名馬であれば馬のうち

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緑の服、緑の店、緑の国――『ブルックリン』について

『ブルックリン』(ジョン・クロウリー監督、カナダ・アイルランド・イギリス・アメリカ合作、2015年)

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 以下、ネタバレを含みます。記事中程の警告部分以降は結末部を含む重大なネタバレがなされていますのでご注意ください。


あらすじ

 1950年代のアイルランド。第二次大戦後の不況にあえぐこの国*1の港町で、雑貨屋の店員として働くエイリシュ(シアーシャ・ローナン)は姉(フィオナ・グラスコット)を通じてNY在住の神父(ジム・ブロードベント)からアメリカでの職を紹介される。
 アイルランドでの生活に生きがいを持てなかった彼女は一も二もなく渡米、NYの移民街であるブルックリンで下宿しつつ、デパート店員として働くようになる。
 しかし、知り合いも友人もいないNYでの生活は彼女を蝕んでいく。ついには寂しさが募ってホームシックにかかってしまう。
 見かねた神父は彼女に「簿記の勉強をやってみないか」とブルックリン・カレッジでの夜間コース受講をもちかける。簿記の資格を得て、姉と同じ事務職に就くという目標ができたエイリシュは徐々に元気を取り戻していき、やがてイタリア人の恋人トニー(エモリー・コーエン)もゲット。だが、なにもかも順調にいきかけていたところに、故郷から衝撃の報せがまいこむ。


視えるグリーン

 色の切り替わりが物語の切り替わりだ。
 『ブルックリン』は物語の進捗に応じて、舞台も移り変わっていく。
 一つ目(序盤)は、主人公エイリシュの生まれ育ったアイルランドの港街エニスコーシー。
 二つ目(中盤)は、エイリシュが移り住むこととなるニューヨークのブルックリン。
 三つ目(終盤)は、再びエニスコーシー。

 監督のジョン・クロウリーFilmmaker Magazine 誌のインタビューに答えて曰く、

 この映画は視覚的に三つの局面に分かれています。
 一つ目の局面はエイリシュがアイルランドを離れる前ですね。フレームは窮屈で、ワイドショットは一切使われていません。エイリシュの顔が重要なんです。
 私たちは(WWII)戦後のアイルランドについて調べました。当時撮られた写真から当時のアイルランドがどういう「色」だったかの知識を得たのです。
 画面を濁った感じにはしたくなかったので、茶色やくすんだ色彩をなるべく避けました。そこで、より緑をくわえるようにしたのです。
 この映画で最初にワイドショットが使用されるのは、エイリシュが旅立ちのために船に乗るシーンです。彼女の地平*2が開ける様子を、文字通り画面上の地平線で示しています。
 ここから色使いがもっと豊かになります。1952年のアメリカは黎明期にあったポップ・カルチャーの最先端でした。終盤でエイリシュの目に映るアイルランドは序盤のそれとは違って見えます。より明るく、カラフルに見えるのです。それは彼女自身と彼女の外見が変化したせいでもあるのでしょう。

第一幕:アイルランドアイルランド

 映画の序盤において、直接的に画面へ「緑をくわえ」ているのは主人公エイリシュの服装だ。
 映画の冒頭、明け方の街へと足を踏みだすファーストシーンから彼女は濃い緑色のダブルブレストコートを羽織っている。
 緑はアイルランドを象徴する色だ。縁起は約千六百年前、キリスト教の伝道師であったパトリキウスがアイルランド島民に対して三つ葉のシャムロック(クローバーなどの葉が三つに分かれた植物の総称)を用いて三位一体の概念を説いたことから、シャムロックが後に聖人パトリックとして讃えられる彼の象徴となり、ひいてはアイルランドの国花とされた。このシャムロックの緑がアイルランドの国の色として結び付けられて、現在世界中で祝われている「聖パトリックの日」のメインカラーとして「アイルランド=緑」のイメージを定着させた。
 そんな緑の国にあって、彼女は一貫して緑系統の服(あるいは暗いところでは緑に見えるエメラルドブルーのニット)を身にまとう。
 エイリシュの愛国心がそうさせるのだろうか? いや、違う。彼女は地元を、アイルランドという国に嫌気がさしている。勤め先の雑貨屋のオーナーは嫌みな因業ババアだし、恋に燃える親友と一緒にダンスパーティーに出てもなんとなく馴染めない。アイルランドに彼女の居場所はない。アイルランドの緑は彼女を囚える鬱屈の緑だ。積極的に嫌っているわけでもないが、ばくぜんと「このままではいけない」と考えている。
 ちなみにファーストルックが薄暗いシーンなので気づきにくいかもしれないが、雑貨屋の外観が緑色なのにも留意しておきたい。のちのち重要な意味を帯びてくる。


