名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


読書、映画、その他。


わたしたちは思った以上にゾンビなんだ。ーー『デッド・ドント・ダイ』について

 気がふさぐと、いつもゾンビどものせいにするんだから。
 ーー『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』

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 大量消費主義の問題、ロメロの映画に織り込まれている問題は悪化しているだけだ。何も変わっちゃいない。僕たちは彼の映画で警告されていたことのせいで危機に陥っている。
 ーージム・ジャームッシュ*1

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 いまさら劇中で「ゾンビとは消費社会のメタファーである」とドヤ顔で指摘されたところであまりにもあたりまえすぎて気恥ずかしさすらおぼえるのだけれど、『デッド・ドント・ダイ』は、ジム・ジャームッシュの生まれ持ったリズムが、奇跡的にか運命的にか、ゾンビ映画のフォーマットにマッチしていてある程度まで救われている。
 

 本作におけるゾンビ発生のきっかけは環境破壊だ。北極だか南極だかでのフラッキング*2により地球の地軸が狂い、(たぶん)そのせいでアメリカじゅうの死者がよみがえる事態となる。
 人口七百人ちょっとの小さな町、センターヴィルも例外ではなく、アダム・ドライバービル・マーレイの警官コンビや日本刀を振り回す葬儀屋のティルダ・スウィントンなどがゾンビたちと対決するはめに陥る。


 未曾有の異常事態にあってアダム・ドライバーは終始無表情に淡々と職務をこなす。マチェーテを片手にマイナーリーグ仕込みのスイングでゾンビどもを屠りまくり、ゾンビに殺された死体を見つけたらゾンビ化を防ぐために躊躇なく首をはねすらする。
 そんなドライバーの態度に相棒であるビル・マーレイは「なんでそんなに落ち着いていられるんだ!」とキレる*3のだけれど、対してドライバーは「だってジムの渡してくれた脚本を全部読んだから、何が起こるか全部知っている。結末も」とメタ丸出しの返答をする。マーレイも「俺が読んだのは俺のパートだけだったよ」とぼやく。


 一見すると、つまらないメタギャグだ。けれど、「気候問題のメタファーとしてのゾンビ」と結びつけたならば、少し意味合いも変わってくるだろう。
 2020年現在、このまま欲望ドリヴンで消費文明を継続させていけば地球がやがてぶっ壊れてしまうことは、誰もが知っている。わたしたちはわたしたちの物語のオチをわかっているのだ。
 絶滅を免れたいならなにか行動を起こすべきなのだが、アダム・ドライバーであるところのわれわれには抗う気力が起きない。なにせ回りは物質主義のゾンビばかりなのだ*4。多少彼らをぶち殺したところで悲惨な結末に影響はない。
 しょせん自分は一介の取るに足らない個人でしかなく、結末は変わらない。そのような無力感が彼を無気力に、スクリプトに流されるだけの人間にしてしまう。*5ジム・ジャームッシュが尊敬しているというグレタ・トゥンベリなどとは対照的な人物といえるだろう。
 その一方で、「自分の出ている場面しか読まない」ビル・マーレイのような人間もいる。この種の人間はなぜ世界が滅びるかも把握しえないまま死んでいく。
 ドライバーとマーレイのコンビは今日滅びつつある人類の代表でもあるのだ。
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』に見られた永遠の倦怠としてのスロウでトボけたテンポは、本作では予感された不可避の滅びとして踏まれている。

 
 唯一、そのテンポと「脚本」から外れるキャラもいる。ティルダ・スウィントン演じる葬儀屋のゼルダだ。『ゴースト・ドッグ』の殺し屋よろしく日本のゼンに通じた凄腕の剣士であるスウィントンは、おろおろするばかりの町民たちを尻目に一人だけアクション映画ばりに刀を振り回してゾンビたちを鏖殺し、やがて「脚本」にない行動を取る。
 しかし、彼女が人類救済の希望であるかといえばそうではないわけで、ここにもジム・ジャームッシュの諦念(とある種のエリーティズム)がにおう。
 とはいえ、別にジャームッシュの映画を見て人類や地球の未来に希望を抱こうとはおもわないのだし、まあこれはこれで楽しく観られる。なんとなれば、映画だってマテリアリズムや消費文明のうちなのだし……。

