名馬であれば馬のうち

読書、映画、その他。


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困難さを物語ることについて:『Celeste』のレビュー



 たったこの25メートルを攀るためだけに/これまでの20年間はあったのではないか
 こんなことはもう二度と/できないだろう
 もう何も/俺の中には残っていない
 気力とか体力とか言葉で言いあらわせるもの/じゃなく 言いあらわせないものまですべて/この攀りに使ってしまった
 そして手に入れたのが あとひと晩か数時間/生きてもいいという権利だ


 神がとか幸運がとは言わない
 このおれがその権利を手に入れたのだ


 作・夢枕獏、画・谷口ジロー神々の山嶺



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困難な読書という物語体験


 ゲームだけが読み進めることの困難さを物語に組みこめるのではないか。


 なるほど、他の媒体でも文体その他の変化によって体感時間を操作することはできるかもしれません。しかし,受け手の細かい挫折をあられもない形で物語に同期させることができるのは、ゲームの有する高度なインタラクティブ性以外にはありえない。

 celeste はそれに気づきました。



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 celeste は山に登る話です。鬱とパニック障害を抱えた女性がいくつかのステージに分かれた雪山を踏破するうち、自分の内面と向き合い、それを克服していきます。自分探しの一種、といえるかもしれません。擬人化された自分の心と闇と戦い、乗り越える。そんなあらすじや劇中交わされるセリフだけ取れば、凡庸な印象しか受けないかもしれません。

 しかし、そうした平凡なプロットが、死に覚えプラットフォームアクションゲーム*1というジャンルと、開発者マット・ソーソンによる巧みな演出と組み合わさったとき、じつに深い物語体験をプレイヤーにもたらしてくれるのです。


死に覚えプラットフォームアクションとはなにか

 死に覚えプラットフォームアクション。聞きなれないジャンルかもしれませんが、それもそのはずで、わたしがいまさっきてきとうに付けたジャンル名です。

 super meat boy、BitTrip Runner、They Bleed Pixels、Ori and the Blind Forest、The End is Nigh、そしてCuphead といった「ステージクリアのロジックを覚えるために、そのステージで何度も死ぬことが前提とされる」タイプのゲームを個人的にそうくくっています。これらは他のプラットフォームアクション、たとえばマリオやカービィなどと違って、初見でステージをクリアするのが不可能である場合がほとんどです。が、繰り返される死はテレビゲーム黎明期のアクションパズルによくあったような理不尽な難易度によるものではなくて、正解のルートをゼロから探り出すべく費やされる明瞭で意義深い死です。

 ステージ開始時にはほとんど無限だった選択肢が十数度、時には数十度の試行錯誤の後、たった一本のシンプルな動線に収斂する。その正解した線をなぞるときの昂揚感は無類です。
 ゲームは、努力が必ず報われる数少ない現実のひとつですが、死に覚えプラットフォームアクションでは失敗が必ず成果となって報われます。しかも経験値は画面上のステータスなどには反映されず、プレイヤー自身の身体に蓄積されるため、達成したときの「自分でやった」感がデカい。

 で、自力本願の成功体験そのものがプレイヤーにとっての「物語」になるためか、死に覚えプラットフォームアクションでは、ゲーム上において濃厚なストーリーが語られることはほとんどありません。あったとしても、それこそマリオ的な「お姫様が悪人にさらわれた」程度の薄さにとどまることが多いです。上記で挙げた死に覚えプラットフォームアクションも、サイレント映画的とさえいってもよいほどに言語性をそぎおとしたものが大勢を占めます。
 

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死を繰り返すことによって生まれる物語体験

 celeste も、表面上は、そうした定型の範疇からそれほど逸脱していないようにおもわれます。プレイ中に展開されるキャラたちのセリフ量は、死に覚えプラットフォームアクションとしてはたしかに異例です。
 ですが、たとえばRPGなどのテキスト量や物語の厚みとは比べものにならないほど簡素です。スピーディさを求められる死に覚えプラットフォームではしょうがないことといえましょう。おそらく、「このジャンルで詰められるテキストはこれくらいが限界ではないか」という開発者の計算がはたらいたのではないでしょうか。
 
 その代わりに、開発者たちはストーリーをアクションやマップデザインの演出によって補いました。
 たとえば、ライバル的な敵キャラが、はじめは「主人公を追いかけ、追い詰めていく存在」として登場するのに、クライマックスでは逆に「主人公に追いかけられる存在」になる。この反転はストーリーと連動しているのみならず、その敵キャラが主人公にとってどういう人間であるか、そして本作の物語的テーマを考えたさいに無間の奥行きを与えてくれます。
 また、途中でマップが茨だらけのステージが登場するのですが、これもそのときの主人公の心情と関係しています。
 そして、作中で繰り返し用いられる上昇と下降のアクション。特に「一度底まで叩き落された主人公が自力で一歩ずつ這い上がっていく」くだりや、「自身の弱さと『手を繋いで』上昇していく」演出は気の抜けない操作に没入している間隙をすりぬけて、プレイヤーの胸を打ちます。*2


