグ作業を続けるお話。
・設定の勝利。物語もきっちり作ってあるので、出落ちに留まっていない。デバッガー同士で内紛みたいなことになって戦ったりもするのだが、もちろんバグを活かした技で勝つとかやる。

ゆうち巳くみ『友達として大好き』

アフタヌーン新連載三銃士™*12の一角。設定だけ聞くとエロコメディのようだがセクシャルな要素はそんなないっていうか、善人だけどコミュニケーション下手すぎるひとがメンターを得て世間にソフトランディングしていくさまがやさしく描かれる青春コメディ。
・コミュ障がまともに生きようとするまんがに弱いんだよな〜〜〜。

真鍋昌平(原作)、福田博一(漫画)『ピックアップ』

・二〇二〇年にコレかっていう感情もある一方で、逆に二〇二〇年にしか出せないだろコレっていうバイブスもあるナンパ師マンガ。
・煮詰めたように濃厚なホモソーシャルミソジニー、サクセスストーリーなはずなのにどこかダークで虚ろな空気感が特徴。どこかニール・ストラウスの『ザ・ゲーム』とか好きな人は好きそう。*13男が憧れの男に承認してもらうために女をコマそうとする話。女性はこの世界では「打倒すべき敵」として描かれる。
・原作者(『闇金ウシジマくん』のひと)がどこまで自覚的に綱渡りしているかはわからないけれど、二巻の終わりのほうで主人公がナンパで勝つことに虚無感をおぼえたり、価値観を相対化されるような描写も入ってくるので今後はそういう方面の話になるかもしれない。
・完結扱いかどうか微妙なところだけど、一応取り上げた。

深町秋生(原作)、イイヅカケイタ(漫画)『ヘルドッグス 地獄の犬たち』

・現代ヤクザはAIによる顔認証システムで潜入捜査官をあぶり出す!!!!!! など、とにかくパンチが利いててたのしい。

横山旬『午後9時15分の演劇論』

・変態みたいなマンガしか描いてなかった横山旬がわりとまっとうな青春学園演劇マンガを描いていて驚いたけれど、読んでみたらやっぱり六つ子の魂百までという感じで、それでも万人にオススメできる作品ではある。
・夜間大学の演劇コースが舞台であるせいか、どこか陰々とした雰囲気が漂っているのがこの手のものとして珍しい。集まる学生のメンツも20才前後ばかりではなく、おっさんおばさん(社会人や主婦を経てから入学してきた組)が普通にいて、年齢層がバラバラ。ここらへんを活かしきればさらに化けるかもしれない。
・ヒロイン? の眉が太い。

座紀光倫『ヒーロー探偵ニック』

・スーパーヒーロー専門の探偵が主人公。わりと日常寄り。前作『少年の残響』とはうってかわって陽性のコメディだけれど、作者のヘキは健在。ネタがどこまで持つだろうか。父子関係の話が好き。

森高夕次(作)、水上あきら(画)『ハーラーダービー

・コージィ先生*14は野球ネタが尽きないな……。切り口はいいのだけれど、主人公たちの価値観がかなりとっつきづらいのが難点。*15
・今年の野球まんが新作で思い出すのは『ビッグ・シックス』(六大学もの)、『松井さんはスーパールーキー』(草野球✕女子選手もの、単行本未発売)あたりか。まさかのリメイク『名門!第三野球部~リスタート~』はビビった。さすがに原作の価値観が古すぎるせいで2020年へのフィットできてさが目立っていたけれど。『グラゼニ』スピンオフの『グラゼニ ~夏之介の青春~』はやりたいことの焦点があんまり定まってない印象だった。高校生編に入ったらふつうに高校野球まんがになるんだろうか。*16
・切り口の斬新さでいえば、サッカーの『フットボールアルケミスト』(原作・木崎伸也、漫画・12Log)も「フットボール代理人」という珍しいアングルを取り上げたスポーツ漫画。語られる代理人のエグい手口は興味深いものの、今のところの物語はよくあるアンチヒーロー物語の枠を出切っていない印象。

つくみず『しめじシミュレーション』

・姉マンガ。
・四コマまんがというフォーマットを「安定的な日常」と結びつける発想はおそらくマンガ史的にも正統なのだろう。こういう趣向は『スクール・アーキテクト』を彷彿とさせる。器械先生……。
・異常なまんがを描く人間は団地や集合住宅を描くのが好きなんだな―という印象がある。異常な映画に出てきやすいオブジェクトだからだろうか?