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(字幕版)

オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ(字幕版)

  • 発売日: 2014/06/18
  • メディア: Prime Video

*1:http://indietokyo.com/?p=11872

*2:天然ガスや石油を採掘するために用いられる水圧式の破砕法。水質汚染の原因として世界各地で問題視されている。

*3:といっても落ち着き具合ではビル・マーレイもたいがいであって、劇中でパニック映画っぽく取り乱すのは婦人警官のクロエ・セヴィニーくらいだと言ってもいい

*4:生前の消費行動に執着するゾンビたちの姿は清々しいほどになんのひねりもなくロメロのゾンビ像をなぞっている。

*5:人によっては「冷笑的」と評するだろう。個人的にはこのタームが嫌いだ。世界における諸問題を真剣に考えたとき、一度は誰しも絶望と諦念の罠に陥らざるを得ないのだし、それを「行動しない人間以外は無価値」と糾弾するのは彼らにさらなる無力感を植え付ける行為であるから。

村に捧げるアリ・アスター全短編レビュー

"In fact, I've described the film as a horror movie about codependency. I guess I hope that people will feel unsettled.”

https://refinery29.com/en-us/2019/07/235908/midsommar-hereditary-connection-cult


前回までのあらすじ

 某村映画のスペシャリスト氏から「アリ・アスターの全短編オンライン上映会やろうぜ」と誘われ、何それ超楽しそうやるやる〜〜〜と軽々に応じたものの、爆睡して約束の時間に間に合わなかったため、反省の印としてアリ・アスター全短編レビューを己に課した。
 そのためにアリ・アスター全短編読本『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSETTLED.”』(映画パンフは宇宙だ)を取り寄せたりなんかもした。なるべく内容がかぶらないようにがんばります。

pamphlet-uchuda.stores.jp
 

 それにしても”I hope that people will feel unsettled”(みんな不安になってくれればいいな)とはいいことばですね。エドワード・ゴーリーはかつて(うろおぼえですけれど)「私は毎日目覚めてベッドから起き上がるときに世界に対してとてつもない不安を催す。私の本を読んだみんなにも同じ気持ちを味わってほしい」と述べ、矢部嵩は(これまたうろおぼえなのですけれど)「読者に傷跡を残したい」といいました。
 わたしたちは不安にならなければならないとおもいませんか。今でも十分不安でしょうけれど、もっと不安になるべきだとおもいませんか。
 バルガス・リョサは「不完全な世界を補うために書いている」といいましたけれど、わたしたちの世界が不完全なのは不安が足らないせいなのではないですか。
 わたしたちは普段あらゆる手段を尽くして安心を買っていて、そのせいで常に不安に欠乏しているのです。
 でも嘆くことはない。少なくとも2020年の不完全な世界にはアリ・アスターがいる。全短編がネットで公開されている。金にも時間にも贖えないものが、そこにはある。

The Strange Thing About the Johnsons(2011)

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 息子が父親をレイプする(しかも黒人家庭)という衝撃的な内容で公開直後から話題を呼んだ問題作。アメリカン・フィルム・インスティチュートの大学院課程在籍中に撮ったもの。
 アリ・アスター本人的には「アメリカン・フィルム・インスティチュートじゃ学生はみんなハリウッド志向だったし、学校で見せられる作品もポリコレ映画ばっかで、じゃあそういう学校で作れる最悪な映画ってなんだろうな、って考えたときに思いついたのが『息子が父親をレイプする映画』だった」らしく、アリ・アスターが人をいやな気持にさせることしか考えてなかったことがよくわかる。
 現状確認できるアリ・アスター最古の作品であるけれど、作家としてのシグネイチャーはこのときから刻印されている。印象的な色使いやルック、時々出てくる箱庭感のある画、炎のモチーフ、叫ぶ母親(父と子の話になると思わせといてやっぱり母と子の話になっていく)など、いずれも長編デビュー後のテイストを伺わせる。
 でも、なによりアリ・アスターっぽいな、とおもったのはクライマックスで唐突に登場する白いバン。このバンがまたバカみたいに白い。安い。場面自体の茶番感と合わせてどう見てもギャグだろ、ギャグとして撮ってるだろ、という感じがする。
 冒頭の写真撮影シーンのビリー・マヨの表情などの顔芸も充実していてヨシ。

