名馬であれば馬のうち

読書、映画、ゲーム、その他。


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爆弾のある日常――千字選評(1):『あの素晴らしき七年』エトガル・ケレット

これまでのあらすじ

「読書、映画、その他」と書いてあるのに、「アニメ、映画、その他」みたいな状況になってきたので書評を書く訓練などしたい。ほっとくとだらだら長くなるのでとりあえず千字前後を目標に。

『あの素晴らしき七年』エトガル・ケレット(秋元考文・訳、新潮クレスト・ブックス、2016年4月27日)



 ハイウェイに乗ると、半分はぼくに、半分は自分に話しかけるかのように、運転手は言った。「ホンモノの戦争ですよね、ね?」そして、長いこと間をとったあとで、懐かしむように、「昔みたいに」と言った。


 p. 20, 「戦時下のぼくら



 テロ事件の犠牲者でごったがえす病院で子どもが産まれる話ではじまり、七年後、空襲警報の鳴り響く道路で成長した子どもと一緒に地面に伏せる話で終わる。そのあいだの七年間を描いたエッセイ集だ。

 ひとくちに「日常」といっても、そのリアリティは人それぞれだ。飢餓が日常の人もあれば、爆撃が日常の地域だってある。そうした国では、戦争とは生活であり、ジョークの種であり、ときに懐旧の対象ですらあったりもする。

 イスラエルは建国以来ずっとだらだらと戦争を継いできた。戦争を日常とする国家だ。そんな場所にエドガル・ケレットは住んでいる。イスラエルで生まれ、イスラエルで育った。父親第二次世界大戦を戦い抜いた元レジスタンスで、母親はヒトラーによって故国ポーランドを追われた元孤児。ふたりとも、ホロコーストの真っ只中にいた。ケレット自身も若くして軍に入った。元神童の兄は紆余曲折を経てタイに移住し、超正統派ユダヤ教徒になった姉は弟をハグすることすら許されない厳格な生活を営んでいる。
 イスラエル第一世代の五人家族の末っ子としてのケレットと、第二世代の三人家族の父親としてのケレット、そして国際的短編作家としてのケレットが多層的に折り重なって現れる。通底するのは、どのケレットも「自分はユダヤ人である」という自意識を抱えていること。

 このエッセイ集はもともとアメリカ人読者に向けて書かれたものだから、戦略的に〈イスラエル在住作家〉のペルソナをわかりやすく強調している面もあるにはある。しかし、それ以上に、彼が講演旅行でよく廻るヨーロッパという土地は、ユダヤ人にみずからがユダヤ人であることを思い知らせずにはいられない。なんとなれば、そこいら中にじぶんたちの足跡が残されている。逆説的ではあるけれど、彼にとってイスラエル以外の土地こそ、あるいは放浪そのものこそが故郷なんだろう。ケレットの母親は彼の最初の短編集を読んでこう言う。「あなたは全然イスラエルの作家じゃないわ。国外を放浪しているポーランド人作家よ」。
 彼は母の故郷、ワルシャワに家を買う。ただ刻印することだけを目的にしたような、奇妙な家を。

 エドガル・ケレットは掌編の名手として知られる。エッセイもだいたい四五ページで簡潔に収まっている。自分と自分の置かれている微妙に奇妙な状況をペーソスと諧謔でユーモラスに、しかし堅実な筆致で描くことで、時にファンタジーの領域にすら届く。やさしくなったカフカみたいだ。

(1018文字)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)

「カートゥーン・アニメキャラの指はなぜ四本か」を取り巻く言説

 別にカートゥーンアニメブログでもないのに、カートゥーンネタが三つ続きますね。なんでかな。

ミッキーマウス・クラブの子どもたち

 昔から巷間でよく話題にのぼるものの結局なんだかわからない問題の一つに「なぜカートゥーンの指は四本なのか?」がありますね。
 人間にしろ、動物にしろ、ミッキーマウスにしろ、『シンプソンズ』にしろ、『グラビティ・フォールズ』にしろだいたい全部四本指。さすがに作画がリアルよりな『キング・オブ・ザ・ヒル』だと五本指ですが。
 最近の子供向けカートゥーンだと『ぼくはクラレンス』や『スティーブン・ユニバース』なんかで五本指が試みられてますが、まだまだ四本指優勢な状況です。

 では、なぜ、カートゥーン・アニメのキャラはみな四本なのか。

 この答えは簡単で、「ミッキーマウスがそうだったから」です。「蒸気船ウィリー」でデビューしたときから一貫してミッキーは四本指です。

 そうなると、次の疑問が派生します。
 なぜミッキーマウスは四本指で生まれてきたのか?

