名馬であれば馬のうち

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2010年代のTVアニメ/海外アニメ/アニメ映画の年別ベスト

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highlandさんが「テン年代のTVアニメベスト10」という企画? をやっていたので便乗していろいろ考えます。考えるうち、海外のやつも映画もやりたいなー分けたいなーとおもったので、全部やることにしました。
わたしはそんなにTVアニメを見る人ではありません。通しで視聴するのはピーク時でもせいぜい年に二桁をやっと超えるくらい。しかも最近は減少傾向にあります。そもそも2010年くらいまでは深夜アニメを見る文化を持っておらず、というか、だからこそ、まがりなりにもその上っ面に振れるようになってからの2010年代アニメ群に自分なりの愛着を抱くのでしょう。だからここにあるのは批評的な態度ではなく、個人的な思い入れです。ご了承ください。
海外アニメの視聴本数は輪をかけて少ないわけですが、人生に与えた影響では同等なので枠を分けました。
アニメ映画のほうは、全体の本数における視聴済みの割合ではTVアニメより多いハズ。
以下、海外アニメは製作国での発表年に準じます。
2019年のものはいずれも暫定。

TVアニメ

10 探偵オペラ ミルキィホームズ
11 ジュエルペット サンシャイン
12 人類は衰退しました
13 ゆゆ式
14 ガンダム Gのレコンギスタ
15 ユリ熊嵐
16 フリップフラッバーズ
17 少女終末旅行
18 宇宙よりも遠い場所
19 さらざんまい

こうして眺めてみると、スラップスティックというか、アホな話が好きなんだなあ、という感想です。

2010年は『四畳半神話大系』と『STAR DRIVER』という名作もあったわけですが、選ぶにあたっては迷いませんでした。『ミルキィホームズ』がなかったら、わたしはTVアニメを観ていなかったでしょうし、少なくともその時期に進んで探偵小説を読もうという気にならなかったでしょうし、なんとなればいまもこうして生きていなかったでしょう。ミルキィホームズはわたしに探偵とは何か、人生とは何かを教えてくれました。

2011年は一番難しい年ですよね。ここに選者ごとのアニメ観が出るといっても過言ではないと思います。なにせ、『魔法少女まどか☆マギカ』、『輪るピングドラム』、『放浪息子』、『TIGER & BUNNY』、『UN-GO』、『THE IDOLM@STER』、『FATE/ZERO』、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』等々が並び立つのです。素人目にみてもコレなのですから、深夜アニメファンならきっとさらに頭を悩ませることでしょう。で、そんな名作たちから己のたましいに最も正直なひとつを選ぶなると、『ジュエルペット サンシャイン』ということになります。なってしまうのですね。

ひるがえって、2012年は違う意味で選ぶのに困る。比較的観ていた時期に入るはずなのですが、思い入れのある作品がない。世間的には『ガルパン』とか『アイカツ!』とか『坂道のアポロン』とかなのでしょうが……。『人衰』を選んだのは原作を好きだったのが八割な気もしますが、アニメもよくできていたとおもいます。原作を損なわないアニメ化というのはそれだけで偉業なのです。あとOPとEDがすばらしくいい。オリジナルなら『AKB0048』でしょうか。わたしは人道主義者なのでアイドル文化というものがきらいなのですが、アニメになると人権侵害が免責されるのでオッケーということになる。アンチ回がすき。

2013年、あるいは『たまこマーケット』か『てーきゅう』か。実は『キルラキル』全話見通したことないんですよね。これまで五回くらい挑戦してるんですけど、だいたい三話くらいでなんか満足してそのままになってしまう。一話ごとのカロリーが高いせいかもしれません。目の食が細い。


2014年はSFに良作がそろっていた印象ですけれど、まあ〜〜〜〜〜〜……Gレコか。ガンダムというかロボットアニメはそもそもあまり観ないのですが、なんかこれはスルッと入った。

2015年は『ユリ熊嵐』か『シンデレラガールズ』かということになる。『ユーフォニアム』でも良かったけれど、リアルタイムでは観ていなかった。『ユリ熊嵐』は幾原アニメのなかでもそんなに評価の高いほうではないと思うのですが、個人的には、演出がいちばんシュッとしてて好きなほうです。ピンドラより上にくるくらい。今でもたまに見返します。世評に反して、という点では翌年の『鉄血のオルフェンズ』も嫌いではない。