TDF Really Works(2011)

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 AV Club 誌曰く「アリ・アスターの短編フィルモグラフィから埋葬された一作」。もともと、Funny or Die というアダム・マッケイやウィル・ファレル(『おれたち〜』シリーズや『マネー・ショート』のコンビ)が作ったコメディ動画制作サイトに寄せられたものだったらしい。
 内容はちんこで屁をこけるようになる器具の宣伝(通販番組パロディ)。やりかたを間違えるとちんこが破裂します。
 まあ、くだんないしおもしろくもないんだけど、アリ・アスターの性器に対する興味はもはやオブセッションに近いのではないかとも思えてくる。
 ちなみに主演ふたりのうちの片方がアリ・アスター

Beau(2011)

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  The Strange Things About The Johnson’s で父親役を演じたビリー・マヨが再登場。The Strange Things〜に輪をかけてかわいそうな目にあっていく。
 話としては、やたら心配性な男(どうやら不眠症であるよう)が紛失した鍵を盗難されたものと思い込んだことから侵入者の恐怖に怯え、どんどん強迫観念をエスカレートさせていくというもの。
 衝撃的なラストカット含めアリ・アスター全短編中でもいちばん謎めいていて、多様な解釈を呼ぶ一編となっている。いろいろおかしな点は多いのだ*1が、個人的には庭も観葉植物もないアパート住まいの主人公が高枝切りハサミを所持しているのが地味に気になった。
 神経症的なホラーを通して「母と子」のディスコミュニケーションが描かれ、それが世界の崩壊に直結していくのは『へレディタリー』っぽいといえるかもしれない。また「鍵」とモチーフをうまく回して、世界に対する不信感をよく醸し出している*2
 六分程度と短く、キャッチーな奇妙さに溢れていていかにも”アリ・アスターっぽい”ので、全短編中で一番親しみやすい作品かもしれない。
 アリ・アスターがちょっとだけ出てる。

Munchausen(2013)

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 全編サイレント。大学進学のために巣立ちする息子に対して母親が寂しさと独占欲? から食事に毒薬を混ぜ、息子を昏倒させてさせてしまい……という内容。タイトルの意味は今更説明する必要もないだろう。タイトルのクロスステッチ刺繍は『ミッドサマー』のオープニングを彷彿とさせる。
 Youtube でのアップ元の VICE によると”PIXAR-inspired”だそうで、本作の舞台裏(?)を描いた(??)”Untitled” でも「ピクサーに影響を受けた」と自分の口からいっているので、そういう前提でよいのかな。
 実際に冒頭の五十年代風のルックや息子の部屋の内装、「(成長による)旅立ちと別れ」といったセッティングなどは『トイ・ストーリー』を想起させずにはいられない。
 しかし、そこはアリ・アスター。バカ正直に「いい話」など作るわけもない。過剰な愛*3は呪いとなって子どもを蝕むだろう。全短編中では「母親と息子のトキシックな関係」というアリ・アスターにおける代表的モチーフがもっともよく現れている一作となっている。
 ショットは以前に比べてもより洗練されており、ただ観ているだけでも目に楽しい。

Basically(2013)

