読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

名馬であれば馬のうち

読書、映画、その他。


読書、映画、その他。


良い地獄を待っているーー『魔女の子供はやってこない』を読むための六夜(1)

 

 フィクションを読む、とは、こうした記述の運動を把握し、固有の色彩とマチエールを味わい、複数の動きがあるなら相互の関係を見出し、あるロジックを持つ総体に組み上げ、評価することだ、と、取り敢えずはしておきましょう。
佐藤亜紀『小説のストラテジー』ちくま文庫

 

 イメージこそ事件なんだというのが、ぼくの主張です。
フロベールからルイーズ・コレーへの手紙、ナボコフナボコフの文学講義 上』河出文庫

 

 

 


 矢部嵩による魔法少女文学の最高峰『魔女の子供はやってこない』(角川ホラー文庫)で読書会を主催することになってしまいました。
 つきましては覚え書き的なものが欲しい。物覚えが悪いので、そういうものがないと話したかった細部を忘れてしまいます。*1

 矢部嵩はエモーションの作家である、と概してみなされがちで、かくいうわたしも文体のエモさにやられてファンになったクチです。
 しかし、小説は「なんとなくエモそうな文」を並べれば、そのまま「エモい小説」になるわけではありません。エモい物語におけるエモさとは感情誘導技術の結晶です。
 矢部嵩作品も実は緻密な技術の粋でできています。それを成り立たせているのは特定のイメージの反復と接続です。それらの記述の軌跡を「運動」と呼んでもいいかもしれない。かつて佐藤亜紀は「物語だと我々が思い込んで読んでいるのは、しばしば、「運動」のことである」と宣しました。その運動をこれから一緒にたどっていきましょう。基本的には各話の筋をあたまからけつまで割る方向なので、ネタバレに注意してください。

 

第一話「魔女マンション、新しい友達」

第一章「帰り道で」

『魔女の子供はやってこない』は世界の解像度、あるいは視力についての記述からはじまります。
 

 奥から空が暮れ始めていました。

 


 この簡潔な書き出しはこれから語られる物語が「夜」に属する系統の話であることを宣言しています。が、コンセプト説明の役割を託された第一話に関するかぎりでは、二行のちに続く段落がより重要だとおもわれます。

 

 レンズの端の汚れに気付いて、かけていた眼鏡を外すと町はかすんで、文字のない国にいるみたいでした。眼鏡を拭いてまたかけ直し、暗くなった通学路を私は再び歩き出しました。


 このパラグラフは終盤にエモい形でパラフレーズされます。要素としては眼鏡も「文字のない国」というフレーズも以後の五話にわたって繰り返し反復されていくことになります。ここでは、さしあたって、主人公・安藤夏子が視力に劣った人物であるという属性が示されます。夏子は優柔不断で、ぼんやりした人物です。そのキャラクター設定は物語全体のテーマと深く結びついています。
 そもそもの事件のきっかけも彼女の視力の悪さ、迂闊さからもたらされます。下校途中に家の合鍵をなくして探すうち、ふしぎなステッキを発見する。そこで日常が分岐し、非日常的な物語へと発展していくわけです。
 ステッキを発見する場面はなにげないながらも、第一話の根幹を問う上できわめて興味深い。

 

 何かいいことがないかなと思いながら歩いていると、前方に奇妙なものを見つけました。


 鍵をなくして落ち込んでいる夏子が「なにかいいことがないかな」と「ねがいごと」をして、ステッキがもたらされたように読めます。このステッキは周り回って、最高の親友という夏子が(望んでいると自覚していない)ほしがっていたものに交換されるわけですから、なんとなれば魔女に出会う以前、ステッキを拾う以前から夏子をねがいごとをして、それをかなえてもらっていたのです。
 ラストの構造的仕掛けを考慮するならば、ねがいごとは最初からただしく理解され叶えられる予定であったわけで、それを一般的なことばで表現するとなると、運命と呼ぶにふさわしいでしょう。

 ステッキには魔女の住所が記されています。それで持ち主であるらしい魔女が「自由町」に住んでいることが知れる。「自由町」は「自由帳」に通じることばで、第一話を通してちりばめられている絵画のイメージはここに端を発します。