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 彼女は緑のコートをしっかりと閉じて、新天地アメリカへと旅立つ。
 その船中で新しい色に出会う。赤だ。三等客室で相部屋になったアメリカ帰りのブロンド美女ジョルジーナが真っ赤なコートとともに彼女の前に現れる。最初のうちは赤い女の押しのつよさに戸惑うものの、旅慣れた彼女のアドバイスに助けられて打ち解ける。
 到着直前、エイリシュは赤い女から入管に際しての助言をもらう。

「検査に備えて、あらかじめバッグを開けたままにしておきなさい。
 あんまり純朴そうに見え過ぎないように。口紅とマスカラを塗っておきましょう。ついでにアイライナーも。
 背筋をピンと伸ばして立ちなさい。靴もちゃんと磨いておくこと。絶対に咳だけはしないこと。*3無作法になっちゃダメ。厚かましくなってもダメ。あんまりビクつくのもダメ。
 自分をアメリカ人として考えるの(Think like an American.)。
 着いたら自分がどこに行くのか知っておきなさい。」


 そして*4、エイリシュは赤い女から「これをつけなさい」とストールを渡される。赤と白のストールだ。
 エイリシュは彼女の助言とストールを例の緑のコートの下に抱き、入管を見事パスする。審査官から「その青い扉へ進みなさい」と言われて、壁一面にさげられたアメリカ国旗のしたをくぐり、緑色の彼女の背中が扉の向こうの光へ吸い込まれていく。
 ストールの赤と白、扉の青。三色揃えば、言うまでもなく、アメリカ国旗の色だ。

第二幕:アメリカのアイルランド

 とはいえ、エイリシュは最初から赤と白と青の国になじんだわけではない。
 下宿先のかしましい同輩たちはキラキラしすぎて控えめな彼女にはとっつきづらいし、勤務先のデパートでも上手に接客できない。勤務の合間に立ち寄った定食屋では店員のあんちゃんから「俺が天国の門をくぐるときは、そのかわいいアイルランド訛りで呼ばれたいもんだね」とセクハラともナンパともつかない軽口を叩かれる。*5店員にとっては軽口でも、エイリシュにとっては刺さる一言だ。アイルランド訛りをバリバリのNYっ子からひやかされて、自分がまだ「Think like an American」に振る舞えていないことを認識せざるをえない。しかも、なお悪いことに、その定食屋は内装から外観まで緑色で統一されていて、彼女はデパートの制服の上に例の緑のコートを着ている。いやが上にも自分がアイルランドから逃れられないのだと思わされる。
 親友と優しい姉がいない孤独を感じるぶん、もしかしたらNYは故郷より悪いのかもしれない。こうなると故郷が懐かしい。

 定食屋のシーンの直後、彼女のもとに姉からの手紙が届く。家族の近況を報せつつ、妹の身を案じる、なんでもないような内容の手紙だが、これがそのなんでもなさゆえにエイリシュのホームシックにとどめをさす*6。心をこわしてしまった彼女は勤務中に泣き出してしまう。
 駆けつけた神父は「すべて私の責任だ。故郷を離れるということがどんなにきついか、忘れていたよ」と詫びてエイリシュに簿記の資格を取るための夜間コースを紹介する。
 「なぜですか?」と問うエイリシュに神父はこう答える。