黒崎冬子『無敵の未来大作戦』

・一夫多妻、一妻多夫制が認められた日本で展開される学園恋愛ドラマ。題材自体はよくある系なものの、オールドな雰囲気のある画調といかにもネット世代っぽいギャグセンスの取り合わせが意外と合う。
・あまりマンガとして整理されているとはいいづらいけれど、まかり通るだけのパワーを持ち合わせている。楽しみな作家。

うぐいす祥子『ときめきのいけにえ』

・ヤバいカルト集団でまともに生きて恋しようとと奮闘する女の子が主人公のホラー。うぐいす祥子がおもしろくないわけがない。

星来『ガチ恋粘着獣〜ネット配信者の彼女になりたくて〜』

・TLで話題になってたから読んでみたらおもしろかった枠。
・YouTuberのガチ恋勢になって実際にそのお手つきになるが、もちろんそんなやつは他に似たようなグルーピーを抱えているわけで……というお話。各種表現がマジでゲスなんだけど、恋する気持ちだけは本物なんですよ。だから救えない。

ウシハシル『ちょっと社会不適合者さん』

・タイトルどおり。社会と会社になじめない陰キャの会社員が理解ある彼くん的な存在を得て生き延びていく話といえば身も蓋のない。一巻時点ではおもしろいのかおもしろくないのかわかんないんだけど、どう転がるのかは気になる。
・大丈夫なのか、これ?[誰に対して?

財賀アカネ『プレデュール家の娘たち』

・財賀アカネがウルトラひさしぶりに復活したというだけでも事件だ。
・財賀アカネの持ち味であるかわいさが前面に押し出されている。そのぶん、もうひとつの持ち味であるビザールさが後景に退いてはいるが、それでもそのバイブスは残してあるので今後に期待したい。

カレー沢薫『ひとりでしにたい』

・カレー沢先生最高傑作であるとおもう。カレー沢先生は現実のハードな部分を人間のおもしろ哀しさでくるんで万人におもしろおかしく読ませるタイプのエッセイストであるので、こういう題材にもともと向いていたのかもしれない。2020年だと猫マンガ『きみに飼われるまえに』も、あざといが、ギリギリの上品でよい。
・エッセイ要素のあるフィクションだと『僕の妻は発達障害』(ナナトエリ・亀山聡)なんかも注目株。エッセイまんがは制約も多いので、描ける人はフィクションでやったほうが幅が出るのだろう。*17

島田荘司(原作)、嶋星光壱(漫画)『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』

島田荘司御大がすさまじい細密さで登場してきて”われわれ”に直接語りかけてくる稀有なマンガであり、そういうとわたしが勝手に作り出した幻覚のようなものだと勘違いされるかもしれないが、ちゃんと『漱石と倫敦ミイラ』のコミカライズでもあり、わたしはなにひとつウソをいっていない。
・同じくがんばっているミステリコミカライズといえば碓水ツカサ版『十角館の殺人』で、こちらも原作未読・既読勢両方にオススメできる。とはいえ、『十角館の殺人』といえば「○○○・○○○です」をどう描くかであるので、完結までは評価を保留したいところ。
・つい先日、見富拓哉研究家の織戸さんが「冒頭で殺人事件が起こるタイプのミステリって、キャラの書き込みが薄い状態で退場することになるので、エモが沸かないじゃないですか」みたいなことをおっしゃっていて、それは一人頭の命とキャラが軽い連続殺人ものにも通じる問題意識でもあり、その観点から言えば絵でどういうキャラか一発で読者にわからせることのできるまんがという形式は強いにゃんね〜とおもいます。でもどう見てもオタサーの姫にしか見えないオルツィの解釈はいいのだろうか。
・倫敦ミイラより十角館の話のほうが長くない?
・ミステリコミカライズのラインなら厳密にはコミカライズではない*18のだが、志水アキの『中禅寺先生物怪講義録 先生が謎を解いてしまうから。』も長年〈百鬼夜行〉シリーズの漫画化をてがけてきた志水先生がとうとう京極堂を自家薬籠中にしてしまったという点で興味深いです。

