名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


落ちる。――『Fall Guys: Ultimate Knockout』

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 六十名からなる豆人間たちがひとところに集まって「ゲームショー」をやらされる。「エピソード」=ステージごとに二割から三割程度が失格となり、最終的にたったひとりが勝者となる。
 わたしたちは Fall Guys でサバイバルのなんたるかを初めて知ることになるだろう。PUBG、Fortnite、Apex Legends、これらのバトルロイヤルは真の意味において人生ではなかった。厳しく残酷な命の取り合いを装いながらも、その実、小学校のグラウンドの行われる雪合戦となんらかわらない牧歌的な遊戯だった。
 撃たれて死んだとしてもそれはプレイヤーの死ではなかったし、敗北はめぐり合わせでプレイヤーの敗北に直結しない。わたしたちは真剣に遊んでいたかもしれないが、真剣に殺し合ってはいなかったのかもしれない。


 Fall Guys を本気(マジ)だと感じるのはなぜだろう。落ちるからだ。負けるときは落ちるときと定められている。タイトルにもそう定義されている。落ちるものども。そのバーティカルな破滅は、他のバトルロイヤルのごときホリゾンタルで(そこでは落下しても無傷で)フラットで(あたかも落下を検討すべき運動などとは考えてはいなくて)テイストレスな敗北(敗因がはっきりしている)とは一線を画している。本気がある。本物の生と死がかかっている。

 
 サバイバルの原義とは、他人をマスティフガンで撃ってアイテムの詰まった棺に変えることではない。特設ステージでクソデカなトラヴィス・スコットや米津玄師を愛でることでもない。生き残ることだ。『死のロングウォーク』のように、背後から迫ってくる死の境界からいかに逃れて続けていられるか。血を吐きながら続ける不毛な競歩こそがサバイバルだ。
 どこかで落ちたとき、あなたは Eliminate される。失格という意味だ。排除されるという意味だ。それは60名の参加者だれの身にも平等に訪れる。ランクマッチが用意されていないのはある種の教義でもある。次はあなたであるかもしれないし、わたしであるかもしれない。誰もが落とし穴に落ちる可能性がある世界。ふとしたスリップで排除されてしまうかもしれない世界。ひとりしか勝てない勝者総取りの世界。それをわたしたちは資本主義と呼ぶ。あるいは、たんに社会と。


 武器やアイテムなどどこにも落ちていない。アビリティやアルティメットなんてもの使えない。自分の肉体さえ自由とは言えない。できることはジャンプとタックルとエモート、それと哀れっぽく他人の袖を引く動作くらいだ。あなたは何度も落下し、回る棒やハンマーに弾き飛ばされ、ドラムの上を回り、シーソーで滑り、他人に踏み潰され、転ばされ、卵やボールを奪ったり奪われたりしながら、五つの「エピソード」を勝ち残っていく。
 そうだ。思い出してほしい。これは「ショー」だ。誰かがスライム床で滑りながらもがくあなたを見て笑っている。でもその観覧者の姿を捉えることはできない。それもまたリアルだ。必死な人間の姿を見るのはわれわれにとっての最高の娯楽だ。スポーツがそうだ。リアリティ番組がそうだ。インターネットがそうだ。現実がそうだ。生きるとはそういうことだ。


 山田風太郎だったかスティーブン・キングだったかが、物語には二つの型しか存在しないといっていた。穴に落ちる話か、落ちたあとその穴から這い上がる話か。
 誰もかれもが落ちていく。
 問題は落ちないでいられるかどうかではない。
 いつ落ちるのか、だ。

『レキヨミ』も読まずに天国へ行くつもりかい?



 神。信頼。犠牲。正義。
 信心。望み。愛。
 言うまでもなく、”姉”も。そう、そう。これはいつだってそう。

  ーーマーガレット・アトウッド『昏き眼の暗殺者』鴻巣友季子

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 レキとヨミは姉妹です。森の奥にふたりで暮らしています。妹のヨミは薬を作る才能はあるのですが、人見知りなために薬売りとの交渉以外の外向きの用事は姉のレキにまかせきりです。基調はファンタジーで、ふたりを含めた人間キャラには獣耳としっぽが生えている(かつ指行性)という世界観設定があるのですが、まあそれはここでは措いておきます。
 レキは妹のことが大好きです。大好きなのですが、第一話の冒頭でいきなり妹の財布を盗んで雑貨屋でお菓子を買おうとします。また、あるエピソードでは石化したレキをやはり雑貨屋に飴玉一個で売りとばします。
 繰り返しますが、レキは妹のことが大好きです。妹のよだれを何のためらいもなく飲むくらいには。まあしかし、愛情だの信頼だのといった感情を抱いているからといってひとはひとに全面的にやさしくしたり、その裏返しとしていじわるしたりするわけではありません。倫理や欲望といった行動基準は愛とはまた別の軸にあるのだし、妹を家の壁に埋めたまま一日じゅういじくり倒す姉妹愛だって存在します。おそらくは。
 ヨミは外では引っ込み思案ですが、姉妹の間に限っては活発に振る舞います。レキの行き過ぎた行いに不利益や不快を被るたびに思い切り腹パンし、レキは死にます。


 レキはよく死にます。

 
 一話に二度三度死ぬのもよくあります。この世界では死亡するとどうやら生首のような霊体が身体から抜けでて生者とも意思疎通を図れる仕組みらしいのですが、なにぶんギャグ漫画のことなのでよくわかりません。説明もありません。ただレキは繰り返し死に、繰り返し復活します。妹から殴られるだけではなく、ガラスの破片を踏んだり、すっ転んだだけでも死にます。死んだり生きたり直角になったり伸びたり分裂したりしながら、彼女なりに姉としての役割を果たそうとします。

 なぜならヨミにはレキしかいない。
 最初、ヨミとまともな関係(まともではないですが)を築けているのは姉のレキだけです。世間とはほとんどまともな交渉を持っていない。それでいて、ある冒険家の記した冒険記を耽読し、憧れたりもする。外界に興味がないわけではありません。
 混沌としたスラップスティックコメディである『レキヨミ』になんらかの筋を見出すとすれば、ヨミが「外」へ出る、というところでしょうか。
 一巻では、レキがひきこもりがちなヨミをなんとか外へ連れ出そうと試みたりもします。結局そのときは成功しないのですが、全三巻をつうじて、ヨミはすこしずつ外へと進出していきます。その媒介となるのが、雑貨屋のおねえさんや前述の冒険家のおねえさんや警察官のおねえさんやとにかく理不尽なキノコ屋のおねえさん(このまんがに出てくるのは基本女性キャラだけです)との交友で、要するに姉や姉的な人物が世界への窓口となっている。
 レキがよく死ぬのも姉だからです。妹に先立つ存在として姉がいるのだから、先に死ぬのはあたりまえです。そして死なないのもまた当然なのです。
 
 なにかと華美で華麗な作品のならぶ『ハルタ』誌上では「唾液と血と暴力にあふれた意地汚い『ハクメイとミコチ』」、「ファッショナブルでも耽美でもない『エニデヴィ』」などと不当な揶揄をされがちな本作[誰によって?]ですが、ことに姉妹の真理を射抜いている点ではこれ以上ないほどにうつくしく、2020年代を代表する姉まんがのひとつになることは間違いないでしょう。全三巻。おしい良作が終わりました。もって瞑すべし。


レキヨミ 1 (HARTA COMIX)

レキヨミ 1 (HARTA COMIX)