ソースは手塚治虫

 この疑問について、日本でよく聞くのは「昔の作画技術が未熟だったせいで五本指にデザインするとブレて六本指に見えることがあったから」という説。このセンテンスはだいたい尻尾に「と、手塚治虫がディズニー関係者から聞いた話として言っていた」と、ヒレがつきます。

 ミッキーマウスは指が4本なので、鉄腕アトムもミッキーと同じように指を4本にしました。その後、手塚治虫先生がミッキー関係者と会った時に、ミッキーの指が4本の理由を聞いたら以下のような回答が。

「5本の指を描いてアニメーションにすると、動いているときに6本に見えるからだ。」
 その後、アトムの指は5本になりました。


世にも奇妙な指6本物語



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アニメ初期のアトムも四本指だった。

 この話はインターネットでは人口に膾炙していて、知恵袋系ではもはや定説と化していますが、たいてい大元のソースが明示されていません。
 何かとデマの多いのがインターネットです。疑ってかかる必要があります。
 あろうことか上記を「手塚治虫ウォルト・ディズニーから直接聞いた」とまで断言している知恵袋回答者もいます。これはありえない。ウォルト・ディズニー手塚治虫が対面したのはたった一回だけ、1964年のニューヨーク世界博でのことで、このとき交わされた会話はせいぜい社交辞令程度でした。*1

 では、ディズニー関係者から聞いたというのもデマか、といえばどうやらこちらは本当のよう。

 みなさんみてもらうとわかるけど、ミッキーマウスドナルド・ダック、それから、ミニーとかいろいろ、ホーレスとか、いろんなディズニーのキャラクターってのは、人間以外みんな指が四本なんです。人間も四本だったんです。
 なぜ四本かっていうことは、ぼくが大人になって、アニメーション作り出してからはじめてわかったんだけど。ディズニースタジオに行って聞いてみたら、四本で描かないと、あれ、動いてるでしょう、アニメっていうのは、動いてるけど、スムースに動かない。ぎくしゃく動くってわけなんだけど、指が五本に見えるんだそうです。四本でちょうど五本に見えるんだって。
 それで、五本描きまして動かすと、六本に見えるときがあるそうです。アニメーションっていうのは、連続してる絵じゃなくて、一枚一枚描きますからこうぎくしゃく動くんだけど、残像現象で、前の指が残ってて、ちょっと動いた指がまた目に映って、というような形で、ずーっとつづけて映像を見ると、五本が六本に見える時があるんだ。それで四本描くと、動いてると、ちょうど五本に見えるってこと聞いたことがある。そういう意味で、「レオ」なんか、四本指なんです。


「わが人生・わがマンガ」(1988年、『手塚治虫 ぼくのマンガ道』新日本出版社



 この「ディズニー・スタジオに行った」のが具体的にいつだったのかは調査不足により特定できません。ウォルト死後の1979年にフロリダ旅行でディズニーランドへ寄ったときと思しいのですが、「スタジオ」のあるカリフォルニアは西海岸で、「ワールド」のフロリダは東海岸、正反対のロケーションです。日程的にやや無理があるし、ちょくちょくアメリカ旅行に出ていた手塚治虫のことですから、また別の機会があったのかもしれません。

 いずれにせよ、インターネットはデマばかりでないことが判明してよかったですね。インターネット最高! 頼りにしてます! 最高の友人です!