神父:
 きみのように賢い子がアイルランドでちゃんとした仕事を見つけられないと知っておどろかされたんだ。
 私はアメリカに長く住みすぎた。
 アイルランドで生きるということがどういうことが忘れてしまったんだ(I forget what it’s like in Ireland.)
 だから、きみのお姉さんが手紙できみのことを知らせてきたとき、私は教会で手助けできるかもしれないと申し出たんだ。ともあれ、ブルックリンに住むアイルランド人の女の子が教会として必要でもあったしね。
 ホームシックは他の病気と変わらない。いつかは他の人に伝染って、自分はケロリと治るのさ。


 これもまたなにげないセリフであるけれども、「アイルランドで生きるということがどういうことが忘れてしまったんだ(I forget what it’s like in Ireland.)」というラインは終盤の極めて印象的な場面でリフレインされる。*7

 ともあれ、簿記のクラスは彼女にとって丁度いいきばらしとなる。

 もうひとつ、エイリシュにとって印象的な出来事が起こる。
 クリスマスの晩、教会の慈善活動として恵まれないアイルランド人労働者(というか失業者)たちにクリスマスディナーをふるまう催しに参加するのだが、そこで彼女は年老いたアイルランド人を大量に目にしてショックを受ける。

 エイリシュ:
  この人たちはみんなアイルランド人なんですか?

 神父:
  そうだとも。みんなアイルランド人さ。


 彼らもエイリシュとおなじようにアイルランドから渡米してきて肉体労働者としてニューヨークの建設ラッシュを支えたのだが、ひとたび摩天楼が完成してしまうと放り出されて浮浪者同然になってしまった。故郷であるアイルランドにも移民先のニューヨークにも行き場のない人々。エイリシュは彼らに自らの状況と心情を重ねる。*8
 一方で、苦節をおなじくする先輩たちの姿に触れたことで、彼女は「寂しいのは自分だけじゃないんだ」と逆説的に孤独ではないと知ったのではないか。あるいは、故郷を遠く離れたNYもまたアイルランドと地続きなのだと悟ったのか。
 いずれにしろ、クリスマス明けにはもう彼女のホームシックは完治している。
 目に鮮やかなクリームレモン*9のシャレた服装で街を闊歩する姿は、もういっぱしのニューヨーカーだ。*10

 そして、エイリシュは教会主催のダンスパーティでイタリア人の青年トニーと出会う。
 彼とひとしきり踊ったあと、下宿まで送ってもらうことに。このとき、彼女はジョルジーナを思わせる真っ赤なコートを着用している。これより先、あの緑のコートは退場し、いっさい姿を見せなくなる。孤独の孤独でなさを知り、恋を知った彼女のワードローブは一新され、それまでのおぼこい地味な服装とは様変わりして、ニューヨークで仕入れたとおぼしきコレクションを着て歩く。

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 本作の衣装デザイナー、オディール・ディックス=ミローの証言。

 エイリッシュの服装は、到着して間もない世界に溶け込んで自信を持って成長していく若い女性の物語を飲み込みやすくします。
 だから彼女のワードローブは、アイルランドに居たときのものとニューヨークに住んでからのものとで異なっているんです。このふたつはまったく別の世界ですからね。
 第二次大戦でヨーロッパは甚大な被害を被りましたが、NYは無傷でした。
 なので、エイリッシュがアメリカにいるときは、よりくっきりと力強く見えるように意識したんです。

http://www.instyle.com/reviews-coverage/movies/7-gorgeous-50s-outfits-look-when-you-watch-movie-brooklyn


 以降、トニーとデートを重ねていくが、彼女はいつも赤いコートを身につける。アメリカのコートを。

 しかし、トニーの家族を晩餐をともにした帰り道で彼女は白い地味な服に身を包んでいる。どういうことだろうか、こちらがいぶかしんでいると、トニーが別れ際に「きみを愛してる」と告げる。同じく彼を愛していてもどこかで躊躇ってしまう彼女*11は返事を保留してしまう。
 エイリシュはその夜、人生の先輩でもある下宿先の友人と結婚についての会話を交わしたことで背中を押され、翌日のデートで「わたしもあなたを愛している」と告げる。もちろん、赤いコートを着て。