第二章「拾ったステッキ」

 第二章は第一章の出来事を語った夏子に対する友人たちの反応ではじまります。小学校の教室における夏子とその友人たちの描写は一見なんの変哲もない仲良しグループといった趣ですが、実はすでに破滅へと至る種子がそこかしこに蒔かれています。
 まず、友人五人の名前をみてみましょう。餡子、小倉、ずん田、村雨、そして厳密には三章からの登場になりますが、うぐいす。
 いずれもアンコ由来(餡、小倉餡、ずんだ餡、村雨餡、うぐいす餡)のネーミングです。ここに加わる安藤夏子の「あんドーナツ」は相性が良いに思われます。ところが、よくよく考え視てみると、他が純和製の菓子であるのに対して、あんドーナツだけはドーナツという洋菓子を使用しています。一人だけ、立ち位置が曖昧な名前なのです。この曖昧さはそのまま夏子の性格のどっちつかなさにつながっていて、同時に夏子がなんとなく彼らとのコミュニケーションが不全をきたすであろうことも予言しています。

 仲良し六人組の関係の不穏さは、テスト返却の場面にも漂っています。小学生における強さの指標のひとつである「成績の良さ」がグループ内で均質ではない。小倉くんや餡子が優秀な生徒である一方で、ずん田くんは一度も百点を取ったことのない劣等生なのです。
 また、ずん田くんは初登場時に「痛そうに頭をおさえてい」ますが、なぜ痛がっているのかは特に現時点で読者に説明されません。実は村雨くんがずん田くんをいじめているのですが、視点人物である夏子はその事実を知らず、また気にもしません。

 


第三章「私の友達」
 
 村雨くんから魔女の住所について情報を得て、一行は魔女の住むアパートへと向かいます。この章の第二段落で村雨君と初登場のうぐいすさんがテスト結果を見せ合って賭を精算するシーンが描かれます。テストを通じてキャラ同士の仲の良さを表現するのは第二章でも餡子と小倉くんでやっていたテクニックで、夏子以外の五人のうち、ずん田くんだけがそうした関係の意図から巧妙に外されているのが見え隠れしています。
 また、前章のテストで百点を穫ったずん田くんの「奇跡」がもしかしたらステッキによる「魔法」の効果なのかもしれない、という仮説が小倉くんの口から唱えられます。
 ところでこのステッキ*2。本書が魔女と魔法についての話であるとわかって読んでいるとなんとなく「このステッキには魔術が宿っていて、ずん田の百点もその効果なんだな」と無条件に納得してしまいますが、実は劇中ではステッキ自体になんらかの機能があると説明されていない。夏子がステッキに願ってずん田に百点をとらせてしまったのなら、魔女の存在ぬきで魔法が使えることになってしまいます。それは変です。ステッキは単なるプロップにすぎず、ずん田の百点も偶然だったのでしょう。このステッキは最終話である感動的なエピファニーを媒介することになりますが、あれもステッキがただのブツであるこその奇跡なのだとおもいます。
 してみると、ずん田くんはすくなくとも実力で百点を取ったわけで、小倉くんの物言いはあきらかにずん田くんをバカにしています。なのに村雨くんも「ずん田が自分で取るよかはありうるとおれも思う」と真剣に同意する。魔法のステッキが実在する確率よりも実力で百点を取るほうがありえない、とふたりは考えているのです。当事者であるずん田くんは二人の議論に口をはさみません。
 

 ここでグループのリーダー格である小倉くんの提案により、みんなで魔女のところへステッキを返却しに行く流れになります。ついでに夏子が彼に恋心を抱いていると判明します。
 小倉くんはクラスの人気者ですが「誰を好きなのか知る女子はおらず」、夏子も自分の気持ちを押し込めて友人としての距離を保ったまま曖昧なしあわせに安住します。彼の好きな女子はおそらく自分ではないだろうとわかってはいます。それでも彼のしぐさひとつひとつにかすかな希望を寄せてしまうのが女心。
 片思いとは想像上の相手に過度な妄想や期待を重ねるディスコミュニケーションの一形態です。その一方的な期待が崩れてしまうことを失恋と呼ぶわけですが、この終局は夏子にもやがて訪れます。

