名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


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今週のトップ5:『ハウス・オブ・カード』シーズン3&4、『バタード・バスタード・ベースボール』、『愛しのグランマ』、『Punch Club』、『セッション』、『マネー・ショート 華麗なる逆転』

『ハウス・オブ・カード』シーズン3&4

 シーズン3はまるごと回り道みたいな話で、ロビン・ライト演じる奥さんが前に出てきたぶん、彼女の心理的不安定さがドラマを不合理に乱していた。『ハウス・オブ・カード』も人気シリーズ化に伴う足踏みグダグダ化を免れ得なかったのだなあ、などと思っているとところがどうしてシーズン4にそのグダグダがちゃんと活きてきて、至高のラストカットへ繋がるのだから、やはり上手い。

ウェイ兄弟『バタード・バスタード・ベースボール』


The Battered Bastards of Baseball - Official Trailer - Netflix [HD]

 Netflix 限定配信のドキュメンタリー。

 アメリカの野球は数々の神話に彩られている。小説よりもなお信じがたい逸話たちに。アルバート・グッドウィルスポルティングの「アラウンド・ザ・ワールド・ツアー」、連勝をもたらす不具の少年、ブラックソックス事件のアンラッキー・エイト、野球発祥の伝説をめぐるクーパースタウンの興亡、バンビーノの呪い、「マネー・ボール」。だから、アメリカの偉大な作家たち、ロバート・クーヴァー(『ユニヴァーサル・プロ野球協会』)、フィリップ・ロス(『素晴らしいアメリカ野球』)、ドン・デリーロ(『アンダーワールド』)、マーク・トウェイン、ケン・カルファス、ホイットマン、W・P・キンセラ(カナダ人だが)、チャド・ハーパックといった人々は、神話について書くのと同じ態度で、ベースボールについても書いてきた。

 1970年代の数年間にだけ存在したチーム、ポートランド・マーヴェリックスは今もアメリカ球界に燦然と輝く神話のひとつだ。
 事の発端は、1971年にポートランドから3Aに所属していたビーバーズというチームが退去した事件だった。メジャーとまでは言わないものの、確かな実力をもった3Aチームのフランチャイズであった事実は西海岸の地方都市にとってはちょっとした誇りだった。それを親チームであるパドレスは無慈悲にも別の街へ移籍させてしまったのだ。
 メジャー球団の下部組織であるマイナー球団は親チームの意向に逆らえない。1970年代初頭はメジャーリーグ組織がちょうど今の形みたく成熟してきたころで、メジャーはそれまで地方にあふれかえっていた独立球団をマイナーリーグチームとしてどんどん吸収していった。メジャーにとっては一球団で多数の選手を抱えるよりも、若手をマイナーで育成したほうが効率がよかったのだ。気がつけば、往時には数百チーム存在した独立球団は1970年にはゼロになってしまっていた。

 そこにビング・ラッセルが現れた。西部劇映画やドラマを中心に活躍した脇役俳優で、かのカート・ラッセルの父親だ。彼は長らく出演していた西部劇ドラマ『ボナンザ』が終了し、半隠遁生活に入っていた。
 そんな彼がいきなりポートランドに球団を設立したいと言い出した。少年時代にルー・ゲーリックやヨギ・ベラの居たヤンキースに随伴して選手たちから可愛がられ、自身も一時期独立球団のプレイヤーであったビングは、人一倍野球への情熱を持った男だった。役者に転じてもその情熱は衰えず、自分の子どもであるカートを起用し、野球の教習ビデオを制作してプロ選手からも「使える」という評価を得た。
「殿堂入り選手となり、アカデミー賞を受賞するのが夢だった」と語るビングのフッテージ映像。「そのどちらも叶わなかったけどね」
 その彼がビーバーズ亡き後のポートランドで新球団を設立するという。ポートランドの住民たちは彼を懐疑の目で見た。役者だかなんだかしらないが、得体のしれないよそものが野球チームを作るって? 
 しかも、シングルAのチームだという。ビーバーズは3A。そんなレベルの低いリーグの球団に誰が興味を持つだろう。誰が誇れるだろう。名前はマーヴェリックス。ビングの出演したドラマの番組でもあるが、まさか?
 