共同制作者という名の悪夢:『Night in the Woods』の制作とアレック・ホロウカの死【翻訳】

訳者前書

・以下は Night in the woods 共同開発者のひとり Scott Benson が同じく共同開発者だった Alec Holowka の自死(2019年8月)に関して2019年9月に寄せた文章の訳である。
medium.com

・ホロウカの死の背景については以下の記事から。
automaton-media.com

・主にベンソンがホロウカと出会って Night in the Woods を完成させるまでの開発作業と、その過程で垣間見えたホロウカのパーソナリティについて、ベンソンの視点から語られている。そのため Night in the Woods の制作史的な側面も帯びている。
・めちゃ長い2万字くらいある。ホロウカの自死から三日後のめちゃくちゃな心理状態で書かれたためか、繰り返しになっているところも多い。めんどくさくなってテキトーに訳したり端折ったりしているとこもあるかもしれない。でもできるだけがんばって全文訳にしようとした。全文でないと意味がない文書だから。なので誤訳もたぶんというか絶対ある。ご寛恕を乞いたい。
・モラル・ハラスメント等の虐待、自殺、メンタルヘルス的要素などが含まれているため、そういうのを読むべきでない状態の方は読まないでください。
・今回訳してて感じたのは、 Abuse, Abusive という単語にしっくりくる訳語がないこと。これは toxic にも前々から感じていたのだけれど。


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主な登場人物

 スコット・ベンソン(Scott Benson)……インディゲーム開発者、アニメーター、イラストレーター。アメリカ人。Night in the Woods の開発元である Infinite Fall の共同設立者。元はフリーランスのアニメーターで、Night in the Woods までゲームの開発に携わった経験はなかった。アレックの自殺後、NITWの主要メンバーで妻でもあるベサニー・ホッケンベリーと新しいゲームスタジオ The Glory Society を設立。

 アレック・ホロウカ(Alec Holowka)……インディゲーム開発者、プログラマー、作曲家。カナダのウィニペグ出身。十代の頃からプログラマーとして活躍したのち、22歳のときにフリーゲーム I'm O.K – A Murder Simulator で作曲家兼サウンドエンジニアとしてゲーム業界デビュー。I’m O.K のゲームデザイナーだったデレク・ユウとインディゲームディベロッパーの Bit Blot を立ち上げ、2007年にアクション・アドベンチャーの Aquaria をリリースすると、これがヒット。Independent Game Festival(IGF)で最高賞を受賞*1するなど一躍インディゲーム界隈の寵児となる。その後は主に作曲家として、Crayon Physics Deluxe 、TowerFall Ascension といったタイトルに関わる。NITWのサントラはほぼ彼の手による。
open.spotify.com


翻訳記事本文

 アレック・ホロウカ(Alec Holowka)が先週死んだ*2。いくつかの告発が彼の過去および現在の行いを明るみに出してから一週間後のことだ。彼のもとで働いていた人々に対する虐待や発作的暴力、およびその他の不正行為について糾弾されていた。ぼくはそれらの告発をすんなり信じられた。未だに信じてもいる。単なる主義主張の問題ではない。ぼくは軽率な気持ちで六年来の知己を叩くような人間じゃない。
 ぼくが告発を信じるのは、まさに彼といっしょに過ごした六年間の経験に根ざしている。

 その六年間のことについて語りたい。
 
 ここではアレックに対する個別の告発について、あまり深くは掘り下げない。それらはぼくが語るべき話じゃない。ぼくにはぼくの物語がある。

 このあいだまで彼はぼくの人生における「落とし穴」だった。
 ぼくとアレックの関係は複雑だった。間柄は尋ねられたときによって変わる。友人だったときもあった。共同制作者だったときもあった。ひとつの悪夢であったときもあれば、セラピーに通うはめになるトラウマの原因だったときもあった。ときにはこれらすべてでもあった。きっと彼についてまったく同じようなことを言う人は少なくないだろう。ぼくはそれを思い知りつつある。
 アレックと過ごした時間はさまざまな方法で公衆の眼に晒されていた。なにが言いたいかといえば、他人が知っていたのはネットに公開された部分だけだということだ。ツイッターだったり、ビデオだったり、ポッドキャストだったり。でもネットにあるのはネットにあることだけだ。人生の大半を占める残りの部分は、ぼくたちの関係は、ぼくたちが他の人にやったことは、パソコンの画面に映りなどしなくて、どこかの誰かが目を通したり、反応したり、イメージを作り上げることもない。
 ぼくたちは結局のところ、その人の現実全体や人生を満たす出来事や人格のほんの一部を撮ったスナップ写真の寄せ集めだ。純粋な観察なんて存在しない。
 インターネットのせいにするのは簡単だ。でも、現実もだいたい似たようなものだ。そして、それはしばしば悲劇的でありうる。

 2013年の6月、ぼくはひとやまいくらの冴えないフリーランスのアニメーター兼デザイナー兼アーティストだった。アレックはそんなぼくのツイートやアニメーションを見て、愉快に思ったらしい。連絡をよこして、ビデオゲームを作りたいと考えたことはないか、と訊ねてきた。もちろん、考えないではなかった。彼と初めて話したのは深夜だった。今振り返るとあれはインディーゲームブームの末期*3だったけれど、ぼくたちはカラフルで非暴力的でナラティブに優れたおもしろいインディーゲームを作ろうと語り合った。
 アレックは先立つこと数年前に『Aquaria』*4の共同開発者として賞を獲り、名を成していた。その後の数年間、彼はあちこちで仕事をしていた。一番有名なのは、心を持ったマリオネットのプロジェクト*5だろう。これは未完に終わっている。
 知り合って間もないのに彼はそのプロジェクトについて即座に話してくれた。彼はそのプロジェクトの完成形がまったく掴めなかったと言っていた。どういうふうなルックを持つのか、どういうプレイができるのか、2Dなのか3Dなのか*6、なにもわからなかった、と。
 彼は気晴らしをしたかったようで、ぼくのことをマンネリを打破してくれる強力なコラボレーターのようにおもったらしい。
 ぼくにはただ、こう聞こえた。「ビデオゲームを作りたくはないかい?」

 まったく異なるタイプの人間であるにもかかわらず、ぼくたちは出会ってすぐに意気投合した。ぼくは十八のころからずっと日々の暮らしに汲々としている三十二歳のアーティストだった。結婚して十年が経とうかとしていた。ピッツバーグに住んでいた。
 アレックは二十九歳。巨大な成功を手にした裕福なゲーム開発者で、バンクーバーで他の若い開発者たちといっしょに一つ屋根の下で暮らしていた。
 ぼくはカナダについてほとんど何も知らなかった。アレックもアメリカのことは何も知らなかった。
 (訳注:ベンソンの住む)ピッツバーグに行ったら撃たれる可能性はあるかな、と彼が訊ねてきたのを憶えている。まあありえないよ。ぼくはそう応えた。
 アレックはすさまじくアクティブで、決断即実行するタイプだった。熱しやすい性分で、思うにそのせいで攻撃的になりやすいところもあったけれど、同時に自分のやることへの限りない情熱によって均衡を保っていた。それがぼくの彼に対する第一印象だった。