 こうして大きな一歩を踏み出したカップルは、次なるステップとして海水浴デートに出かける。このときの彼女はエメラルドグリーンのカーディガンを着ているが、全体として占める面積では内に着込んだパールピンクのシャツと花柄のロングスカートの装いが印象的だ*12。さらには可愛らしいポーチをぶらさげた手にピンクのわたがしを持ち、目にはなんと派手なサングラス。すっかりアイルランドの緑をアメリカナイズしてしまっている。このファッションだけでももはやエイリシュが以前の彼女とは違う、自信に満ちた女性へ変化したことが伺える。ちなみに当時としては格段にセクシーな水着も緑色だ。

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 アメリカに溶け込み、恋人もできて、幸せ街道まっしぐらかに見えたエイリシュだったが、そんな矢先にとんでもない悲報がアイルランドからもたらされる。そしてその報せが、彼女の人生をおおきくゆさぶることとなる。




 ここから先は結末部を含む物語の重要なネタバレを含みます。



第三幕・アイルランドのアメリカ人

 エイリシュの姉が心臓の病で急逝した。
 激しく落ち込むエイリシュ。なにはともあれ葬式に参列するために、アイルランドへ帰国しなければならない。トニーはエイリシュを慰めながらも「きみが行ったままアメリカに帰ってこないかもしれないのがこわい」と吐露する。エイリシュは「もう自分に家(Home)があるのかもわからなくなっちゃった」と言う。エイリシュにとって自分をいつも気にかけてくれる姉こそが家の象徴だった。その姉を亡くすということは世界中のどこにも帰る場所がなくなってしまいことと同義だ。
 そんなエイリシュの心情を察したのかトニーは翌日、彼女をロングアイランドへ連れて行く。そこで購入したばかりの空き地を見せて「ここに一緒に住んで、店をやろう。結婚してくれ」とプロポーズ。新しい、自分たちの家をここにつくろうと言ってくれたのだ。エイリシュは申し出を諾う。このときのエイリシュの服装は涙をすべて吸い取ったようなペイルブルーで統一されている。
 ふたりは役所にでかけ結婚の手続きをすませる。しかし、この婚姻はまだお互いだけの秘密だ。
 このとき、エイリシュにとってのNYは単なる下宿先ではなくて、終の棲家と定まった。

 役所の場面から切り替わるともうアイルランドで、姉の葬式は終わっている。
 エイリシュは母を伴って教会から出てくるが、このときの彼女の装いは頭部こそ黒いセパレートのヴェールで覆っているものの、服はNYで買った派手なレモンイエローのシャツドレス。葬式にはどう考えても不釣り合いだが、これも「NYこそが私の家」と無言に主張したい彼女のアティテュードなのだろう。渡米前から懇意だったエイリシュの親友ナンシーはその姿を見るなり、「すいぶんセクシーになっちゃたじゃないの!」と賛嘆の声をあげる。
 彼女はNYから持ち帰ったワードローブを着続ける。今より情報の伝播が遅い時代、しかもアイルランドという保守的な土地ではNYの最新モードは他人からは好奇の対象だ。サングラス姿のエイリシュとすれ違った婦人は「なにあの格好?」と不審げに声をひそめる。

 とはいえ、『ブルックリン』は「都会帰りの女が出戻った田舎で嫉妬混じりのいじめを受ける」系の話ではない。一人の引っ込み思案な女性がまったくタイプの違う二人の男性の間でゆれうごく、ジェーン・オースティンやトマス・ハーディ風の古典的なロマンス劇だ。
 地元に戻って早々、エイリシュはナンシーから、ナンシーの婚約者の友人ジム(ドーナル・グリーソン)を紹介される。ジムは商店を親から継いだばかりの裕福な中産階級だ。NYの下町の移民労働者であるトニーとは対照的に、洗練された穏やかな人物として描かれている。最初は秘密とはいえ夫を持つ身ということで、ジムと彼女をくっつけようと勤しむナンシーのおせっかいをうとましく思っていたものの、亡くなった姉の話題(ジムの母親とエイリシュの姉がおなじゴルフクラブに所属していた)を通じてだんだん打ち解けていき、いつしか強く惹かれていく。
 一方で、亡くなった姉の後釜として、なし崩し的に事務員の仕事もひきうけて、期せずして渡米前には得られなかった「魅力的な恋人」と「相応の仕事」を一挙に手にしてしまう。生前の姉が妹のキャリアアップのためにNYの仕事を神父を通じて手配してくれたように、死後の姉の導きがエイリシュをアイルランドにとどまらせようとしたのだろうのか。*13
 「アイルランドに行く前にあなたに出会えたらよかったのに」とエイリシュは複雑な心境をジムに漏らし、姉の墓に花を供える表情も曇る。