 あたりまえな話、野球チームには選手が要る。他のマイナーチームなら親チームのメジャーチームがドラフトやトレードで獲得した選手たちをあてがってくれる。しかし、マーヴェリックスは文字通りゼロから立ち上げた球団なので、選手も一から集めないといけない。
 さっそくトライアウトが開催された。全米各地から四百から五百人の志望者が集った。誰も彼も個性的な面がまえで、元プロもいれば素性の知れない単なる野球好きまでいた。みな他のプロ球団なら獲らないような「はぐれもの」ばかりで、ただ野球がしたいという熱意だけで遠路はるばるやってきたのだった。
 ビングはそこから三十人ほどの選手を選抜し、元マイナーリーガーの監督をどこからかひっぱってきて、ついに球団を作り上げてしまった。他球団のマイナーリーガーとして活躍していたカートもDHとして馳せ参じた。
 何もかもが初めてずくしの球団だった。左利きのキャッチャー、女性のジェネラル・マネージャー、ボール・ガール、ボール・ドッグ……。
「80戦80勝できるチームができたよ」と大言壮語するビングは他の球団にとっての冷笑の的だった。しょせん素人にケが生えたような草野球チームじゃないか。うちは新人や若手が中心といえど、全米から選りすぐったトップ選手たちで成っているんだ。80戦で一勝もできれば御の字じゃないか。
 しかもマーヴェリックスは勝つことではなく、「楽しんでやる(Fun)」ことを第一の目標として掲げているという。月給も300ドルぽっち。そんなお遊びみたいなチームが日々切磋琢磨している一流選手たちに敵うわけがない。誰もがそう思っていた。

 
 ところが開幕戦、マーヴェリックスは勝ってしまう。それもただの勝ちではない。ノーヒット・ノーラン。そこから連勝に次ぐ連勝がはじまる。メジャースカウト陣お墨付きのプロスペクトを、つい数カ月前まで素人だった選手たちが軽々とさばいていく。
 ポートランドの人々も何かただならぬ事態が自分たちの街で起こりつつあると気づく。その何かをたしかめるべく、球場に足を運ぶ。一試合あたりの観客動員数の平均は4000人を超えた。シングルAのチームとしてはもちろん異例の集客だった。選手に「楽しむこと」を薦めるビングは、当然ながら観客たちを楽しませることも好きだった。スター選手を盛り上げ、さまざまなパフォーマンスを考えだしては実行し、次第に街とチームは一丸となっていった。マスコミや野球雑誌もこの異色の「バスターズ」に飛びつき、特集を組んだ。気がつけば、全米一有名なマイナー球団になっていた。
 創設初年度、ビングはシングルAの最優秀経営者賞を受賞する。成績は地区で二位。プレイオフに進出するも、惜しくも優勝はならなかった。
 
 この勢いに誘われて、あるピッチャーからの入団希望が届く。名前はジム・バウトン。かつてヤンキースで活躍したスター選手で、球団をクビになったあとメジャーリーグの内幕を暴露した『ボール・フォア』という本を出版して、球界からの不興を買っていた。その後、ロバート・アルトマン監督の『ロング・グッドバイ』で主人公フィリップ・マーロウの友人テリー・レノックス役を演じるなど様々な道を模索していたが、やはり白球への未練たちがたく、36歳にしてマーヴェリックスで復帰したいとの言うのだった。ビングは即答した。もちろん、大歓迎だ。
 名選手を得て、ならずものたちはさらに強くなる。リーグの連勝記録を塗り替え、三年連続でプレイオフに進出した。だが、どうしてもリーグ優勝の壁を乗り越えられない。これにはちょっとしたからくりがあった。メジャーでの大勢が決まる終盤戦になると、上のリーグから選手たちが降格してきて、マイナーチームがシーズン前半より強化されてしまうのだ。
 しかもマーヴェリックスは他球団から忌み嫌われていた。メジャーチームから見放されたり見捨てられたりした選手たちが、メジャーの見込んだ選手たちをぶちのめす。その現実を認めることは、彼らにとって自分たちの目が節穴であることを認めるようなものだった。メジャーにはメジャーの誇りがある。その誇りが、マーヴェリックスのリーグ優勝を阻んだ。