 二人とも気分障害の薬を服用していた。なので、話すことはいっぱいあった。ぼくたちのゲーム開発がどんなふうにして始まったのかについてはいろんな場所で何度か話したので、ここで詳細を繰り返しはしない。約めると、数カ月間あまり独創性のないアイデアをいくつかこねくりまわしたあと、ある晩に『Night in the Woods』へと繋がる基礎的なアイデアを書き出し、アレックがそれを気に入った。その時点からアレックをぼくにゲーム開発におけるクリエイティブな決定をたくさん任せてくれるようになった。ゲーム開発の経験がなかったぼくは戦々恐々としていたけれど。
 アレックは局面を解決するためのおもしろい方法を作り出すのがとてもうまく、何でもできるようになる小さなシステムを開発したり、初心者のぼくでも簡単に扱えるツールセットを生み出したりして、技術的なレベルにあることをうまく誰でもわかるレベルに落とし込んでいた。*7
 少なくともぼくの知る限り、調子が最高にいいときの彼はそんな感じだった。かたや、ぼくはなにも知らない無能者だった。プロジェクトにほとんど貢献できず、ただのお荷物になるのではと怖れていた。
 アレックは六ヶ月かけてゲームのプロトタイプ制作に専念しようと提案してきた。ぼくは請負仕事をやらずに六ヶ月も制作に費やすのは(経済的に)無理だと伝えた。彼がキックスターター*8で資金集めをしようと言ってきたとき、ぼくはそれが無残に失敗するだろうと考えた。
 だが、成功した。*9そうしてあまりにも突然に、しかもその後幾度ととなくそうなるのだけれど、ぼくたちは「時の人」になった。何の前触れもなく、フリーランスのアニメーターではなくなってしまったのだ。ぼくはほとんど知らないような人たちとゲームを制作する法的な義務を負った、フルタイムのゲーム開発者になってしまった。ぼくたちはファンド成立の数週間後に小さな短編ゲームを作った。ぼくたちに制作能力があることをみんなに示す必要があった。ぼくはもともとアニメ版のユールログ*10みたいなものを作りたかったのだけれど、アレックが「ねえ、ぼくらはビデオゲームを作ってるんだからさ、インタラクティブ性を持たせてみようじゃないか」と言ってきた。それで、そうした。
 ぼくは中心となるメカニックと物語を彼に提案し、ぼくの記憶が正しければ、10日目には完成にこぎつけた。
 それが『Night in The Woods』プロジェクトにおける最初の本格的な作品、「Longhest Night」だった。*11粗削りで、脚本も稚拙だった。それでもぼくたちはとても盛り上がった。何かを作り上げたのだ。とりわけぼく自身にとっては初めて作ったゲームだった。アレックもスランプを抜け出せて喜んでいたように見えた。あるいは、あとで彼自身からそう言われたのだったか。

 それからの半年間は嵐のようだった。ベサニー*12が開発メンバーの中枢に正式に加わった。ぼくたちは2014年の2月に『Night in the Woods』の本格的な開発に着手した。数カ月後には急ごしらえで不出来なデモをGDC*13で公開した。ぼくたちのパブリッシャーである Finji *14(ファンド成立からまもなくしてパブリッシャーとして名乗り出てくれた)はその年のE3*15の招待を勝ち取ってくれた。
 E3はぼくにとっての最初のゲームイベントになった。アレックに直接会ったのもそれが初めてだった。それ以降も年に一二度ほどしか会わなかった。
 初めてのE3はきつくて疲労困憊になったけれど、幸いにもデモは一部の記者から好評を博し、来たるべき期待作として話題になっていった。
 その年の初めのGDCで、アレックがSNSで何人かの人物に対してキレて非常な悪意を示しているのを目撃した。彼は、自分は酔っている、誰かが自分を殺しに来るまでサンフランシスコを走り回ってやるつもりだ、といった内容のメッセージをぼくに送ってきた。業界のイベントで30代の仕事仲間から聞くセリフとしては奇妙だった。その晩は眠れなかった。翌朝、彼は薬を飲み忘れてしまい、そのせいで人の集まるところで不安を催したのだと言った。ぼくは納得し、ちゃんと薬を飲むように彼に言い聞かせた。 
 
 一ヶ月かそこらがたったころ、アレックのルームメイトが夜中にメールしてきた。アレックが彼を怖がらせている、という。アレックが自分自身や他の誰かになにか危害を加えるんじゃないかと心配していた。
 ぼくはアレックに何が起こっているか訊ねた。なんでもない、と彼は返した。彼のルームメイトは喧嘩した興奮でちょっと大げさになっていただけだ、と。
 ぼくは彼の知人がどういう人か知らなかった。ぼくらはそれぞれ違う国に住んでいた。真夜中だった。ぼくは落ち着かなかった。でも、翌日にはふたりの関係は修復されていたようで、オンライン上で冗談を言い合っていた。ルームメイトに関する奇妙な一幕にすぎないと思っていた。

 E3ではアレックとおおむね良い時間を過ごせた。パートナーとして通じ合っていた。ぼくはどちらかといえば社交好きだったので呼び込みを担当し、アレックは試遊をしている人たちを手伝ったり、つぎつぎと起こるクラッシュのたびにビルドを調整したりしていた。
 一日中立ちっぱなしだったフロアから解放されたぼくたちはホテルへ戻り、夕食を取るためにレストランへ向かった。ディナーのあいだ、彼がときどき元カノについて何かを言っていたのが耳に残っている。彼は付き合った相手については、何年経とうがものすごい悪口しか言わなかった。過去のデート相手はみんな恐ろしく、酷い人間で、彼を一切理解しようとしなかったのだそうだ。
 誰も? とぼくは訊ねた。
 彼はますます怒った。ぼくは話題を変えた。彼はあとで「疲れていて、なにを話しているのかよくわかっていなかった」といった。

 アレックは時折違和感のある発言をしていたけれど、いつもあとで「疲れていた」とか「自分で何をいっていたのかよくわからなかった」とか釈明した。ぼくはあの男のことをよくわかっていなかったのだ。わやくちゃっぽく見える一角以外のインディゲーム・シーンを知らなかった。彼が言及する人々についてもほとんど知らなかった。
 その年の秋、NITWの開発開始から一年が過ぎたころ、アレックの態度はより不安定になりはじめていた。彼の人生を破滅させようと陰謀をたくらんでいる人間が増えつつあると、ますます信じ込むようになっていった。ぼくは戸惑いをおぼえていたが、未だにそれだけだったともいえた。その時点でも、毎日ネットを介して交わされるプロジェクトについてのやりとりだけが彼という人物を知ることのできるほとんど唯一の手段だった。
 ぼくはそれまで精神的に不安定な人々にたくさん出会ってきた。というか、以前からぼく自身も精神的に不安定な人間だった。アレックは友人たちとの関係を自らぶちこわしにしているように思われた。薬を飲みつづける必要があった。
 お薬仲間として、ぼくは薬を飲まないと気分や雰囲気にどんな影響を及ぼすかを知っていた。ぼくはときどき彼の友人に声をかけて、こうした諸々について注意を喚起すると、彼らは「そうだね、アレックはときどきそんな状態になるんだ」と言った。彼は「そうなって」いたのだ。彼がよく「そうなって」いたのだとわかった。