ウォルト本人は何と言ったか。

 とはいえ天下の手塚治虫の証言といえど又聞きであることには変わりない。ミッキーマウスを作ったウォルト・ディズニーやアブ・アイワークスは四本指について実際なんと言っていたのか。
 ここはインターネットをいくら掘っても出ない領域で、こういうところがインターネットマジで頼りになんねえなと思うのですが、先日、科学ノンフィクション作家サイモン・シンが『シンプソンズ』の数学ネタを解説した『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』をのんべんだらりと読んでいたら事故的に出遇ってしまいました。

 『ザ・シンプソンズ』の世界で指が八本になったのは、アニメ映画の草分けの頃に起こった突然変異のせいである一九一九年にデビューした『フィリックス・ザ・キャット』では、片手に四本ずつしか指がなかったし、一九二八年に登場したミッキーマウスもそうだった。この擬人化された齧歯類の指が一本足りない理由を尋ねられて、ウォルト・ディズニーはこう答えた。
「デザインとして見たとき、ネズミに指が五本というのは少し多すぎる。バナナの房のように見えてしまうからね」
 ディズニーはそれに付け加えて、手を簡略化することにより、アニメーターの負担を減らそうとしたとも述べた。
「金銭的なことを言えば、六分半の短いアニメを構成する四万五千枚の作画について、すべて手から指を一本減らせば、スタジオとして数百万ドルの削減になる」
 こういう理由により、アニメのキャラクターは、動物であれ人間であれ、八本指が標準になったのである。


 p.268-269, サイモン・シン青木薫・訳『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』新潮社



 この「バナナの房」発言はアメリカのネットでは古くから流通していたらしく、ソースはどこだと思ったら、おそるべきことに『数学者たちの楽園』はこのあたりの参考文献を示していない。
 引用されているウォルト・ディズニーの発言は、 ほぼ wikipedia に掲載された文章と一致しますから、シンはおそらくこれを読んで書いたのかな?
 しかし、 wikipedia でもそもそもの発言ソースがあげられていません。
 まあ、権威あるサイエンス・ライターの書いてることですし、「ミッキーマウスの指が四本になった理由」についてはこのあたりで妥協しましょう。

四本指キャラの始原

 もちろん、サイモン・シンはアニメ専門のライターでなく、『数学者たちの楽園』はアメリカ・アニメ史の本ではないため、アニメーション黎明期の解説についておろそかになるのもしかたない。
 そもそもオットー・メスマーの筆によるフィリックス・ザ・キャットも最初から四本指だったのか、といえば、なかなか一筋縄ではいきません
 フィリックスのデビュー作「Feline Follies」(1919)*2では人間は五本指*3。それまでのアニメーションでも人間=五本指が通例でした。いっぽうネコたるフィリックスはというと、箆みたいな腕でそもそも指が見当たりません。


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Feline Follies」より。人間は五本指。



 「Felix in Hollywood」(1923)になると箆から一歩進化して、親指が生えます。ところがその後数年は、新聞を読んでる指の数が左右で異なったり、思いっきり五本生えてたり、判然としない時代が続きます。


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左から「Felix in fairy land」(1923)、「Romeo」(1927)、「Felix the Cat in Sure-Locked Homes」(1927)

 フィリックスの指がはっきり四本と定まるのは、原作のプロデューサーであるパット・サリヴァンの手を離れてヴァン・ビューレン・スタジオで1936年にカラー化されたときです。

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Felix the Cat: The Goose That Laid the Golden Egg」(1936)

 

 一方のディズニーも最初から四本指主義を戴いてはおりませんでした。ミッキーマウスの前身として知られる「しあわせうさぎのオズワルド(Oswald the lucky rabbit)」は実質上のデビュー作「trolley troubles」(1927)の時点では五本指。四本指に変わったのは後のことです。


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「trolley troubles」のオズワルドさん


 そうして、1928年、ミッキーマウスが「蒸気船ウィリー」でお披露目されます。このときのミッキーはコマによって四本指になったり五本指になったり忙しいのですが、基調は四本指です。
 なぜミッキーマウスがことさら四本指を強調されるようになったかといえば、それは彼の服飾センスのせいでしょう。すなわち、手袋です。
 ミッキーはオズワルドやフィリックスのような黒いボディの持ち主です。が、ふたりと違って真っ白い手袋をはめています。*4当時の画面は白黒で背景のほとんどは灰がかった白で占められていました。こうした白い世界に白い手袋を持ち込むと、背景に溶けてしまうおそれがある。そのため、キャラと世界との境界を描くという意味で、指の数をはっきり示しておく必要があったのでないでしょうか。*5

 以上を踏まえると、だいたいトーキー元年の1927年を境にディズニーが覇権を握るにつれ、徐々に「カートゥーン・アニメキャラ=四本指」の図式が確立されていったものと推測されます。

