名馬であれば馬のうち

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光のほうへ――アンソニー・ドーア『すべての見えない光』/千字選評(4)

アンソニー・ドーア『すべての見えない光』(藤井光・訳、新潮クレスト・ブックス、2016年)

 二千字になっちゃった。



 空気は生きたすべての生命、発せられたすべての文章の書庫にして記録であり、送信されたすべての言葉が、その内側でこだましつづけているのだとしたら。


p.511

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)


 個性的な佳品から誰もが絶賛する傑作まで取りそろえる新潮クレストであるけれども、毎年一冊は「これぞ」という圧倒的な一冊を出してくれる。二〇一六年のそれは『すべての見えない光』だ。


 一九四四年八月、第二次世界大戦末期。ノルマンディーを始めとした欧州上陸に成功した連合軍はドイツ占領下にあったフランスをつぎつぎと奪還し、西フランスでは海岸沿いの小さな町サン・マロを残すのみとなった。
 サン・マロを完全に包囲した連合軍は居残るドイツ軍を追い出すべく、爆撃を開始。激しい砲火にさらされる市街に、十六歳の盲目の少女マリー=ロールと十八歳のドイツ工兵ヴェルナーがいた。
 この二人の少年少女がいかにして一九四四年のサン・マロまでたどりついたか、その足跡を軸に十年に及ぶ鮮烈な物語が語られる。

 本国アメリカでの大ベストセラー、ピューリツァー賞オバマも読んだ! そんなセンセーショナルな売り文句に反して、本書はなかなかにトリッキーな構成をとっている。
 複数の視点人物をおいて基本二、三ページからなるごく短い断章をならべつつ(短編「メモリー・ウォール」でドーアがものにした手法だ)、奇数章で一九四四年八月のサン・マロ、偶数章で一九三四年からはじまる二人の過去話を交互に叙述していく。


 内容は、ありていにいってしまえば戦時下でのボーイ・ミーツ・ガールだ。
 ボーイであるヴェルナーは、ドイツのとある炭鉱町の孤児院育ち。拾いもののラジオから流れてきた謎のフランス語科学教育番組に魅了され、科学者を夢見るようになる。だが、ナチス政権下では、孤児たちはみな十五歳になると鉱山へ送られる運命にあった。そんな彼の人生は、町に赴任してきたナチス青年将校のラジオを修理したことがきっかけで変転する。エンジニアとしての才能を見込まれ、将校の推薦で国家政治教育学校*1という党員養成のためのエリート校へ入れられる。そこで鳥好きの内気な少年と友情を育んだり、数学の才能を発揮して特別な実験に駆り出されたり、凄惨ないじめを目撃したりする。だがいつまでも学園生活は続かない。日を追うごと戦況は悪化していき、彼もまた否応なく戦場へと駆り出されていく。
 一方、ガールたるマリー=ロールは病気で光を喪うが、貝の専門家である博物館の研究員に導かれてこちらも科学に魅了される日々を送る。が、ナチスのフランス侵攻で父子ふたりのつましい生活も一変、金持ちだが精神を病んだ大叔父エティエンヌの住むサン・マロへとおちのびる。
 科学に通じたエティエンヌは読書好きな彼女のためにダーウィンを読み聞かせるなどして距離を縮めていくものの、ある日彼女を絶望へと叩き落とす大事件が起こる。やがてサン・マロもドイツに占領されてしまい、マリー=ロールも対独レジスタンス活動に巻き込まれていく。
 この二人の他にもう一人、定期的に現れる視点人物がいる。死病を患った元宝石職人のドイツ軍下士官フォン・ルンペルだ。彼は「所持者に永遠の命を与えるが、その周囲の人々をすべて奪い去る」という伝説を持つ宝石〈炎の海〉を血眼で追い求める。そして、宝石を所蔵していた博物館の館主がマリー=ロールの父親へそれを託したと知るや、サン・マロへと向かう。
 三人とそれを取り巻く人々の運命が一九四四年八月に交錯し、大きなうねりへ変わる。


 本書をたのしむにあたっては多様な切り口がある。
 ギムナジウムもの、戦争文学、ボーイ・ミーツ・ガール、科学少年少女の成長物語、レジスタンス/スパイ、宝探しのサスペンス。
 そうしたサブジャンル的な枠組みの連続がアンソニー・ドーア的なモチーフ(科学、鳥、貝殻、記憶、古典冒険小説 and etc)と彼一流の叙情的な文体に彩られて読者へと供される。いわば、作家としての集大成的な作品だ。
 とはいえ、『メモリー・ウォール』や『シェル・コレクター』などといったドーアの既作を知っておく必要はない。むしろ、これをドーアの入門編にしたほうがいいぐらいだ。ドーアの作家的感性や特質がいかんなく発揮されつつも、丁寧な描写と訳者の努力のおかげで非常に読みやすく仕上がっている。
 ドーアの特質、といったが『メモリー・ウォール』(新潮クレスト・ブックス)の故・岩本正恵による訳者解説によれば、「科学と文学の融合が挙げられる」ことにあるという。ドーア本人曰く、「ぼくにとって、文学と科学はけっして遠く離れた別々のものではない。どちらも『われわれはなぜここに存在するのか』という問題を扱っているのだから」*2
 ドーアのテーマがもっともよく現れるモチーフは、おそらく「記憶」だろう。本作の終盤でも、記憶が極めて重要な役割を演じる。

 ドーアは技術に詩性を見出す。光も音も文字も記憶もすべて、技術によって伝わり、交わるからだ。神が宿っていない行は一行たりとも存在しない、まごうことなく今年の新潮クレストを代表する傑作。

(1981文字)