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新潮クレスト・ブックス全レビュー〈9〉:『トリック』エマヌエル・ベルクマン

エマヌエル・ベルクマン『トリック』、Der Trick、 浅井晶子・訳、ドイツ語



魔術っていうのは、素晴らしく美しい嘘なんだよ
  p.141


トリック (新潮クレスト・ブックス)

トリック (新潮クレスト・ブックス)


 ロサンゼルスに住むユダヤ人の少年マックスは両親の離婚危機に動揺していた。彼は父母を仲直りさせようと、父親の古いレコードに吹き込まれた魔術師「大ザバティーニ」の愛の魔法を頼る。が、レコードが壊れていて肝心な愛の魔法が聞き取れない。そこで彼は大ザバティーニ本人を探そうと決心する。
 一方、所変わって二十世紀初頭のプラハオーストリア=ハンガリー帝国に徴兵されたとあるラビが大戦から帰ってくると、妻から不意の妊娠を聞かされる。不貞を疑う夫に対し、「父親は神様」と強弁する妻。夫は”神の意志”を受け入れ、やがてモシェという男の子が生まれる……。
 生まれた国も時代も異なる二人の少年の運命が、数奇な変遷を経て交錯する、というお話。

 あらすじのとおり、本作は二つの筋が交互に語られていく。片方はロサンゼルスのマックス少年が「大ザバティーニ」を探すパート。もう片方はラビの息子であるモシェ少年が、二十世紀前半のヨーロッパをマジシャンとして生き抜くパート。
 当然、後者ではナチスドイツが大いにからんでくる。予言を得意とするペルシア人マジシャンに扮したモシェが、手八丁口八丁でオカルト好きのナチス高官たちの信頼を得ていくさまはちょっとした詐欺師ものの趣を呈している。
処女懐胎」という母親のウソから産まれたモシェは言ってみればウソのキリストだ。出自や名前を隠すのはマジシャンとしてのビジネスのためでもあるし、苛烈なユダヤ人迫害から逃れる手段でもある。しかし彼の仮面もナチスの暴力の前にやがて剥ぎ取られてしまう。丸裸でモシェは受難と相対させられる。その虚実の裂け目にこそ、奇跡の種が宿る。
 一方、ロサンゼルスのマックス少年は彼の民族の歴史的悲劇から遠く隔たった場所にいる。彼を襲っているのは政府による民族浄化ではなく、大好きな両親の仲違いだ。
 純粋なマックス少年は魔法を信じ、魔法に頼ろうとする。だが、彼の両親にとって夫婦間の愛情の喪失と離婚問題はどこまでも現実だ。そのギャップをどう埋めていくのか。寓話のようなモシェパートとは対照的に、マックス少年の奮闘は都会的なユーモアでもって描写されていく。
 正直な話、本作は小説的にはあまり上手くいっていないところが多い。
 交互に語られる二つのパートが直接的に交わるような場面はほとんどないし、二つの物語の結節点となる「奇跡」もあまり周到に準備されたものとはいえない。『トリック』という題名からクリストファー・プリーストばりの技巧的なストーリーテリングを期待する向きもあろうが、本作はむしろ素朴で素直なジュブナイルとして読まれるのが正解だろう。
 それもどちらかといえば、マックス少年ではなく、モシェ少年を救う話として。
 モシェ少年の半生は孤独に覆われている。だがそれは自ら望んだ孤独ではなく、政治と歴史によって強いられたものだ。暴力的に記憶やアイデンティティを引き千切られたユダヤ人が自分のつながりを回復するーーキュートな見た目でありながら、壮大な射程を見通した物語だ。
(1271文字)