 さて、第三章で注目したい表現は他にもあります。魔女のすまう「げろマンション」をはじめて夏子が目にしたときの描写です。

 

 十階建てのげろマンションは壁に当たる夕日が眩しく、書き忘れたみたいに輪郭線が飛んでいました。見上げると壁は傾いて見えて、角度のきつい遠近法でした。

 

「輪郭線」も「遠近法」も絵画の技術的な用語であり、小説ではまず用いられません。ここで矢部嵩本人が絵もたしなむ事実を思い出すのも乙でしょう。
 本編における「絵」のイメージは「魔女」を表しています。そのことを鑑みるに、彼女が住むマンションのファーストインプレッションが絵画的に述べられるのは一貫性の点で当然です。
 げろマンションは同時に夏子のすむマンションと同じ丘の反対側に立地しているので、「この世」に相対する「あの世」でもあるのでしょう。げろマンションがホーンテッドな建築として夏子の目におぞましく映るのはそのためです。

  

第四章「魔女のいるマンション」

 第一話全体の約四分の三を占める最重要パートです。
 一行はマンションに潜入します。ここで餡子が夏子に対して不満めいた忠告を与えます。彼女は小倉くんの提案に唯一反対していました。

 

「夏子さ」餡子がいいました。「みんなで一緒に遊ぶのいいけど、一人でまじめに鍵探したの。一人じゃ何も出来ないんなら、そんなのはよくないと私は思うよ」「怒ってるの」「なんだかなとは思ってるよ。こんな届けものより先に鍵探さなきゃじゃん。学校にもなかったのに」「うん・・」「私あんたのそういうとこやだ。しなきゃいけないことは一人でもちゃんとしなよ。手伝うくらいは別にいいけど、いつも助けてるじゃん私」「うん・・」「別にいいけど、それで一人じゃ何も出来なくなるなら、私のせいみたいじゃん」

 

 夏子はどうやら一人では何もできないタイプのようです。餡子は筋をきちんと通さない夏子にご不満なのですが、夏子はそもそも自分のねがいをよくわかっていない曖昧な人間なので、つい流されてしまう。 

 このセリフからうかがえる餡子と夏子との関係は、助け助けられの友人のようでいて実際には夏子の「すべきこと」を餡子が決めて手を引いている、といったところでしょうか。
 続く餡子と夏子との仲良さげな会話から、ふたりが親友であることが看取できます。が、好きな人についての話になると、餡子の側が夏子の好きな人を小倉であると把握している一方で、

 

「ねえ餡子ちゃんは好きな子いないの」
「何急に。いないっつったじゃん前も」


 とツッパります。うそをついています。餡子ちゃんは小倉くんに好意を寄せているのですが、夏子をおもんぱかってなのかどうか、言おうとしない。この態度がのちに餡子に対する幻想の崩壊をひきおこします。
 
 このガールズトークの直後、夏子は謎の老婆に遭遇します。老婆は合い言葉「地獄は来ない」を教えてもらいます。今後幾度となく反復されるフレーズであり、わかりやすく重要な伏線です。「地獄」が何を指すのかについてはとりあえず措いておきましょう。

 魔女の住まいに到着します。あからさまにあやしい部屋の雰囲気にみなチャイムを押すのをためらい、一番立場の弱いずん田くんにその役目を押しつけます。
 ここで夏子はまたほんのりとねがいごとを発します。

 

 応答を待ちながら私は魔女の部屋というのはどういう感じか想像してみました。家具が菓子かも知れないし、窯や鍋などある気もしました。魔女も年寄りか、あるいは若いのか、怖い系よりは、綺麗な女の子がいいなと思いました。

 