 エイリシュとジムはナンシーと彼女の婚約とで連れ立って海水浴ダブルデートを行う。このときのエイリシュの服装は、トニーと海水浴デートに行ったときと同じサングラス+グリーンのカーディガン+花柄のスカート(と微妙に仕立てが異なるが同じく淡いピンクのシャツ)という出で立ちで、そのうえ水着までブルックリン時代と一緒。
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 渡米直後のときはアイルランドの緑色の忘れられなさが彼女のホームシックを引き起こしたわけだが、今度はNYのヴィヴィッドなファッションが彼女の後ろ髪をひく。本作において、常に「故郷(Home)」はワンテンポ遅れてやってきてエイリシュを引き裂く。
 彼女は夫のある身でありながら別の男性へ惹かれていくことによるトニーへの罪悪感と、夫がいることを隠しながら付き合いを続けてしまうジムへの罪悪感、その二重の重圧につぶされそうで、トニーから絶え間なく送られてくる手紙に返事を書くこともできない。

 それでもやはり物理的に近くにいる存在の方が強いのか、彼女はますますジムに接近していく。ジムの両親にも紹介され、エイリシュの母親もすっかりその気になっている。
 そしてついにダンスホール*14エイリシュはジムから求婚される。しかしエイリシュははっきりと返答できない。

 二つの愛に引き裂かれそうになるエイリシュ。しかしジムの求婚劇の直後、思いもよらぬところから刺客が舞い込んでくる。
 渡米以前に働いていた雑貨屋のオーナーから突然呼び出されるのだ。
 あの人とは切れたと思ったのに、と訝しみつつも雑貨屋までエイリシュは出向く。この時、はじめてまともに観客は雑貨屋の外観を目の当たりにするのだが、日中の店舗は思ったより緑のペンキが濃い。
 彼女はオーナーである老女の私室へと招じ入れられる。日光が窓からわずかにさしこむだけのうすぐらい室内。壁にかかげられた年代物の絵画やアンティークの調度品から、部屋自体が持ち主の老婆のようにここでずっと年月を重ねてきたことがうかがえる。窓際には鉢がいくつも並べられ、緑の植物が植わっている。
 エイリシュは老婆から緑のベルベットのソファーを薦められ、そこに腰をおろす。
 清新なパールホワイトのカーディガンを羽織るエイリシュに対し、老婆が袖を通しているカーディガンは緑色。緑色の店の緑色の古い部屋。
 ここはかつてエイリシュが倦んだアイルランドそのもののミニチュアだ。

 劇中でそれまでさりげなくばらまかれてきた断片が、一挙に寄せ集まって爆発するシーン。それをひとは「クライマックス」と呼ぶ。『ブルックリン』のクライマックスはこの静かな対決だ。

 老婆は雑貨屋の常連客のなかに、ブルックリン在住の親類を持つ人がいるという。
「世界っていうのは狭いものね、え?」
 そういえば、あなたジムとずいぶん仲がいいそうじゃないの。噂によると結婚するとか。でも――その常連さんによると、あなたもう結婚してるらしいじゃない?
 そして老婆は勝ち誇った顔で言う。「あなたが婚姻届を出すところを役所で見たそうよ。なんでも、イタリア系の苗字に変わったとか」
 エイリシュの表情が硬まる。たしかに、役所で結婚手続きするときにたまたま知りあった人の奥さんがアイルランド系で、エニスコーシーあたりの出身だと聞いた気はしたが。
「白を切るのはよして、ミス・ランシー*15。もっとも、今はどんな苗字か私は知らないけれど」
 エイリシュは言う。「忘れてたんです」