 1977年、球団創設五年目のシーズンに最大のチャンスが訪れる。マーヴェリックスは初となる地区優勝を果たすと、その勢いのままプレイオフの決勝まで勝ち上がる。決勝の相手はシアトル・マリナーズ傘下のベリングハム・マリナーズマリナーズには後にオールスター選手となるドラ一新人"ベイビー・M 's"ことデーブ・ヘンダーソンもいた。
 ベリングハムで行われた第一戦はマリナーズがマーヴェリックスのエース・バウトンを打ち崩して制した。観客は575人。
 ポートランドでの第二戦には4770人のファンが詰めかけ、マーヴェリックスが10-1の大差で勝利したのを祝いだ。
 そして最終戦となった第三戦。ポートランドの球場は8000人近い観客で埋めつくされた。文字通り全ポートランド市民が見守るなか、マーヴェリックスは――。
 
 
 1978年。ふいに、球団に危機が訪れる。ビーバーズがポートランドに帰ってくるというのだ。ルール上、ビーバーズがポートランドフランチャイズ権を買い戻すといえばマーヴェリックスに否は言えない。
 ビーバーズ、そしてメジャー機構の意図は明白だった。マーヴェリックス潰しだ。ビングはあまりに強すぎ、そして人気すぎた。ために、球界の「ビッグボーイ」たちの逆鱗に触れてしまったのだ。バカなことやってんなよ、たかがシングルAが。というわけ。
 今や押しも押されもせぬ街のシンボルと化したマーヴェリックスの危機にポートランドは揺れた。そして、あまりにあっけなくマーヴェリックスは消滅するはこびとなった。ルールにはさからえない。ルールを決めるオトナにはさからえない。こうして、アメリカ球界に芽吹いたイノセンスがまたひとつ、摘まれてしまったのだった。


 ところが、ここで終わらないのがビングだった。
 ビーバーズ(と親チームのパドレス)はビングを前に不遜にもこんなオファーを出した。
「通常ならフランチャイズ権の買い戻しは5000ドルだ。だが、私たちは君とマーヴェリックスに敬意を払おう。2万6000ドル出す。破格だろう?」
 事実、破格な提示額だった。だが、ビングは不満気にこう言い返した。
「ゼロがひとつたりないな。2と6の間に」
 彼はビーバーズに対して20万6000ドルを要求したのだ。
 裁判になった。
 誰もがビーバーズ、そしてその背後に控えるメジャー機構の勝利を疑わなかった。どの分野の歴史をひもといてみても、ダビデが勝った回数よりゴリアテが勝った回数のほうが遥かに多い。メジャーレベルからシングルAまで百数十の球団を抱える機構と、最下部リーグであるシングルAの一球団。どちらの言い分が通りやすいかははっきりしている。子どもはルールを決めるオトナにはさからえない。

 しかし、ビングがここでも奇跡を起こしてしまった。マーヴェリックス側の言い分が通ったのだ。ビングはビーバーズから20万6000ドルを満額奪取し、ここでも長年球界で信じられてきた法則を覆した。1978年、ビーバーズは居心地わるげにポートランドへ帰還し、マーヴェリックスはその短い歴史に幕を下ろす。通算221勝、158敗。地区優勝一回。プレイオフ出場三回。