 冬になり、NITW二作目のゲームを出した。『Lost Constellation』*16だ。たしか五週間かそこらで作った。あれは最高な出来事のひとつだったと思う。アレックはこれで精神を回復した。
 あのとき彼は、自分にとっては仕事こそ人生だからワーク・ライフ・バランスなんて必要ないんだと語っていた。ぼくは、以前にやっていた仕事の影響で、そんなふうな考え方はできなくなってしまった、と言った。
「なんてこった。俺も就職したことはあったけれど」アレックは言った。「あれは人生でも最悪な三週間だったな」
 ぼくは笑った。彼は冗談で言ってるんじゃないと説明した。ぼくはわかったと返した。アレックはときどきこういうことを言うのだった。
 彼はお金のことなんて気にかけないと話し、みんなが嫌っている仕事にしがみついているのがなぜなのか理解できないと語った。仕事なんかやめて、自分の夢を追える世の中になればいいのにと。つまるところ、いいゲームを作りさえすれば大金を稼げるのだし。
 そのときのぼくは彼をダウナーな知ったかぶり野郎みたいに感じ、世の中とはそれだけじゃ回っていかないものだと諭した。ベサニーとぼくは、アレックが豪邸で育ったお坊ちゃんだと想像していた。でも、そうではなかった。彼はただ、若くして金持ちになっただけの世間知らずな人間だったんだ。*17この彼の性分はNITWをすすめるにあたって次々と問題を引き起こした。
 ぼくはビー(家庭の事情により大学へ進学できなかったキャラクターだ)がなぜ実家を捨てて自身の夢を追うことができなかったのかをアレックに説明しなければならなかった。彼は、住んでいる街が嫌いならばただ出ていけばいいのに、と考えていた。
 しかし、アレックは学ぼうとする意欲も見せていた。「ああ」彼は言った。「そういうことだったんだね」
 そして、その後はまるで昔からそう知っていたかのようにふるまった。
 彼はぼくたちが権力者を嫌っていることも学んだ。そして、権力者について悪口をたくさん口にするようになった。「君たちが俺に良い影響を与えているんだ」と彼はいっていた。ぼくはそれを笑い飛ばした。

 2015年初頭、彼は前年の落ち込みから大きく回復していた。ぼくたちは彼があちこちでデートしていたと聞いていた。繰り返しになるけれど、その人たちの人となりや、その人と彼の関係については本当は何も知らなかった。ぼくたちはそのことについて話さなかった。アレックの衛星軌道上にある共通点のない人々とは話さなかった。
 話すわけがない。ぼくたちは違う国に住んでいた。じっくりと互いの情報を共有していたでもないし、普通は違う場所に住んでいる仕事仲間の知り合いを探し出して、その人について尋ねるなんてことはしないだろう。ぼくたちが知っていたのは、アレックは自由奔放で、よく子供じみた不機嫌っぽい振る舞いをする傾向があり、人の出入りが激しい幾分混沌とした家に住んでいて、よく誰かとデートはするが長期的な関係を築いたことはない、というぐらいだった。
 電話やネットの向こうにいる人達は、望むときに自分たちの物語を好きなように話すことができる。しかし、平日に仕事としてやりとりされるメッセージでは、その人たちの人生を余すとこなく描くことはできない。その人たちのツイートはその人たちの家や部屋のなかで起こっている出来事を示唆しない。結局のところ、ぼくたち誰もチャットウィンドウの向こうで何が起こっているのか知らなかったのだ。
 
 GDC2015の期間中*18、アレックは数日に渡って完全にぶっこわれていた。彼は周囲の人々に脅迫を行っていた。これが最初で、しかし最後にはならなかった。彼の望むとおりにやらなかったら自殺してやる、と僕を脅してきた。彼はどうにかしてすべてを好転させてほしいと望んでいた。みんなが彼の態度に怯えていることについて怒りをおぼえていて、その怒りは日に日に膨らんでいった。他のみんなが計らって彼に歯向かっていると思い込んでいた。「俺のせいじゃない」と彼は言った。
 彼みたいなことをやる人間を見るのは初めてじゃなかった。ぼくは他の誰かの幸福や行動や気分についての責任を引き受ける人間になっていた。若い頃からぼくに染みついた悪癖だった。このことが昔からぼくを虐待者たちに目をつけられやすくしていた。ぼくは援助のためにすべてを投げ売っていた。そういう人たちを助けるために夜通しつきっきりになることもあった。教会にいたときは、ぼくはそういうことをまさに数え切れないほどやったアレックと働いていた何年間かのあいだにも、それとは気づかないまま、彼が雰囲気を悪くしたり、奇妙なことを言ったり、怒ったりするたびに、物事をなめらかにするために自分に対して都合よく説明付けを行ったり記憶を修正したりするようになりだしていた。
 その年の残りのあいだに、ぼくは一生残る心の傷を刻まれた。GDCのすぐあとに、アレックはバンクーバーの住居から移るように要求された。そこの住民たちにとっての彼はもはや危険人物とみなされていた。ぼくが彼らでも同じように感じただろう。彼は最終的に彼の助けとなる実家のあるウィニペグ*19へ戻っていった。
 アレックは自分に繋がる橋を燃やして回っているように見えた。少なくとも、ぼくが離れた地点から目撃したかぎりではそうだった。彼は元気がなさそうに見えた。そしてしばらく姿を消した。『Night in the Woods』の仕事もすべて止めた。ぼくたちが話かけても、彼はほとんどなにも喋らなかった。かと思えば、突然すさまじく怒り出すこともあった。ぼくに対して、世界に対して、元カノに対して、彼の元ハウスメイトに対して、他のあらゆるものに対して。

 2015年の夏、いつのまにかぼくはパニック障害を連日起こすようになっていた。以前には発症したことのない病気だった。睡眠麻痺の症状も出はじめて、これも初めての経験だった。
 アレックはしばらくのあいだプロジェクトにほとんど顔を出さなくなっていて、いたらいたで虐待的な振る舞いをしていた。
 2013年にぼくが出会った男は、悪夢に成り果てていた。純粋な害毒だった。ぼくや他の誰かのせいで自殺する、という脅迫が増えた。彼はそのことについて暗号めいたことを言っては姿を消し、数日後にまた戻ってきてぼくたちをひとまずほっとさせた。もう彼の行動に口出しできなくなっていた。何かが起こったらぼくらのせいだ、と言い残し彼はまた去っていった。
 そうして、ぼくたちのゲーム開発は窮地に陥りつつあった。ぼくは『Night in the Woods』のために他で築いてきたキャリアを投げうってしまっていたし、パブリッシャーが奇跡的な力のおかげで資金をかき集めてきてはいたけれど、ベサニーとぼくの借金は増えていった。そのせいもあって、公の場でのぼくは何もかも問題なく進んでいるような笑顔を保たなければいけなくなった。ぼくらの未来はアレックの手の中にあった。そして、彼は悪夢となった。

 アレックの悪夢が数ヶ月ほど続いたその年の6月、ぼくはもうこんなことはやめさせようと決意した。ぼくならどうにか立て直せると。ぼくがプロジェクトを牽引するのだ。ゲームのディレクションについても急速に学びつつあった。ぼくはその年に七回もゲーム全体を一からデザインしなおした。そのたびごとにアレックを感心させようともした。彼はぼくの作ったプランを見ると「これは難しすぎるように思える」とか「どうでもいい」とか言って、ぼくはデザインをやりなおした。
 そのときゲームデザインについてぼくが記していた覚書を今読むととても笑える。それでも彼の不在のせいでぼくは成長を強いられた。ベサニーもだ。
 ぼくのパニック障害はどんどん悪くなっていった。パニック障害なんて感情の問題だと考えていたけれど、実は器質的なもので、たとえ不安を”信じて”いなくても発症するのだとわかった。パニック障害は単にパニックを起こすだけではない。胸を締めつけられ、凍えるような寒さを覚え、脳が警告を叫びまくるのだ。
 ベサニーはアレックを憎みだした。彼がぼくにやっていることを許せなかったのだ。
 ぼくの方は社会的な死を怖れていた。ゲーム制作が破綻すれば、ぼくらは破産し、借金まみれの状態で一からやりなおさなきゃいけなくなる。ぼくは一人の人間としてアレックに対して責任を負うのをやめて、プロジェクトに対する責任を引き受けた。チームを機能させるためだ。両方の責任を引き受けたのでは死んでしまう。
 セラピーにも毎週通い出した。抗不安薬を処方してもらった。セラピストは、ぼくがアレックの面倒をどれだけ見ていたかについてショックを受けていた。彼はぼくにアレックのやったことに対する責任を負う必要はないのだと繰り返し言い聞かせた。それは前からわかっていた。知っていた。でも、ぼくにはいまだにアレックのやることなすことすべてに対して責任があるような気がしていた。心のどこかで、静かにそう感じていた。今これを書いているあいだでさえ、そんな感覚が残っている。馬鹿げた話だ。これも虐待があなたに与える影響のひとつだ。当時は「虐待*20」という単語を口にするのさえつらかった。今だってちょっとつらい。