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 元はニューヨークの映画祭(第五十一回ニューヨーク・フィルム・フェスティバル)の「次世代の監督を発見する」というお題目の企画に応じて作ったもの*4で、アリ・アスターのライフワークである〈ポートレイト・シリーズ〉のひとつ。”C’set La Vie”とかもそう。完全にカメラを固定して、人物も極力動かさないことで絵画や写真のような印象の画作りを行い、さらに主演俳優を画面の向こうの観客に向かって語りかけさせるスタイルなどがシリーズに共通している。
 本作の中身としては金持ちのお嬢様で若手女優役のレイチェル・ブロスナンが母親や恋人や役者人生について延々とひとりがたりする、という趣向。とにかくとりとめのないエピソードを並べていくため、全短編中でも要素やテーマを抽出しづらいが、宗教や母親を否定しながらも親から与えられた豪邸での生活から独り立ちすることのできない若手女優の焦燥と憧憬が常に反映されているとも見られる。彼女が俳優業をやっているのも演じることで「甘やかされた金持ちのお嬢様」という自分をしばる枠から抜け出して別人になれる(演技と演技に対する世間の評価療法を通じて)からではないか。
 無理やり長編デビュー後のアリ・アスターの文脈につなげてしまえば、家族に呪縛された若者が別の自分に「脱皮」する、というところか。まあ『ミッドサマー』も『へレディタリー』も脱皮したところで別の地獄なんですが、はたして本作の主人公が俳優として成功を得たときはどうなるのだろう?

Untitled(2012)

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 『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSETTLED.”』では「〈ポートレート・シリーズ〉の一作目」とされているが、同書付属のQRコードから飛べる公式チャンネルでは「The first installment of Ari Aster's Portrait Series.」と書かれており、消失してしまったアリ・アスターの公式サイト? では、The Turtle’s Head こそが(Basically, C’es La Vie に続く)三番目の〈ポートレート・シリーズ〉であると謳われていた、という情報もあって、なにがなんだかわからない。
 それはさておき内容だが、「Munchausen」の資金繰りに困ったアリ・アスターとプロデューサーのアレハンドロ・デ・レオンがキックスターターで支援を呼びかける動画を撮っていた別の映画制作者を拉致し、彼の映画の代わりに自分たちの映画に投資するようバッカーたちに呼びかけろと脅す、というもの。一発ギャグのようなもので評価しづらい。
もともとは「Munchausen」のクラウドファンディングキャンペーンに使われた動画で、同キャンペーンサイトには拉致された映画制作者に関する続報(といっていいのか)もある。
 そうした制作背景を鑑みるに、やはり〈ポートレート・シリーズ〉のうちではないように思われるだけれど。

The Turtle's Head(2014)

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 四六時中エロいことしか考えていない私立探偵の男が水産会社の不正を探って殺されたらしいジャーナリストの死についての調査を請け負うも、捜査の途中で自分のちんこがみるみる縮んでいっていることに気づき、事件そっちのけでその治療法を探す話。話か? これ?
 全体的にはコメディタッチ。
 TVドラマ版の『探偵マイク・ハマー』の主演だったときのステイシー・キーチを醜く老いさせたような主人公からもわかるとおり、キャラクター造形から画作りに至るまで古典的なハードボイルド探偵映画をパロディし、アメリカ人男性の理想としてのタフで、ダンディな私立探偵像を徹底的にコケにしている。
 縮小していくちんこが股間に吸い込まれ(=去勢されて)、アイデンティティが崩壊し、廃人になってしまうというオチは……あ、オチ言っちゃいましたけど……ひねりがないといえばひねりがない。
 しかし、ここで『C’est La Vie』(後述)で語られるフロイトの unheimlich の理論を借りれば、「home(ちんこ) だったものが unhome(ちんこじゃないものに) になってしまう」という、アメリカの*5白人男性が感じている居心地の悪さ、あるいは自分たちの時代が失われていくことへの恐怖を描いたタイムリーな寓話として見ることもできるのかも。

C’est La vie(2014)

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 “Basically”と同じく〈ポートレート・シリーズ〉のひとつ。
 薄汚いホームレスのおっさんが観客に向かって文明や現代人に対する悪態をつきまくりながら、以前はある会社のエグゼクティブだっただの、市長選に立候補したことがあるだの吹かしまくるが、どうみても狂人の戯言にしか見えない。彼はノンストップでおしゃべりを続けながら、ある一軒家に侵入し……といった内容。
 本作はラストカットのセリフに集約される。

フロイトは恐怖がいつ起こると言ったか。慣れ親しんだはずのものが自分の知らないものになったときだ。それを”不気味なもの”と呼んだ。*6この場所が正にそうだ。時代も国も何もかもが”不気味なもの”だ。」
(滝澤学訳, p69,『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSTTLED”』)