2016年は渋い作品が多いですね。『落語心中』が一番人気らしいですけれど、わたしは観てはいません。原作を読んでいる作品はその原作が格別に好きというケース以外、あんまり積極的に観ないんですよね。『だがしかし』とか『甘々と稲妻』とかもその枠。せっかくならオリジナルアニメを評価したいという気持ちもあります。となると『ルル子』か……『フリップフラッパーズ』。フリフラですね。百合に疎いわたしが綾奈ゆにこという狂気を知るきっかけになった作品です*1

2017年、オリジナルを評価したいなどと抜かした舌の根も乾かぬうちに原作つきの『少女終末旅行』を挙げたわけですが、いやだってこれはしょうがなくないですか。エンディングを原作者が描いてるアニメがどれだけあるっていうんです?

2018年、『プラネット・ウィズ』のことはうつくしい思い出として胸に留めましょう。たとえ『惑星のさみだれ』がアニメ化されることがなくなったとしても、わたしたちは水上先生から十分以上のプレゼントをもらったのです。『あそびあそばせ』、『ハクメイとミコチ』、『三ツ星カラーズ』、『ヒナまつり』、『ポプテピピック』と好きな漫画原作をちゃんとしたアニメにしてくれて嬉しかった記憶のある2018年ですけれど、なんといっても『宇宙よりも遠い場所』。ここ十年でもベストなストーリーだと思います。

2019年はあんまりアニメ観る気になりませんでした。こうやって人は朽ちていくのかもしれません。


海外

10 レギュラーSHOW
11 おかしなガムボール
12 グラビティ・フォールズ
13 リック・アンド・モーティ
14 ボージャック・ホースマン
15 ぼくらベアベアーズ
16 アニマルズ
17 ビッグ・マウス
18 サマー・キャンプ・アイランド
19 トゥカ&バーティ

どれもめむちゃくちゃおもしろいんですけれど、とりわけ10〜11年に個人的な傑作が集中しているんですよね。人生に影響を与えたアニメランキングではトップ10に入りそうな『マイ・リトル・ポニー〜トモダチは魔法〜』や『アドベンチャー・タイム』なんかも2010年ですし。『スティーブン・ユニバース』は2013年か。単によく観ていた時期がそこっていうこともあるんでしょうけれど。
アメリカの大人向けアニメは長寿プログラムが安定して抜群におもしろくてチャレンジングという美点があり、『シンプソンズ』とか『サウスパーク』とかそういう感じなんですけど、あんまり日本じゃ配信してくれない。『シンプソンズ』は一時期 Hulu でやってましたし、『サウスパーク』は今ネトフリで観られますけれど。
近年はネット配信のオリジナルにイイのが多いですね。『ヒルダ』(ネトフリ)とか『アンダン』{アマゾン)とか。
わたしが好きになる海外アニメの傾向はわりにはっきりしていて、ダメな人間(人間でない場合が多いですが)が主人公です。
『レギュラーSHOW』や『ぼくらベアベアーズ』を観ていると、ああ、人間ダメでも愉快に暮らせるもんなんだな、という心持ちになります。一方で『ボージャック・ホースマン』や『トゥカ&バーティ』を観ているとやっぱりダメじゃいけないんだな、ともおもいます。なったりおもったりしたところで今日明日の生き方に影響はでないわけですが、まあ作品として心には残りますね。愛という感情が。


映画

10 トイ・ストーリー
11 ランゴ
12 おおかみこどもの雨と雪
13 風立ちぬ
14 LEGOムービー
15 映画 ひつじのショーン 〜バック・トゥ・ザ・ホーム〜
16 ズートピア
17 夜は短し歩けよ乙女
18 リズと青い鳥
19 天気の子

特にいうことはありません。ただ、新海誠映画が自分のなにかしらのベストリストに入ることになるとは去年まで予想もしていなかった。『スパイダーバース』が2019年だったなら(アメリカでは2018年公開)もうちょっと悩んだかと思いますが。リズ鳥となら迷わない。
この前観てすげーよかった『ロング・ウェイ・ノース』も2015年なんですよね。罪作りなことです。公開されないよりはいいか。

*1:きんモザ』もよく考えたら狂ってたな、と思い返したりもした

クリシェじゃないのよ。ーートレイ・エドワード・シュルツ監督『クリシャ』について

(Krisha, トレイ・エドワード・シュルツ監督、2015年、米)