 資本主義や教えられて育った信仰への憎しみについて、いつか話したい。*21でも、特定の誰かがぼくにしてきた個別のことはあまり言わないつもりだ。それは馬鹿げた男らしさのうちなのかもしれないーー虐待とは他人の身に起こることであり、自分がその被害者になるわけがない、という。
 単にぼくの運が悪かっただけか、そもそも人生というものが不公平にできているせいかはわからないけれど、ぼくの身にそれが起こったとき、ぼくはタフになるしかなかった。あるいは、他のみんなにとっては大したことではなく、ぼくが過敏になっているだけなのかも。弱い人間なんだ。幼いころは大げさに感じすぎなのだとよく言われていた。
 小学四年生だったとき、父からパンチの仕方を教えられた。翌日にパンチを使う理由があったのだ。ぼくは学校でいじめられていて、骨折させられることさえあった。ぼくはいじめに立ち向かわねばならなかった。笑いとばすことも必要だった。そうとも、みんないじめっ子かクソ野郎だった。
 問題を抱えているなら直す必要がある。でもぼくは本当に虐待は受けていなかった。そんなことはありえない。

 その年の後半、アレックが五週間の集中セラピープログラムに参加してきたと言った。ぼくたちは大喜びした。彼は新しい薬を処方してもらい、それが自分にとって助けになると言った。もう一度、ぼくらは大喜びした。しかし、念のために言っておくと、その年の残りの期間のアレックは基本的に人を寄せ付けないままだった。ぼくはゲームにおけるアニメーションの制作の大部分を引き受けることで、彼のイメージを実現しやすくしようとした。ぼくはそれらの動画を今でも持っている。今夜も観なおしていた。アレックを励ませそうな曲もつけていた。たとえばロージー・プレイン*22の”Actually”*23とか。この曲はメイとビーが買い物に行って喧嘩するシーンのBGMだった。その年のぼくのテーマソングでもある。今この曲を聴こうとすると、不安感を催す。2015年は人生で最悪の年だった。

 12月が来た。アレックはあいかわらず不機嫌で、怒りっぽくて、開発にほとんど携わっていなかった。話しかけても反応しないか、キレるかのどちらかだった。ぼくは休みなく働くようになっていた。心も身体も次第に病んでいった。
 ゲームを完成させるには新しいメンバーが必要だとようやく思い立った。パブリッシャーである Finji のアダムとベカ―と話し合った。彼らとは知り合いではあったけれど、でもこのときはまだ大して親しいわけでもなかった。現場で何が起きているのかを話すと、彼らはショックを受けた。なにも知らなかったから。知っているわけがない。外からは順調なように見えていたのだ。彼らは即座に現場に介入し、アレックに援助の手を差し伸べた。そして、アダムはぼくたちのチームの生産性をあげる取り組みを考えはじめた。
 ちょうどそのとき、奇跡としか思えないことが起こった。あれはまさにクリスマスの奇跡だった、と後で冗談として言い合ったものだ。
 ベサニーは我慢の限界に達していた。ある朝、彼女はアレックに対する不満を友人たちに吐き出す用の twiiter の裏アカウントを作った。躊躇はなかった。アレックがいかにぼくらの人生をめちゃくちゃにしているかという内容を数十ほどツイートした。アレックがいかにぼくに対してひどい態度をとったか。ぼくがいかにして否応なくスキルを身に着けることを迫られ、ほとんどの仕事を負担しなければならなかったか、その他諸々。そして吐き出すだけ吐き出したあと、彼女は散歩へ出かけた。
 ぼくが目を覚ますと、アレックから Slack にメッセージが来ていた。彼女のツイートを写したスクリーンショットにこんな一言添えられていた。:「OK」
 ベサニーは裏アカに鍵をかけるのを忘れていたのだ。おそらくアレックは自分が以前携わったゲームについての言及が twitter 上のどこかであると通知が来るように設定していて、彼女はそれを踏んでしまったのだろう。ぼくはパニックに陥り、ベサニーになにが起こっているかを問いただそうと靴も履かずに車に飛び乗り、彼女を拾うためにアクセル全開で近所を走りまわった。心臓発作に見舞われて死ぬかもしれないと思った。そのころは心臓の調子があまりよくない気がしていたのだ。加えて、過労が健康に影響していた。

 ベサニーはアカウントを消した。べカーとアダムがアレックと話し合った。

 その後の数日で、彼は……変わった。

 自分のやったことを理解した、と彼は言った。そして一週間もしないうちに彼は開発現場へ戻ってきた。2015年の12月にベサニーが twitter の愚痴アカに鍵をかけなかったことで『Night In The Woods』は救われたのだ。

 
 2016年、ぼくはまだパニック発作を起こしていたけれど、以前より症状はすこし軽くなっていた。ぼくたちの目にはアレックが変わったように見えた。彼はセラピーで課されたワークシートにこなしていて、いつもそのことについて話していた。その年の春に十一日間、ぼくたちといっしょに過ごしたときもワークシートを持参してきていた。ぼくにも効果があるだろうと考えたのか、ぼくにもワークシートを見せたがっていた。そのなかのひとつは認知の歪みに対する認知行動療法のリストだった。100%、役に立っただろう。
 彼は良くなっていった。やさしくて穏やかで感じが良くなった。2015年のあいだにぼくが雑に作り上げたデザインドキュメントからゲームを築き上げるために一日中働き、物事がうまく回り始めた。いくつかのシーンは2014年から2015年はじめの段階でほとんど完成していて、それらのシーン以外はグレーボックステストを始めたばかりだった。しかしまあ、まがりなりにもゲームを最初から最後までプレイできるヴァージョンではあった。
 2013年の時点では3,4時間程度で終わるゲームになる予定だった。だが、この20%しか完成していないヴァージョンでも5.5時間の尺があった。ぼくたちの予想以上のサイズだった。
 彼がアメリカを立つ前日、車に乗ってアレックを Night in The Woods のモデルにした場所へ案内した。2014年の彼はゲームの非デザイン的な部分に主に関わっていたし、2015年の彼はほとんど現場にいなかったからだ。彼はNITWが何についてのゲームかほとんど知らなかった。
 ぼくたちはヴァンダーグリフト*24を訪れた。ポッサムスプリングス*25の中心街の参考にした場所だ。ぼくたちはゴーストタウン・トレイル*26の開始地点であるセイラー・パーク*27から川*28向こうにある、ブラックリック*29の鉱山用機械の墓場へ行った。ボリヴァー*30へも行った。傾斜地の上からジョンズタウン*31を見下ろし、シーツ*32を紹介した。アルトゥーナ*33の丘の上にも行った。かつて、どこかの子どもが家のなかで叫んでいる大人たちから逃れて屋根に登って本を読んでいる姿を目撃した場所だ。これはローリー*34というキャラクターのもとになった。
 ぼくたちは半ば放置されて内部がごちゃちゃしている建物を通った。これは”マラードくんの墓”*35のインスパイア元だ。
 夕食をともにし、彼は彼に下された診断について胸襟を開いて語り、彼の人生がどのように変化したか、彼自身がどのように変わったかについて話した。かれが完全におかしくなってバンクーバーへの追放されてから、一年も経っていなかった。変化は起きたのだ。ぼくはそう確信した。その後、ぼくが確かめたかぎりでは、彼が違う人間になったことにみんな同意してくれているようだった。アレックは自分のマンションを手に入れて一人暮らしを始め、自分の闘病生活について正直に明かした上でメンタルヘルスの問題を扱うポッドキャストを配信しはじめた*36。この11ヶ月間で何年分も成長したようにおもわれた。
 ぼくは彼をやさしく励ました。彼が傷付けてきた人たちに対していつかつぐないをできるよう、手助けしたかった。彼もできるかぎりそうするといっていた。誰かがいつか自分の人生を破壊しようとしに来るとぼんやりした恐れを抱えたままではあったけれど。ときどき、間欠的な怒りの発作に見舞われることもあった。でも、彼はそのことについてもセラピストに相談していた。以前よりずっとずっとマシになっていた。
 それから一年でぼくはアレックと真の友人関係を築けたと考えるようになった。いとこのような存在になったとさえ言えるかもしれない。彼は2016年の9月にふたたび訪米し、ほぼ完成したヴァージョンのNITWを遊んだ。(ついに)発売日も設定した。2015年から続けていた休みなしの労働をついに止めることができた。ここ数年はリリースまでの苦労をたくさん語ってきたとおもう。かなり強烈な体験をした。ぼくのある家族がリリースの一週間前に自殺未遂を起こした。ぼく自身、不眠症のせいでキッチンでいきなり卒倒して、目覚めたら頭に傷を負っていた、なんてことがあった。パニック障害にも絶えず襲われた。その間、アレックはなにもかもずっと平穏に過ごしていた。