 これを The Turtle’s Head のときと同じように、アメリカ白人男性の断末魔のスケッチと見なすこともできる。しかし、ホームレスがマシンガンのように放つスマホ批判などはまるで生産性のない一方で不思議と共感をさそうし、彼が「もし市長になったらやること」のリストは明らかにむちゃくちゃだけれど一抹の痛快さも持つ。
 いきとしいけるいけるもの全員が幸せとはいわないまでも、そこそこ便利に暮らしているはずのに、どこか閉塞している。そんな現代文明に対する根拠不明のいらだちが、home であるはずの世界を unhome にしていく。どこもかしこも居心地の悪い部屋で、誰も彼もがよそものだ。それでも「ここで小便をして、クソをして、ファックをして、最後は死ぬ」しかない。「ここにいる誰もが自分はこんな地獄に落ちると思っていなかった」*7だろうに。
 わたしたちの人生と本作におけるホームレスの生活は不安という一点で共鳴している。

*1:べランドの窓がなぜかいつも開いていたり、オポッサムを目撃してからやたらオポッサムに取り憑かれてクロスワードパズルに「Possum」と書きまくったりどっからどう見ても近所の住民や警察の対応が異常だったり、強盗が突き出したナイフをボーの身体が跳ね返したり

*2:ラストに出演する生き物の名前にも注目しよう

*3:家庭内における母親の不全感の発露でもある

*4:ちなみに同企画にはデイミアン・チャゼル、『アイ・キル・ジャイアンツ』のアンダース・ウォルター、『One week and a Day』のアサフ・ポロンスキー、『モータウンの魔法』のジョシュ・ウェイクリー、ベテランのマイケル・アルメレイダなどが参加していた。

*5:あるいは世界のマジョリティ男性と換言してもいいのかもしれませんが

*6:He says it’s when the home becomes unhome like, Unheimlich.

*7:滝澤学訳, p67,『”I HOPE THAT PEOPLE WILL FEEL UNSTTLED”』

四月に遊んだゲーム:『グノーシア』、『Ori and the Will of the Wisps』、『Life is strange 2』、『Final Fantasy VII REMAKE』他

 いつのまにか映画を観られない世の中になってしまって、本も読めない気分になってしまいました。しかし、かなしむことはない。そういうときはゲームがあります。
 というわけで、四月はずっとゲームを遊んでいたのです。
 基本的には全作おもしろかったのでオススメです。


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One Step from Eden(Steam/Nintendo Switch

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 『ロックマンエグゼ』と Sly the Spire と弾幕シューティングを三神合体させた結果、人智ではとても及ばない化け物が生まれてしまいました。ドクターマンハッタンも戦慄する現代の原爆、それが One Step from Eden です。
 速い、そして多い。とにかくじっくりと勘案べきことが山のようにあるのあるだけど、それを吟味している余裕がまるでない。
 超高速で放たれる敵の攻撃を交わしつつ、ぼんやりと組み立てたデッキを「このカードの効果ってなんだったっけ?」となにもかもあやふやなままぶん回し続ける行為は現生人類のCPUではとても処理できないフロウであり、ゆえにこのゲームを超克したプレイヤーは楽園が約束されるのです。
 サントラが最高。

Ori and the Will of Wisps(Steam/Xbox One

 あの大傑作 Ori and the blind forest の続編にして完結編。戦闘要素が大きく追加され、前作では妖精をセントリーガン代わりにしていたオリくんが今作では自ら剣をふるって敵を虐殺します。逃げるだけだったボス戦も戦いがプラス。
 デザイン的には見た目以上に大きく変わったのですが、プレイフィール、なにより「マジでもう無理とおもったステージをギリギリで切り抜けたときの麻薬的快感」は失われておらず、むしろボス戦の絶望感が深いだけ強化されている気すらします。
 それぞれのステージに配置されたヌシたちがかわいいのもいいですね。おっきなくまさんも出ます。
 物語面でも続編としてエモーショナルかつ巧緻なものに仕上がっており、〜 blind forest ともども Steam のスターターパックに入るべき逸品といえましょう。
 サントラがめちゃいい。