 伝説は伝説を派生させる。マーヴェリックスは消滅してなお、新たな伝説の枝葉を伸ばした。
 エース、ジム・バウトンは40才にしてメジャーリーグで再デビューを果たし、勝ち星を挙げた。
 投手兼コーチだったロブ・ネルソンはボールボーイだったトッド・フィールド少年と共同で短冊状にカットされたチューインガム「ビッグ・チュー・リーグ」を開発し、そのアイディアを菓子会社のリグビー社へ売った。「ビッグ・チュー・リーグ」はたちまち人気を呼び、1980年には6億枚を売る大ヒット商品となった。――このガムの売り込みにはバウトンも一役買っている。メジャー球団に対して「(当時問題視されていた)噛みタバコの代わりになる」と営業をかけたのだ。
 トッド・フィールド少年は長じて映画業界に身を投じ、2001年には長編監督デビュー作『イン・ザ・ベッドルーム』で作品賞と脚本賞にノミネートされた。その後、06年に『リトル・チルドレン』を撮ったのちは長らく新作から遠ざかっていた(一時期はコーマック・マッカーシーの『ブラッド・メリディアン』の映画化をリドリー・スコットの代わりに担当するはずだったが、いつのまにか立ち消えに)が、どうやら最近はボストン・テランの『暴力の教義』の映画化プロジェクトを進めているらしい。
 若き二塁手ジェフ・コックスはアスレチックスでメジャーデビューを果たし、現役を退いてからはピッツバーグ・パイレーツフロリダ・マーリンズでコーチとして活躍した。
 夢破れたマイナーリーガーだったラリー・コルトンは現役引退後、ノンフィクション作家へと転身し名を上げた。
 カート・ラッセルの俳優としてのキャリアの充実ぶりはいまさら語るまでもないだろう。彼はマーヴェリックスについてこう語る。「俺には四人の姉妹がいたけれど、実の兄弟はいなかった。でもマーヴェリックスに入団して千人もの兄弟ができたんだ。得難い経験だったよ」
 そのカートの四人姉妹のうちの一人がマットという子どもを産み、彼は祖父であるビングの薫陶を受けてメジャーリーガーとして大成した。日本でもロッテで活躍したマット・フランコその人だ。
 そして、現在、独立球団はアメリカ全土に存在している。リーグの規定によりマイナーリーグには参加できなくなったものの、独立球団同士で独立リーグを運営して、メジャーに見放されたり見捨てられたりしてもなお夢を追う選手たちを受け入れている。


 ニューヨーク・タイムズ紙のダニエル・M・ゴールドは本作を評してこう言っている。
「ビング・ラッセルが造った。そして、彼らは来た」 
 『フィールド・オブ・ドリームス』のセリフをもじったこの評言は、アメリカの野球界がそれこそ『フィールド・オブ・ドリームス』のごとき嘘みたいなドラマに満ち溢れていることの証左でもある。最近でもハリウッドは野球映画を作るにあたって『マネーボール』、『42』、『ミリオンダラー・アーム』と実話ネタにことかかない。
 
 なぜアメリカ人はそんなに野球が好きなのだろう。より精確には、なぜそんなに野球の話が好きなのだろう。
 詩人の平出隆は『ベースボールの詩学』(講談社学術文庫)で寺山修司を引いてこう分析している。

  たとえば寺山修司は、「キャッチボールは好きだが野球はきらいだ」と、対談相手のシカゴの詩人、ネルソン・オルグレンに語ったという。  その理由はといえば、「キャッチボールにはホームがないが、野球にはホームがある」からであった。寺山修司のレトリックのめざしているところは明快である。彼はベースボールの「ホーム」を文字どおり「家庭」に見立てて、戦後社会の家庭の喪失が、虚構の「ホーム」に帰還したがる男たちのメロドラマとして、ベースボールをかつてない隆盛にみちびいている、といったことをいいたいのである。

 「ホーム」タウンである球場に地元ファンたちが、「ホーム」に還ろうとする選手たちを応援する。そういう素朴な家族的連帯感、あるいはそういうものへの熱望が彼らの郷愁をかきたてるのかもしれない。
 チームができればそこはホームになる。
 東海岸バーモント州生まれのビング・ラッセルは、晩年を西海岸のポートランドカリフォルニアで過ごした。


ポール・ワイツ『愛しのグランマ』


Grandma Movie CLIP - Money (2015) - Lily Tomlin, Julie Garner Movie HD

 若い恋人と喧嘩別れしたばかりの老年レズビアン(リリー・トムリン)のもとを、だしぬけに18歳の孫(ジュリア・ガーナー)が尋ねてきてこう告げる。
「妊娠しちゃった。お金ないから中絶費用の600ドル貸してくれない?」
 グランマは大学で教鞭を取る著名なフェミニスト詩人だ。ふだんならそんな小銭はわけなく払える。が、この日はたまたま巡り合わせが悪かった。恋人とのゴタゴタでイラついていたグランマは、一時の激情に任せてクレジットカードを破ってまっていた。すぐに引き出せる現金もない。
 孫の側も、妊娠を母親に内緒でグランマのとこにやってきた手前、親の金は頼れない。かといって、他にあてがあるわけでもない。
 堕胎医の予約はその日の夕方。
 グランマは長年のフェミニズム運動と詩作で鍛え上げられた毒舌を無尽に発揮しつつ、孫をひきつれ中絶費用の工面にでかける。
 