 老婆:
  忘れてたですって!? よくもまあ……

 エイリシュ:
  私はここがどんな町だったか、忘れていたんです。(I’d forgotten what this town is like.)
  それで、このあと貴方はどうなさるおつもりですか。
  ジムとの仲を裂きたい?
  アメリカに戻るのをやめさせたい?
  ……きっと貴方自身にもどうしたいのかわからないでしょうね。


 I’d forgotten what this town is like. というセリフは、ブルックリンでホームシックにかかったエイリシュを慰めた神父の「私はここに長く暮らしすぎた。アイルランドで生きるということがどういうことが忘れてしまったんだ(I forget what it’s like in Ireland.)」というセリフと共鳴する。
 故郷からあまり長く離れすぎてしまったがゆえに、彼女は故郷のクソさを、なぜここを離れたいと思っていたのかを忘れてしまった。それは、恋人やまともな仕事などでは償われない、もっと根深く、おそらくは名づけえない昏い感情だった。
 彼女にとってのアイルランドとは、まさに目の前に座っている業突く張りの老婆のような存在だったのだ。ただ目的も思想もなく、歴史と執着のみでもって若者の人生をからめとる濃緑の呪い。

 そしてエイリシュは思い出す。彼女の家はいまやアメリカに、ロングアイランドにある。彼女はそこで仕事を見つけ、恋人を見つけ、自分の人生を見つけたのだ。たとえ、「本物の幸せ」がジムとともにあるのかもしれなくとも、「家」はあそこだ。
 だから、エイリシュは泣きながらこう宣言する。
「私の名前は、エイリシュ・フィオレロです」
 そして彼女はものすごい勢いで店を出て、店の緑の扉を閉め、目を閉じる。大きく肩で息を継ぎながら激しく動悸する心臓を落ち着かせ、やがて閉じた目をゆっくりと開く。アイルランドとの別れを決意する。


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 彼女は実家に戻るや、母親に結婚の事実を告げ、ジムに置き手紙を残し、アメリカ行きの船に乗る。
 その船上で、アメリカに初めて行くのだという若い女性と出会う。初渡米時のエイリシュの引き写しのように純朴そうな若い女性に。

 女性:
  アメリカに移住しに行くんですか?

 エイリシュ:
  いいえ。

 女性:
  じゃあ、観光?

 エイリシュ:
  もとからアメリカに住んでるの。

 ブルックリンに住む予定だという女性は、傷心のエイリシュにブルックリンがどういった場所かを興味津々で訊ねる。

 女性:
  みんなが言うには、ブルックリンにはいっぱいアイルランド人がいて、まるで故郷(home)みたいなんだって! ホントですか?

 エイリシュ:
  そうね。まるで故郷みたいな場所よ。


 エイリシュは、かつて自分が赤い女ジョルジーナから教えてもらった船上でのサバイバル術と入管の心得を(神父から教えてもらったホームシック対処法も添えて)若い女性に伝授する。
「自分をアメリカ人として考えるの。(Think like an American.)」とアメリカ人になったエイリシュが言う。

「そうして、いつかは過去と何の繋がりもない誰かや何かについて考えるようになる。あなただけの誰かについて。そのとき、気づくの。ここにこそ、あなたの人生があるんだって」

ブルックリン、ニューヨーク

 『ブルックリン』は端的に言えば、女性視点から描いた移民物語、ということになるだろうか。
 最終的にエイリシュは過去=故郷=アイルランドと訣別し、同じく移民であるイタリア人の若者とともにアメリカ国民として、移民国家アメリカの二十世紀へと乗り出していく。
 彼女がなかば属していきつづけるであろうアイリッシュのコミュニティは、アイルランドとつながってはいてもアイルランドそのものではない。このへんの移民の繊細な機微が移民国家の外に住んでいるとわかりづらいところもあるけれど、田舎から都市へ出てきた人間が新しい土地と古い土地のあいだでいたばさみになる上京&帰郷物語として読めばある程度の普遍性はある*16し、実際日本ではそういう読まれ方をされるのだろう。