Ori and the Will of the Wisps (Original Soundtrack Recording)

Ori and the Will of the Wisps (Original Soundtrack Recording)

  • 発売日: 2020/03/10
  • メディア: MP3 ダウンロード


あつまれ どうぶつの森(Switch)

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 思想を持たない人間にはつらいが楽しくはある。なぜならやることが多い。

あつまれ どうぶつの森 -Switch

あつまれ どうぶつの森 -Switch

  • 発売日: 2020/03/20
  • メディア: Video Game


リングフィット・アドベンチャー(Switch)

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 健康になった。ステージが多い。

リングフィット アドベンチャー -Switch

リングフィット アドベンチャー -Switch

  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: Video Game


ことばのパズル もじぴったんアンコール(Switch)

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 いまさらやるものでもないかな。サントラは至高。

ことばのパズル もじぴったんアンコール -Switch

ことばのパズル もじぴったんアンコール -Switch

  • 発売日: 2020/04/02
  • メディア: Video Game


Final Fantasy VII REMAKE(PS4

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 総評としては世の流通している言説にいまさら付け加えるようなことはないです。スターウォーズのEP7みたいな作品だと思います。旧来ファンにたっぷりサービスしつつ、新規ファンにも間口を広く取ってーの、旧作とは決定的に違う展開を予感させる。
 その予感に世間は賛否両論なわけですが、わたし個人としては期待を抱いています。というか、あのボリューム感を保ったままオリジナルを忠実になぞるのはそりゃストーリー的にもシステム的にも無理だろっていう話でもあるし。
 スラムとか廃墟の描写は最高クラスというか最高そのものだろこれ、といった感じで、特に神羅本社に乗り込む直前に出てくる崩壊した街のくだりは痺れます。あとミッドガルって『ブレードランナー2049』っぽい輪郭だったんだなといいますか。
 あと、ウェッジの眼が妙にキラキラしてるのが怖かった。
 今後も買うとおもいます。「ナナキ、戻りました〜」が聞きたいので。
 これのあとでオリジナルのFF7を三倍速でやったらミッドガルパートが2時間半で終わって笑いましたね。

ファイナルファンタジーVII リメイク - PS4

ファイナルファンタジーVII リメイク - PS4

  • 発売日: 2020/04/10
  • メディア: Video Game


ペルソナ5 ザ・ロイヤル(PS4

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『ペルソナ』やるのは2の罰以来です。つきなみですが、隔世の感がありますね。
 これも多い。やることが多い。タスクが切れ目なく供給されるのは『あつまれ、どうぶつの森』の印象とも近くて、とにかく暇になるということがない。メメントスでレベリングしてるときくらいかな。そういう感覚って個人的にはソシャゲでとりあえずデイリーミッションをこなして石をもらうときの作業感にも近いです。ネガティブな意味ではなく。
 日本でもアメリカでもAAAタイトルのRPGはクリアまでのプレイ時間が100時間を超えるのが当たり前になっている昨今ですが、そうまでして膨らませたリソースの費やし方がそれぞれアメリカ(ロックスター)と日本(アトラス)で違うのは興味深くて、たぶんよく言われてることというか雑認識なんでしょうけれど、あっちのRPGは映画からの発展型で、日本のそれはアニメに由来しているのでしょう。単にカットシーンがアニメ的だったり映画的だったりするだけではなくて、セリフ回しだったりとかプロットそのものの語られ方だったりとか世界の質感とかキャラとか細かいシステム周りの積み重ねとか、諸々ぜんぶひっくるめての話。
 そういう意味ではFF7Rもかなりアニメっぽくて、かつては映画を志向して破綻した*1野村哲也の夢のあとさきって感じですね。
 あと、かすみと丸喜が「ロイヤル」で後付された新キャラであるとクリアしたあとで知ってかなりビビりました。かなり違和感なくシナリオに溶け込んでいたので。『ファイナルファンタジー・タクティクス』にクラウドをチャプター1から出してメインストーリーに絡ませるクラスの芸当じゃないでしょうか。かなりすごいことやってるとおもいます。
 姉ゲームオブザイヤー。100時間やらないといけないのでサントラが耳に残りまくる。