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『クリシャ』について


Krisha (2015) Official Trailer


 最近の、あるいはむかしからそうだったのかもしれないけれど、アメリカのインディー映画は一幕目で出した銃を三幕目で撃つより、銃がなぜそこにあるのかを映画全体のストーリーテリングによって観客に想像させるほうが好みらしい。
『クリシャ』における撃たれない銃は欠けたひとさし指だ。

 物語冒頭、主人公クリシャは六十代の老体には重そうなトランクをひきながら妹の家を訪ねる。
 その扉の前でさりげなく包帯のまかれた右手のひとさし指が示されて、観客はオッ何かあるなと身構えるわけですが、期待に反してその傷の由来が説明されることはついにない。欠落や違和感を即座に伏線として認識するような、鍛えぬかれた現代の物語鑑賞者たちは肩透かしを食らうだろう。
 けれど作品の文脈的に、監督の「語らない」という選択は正しい。『クリシャ』は、監督であるトレイ・エドワード・シュルツが自分の親類を題材にし*1、自分(自身を含めた)の親類を役者として起用した、極めて私小説的な映画だからだ*2。いや、私小説というよりはホームムービーに近いのかもしれない。伏線とその回収は、物語世界を作り物として見せてしまう副作用があるけれど、『クリシャ』は自然主義的な撮りっぱなしの作法とはまた異なるところであえて放置しているようにおもう。
 あえてあえての説明のなさ。人工的に造られた自然な不自然さ。埋まらない欠落。そこに案外2010年代後半からのアートハウス系現代アメリカインディーホラーの潮流の鍵が眠っているのかも。

 観客は主人公クリシャを寄り添うように追うカメラに導かれ、クリシャ一族の感謝祭パーティへ放り込まれる。合わせて十数名ほどの親戚縁者のうち、クリシャとの関係が明示されるのはほんの数名だ。しかも明かされるにしても、ほとんどの場合、物語が始まってからけっこう経った時点なので、とにかく序盤は話が掴みづらい。
 映画なのだから我慢して観つづければ映画的に決定的な瞬間がいつかは訪れるだろう。そんな経験則にたのんで、観客はなんだかよくわからない不安定なクリシャにつきあっていく羽目になる。
 映画の編集も精神的な疾患を抱えているっぽい*3クリシャの認知に沿ったつくりとなっていて、時系列が微妙に前後していたり、本筋と関係ない映像や音声があったりとみょうにノイズが多い。挙句の果てには不協和音めいたBGMがクリシャの不安と連動するかのようにえんえん鳴り響く。
 登場人物たちを把握しきれないはがゆさとノンリニアな語り口のままならさは、本来あまり共感的なキャラといいがたいクリシャの感情を観客へとリンクさせるだろう。

 すなわち、疎外感。

 最もプリミティブなはずの「家族」という名の輪にひとりだけ外される。戻りたいのに戻れない。自分はそこに属しているべきなのに、属せない。
 その悲しさを私たちは親密に共有しつつ、一方でおもう。でも、しょうがないんじゃないんじゃないか。よく知らないけれど、あなたの現状を見るかぎりでは。
 クリシャは泣きわめく。「私だって頑張ってきたのよ!」
 観客は彼女の「努力」を知らない。クリシャの家族も彼女の「努力」を知らない。見えるのは結果だけだ。今この瞬間のぶざまさだけだ。

 他人の人生や家庭の一場面をアイスクリームのスクープですくうようにえぐりとって覗き、判断する。映画はそうした傲慢さを前提とする*4物語装置で、トレイ・エドワード・シュルツはそのいやらしさを自覚的に使い潰す。
 なにがいちばんずるいって、クリシャの執着する息子役を監督自身が演じているところだ。役名まで「トレイ」。*5映画監督志望だったけれど大学では経営学の道を選んだという背景まで反映されている。*6
 観客の眼に否応なくメタ視点のレンズを取り付けて、ご近所さんのゴシップ的な窃視欲をひきずりだす(それこそシチメンチョウの内臓を取り出すような手際で)監督のいじわるさは第二作となる『イット・カムズ・アット・ナイト』でもいかんなく発揮されている。
 

It Comes At Night | Trailer #2 | A24


2015〜16年にかけて当時無名だった若手監督によるものとして特に話題になったホラー作品が三本あって、ひとつはデイヴィッド・ロバート・ミッチェルの『イット・フォローズ』、ひとつはロバート・エガース『ウィッチ(The VVitch)』、そしてもうひとつがこの『クリシャ』だった。
 三作とも今ふりかえれば、さまざまな点においてアリ・アスターの『へレディタリー』を準備していたといえなくもない時代性をまとっていた。唯一『クリシャ』だけが日本公開されずにおわるのは悔やまれるところだったけれど、この2015年における「欠けたひとさし指」を上映にまでもっていったグッチーズ・フリースクールさんは、ほんとうにいい仕事をしたとおもいます。