ですが、何よりゲームのストーリーと密接にからみあうのは「何度も失敗する(死ぬ)」という死に覚えプラットフォームアクションの特性そのものでしょう。
 たったひとつの段差に登るために、五回死ぬ。あるいは十回死ぬ。ようやくその段差にたどりついても、その次の段差へ至る過程でまた死に、セグメントを最初からやりなおすはめになる。三歩進んで二歩下がり、時には三歩進んで三歩戻される。そのあいだ、表面上のストーリーは一歩も進行しません。

 不毛な挑戦を繰り返すうち、疑問が生じます。自分は進んでいるのか? このやり方で、このルートであっているのか? もしかしたら、今こうして死に続けているのは何もかも無駄で、自分は永久にこのゲームをクリアできない運命にあるのではないか? 自分には無理なのではないか?
 
 その瞬間において、超克すべき対象は実は動く足場やプレイヤーを妨害してくる邪悪な雑魚敵などではありません。
 自分のなかに芽生えた疑い、自分自身の弱さです。
 そのとき、プレイヤーと本作の主人公の敵が一致します。わたしたちは「彼女」に同期し、「彼女」の物語はわたしたちの物語になります。プロットのレベルでも、心のレベルでも、です。
 だからこそ、登りきったときの感動がなにものにも代えがたい。


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 ちなみに、このゲームではゲーム中に死亡した回数も記録されます。*3ステージごとの最小死亡回数ではなく、純粋な総死亡回数。普通のプレイヤーは自分が「失敗した」回数など見たくもないもので、死に覚えプラットフォームアクションとはそうした俗世の数字を超越した彼岸に至るトリップ体験を志向するものです。
 なのに、celeste では見せる。あなたはこのステージで165回死にました。全面クリアまでに1387回死にました。そんな不快な事実をプレイヤーの眼前に叩きつける。


 なぜなのか。
 開発者のマット・ソーソンは「死亡回数表示をプレイヤーがそのステージにつぎ込んだ労力を反映させるためのものにしたかったから」だと述べています。

そう、celeste は「つぎ込んだ労力を反映する」数字を見て嬉しさをおぼえるタイプのゲームなのです。本作のおいて「失敗した数」とは、前に進もうと試みた回数を表すのであり、そしてプレイヤーがそれだけ挑んだ自分を誇れるようにデザインされています。
 あなたは1000回失敗した。それでも、やり遂げたのだ。無言でそう褒めてくれるのです。
 嫌味なく褒めてくれるゲームはそうありません。作業的なレベル上げを繰り返してボスを倒して「よくやった!」と祝福されてもなんだか微妙な気持ちになりはしませんか? 
 celeste の嫌味のなさを支えているのは繊細なレベルデザインでしょう。三歩進んで二歩下がるも、実はそれ以上は後退しないように巧みに配慮されたロジカルなステージ。学習する気力さえあれば、チートモードに頼らずとも大多数のプレイヤーがクリアできるような難易度。
 「自力でやってのけた!」というわたしたちの達成感は、開発チームの手のひらでの満足なわけですが、そうした高度なデザインを実現したゲームがどれだけあるでしょうか。


 他にも称えるべき要素はいくつもあります。ローファイでありながらも温かみのあるグラフィック、繰り返しプレイの障りにならず常に心をなごませてくれる音楽、プレイヤーのチャレンジを誘うやりこみ要素……
 まさしく、2018年でもceleste(天上)級に数えられるインディーゲームではないでしょうか。




――何故山に登るのか
 何故 生きるのか
 そんな問いも答えも/ゴミのように消えて
 蒼天に身体を意識が突き抜ける
(中略)
 天と地との境目につづく天の廊下だ
 マウントエヴェレストへと向かう一本の雪の廊下


作・夢枕獏、画・谷口ジロー神々の山嶺

*1:プラットフォームゲームとはまあざっくりスーパーマリオとかドンキーコングみたいなアクションゲームを指すジャンルです

*2:おそらく、この「キャラ操作に集中している最中にストーリーを語られる」手法が ign JAPAN のレビューで否定的に取られてしまった原因なのでしょう。http://jp.ign.com/celeste/21506/review/celeste

*3:ステージごとに記録される細やかさ