現代アニメーションにおける指の数の活用

 現代のアメリカ・カートゥーン・アニメの作家たちは無批判に百年来の伝統に従っているわけではありません。
 『シンプソンズ』にも自分たちの指の数をネタにしたギャグがやまほど出てきますし、『アドベンチャー・タイム』に至っては指の数を、謎めいた世界観を読み解く上でのキーとして使用してします。
 その一方で、冒頭で言及したように、あえて五本指を当然のものとして描く作品も目立ってきています。
 そう簡単にカートゥーンの指は増えないでしょう。しかし、こうした多様化が何をもたらすのか、どうアニメ界の勢力図を変動させていくのか、今後も頭の片隅において見ていきたいですね。


数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

数学者たちの楽園: 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち

*1:文藝春秋』1967年5月号「ニューヨークのディズニー」

*2:wikipedia での邦題は『フィリックスの初恋』。大塚英志の『ミッキーの書式』では「仔猫のフォリーズ」だとかそんなタイトルが与えられていた気がする。

*3:メスマーのデビュー作「How a Mosquito Operates」(1913)ではちゃんと五本指の人間(指のシワがちゃんと描きこまれていてリアルっぽい)が出てきます。彼に影響を与えた『リトル・ニモ』のウィンザー・マッケイからして五本指派です。

*4:むろん初期は手袋をしていないことも多かった。しかし、手袋自体は「ウィリー」のタイトルカードの時点から出てきています。

*5:このあたりアニメーション黎明期の特徴であったメタモルフォーゼの多用がすたれていったのと関係があるのではないかとも思う

海外TVアニメの若手クリエイターたちにおける傾向と対策

proxia.hateblo.jp
 でカートゥーン・ネットワークで2010年代に始まって継続中の番組をリスト化したわけですが、つらつら眺めて見るに、80年代生の若手クリエイターが多い。
 彼らはいったいどういう人種なのか。
 何を食ったらああいうものが出来上がるのか。
 傾向を探っていきたい。
 対策は特にありません。
 あと「海外TVアニメ」っつっても主にアメリカだけです。
 アメリカっていうかカートゥーン・ネットワーク関係についてです。

 

80年代生まれのアニメ・クリエイターたちの特徴:

1. 『ザ・シンプソンズ

「こどものころ好きだったアニメ番組は?」という問いに対してほとんどのアニメーターが「『ザ・シンプソンズ』」と答えています。『ザ・シンプソンズ』の放送開始は1989年。彼/女らはまさに直撃世代です。(同時に、ディズニーにおける80年代の低迷と90年代の復活を体験した世代でもある)
 単純に視聴者数が多かったのもあるでしょうが、テンポの早いスラップスティックなギャグやクリクリと飛び出気味の丸い目玉に黒丸瞳というキャラクターデザインなどに確かに『ザ・シンプソンズ』の作風が多くの作品に反映されています。

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(『シンプソンズ』)

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(『レギュラーSHOW』)

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(『アンクル・グランパ』)

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(『ぼくはクラレンス』)

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(ディズニーだけど『グラビティ・フォールズ』)


参考までに2014年からやってる『トムとジェリー・ショー』のトムとジェリーはこんな感じ。
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 虹彩に色がついてたり、まつげが描かれていたりと一手間かかっているのがわかります。
 『シンプソンズ』は「目」の表現を完全に記号化してしまったんですね。

 そう考えると、眼球という概念すらとっぱらってしまった『アドベンチャー・タイム』がいかに革新的だったか。

2.日本アニメ・ゲームの影響:

 ジブリは当然の教養であるのでさておいて、この世代のフェイバリットとしては、『AKIRA』(全米公開は89年末)もよく名前があがります。アキラたちがバイクで夜の東京を集団暴走するピーキーなシーンは、国内外問わずよくパロディのネタにされています。(リンク先のgif集には入ってませんが『スティーブン・ユニバース』でも)

 しかし、この世代の、特に女性のクリエイターたちに多大な影響を与えた日本産アニメといえば、幾原邦彦がてがけた『セーラームーン』(北米では96年にビデオリリース)と『少女革命ウテナ』(北米では98年にビデオリリース)ではないでしょうか。