Waves』について


WAVES | Official Trailer HD | A24


 そして気になるシュルツ監督第三作にして最新作の『Waves』。すでにアメリカではテルライド映画祭にてプレミア上映され、批評家筋からも高い評価*7を集めている。10日にはアカデミー賞前哨戦トロント国際映画祭でお披露目される予定だ。
 主演は『イット・カムズ・アット・ナイト』にもメインで出演したケルヴィン・ハリソン・ジュニア、共演にはエミー賞常連で『ブラックパンサー』や『ザ・プレデター』でも存在感を発揮したスターリング・K・ブラウン、ドラマ『ロスト・イン・スペース』で注目をあびたタイラー・ラッセル、そして『マンチェスター・バイ・ザ・シー』以来活躍の著しいルーカス・ヘッジスなど。
 内容は父子の関係に焦点を当てたいつものシュルツの家庭不和ホラーかとおもいきや、後半からおもいがけなく「感動作」になってくるそうで、シュルツとしては新境地っぽい。英国ガーディアン紙は「今年最も視覚的に驚嘆した映画」として五ツ星を与えている。
 インディーの余韻を残しつつもジャンル映画を脱してステップアップした一作であろうと予想され、トロント国際映画祭の評判次第ではアカデミー作品賞の候補にもあがってくるはずだ。
 トレイ・エドワード・シュルツはまだ三十歳。アリ・アスター、ロバート・エガース、サフディ兄弟、ボー・バーナム、グレタ・ガーウィグといった80年代生まれ*8の”A24ギャング”でも、A24究極の秘蔵っ子としていよいよ飛躍していくだろう。


*1:物語の核となるクリシャの設定はシュルツの父親といとこに依ったらしい。(https://www.npr.org/2016/03/16/470668069/we-couldnt-save-them-lessons-from-a-film-about-family-and-addiction)クリシャを演じるクリシャ・フェアチャイルドはシュルツの叔母にあたり、クリシャの姉役がシュルツの実母。祖母はそのまま祖母役で出演。ややこしい。

*2:シュルツ監督は精神科医を本業とする実母に出演を頼むにあたり、ジョン・カサヴェテスを引き合いに出したらしい。返ってきた反応は「だれ、それ?」https://nofilmschool.com/2016/03/trey-edward-shults-breakout-film-krisha-was-shot-9-days

*3:原因が何であるかは終盤になって明かされる

*4:二時間の映画で語られうる物語は小説に換算すると短編一本分、というのはよく言われる話だ

*5:ちなみにクリシャも本名は「クリシャ」。出演陣のほとんどは実名=役名に設定されている

*6:監督も両親に映画の道をいったん反対されたという過去があったようだ。「私の両親はビジネススクールを出て学位を取得し、いい仕事を得ることを私に望んでいました。」結果的に、彼は大学を中退してテレンス・マリックの現場に参加しながら映画を独学する道を選ぶ。https://nofilmschool.com/2016/03/trey-edward-shults-breakout-film-krisha-was-shot-9-days

*7:rotten tomatoes で9月8日現在、12個のレビューで支持率100%。スコアは8.8

*8:バーナムだけは90年生まれだが

twitterのアカウントが消えた。



 おまえがメキシコに戻ってきたのは、生者といるより死者といるほうが落ち着くからだ。


 ――ドン・ウィンズロウ田口俊樹・訳『ザ・ボーダー』

【あらすじ】

  10年くらいやってた twitter のアカウントが消えた。

https://twitter.com/nemanoc


【経緯】

 
 ふだんいじらない各種設定欄をいじってるうち、プロフィール欄全部埋めちゃえ生年月日も埋めちゃえというノリになり(深夜0時ごろだった)、2005年生と大嘘を提出。
 13才以上ならイケたはずという算段だったものの、それまであらゆる軽口をアルカイックに流していた twitter さんがとつぜん「”登録時の年齢”が13才以上じゃないとダメなの! 2009年時点だと4才じゃん!! 死ね!」とマジギレしだし、秒でアカウントが停止してしまう。
 返してほしくば政府機関の発行する身分証を出せということなので、おとなしく保険証に黒塗りをかけて提出した。