 まあ、とはいえ、『ブルックリン』は単純なストーリーのようでいていろいろな読み方ができる話だ。
 生まれついた土地などではなく、自分が心から「故郷」と信じられる場所をさがしもとめる魂のクエスト。
 常に後ろから追ってくる「故郷」、外での生活が長くなる内に思い出の糞な部分がそぎおとされてなんとなく美化されるノスタルジーの危険性、そういう過去からいかに逃れるかというエクソダス・ストーリー。
 いくぶん粗野だがワイルドで頼もしいピュアな肉体労働者タイプの男性と、洗練されたオトナな金持ちのあいだでふらふら恋のいたばさみに陥るロマンス。
 ぼんやりとした田舎娘が上京して自己を確立していく成長物語。
 心優しい姉の影に人生を導かれたり、ふりまわされたりする姉妹物語。


 ひとつ『ブルックリン』について確かなことが言えるととしたら、間違いなくシアーシャ・ローナンの映画である、ということでしょうか。



ブルックリン (エクス・リブリス)

ブルックリン (エクス・リブリス)

原作。映画パンフの訳者解説によれば続編(といってもエイリシュは出てこなそう)が近々出るとか。

*1:パンフレットによるとアイルランドは第二次大戦で中立の立場をとったせいでマーシャル・プランの恩恵を享受できなかったそう

*2:horizon には(人の)「視野」や「限界」という意味もある

*3:当時は入管で結核と見なされてしまったら強制送還の憂き目にあったため。ジェームズ・グレイ監督『エヴァの告白』にもそんなシーンが描かれている

*4:時系列的には上記の助言の前だが

*5:とはいえ、ここでエイリシュが発する「Could I have a bill, please?」の一言は本当にやばいくらい可憐なので、店員の気持ちはわからなくもない

*6:手紙を読んでいるあいだに挿入されるモンタージュが見事だ。横断歩道を渡るカットなのだが、色とりどり服装の群衆にあって濃い緑色のコートを着たエイリシュがやけに浮いている。コートの下に着ている薄いピンクのシャツにオレンジのジャケットならおそらくNYに”埋没"できるだろうに、彼女にまとわりつく緑色が境界となって同化を妨害しているのだ

*7:「an Irish girl in Brooklyn」が欲しかったと言う神父に対して、エイリシュが返す「できるならアイルランドに住むアイルランド人の女の子(an Irish girl in Ireland)でいたかった」というセリフも割に重要で、ここからブルックリンが彼女にとっての「故郷」になっていく

*8:ここで労働者の一人がゲール語で歌う印象的な場面があり、町山智浩の解説に詳しい。http://miyearnzzlabo.com/archives/37844

*9:黄色のシャツはこの映画は二種類登場する。胸元がV字に大きく開いたものと、首元でキュッとしまっているののふたつ。よく似ているが微妙に違う

*10:このシーンがどのあたりにくるか実は記憶が曖昧で、もしかしたら婚姻届を出した直後だったかもしれない

*11:古い体質のカトリックであるアイルランド人女性にとって結婚というのは後戻りのできない極めて重要な選択

*12:このコーディネートはもう一つの海水浴のシーン、そしてラストでも繰り返し登場する。カーディガンと花柄のスカートは同一だが、なかのシャツは同じような色合いでいて微妙にどれも違う

*13:余談だけれども、エイリシュの姉は仕事場に妹の写真を飾っていた。姉の死後、エイリシュが仕事を引き継ぐときにその写真立てを見つける。いいシーンだ。いいシーンですよね?

*14:ダンスホールは都合三度ほど本作で繰り返し使用される舞台だ。いずれも恋愛がらみ。一回目は序盤のアイルランドで、ナンシーが意中の男性とお近づきになり、エイリシュが孤独をおぼえるシーン。二回目はブルックリンのカトリック教会のダンスホールでトニーと出逢うシーン。そして三回目がアイルランドでジムに求婚されるこのシーン

*15:エイリシュの苗字

*16:ズートピア』でも田舎から都会に出てきたアニメスタッフのホームシック体験談が反映されているというインタビューを読んだ