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(『スティーヴン・ユニバース』の有名なウテナオマージュ回。他のシーンや元ネタとの比較はこちら

http://rebeccasugar.tumblr.com/post/28606878442/utena-fan-art
rebeccasugar.tumblr.com
http://rebeccasugar.tumblr.com/post/108618153348/troffie-when-i-was-working-on-alone-together
rebeccasugar.tumblr.com
http://rebeccasugar.tumblr.com/post/29598934300/all-new-adventure-time-lady-and-peebles-monday
rebeccasugar.tumblr.com
(『スティーヴン・ユニバース』クリエイター、レベッカ・シュガーによるウテナのファンアートとウテナパロ。シュガーは『アドベンチャー・タイム』の監督回で主人公に『セーラームーン』のドレスを着せたりもしてる)


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(『Bee and the PuppyCat』のアンソロジーに寄稿された Anissa Espinosa のアート。本作は『ウテナ』を想起させる要素や描写が多く、影絵演出なんかも挿入されたり)


 若手世代を代表するアニメーターであるレベッカ・シュガー(『スティーブン・ユニバース』)を始めとしてナターシャ・アレグリ(『Bee and the puppy cat』)などが「凛とした騎士のような戦う女性像」や「日常で地続きの謎異世界でのバトル」などが反映されています。男性でコミック・アーティストですが、『スコット・ピルグリム』のブライアン・リー・オマリーもその影響下にある一人ですね。*1
 ちなみに『スティーブン・ユニバース』は女性の同性愛を扱っており、子ども向けアニメとしてはエポックメイキングな一作です。*2クリエイターのレベッカ・シュガーも自身をバイセクシュアルとカミングアウトしています。

 男性作家にはアニメよりむしろ、ゲームの影響が強いでしょうか。ここらへんはTRPG文化や『ウィザードリィ』なんかも混じっているのでむしろ多国籍感と言ったほうが正しいのでしょうが、『アドベンチャー・タイム』や『レギュラーSHOW』にはファミコン世代(アメリカでの発売は85年)の古き良きゲームへのノスタルジーが強くにじみ出ています。

3. カルアーツ出身クリエイターの隆盛と『The Marvelous Misadventures of Flapjack』

 別に北米アニメ界では今に始まった現象ではないのですが、カリフォルニア芸術大学(通称カルアーツ)出身クリエイターの活躍が近年のTVアニメ界、特にカートゥーン・ネットワークで目立ちます。

 『ぼくはクラレンス!』本放送の決定を報じる2012年の記事を見てみますと、「『クラレンス』のスカイラー・ペイジは、『The Marvelous Misadventures of Flapjack』のサーロップ・ヴァン・オルマン*3、『アドベンチャー・タイム』のペンドルトン・ウォード、『レギュラーSHOW』のJGクインテルにつづき、近年では四人目となるカルアーツ出身クリエイター」とあります。
 スカイラー・ペイジはこの後すぐさまセクハラ事件でクリエイターの座を追われるわけですが、この四作品のうち『Flapjack』以外は現在も継続中です。
 これらに加えて、2016年時点では、『アンクル・グランパ』のピーター・ブラウンガート、『ぼくらベアベアーズ』のダニエル・チョンが番組をもっていますので、計五番組がカルアーツ出身者によって占められていることになります。
 面白いのはワーナー・アニメーション(DCヒーローもの、旧ハンナ・バーベラ組、ルーニー・テューンズ)が噛んでる番組とCNオリジナル企画とで、はっきりと非カルアーツ組とカルアーツ組が色分けされるところ。
 「新しくて冒険的な企画は優秀な若い才能に任せるべきだ」というCNの方針が暗黙裡に示されているように思われます。

 カルアーツは、ウォルト・ディズニーがディズニーで働くアニメーターを養成するために創設した*4芸術大学です。アニメーション学校としては世界でも最高峰とされています。そのためか現在でもディズニーとの結びつきが強く、ここから毎年ディズニーやピクサー、あるいは他のアニメ会社へたくさんの若い才能が旅立っていきます。
 もちろん、ディズニーやピクサーの選考から漏れたり、そもそもテレビ業界で働きたがる人たちもいるわけで。

 なかでもペンドルトン・ウォード、J.G.クインテル、そしてアレックス・ハーシュ(ディズニーXDだけど『グラビティ・フォールズ』)の80年代生まれ三人衆は年齢も近く、共にサーロップ・ヴァン・オルマンの『The Marvelous Misadventures of Flapjack』で経験を積んで独り立ちしたグループ*5で、彼ら三人の番組から新しい才能が次々と生まれています。