滝川廉治(原作)、陶延リュウ(漫画)、沙村広明(協力)『無限の住人〜幕末ノ章〜』

・さすがに最初は物語面でも作画面でも「神の真似は無理だろ」という感想しかわかなかったのだけれど、だんだん、オ……これは……無限の住人!? と間欠的に錯覚できる場面が増えてきて、現状ではオフィシャル続編の名に恥じない出来になっているとおもう。ファンサービスもいいしね。

カワディMAX『やったね、たえちゃん!』

・二重人格の少女がゴミみたいな大人たちを殺しまくる殺し屋1的仕置人マンガ。これを読むと『忍者と極道』は非常に健全で道徳に適っているマンガにおもえてくる。
・タイトル通り、もとはネットミームとして古くから有名な成人マンガなのだけれど、既読者の話を聞くと元ネタに仕置人要素はないらしい。
・おおむね行儀の悪いスプラッタが展開されていくのだけれど、残虐描写で笑わせてくるセンスに長けていて、悪役のチ―ジ―のキャラ造形もすばらしい。「病(ヤ)ン坊、魔ー坊の天気予報」は天才の冴え。

小梅けいと(漫画)、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(原作)、速水螺旋人(監修)『戦争は女の顔をしていない』

・オーラルな回想は基本的にマンガの形式に向いておらず、かといってエモい語りをあたら”かしこく”編集してしまうと原作の特質が失われてしまう。そうしたジレンマにさいなまされながらもうまくやっている方だといいたいが、そもそも(よく言われる倫理的な観点でなく前述のような技術的な問題から)漫画化すべきだったのかと言われると微妙なところで、しかしマア、マンガが文学作品の入門編を担ってきた歴史もあることだし、そのアングルから眺めるとアリではあるのかもしれない。
・あと基本的にマンガがマンガとしての美点を活かそうとするとエモーションは高まる。これがよくない。原作である『戦争は女の顔をしていない』の証言者たちの語りは淡々として、語り手の表情が見えないし、地の文でどういう表情をしていたとか説明されたりしない。この読者を少し突き放したような閉じた距離感がむしろエモさを増幅させるのだけれど、マンガ版ではマンガであろうとするがゆえに表情を「描いて」しまう。むちゃくちゃに泣かせてしまう。それはしかし、コミカライズがへたくそとかいう属人的な話ではなく、マンガがそもそもそうやって絵で伝えるために発展したジャンルであることに基づいているのであって*19*20、たとえば、「マンガとしてマンガ的であるほどウソっぽく見えてしまう」問題はエッセイまんがなどにも胚胎されている*21
・わたしの感想を約めると「善いマンガではあるのだが、なるべくなら、というか絶対に原作のほうを読んだほうがよい」であって、そういう感想になってしまう作品をオススメしてもいいものか、迷ってしまう。*22*23

岩岡ヒサエ『きちじつごよみ』

・ホテルに所属するウェディングプランナーががんばるお仕事まんが。
岩岡ヒサエの短篇連作のうまさはあらためてここで言い募るようなことでもない。
・結婚というのはドラマが生まれやすい場なんだなと感心する。ふたりの人間がひとつのことを行おうとするとき、当然そこには意見や感情の相違が生じ、その壁を崩すためにウェディングプランナーという役割が活きてくる。このウェディングプランナーを凄腕仕事人みたいに設定する手もあったんだろう*24けれど、本作では人間臭い若手として置くことで、彼女自身のエゴや拙さも絡んできて……とさらに深みが生まれる。

雁須磨子『あした死ぬには。』(追記:2019年発売でした。テヘッ)

・映画宣伝会社でバリバリ働く42歳の独身女性が実際の年齢と自分の感覚のズレに不安になっていくさまを軸に、「歳をとること」についての人間模様が展開されていく。視点人物がときどき主人公の高校時代の同級生に入れ替わる(それぞれに主人公の同様の「中年になれなさ」を抱えている)半群像劇。
・人間ドラマの回し方がとにかくうまいし、演出も気が利いている。積み重なっていく自分の年齢に目を背けつづけることへの罪悪感がスマホのメールアプリの未読件数表示と重ねられる(しかもそれとなく)くだりなどはしびれる。
・若者が若者の感覚のまま大人になっていくことが叫ばれてひさしいけれど、今は若者が若者の感覚のまま中年、そして老年になっていく時代かもしれなくて、まあしかし誰かの配偶者だとか誰かの親だとか祖父母だとかいう役割を担わされたからその型におさまりますとも簡単にはいきづらい時代でもあり、時代よ時代という感じである。もしかしたら昔からある問題なのかもしれないが。