「魔女が女の子なら友達になれるだろうかと考え」もします。そうして、第一話のラストで実際に彼女は「綺麗な女の子」と「友達に」なるのです。 
 ずん田くんの百点は口に出された願いが叶えられたもので、夏子がぼんやりと願ったこのねがいや第一章の「何かいいこと」は彼女の内部で思われたものです。ねがいごとを口に出して画定するのは大変にむずかしい。その難しさが、夏子にはこのあとずっとついてまわります。
 チャイムに応じて出てきたのは、全裸の中年男性でした。夏子たちは男の言われるがままに入場料として八百円を差しだし、廊下の自動改札機をぬけ、電車の内部を模した部屋に入ります。部屋は実際に駆動しだして、一行を魔女のもとへと運びます。
 モチーフとしての鉄道は一般的に人の手にはどうすることもできない運命のメタファーとして特に映画などで使われます。古典小説なら『アンナ・カレーニナ*3、アニメだと『回るピングドラム』ですね。ピンドラでは「電車の乗り換え=運命の乗り換え」でしたが、夏子も不思議な電車に乗ってしまったがために不思議な運命へと変転していきます。電車には、また、往路と復路が存在します。夏子がのちにもう一度この電車に乗ることになるのはそういうわけです。
 電車は魔女の汚部屋に到着します。不審な子供たちに遭遇した魔女の老婆はパニックのあまり銃を乱射し、餡子を射殺してしまいます。このときのやりとりで夏子たちが「絵の具小学校の三年二組」であることがわかりますので、絵画のモチーフとして留意しておきましょう。
 魔女が完璧に異常な存在であるのは、彼女の言動と部屋の様子によってあますところなく描かれます。基本的には汚物描写です。
 誤解は解け、なんとか魔女と打ち解け(?)たものの、彼女はステッキを見せられても「知らない」と言います。ステッキはどこから来たのか、という疑問が生じますが、第一話ではすっとばされます。
 なんにせよ届けものをしてもらったのだからお礼をしたい、と魔女は「願い事を『ひとつだけ』なんでも叶えてあげるよ」と夏子に申し出ます。夏子はさきほど殺されてしまった餡子を生き返らせてくれるようにお願いします。本作における魔女の力は強大で、ねがえば文字通りなんでも叶うのです。
 ところが餡子の蘇生準備中、小倉くんは魔女に出された殺人ジュースを飲んでしまったのが原因で急死します。かなう願いはひとつだけ。餡子を生き返らせてしまえば、小倉くんの復活は不可能です。
 残された四人は餡子か小倉くんか、どちらを生き返らせるかで議論を戦わせます。ここでの取り交わされるロジックはそれ自体なかなか興味ぶかいです。多数決だと人気者の小倉くんに票が集まって公平ではないと懸念した村雨くんくんはくじで決めることを提案するのですが、うぐいすさんは「どうして気持ちを乗せちゃだめなの」と反駁します。どうせ自然の摂理に反した不公平な行為なのだから、論理や公平性を重視するのはおかしい。一理あります。
 この命の優先順位に関する村雨くんとうぐいすさんの議論が、ずん田くんの暗い思考に火をつけてしまいます。
 夏子が「二人とも生き返らせてという一つのお願いじゃいけないんですか」と魔女に問い合わせるとあっさりとOKをもらいます。ルール違反のようですが、魔女としては最初に提示したルールから一歩も外れてしません。
 しかし願う側の子供たちはこの後急速に混乱していきます。
 まず、ずん田くんが魔女の銃を手に取って夏子たちを脅迫し、死んだ自分の母親を生き返らせるように要求します。このとき銃を魔女にうけて撃つと暴発して射手を殺す仕組みであることが語られます。
 うぐいすさんは折れて餡子と小倉くんに加えてずん田くんの母親も生き返らせるようにねがいを変えようともちかけますが、ずん田は言下に拒否します。餡子も小倉くんも嫌いだというのです。彼はバカにされてきたことをずっと恨んでいたのでした。そして、ずん田くんを除こうと動きかけた村雨くんを撃ち殺し、いじめられてきたストレスを爆発させます。第二章でずん田くんが後頭部を押さえていた理由がここで判明します。
 ずん田くんはうぐいすさんによって椅子で殴られて昏倒しますが、今度はうぐいすさんが銃で夏子を脅し出します。「魔女のお婆さん十億円って出せますか」

 

