名馬であれば馬のうち

読書、映画、その他。


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転校生は狼少女、サーモンピンクな恋心――菊池英也『めぐりあう者ども』(2015)

めぐりあう者ども

めぐりあう者ども

女性が動物に変身する譚について

 アメリカ文学研究者で『人狼伝説』*1や『狼女物語』*2などの訳者としても知られる、いや実のところそんなには知られてないでしょうが、すくなくとも僕の中では大変にヤバイくらい著名なウェルズ恵子大先生によると、「狼が人間の女になってあらわれるとき、そこに描かれるのは男性に所有されきれない独立性、自我」であり、すなわち「頑として不変である『もう一つの世界』=文明の思い通りにならない自然」を現すといいます。
 いかさま、狼にかぎらず女性の内なる自然*3、「文明」たる男性性に所有されない野生の発露を動物への変身に託す文学はまあ昔からありまして、ガーネットの名作TF寝どられ小説*4『狐になった奥様』なんかが(真面目に調べたことはないのでアレだけど多分)その嚆矢かつ最良の例でしょう。*5
 ストレートに擬人化された女性性が動物として顕れるような、たとえばやまだ紫の『性悪猫』などとは違い、女性→動物への越境が行われる場合は、越境せざるをえない女性の悲壮さが強調されるもので、かたや対立する存在である男性=夫の視点にあっては「従順な淑女だと思っていたら、ある日、突然おれの知らないクソビッチに豹変してむっちゃショック」といったイプセン『人形の家』の御代からフリン『ゴーン・ガール』の今日まで一貫して描かれてきた根源的な夫婦生活の恐怖が戯画化されます。

あらすじ

 速弾けすぎました。生まれて初めてこの手の話を言語化したことによる高揚でしょうか。『めぐりあう者ども』の話をしましょう。前段までの話から飛んで、これはボーイミーツガール変身譚です。まあボーイもけっこうなおっさんだし、ガールもとうのたった獣医師ですが。
 筋といっても180ページそこそこしかないので、どこまで詳らかにしてよいのか見当できませんで、まあしかし簡単に導入を述べれば「しがないリーマンが謎の女と出会って惹かれあう」みたいな身も蓋もない次第になってございます。
 謎の女は謎の女なので終盤に至るまでかなり謎めくのですが、主人公と洒落たレストランで鹿肉を食っている最中に突然凶暴化して素手で肉をガツガツ貪りはじめたとおもったら止めようとした主人公の指まで食いちぎろうとする、かようにとんでもない謎の女で、そこまで読むとかなり勘の悪いほうでも表紙と見比べながら「はっは〜ん」と訳知り顔で読み進められましょう。
 それと、謎の女の謎のボディには謎の玉が埋まっていて、いわく「ある動物の魂――霊異が一丸となって凝り固まったもの」*6であるらしい。リアリティのラインとしては、ファンタジーだとか伝奇だとか、『そらトびタマシイ』のころの五十嵐大介だとか、そういう透明なものを想定していただきたいところです。
 主人公におかれましては、そんな女に対してなんだこいつアレかな、近寄っちゃいけない人なのかとなるのが人情だと存じます。が、そんな選択肢を選んだ途端、小説というゲームは終わってしまうのだし、そもそも彼のほうでも自分に謎めいたパワーが秘められたことに気づきはじめる。謎の女と邂逅を果たしてからは蜘蛛にかまれたピーター・パーカーなみの変化に見まわれ、仕事がうまくいきまくるわ、助走なしで三十メートルくらい垂直ジャンプできるようになるわ*7、とにかくなんだか人間ばなれしていく。
 どうやら主人公にも出生の秘密という相応の謎が秘められているようで、母親が自分を産んだという秩父の森へと、彼も読者もだんだん吸い寄せられていきます。

謎解き狼女

 つらつらと、こう、あらすじんでみてみるとたまにアフタ系の青年漫画誌に載るような単発雰囲気ファンタジーのごとく思われるでしょうが、意外にロジックや謎解きみたいなものはあって、謎の女は最終的に謎の女ではなくなります。謎が解ければ何もかもハリウッドエンディングなのかといえば、そうでもなくて、存外「そこに描かれるのは男性に所有されきれない独立性、自我」というフォーマットにそった端正さみたいなものが顕れたりもします。いや、追うものと追われるものの恋愛劇としてなら、むしろ神話のそれに近いのか。


 特に後半部にかけて膨れ上がっていく民俗ネタは、その手が好物な人にはたまらないでしょう。
 「リュカオン療養所」*8とか「一五四二年のコンスタンチノープル*9とか、いくらなんでも採ってきた素材を生焼けのままぶちこみすぎで世界観を損なっているのでは感はありますが、本筋に絡ませてくるところはきっちり処理しているので、とりあえず腹を下しはしないはず。
 いまどき貴重な TransFur 文学です。



人狼伝説―変身と人食いの迷信について

人狼伝説―変身と人食いの迷信について

狼少女たちの聖ルーシー寮

狼少女たちの聖ルーシー寮

表題作は人間になろうとする狼少女の成長譚です。カレン・ラッセル、たまにうんざりするけど無二のストーリーテラーなんだよなあ。

人狼原理 (ハヤカワ文庫 SF 437)

人狼原理 (ハヤカワ文庫 SF 437)

まだ読んでない。

*1:セイバイン・ベアリング=グールド。人文書院

*2:短編集。工作舎

*3:哲学用語ではない

*4:ある日いきなり妻が狐に変身して、別のオス狐に寝どられてしまう

*5:単に「しつこく暴力的な男性から逃げる」ってだけならギリシャ神話のダフネやデメテルがいたわけで、その変身による逃走がフェミニズムという近代のテーマと融合したときに新しいジャンルの寓話ができあがったのだと思う

*6:p.24

*7:『ハンター・ハンター』のツェズゲラさんも大嫉妬だ

*8:リュカオンとはギリシャ神話に出てくるアルカディアの王様。ゼウスへの捧げ物に赤ん坊を捧げたことで神の怒りを買い、狼へ姿を変えられた。ちなみに英語で狼男を現す「リカントロープ Lycanthrope」はギリシャ語に由来する

*9:フィンケリウスという記述者によると、一五四二年に、時のオスマン皇帝(おそらくスレイマン一世)がコンスタンティノープルに棲息していた多数の人狼を護衛と共に殺害した、とある(ベアリング=グールド『人狼伝説 変身と人喰いの迷信について』)。おそらく人狼の大量虐殺が記録された唯一の事件。