近藤ようこ(漫画)、澁澤龍彥(原作)『高丘親王航海記』

・村長に同じ。わたしが特に付け加えることはありません。なんか今月も近藤先生のまんがが出ていて、怪物か? ビビリましたが、よく見たら復刊でした。

鬼頭莫宏(原作)、カエデミノル(漫画)『ヨリシロトランク』

・フィクショナルな特殊設定の装置をそのまま「装置」として作品世界に具現化させることと、世界を変えられるほどの力を与えられたものがどう考えどう行動するかを問う鬼頭莫宏の作風は2020年に至ってもなお一貫しているわけですが、『ヨリシロトランク』では世界を変えられるの異能の大衆化が図られ、『能力:主人公補正』では異能を与えられた主人公がどこまでも受動的な存在として描かれる。
・『ヨリシロトランク』は設定が現代だけかとおもいきや未来を舞台にした「冷たい方程式」パロディをいきなり出してきて、二巻でも戦国時代へも飛ぶようで、思考実験的なSFとして広がりをもたせたいようですね。
・などと言っていてたら『主人公補正』のほうは完結してしまいました。これ以上ないほどの打ち切り最終回。半分ハーレムものっぽかったのに絵柄が硬すぎたのがウケなかったか。
・っていうかさ。
鬼頭莫宏はあの絵があってこそなので、さっさと自分で描いてほしい。止まってるアレとか。止まってるソレとか。もうボルダリングまんがでもいいからさ。

肋骨凹介『宙に参る』

・本格派のSFマンガは生存率が低いので現存する個体は常に貴重。
・うまくやれば『プラネテス』みたいな作品になりそうだけれど、作者の興味はそこにないっぽい。

池井戸潤(原作)、フジモトシゲキ(漫画)、津覇圭一(構成)『半沢直樹

・単なる小説のコミカライズではなく、ドラマの戯画化というバランスはありそうでなかった。わたしはドラマ版を観たことはありませんが。

城平京(原作)、戸賀環(漫画)『雨の日も神様と相撲を』

・農家の跡継ぎなどの重要イベントが相撲によって決められる村に短期間滞在することになった相撲博士の少年が神様であるカエルたちに「外からやって来たカエルに相撲で負けそうだから強くなる方法を教えてほしい」と乞われて相撲技術を指導する。なにいってるかわかんないというおもいますけど、ほんとにそういう話です。
・もしかしたらミステリ作家というくくりのなかではトップクラスに稼いでるかもしれない城平京の小説のコミカライズ。雑誌では『虚構推理』と二本立てで載っている。
・「どうしたらカエルが相撲で強くなれるか」についての綿密な考察*25やカエルが相撲を取っているシーンを読めるのは本作だけ。どうかしてる具合は以下の画像をごらんいただきたい。

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・あとなんかついでに殺人事件も発生する。ミステリですね。
・元がノンシリーズの長編小説なので最初から終わりは見えていたが、全3巻で完結。

*1:単発のまんがベストもやりたいけどこのままだと書き終わるの4月とかになるかも

*2:理由はない。

*3:日笠希望の『キスアンドクライ』は惜しかった

*4:主人公の忍葉とヤクザの首魁である極道の関係はどうしたって「甲賀ロミオと伊賀ジュリエット」こと『甲賀忍法帖』からでしょう

*5:『呪術廻戦』の再現度が0.35くらいとすれば0.7くらい。むろん、高ければよいというものでもない。それはともかく最も活きのいいフォロワーがそろって「呪い」にフォーカスした作品になっているのはおもしろい

*6:記憶が正しければ、言及してたのは『S-Fマガジン』の書評欄くらい

*7:その世界では異世界(主人公たちにとっては元いた世界)からやってきた”聖訪者”は星でランク分けされ、主人公は最弱の星一

*8:神社本庁的にそういうのはオッケーなんだろうか

*9:どの作品がどれに該当するかはニュアンスでわかってほしい

*10:wikipedia で代表作とされているのは『クズの本懐

*11:といえば、週刊少年マガジンの『シャングリラ・フロンティア~クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす~』もあった。マガジンの新連載は最近意欲的なのが多い。