 業界のあるイベントで、めったに会わない友人何名かと顔を合わせて、ベサニーといっしょに夕食を食べることになった。かれらはゲームのラウンチについて尋ねてきた。今、どういう気分でいるのかと。
 ほとんどなんの前触れもなく、自分にすらわからないうちに、ぼくは泣き崩れながら、過去数年に起こった出来事をすべて吐露していた。最後にはほとんどパニック発作状態になっていた。アレックにも知られてしまうんじゃないかと怖くなった。なんといっても、ここはゲーム開発者のカンファレンスだ。もし、彼が聞いていたら? 誰かが彼に話したら? 一個の人間としてのアレックが怖かったわけじゃない。ただ、あまりに長い間、彼の機嫌の良し悪しに振り回されてパニックになるのを繰り返ししすぎた。彼が変わったあとでさえ、ぼくたちへ影響している。ゲーム発売されてだいぶ経っても、パニック発作は収まらなかった。消えてくれなかった。なぜかはわからない。
 困難な時期にあった男とチームを組んで、ゲームを作り方を学び、そして彼の状態が良くなり、ゲームを完成させ、なにもかも大丈夫になる。このときはそういう話だと思っていた。のちにぼくのセラピストは「そういうのはPTSDと呼ばれるもので、対処の方法はいくらでもあるんだよ」と教えてくれた。ここ一週間は何度も過去の出来事がぶりかえしている。すぐに戻ってきたんだ。でももちろん、ぼくはPTSDになるような男じゃない。だって虐待なんて受けたことがない。そうだろう? 虐待なんてなかった。あきらかに。*37
 2015年のぼくたちはもうアレックといっしょに仕事はしないと決めていた。友人たちには彼と働くべきではないと警告した。ぼくやベサニーに何が起きているかは、小さな知り合いグループに打ち明けていた。地元の友人であるダンはぼくをひどく心配し、「君と働いているあのカナダ野郎め」と怒ってくれた。ぼくの髪を切ってくれるローラーダービー*38仲間の女性は「あいつのケツを蹴飛ばしてやろうか」と言ってくれた。地元の友だちが大勢、憤慨してくれた。親友たちは実力行使を申し出た。
 ぼくはかれらに対して、この問題を誰にも言わないように頼んだ。よくあることだ。理由ならいくらでもあった。開発期間中はこのことについて公には話せなかったし、ぼくはアレックと公開の場でやりあうには疲れすぎていた。なにより、ぼくはアレックの社会の輪から遠いところにいて、そこで何が起こっていたかをまったく知らなかった。アレックについて似たような経験をした多くの人々も、ぼくや他の人には何も言わなかった。よくあることなのだ。アレックの秘密を守ろうとしたわけじゃない。ぼく自身を守ろうとしたんだ。そういうことだ。

 でもアレックは変わった! ぼくたちはそれを目撃した。彼が変わるさまを目の当たりにした。あたうるかぎり、注視していたんだ。
 アレックは2019年に新しいプロジェクトチームを唐突に発足させた。彼が問題行動まみれだったころから数年が経っていた。カンファレンスで講演し、新しい友人を作り、コーヒーや時間のマネジメントといった退屈な事柄についておしゃべりしたりした。私生活と仕事の両面でほんとうに健康的な関係を築けるようになっていた。ぼくは折りに触れてアレックの知り合いに彼がどうしているか訊ねた。順風満帆、と聞いた。ぼくは心の底から彼を誇らしくおもった。もう心配はいらない。ハッピーエンドだ。

 それから、すべてが崩壊した。*39

 先週はずっとアレックに親しい人ーー現在と過去の知り合いそれぞれーーを探し、話を聞かせてもらっていた。多くの関係者がぼくと同じような不気味な経験をしていたと知ってショックを受けた。良い話もあれば、おそろしい話もあった。苦しんでいるのが自分だけじゃないと知ったけれど、どんな気持ちになればいいのかわからなかった。
 ぼくたちがアレックと知り合う前の疑惑が先週報じられた。そのひとたちはぼくが信頼を置いている人々や、ぼくに親しい人々の支持を受けていた。突然、アレックが元恋人について語っていたことが脳裏を蘇った。よく愚痴っていた事柄。ぼくが彼をよく知らなかったときのことだ。すべて合点がいった。昔のことについて語っていた彼のセリフが今は全部合点がいく。過去の恋愛において起こった出来事が表沙汰になるの恐れて、彼は過去を糊塗していた。ひっかかりのない、さりげないセリフだった。でも確かにそこで気づけたはずだった。
 ぼくは疑惑について話そうとアレックと連絡を取った。彼は上の空で返事を返していた。そして、失踪した。それが彼との最後の会話だった。
 それからすぐに、沈黙が破られたときはしばしそうであるように*40、何名かの被害者が続々と名乗り出た。ぼくはアレックが変わったとおもっていたけれど、彼が2015年にぼくに対して行っていたような扱いを最近でも他のひとたちにしていたこともわかった。バンクーバーのシェアハウスでの問題がぼくが考えていたよりもっと深刻だったことも知った。そのせいで彼の友人のほとんどがもっともな理由によって彼と縁を切ったことも。
 アレックが上司として最低最悪だったことも知った。ぼくの知り合いの女性たちは、みんなそう感じてたと互いに知らなかったのだけれど、彼を恐れていた。過去に彼と働いたことのある人たちは、みんなぼくと似たような経験をしていた。アレックは同じパターンを何度も何度も繰り返し、そのたびに傷ついたり、うちのめされたり、虐待されたり、セラピー通いを余儀なくされたりした人々をあとに残していった。それらをいっぺんにやってしまうことだってあった。こうした告発のなかに当時知っていた男が再現されていると認めざるをえなかった。あらゆる細部が、彼がただの”キレやすいイジメっ子”ではないと証していた。アレックは他人を集団から孤立させるのに長けていて、そうした人々に彼をよりよい存在にしなければならないという負い目を背負わせていた。