 『愛しのグランマ』における家族関係は、その他大多数の映画に出てくるような家庭と較べてかなり毛色が異なる。
 まずグランマはおそらく60年代から70年代にかけてのセカンド・ウェーブ・フェミニズムに参加したであろう人物で、一旦ヒッピーっぽい男性と結婚していたもののすぐ離婚して女性のパートナーと結ばれた経歴を持つ。この長年連れ添ったパートナーを喪ったことがサブストーリーのラインに影響してくるわけだが、ともかくこのパートナーとの間に子どもを欲しがったため、他の男性から精子を提供してもらって娘を産んだ。その娘は男性と結婚し、できた子どもが今そこで妊娠している孫、というわけ。
 観客はそういう家族のなかへ何の説明もなしに放り出され、80分と短尺の物語を眺めているうちになんとなく上記の関係を理解していく。
 明かされていくのは家族構成だけではない。グランマの人生の履歴もだ。
 グランマは手っ取り早く現金を捻出するために本棚から数冊の分厚い学術書を抜き出して、「高く売れるわよ」と自信満々に嘯く。目玉はフェミニズムの古典中の古典『女性らしさの神話(The Feminin Mystieque)』だ。しかも著者ベティ・フリーダンのサイン入り。
 ところが孫がイーベイで調べてみると、同様の出品に数十ドルの値しかついていない。
 グランマは委細構わず旧知の友人へ本を売りに行く。ところが友人の運営するカフェで働く恋人と鉢合わせし、つい感情的になって商談もこじれてしまう。
 グランマと孫は今度はグランマの最初の夫へ会いに行く。三十年か四十年ぶりの再会だ。老いてなおプレイボーイの面影を残す彼にグランマは高いプライドを削って金策をたのみこむが、中絶の費用と聞いた元夫は「それだけはだめだ」と断ってしまう。あまり多くの説明はされないのだが、後に出てくる病院のシーンでグランマが何気なしに中絶経験の告白を行うとこから察するに、堕胎したのは彼との子どもだったのだろう。
 結局、万策尽きたグランマと孫は孫の母親、グランマにとっての娘の仕事場訪れる。そこでもグランマは罵り合う。グランマの娘にとって、グランマはあまり良い親ではなく、結婚してからはほとんど連絡もとっていない。そこへ唐突に孫を伴って現れて、彼女が妊娠したので中絶費用をくれと要求するのだから、もちろん対話は複雑な事態へと発展する。

 要するにグランマはクソババアなのだが、真正直なクソババアなので妙に清々しい。その彼女が歩んできたそれまでの道のりが、孫の中絶費用を無心する過程で遡及され、終局的にグランマは自身の過去や未来と向き合わされることになる。
 BGMを極力排した、抑制のきいた語り口による等身大のコメディ・ドラマだ。どうしても気張って描きがちな設定やテーマを、気負いも嫌味もなく描ききっている。必要以上には語らないし、逆に説明不足に陥ることもないギリギリのバランスで80分におさめてしまうのは、流石はベテラン、ポール・ワイツといったところ。これだけ女性しか出てこない映画もなかなか珍しい。

 

『Punch Club』

 ボクサーを育てるゲーム。……なんだけれども、映画を含めたポップカルチャーのリファレンスがとにかく膨大。『ロッキー』は当然として、『ファイト・クラブ』のタイラー・ダーデンっぽい男の双子の弟が『スナッチ』のミッキー*1だったり、ピザ配達のバイトで下水道にやってくるとハチマキマスクをしたミュータントワニ忍者に襲われたり、そのピザ屋の主人がどっからどうみてもスティーブン・セガールだったり、敵キャラがザンギエフっぽいロシア人だったりブルース・リーっぽいアジア人だったり……はては『ニンジャスレイヤー』なんかも引用している。そこまで広まっていたのか、ニンスレ。 