*12:『メダリスト』『友だちとして大好き』『スポットライト』。村長発案。

*13:要するに『ファイトクラブ』。

*14:グラゼニ』は最近2020年回、つまりコロナ回をやっている。日本には星の数ほど野球漫画があるわりにはコロナに直球勝負で向き合うような作品は少なくて、『グラゼニ』で扱ったのはリアルタイムでマイライフをやっている性質上避けえないトピックだったというのもあるのんだろうけれど、それ以上に「フィクションによって時代を追う」というコージィ先生の矜持が強いように受け取れた。『チェイサー』とかもそうだったじゃないですか。

*15:防御率のわりには勝運にめちゃくちゃ恵まれないエースピッチャーがキャッチャーと組み、わざと失点することで勝ち星をあげようとする物語。「わざと失点すること」の理屈づけはもちろん精神論なんだけど、野球的にはいちおう理屈になっているところがミソ。ただ、もちろん「結局プロ野球選手は自営業者なのだから、勝ち星よりも防御率優先させたほうがよくない? ってか、移籍したら?」というひっかかりはぬぐえない。

*16:他に2020年に第一巻が発売されたまんがとしては『あの月に向かって打て!』、『オーライ』、『ぼっちなエースをリードしたい』、『クワトロバッテリー』(いずれも高校野球もの)など。唯一『ボールパークでつかまえて』は球場の売り子にフォーカスした珍しいバリエーション。

*17:ただ、『ぼくの妻は発達障害』は「プライベードモード」のときの妻を子どもっぽく、「社会人モード」のときの妻を大人っぽくそれぞれデフォルメして描き分けていて、そこらへんマンガというフォーマットの長所でもあり危ういところでもある。

*18:京極夏彦作品をシェアワールド化する企画の一環

*19:たとえば本作の監修にクレジットされている速水螺旋人はマンガにおけるデフォルメの技法を熟知した作家のひとりで、コテコテに記号化された表現を操る一方で、そこに付随するウソっぽさを自覚的に戦争という”リアルであるべきもの”にも拡げてみせる。いっそ、本作も螺旋人先生自身が描いてれば……とおもわなくもないが、まあ商業的には「少女」の部分が日本的な文脈で強調されていないと読者は詐欺っぽく感じるのだろう、という判断が働いたか。マンガとはやはり興行だ。悪い意味でなく。←この場合の「悪い意味ではない」は本当にわたしはそう考えています。

*20:おなじくオーラルな語りが特徴的な名作文学のコミカライズといえば2020年には高浜寛によるデュラス『ラマン 愛人』のコミカライズがあったわけだけれど、こちらは活字メディアのぎこちなさを引き受けつつマンガというよりはバンド・デシネ的な方面(つまりは”絵”の連続)に流している。これはこれで誠実なのだが、やはりちょっと読むのがつらい

*21:とはいえ、エッセイまんがジャンルでこのことを問題視しているのはわたし一人っぽくて、なら『戦争は女の顔をしていない』もこれでよいのではないかともおもえる

*22:文字よりも絵としての記憶のほうが残るというわたしのようなタイプの読者には勧めてもよいのかもしれない。あなたがたは一つのイメージに固定化されることの弊害を言い立てるかもしれないが、ぜんぜん記憶しないよりはいいだろう

*23:もっとも小キャラのかきわけや絵面的な立たせという面で、頭に話が定着しづらいきらいもある

*24:半分ハウトゥ的なお仕事まんがではよくある

*25:「カエルはまわしをしておらず首もないので決まり手が限られる」など

2020年に観た新作映画ベスト10、ならびに、

毎年恒例のやつ。みなさんの毎年恒例はなんですか

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映画館に行かなければ映画を観られないひとなので、今年はあまり本数を観ませんでした。たぶん鑑賞数100作行ってないんじゃないかな? そんな状態で年度ベストを出すのはおこがましいのですが、これも習慣であり、ボケ防止によいと先生(誰?)に言われたので残しておきます。
どれも内容を全然おぼえておらず、ただよかったなという感触が残ります。
proxia.hateblo.jp