 彼が意識して邪悪になろうとしていたとはおもわない。こういうことをやる人は、たいていそうだ。自分のパラノイアが彼自身の苦しみによって生じたものだとアレックも気づいていた。それはわかる。だが、それでも彼の振る舞いは改善されなかった。
 継続的に脅迫されていると思い込む一方で、彼は他者を物理的に脅していた。長年にわたって幾人もの女性を罠にかけてきたのに、その全員が彼に不当な恨みを抱いていると信じていた。今週アレックの知人たちと話していた気づいたのは、彼が他人をコントロールするために「自殺する」と脅す手法を色んな人たちに(主に彼の行動に責任を持とうとした人たちに)対して用いていたことだ。
 彼の知り合いだった何名かの人たちから、そうした彼の態度を伝えなかったことについて謝罪を受けた。そして今、ぼくはこれを書いている。遅すぎた。アレックが彼が他人にしたことを内心どう感じていたにせよ、結果的に彼のやっていたことは虐待でしかなかった。アレックは死んだ。彼のつけた傷は残っている。
 一週間で多くのことが人々に知られるところとなった。アレックから虐待を受けていた人々が同じ体験をした人と語り合いはじめた。ぼくもその一人だ。その体験をどうやって語ればいいかがわからなかった。でも今、こうして語っている。
 彼が他者に対して行ってきたことの深刻さについて、ぼくは知らなかった。傍からすれば、この騒動は火曜日に始まって土曜日にすべて終わったように見えるだろう。しかし、ぼくたちにとってはそれより遥かに長い期間続いているのだ。ぼくにとっては2013年から続いている。ある人にっては2005年から。また別の人は2009年から。あるいは2018年から。アレックはぼくに対して自殺を匂わせる脅迫を止めて、他の誰を脅しはじめたのだろうか? 彼が標的を変えたことはわかっている。新しい街へ移り、新しいチームへ移り、心を許せる新しい人へ移る。
 とても難しくつらい考えを山ほど検討したのち、ぼくたちはアレックとの関係を断つことを公表した。*41一部では「解雇」と報じられていたが、そのとき彼をクビにするようなプロジェクトはなかった。Infinite Fall*42 は会社ではない。ぼくたちのコラボレーションにつけられた名前だ。Infinite Fall に上層本部なんて存在しない。カットする給料なんてのもない。ぼくたちの企画で大儲けにつながるようなものはなかったし、彼が一員となっているチームもなかった。彼とは「別れた」といったほうが相応しいだろう。というか、そのときすでに彼はとっくによそへ移っていた。

 彼が(少なくともぼくに見えた範囲では)変化を遂げていたことを、ぼくは評価したい。すばらしいゲーム開発者でミュージシャンだった、と言ってやりたい。2015年の長い不在のあとで、彼は『Night In The Woods』を「自分のゲーム」だとはあまり見なさなくなった。2016年にカンブリア郡*43の田舎道をドライブしながら、彼は「いつか自分自身であるような何かを作りたい」と語っていた。完全に彼自身からできあがった何かを。
 NITWが出たあと、バグ修正やパッチを仕上げつつも、さっさと別に移っていった。その後のことにはあまり関与しなかった。チームでの講演にも出席しなかったし、ぼくたちがやっていることについても関心が薄かった。(訳注・アレックが担当した)サウンドトラックのリリースには盛り上がっていたし、エピローグ用のミニゲームも共同で作っていた。でも、彼は死んでしまった。
 アレックの業績を称える一方で、彼のせいで業界を離れていった人々を想う。自分の夢や、作りたかった作品を諦めざるをえなかった人たち。著名なインディー開発者との仕事に惹かれ、挫折と経済的安定と彼からの逃亡とのあいだに絡めとられてしまった人たち。破壊的な存在としての彼に何年も人生を費やしてしまった人たち。PTSDに罹ってしまった人たち。セラピーに時間とお金を支払わなければならなくなった人たち。彼に因われているように感じていた人たち。ひとりの人間の業績が、あまりにも多くの人々を傷付けてきた事実に値するのかどうか、ぼくにはわからない。
 アレックには富と名声があった。ゲーム開発者になる夢を叶えるチケットのような存在に思われたことだろう。彼は興味を抱いた人物に取り入る術を心得ていた。性急なまでの早さでゲームをいっしょに作ろうと持ちかけ、彼を頼るように仕向け、プロジェクトとチームを投げ出し、ときにとてもひどいやりかたでふみにじる。今から振り返れば、そういうことが、ぼくが彼と知り合ってからも色んな人の身に起こっていたのだ。相手が女性である場合には、彼は彼女たちが本来与えられる以上の見返りを求めたりもした。関係を築く上では卑怯なやりかただった。ガキっぽくて、虐待的だった。そして望んだものを得ると、その人たちと彼らの夢を自分の道の脇に捨てて、また別の誰かを求めた。アレックとゲームを作るために職を捨てた人もいた。母国を離れた人もいた。なぜならアレックはフルタイムでのインディゲーム開発と、やりがいのある仕事と、業界での安定と未来を約束していたから。
 就職難が叫ばれ、夢を実現するためには不公平で険しい障壁がしばしばたちはだかる時代にあって、多くの人々がアレックの誘いに乗った。ぼくが2013年の6月にそうしたように。そして彼が姿を消した2015年に、ぼくとベサニーはその報いを受けた。彼の周囲の環境と、ぼくたちの我慢強さと、アダムやベカーの援助と、キックスターターでの法的責任が彼を守った。そして、『Night In The Woods』の成功が彼により大きな名声を与え、彼と共に仕事をしたいと望む人々を増やした。彼となら夢が叶うと思う人々を。サイクルはまわり続けた。

 一部の人々はアレックのひどい一面を見ずにすんだ。だがほとんどの人は見てしまった。

 ぼくはアレック・ホロウカのサバイバーだ。多くの関係者がぼくの想像よりひどい目にあってきたのだろう。なんといっても、ぼくは男だ。
 男性でない人たちはもっとひどい目にあった。ぼくは自分の受けた虐待の体験は特殊なものだろうと考えていた。彼を変えるのを手助けしたと思っていた。間違いだった。バカみたいな気分だ。気持ち悪い。これが、いかに一人の人間が何人もの犠牲者を食い物にし、それがバレなかったかの顛末だ。虐待はあなたを孤立させる。あなたを孤独な気分にする。虐待の経験を語ることさえ怖れさせるかもしれない。打ち明けたら打ち明けたで、誰もあなたを信じてくれないかもしれない。
 ほとんどの場合それは、静かに進行していく。何年もかけて。なぜなら、あなたは彼らに依存しているから。なぜなら、あなたの人生のいくらかが彼らに握られているから。なぜなら、あなたは打ちのめされ、沈黙させられてきたから。
 そしておそらく、あるときに何もかもが露見する。そのとき、あなたは自分のもっていたスナップ写真が現実の一部をなしていたことに気づき、他の人のものと比べてようやくその意味がわかるようになる。そのスナップ写真は寄せ集められ、ひとつの大きな画を形づくった。そして、アレックは死んだ。数年来の友人であり、共同制作者であり、家族であり、彼を生かし続けるプロだった。だが、自分のやっていることを止めない人を止めることはできないものだ。何年かけようが関係ない。アレックはついに自分自身に捕まったのだ。
 どんなことがあっても、ぼくはアレックを心から気にかけていた。でも、かばいだてして周囲の誰かを傷つけられるようにしてしまうことは、気にかけることとは違う。なにもかも、上向かないこともある。なにもかも、めちゃくちゃになることもある。なにもかも失敗に終わることもある