「生き返すとかはいいの?」「あいいですそっちは。ずん田君見てたらそんなに拘らなくてもいいかなと思って」うぐいすさんはいいました。
「死んだばかり過ぎて囚われてたけど、やっぱり人より自分のことかなって」

 

  ずん田くんの凶行がうぐいすさんのエゴを呼び覚ましてしまった。なんでも願い事が叶う好機を得たならば、それは他人のためではなく自分のために使って当然なのではないか。
 うぐいすさん自身にはずん田くんのような今すぐ叶えたい特定のねがいごとはありません。なので、「十億あれば一生のライン引くのにとりあえず十分」と目的ではなく手段を要求します。
 窮した夏子は魔女に「お願いの回数を増やしてってお願い」をし、魔女に容れられます。うぐいすさんは融通のききすぎる魔女にキレます。

 

「だって村雨君死んじゃったじゃんっ。ずん田殴っちゃったじゃん私っ。いっとけば防げたじゃん、なんで後からいいよとかいうの?」
「それは後から願ったからだよ。願ってないことを私は決められないよ。どれも私の願いじゃないもの。私の基準であなたは願うの」
「知らないよ」「そうか。きっと願うのがへただったんだよ」

 

 おなじく願いを無制限に叶える装置である『魔法少女まどか☆マギカ』のきゅうべえはヒト的な利己心ゆえから願いによる副作用を言い落とすという阿漕な真似をやりますけれど、この魔女の場合は逆です。すべて最初に言ったことの範囲内です。なんでも叶うということはなんでも叶うということ。第二話以降、魔女は願い事にルールを設けますが、それは願い事がねがう側とねがわれる側の関係性によって成立するものと彼女が理解したからです。
 しかし第一話の時点では、ねがう側もねがわれる側も漠然としすぎている。子供たちは「願い事のパース」をひけない。選択肢が事実上無限であるために何をねがえば自分のためになるのかがわからないのです。それを指して、魔女は「きっと願うのがへた」と言っているのです。
 最終的にうぐいすさんは「私の願い死ぬまで全部叶えてよ。他の人のは叶えないで」というやはり「手段」の究極に落ち着きますが、実は生きていたずん田くんや村雨くんとすったもんだを繰り広げたあげくにやはり死にます。『レザボア・ドッグス』じみた仲間内での凄惨な殺し合いの末、ねがいごとをする権利は結局夏子の手に戻ってきます。
 夏子は醜くいがみ合ったうぐいすさん、ずん田くん、村雨くんを生き返らせるとまた殺し合いになると危惧し、最初に死んだ餡子と小倉くんの二人を蘇生させます。
 このとき、魔女の儀式の様子が紹介されます。三十六色のクレヨンをとりだし、何もない空間にねがわれたこと(この場合は餡子の姿)を描くするのです。魔女が絵画的なイメージと結びついている、と言ったのはこういうわけです。ねがわれた内容にきちんと輪郭を与えることで、ねがいごとを十全に叶えることができるのです。
 また夏子が餡子のことを「誰と特別仲のいいわけではな」く、「みんなにちやほやされる小倉君に突っかかることさえあ」ると評価していることが明かされますが、それが夏子の観察不足であることは直後に判明します。
 生き返った餡子は小倉くんが毒で死んだと知るや、彼も蘇生中であることを聞かされる前に、すぐに自殺してしまったのです。まるで『ロミオとジュリエット』。夏子は初めて餡子が小倉くんを好きだったんだと理解します。「好きな人はいない」と夏子に明言していたにもかかわらず。
 つづいて小倉くんが蘇ります。が、友人たちのむごい死体を目の当たりにした小倉くんは彼らが魔女に虐殺されたものと早合点し、ろくに夏子の話もきかずに銃を魔女に向け発砲します。しかし、前述したように、その銃は魔女を撃つと暴発する仕様でした。小倉くんは死んでいたので説明を聞いていなかったのです。またもや情報の齟齬によって小倉くんは二度目の死を迎えます。
 ふたたび全滅です。そして、四人が魔女に殺されたと思いこんで義憤から復讐に出た小倉くんの行動から、いままで自分に向けられていたと信じていた小倉くんの優しさはたんなる親切であり、自分など小倉くんにとってなんでもない存在だと夏子は悟ります。
 内心では六人組のみんなを恨んでいたずん田、ずん田を陰でいじめていた村雨、みずからのエゴのために他人の命をふみにじるうぐいす、親友である夏子にぎりぎりで本心を打ち明けなかった餡子、夏子の淡い期待に反して彼女へ好意を寄せていなかった小倉。仲良しだと思っていた六人の幼なじみたちの誰とも夏子はつながっていなかったのです。
 ねがいごとを消費してしまった今となっては、もはや生き返らせることもできません。