新作ベスト10

1.『ジョジョ・ラビット』(タイカ・ワイティティ監督、米)

 ・世界はどうしようもなく狂っていて、おまえもどうかしているのだが、それでも細部に美は宿っていて、最後はダンスで終わる。最高の映画の条件をすべて兼ね備えている。

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2.『ハニーランド 永遠の谷』(リューボ・ステファノフ&タマラ・コテフスカ監督、北マケドニア

 ・絶望が反復がされていく。なのに、人は逞しく生きていて、蜂はびぃびぃ飛んでいる。

3.『鵞鳥湖の夜』(ディアオ・イーナン監督、中・仏)

 ・とにかく奇抜な画がとりたいという原初的な映画の稚気に満ちていて大変好ましい。

4.『幸せへのまわり道』(マリエル・ヘラ―監督、米)

 ・神様だって、いっぱいいっぱいなんだよ、というお話。見た目イイ話風のわりにはところどころトム・ハンクスがホラー的な非日常への裂け目と化す瞬間があってマジで最高。トム・ハンクスのイメージを逆手にとった上で遣い潰している。

5.『サンダーロード』(ジム・カミングス監督、米)

 ・生きづらくしているんだけど自分がなんで生きづらいのかわかんなくてグダグダしてる人間の話が好きです。最近の生きづら映画は生きづらさがどれもクリアすぎる。それはそれで映画なんだけど、感情表現の下手な人間が不器用にもがくのを割とストレスなく観られるというのも映像の効用なのではないですか。

6.『ハスラーズ』(ローリーン・スカファリア監督、米)

 ・勝つ→打ち上げ→勝つ→打ち上げの高速サイクルでキマりまくるいい映画ですが、いたいけなチワワを性風俗に従事させる動物虐待シーンがあるのでマイナス2000万点です。

7.『マロナの幻想的な物語り』(アンカ・ダミアン監督、仏・ルーマニア・ベルギー)

 ・イヌがひたすらひどい目にあうけどアニメなのでセーフ。罪深さでは『僕のワンダフル・ライフ』とどっこいでは。でもイヌ映画は罪深いほどおいしい。

8.『ストーリー・オブ・マイライフ 私の若草物語』(グレタ・ガ―ウィグ監督、米)

 ・役者がとにかくいい。特に自分がすべての罪が許されるイケメンであることを十二分に自覚しているシャラメの振る舞いは感動もの。

9.『アンカット・ダイヤモンド』(サフディ兄弟監督、米)

 ・OPNの音楽にノッていたらなんかよくわかんないままに気づいたら終わっていてそういう映画はいい映画です。オチもオチの付け方にこまった末の苦し紛れみたいなオチでよし。

10.『ウルフ・ウォーカー』(トム・ムーア&ロス・スチュアート監督、アイルランドルクセンブルク

 ・オオカミTS百合。前半部の幸福は2020年最大級。

その他おもしろかった新作

『行き止まりの世界に生まれて』(ビン・リュー監督、米)
 ・男性の脆さが映画によって救われていく、というまあ正しくドキュメンタリー映画的な映画ですね。

『異端の鳥』(バーツラフ・マルホウル監督、チェコ・スロバキアウクライナ
 ・寄る辺のない少年と理不尽な暴力は相性がいい。

『透明人間』(リー・ワネル監督、米)
 ・なんだかんだで、やっぱり首切りのシーンなんだよな。

『ボーイズ・ステイト』(ジェシー・モス&アマンダ・マクベイン監督、米)
 ・右と左にきっぱり分裂してしまったシンプルな現代アメリカの複雑でやわらかな部分。

『スパイの妻』(黒沢清、日)
 ・東出昌大の使い方がいっとう上手い。

『ナイブス・アウト』(ライアン・ジョンソン、米)
 ・ミステリ映画は本来退屈なものであり、ミステリ映画の歴史とはその退屈さをどう解決するか、という永遠の謎解きなのでありますが、本作はそれを一定程度解消している。

『エマ、愛の罠』(パブロ・ラライン、チリ)
 ・変な踊りをいっぱいやってて愉しい。ララインはなんかしらんけどおもしろいんですよ。

『パラサイト』(ポン・ジュノ、韓国)
 ・フツーにおもしろい。

『ミッドサマー』(アリ・アスター監督、米)
 ・アリ・アスターは本来コメディの人なのだと思います。たぶん観てる人がコメディと思ってないだけで。伏線とその発動のメカニズムがお笑いのそれ。