ペルソナ5 ザ・ロイヤル - PS4

ペルソナ5 ザ・ロイヤル - PS4

  • 発売日: 2019/10/31
  • メディア: Video Game


グノーシア(Swtich/PS Vita)

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 PS Vita の末期を看取った話題作がついに Switch に登場。人狼系ループADVと聞くと誰しも思い出すのは名作『レイジングループ』だと思うのですが、ゲーム性は正反対。ド直球のノベルゲーである『レイジングループ』に対して、『グノーシア』は物語性のある『FTL: faster than light』といった印象。要するに麻雀なんですよ。リプレイ性のある秀抜なゲームは例外なく麻雀です。
 『グノーシア』で特筆すべきはそのリプレイのストレスのなさ。人狼部分の出来栄えが一人用人狼として相当出来がいいんですよね。ADVっぽいキャラ要素は的確におさえつつも、システマティックにできるとこで抜くとこは抜いているので、一プレイ毎のカロリーがちょうどいい。おかげでエンディングにたどりつくまでの百数十回のループが苦にならない。
 そして何より楽しい。一人用人狼っていうとステッパーズ・ストップの『絶対的人狼』とかみたいに情報増やしてロジックで完璧に詰められるようにしていくのかな、と想像していたんですが、やってみると意外なほど忠実に人狼の元のデザインをなぞっている。
 じゃあ、どこで推理要素をおぎなっているかというと、キャラなんですよ。各NPCキャラに人格やプレイスタイルが設定されている。その塩梅が実に絶妙なんです。いちいち「このキャラはこういう場面で明確にこんな行動を取りますよ」とは説明してくれないんですが、何度かやっていくうちにプレイヤー自身が「ああ、このキャラがこういう発言するってことはもしかして○○なんじゃないか」と、ぼんやり状況を類推できるようになる。各キャラクターが取る行動自体も、ストーリーで明かされるキャラの性格とマッチしていて「このヒトならこうするのも妥当だな」と納得感が高い。

 このプレイ体験の豊かさって、まさに人狼そのものなんですよ。
 人狼ってよく「メタ推理禁止」とか言われるじゃないですか。でも、特に内輪でプレイする場合ってどうしても「○○さんはああいう人だから……」という想像がつい働いてしまう。行動原理だけじゃなくて人徳とかそういうのも大いに絡んで、「初日に吊られがちなひと」みたいなポジションがなんとなしにできあがってしまうのもありますよね。
 ネット人狼を見ているとまるで論理パズルみたいな印象を受けますけれど、人狼って本質的にはパーティゲームなんですよ。*2
『グノーシア』がすばらしいのは、「論理パズル的推理スポーツとしての人狼」が否定してきた人狼ゲームの本性*3をすくいとることで、むしろロジカルになっているというところ。
 人間同士でやる場合にはその日の気分やら体調やら人間関係やらで、どうしても行動原理がブレがちですが、ゲームの場合はそこは揺らがない。それでいて、マンネリ化しない程度にはぼんやりしている。このバランスですよね。奇跡じゃないですか。
 
 そして、ストーリー部分もいい。人狼のルールをSF的な設定に変換しつつ、そのルールをちゃんと深いレベルで物語に落とし込んでいる。ネタバレになるので多くは語りませんが、トゥルーエンド*4でこれまでキャラごとに積み重ねられてきた設定と人狼独自のルールが見事に噛み合ってひとつの「解決編」を生んだのには感心させられました。『レイジングループ』に比肩する傑作であることは間違いないでしょう。


Life is Strange 2 (Steam/PS4/Xbox One

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 突然さずかった超能力をテコに自分自身と世界の運命を狂わせていくフランス製(でも舞台はアメリカな)ADVシリーズ第二弾。いや、第一作目の前日譚を含めると第三弾か。
 前作での「能力」は「時間巻き戻し」だったのですが、今回は直球に「サイコキネシス」。時間操作はADVのストーリーテリングとの相性がわかりやすかったのですが、今回はどうなるかなとなかば危ぶんでいましたけれど、けっこういい。

