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『ラビング 愛という名前のふたり』の感想

『ラビング 愛という名前のふたり』( Loving 、ジェフ・ニコルズ監督、2016年、米)



映画『ラビング 愛という名前のふたり』予告


光と影のヴァージニア

 個別の愛自体になんら「特別さ」などなく、愛は常に普遍的で、だから『ラビング』は二人の出会いや生立など語らない。いきなり、黒人女性ミルドレッド(ルース・ネッガ)が白人の恋人リチャード・ラビング(ジョエル・エドガートン)に対して「妊娠したの」と告げるところからはじまる。
 舞台は1950年代のヴァージニア。白人と黒人はそれぞれ違う場所で、交わることなく生活している。
 だが、そんなことは意に介さず、ふたりの幸せは柔らかい陽光にくるまれてトントン拍子に育っていく。
 妊娠から間もなくリチャードはミルドレッドを雑草が伸び放題になっている空き地へ連れていき、「ここに僕たちの家を建てよう。結婚してくれ」とプロポーズ。二人の和合を象徴するかのような黒と白のツートンカラーに塗り分けられたフォードの1957年式フェアライン・クラブ・ヴィクトリアを飛ばし、ワシントンDCの役所でつつましい結婚式を挙げる。
 そうして新居に婚姻証明書を掲げ、ラビング夫妻の蜜月生活がスタートする……はずだった。


 不幸は、深夜、新居のドアをぶちやぶって侵入してくる。
 何者かの通報により*1地元の保安官が現れ、「ヴァージニア州では異人種間結婚は法律違反だ! ワシントンでの結婚証明書? そんなものは無効だ!」とふたりを乱暴にしょっぴいていく。
 牢獄で不安な一夜を過ごしたのち、夫のリチャードだけが先に保釈される。彼に照りつける東部の太陽が眩しい。もはや太陽は彼らの味方ではない。もはや昼間に安息はない。それから二人は夜へと逃げ込むことが多くなる。


 さらなる勾留期間と保釈金を積み、ミルドレッドも牢屋から解放される。夫婦に言い渡された刑は執行猶予のついた一年の懲役、そして、二十五年の州外追放。
 ふたりはワシントンで暮らすミルドレッドの親戚を頼って、緑豊かな故郷を離れ、街で*2暮らすことになる。
 途中で出産のためにヴァージニアに舞い戻って再逮捕されるなどのアクシデントを経たものの、三人の子宝の恵まれて、夫婦はワシントンでの慎ましい平穏を手に入れる。彼らの生活空間には光が溢れ、もはや日陰の身ではない。ツートンカラーだったヴィクトリアも、黒人街での生活に馴染んだ一家に呼応してか、黒一色の車に換わった。
 ところが、ミルドレッドには何かがひっかかっていた。狭くて危険も多い黒人街は小さな子どもを育てるのに適していない。緑多く、温かい彼女の実家のある故郷ヴァージニアでのびのびと育って欲しい……。そんな思いが募っていたある日、彼女はテレビで公民権運動のニュースを観る。もはや理不尽な不平等に縛られる時代ではない――ニュースに刺激されて、彼女はロバート・ケネディ司法長官に自分たち夫婦の苦難について手紙を出す。これがきっかけで、ふたりは全米を揺るがす憲法裁判の当事者となっていく。



レンガを積んで家を建てる男

 劇中、何度も繰り返されるモチーフがある。
 工事現場で働くリチャードがモルタルを塗ってレンガを積み上げていくシーンだ。レンガを積み上げるのは東部の白人男性たる彼の生業であると同時に、「家庭を妻に任せて、外で仕事をする夫」の姿であり、家を自力で築き上げる理想的で男らしいアメリカの男性像でもある。
 積まれるレンガは、どんな場面でも常にせいぜい四五段積まれた程度の低い状態だ。それは不器用で口下手で堅実な彼のキャラクターをよく表している。
 聡い妻が家でテレビを観て時流を敏感に察知し、手紙を書き、テレビのインタビューに答える一方で、彼は朴訥にレンガを積みつづける。
 だが、外で「変化」に直接晒されるのは夫のほうだ。ヴァージニアへ出戻り、ふたりの「犯罪」の見直しを迫る裁判が始まると、仕事場に停めたリチャードの車からミルドレッドの写真に包まれたレンガが発見される。白人の同僚による、あきらかな脅迫だ。しかも、仕事場からの帰路で、不審な車からあとを尾けられたりもする。彼は妻にはそういうことを報告せず、夜、ライフルを握りしめてバルコニー立ち、周囲を警戒する。ふたりを引き裂く侵入者は、夜におとずれるものだから。
 ミルドレッドはミルドレッドで、自分や夫だけでなく子どもや全米の黒人たちの未来を背負っている自覚を持っているので、マスコミの取材に積極的に応えようとする。夫の方はその取材のせいで妻の身が危険にさらされていると知っているので、頭ごなしに止めようとする。妻は口下手な夫の不機嫌の理由がわからない。
 微妙にすれちがっていく二人の愛情が観客からすればはがゆくもあるが、それでもやはりまあ愛は愛なので、落ち着くとこへ落ち着くことだろう。


 彼の築き上げようとしている「家」とはなんなのか、という問いは*3ラストシーンであざやかに効いてくる。
 夫は妻のために、二重の意味で「家」を建てたのだ。



余談

 雑誌のカメラマン役のマイケル・シャノンが取材のために夫婦の家を訪れるシーンがあって、この人とジョエル・エドガートンが同じカットにおさまっているのを観ると、みょうな感動が湧きます。シャノンはジェフ・ニコルズ監督のお気に入りらしく前作『Mud』にも出演していましたね。
 日本では三月にソフトスルーされる同監督のSFジュブナイル『ミッドナイト・スペシャル』でもこのふたりが共演するらしい。楽しみです。

*1:劇中、「誰かがチクらなければバレなかったのに」という冷静に聞いてみれば割りとトンデモない発言が出てくる。当時のお隣さんからすれば目立つことこのうえないであろう異人種間夫婦が白昼堂々同居生活を送っていても、特に悪意をもった人物に密告されないかぎりは平穏にすむ可能性が高かった、ということだ。アメリカのド田舎の治安事情が垣間見える。

*2:街――おそらくはスラムで暮らしている黒人たちをミルドレッドが車のなかから初めて眺めるシーンで、汚らしい浮浪者たちがゴミを漁る野良犬のイメージと重ねられているのが興味深い。

*3:まあ最初から九割がたわかりきったものであるけれどそれでも