ダミアン・チャゼル『セッション』

 去年死ぬほど観たのがまた映画館にかかっていたのでもう一回観に行った。
 テンポの話だ。主人公のテンポはいつもズレている。ちゃんと劇中で説明されているにも関わらずみんな誤解している節があるけれど、フレッチャー教授は気分でパワハラしているわけではない。いちおう主人公の成長を見越してその都度(彼なりに)戦略的にプレッシャーをかけている。
 最初の練習で椅子を投げてきたのも、十代のチャーリー・パーカーがセッション中にドラムのシンバルを投げつけられた故事に因むし、主人公が以前所属していたバンドのメインドラマーを連れてきたのもフレッチャー自身で語っているとおり「主人公の発奮材料として」だろう。主人公がメインドラマーの座を手に入れるきっかけとなった大会での譜面の消失事件も、フレッチャーが仕組んだのではないかと思われる。フレッチャーは本気で主人公の素材に惚れこんでいたのだ。
 ところが彼の戦略に主人公は同調しきれない。重要なところで寝坊しかけたり、事故で遅刻したり、無理やり舞台にあがろうとして大失態を演じたりしてしまう*2。そこまでならまだ挽回のしようがあったかもしれない。しかし、「もう終わりだ」と早合点した主人公は先生で割るフレッチャーを公衆の面前で殴り倒してしまう。ついに彼はフレッチャーの意図を理解できないまま(理解しろというほうが無理なのだが)退学処分の憂き目をみる。

 いっぽう、フレッチャーも主人公の密告で学校を追われてしまう。フレッチャーは主人公を許せなかった。密告した事実のみによって憎んだわけではない。フレッチャーの教育理論を解せず、主人公がみずから素材を台無しにしてしまったことと、フレッチャーというジャズ界に必要とされている教育者のキャリアを未完のまま終わらせたこととで、二重にも三重にも度し難かった。フレッチャーはバーで主人公で再会したとき、「ジャズは死んだ」と嘆く。フレッチャー視点では、そのトドメをさしたのは主人公だった。主人公は一個人の人生ではなく、ジャズそのものを殺してしまった大罪人だ。
 だから、というべきか。フレッチャーは捨て身となって主人公へ復讐しにかかる。あの復讐劇の後先考えなさは脚本の不備としてよく指摘されるところだが、実のところフレッチャーは後先なんてどうでもよかった。第二のチャーリー・パーカーを育てるという目標を潰されたその日に彼の音楽人生は死んだも同然だったのだ。彼はある意味で鬼教師を演じていたといえる。身体を鍛え、二の腕をたくましくし、黒い半袖シャツに黒のジャケット、黒の帽子という超絶ダサい三点セットに身を包んだ。その衣装でもって、生徒たちを威圧し、与えるプレッシャーを最大化してきた。
 その彼が生の姿をさらけ出して全人生をぶつけた場があのラストの演奏会だった。主人公はフレッチャーの理論や理屈がとことん理解できない。理解できるふりをしたために、壊れてしまった。彼もまたフレッチャーの要求した「理想のジャズマン」を演じようとして、挫折した。
 彼とおなじくフレッチャーの要求に答えようとしたある先輩は途中で自死を選ぶ。フレッチャーへの憎しみを内に抱えたまま、自爆してしまったのだ。
 だが、主人公の憎しみは常に開いていた。フレッチャーに罵倒されながらドラムを叩くとき、彼は常にすさまじい凝視でフレッチャーを睨んでいた。先生の期待に答えようとしているのか、先生を殺したがっているのか、自分でもよくわからないままに睨めていたのかもしれない。
 ラスト、彼はフレッチャーの要求した「理想のジャズマン」を捨て、生の己だけをもってドラムセットに復帰し、オリジナルな殺意でフレッチャーを睨む。フレッチャーも睨み返す。
 とてつもなく強烈な視線の衝突が、彼ら二人の間、観客とスクリーンの間に憎しみだけない別の何かを生じさせる。そこで初めて、テンポが合う。それがこの映画の快楽なんだと思う。


アダム・マッケイ監督『マネー・ショート』二回目。

 論理的な正しさは力だ。ところがそれはむき出しの力でもあるので、運用を間違えれば不幸になる。問題なのは、正しいんだから正しいはずだろうというトートロジーにいう陥ること。