 他に2010年代に番組を立ち上げたカルアーツ出身者としては、『Long LIve The Royals』の Sean Szeles*6、『Over the Garden Wall』の Patrick Machale *7、『Sym-Bionic Titan』の Genndy Tartakovsky、Bryan Andrews、Paul Rudish(この人たちの場合はまあ別格なんですが)、『Secret Mountain Fort Awesome』*8の Peter Browngart、そしてやはりこれも例外的ですが『ヒックとドラゴン』の Chris Sanders*9 らがおります。

4. 80年代〜90年代カルチャー

 『レギュラーSHOW』なんかには80年代の音楽カルチャーが深く反映されているわけですが、あんまりそのへん詳しくないので割愛。いつか調べる。
 それにしても、『レギュラーSHOW』にしろ、『アドベンチャー・タイム』にしろ、『スティーブン・ユニバース』にしろ、微妙なレトロ・ローテク感、90年代の「当時はすごい便利になったと思ってたけど、今からするとまどろっこしいテクノロジー使ってた感じ」に対するノスタルジーがある気がします。
 『クラレンス』も90年代を意識して作られたそうだし。 

 反対に、『ぼくらベアベアーズ』は最新テクノロジーや都市型のカルチャーがばんばん出てきますね。感覚としては、NYあたりで撮ってる実写コメディドラマに近い。


その他カートゥーン・ネットワーク組を見てて思ったこと

5. なぜかみんなウェス・アンダーソンが好き。

 ジェシカ・ボルツキ(『Bunnicula』)、カイル・カロッツァ(『Magisword』)、そして『レギュラーSHOW』の劇中で『天才マックスの世界』をパロるJGクインテルと、ウェス・アンダーソン作品を好きな実写映画にあげているクリエイターが多い。この人達は共通して80年前後の生まれです。
 そういう目で観てみると、彼らの作砂浜にはレトロ感のあるシックな画調にスタイリッシュな構図が多いし、ウェス・アンダーソンの影響といわれればそうなのかもしれない。

6. ワーナー系のコンテンツはベテランに、新企画は若手に。

 3で言ったこととわりあいかぶるんですが、旧ハンナ・バーベラ系(『トムとジェリー・ショー』、『パワーパフガールズ』)やワーナー・アニメ(『バッグス』)やDCヒーローもの(『ティーン・タイタンズ』)といった、ワーナー傘下のコンテンツのリメイク/アニメ化はそれぞれの筋で経験を積んだベテランに任せる傾向があります。
 一方で、カートゥーン・ネットワークのオリジナル企画(『アドベンチャー・タイム』、『レギュラーSHOW』、『ぼくはクラレンス』、『スティーブン・ユニバース』、『おかしなガムボール』)には業界に入って日も浅い20代の若手をばんばん抜擢しています。

 手堅い企画は手堅い筋に任せ、冒険的な企画は冒険的な筋に賭ける。この硬軟織り交ぜた起用が2010年代のカートゥーン・ネットワークの好調をささえていたわけですね。


まとめ

 特にありません。
 ある時期に大人気だったコンテンツは、それを観て育った子どもたちが業界に入る約二十年後にモロリスペクトされる形で表出するんだなあ、とか、そういうありきたりなアレです。

*1:スコット・ピルグリム』のヒロインは大学時代に自分の部屋に『ウテナ』のポスターを貼っていた

*2:『アドベンチャー・タイム』も公式かどうか微妙なラインですが、声優が「マーセリンとバブルガムはデートしたことがある」と発言して話題を呼びました

*3:現在は、ディズニーへ移籍してなにかのプロジェクトに携わっている

*4:ただしくは古くからあった芸大を買い取った

*5:同作には背景ペインターとしてニック・ジェニングスも関わっており、『アドベンチャー・タイム』や『レギュラーSHOW』での彼の起用もその縁か

*6:『レギュラーSHOW』の主要スタッフ

*7:『アドベンチャー・タイム』の主要スタッフ

*8:『アンクル・グランパ』はもともとこの番組のスピンオフ

*9:元々はディズニーで『リロ・アンド・スティッチ』などを作っていた監督