『ハースメル』(アレックス・ロス・ペリー監督、米)
 ・こんなむちゃくちゃな女をむちゃくちゃに撮って三時間も持つの? という疑問をぶっとばしてくれる出来ではあるものの、やはり20分くらい長い。まあでもむちゃくちゃな女の話はおもしろいです。

『リチャード・ジュエル』(クリント・イーストウッド監督、米)
 ・クリント・イーストウッドは正気を確信したまま狂ったものを撮られる唯一無二の監督であり、惰性で評価されてるだけだろとかいってるバカの意見はすべて無視していい。

『ソウルフル・ワールド』(ピート・ドクター監督、米)
 ・実質『C.M.B』の「冬木さんの一日」。ピクサーはだんだんクライマックスを劇エモにすればなんでもオーケーだろ路線になりつつある。なんでもオーケーなわけはないが、これはオッケ―です。

『アップグレード』(リー・ワネル監督、米)
 ・リー・ワネルって映画の才能ちゃんとあったんだなと確認させてくれた一本。自分の意志に反して身体がめっちゃ動く映画は普遍的によい。

『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』(ジョー・タルボット監督、米)
 ・たまにとても変なお話なんだけど気持ちめっちゃわかる〜みたいな映画があり、これはそれです。

トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして』(サム・フェダー監督、米)
 ・お勉強になります。

『音楽』(岩井澤健治監督、日)
 ・冷めた情熱という確かに存在するはずなのにあまりメディアでは描かれない珍しい情動を描いた貴重なアニメ映画。

『泣きたい私は猫をかぶる』(佐藤順一&柴山智隆監督、日)
 ・岡田麿里のエッジィな部分をうま〜く削って丸めた作品。できるもんなんだな。

『初恋』(三池崇史監督、日)
 ・良い方寄りの三池崇史

『ザ・ファイブ・ブラッズ』(スパイク・リー監督、米)
 ・おもしろいのかどうかはわからんけど、とにかく情熱に満ちていてよいと思います。スパイク・リーは情熱ないくせにめっちゃ燃えてますみたいなフリがうまいからたちわるいんですよ。

『ひとつの太陽』(チョン・モンホン監督、台湾)
 ・うん。


あとまあなんかペドロ・アルモドバルとかもおもしろかったよ。ソフトスルーはあまり観られませんでした。

名馬三賞

姉(姉映画オブジイヤー

★『ストーリー・オブ・マイライフ』
 『ジョジョ・ラビット』
 『ポップスター』(ブラディ・コーベット監督、米)
 『どうにかなる日々』(佐藤卓哉監督、日)
 『泣きたい私は猫をかぶる』
 『ある画家の数奇な運命』(非姉参考候補作)(フロリアン・フォン・ドナースマルク監督、独) 

イヌ(ゴールデン・ドッグ・アワード)

★『マロナの幻想的な物語り』
 『ウルフ・ウォーカー』
 『わんわん物語』(チャーリー・ビーン監督、米)
 『野生の呼び声』(クリス・サンダース監督、米)
 『ペット・セメタリー』(ケヴィン・コルシュ&デニス・ウィドマイヤー監督)
 『ドッグマン』(旧作参考作)(マテオ・ガロ―ネ、イタリア)
 『アングスト 不安』(旧作参考作)(ジェラルド・カーゲル監督、オーストリア

クマ映画(クマミコドール)

★『ミッドサマー』
 『野生の呼び声』

ドラマシリーズ

★サクセッションS2
 ディキンスン
 フィール・グッド
 呪怨

アニメシリーズ

★ミッドナイト・ゴスペル
 リック・アンド・モーティS4
 ボージャック・ホースマンS6
 サウス・パークS22
 
 

ドキュメンタリーシリーズ

★タイガーキング:ブリーダーは虎より強者!?
 ザ・ファーマシスト:オピオイド危機の真相に迫る
 サンダーランドこそ我が人生
 ハイスコア:ゲーム黄金時代
 移民国家は語る



意外と書くことがあってホッとしました。今年はどうでしょうね。このままだと昨年に輪をかけて映画観なくなりそうな気がします。

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