 劇中でサブプライムローンの崩壊を予測した人々は誰もが不安に陥る。「自分たちの予測は本当に合っているのか?」。論理や理屈でいえば、サブプライムローンはかならず破綻しなければいけないし、事実データも破綻の前兆を示しつつあった。しかし、ウォール街も世界もあいかわらず脳天気に回っていて、誰も世界が滅ぶなんて信じていない。滅ぶぞ、というと一笑に付される。創世記のノアの心持ちだ。
 ところがメインのキャラのうち三人だけ滅亡を最初から確信している人間がいる。
 一人はクリスチャン・ベイル演じるアスペルガーの天才トレーダー。もう一人はライアン・ゴズリング演じるドイツ銀行の保険担当者。もうひとりはブラッド・ピット演じるプレッパーの元モルガン・スタンレー証券マン。
 ベイルは終始自分の予測の正しさを疑わない。誰も調べないサブプライムローンの返済率を逐一調べあげ、その他あらゆる努力を払ったすえに崩壊を確信する。それが論理だからだ。彼はその論理に絶対の自信を持っている。他人がグリーンスパンなどのビッグネームをひきあいにだして否定しにかかっても、彼は揺るがない。ベイルとグリーンスパンなら、間違っているのはグリーンスパンだから。
 その正しさの確信を、彼は運営するファンドの顧客にもおしつける。だが、顧客はいくら説明されてもベイルの正しさがわからない。そもそも説明を聞く気がなく、世間の雰囲気が崩壊しないと言っているから、崩壊しないと思い込み、崩壊に賭けようとするベイルをキチガイ視する。いますぐ賭けをやめろとメールや電話でしつこく催促してくる。
 ベイルは自分がなぜ拒絶されるのかわからない。自分は顧客のためになることをやっているのに、なぜ彼らは感謝するどころか自分を罵って資金をひきあげようとするのか。ベイルは、資金引き上げを阻止するためにヘッジファンド運営者としての権限を利用して、資金の移動を停止する。それはベイルにとって思いやりですらあった。しかし、顧客はますます激怒する。
 すべてが終わったあと、ベイルはファンドをたたむことを決意し、顧客にむけて別辞のメールを書く。「私はこの二年間苦しんできました……」
 彼が「苦しみ」は、未曾有の経済危機を逆手に取って大儲けしようとしたことについての罪悪感ではない。サブプライムローンの破綻を信じきるべきなのか、どこかで手をひくべきなのか悩みぬいたことでもない。
 彼は自分が尽くしているはずの人間から、正しい愛情のレスポンスを得られなかった。関係を築けなかった。誰にも理解してもらえず、孤独だった。圧倒的に、絶対的に、正しかったはずで、現に正しかったのに。

 元証券マンのブラッド・ピットも似たような孤独を抱えていた。彼は盗聴を恐れて複数の電話回線を所有し、間違った回線から間違った人物がかけてきた電話には絶対でない。食べるものは自分で育てた有機野菜だけ。世界は破滅しつつあると信じている。
 彼は田舎から出てきた若いファンドマネージャーたちに助力する。空売りが成功したあと、ファンドマネージャーたちはブラッド・ピットにおそるおそる「しかしなんで僕達なんかに協力してくれたの?」と尋ねる。
 ブラッド・ピットはぶっきらぼうに「大儲けしたかったんだろ?」と応える。
 おそらく、そこにはシンパシーがあったのだ。世界が滅びつつあると叫んで、誰にも信じてもらえなかったもの同士のシンパシーが。ベイルと違い、彼には仲間がいた。一緒に世界の破滅を信じてくれる仲間がいた。そういう点では、確信をもてずにさまよいつづけたスティーブ・カレル演じる怒れるファンドマネージャーもおなじだ。
 正しさそれ自体は世界との関係を保証してくれない。
 それを銀行マン、ライアン・ゴズリングはよく了解していたので、あえて裏方に回り、わかってくれそうな人間にだけ利を説いた。
 正しさとは力なり。力とは、うまく付き合っていかなくちゃ、ねえ。

*1:どちらもブラッド・ピットが演じている

*2:のみならず恋人の大切さを正しく認識するのも別れた後という徹底ぶり