 プロットの基本線としては、メキシコ系アメリカ人の兄弟がとある悲劇によって父を喪い、自分たちも警察に追われる事態となったことから、もともと住んでいたシアトルから父の故郷であるメキシコへと北米大陸を縦断するロードムービーです。
 アメリカで文学界を揺るがす騒動を巻き起こし*5、日本でも最近早川書房から邦訳されたジャニーン・カミンズの『夕陽の道を北へゆけ』ではメキシコからアメリカへ向かって脱出する母子が描かれていて、それはまさに一般的な通念として「悲惨な状況に中南米からアメリカに逃れる」移民の姿に重なっているわけですが、LIS2ではその通念の逆を突くこと*6で、「逃れたくなるほど悲惨なアメリカ」を立ち上がらせています。
 兄弟たちがチャプターごとに立ち寄る先も、ガソリンスタンド(エドワード・ホッパーを筆頭にアメリカの画家たちが描き続けていたモチーフ!)、モーテル、オレゴンのド田舎にある老人宅、カリフォルニアの違法大麻農園、ネヴァダ福音派の教会、アリゾナのコミュニティ、そして米僕の国境線、と実に「アメリカ」なロケーションばかり。ストーリー的にも主人公兄弟たちはそうした場所に潜むアメリカ的な抑圧に毎回対峙していくことになります。

 その抑圧と対決するためのエンターテイメント的な武器が兄弟の弟に与えられたサイコキネシス能力なのです。未熟な精神に不釣り合いなほど強力な力を持ってしまった弟を兄=プレイヤーとしてどう導き守っていくか、というデザインの中心に据えられていて、プレイヤーはその力を巡るジレンマ的状況における選択で悩んでいく。
 マイノリティにスーパーパワーをもたせることで読者にカタルシスと同時に問題意識を喚起させる手法は『X-MEN』の時代からまあまあ定番で、近年でも女性が放電能力を持ったことで男性との地位が逆転する『ザ・パワー』なんていう小説も人気を博しておりましたけれど、LIS2もその例に漏れません。
 その「力」を使うことでどういう影響が出て、どういう眼で見られ、使用者自身がどう考えるようになるのか。前作とは違ってやりなおしのきかない選択の連続が、ふたりの逃亡劇をよりヘビーにしていきます。そうして、行き着いたメキシコ国境で、プレイヤーは兄弟に力が与えられた意味を悟ることでしょうーーメタ的な意味で。

 本作においてプレイヤーに求められるのは揺らぐことない信念です。つまりは選択の一貫性。その場その場の感情で判断していると弟から「前にいってたことと違うじゃんか!」とキレられ、どんどん信用を失っていきます。これはクソみたいなアメリカから少年という名のイノセンスの灯火を運ぶ旅でもあります。
 あなたが救いたいのは弟なのか、自分なのか、世界なのか。前作とは様々な部分で異なりながらも、エッセンシャルな部分ではブレないドント・ノッド社の気概が伝わってきます。

 それにしても、Death Stranding といい、真正面からアメリカ論を語ろうとするゲームはなぜ非アメリカ製ものばかりなのでしょうかね。グレート・アメリカン・ゲームという概念があるのかどうかは知りませんけれど。


ライフ イズ ストレンジ 2 - PS4

ライフ イズ ストレンジ 2 - PS4

  • 発売日: 2020/03/26
  • メディア: Video Game

*1:オリジナル版のFF7のオープニングカットも今見るとかなり映画を意識しているのがわかる

*2:そもそも論理パズルと見た場合にはデザインにいくつもの欠陥があるし。

*3:わたしは全然観てないけれど、よくネット番組とかでやってる芸能人のリアル人狼がいちばん人狼コンテンツの売り方として正しい気がする。視聴する側が「キャラ」を楽しめるという点で。

*4:存在がわかりにくいですが、ちゃんとあります

*5:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200504-00010000-globeplus-int&p=2

*6:他に「アメリカ側からメキシコに亡命しようとする話」で真っ先に思い浮かぶのは(犯罪映画とかを除くと)『サウスパーク』だったりする