 悲嘆にくれる夏子に魔女は「私と友達になろうよ」と提案します。老婆であると思われていた魔女の正体は実はかわいらしい金髪の女の子でした。血と反吐と夜で彩られてきたこれまでの作中世界とは一線を画したブライトで異質な色です。彼女と夏子はものすごい勢いで通じ合います。

 

「うん」よく判らぬまま私は頷いていました。「よろしく」
「こちらこそ」魔女の女の子は笑いました。「じゃあ早速だけど今日あったことは全部忘れてもらうね」「えっ何で」「口封じだけど」「魔法で記憶を消すってこと」「そうそう」「その後で友達になってくれるの」「えっすごい超伝わってんじゃん話」女の子はぱっと笑いました。「いいでしょ安藤さん、私と友達なってよ」「うんいいよありがとう」
 そういうわけで(何も覚えていませんが)私はその女の子と友達になりました。何があったかもう判りませんが、友達が出来るのは嬉しく思いました。

 

 このとき裸の中年男性から「箒の魔女と白いおばけが五匹、月夜を飛んでいる白黒の印刷絵がクレヨンで雑に塗られてい」る画を渡されます。五人の古くてわかりあえない友達が、以心伝心の新しい親友一人に交換されたのです。
 魔女は「塗絵」という名前であると自己紹介します。絵画のイメージのつなぎあわせがここに収斂します。その彼女が名乗ったそのときに、夏子は望みのものを手にするのです。

 

「私は塗絵」私が床に置いた絵を魔女が拾いました。
「合言葉は地獄は来ない。それで扉は開くから」
「地獄は来ない」合い鍵をもらったみたいだなと思いました。「またねぬりえちゃん」

 

 冒頭でなくしたはずの家の合い鍵。それが新しく得られた真の親友のことばと重ねられるのです。「鍵は鉄より言葉で出来ていた方がいいこともある」とは第四話でぬりえちゃんが語るセリフです。鉄の鍵は一人で開閉ができますが、言葉の鍵は二人以上いないと作動しません。人と人との関わりの物語がここから始まります。
 結末部では、始まりの「夜→眼鏡外し」のイメージの推移が逆回しにされます。

 

 吐息でレンズが曇り、私は眼鏡を外しました。何があったか覚えていませんが、すごくどきどきしていた気がし、こんなどきどきがまたあればいいなと思い、夜の空気を吸いこみました。(中略)起こる筈のないことが起きなくす筈のないものをなくし、持っているのは一枚の絵だけ、それでもその日私はどきどきしたまま、病院のベッドで眠りについたのでした。


 第一話に出てきたフレーズ、モチーフ、アイテムといった各要素は今後展開される五篇において頻繁に反復されます。見落としがちなところで留意しておきたいのは、死んだ夏子の五人の友人たちでしょうか。生きたキャラクターとしては今後一切出番はありませんが、彼らが第一話で残したセリフや行動、問題提起などはちゃんと覚えておきましょう。意外なまでに物語に深く関わってくることになります。(第二話へ続く)

*1:念のために言っておきますが、読書会参加者のために用意したものでももちろんありません。

*2:劇中では「棒」とされたり「杖」とされたりも

*3:「汽車や馬車はこの小説において重要な役割を果たしている(中略)いわばこの物語のなかの旅行業者であり、読者をトルストイの望み通りの場所へ連れて行く」「トルストイの長編では、騒音を発し、蒸気を吐き出す汽車が、作中人物を運んだり殺したりするために用いられ」『ナボコフロシア文学講義 下』河出文庫