 彼は死んだ。彼がぼくにしてきたことと、それが今のぼくにどんな意味があるのかを、うまく言葉にできないままでいる。



proxia.hateblo.jp

proxia.hateblo.jp

*1:その後、Night in the Woods でも再受賞する

*2:ホロウカの自殺は告発から4日後の2019年8月31日。この記事が書かれたのは9月3日

*3:2000年代中盤にミドルウェアゲームエンジンの入手ハードルが低まったことにより、高クオリティなインディゲームがつぎつぎと生み出されて個人・小規模開発のゲームが業界的な注目を浴びた。しかしリリースされるインディーゲームが増えるにつれ、市場が飽和気味になりはじめると、過剰供給によって界隈ごと崩壊してしまうではないかという懸念が生まれた。これが”indiepocalypse”で、2015年ごろに起こるのではないかと予想されたものの、結局崩壊はしなかった。ただ、2016年以降インディー業界全体の成長は大きく鈍っていき、毎年のように頭打ちが叫ばれることとなる。

*4:2007年のアクション・アドベンチャーゲーム。ホロウカとデレク・ユウ(のちに Spelunky を開発)による共同制作

*5:Marian というタイトル。Aquaria をリリースしてから数年はこのタイトルにかかりきりだったという。開発中にホロウカがブログで「マリオネットにおける「他人をコントロールしている」「他人にコントロールされている」というアイディアに惹かれた」と語っているのは今になっては結構重要な発言かもしれない。https://www.gamasutra.com/blogs/AlexanderHolowka/20110214/88965/Marian_From_3D_to_2D.phphttps://www.gamasutra.com/blogs/AlexanderHolowka/20110214/88965/Marian_From_3D_to_2D.php

*6:Marian が当初3Dで開発されていたにもかかわらず、途中で2Dに切り替えて一から制作をやりなおしたことを指している。https://www.gamasutra.com/blogs/AlexanderHolowka/20110214/88965/Marian_From_3D_to_2D.php

*7:このへんのことは、2014年のインタビュー記事でも語られている。https://medium.com/@wsong/interview-scott-benson-on-night-in-the-woods-c6a7ed09367chttps://medium.com/@wsong/interview-scott-benson-on-night-in-the-woods-c6a7ed09367c

*8:クラウドファンディングサイト

*9:目標額の5万ドルを超える20万ドルを調達。https://www.kickstarter.com/projects/1307515311/night-in-the-woods/posts/639908

*10:アメリカなどでクリスマスの時期に流される、暖炉で燃える薪の画を背景に延々とクリスマスソングを垂れ流すテレビ番組。おそらくベンソンが言っているのはゲーム性のないアニメーションノベルみたいなもののことか

*11:Night in the Wood 本編のパッケージに収録されている。

*12:ベサニー・ホッケンベリー。ベンソンの妻。共同制作者の一人で、シナリオに深く関与。

*13:Game Developers Conference 毎年一〜数回、世界各地域ごとに行われるゲーム開発者のためのイベント。ベンソンが言ってるのは2014の3月にサンフランシスコで行われたGDC2014のこと

*14:横スクロールランニングアクション『Canabalt』の開発者として知られるアダム・サルツマンとその妻のレベカーが2006年に立ち上げ、2014年に本格的なゲームスタジオとしてリニューアルされたパブリッシャー兼デベロッパー。ホロウカとは『Portico』というゲームを共同開発していたものの、途中で頓挫。その顛末はGDCの講演でアダム自身の口から語られている。https://www.youtube.com/watch?v=K0hO2ihn-Zw 『Night in the Woods』のパブリッシャーになったのもホロウカつながりだろうと推測される。

*15:Electronic Entertainment Expo ロサンゼルで開催される世界最大級のコンピューターゲーム見本市(wikipediaより)。大手のビッグタイトルのお披露目の場であると同時に、インディー開発者にとっては注目を浴びる絶好の機会

*16:2014年12月リリース。現在は本編パッケージに同梱。

*17:前述のとおり、ホロウカは23歳でインディ業界トップのクリエイターとなっている

*18:3月初旬

*19:カナダの都市

*20:abuse

*21:ベンソンは信仰心の強いコミュニティで育ち、それがNITWにも影響したとインタビューでたびたび語っている。

*22:イングランド出身のフォーク・ロック/オルタナティブ・ロックバンド。

*23:https://www.youtube.com/watch?v=H4S0ME8Xyc0

*24:Vandergrift ペンシルバニア州西部に位置し、20世紀初期には世界最大級の板金工場を抱える街として栄えた。1940年には1万人を超える人口を抱えていたが、現在は人口5000人を割っていると見られている。住民の90%以上が白人で、人口の約16%が貧困線以下の生活をしている。

*25:NITWの舞台となる架空の田舎街。昔は工業地帯として栄えていたが、現在は活気がなく、うつうつとしている。

*26:Ghost Town Trail ブラックリック(街)からエデンズバーグまで60キロほど伸びているトレイル。不吉な名称は通り道に(石炭鉱業の衰退によりできた)ゴーストタウンが多く点在していることに由来する。自虐にも程がある。

*27:Saylor Park ブラックリック北側にある公園

*28:Blacklick Creek か

*29:Black Lick ペンシルバニア州西部の街。ヴァンダーグリフトから見て南東。石炭を多く産出したことが地名の由来

*30:Bolivar ブラックリックの南にある、0.46平方キロメートル程度の小さな町。人口は450人足らず。20世紀初頭にはれんが工場の街として栄えたが、大恐慌により衰退。

*31:ボリヴァーからさらに南東にある、比較的大きな都市。人口2万人程度。ブルース・スプリングスティーンの曲にも歌われているとか。

*32:Sheetz ペンシルバニアを中心に南部の州でコンビニ兼ガソリンスタンドを展開するチェーン。全国に六百店舗ほど。

*33:ジョンズタウン北東にある都市。人口4万5000人ほど。前述のシーツの本社があり、一時期そのシーツと『スーパーサイズ・ミー』で知られる映画監督のモーガン・スパーロックに市名のネーミングライツを売っていた。

*34:ポッサムスプリングスに住むネズミの少女。よく屋根の上で発見される。

*35:ポッサムスプリングスのお祭りでかつて使われていた大きな人形マラードくんの投棄された倉庫。マラードくんのなかにはネズミが住んでいる。

*36:ホロウカの開発会社 infinite Ammo のサイトにかつてアップされていたが、現在は非公開。初回のゲストはベンソンだった。

*37:ここは明らかに反語的表現

*38:ローラーゲームのこと。ローラースケートを履いて行うスポーツ。詳しくは映画『ローラーガールズ・ダイアリー』を観ろ。

*39:アレックに対する告発を指す。

*40:各業界で起こった metoo 的なムーブメントのことを指している

*41:https://www.theverge.com/2019/8/28/20837342/night-in-the-woods-game-cancelled-alec-holowka-assault

*42:NITWのためにホロウカとベンソンが立ち上げたディベロッパ

*43:ペンシルヴァニア州。上述のジョンズタウンなどが属している区域