 すると今度は返信メールで「顔写真がないとダメ」とか抜かしやがる。最初から言えよ。
 顔写真つきの身分証といえば要するに運転免許証なのであるけれど、わたしは免許証というものを持たない。
 パスポート探すのもめんどいし、役所に頼るとなると光年の彼方の気分です。ネトフリで『グレート・ハック』見た直後でもあったし、ぶっちゃけよくわからん理由で twitter ごときにセンシティブな公的書類わたしたくねえ……。
 てきとうにすむやつないかなー、と財布をひっくりかえして出てきたのが動物園の年間パス。
 写真も名前も歳も有効期限も示されてるし、いちおう公的機関発行でもあるから大丈夫だよねーこれでダメなら明日またパスポート探すなりすればいいし、で提出して後はどうにかなるさと肩を組んだ。


 もちろん大丈夫なわけはありません。どうにかもならない。肩を組んでる場合ではない。

 そのうえ、証明画像のアップロードにまごまごしていたせいで twitter さんの逆鱗に触れたらしい。*1
「もう貴様からのお問い合わせは受け付けません。ツイをつづけたいなら新しいアカウントを作れ!! さもなくば死ね」
 とお叱りを受け、わたしは死んだ……。*2

【敗因】

 ふだん表面に見える活動から twitterTSUTAYAなみにルーズな企業だと侮っていたので、個人照会もTSUTAYAのノリでいけるだろうと考えてしまった。

【かなしいこと】

・フォローしていたおともだちの大半が失われてしまった。彼らから見ればわたしが死んだことになりますが、わたしから見たら彼らのほうが大絶滅。わたしたちはもう二度と『将太の寿司』で盛り上がる世界を目撃することはないだろう。
・過去のフォロー欄にもアクセスできないので、誰をフォローをしていたか九割がた思い出せない。
・nemanoc というID、上半分がまるくておさまりよくてかわいくて好きだったのに二度と使えなくなった*3
・過去ログが全部消えた。定期的にバックアップは取っていたんだけど、ここ半年くらいはアップデートしてなかったのでそのあいだに見た映画の感想とかもう見られない……。年末のまとめとかつくるのに難儀する。



【今度の方針】

・特に以前と変わらない。
・数ヶ月前に別アカ的なものをこしらえていたのでとりあえずそっちに移るっていうか合併する。*4

twitter.com


・思い出せるかぎり前にフォローしていた人たちをちょくちょく見つけていく。せっかくだし以前とは違うTLを作りたいというアレはある。
・アカウントが変わるとふしぎなもので、実際上はなにも変わっていないはずなのに、ポストする文の感触が変わってくる。ほんの一時的な現象なのかもしれません。
・子供のころにインターネットをはじめてから、数年ごとにハンドルネームを変えながら生きてきたのだけれど、nemanocは6年?*5くらい続いて、これが終の名になるのだろうか、ツイだけに……と予感していたところにこれですから、なんといいますか、連続して在るのはむつかしいですね。かつてわたしたちは四肢と頭によって統合された肉体だけが身体だったけれど、今やインターネットに不可視の王冠かぶった自分の複製がいる。それは無料で登録できる不滅でもある一方、いともたやすく失われもする。
・誰もが簡単に死ねるのに死ねない。ならば、どう死ねばいいのか。レベッカ・ソルニットも「忘却ではなく手放す技法こそが肝要なのだ」といっているのだし、意図するにせよしないにせよ過去を洗い磨いていくための切断は大事なのだとおもう。あるいは忘れられることによって自分も研ぎ澄まされていくのかもだけれど、そういうのは年をとると怖くなるよねえ。
・というわけで半端にわたしの twitter はつづいていくのです。
 

【教訓】

・余計なことはしないほうがいい。

暗い鏡の中に (創元推理文庫)

暗い鏡の中に (創元推理文庫)

*1:具体的には、証明書類の提出回数には制限があったらしいのだが、勝手がわからず同じ画像をアップロードして送りまくっていたらあっというまにその制限を超えたらしい。

*2:ちなみに基本的に twitter は想定されうる状況ごとに用意された専用のフォームからしか問い合わせを受付ず、定形外の事態に遭遇しても説明する手段がない。

*3:twitter で一度取得されたIDは消えても(自主的な削除だろうがBANだろうが)再取得できない

*4:そっちはもともと創作用のアカウントだったのだけれど、考えてみれば創作はほとんどしていないので開店休業状態だった。

*5:twitter始めてから数年は別のIDだった